保護棒を語る
固定窓化が進んで姿を消した保護棒を懐かしく語るスレ 貨車の窓ガラスの保護棒はがっしりとした太い棒で格子状に取り付けられている ガラスの破損防止だから固定窓か開閉窓かは関係ないでしょ 窓から身を乗り出し過ぎて転落する、または対向電車や架線支柱に衝突しないための保護棒 そうやって笑うが、
昔は本当にそういう不幸な事故があったんだよ 京王線は新宿地下化され、甲州街道上を走らなくなったら付けなくなったから
何か規定があるんだろうな >>69
インドで乗車経験あり。
エアコン付きの上級車にはなかったけど、3等車には必ず付いていた。
貧乏バックパッキング旅行にの自分はいつも3等車だった。
事故の時窓から脱出できないのでちょっと怖かった。 戦後混乱期には車内側から太い木材を横に打ち付けて保護棒代わりにしていた東武のような例をもあったという
窓ガラスがないので車外への転落防止になっていた そうじゃなくて
当時は座席が僅かしかない詰め込み仕様が当たり前で
立客が掴まり易いように棒を設置したのだ 詰め込み仕様にしても車内に入り切れず窓外にぶら下がる客も多くいたので遠くからだと電車が丸く見えたというよ >>78
戸袋窓は開かないのに必要ないでしょ
2本付けといえば先代の京急1000形
いつの間にか取り外されたようだ 東急が荷電を持っていた頃、保護棒が木製のものと、金属製のものと二種類あった
1985年にはまだ田園調布に荷物積卸用ホームが残されていてデワ3043が銀の保護棒を光らせて停まっていた 何を運んでた?
都内はもうトラック輸送網が整備されてた時代だが・・・ >>85
延命工事に合わせて外されたり、逆に取り付けられたりするようだ
今は亡き鶴見線クモハ12は再末期に取り付けられたが
特に顧みられることもなくやがて廃車になった クモハ12は人気車両だから検索すると画像が多くヒットするのでそこから推定するにどうやら1990~1993年に付いたのではないかと。
京急1000は特定できないが冷房改造時の可能性はある 非常時の脱出経路を敢えて塞いでることにはならんの? 旧型国電でも非常脱出用ドアコックは付いている
昭和26年桜木町火災事故の事故車にもついていたように、電車の保安装置としては昔からあるもの 建前上、窓は脱出経路ではない
非常時は窓からではなくドアを解錠する そうなのか
一時期通勤型車両もコストカット目的で固定窓が流行したが
その後一転して一部を開閉可能にする改造しているのはどう見る >>98
あれは脱出と言うより駅間長時間停車で換気出来ず、客がのびちゃったからじゃないの 桜木町火災事故を教訓にドアコックの存在を啓発することにしたが
無秩序に使われて非常時に線路上を客が自由に歩けてしまう状況を作ってしまったのが
10年後の三河島の悲劇につながる 換気の目的もあるだろうが脱出経路は多いに越したことはない
換気は地下線の場合は無意味とは言わないが効果は低い
例の事件はそれも考慮してあの場所で起こされたのかも知れない 桜木町事故当時の63形の三段窓の中央窓が嵌め殺しになって事実上の保護棒の役目になってたんだな 客を保護するためなのに逆に脱出の妨げになったのなら
皮肉だな 非常扉コック
↓
非常用ドアハンドル
↓
非常用ドアコック >>102
駅間に送風装置を置いて換気機能を確保してる地下線もあったはず >>103
あれは桟を増やしてガラスの表面積を節約しようとしただけだよ 保護棒なんか気休めで本当なら鉄格子レベルまで頑丈なものでないと保護してることにはならない羂 >>110
荷物室の車内側は鉄格子紛いの太い棒がついている