深名線の思い出 Part2
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深川と名寄を結び、腕木信号機も健在だった非自動長大路線。
1994年9月4日を以て惜しくも廃止。
日本最寒も記録した多雪寒冷地帯でもありました。
前スレ 深名線の思い出
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1559601676/l50 鐘1つは確かに定発の合図だったな。
幌加内駅では今頃の時間、深川駅から始発定発の連絡があったのでは?
しかし、深川を発ち、幌加内に着くのは約1時間後、長いな。 キハ22時代には、車掌が乗ってて、客は自分一人...って事もあったしな♪ >>15
キハ53でもキハ54でもだよ
特に夕方の朱鞠内発名寄行は貸切になる事の方が多かった
朱鞠内を出る時に車掌か運転手に途中で(鉄道マニアが)
降りたか聞いてみて「いなかった」だと大体貸切確定 >>11
知らんがな。そいつじゃねえし。
てか赤の他人の俺から見ても、どう見たらマウントに見えるのか意味不明 ほっとこうぜ。
いじめられ過ぎてあちこちが敵に見えてしまうんだろう。 添牛内駅の修復も決まった様だが
崩壊撤去されたホーム側の上屋部分も復元するのかな 添牛内駅の修復、蕎麦屋でもやるのか?
深名線の復活を希望する有志よ、300億で復元できるんじゃね? 深名線を走っていたキハ53は保存車両どころか
種車のキハ27やキハ56さえ満足に残っていない >>27
キハ27は数台残っているが56は小樽と三笠だけらしい >>27
キハ27は数台残っているが56は小樽と三笠だけらしい 上興部駅鉄道史料館にもキハ27が保存されているが、
座席の一部を撤去して畳席に改造されている筈。
駅舎そのものは最終日まで有人の交換駅だったし、
手入れも行き届き極上レベルだよ。 伊藤かずえさんのシーマみたいに
キハ27・56をレストアしてピカピカな観光列車を走らせてくれないかな・・ 深名線を走った気動車車両で最も思い出深いのは何だい?
私はキハ53、キハ54しか乗り合わせた事がないが >>38
クリ吸ったるエキスプレス・・? エッチやなぁ >>5
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\____/ 添牛内駅は1931年開業、昔の建物は今では手に入らない程の
良質の木材を木材を使っている事が多いので意外と長持ちするが、
無人化から約40年、廃止後は物置に転用、実質放置される様になって30年近く、
雨や雪に晒されて手入れもしなかったのだしガタもくるか。
1988年3月に隣の政和駅待合室が激しく雨漏りしていた事を思い出したが
無人駅になると傷みも早い。 >>1
廃止になったの1995年だろ
立て直せボケ 安全靴にニッカポッカ、ヘルメットを着けて、つるはしと一輪車を持って再興しろよ。 旧朱鞠内駅の周辺は過疎化がいっそう進んでいるんだろうな >>53
どうひっくり返っても無理だろ。ほぼ旅行者だったし。
地元ガチ利用者がホームに下車しただけで珍しかったから写真撮ったもん。笑 廃線後に人の流れが増えたのは、西名寄、天塩弥生ぐらいか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています