懐かしの701系
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琴電の1200形と比較したら、どっちが良く跳ねるかい? 琴電とか一畑の跳ね方よりワイルドだと思う>三岐
一畑も7年前引退した元南海21001は凄かったが現有車はおとなしい >>164
そのバネの硬いFS342でも、さすがに多客時の沈みは空気ばねよりも大きかった。
赤電末期のころの701系の写真をサイトで見たけど、クハと比べてモハの車高が目に見えて低くなっていた。 クハは台車履き替えたけど
モハはそのままだったな
まあ
TR11を履く方が異常だったろ思うが そういえば601系はクハの台車を履き替えないまま系列消滅したな。
(系列消滅後に残党クハ1651形の一部で551系と組んだものだけFS40に差し替えたが)
もし601系の状態でクハの台車履き替えが発生してたら、どうなってたかな? >>169
601系の一部701系化とクハ1601形のクハ1651形化が始まった頃は、まだ701系にもTR11履いていたのが残っていたからな。
もう少し時期が遅かったらあるいはあり得たかも知れないが、ちょっとこのIFは想像つきにくい。 701系(601系や801系も)って、なんで発電ブレーキ省略してたんだろ。
電磁自動ブレーキの採用は従来車の併結のため仕方ない面もあるが、京王みたいに
「発電ブレーキつき電磁自動ブレーキ、さらに従来車とも併結で営業運転」
を実現してた所もあったことを考えると、そこで妙に独自路線にしなくてもよかったような気がする。 >>171
近年まで最高速度が85キロだった様に
金のかかることは一切しなかった
からね
西武は >>173
東武は電磁”直通”ブレーキでの発電ブレーキ省略だから西武とは方式路線がやや違う。
東武との同路線の方式はむしろ同時期の阪神赤胴車だろう。
西武の場合は、電磁"自動"ブレーキでの発電ブレーキ省略、というのが、同時期の大手私鉄の
新製カルダン駆動車にはなかった、という意味で独自だった。 今日、三岐線に乗ったら「模型のような編成」だった
さすがエアサス、飛び跳ねる802とは大違い
広幅と狭幅をムリヤリ連結、昔の名鉄でも見たなぁ 東武8000は制御器にえらい高級品使って、乗り心地と適度な加速性能確保しておいて
駅数少ない路線特性と平坦線用として発電制動省いたのは上手くやってるが
西武は単なる吊り掛け時代引きずってるだけだからなぁ >>175
851fですね!
三岐は乗ったこと無いのですが
近江と比較してどっちが跳ねますか?
旧西武がいる路線で路面良い順に
伊豆箱>近江>>>>>>流鉄
富山、上信も乗った事ないのでどの辺になるのか‥ 生まれる前のことで全く分からないので、知っている人教えて欲しい。
601系や701系を導入した当初、カルダン車限定運用ってあったんだろうか。
例えば朝ラッシュ時に各停に優先投入して加速度向上(昔の小田急みたいに)させたりしてたりとか… >>178
申し訳ないけど西武のことはよくわからない。
東武に関しては旧性能の電車に合わせていた。
ダイヤ乱れのことを考慮してどの車両でも問題がないようにしたと聞いたことがある。 >>178
ある程度運用は決まっていても、カルダン車限定という運用は
601系や701系導入時にはまだ無かったんじゃないのか?
ラッシュ対策には高密度運転よりも編成当たりの両数を増やすことで対応しようとしていたし >>178 ここのスレ、最初から読んでいけばわかるんでは?
何故、701の増結用として411(当時)+1451の吊りかけ2両ユニットが造られたのか?
701導入しラッシュ時10両運転開始の2年前、1961年に池袋線で8両運転が始まったとき、唯一電気連結器装備の501が池袋線にかき集められたが、この2年間で電気連結器付きの車両不足は解消されていたのか?
そもそも、何故、ラッシュ時に所沢で附属編成の増結をする必要があったのか?
1963年当時、池袋線、新宿線に2面2線なのにやたら乗り換え客が多く、ダイヤの支障となりやすい途中駅(例:小田急下北沢、京王明大前、新玉川線開業前の東急東横線自由が丘)が存在したか? >>181
1961年当時唯一電連を装着していたのは501ではなく551。
先頭車の運転台側だけではなく、編成内各車両間の連結器も電連つきという徹底ぶりだった。
(後に先頭車の運転台側以外は電連を撤去して普通のジャンパ線にしたけど) 編成内で電連付けてたのって、昭和44年くらいまでじゃなかったっけ?
101が登場する前は2両単位で検査入ってたけど、101登場後は編成単位で検査になって、
451や551の6連も編成替えしたはず。
701も2両単位で分割できるようになってたはずだけど、検査はどうだったのかはわからない。 >>183
701系って編成内が棒連結器で、簡単には分割できなかったような気がするが… 601〜801系の製造時期って、4連の製造に偏重してたよな。
4連が60編成(601〜801系)に対して、2連が19編成(411系)。
ついでに言えば、601〜801系で6連で新製された編成が皆無というのも興味深い。
固定編成としての6連が501系にサハ1551形挿入して2M4Tにした5編成だけで、その後の551系/451系の編成替えまでの間
6連固定編成が生まれなかったのは、よっぽど6連固定編成の使い勝手が悪かったんだろうな。
(ラッシュ用との割り切り?) >>185
雑誌やネットに掲載された当時の写真を見ると、営業列車で4連って結構あったんだよな。
しかも池袋線や新宿線の都内区間で。
明るさから、どうも日中の時間帯のように見えた。
だから固定6連の需要自体がラッシュに特化していたのかも知れない。 新宿線では、昼間の上石神井折り返しの普通が
1990年頃まで4連だったよ。 10両運転始まった1963年頃、ラッシュ時への乗客の集中率が今より相当高かったのでは?国鉄、私鉄含め他の路線も同様だけど。
東武にしても8000系の6両固定が導入されたのが1972年だし、小田急2600は5両固定でデニュー。昼間は池袋線でも4両で十分。 >>188
そう思う。乗車率300%とかの時代、都内に出ないと
職場も学校もないと言う街が結構あったと思う。
生まれは昭和40年代だが、土着の仕事してる人以外は
みんなラッシュに揉まれて都心に行っていた。
大学の郊外移転とか言われる時代でやっと分散。
高齢化が進んでないから年寄がいない日中は4両で十分 東武の8000系は当初自動空気ブレーキ、金属バネ台車、制御装置はシンプルなMMC、
主電動機も100kw/hくらいでMT比1:1の編成で、73,78形と併結・共通運用を考えてた
そうだ。 現在、中井〜野方間地下化進行中、野方〜井荻間立体化構想ありの状況だな。
もしこれが701系が現役の頃に完成していたら、果たして701系では登坂とかできたんだろうか。
昔と違い、今は高架化とか地下化の取り付け部って35‰とか平気であるからなぁ。 名鉄の旧3700系が地下の新名古屋駅や小牧駅に出入りしていましたので不可能ではないと思う >>192
なるほど。
今Wikipediaで確認したら、あそこも35‰だったんだな。結構急勾配。
ただHL車のMT比1:1だと相当登坂でもっさい運転だったんだろうか。 ほかには地上ですが(新)鵜沼から岐阜方向に進むと、
非電化の高山本線はゆるい勾配で登るけれど,各務原線は急勾配で坂を登っていく。 >>191
大丈夫だろ?
西武秩父線のように延々と続くわけではないんだから。
高田馬場や新井薬師の勾配も30パーミル超ですよ。 128KWのMT30を搭載した501の2M4T編成で椎名町から池袋への上り坂30‰を走ることができた。
カーブ直前で減速して入らなくてはならないから、直線でスピード上げたまま35‰上がる場合よりもきついのでは?
この2M4T編成は池袋線専用だったが、新宿線の下落合から高田馬場への上り坂走れたのだろうか?こっちの方がカーブきついし、かなり減速しなくてはならない。
無理だったと思うけど。 飯田線だって40‰をギア比低い80系で走破してたし
似た電動機ながら急行用ギア比の165系も問題なく登坂する
701系はそれより条件良いのでは >>198
MT54絡みだと、仙山線や板谷峠は455系や485系にMT比2:1以上の縛りがあったな。
まあ自重が大きい交直流電車だから一概には比較できないけど。 赤木沢渡とか、公園の滑り台みたいな40‰なら特段の登坂降下性能など要らんだろ。
信州中野湯田中の連続40‰勾配は、東急から来た2M1Tの大出力車が、降下するのに必要な性能を備えておらず、入線禁止である。 もとは現代の高架地下の勾配に701系が対処できるかの話で
それはそもそも山岳部の連続勾配ではないからね〜
秩父区間の赤電より、金子坂を登る八高線キハ35のほうが辛そうだったw 今日昼過ぎの三岐線
「模型のような編成」は絶賛稼動中
垢電とレモンイエローは、両方ともお昼寝
103-104が検査入場中
で、旧カラーの101-102に乗ってたら途中から満員に
乗車に手間取り、気づけば2分延
下校時間なんだから、3両にしておくれ お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ >>199
だから、西武秩父線以外の西武や、飯田線の急勾配と、
仙山線と板谷峠は違うんだって。
仙山線や板谷峠は「連続勾配」でしょ。 連続勾配は力行だけじゃなくブレーキも厳しいからな
そりゃ新性能車なら抑速発電が欲しくなる
西武だって101・5000で私鉄にしちゃ珍しいマスコン逆回しの
抑速付けたわけで、秩父線は例外的 秩父運用に抑速制動はありに越した事はないが必須ではないようだね
電制無しの赤電や黄701も通常運用だったし今日も2000系が2本入ってる
勾配運転厳しい貨物のE851でさえ電制がなく導入時は結構動輪削らせてしまい
国鉄のやり方を学んで治まったとか…
その運転士さんブログによると連続勾配といえる区間は9kmだそうだ。 今日の2000系秩父運用は3本になったw
4000系足りん >>206
101系や5000系には抑速ブレーキ入れたのに、E851に入れていないというのは不思議だな。
すでに国鉄にEF64という前例があったのに、なんでそれを参考にしなかったんだろうか。 EF64と65の価格差・部品点数差ってどんなもんなのかね。
65のほうがシンプルなのは確かだろうけれど。 >>208 奥羽本線板谷峠(EF64登場当時は直流電化だった)や中央本線韮崎から小淵沢辺りの、連続して20〜30‰の勾配が継続する区間に比べれば、秩父線内はそれほどでもないのでは?青梅線の青梅・奥多摩間並みだと思うが。青梅線は旧型電機だけどED16が石灰石貨物列車牽引に用いられていたが、事故起こしたという話は聞かないし。
それに電車に比べ電気機関車はモーターの粘着力が強い。電車で抑速ブレーキ必要な区間でも、電気機関車なら回生ブレーキで凌げたからなんでは。 EF16って電制無しの回生車じゃねえか?
詳しくは知らんが >>212
意味不明。
回生制動は電制の一種。
発電しなければ、どうやって電力を架線に戻すんだよ? 冷房改造前の701系の運転台の画像見ていると、面白いことに気づいた。
戸閉表示ランプ、最初はカバーなしだったのに、途中から(改造?)細長い筒状のカバーがつくようになった。
おそらく視認性に問題があったんだろうけど、そんなに見にくいのなら、最初からカバーつけるか、あるいは
もっと大きなランプにしたら良かったのに。 >>215
旧性能赤電もパイロットランプ小さかったようだな。
あっちはカバーなくてランプが小さいが、見えてたんだろうか? 大井川に行った351の運転台はよく見たが
穴の中にランプ点いてるだけだったね
同じ頃伊豆箱根の1000形の方は多面カットカバー無しだった そう言えば、2000系もだんだん少なくなってきたけど、
黄色一色(窓周りのベージュなし)って、701系冷改車の
途中から始めたんだよな。
どういういきさつで2000系もそれを踏襲したのかは謎だけど、
黄色一色は新宿線を象徴する色だったよな。 701系のブレーキ。
電磁自動ブレーキは併結の都合仕方ないとしても、電空併用は本当に不可能だったんかな?
京王や東急で電磁自動ブレーキと電制の併用はずっと前から既に実用化できてたし、
やりようによってはそれこそ西武お得意の国鉄制式機器(CS12主制御器とか)との組合せでも
いけたと思う。
結局電制を採用しなかったのは、単なるコストの問題なのか技術的困難があったのか
どっちなんだろ。 コストじゃない?
高加減速も勾配対応も必要ないとされたわけだし 601系と701系のクハの(TR11履いていたときの)制輪子って、鋳鉄のまま? それともレジンに換装してた?
西武ではTR11をだいぶ補強して使っていたと聞いているが、制輪子まで手を入れてたんだろうか? >>224
TR11をどこまで使い回してたかにも依りそう。
つりかけ車で国鉄制式台車履いてたのでレジン制輪子使ってた例は聞かないし、
もし701系とつりかけ車で互いに使い回してたなら(付随台車だから支障ないし)、
鋳鉄のままだったかもな。 この間町田のヨドバシのNゲージ売り場で新501系2両セット(塗装済み完成品)を見つけた。
(買わなかったけど)
実車がたったの6両、しかも改造から8年で全車解体のマイナー系列なのに、ああやって
模型が商品化されてたのには感動した。 Nゲージ会社の人が好きな車両だったのかも知れない? >>229
旧型車まで含めて全部レジンに変更とは驚きだな。
電磁自動ブレーキという制約の中で、それなりのブレーキ力の確保は目指してたんだな。 >>230
西武ってなんか努力の方向性が独特過ぎるのでアリっちゃーアリな気はする >>231
西武はある意味我が道を行っていたよな。
旧性能車(省電機器流用車)が国鉄制式なのは種車の関係上仕方ないとしても、それを新性能車まで
引きずってたもんな。
601,701,801系
・マスコンは(新製納車)旧型国電のそれだし、主電動機はMT54ベース(型番だけ異なる)だし。
101,301,2000,3000,4000,5000系
・マスコンが115系ベース(系列により抑速ブレーキ段の有無はあるが)。
なんであんなに国鉄制式またはその類似品に拘ってたんだろうか。 >>232 大量生産されていて安く入手できたからなんでは? 思い出せないので恐縮なのですが
451系で6両固定って、ありましたよね?471 491?
いつからあって、いつなくなったのか ご存じの方教えて。 >232
>ある意味我が道を行っていた
と言うより、国鉄ジェネリックに徹していただろ 101系の断続パコ音
線路脇で食らうと強烈で気持ち良かった
JR113や185系も強い良い音色だが
701系列はおとなしい印象だが気のせい? >>232
>>233
赤電までのMC1Aマスコンは国鉄がGEのC36をベースに開発して、
大小各メーカーが制作してたので、西武の他に東急や東武も採用していた。
西武は払い下げ品メインだったようだけど、東急や東武は新品だったようだ。
101系以降のマスコンは115系とかのMC53より、気動車のMC19に近い気がする ハンドル部分が小さいMC19風って西武と南海(基準位置角度違うが)かな >>238
MC19とMC53の画像を確認したが、西武101系以降のマスコンは
どちらかというとMC53似だったな。 >>239
南海のマスコンは切の位置が11時で筐体が楕円形だけど、ノブが西武と色も形状も似ているね。
>>240
筐体はMC53でノブの大きさ形状がMC19ってことで。 クハ1701形といえば、製造開始からわずか6~7年でTR11からFS372への台車変更が始まったけど、
よっぽどTR11との相性が悪かったのかな?
クハ1601形は(少なくともモハを701系に召し上げられて編成を解かれる前は)ずっとTR11だったのと
えらい対照的だな。
そういえば411系もクモハをFS40に振り替えたのにクハは401系化前はずっとTR11だったし。 かなり昔に作って途中で辞めた
401系が、下塗りのままになってる
復活しようと思うが
小豆ツートンの非冷房+TR11にするか
冷改後+FSにするか
いっそ黄色にするか
悩んでる 60周年と言えば、来年で701系登場60周年だな。
いま残っている残党は三岐くらいだと思うけど、いつまで残るんだろうか。 三岐線は冷房化完了で一安心したのか、10年以上車両更新が止まってる
まぁ、買い替えるにしても適当な種車がなさそうだし
幸か不幸か、バウンド激しい旧701の激走が続く
さらに深刻なのが北勢線、予備車ナシで運休続発 クハ1701の台車、製造の時点でFS-342の付随台車版にできなかったんだろうか。
製造数年でFS-072への換装を始めることになるんなら、TR-11の流用の意味がなさ過ぎる。
結局安物買いの銭失いに近い状態になったのがもったいない。 >>250
あの頃の西武は台車に関しては迷走してたよな。
701系のTR-11もそうだが、801系クハ10両分だけしか造らなかったFS-067とか、
吊り掛け系列の一部電動車やごく一部付随車だけ換装したFS-40とか。
特にFS-40の導入が中途半端に終わったのは、結局何をどうしたかったのか全く謎。 >>10
俺もそっちの701系やと思って全然懐かしくないやんーって思ったわw 701系一族(801,401,501系を含む)の冷房化って結構しゃかりきだったよな。
わずか8年(1975-1983)で264両を冷房化(年平均33両のピッチ)。
この間2000系や新101系、301系の製造を並行して続けていたことを考えると、
いくらその間101系非冷房車の冷房化を中断していたとは言え、西武の執念が
感じられる。
同時期の他社でここまで急ピッチに冷房改造していた所ってあったっけ?
車両数の多い東武や阪急当たりはあり得そうだけど。 >>10
>余程上物の椅子
上物ではなく劣化前のありきたり >>255
東武だと、非冷房で新製された8000系が372両あって、これを12年かけて冷房改造してた。
ほぼ似たようなペース(年あたり31両)。
埼玉にゆかりのある鉄道が似たようなことしてるのが微笑ましい。 >>258
東武もずいぶん頑張ってたんだな。
でもあの頃の東武って、新車の新製と既存車の冷房改造に加えて、旧型車の機器流用で
車体の載せ替えも並行してやってたんだよな。
西武で例えれば、史実の状態に加えて、371系・351系・2代目501系を潰して機器流用して、
新たに2000系風の車体に載せ替えた吊り掛け車を用意するような感じ。
それを考えると東武の涙ぐましさがよく分かる。
西武は一応1968年までに吊り掛け流用車の新製は終えてたし。 久々に宮城県行ったら701系かなり減ってるな。見る限りやと殆ど721系に置き換わってるっぽい。一ノ関行きも721系やった。 >>261
JRの701系の話題はスレ違い。
よそでやってくれ。 スレ違いついでに
JR701の廃車はほとんど発生していないので
置き換わっているわけではない クハ1701の前面は今から思えば革新的だったな。
鉄道車両であんなに大型の方向幕を装備するのって珍しかったのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています