懐かしの701系
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カルダン駆動、しかもMT54互換の新性能車、さらに正面にバスのような大型方向幕つきで、あの西武にしては斬新な車両が出たなあと思ったら、
その内実、マスコンは旧型国電の3ノッチ、ブレーキは旧式の電磁自動ブレーキで発電ブレーキもなく、クハに至っては戦前のイコライザー台車。
…さぞかし当時のファンはがっかりしただろうな。 BiSHってっさ、貴重なお宝のような体験したときに「珍宝!」と叫ぶんだが
「珍宝」が放送禁止用語っておかしくね?
だったら和同開珎は何で放送OKなんだよ。 あと、短くて薄暗い直流蛍光灯と、何よりも車内のスタンションポール!
1960年代の新造なのに、どことなく旧型国電の意匠が変なところで残っていた。 747Fの101系色(試験塗装)、リアルで見てみたかった。 571系の後に、701系の廃車が始まった時は衝撃的だった
10年前には赤電が幅を利かせていた会社で
冷房付き量産車が廃車になる時代が来たのかと 冷房化し塗装変更した後、これの4両と401の2両を組み合わせた編成が新宿線の主力だった。
でも多摩湖線で使われたり、地方私鉄に多く譲渡されたのは401の方だな。2両固定の方が小回り利くし。 >>7
701系の場合は、廃車の時期が新2000系の増備と重なったため、廃車から部品取りが行なわれたのも大きいな。
クハの台車とか、MG、CP、さらにはステンレス客扉まで流用されてたし。
401については、全車他社へ譲渡されたという、私鉄全体でも希有な例だったな。
419編成が近江で部品取りになった以外は全車営業運転に充当されたし。 部品取りになった車は702(2編成目のあかね号)になる予定だったやつかな。 JR東日本701系のスレじゃないのかよ?
短編成化、乗客詰め込み、嫌なら乗るなの東日本旅客鉄道の社是を体現した電車で、地方の乗客逸走に大変貢献した車両と言える。
209、ヨ217、ヨ231初期車などの板張りの痛い椅子よりは余程上物の椅子なんだけどね。
だが愛すべき50系客車列車を駆逐した存在であり今でも憎んでいる。 >>7
701系4連+401系2連といえば、80年代前半の新宿線の各停・準急の定番編成で見飽きるぐらい見てた。
特に休日ダイヤの朝夕だと、701系4連拝島行き+401系2連西武遊園地行きの併結がなんとも言えずいい味出してた。 昔の拝島線。
まだ昼間の各停も多摩湖ゆきと萩山以東併結してた時代。
昼間の多くは451系または411系の2連。
たまに701系の4連が来ると子供心にうれしかった。
前面の銀色(まだステンレスなんて言葉も知らなかった)の飾りがまぶしかったなぁ。 701にせよ、西武の赤電に地方私鉄っぽい雰囲気を感じたのは、長いつり革が原因ではないかと思っている。長いから「お買い物は西武へ」の広告が入っている。この広告を取っ払うと旧型国電のつり革になる。 >>15
「お買い物は西武へ」…懐かしいな。
俺もあの妙に長い広告が幼少期の西武の記憶だった。
それはそうと、701系と並行で製造された411系は、なぜか701系と同じ前面では無く、
わざわざ451系風(微妙に寸法は違うが)の前面で、方向幕が無かった。
なんでそんなわざわざしちめんどくさいことをしたんだろうか。 >>16 二両固定の増結用車両をとにかく安く造りたかったから、切妻式の正面にしたのでは。
こちらは701と違い登場時は吊りかけ式だったし。
昭和30年代後半〜40年代前半、ひばりが丘、滝山、東久留米と幾つも大規模な団地ができて特に池袋線で通勤客激増したが、車両数不足してたから質より量で行かなくてはならなかったのよね。 ピンク化粧板の内装が納得いかない
エセ黄色い電車
騙されんぞ・・・と幼い頃は思ってた AK-3のコッキンコッキンいう音がいかにも西武っぽく感じた。
冷房改造して一部編成はCP載せ替えてつまらなくなったけど。 来年で701系・801系・401系引退から25年か。
ずいぶん時代が経ったもんだな。 方向幕で「西武新宿」とかの「西」の字が「価」のにんべんを取り除いたものみたいな
字体になっているのなかったっけ? >>22
記憶にはないけど
ググると出てきますね
でも普通の西の字の場合もあるしバラバラ
文字の配置なんかもバラバラ 701顔はその後の西武の代表作101系フェイスの礎だが
501、551系ときて601系からデザイン面で突如感あって進化しすぎだよな
そのフラグは何も無かったような >>24
おそらく西武の中でも設計でいろいろと試行錯誤があったんだろうな。
高性能車両(西武の基準では)にふさわしい斬新なデザインを求めていたんだろうが。
ただ、551->601->701という流れになったのは、たまたま601を出すときにそれが間に合わなかった
(とにかくできるだけ早く高性能車両を出す必要があった)から、妥協・暫定で601になったのでは。
似た事は、701->801->101という流れの中でも、801が過渡期の車両になったことで再現されたが。
(こっちは逆に、より高性能な機材の選定が間に合わなくて、701とほぼ同性能の車両としての
妥協の産物だが) 701系同期は京王5000、東武8000、国鉄103,113、
同年でないが近い登場は京急1000、東急7000、京成3200等
社の看板になる顔が出ていますね
其々センス溢れる機能美だが西武701は完全にデザインありきな感じ
評価されていないのはTR11等機器面や旧性能と組む体制からなのか
インパクトある101系迄とっておけばデザインの評価は違ってたのかな? >>26
旧性能車と組むこと自体が低評価の原因とは思えない。
例えば京王は最新型の高性能車である5000と(デザインは同等だが)吊り掛けモーター流用車の5100を併結してたし。
ついでにいうと、ATS導入少し前までの京王線の車両は、5000,5100初期を含めて電磁自動ブレーキ装備だった。
もちろん理由は西武と同じで、どんな系列とでも併結可能にするため。
違ったのは京王の場合2000以降は電磁自動ブレーキながら電空併用だったこと。
西武701が低評価だったのは、やはり車両自体の性能の問題だろうなぁ。
せっかくのカルダン駆動なのに、同時期の他社カルダン駆動車と比べて低加減速だし、最高速度も低く抑えられていたし。
せめてモーターをどうにかするか、ブレーキを電空併用にするかしていたら、少しは評価が上がったかも知れない。 今年は701系の前身の601系が出てから60年になるんだな。
新性能電車というと結構新しそうな響きがするが、今から振り返ると結構時代経ってるんだよな。 他社の新性能電車は、それよりもっと古いわけで。
西武が501系(のちの351系)を作った1954年には、
小田急は2200形という新性能電車を作ったからね。
西武には全電動車編成を前提にした初期の新性能電車
に当たる車両がないんだよね。
601系や701系はその次の世代に当たる経済性重視の
新性能電車に該当するからね。
東武で言えば、2000系がなくていきなり8000系が出たようなもん。 >>29 金ないのに乗客数激増するから質より量でいくしかない。特に池袋線。
501(当時)の出た1954年当時、複線区間は清瀬まで、601が出た62年当時は所沢から先はまだ単線。
大手私鉄の主要路線で、昭和30年代に複線区間の延長も進めなくてはならなかったのは他にあるかな?
東上線は1954年には川越市まで複線化、京王線も戦前に殆んど複線化されている。
貧乏私鉄だった武蔵野鉄道の経営引き継いで、貧弱な線路を改良し線増を図る一方で車両数増やさなくちゃならなかった。
そもそも、昭和30年代前半、全電動車編成を走らせるほど電力施設に余裕あったのか? 高性能電車として中央快速に101系全電動車編成を走らせてみたが電力施設が対応できず、電動車の比率減らした結果、性能は吊りかけと大差なくなり「新性能電車」と言うようになった。
こんな状況見てたから、カルダン車の全電動車方式を避けたということなんでは。
東武も地下鉄乗り入れのために2000系を造ったのであって、東上線には入れてないだろ。 西武や東武の事情の話をしたかったのではなく、
あくまでも「一般論としての私鉄新性能電車の話」
として西武の新性能電車の話をしたつもりだったんだけどなぁ。
意図が伝わりにくくてごめん。 >>32 一般論なる主張に対して各私鉄会社の事情、背景についてレスしちゃいけないというルールでもあるのか? 西武の場合
当時高加減速を必要とする場面がない。地下鉄に乗り入れてる訳でもないので東武2000のようなオールM、高加減速車はいらない。
秩父まで開通している訳でもないので発電制動も特に必要ではない。
なので東武78みたいに同じような車を作り続けてもよいのだろうが、流石に吊掛式と中空軸平行カルダンとでは、カルダンの方が軌道に負担を与えにくいメリットがある。
ってことで、吊掛式をカルダンにすげ替えただけのような601、701、801が作られ続けたのだろう。 もとの話は701系は顔のデザイン凄いと思うのだけど評価されてないよね
車両としての中身の問題かな…という話から展開されているのだけど
結局のところ「洗練、斬新」というインパクトがなかったのでしょうかね
吊りかけ車と併結したり、ダイヤ上それに沿う性能があれば十分だと。
私鉄版MT54といわれ比5.6なら加速や高速域のキレがもっとあっても良い筈
701.801系も601顔のままで101系登場ならその評価、衝撃度合いも変わっていたか
5000系ブルーリボン101系ローレル賞というW受賞の快挙があったかどうか 西武が701系を高性能車として従来の車とは一線を画すつもりがあるなら、HSC-Dブレーキを採用して従来車とは混結不可にしただろう。当然運用は分けて、朝ラッシュの上り各停に集中投入するとか。
当時の西武はそこまでして朝の上り優等のスピードアップをしようとは考えなかったのだろうね。 従来車との併結を行うという時点で
601系、701系をカルダン駆動で作らなくてはいけないという理由は無いからな
西武が満足できる状態の、程度がいい国鉄制式機器を必要分調達できる目途が付いていたなら
601系、701系も吊り掛け式で登場していただろう >>36 1963年当時の西武に701系を従来車と混結不可にするような余裕あったのか?
その2年前、池袋線の8両運転開始時には唯一の電気連結器付きだった551系を池袋線に集結させて、所沢での増結に対応させたくらいだし。
仮に63年当時に701系6連+4連で10両編成組むとなると、所沢に増結用4連を置いとかなくてはならなくなる。虎の子の最新車両を昼間、留置線に停めておくような無駄をしたくなかったのでは? >>37
さすがに601系以降を吊り掛けで登場、というのはないだろ。
現に
・411系のクモハを19両の製造
・451系のサハ4両の電装
・551系のサハ5両の電装
合計28両分の吊り掛け駆動用モーターと制御器(ペアとなる付随車も入れたら4連を14編成分作れる)がありながら、
それを使わずに(後の411系などに回して)わざわざカルダン駆動用モーターを採用したということは、もう西武的に
昭和初期の性能の車両だけで頑張るのは限界だと感じたんだろ。 >>34 西武の場合、当時高加減速を必要とする場面がない
車両共通化の必要とは言え、駅間距離が短い新宿線より池袋線の事情の方が優先されたという感じだな。3ドア車が導入され続けたことも同様。
池袋線、新宿線共に小田急の下北沢や京王の明大前のような乗降客が多いが上下二線しかなく、定時運行の支障となりやすい駅がなかったことも高加減速でなくてもやっていけた理由なんだろうが。 >>39
逆に言えば28両分しか確保できなかったので、吊り掛けが必須の増結車や既存車の電装に回し
4連はカルダン駆動で作らざるを得なかったのではないか?
411系の最終落成は昭和43年というところからしても、昭和37年の時点では国鉄型機器の在庫は尽きていて、
601系、701系の新製ペースに合わせて調達できる見込みが立たなかったと見るが 西武の吊りかけは180両前後かな?
601~801は結果的に230両超作ってしまったからね
幾ら西武でも吊りかけって訳には >>42
デッドコピー車両や譲受車両(311系、371系、クハ・サハ1411型など)を除くと、吊り掛けの機器流用新造車は206両。
・351系(2代目):20両
・501系(2代目):60両
・451系:54両
・551系:34両
・411系:38両
701系一族(601系〜801系)が240両(4連×60編成)だから、いかにすさまじい勢いでの増備だったかがわかる。 ・601〜801系+411系:278両
1962-1968年製造。平均40両/年
・101系(旧):278両
1969-1976年製造。平均35両/年
これだけの車両数をコンスタントに製造し続けたって、いかに当時の西武の輸送量が順調に増えていったかが
よく分かるな。 私鉄の103系こと東武8000が1963〜83年の21年間で712両、年平均35両弱となるが、2000系の生産が重なっていること考えると、63年から70年頃までは東武も西武に準じる位のペースで新車を製造していたということかな。
どっちも、乗客数の増加が著しかったが。それに戦前製の車両が17m以下の小型車で大量輸送には向かなかったことも共通している。 >>41
当時、カルダン車の増備でないと筋が組めないほど過密化していたらしいし
601系では、機器新製コスト抑制のため、国鉄との交渉によりクロスライセンスで
西武がST式戸閉装置の無償供与と引き換えに、国鉄からDT21やMT51の技術を獲得 打ち間違え?
MT51は600kw一台車から二軸で出す関門機関車用で西武には要らんでしょ
それと客増によって駅ホームに人を溢れさせないよう
とにかく客を車両に乗せ捌く結果のダイヤ過密化であって
両数が必要で年代的に新性能車増備になったならともかく
新性能車増備しないと筋が組めない論点は違うと思うよ >>46->>47
701系の増備していた1960年代は2代目501系で2M4T編成が活躍していた頃なんだよな。
スジの話をすると、あの編成はやっぱり(加減速を頻繁にせずに済む)急行等の運用に限定していたんだろうか。
あるいは、かつて小田急がやっていたように、高性能車(当時の西武の基準では)である601〜801系を
ラッシュ時の各停に優先投入して優等列車から極力逃げ切らせていたんだろうか。 今日、701に乗車
路面積雪・凍結で駅に行くのも一苦労
垢電とレモンイエローは両方とも車庫にいた >>46 海外だがモスクワ地下鉄では60年代に製造された吊りかけ車で、2分を割る間隔で運転していた。
欧米でも吊りかけ車で高加減速運転を当たり前に行っている。
>>47 レス38にも書いたけど、61年、池袋線8両運転で所沢で附属編成を増結するために当時唯一電気連結器付だった501を池袋線に集結させたわけで、63年の時点でも電気連結器付きの新車を池袋線10両運転用に回す必要があったのでは。
その後、701系等カルダン車増備に伴い、ラッシュ時の各停運転にも回す余裕が出てきたのだろうけど。 昭和34年で結構本数走らせてたようだね
池袋駅だと朝ラッシュ24本/h
準急は飯能と豊島園が半分ずつ
9-15時は14本/h、内訳は
準急飯能2本/h、5分おきに豊島園と清瀬が交互
所沢、ひばり、保谷、石神井、江古田行きはそれ以外の時間
吾野行きは平日は早朝各停3本のみ休日準急吾野は3本
休日準急狭山湖3本
7時8時18時19時でさえ清瀬以西は2本/hの準急のみ
都か県かで差が激しい >>51 清瀬から先が単線だった頃だろ。その年の12月に秋津まで、翌年に所沢まで複線化される。
本数多いけど、日中は二両編成もざらだったし。
話変わるが、80年代半ばころ、日中の新宿線各停で701系4両編成が走ってたな。 >>52
80年代前半〜中期の日中は準急新所沢系統と各停拝島系統が組んでいて、そこに701系4連がたまに入ってたな。
南入曽(回送)新所沢(準急)西武新宿(各停)拝島(各停)西武新宿(準急)新所沢(回送)南入曽で1周回る運用。
拝島各停はまだしも、準急が4連というのはどうなんだろ。混雑度とか気になる。
特に土曜午後だと半ドンの帰宅ラッシュと重なるし。 昼間の上石神井折り返しはかなり遅くまで701系4連だったよね? 冷房車は各停上石神井のみで田無民にはまるで関係ない時代があった まだ2000系が6連しかなかった頃(新宿線の各停が最長6連だった頃)、
新宿線の昼間の急行は701系(たまに801系や新101系も混ざってたが)の
4+4連の天下だった。
701系に401系や501系を絡めた6+2連や4+2+2連はあまり見なかった。
今から思えば加速度の関係だったのかも。 2000系に6連だけの時代終盤に登場した新501系
デビュー直後ピカピカの501F、503Fの二本はほぼ2+2+4固定だったよ あれ?
新宿線普通列車8連化(1983年12月改正)以前は、
新宿線の昼間の急行は6連が基本だったような。
新宿線の昼間の急行が4+4が主流になったのは、
まさに新宿線普通8連化と同時だったと思うけど。
(その時代でも6+2の8連急行は俺はよく見かけてた)
1983年12月改正で、新宿線普通はラッシュ時に8連化。
でもラッシュ直前の6時台は2+2の4連普通が残ってた。
夕方4時台の混む時間帯に1本だけ2+4の6連急行が
残ってて、これに当たると混んでいて大変だった。
この急行、珍しく本川越方が2連の組成だった。 >>59
1981〜83年頃だと、昼間は急行だけ(準急や普通と共通では無い)独立した運用になっていたので、
急行は8連、準急以下が6連(たまに4連がまじる)が通常だった。
あと、701系の6連は準急以下に入ることが多く、急行での6+2連の運用はあまり見かけなかった。 >>57 80年代、日中の萩山分割併合の拝島・西武遊園地行きで、拝島行きの701系4連+西武遊園地行きの401系2連の編成だった記憶があるんだが。 >>61
1980年代だったらすでに日中の萩山分割併合はなくなっている。
(1977年の改正から日中の拝島線普通は西武新宿〜拝島と小平〜西武遊園地に分割された)
80年代で701系4連拝島行き+401系2連西武遊園地行き(萩山以東併結で6連)は日中以外なら見られた。 >>60
じゃあ俺の記憶違いかも。
6+2の急行運用はよく見かけたのだけど、たまたまだったのか。
当時小学生で、授業そっちのけで学校の窓から電車を眺めた
記憶なので…。 >>48
2M4T
有ったな
懐かしい
西武の最高速度85kmはこの辺りから来てたのかな? >>64
あれは確か旧国用100kwモーター搭載車がMT比1:1、弱め界磁なしで走行したときに実用域として出せるのが
85km/h位だったかららしい。
2代目501系は128lwモーターかつ弱め界磁ありだけど、2M4Tでどれくらい出せただろうか。
2M2Tなら701系と比べてもそんなに遜色なく走れるだけのパワーはあったけど。 JRの701もおKなのかな?
狭軌と標準軌の双方存在する珍しい車両なんだけど。 新宿線に冷改701系が、池袋線に101系がそれぞれ原則集結していた時期、
池袋線に何編成か冷改701系がいたよな。
101系と連結出来ないハンデ負ってまでなんで池袋線に配備してたんだろ。 >>70
池袋線に701系が居た頃って、
新宿線の新101系の編成数>池袋線の701系の編成数
だったんだよな。
池袋線の701系を新宿線に全部戻してもなお新宿線には新101系が必要なくらいだった。
だからその仮説は疑問。 >>68 81年から701系が101系と併結可能なように改造され始めているんだが、それ以前の話か? 101系が701系と併結可能なように改造されたので意味合いが違いますよ 701系から方向幕がついたが、あれも運用の「しばり」になったりしたんだろうか?
旧型は差込みサボのまんまで、改造され始めたのはけっこう後だったような、
サボ受けを撤去して、ずいぶん顔立ちの印象が変わったから覚えてる。 >>74
方向板にも運用や行路があったはずだから、701系・801系に関しては運用の縛りはあったかもしれないな。
方向幕使ってるのに、使いもしない方向板だけ無駄に載せて運行するのも非効率だし。 801と701って樋の位置の違いにしか思ってなかったが
それで良いのか? >>76
足回りが違うよ。
低圧電源が交流化されたから、別形式になった。 801系のクハのインダイレクトマウント空気バネ台車FS067って結局何のために作られたんだろうか。
・クハの台車として10両分作られただけで、対応するモハ用の台車が作られなかった(モハは701系と同じコイルバネ台車)
・後継の101系からはダイレクトマウントのFS072/372に移行。701系クハの台車換装もFS072で実施
・ある意味FS067の派生とも見なせるつりかけモーター向けインダイレクトマウント空気バネ台車FS40(2代目411系、551系で採用)にしても、
わずか28両分だった。
あの当時の西武にしてはずいぶんと特殊な事をしてたのは、今となっては驚き。 単純に701系増備が790台を超える良い機会?
改善点を洗い出しGUして新形式にしてしまえ・・・かな?
交流電源、クハだけの空気バネ台車・・・
在来車との併結、保守的な整備運用の範疇で
次に登場する大本命101系への試作的なものも感じる >>78
俺は純粋に旧式の台車が在庫切れだったと推測していたが。
違うのかなぁ? >>80
ちょうと801系の製造時期が、411系後期(雨樋が高い仕様)と重なるんだよな。
311系を潰して411系に台車と主要機器を流用するのが精一杯で、801系にまで回すには
クハの台車が足りなかったってことか? 理由が足りないだけなら空気溜増設も不要なFS342Tで済むのでは? 阪神だって中空軸平行カルダン車のトレーラーにイコライザー式台車を宛がい、ケチ王は中型車そのもののスモールマルティーをWN駆動車の間にぶち込んで走らせてた時代。クハ1701のTR11くらいちっともおかしくない。 >>85
確認したが、阪神7901型の当該車両は34両もあるんだな。
西武の601系、701系の製造量数が桁違いに異常に多いから一見たいしたことなさそうに見えるが、
阪神の規模からすると結構多いな。
製造時期的にも西武の601系、701系前期とかぶってるし。
京王の○tの場合は、西武に例えると、電動車だけ新造してトレーラーに戦前製造の151系クハとかを
くっつけたようなものか。(先頭車と中間車が逆だが)
それはそれでゲテモノ感があって面白いが。 >>85
京王がケチなら
西武は何だ?
あの当時、京王沿線から西武沿線に引っ越した非鉄な先輩は
西武はセコイって言ってたが
きっと何かを感じたのだろう 今から思えば601系から編入した701-1〜701-14は相当強引だったな。
551系とそんなに違わなそうに見える車体に冷房改造よくやったな。
まあ補強はしてたんだろうが、14両だけだから思い切ったというところか。 >>88
意味不明。
551系と601系と701系では、車体構造は大きく変わらないが。 >>89
451系〜601系と、701系〜101系では寸法や窓配置、扉の位置とかが異なる。
おそらく構体も若干違えてるものと思われる。
似たような事例だと、京阪の600系と700系(大津線のではなく京阪線の)の例が近いか。
600系が構体の関係で冷房改造出来ないままカルダン化(1800系)→廃車となったのに対して、
700系は殆どがカルダン化と併せて冷房改造(1000系)された。 >>87 昭和30年代後半から京王は新宿駅地下化に昇圧そして5000系登場、井の頭線にはステンレス車体に多様な色の前面FRP付きという1000系導入を行っていたわけだが、それに比べると「質より量」の西武はパッとしない、セコいと感じられたのでは。
京王5000系特急が100q位の速度で飛ばしているのに比べ、西武の急行はチンタラと。冷房化も西武は東武、京成と並び導入遅れてたし。5000系レッドアローで幾らかイメージアップされたが。 >>90
京阪も窓が2個づつ別れてたね。
結局京阪も1000になったやつは冷改出来た訳だけれど・・。
西武だと451-601までは2個ユニットが2つで701から独立窓にしたのは
強度を分散させてるって事なんだろうな。 >>91
おいおい京王1000系長生きだなってそれ3000系なw ふと、701に乗りたくなったら三岐まで行かないといかんのだよなぁ。
数年間別の方面にハマってたうちに残るは一社だとは。
10年程前は流山で気軽に乗れたものだったが。 スレチだが旧101がどこにも残ってないの残念すぎる 旧101ってのは低運転台のことでしょう。
あれは地方私鉄に残っていない。
流山や伊豆箱根の701が新101に置き換わったように
廃車時期が絶妙で車齢若い新101がお買い得だったと。 >>90
だから、窓配置や扉の位置が違うだけで、車体構造は大きく変わらないっての。
701系ではミリ単位での寸法修正はあるものの、冷房化改造などで重要な強度面
に関わる部分では551系や601系と変わらない。
それが>>89で言った「車体構造は大きく変わらない」という意味。
だから551系や601系先頭車が冷房化されなかった理由は、車体構造面とは違う
部分にあるってこと。
よって貴殿が言う京阪の京阪600系(U)と京阪700系(U)の違いとは違う。
車体新製時に軽量設計を追求しすぎて強度に余裕がなくなった600系(U)の
反省で車体を強化したのが700系(U)。
600系(U)が冷房改造できなかったのは、700系(U)と比して強度に余裕が
なかった故で、車体構造が大きく違うからであって西武のこの例とは違う。 見た目で強度なんて分からんでしょ
強度について語るならちゃんと根拠出してくれ 三岐行きたくなってきたぞ。上信が19年に消えて唯一となったし
2本、赤電色とイエローなんだよな。 伊豆箱根の塗り分け線違う赤電はガッカリだったから
まん防解除後に計画するか・・ セメント貨物が走ってるのも良い 三岐線沿線なので気にもしてなかったが、旧701はココが唯一になったのか
隣町(一応)に、旧401がゴロゴロしてるけど
冷房化完了から車両代替が止まってるのが気になるところ
確実に劣化が進んでいるが、適当な車両もなさそうだし、
北勢線のような運休頻発にならないよう祈るのみ >>102
そう、もう三岐だけなんよ、701。
旧101は流山しか行かなかったのがゴッソリ新101になってしまったし
上信も107系の天下で新101が2本という状態。
近江には401いるけどねぇ・・ 三岐と近江だけの目的の旅行なんてできたら贅沢だよね
三岐は701とN101で組成された模型のような編成もあるし
近江はFS40を今でもじっくり観察できるし
乗換えの貴生川では西武ネタと離れるけど113系も走ってるし >>105
このスレの存在知ったのはつい最近だが、読んでいるうちに懐かしくなり
マジで三岐・近江訪問を計画してる。 北勢線も乗りたいが。 >>106
近江、tubeの前面展望の動画などで見られるますが、
水口松尾ー日野の風景が関東では馴染みない雰囲気の原野で新鮮。
本数少ないから降りて歩いて撮影ってのも難しいかもしれないけど・・・
それと時刻表見て上下交換駅がわかるので、
そこに着く直前は前面かぶりついて近江のローカル情緒の駅に
元401、N101系の入線光景もなかなか良いものですよ。
元3000系は西武時代より格好良くさえ思えました。 松尾―日野といえば、天理教の怪しげな道場?
真下のトンネルをくぐる時、電車は最徐行
ちなみに、昼間の行き違いは日野・八日市・彦根口の3駅
そういえば、近江にも701が行ったなぁ
その昔、稲沢へ見に行った記憶が
701と401の混成8両で甲種輸送していたような >>108
元701系の使われた部分は車体の一部や扉
それとつりかけの足回りを組み合わせた >>108
地図みるとあの一帯の原野、天理教のものなのでしょうかね?
新八日市だったか、デカい由緒ありそうな建物があったので
カメラ向けたら天理教w・・・お盛んですね >>109
220型だな。
つぎはぎの改造車にしては妙にかわいい作りに仕上がっていて、当時の近江の改造スキルの高さがよく分かる。 使わなかったカルダン足回りはどこへ行ったのだろうか。
あるいは返却したのか >>111
究極は元401系⇒(大改造)⇒700形
2編成目も作る予定だったが流れてしまった 近江700形の廃車理由が老朽化というのが腑に落ちない 近江804F、元西武423Fですね
ニュース映像ではAK3が動いていて素晴らしい音が聞けました >>116
AK3の音は味があっていいなぁ…
西武沿線に住んでいた昔は当たり前に聞いていたのに、今となっては貴重だな。
423Fと言えば、雨樋が低い最後の編成だったっけ。 AK3まだ使ってるんだ
さすが、廃線にする方が費用が掛かるからと言う理由で
存続してるだけの事がある 三岐と近江、隣町とはいえクルマで1時間かかる距離
三里駅〜八日市駅が約40キロ
今の時期は、積雪や凍結に注意
特に、今シーズンは例年以上の降雪で危険
三岐線の851、模型のような編成にワロタ
現場横を通るたびに、10年前を思い出す
理由は違えど、豊鉄でも部品取り車が再起した事例があったなぁ >>117
近江のAK3は静かでスムーズ振動少ない。オーバホールでもしたのかな。。
MGも元401系は501III、N101系2連初期、そして5000系と同じなんだよね
このスレ的に701系でこのMGついたのはないよね。
>>119
その40キロは鉄道敷設は無理な地形?当然いまは意味ないのは別として。 >>120
701系に関して言えば、
- 4連については編成でMG1基で4両分給電の必要があるから、150kVAの大容量MGが必要だった。
- 6連については編成でMG2基搭載、つまり1基で3両分給電の必要があるから、単純計算で150×3/4=112.5kVAが必要。
だから5000系と同じ110kVAのMGだと容量的にギリギリなので、余裕を持たせて120kVAのMGにしたんだろうな。 西武、資産売却でかなりヤヴァイらしいけど
近鉄の存続は大丈夫なの? 701系の192両という製造両数、1960年代当時の大手私鉄としては異例だったよな。
1系列だけで全社の保有旅客車両数の4割占めていたって、どれだけ製造ピッチが凄まじかったかが分かる。
まあ北隣(東武)には8000系という化け物がいたけど、あれはちょっと別格か。 京急は4ドアにクロスシートと用途的な車両作り、
小田急、東急、京王は20m未満の車両作り過ぎもあったかな?
東武西武は平坦に加え僻地なので土地の空き具合からの人口増も違うか 上のほうにある近江の脱線、年末とは別件なんだな
てっきり、ドカ雪にやられた一件かと思ってた >>125
西武701、東武8000ってともに電気ブレーキ積んでなかったんだよな。
平坦な路線、かつ高減速度を必要とせず経済編成組めていたというのも共通。
でも似たようなコンセプトなのに東武8000と比べると西武701が見劣りするのはなぜだろう。
クハの台車を割り引いても、3扉というのが垢抜けなかったんだろうか。 >>127
台車はクハ以外でも金属バネと空気バネの違いがあるし
東武8000は日立製作所製のVMC超多段型制御器おごってるからねえ 制動時
東武8000の方が、いい匂いすっからじゃね
あの匂い好きだわ >>22-23
超亀レスだけど、西の字が下に伸び切ってたのは、布幕だったからだよ。
701Fが冷改後に装着してたね。
布幕は簡略化した字体でプリントされてた。 >>120
新京阪(阪急京都線)から延長の名古屋急行電鉄が、八日市−三里に近いルートを構想
厳密には、三重県側が南寄りの菰野−東員付近で計画したみたい
西向日−深草−大津(馬場)−野洲−八日市−永源寺−菰野−東員−多度−佐屋−名古屋
あの構想、本当の本気だったのか、疑問点も無くはないが
案外、投機目的の妄想かもしれん
完全にスレ違いだな >>133
そう。在来車に合わせてAE電磁自動ブレーキ。 >>135
・赤電時代:1962-1983
- 赤電には601系/801系を含む
- (1975-:701系の一部が赤電のまま冷房改造&HSC化)
・黄電時代:1976-1997
まあどっちも約20年前後だから、赤電時代が短いと言っても微妙と言えば微妙だが。 >>124
601系、411系、801系も含めれば昭和37年から6年間で合計278両製造だからかなりのハイペースだね。
並行してクハ1471形やサハ1551形も合計16両製造されて、クモハ11の払い下げ分が13両で約300両導入。
同じ時期の東武は8000系が約200両、2000系が96両、6000系が44両、1720系が12両で約360両導入だった。 >>124
>>同じ時期の東武は8000系が約200両、2000系が96両、6000系が44両、1720系が12両で約360両導入だった。
8000系はこの時期約270両だったので、約430両製造だった >>133-134
そういえば赤電の電磁自動ブレーキって、801系を除いて頑なにAEだったな。
(後に551系とかで801系相当のブレーキに改善した物があるが)
同時期に電磁自動ブレーキだった京王のようなARSEを採用していれば、
あるいは早くから国鉄80系を見習ってAREを採用していれば、
少しはブレーキ力と操作性が向上してただろうに。 もうすぐ701系が西武から引退して25年か。
あの時さよなら運転前に、赤塗装に戻すって話があったんだけど、塗装代に金かけるなら、
他に使った方がいいってお流れになったんだよな。
その数年後に101の偽赤電が出て、なんで701の時にやらなかったんだ!と思ったな。 >>140
> なんで701の時にやらなかったんだ!と思ったな
あなたやらなかった理由知ってるじゃないですかw 経済事情としては平成不況には入っていたけれど
西武お家事情2004-2006よりはだいぶ前にしては緊縮だったのかな 西武のコストカット一色塗装
先見の明有り
時は進み、平成に入り、JR西日本も追従
西の色、センスなさすぎだけど >>143
当時はコストカットの面よりは、むしろ赤電在来車とも101系とも併結できないことを示すため塗装で区別した面が大きい。
701系冷改初期は赤電塗装のまま、電連カバーだけ黄色に塗っていたが、それだとわかりにくいと言うことで始めたのが
黄色一色塗装化。
これなら正面からも側面からも赤電在来車や101系との区別ができるから。
後に2000系が701系と全く同じ黄色一色塗装で、3000系が新101系と全く同じ色分けで登場したが、これらについては、
製造当初は単独の固定編成で運用していて他の編成との連結が無かったから、同じ塗装でも不都合が無かった。 冷改赤電701系って今から思えば秀逸だったな。
わずかな期間で消滅したのは惜しい。 赤HSCは椅子も赤のままだったっけ?
今思えば冷房化だけでなくHSC化も良い決断だったね
401や新501の登場など昭和50年代の所工が手がけるものは贅沢な選択が多い気がする
今ではやらないよね >>146
赤(紫)モケットは黄色になってもしばらく続いて、昭和55年あたりから茶色で出場し、
他の車両も張替え時に順次茶色に変更。
同時に放送マイク・主制御器の交換、バランサー窓付き乗務員室入り口扉への交換、
運客仕切り扉のステンレス化も開始された。
不思議だったのは放送マイク・主制御器の交換が淘汰対象だった吊り掛け車にも
行われたこと。吊り掛け廃車後主制御器はおそらく101系シン線対応車に転用された可能性大。
ちなみに701系列は新造時にHSC化に対応できる床下構造だったらしい。 茶色モケットになったのは、401の登場と同じ昭和53年改造からでは? >>148
茶色モケットは昭和53年頃からなんだ。 現役時の人気度はどの位だったのでしょう?
5000系、101系、501II?
末期でも401IIの方が上かな
登場時でもトップは501II?
想像に過ぎませんが >>150 鉄オタでない一般人だったら、新型車の方がよいと答えるわな。その時代だと5000に101。 まあ101でようやく他の大手私鉄並みになったということだろ。
その後、質より量で安上がりに造った赤電の701等をレベルアップすべく改造したわけだが。 俺は
新宿線の看板?だった
赤電401が好き
でも
あの頃から走ってる2000系が
現役とは 吊り掛け時代は411だね
451とは全然時代が違うのに一般人にはパッと見区別付かないうるさい電車 >>155
451系S34年、411系S39年
その年代は東急も7000系登場迄そうだけど
登場形式が目まぐるしく一形式の
製造期間が短く時代が違うかのような
扱いはわかる。
決定打の車両が出なかったのだろう
旧101と30000系は8年作り続けてるね 赤電の401と言えば、63型由来の4扉車だな
異端車で早々と支線運用に回されたらしいが701系との併結はあったのだろうか? 黄色の401が現役バリバリの頃、オレの周りではブサイクとか人気がなかったな。
オレは黄色の2両で451の現代版って感じで、萌えてたけど。 魔改造という言葉が出たのこの時代だったかな?
501iiも401iiも改造が大胆過ぎる
2000系が作られてる所工見学で
参加のオッサンが411系の改造の噂を質問してたけど、知らないと返されてたよ。 >>160
501IIは殆ど大した改造もなしに放出されただろ。
(むしろ伊豆箱根に移ったやつが電気指令ブレーキに改造されたりしたのが目立つが)
501III(元クハ1791-1796)や401IIが結構な大規模改造だったことは認めるが。 551系・601系と701系・801系・101系って、微妙に正面窓の造りが違うんだな。
551系・601系は、両端から中心の折れるところ(2枚窓の境)まで微妙に水平から少し斜め上になるのに、
701系以降は両端から中心の折れるところまで水平のまま。
なんで701系でそこを変えたんだろうか。 俺が物心ついたころにはすでになかったが、701系の後期(最末期を除く)まで、旧型国電みたいなスタンションポールが
各ドア部の車体中心にあったんだな。
その当時の写真をネットで見ると、なんかあのポールが妙に場違いな気がする。
これに限らず、戦後から90年代初頭までの西武って妙に国鉄ライクなところがところどころにあるんだよな。
のちの101系や2000系でさえ、マスコンが国鉄115系と類似(ノッチの切り方だけ異なる)だし。 昼に乗った三岐の802号車、跳ねる跳ねる
とにかくバウンドが凄い
重量級の貨物が通るので、軌道は整備されているはずだが
さすがDT21、国鉄形のバネの硬さ 琴電の1200形と比較したら、どっちが良く跳ねるかい? 琴電とか一畑の跳ね方よりワイルドだと思う>三岐
一畑も7年前引退した元南海21001は凄かったが現有車はおとなしい >>164
そのバネの硬いFS342でも、さすがに多客時の沈みは空気ばねよりも大きかった。
赤電末期のころの701系の写真をサイトで見たけど、クハと比べてモハの車高が目に見えて低くなっていた。 クハは台車履き替えたけど
モハはそのままだったな
まあ
TR11を履く方が異常だったろ思うが そういえば601系はクハの台車を履き替えないまま系列消滅したな。
(系列消滅後に残党クハ1651形の一部で551系と組んだものだけFS40に差し替えたが)
もし601系の状態でクハの台車履き替えが発生してたら、どうなってたかな? >>169
601系の一部701系化とクハ1601形のクハ1651形化が始まった頃は、まだ701系にもTR11履いていたのが残っていたからな。
もう少し時期が遅かったらあるいはあり得たかも知れないが、ちょっとこのIFは想像つきにくい。 701系(601系や801系も)って、なんで発電ブレーキ省略してたんだろ。
電磁自動ブレーキの採用は従来車の併結のため仕方ない面もあるが、京王みたいに
「発電ブレーキつき電磁自動ブレーキ、さらに従来車とも併結で営業運転」
を実現してた所もあったことを考えると、そこで妙に独自路線にしなくてもよかったような気がする。 >>171
近年まで最高速度が85キロだった様に
金のかかることは一切しなかった
からね
西武は >>173
東武は電磁”直通”ブレーキでの発電ブレーキ省略だから西武とは方式路線がやや違う。
東武との同路線の方式はむしろ同時期の阪神赤胴車だろう。
西武の場合は、電磁"自動"ブレーキでの発電ブレーキ省略、というのが、同時期の大手私鉄の
新製カルダン駆動車にはなかった、という意味で独自だった。 今日、三岐線に乗ったら「模型のような編成」だった
さすがエアサス、飛び跳ねる802とは大違い
広幅と狭幅をムリヤリ連結、昔の名鉄でも見たなぁ 東武8000は制御器にえらい高級品使って、乗り心地と適度な加速性能確保しておいて
駅数少ない路線特性と平坦線用として発電制動省いたのは上手くやってるが
西武は単なる吊り掛け時代引きずってるだけだからなぁ >>175
851fですね!
三岐は乗ったこと無いのですが
近江と比較してどっちが跳ねますか?
旧西武がいる路線で路面良い順に
伊豆箱>近江>>>>>>流鉄
富山、上信も乗った事ないのでどの辺になるのか‥ 生まれる前のことで全く分からないので、知っている人教えて欲しい。
601系や701系を導入した当初、カルダン車限定運用ってあったんだろうか。
例えば朝ラッシュ時に各停に優先投入して加速度向上(昔の小田急みたいに)させたりしてたりとか… >>178
申し訳ないけど西武のことはよくわからない。
東武に関しては旧性能の電車に合わせていた。
ダイヤ乱れのことを考慮してどの車両でも問題がないようにしたと聞いたことがある。 >>178
ある程度運用は決まっていても、カルダン車限定という運用は
601系や701系導入時にはまだ無かったんじゃないのか?
ラッシュ対策には高密度運転よりも編成当たりの両数を増やすことで対応しようとしていたし >>178 ここのスレ、最初から読んでいけばわかるんでは?
何故、701の増結用として411(当時)+1451の吊りかけ2両ユニットが造られたのか?
701導入しラッシュ時10両運転開始の2年前、1961年に池袋線で8両運転が始まったとき、唯一電気連結器装備の501が池袋線にかき集められたが、この2年間で電気連結器付きの車両不足は解消されていたのか?
そもそも、何故、ラッシュ時に所沢で附属編成の増結をする必要があったのか?
1963年当時、池袋線、新宿線に2面2線なのにやたら乗り換え客が多く、ダイヤの支障となりやすい途中駅(例:小田急下北沢、京王明大前、新玉川線開業前の東急東横線自由が丘)が存在したか? >>181
1961年当時唯一電連を装着していたのは501ではなく551。
先頭車の運転台側だけではなく、編成内各車両間の連結器も電連つきという徹底ぶりだった。
(後に先頭車の運転台側以外は電連を撤去して普通のジャンパ線にしたけど) 編成内で電連付けてたのって、昭和44年くらいまでじゃなかったっけ?
101が登場する前は2両単位で検査入ってたけど、101登場後は編成単位で検査になって、
451や551の6連も編成替えしたはず。
701も2両単位で分割できるようになってたはずだけど、検査はどうだったのかはわからない。 >>183
701系って編成内が棒連結器で、簡単には分割できなかったような気がするが… 601〜801系の製造時期って、4連の製造に偏重してたよな。
4連が60編成(601〜801系)に対して、2連が19編成(411系)。
ついでに言えば、601〜801系で6連で新製された編成が皆無というのも興味深い。
固定編成としての6連が501系にサハ1551形挿入して2M4Tにした5編成だけで、その後の551系/451系の編成替えまでの間
6連固定編成が生まれなかったのは、よっぽど6連固定編成の使い勝手が悪かったんだろうな。
(ラッシュ用との割り切り?) >>185
雑誌やネットに掲載された当時の写真を見ると、営業列車で4連って結構あったんだよな。
しかも池袋線や新宿線の都内区間で。
明るさから、どうも日中の時間帯のように見えた。
だから固定6連の需要自体がラッシュに特化していたのかも知れない。 新宿線では、昼間の上石神井折り返しの普通が
1990年頃まで4連だったよ。 10両運転始まった1963年頃、ラッシュ時への乗客の集中率が今より相当高かったのでは?国鉄、私鉄含め他の路線も同様だけど。
東武にしても8000系の6両固定が導入されたのが1972年だし、小田急2600は5両固定でデニュー。昼間は池袋線でも4両で十分。 >>188
そう思う。乗車率300%とかの時代、都内に出ないと
職場も学校もないと言う街が結構あったと思う。
生まれは昭和40年代だが、土着の仕事してる人以外は
みんなラッシュに揉まれて都心に行っていた。
大学の郊外移転とか言われる時代でやっと分散。
高齢化が進んでないから年寄がいない日中は4両で十分 東武の8000系は当初自動空気ブレーキ、金属バネ台車、制御装置はシンプルなMMC、
主電動機も100kw/hくらいでMT比1:1の編成で、73,78形と併結・共通運用を考えてた
そうだ。 現在、中井〜野方間地下化進行中、野方〜井荻間立体化構想ありの状況だな。
もしこれが701系が現役の頃に完成していたら、果たして701系では登坂とかできたんだろうか。
昔と違い、今は高架化とか地下化の取り付け部って35‰とか平気であるからなぁ。 名鉄の旧3700系が地下の新名古屋駅や小牧駅に出入りしていましたので不可能ではないと思う >>192
なるほど。
今Wikipediaで確認したら、あそこも35‰だったんだな。結構急勾配。
ただHL車のMT比1:1だと相当登坂でもっさい運転だったんだろうか。 ほかには地上ですが(新)鵜沼から岐阜方向に進むと、
非電化の高山本線はゆるい勾配で登るけれど,各務原線は急勾配で坂を登っていく。 >>191
大丈夫だろ?
西武秩父線のように延々と続くわけではないんだから。
高田馬場や新井薬師の勾配も30パーミル超ですよ。 128KWのMT30を搭載した501の2M4T編成で椎名町から池袋への上り坂30‰を走ることができた。
カーブ直前で減速して入らなくてはならないから、直線でスピード上げたまま35‰上がる場合よりもきついのでは?
この2M4T編成は池袋線専用だったが、新宿線の下落合から高田馬場への上り坂走れたのだろうか?こっちの方がカーブきついし、かなり減速しなくてはならない。
無理だったと思うけど。 飯田線だって40‰をギア比低い80系で走破してたし
似た電動機ながら急行用ギア比の165系も問題なく登坂する
701系はそれより条件良いのでは >>198
MT54絡みだと、仙山線や板谷峠は455系や485系にMT比2:1以上の縛りがあったな。
まあ自重が大きい交直流電車だから一概には比較できないけど。 赤木沢渡とか、公園の滑り台みたいな40‰なら特段の登坂降下性能など要らんだろ。
信州中野湯田中の連続40‰勾配は、東急から来た2M1Tの大出力車が、降下するのに必要な性能を備えておらず、入線禁止である。 もとは現代の高架地下の勾配に701系が対処できるかの話で
それはそもそも山岳部の連続勾配ではないからね〜
秩父区間の赤電より、金子坂を登る八高線キハ35のほうが辛そうだったw 今日昼過ぎの三岐線
「模型のような編成」は絶賛稼動中
垢電とレモンイエローは、両方ともお昼寝
103-104が検査入場中
で、旧カラーの101-102に乗ってたら途中から満員に
乗車に手間取り、気づけば2分延
下校時間なんだから、3両にしておくれ お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ >>199
だから、西武秩父線以外の西武や、飯田線の急勾配と、
仙山線と板谷峠は違うんだって。
仙山線や板谷峠は「連続勾配」でしょ。 連続勾配は力行だけじゃなくブレーキも厳しいからな
そりゃ新性能車なら抑速発電が欲しくなる
西武だって101・5000で私鉄にしちゃ珍しいマスコン逆回しの
抑速付けたわけで、秩父線は例外的 秩父運用に抑速制動はありに越した事はないが必須ではないようだね
電制無しの赤電や黄701も通常運用だったし今日も2000系が2本入ってる
勾配運転厳しい貨物のE851でさえ電制がなく導入時は結構動輪削らせてしまい
国鉄のやり方を学んで治まったとか…
その運転士さんブログによると連続勾配といえる区間は9kmだそうだ。 今日の2000系秩父運用は3本になったw
4000系足りん >>206
101系や5000系には抑速ブレーキ入れたのに、E851に入れていないというのは不思議だな。
すでに国鉄にEF64という前例があったのに、なんでそれを参考にしなかったんだろうか。 EF64と65の価格差・部品点数差ってどんなもんなのかね。
65のほうがシンプルなのは確かだろうけれど。 >>208 奥羽本線板谷峠(EF64登場当時は直流電化だった)や中央本線韮崎から小淵沢辺りの、連続して20〜30‰の勾配が継続する区間に比べれば、秩父線内はそれほどでもないのでは?青梅線の青梅・奥多摩間並みだと思うが。青梅線は旧型電機だけどED16が石灰石貨物列車牽引に用いられていたが、事故起こしたという話は聞かないし。
それに電車に比べ電気機関車はモーターの粘着力が強い。電車で抑速ブレーキ必要な区間でも、電気機関車なら回生ブレーキで凌げたからなんでは。 EF16って電制無しの回生車じゃねえか?
詳しくは知らんが >>212
意味不明。
回生制動は電制の一種。
発電しなければ、どうやって電力を架線に戻すんだよ? 冷房改造前の701系の運転台の画像見ていると、面白いことに気づいた。
戸閉表示ランプ、最初はカバーなしだったのに、途中から(改造?)細長い筒状のカバーがつくようになった。
おそらく視認性に問題があったんだろうけど、そんなに見にくいのなら、最初からカバーつけるか、あるいは
もっと大きなランプにしたら良かったのに。 >>215
旧性能赤電もパイロットランプ小さかったようだな。
あっちはカバーなくてランプが小さいが、見えてたんだろうか? 大井川に行った351の運転台はよく見たが
穴の中にランプ点いてるだけだったね
同じ頃伊豆箱根の1000形の方は多面カットカバー無しだった そう言えば、2000系もだんだん少なくなってきたけど、
黄色一色(窓周りのベージュなし)って、701系冷改車の
途中から始めたんだよな。
どういういきさつで2000系もそれを踏襲したのかは謎だけど、
黄色一色は新宿線を象徴する色だったよな。 701系のブレーキ。
電磁自動ブレーキは併結の都合仕方ないとしても、電空併用は本当に不可能だったんかな?
京王や東急で電磁自動ブレーキと電制の併用はずっと前から既に実用化できてたし、
やりようによってはそれこそ西武お得意の国鉄制式機器(CS12主制御器とか)との組合せでも
いけたと思う。
結局電制を採用しなかったのは、単なるコストの問題なのか技術的困難があったのか
どっちなんだろ。 コストじゃない?
高加減速も勾配対応も必要ないとされたわけだし 601系と701系のクハの(TR11履いていたときの)制輪子って、鋳鉄のまま? それともレジンに換装してた?
西武ではTR11をだいぶ補強して使っていたと聞いているが、制輪子まで手を入れてたんだろうか? >>224
TR11をどこまで使い回してたかにも依りそう。
つりかけ車で国鉄制式台車履いてたのでレジン制輪子使ってた例は聞かないし、
もし701系とつりかけ車で互いに使い回してたなら(付随台車だから支障ないし)、
鋳鉄のままだったかもな。 この間町田のヨドバシのNゲージ売り場で新501系2両セット(塗装済み完成品)を見つけた。
(買わなかったけど)
実車がたったの6両、しかも改造から8年で全車解体のマイナー系列なのに、ああやって
模型が商品化されてたのには感動した。 Nゲージ会社の人が好きな車両だったのかも知れない? >>229
旧型車まで含めて全部レジンに変更とは驚きだな。
電磁自動ブレーキという制約の中で、それなりのブレーキ力の確保は目指してたんだな。 >>230
西武ってなんか努力の方向性が独特過ぎるのでアリっちゃーアリな気はする >>231
西武はある意味我が道を行っていたよな。
旧性能車(省電機器流用車)が国鉄制式なのは種車の関係上仕方ないとしても、それを新性能車まで
引きずってたもんな。
601,701,801系
・マスコンは(新製納車)旧型国電のそれだし、主電動機はMT54ベース(型番だけ異なる)だし。
101,301,2000,3000,4000,5000系
・マスコンが115系ベース(系列により抑速ブレーキ段の有無はあるが)。
なんであんなに国鉄制式またはその類似品に拘ってたんだろうか。 >>232 大量生産されていて安く入手できたからなんでは? 思い出せないので恐縮なのですが
451系で6両固定って、ありましたよね?471 491?
いつからあって、いつなくなったのか ご存じの方教えて。 >232
>ある意味我が道を行っていた
と言うより、国鉄ジェネリックに徹していただろ 101系の断続パコ音
線路脇で食らうと強烈で気持ち良かった
JR113や185系も強い良い音色だが
701系列はおとなしい印象だが気のせい? >>232
>>233
赤電までのMC1Aマスコンは国鉄がGEのC36をベースに開発して、
大小各メーカーが制作してたので、西武の他に東急や東武も採用していた。
西武は払い下げ品メインだったようだけど、東急や東武は新品だったようだ。
101系以降のマスコンは115系とかのMC53より、気動車のMC19に近い気がする ハンドル部分が小さいMC19風って西武と南海(基準位置角度違うが)かな >>238
MC19とMC53の画像を確認したが、西武101系以降のマスコンは
どちらかというとMC53似だったな。 >>239
南海のマスコンは切の位置が11時で筐体が楕円形だけど、ノブが西武と色も形状も似ているね。
>>240
筐体はMC53でノブの大きさ形状がMC19ってことで。 クハ1701形といえば、製造開始からわずか6~7年でTR11からFS372への台車変更が始まったけど、
よっぽどTR11との相性が悪かったのかな?
クハ1601形は(少なくともモハを701系に召し上げられて編成を解かれる前は)ずっとTR11だったのと
えらい対照的だな。
そういえば411系もクモハをFS40に振り替えたのにクハは401系化前はずっとTR11だったし。 かなり昔に作って途中で辞めた
401系が、下塗りのままになってる
復活しようと思うが
小豆ツートンの非冷房+TR11にするか
冷改後+FSにするか
いっそ黄色にするか
悩んでる 60周年と言えば、来年で701系登場60周年だな。
いま残っている残党は三岐くらいだと思うけど、いつまで残るんだろうか。 三岐線は冷房化完了で一安心したのか、10年以上車両更新が止まってる
まぁ、買い替えるにしても適当な種車がなさそうだし
幸か不幸か、バウンド激しい旧701の激走が続く
さらに深刻なのが北勢線、予備車ナシで運休続発 クハ1701の台車、製造の時点でFS-342の付随台車版にできなかったんだろうか。
製造数年でFS-072への換装を始めることになるんなら、TR-11の流用の意味がなさ過ぎる。
結局安物買いの銭失いに近い状態になったのがもったいない。 >>250
あの頃の西武は台車に関しては迷走してたよな。
701系のTR-11もそうだが、801系クハ10両分だけしか造らなかったFS-067とか、
吊り掛け系列の一部電動車やごく一部付随車だけ換装したFS-40とか。
特にFS-40の導入が中途半端に終わったのは、結局何をどうしたかったのか全く謎。 >>10
俺もそっちの701系やと思って全然懐かしくないやんーって思ったわw 701系一族(801,401,501系を含む)の冷房化って結構しゃかりきだったよな。
わずか8年(1975-1983)で264両を冷房化(年平均33両のピッチ)。
この間2000系や新101系、301系の製造を並行して続けていたことを考えると、
いくらその間101系非冷房車の冷房化を中断していたとは言え、西武の執念が
感じられる。
同時期の他社でここまで急ピッチに冷房改造していた所ってあったっけ?
車両数の多い東武や阪急当たりはあり得そうだけど。 >>10
>余程上物の椅子
上物ではなく劣化前のありきたり >>255
東武だと、非冷房で新製された8000系が372両あって、これを12年かけて冷房改造してた。
ほぼ似たようなペース(年あたり31両)。
埼玉にゆかりのある鉄道が似たようなことしてるのが微笑ましい。 >>258
東武もずいぶん頑張ってたんだな。
でもあの頃の東武って、新車の新製と既存車の冷房改造に加えて、旧型車の機器流用で
車体の載せ替えも並行してやってたんだよな。
西武で例えれば、史実の状態に加えて、371系・351系・2代目501系を潰して機器流用して、
新たに2000系風の車体に載せ替えた吊り掛け車を用意するような感じ。
それを考えると東武の涙ぐましさがよく分かる。
西武は一応1968年までに吊り掛け流用車の新製は終えてたし。 久々に宮城県行ったら701系かなり減ってるな。見る限りやと殆ど721系に置き換わってるっぽい。一ノ関行きも721系やった。 >>261
JRの701系の話題はスレ違い。
よそでやってくれ。 スレ違いついでに
JR701の廃車はほとんど発生していないので
置き換わっているわけではない クハ1701の前面は今から思えば革新的だったな。
鉄道車両であんなに大型の方向幕を装備するのって珍しかったのでは? >>265
あの当時の鉄道車両(路面電車を除く)で西武701系並みに近い大型方向幕を持ってたのは
他に静鉄100型くらいか。
正面窓上中央に方向幕といえば営団・都営地下鉄・東急・東武・大阪市交などもあったけど、
サイズがちょっと小さかった(貫通路よりやや狭かった)しな。 >>266
頭に西武をつければわかりやすいんだけどね こんなお粗末なスレタイ、テンプレで東北の701系の話されても文句は言えない >>267
路面電車絡み以外で正面窓上中央に方向幕と言えば営団300あたりが元祖か。
でも静鉄の例以外でなんで大型の方向幕の使用例が出なかったんだろう?
特に営団3000とか東武2000あたりは大型方向幕の採用に支障なさそうだったのに。 知名度だけでなく製造数でも東の701系の方が上だな 他社に移った701系の残党も、残りは三岐鉄道だけが。
あそこは後期車だけど、車齢55年超えているし、いつまで保つんだろうか。 >>275
三岐は401系の譲渡車も残ってるんだよな。しかもトップナンバー(元401F)まで。
そっちは今年で59歳になる。
もともと保ちのいい車両だったのか、三岐の保守が優秀なのか。おそらく両方だろうけど
元701系ともども、どこまで現役で居られるかがみものだな。 401系と言えば、近江に大量に譲渡されたけど、その近江にはなぜか701系は
「生きた車両」としては渡らなかったのが不思議。
その代わり、近江では部品取りに譲られた701系の車体の一部を使って魔改造
して、小型吊り掛け電車をこさえたのには仰天した。
そういう使い方もあったんだな。 最初の801-18111編成だけ1993年に改造したけれど、走れないことが判明して
つなぎ(といってもかなり長期に使ってましたが)に2軸レールバスの替わりのモハ220を製造(?)した
最終版の811-1811は2009年。 阪神優勝の1985年頃は一族全部黄色で新宿線だっけ 現存車両
旧801は消滅
旧701は三岐だけ
旧401は三岐と近江
で、合ってるのか?
鈴鹿山脈の東西、隣町だ 一番地味なのは西鉄かな?
立ち位置は京急608や小田急1081辺り 近江鉄道のモハ220(使ったのは車体だけですが)が残っている 三岐も近江も跳ねすぎ
三岐は台車がアレ
近江は軌道がアレ 誰かTR-11を履いていた頃のクハ1701型の乗り心地を知ってる人いないかな。 そういえばカルダン駆動+電磁自動ブレーキの組み合わせって、関東私鉄だとほかに京王もやってたよな。
(もっともあっちは電空併用だったけど)
特に京王は1960年代中期(5000系の途中)までそうしてた。
吊り掛け駆動+カルダン駆動の組み合わせ編成での営業運転を常用してたのも西武と共通。
なんかカラーの違いすぎるこの2社で同じ事やってたのが不思議。 そろそろ701系登場60周年だけど、同時期の元京王5000系の残党がそこそこいるのに
701系の残党が殆ど残っていないのが悲しいな。
やっぱ譲渡先の整備能力の差異なんだろうか。 残っていないといっても、
後輩の新101系に取って代わられたのだから悲しまなくてもいいだろう 三岐の旧401や701、内装も機器もボロボロ
いつまで走れるのやら?
腐っても冷房車だから、代替など夢物語だけど 今から考えたら不思議なこと。
モハだけとはいえ、よく旧601系を701系に編入して冷房改造したよな。
構体的に451系や551系とあまり変わらないように見えるんだが。 >>300
西武だと思う
>>299
601まで2個づつの窓だったが、3000系でまた2個づつ復活した
のが不思議 3000と301の違いって何だろ?
どっちも立場は微妙だが… 3000わ界磁チョッパ301は抵抗制御
むしろ新101系と301系が別形式なのがよくわからない >>303
> 3000わ
全角数字
係助詞はをわ
大丈夫か? >>303
301系は登場時は新101系の一部で、形式もクハ1101形, モハ101形だった。
どういう理由で最終的に系列・形式を分けたのかは謎。
単に8連(化する)というだけの理由なら根拠が薄すぎるし。 最初は701系併結対応車を区別
→いつしか8両の区分に変わった
と、何かで読んだ気がするが、真相は分からん 西武はハイフン車が独特だよね
2000系になって解消されたが >>264
>>300
まさかの西鉄だったりして… 西武はなんで701系を静態保存しなかったんだろうな。 701系は大量生産されて一時期は西武の顔的な存在ではあったが
保存されている旧501系、5000系、101系、E851と比較すると、
エポックメイキング的な車両ではなかったからな >>305
261を作り終えた時点で、301〜は新宿線用101系と分ける予定だった。
しかし253を改造して新宿線へ行ったので、区分する必要がなくなり、
長編成時代の流れに乗って、101系8両固定は301系になった。
武蔵丘の出物などから類推すると、319辺りまで作る予定があったんじゃないかと。
そのおかげか、8連化のために中間車を多く作ったので、先頭車の仕掛品があまり、
有効活用するために269〜279を製造。
その時点で、501〜505は池袋線へ増結車として行く可能性は完全に潰えてた。 >>313
501系が池袋線に行く可能性の話は初めて聞いた。
まあ足回り系は101系まんまだし、あとは池袋線101系併結可能となるよう小改造するだけで
いけそうだから、全くあり得ない話でもなかったんだろうな。 数日前、JR東海の211系が何編成か三岐に行ったというニュースを見た。
もしいま残ってる元701系の置き換えに使われるんだったらちょっと寂しいな。
経年考えたら可能性は高そうだけど。 今の西武には、地方私鉄で使える車両の廃車がないからね。
流鉄が車両置き換えの時に何を入れるんだろう?
地元の公共交通会議で「当社は西武鉄道からの車両を供給を続ける」と明言しているからなぁ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています