101系と103系の違いを回想しろ
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>851
そこは、鶴を教えてクレインだっての
それともクレインもわからない頭のレベルか?
まあ、鉄オタ的に言えば、今なら「鶴太郎」か
鶴見にいれば、昔から色んな機関車、列車を見れるわな?
D51なんかも、千葉よりも後まで見れたしな?
DLを配備する佐倉機関区と違って、新鶴見にはDD51なんて
配備する必要はなかったからな
高島貨物線なんか、昔から古い機関車を引っ張って使うわな
鶴見線もだな
クモハ12なんていう、1990年代や80年代では違和感たっぷりな
車両でも走らせてたからな
まあ、これも昼間はすっからかんの通勤地帯をいく路線ならではなわけだ
「鶴見線にも、クモハ123が走るようになるんかな?」
とか80年代は思ったが、そうはならず103系で大川にも行けるようにしたな
クモハ12も123も、乗ったり撮ったりしたもんだな
クモハ12は、製造から60年以上も走った、飛びぬけて長く使われた
車両だな >>857のキチガイ爺はどこでも相手されてない
半年以内にはおそらく逮捕されるでしょう >>851
鶴見緑地に行けば鷺は見ることが出来ると聞いたことがあるけど、鶴はいないらしい。 >>860
だからなんだっての
鷺なんて、道頓堀にもいたわ
大阪の自転車に乗った野球帽かぶった変なおっちゃんが
「なんや、あの鳥、珍しいの〜」
なんてブツブツずっと言ってたな
鶴は、今では北海道と鹿児島の出水でしかほぼ見れない
江戸時代の頃までは、日本中で見られたんだがな
寝台特急がかつては日本中で見られたのに、今ではほんの一部でしか
見られないのと同じだ
ちなみに、横浜の鶴見も大阪の鶴見も、野生の鶴はもう
江戸時代の時点ですら、いなかったろうな 今でも見れるのは、ビル建設現場のクレーンとクレーン車かな。 >>863
ふむ、今ならクレインではなくクレーンと
面白いと思っちゃったか?
まあ、横浜の鶴見も、大阪の鶴見の放出も同じようなゲタ電から101系、103系駅だわな
しかし、鶴見線はお古の茶色ゲタ電を引っ張って、小野田線の部類になるな
宇部も、宇部線の海側は埋立地なわけだが、意外と京浜地区の「浅野埋立」
と時代は変わらなく、歴史的には古い埋立地だな
ここに近くの炭田や石灰石を運んで、鉄鋼所やセメント工場やらを
作ってきたわけだ
そういう意味では、クモハ12やクモハ42やらは都心よりは、港湾工場地帯に
通勤する人こそが思い入れある電車かもな まあ、小野田とか宇部といえばセメントだが、石炭を運ぶような
ホキ10000も多くあったのに、今では全く見なくなっちゃったな
鶴見線の扇町から武蔵野貨物線経由で、秩父鉄道の三ヶ尻にある
「太平洋セメント」の工場まで運ぶ石炭列車があったな
ホキ10000×20両でな
これも2020年で最後だったか
その後は、工場は石炭輸送はどうしてるんだかな?
まあ、おそらくCO2排出削減の関係で、この5783レの石炭列車も無くなったんだろうがな
太平洋セメントってのは、ここでも出てきている浅野財閥の浅野セメント、
小野田セメント、秩父セメントの合併でできた、今ではセメント会社では
一番、大きな会社だな
ホキ10000も、昔は「チチブ」って書いてあるのから「太平洋」に変わったよな
まあ、しかし生コン車は、ほんとよく見るわな
見ない日はないってくらいだな
太平洋やらUBEやらな
「浅野埋立」の場所には、生コン工場たくさんあるからな そいえば宇部にはセメント輸送車専用道路なんてのがあったな >>866
あの専用道路は、すごい長いよな
普通に美弥線〜小野田線でセメント輸送していたが、全盛期には
それでは輸送量が賄えず、国鉄がストライキとかやるから、
あんな長い私道を作っちゃったようだな
まあ、セメント列車といえば三重の三岐鉄道があるな
知り合いが、三岐鉄道のセメント貨物のNゲージ持ってて
「マニアックなもん持ってんな」
とか思ったが、意外とそういうのにファンがいるんだわな
相鉄にも、同じような貨物列車が走ってたわな?
相模川の砂利やらセメント輸送、米軍基地の燃料輸送なんかのために西横浜からな
かつては貨物が西横浜から国鉄に行ったり、海老名から小田急なんかに
行ってたからな
西横浜に生コン工場があるのは、そういうことか
あんな街なかで道も広くないような所を、セメント運ぶトラックとか通るの
面倒そう、とか思ってたけどな
相模川の砂利と相鉄が近いからか、海老名あたりも生コン工場が結構あったな 101系は元モハ90、その流れだったら103系は何となっていたんだろう? 三岐鉄道は、それこそまんま国鉄101系みたいな車両が走ってたわな
今は走ってんのか?
三岐鉄道は秩父鉄道の車両が来るから、やはり太平洋セメントの繋がりが強そうだな
三岐鉄道が開業した当初は、取締役が「浅野財閥」
ここでも浅野財閥が関係してくるな
つまりは、セメントのための鉄道から始まったわけだわな
三重と岐阜を繋ぐつもりで「三岐鉄道」と名をつけたが、結局は繋がらなかったな
セメント列車が走る所は、三岐鉄道の「藤原岳」やら秩父鉄道の「武甲山」やら、
いかにも石灰石を採掘してる白い山肌の風景になるわな
101系が登場するための日本になるには、三岐鉄道のような鉄道があるからこそ
生まれている車両とも言えるわけだ
そういう視点で、地方ローカル線も頭に入れないとな 三岐鉄道は元西武鉄道王国でしょう
101系顔というのは否定しないが
そういえば、鉄道ファンに101系顔特集ってあったよな
101系顔はモハ72系半鋼製車に始まり、全金属車を通じて引き継がれた
最大の特徴は、前面傾斜窓とその上部の換気導入口だそうだ
同じ頃のEH10も同じ分類になるらしい 傾斜して窪んだ顔つき(窓付き)はアメリカのPCCカーのパクリ?
国電101系やEH10と同世代のバス(富士重など)も同じ表情してる >>870
西武からだったな
埼玉は、西武も秩父も同じように感じちゃうからな
>101系の最大の特徴は、前面傾斜窓とその上部の換気導入口だそうだ
そんなんは、言わずと知れたようなことだろ
103系も一部、通風口ありの傾斜窓車のままがあったがな
101系は、加速のための全電動車ってことが最大の特徴だろ
103系の付随車との編成と違ってな
あとは、103系とは扉開閉の違いか
まあ、101系で電気不足になるなんてのも、当時の経済成長期で
単純に躍起になる日本人体質の見本だわな
原発なんかも後先考えずにボンボン作ったら、津波の威力なんて
まったく考えてないような、爆発させてしまうような浅はかな建て方なわけだったからな >>872
よく読め
101系の特徴ではなく、101系顔の特徴だ まあ、高島廚流の101系、103系の違いで言うとな?
101系→高度経済成長の初期に、躍起になって作った近代化車両(1957ー1969)
103系→近代化するにも、やみくもに作るよりは日本人に工夫が見られるようになった車両(1964ー1984)
これは、意外と大きな違いだからな?
1950年代よりは、1960年代の方が日本人は「創意工夫」が見られていくわけだ
これは1964東京五輪の存在が大きかったのかもしれないな?
東海道新幹線をたったの5年くらいで作るって、日本の歴史でも一番、
優秀な日本人の時代とも言えるからな
まあ、103系なんかは日本社会が経済成長していって、あちこち郊外までも街並み化していく中で
根岸線、仙石線、福知山線、京葉線なんかのベッドタウン103系ってのが、103系らしさ
でもあるな
1984年まで製造されて、今でも走ってるような「現代に通じる車両」なわけだ
原発なんかも、同じような時代に作り始めたわけだが、さすがに電車よりは
もっとよ〜く考えて作らないとダメだったな >>873
他の三岐鉄道やらの101系顔なんかとは国鉄101系は傾斜窓が違う、と言いたいのか
そりゃ作った時代が違うんだから、あたりまえだろ
103系に近い時代なら冷房化車両になって、つまりは傾斜窓にならん
まあ、とは言え、たしかにそれは大きな国鉄101系ならではの特徴になるわな
運転台の窓の差でも、たった数年の違いでも大きな差はあるな
当時は私鉄車両の方が、そのあたりセンシティブだったとも言えるな 中央・総武緩行線、中央快速線に103系が投入された時、それまで101系ばかり運転していた運転士は、
103系は101系と違って走りっぷりが違い、扱いにくいし、運転しにくかったという。 >>876
そんなもんは、投入されたばかりなら違和感を感じたりする方がありがちだろ
電車の運転だけでなく、車が変わった、スマホが変わった、サッカーの監督が変わった、
とかな
うじゃうじゃあるだろ
それが全て、変わったばかりの感想が正しいことにはなるわけない
評価は、103系を何年も運転してからの評価こそだろ?
それから101系を運転して、どう思うか?の方が正しい感想、評価だ 103系も陰が薄くなってきたな。
あと何年使われるかな? >>879
加古川線・播但線の103系は中間車から先頭車化改造されたものばかりで、原型ではない。
この2線の103系が置き換えられる時は、きのくに線や和歌山線などで運用されている227系の
ロングシート車だろうね そうだろうな。
原形顔は和田岬が最後だった。
前照灯は豚鼻だったけどね。 2灯103系は関西が先駆けだったからな
まあ、しかし2023年令和時代で、103系が走ってるとも思わなかったな
そういうのよりは、2023年だったらリニアモーターカーが走ってるくらい
でないとな
60年前の東海道新幹線が5年くらいで建設できたのに比べても、どうしょうもない
レベルで時間かかりそうだな
また、大地震によって生き埋めになるようなもんも作りかねないしな
昔なら2023年なら、リニア新幹線が走ってるくらいだと疑わないくらいだけどな?
そのくらい、日本人は大正や昭和の頃よりも、平成令和はやるべきことを仕事できてない、
国民性が低下しまくってるわけ
>103系も陰が薄くなってきたな。
こんな書きこみもぬけぬけとするが、勘違いと言えるからな
今の日本は「勘違い野郎」だらけだからな よくわからなかったが、もし>>870が
「101系顔の特徴は、前面傾斜窓とその上部の換気導入口」
というなら、それは間違いだな 101系製造(1957ー1969年)
103系製造(1964ー1984年)
こういうのが無駄だよな?
なんで、重複して製造する期間が
1964〜1969の5年間もあるんだってのな?
1年くらいならともかくな
そこらへんが、能なく無駄に赤字を増やす要因だったわけだ
親方日の丸の国鉄からJRの流れで、車両製作からダイヤから広報力、キセル対策なんかも
職務感覚がレベルが低いわけだ
EF510なんかも、無駄が多いわな
挙句の果てに、最近は無駄にホームドアも設置費用がかかる
駅弁スレなんかで書いてるが、日本は
「食品ロスが断トツの世界一の国」
なわけ
要因は
・弁当の陳列の見せかけを良くするために、無駄に多く弁当、食料品を多く作る
どれだけ売れるか、考えてないわけだ
コンビニが日本にできてから今までの廃棄のロス代のトータルなんて
数百億円も超えてるだろうからな
それだけで、列車が何両つくれるよって話だわな >>884
考えが浅いな
では訊くが103系と201系の”重複”はどうするw
長編成化なら中間車だけ造ることもある
短編成化なら先頭車が多いだろう
製造年代は連続しているとも限らない
後継系列と混結前提の仕様でなければ
必要分を造り続けるだけの話 201系の方が103系より先に鬼籍に入るのだろうか? >>885
>考えが浅いな
おまえの文からも、それがまさにおまえだっての
明らかに余計なサハ101製造だったから言ってんだよ
>>885からも、無能さが表れてる国鉄から鉄オタまでの
やってること、理解のレベルなわけだ
日本は、東海道新幹線も開通して五輪景気を迎えて、
国鉄だって赤字は減らせる時代にもなるはずにも関わらず、
赤字が増えていった
国鉄の赤字からバブル崩壊まで、その何たるかは似たようなもんだからな?
赤字になるようなものを、こしらえてるからなわけだ
これからの日本なんて廃屋、空き部屋だらけビル、マンションやら
酷いことになるからな?
>>885のような人間は、それに気づかないようなやつだろうがな >>890
東みたいにクハ1両あってもあまり意味ないんだよな 201系のチョッパ関係の部品がもうないようなこと聞いたけどね。 無駄に長文投げ込んでくる奴は
考えを纏めるという習慣を身に付けた方がいい >>891
博物館に収蔵しようと思ったんだろうけど、201の場合、チョッパ制御装置がなきゃ意味がない気もする。 201スレチバカと>>893のキチガイが湧いちゃってる チョッパ制御で使われた大容量サイリスタはおおよそ製造中止
VVVF初期のGTOサイリスタでさえ例外ではない
インバータの載せ替えが進んでいるのはそのため >>899
ごめん、ここは101系と103系のことを語るスレなんでね・・・
そこわかってくれないかね。たのみますね。 他の鉄道への譲渡
101系→秩父鉄道
103系→インドネシアジャカルタ 101系→お便所付きは存在しない
103系→お便所付きが存在する 103系と違い101系の床は防音材が入って高級なんだよね?
それで水害の時水を吸って膨れ上がってしまったという 101系→低運転台しかない
103系→低運、高運、地下鉄顔、パンダ顔 101系の臨時房総快速はお便所無しか。
昔の人は我慢強かったんだなぁ。 両国〜千倉とかあったね
でも今の東京〜勝浦の233系もお便所なし。
この列車に関しては209系を2つ繋いだやつにした方が良いと思う 101系は落成直後はモハ90だった。
103系ももし番号改正がなかったら、何になっただろうか? 番号が足りなくなるので何らかの形で改正は必ず行なうしかなかった 旧国の時代は5桁の番号だったんだから、番号改正しなければ6桁になってただけだと思う 20→151
22→157
82→155
90→101
91→153
103系は92系か74系だったかもしれんな
それにしても91系っていろいろ半端なポジションだなぁ
80番台じゃないし、一刻みだし
試作車的意味合いが強かったのかな? >>912
モハシ21(20系)があった→22、モユニ81(80系)があった→82というだけ
電動車以上に付随車の番号不足も深刻だった
モハ20, モハシ21, サロ25, クハ26→151
モハ22, サロ27, サハ28→157
モハ82, サハ88, クハ89→155
モハ91, サロ95, クハ96, サハ97→153 運転台の有無を0番台500番台で分けてたのだから早晩限界で
パンクしただろう >>911
ていうか気動車や客車と同じ様式の標記にしてた気がする
>>914
101系のクハ100/101が1959年の称号改正以前に誕生してたらクハ99だったか? >>917
設計段階ではクイ99ってのもあったと聞いている。
生産はされなかったけど。 戦後すぐならGHQってとこだろうが、
昭和30年代だと何だろな 他人様のフリーランスにとやかく言うのも野暮だが
色々と詰めが甘い感じはぬぐえないか
全線電化後の東海道では旧式過ぎるな
東武5700増備車くらいがリアリティありそう 72系アコモ改良車があともう少し増備されてたらモハ72の車番が1000に達してたみたいね
旧型国電は何とかして車番が1000に達するのを回避してた感じしてるけど 貨車みたいに頭に1つけるしかなかっただろうな
だけに改定しないという世界線はなかったのだろう 101系・・・本州のみ
103系・・・九州にも進出 >>930
それよりJR四国が2000系とか8000系とか私鉄っぽい形式になったのに驚いたよ >>932
私鉄っぽいっていっても、私鉄だっていちおうは、デハとかクハとか付いてるけどな
側面の形式表示に書かれてないから、あたかも数字だけって思われてるだけで。
スレチでごめんな。 パンタ部分の低屋根
101系:あり
103系:なし 京浜東北に一時期いた101系。
コンプレッサーの音で違いがわかった。 >>937
ドアの開閉音じゃなくて?
俺は物心付いてから一度も遭遇しなかったが、いつ頃の話? >>937
ああ、それよくわかるよ
101系のは、シュトトトトトト・・・ってやつだけど
103系のは、ガーーーーーッってかんじだね >>938
昭和49年、自分が高1の時初めて京浜東北の101に乗った。
その前後数年は走っていたのではないか? 103系1200番代の営団東西線乗り入れ用には301系との混結編成が一時期あった。
当時の301系は灰色塗装してしまっていたので、一般ピープルには判別できなかったと思う。 >>942
一般ピープルがどうたらはいいからさ、それだったら
101系:他系列との混結編成はなかった
103系:301系との混結編成が一時期あった
くらいには書いてくれねえかな
ここはそういうスレなんだからさ >>940
その頃の記憶だと、日本橋在住の従兄弟を駅まで迎えに行ったら冷房車の編成が来て驚いた事かな。
まだ小学校にも行ってなかったので。 小学校低学年のころ、普段乗りなれた山手線(まだ103系低運転台も残っていた)ではなく、
中央緩行線の101系に乗った時は前面展望を楽しんだなぁ。
背の低いガキでもちゃんと前が見られたからねぇ。
丸ノ内線は、扉窓の位置が高い(窓自体が小さい)のが多くて、これは嫌だった。 >>946
その頃は運転手が客室側のブラインドを降ろしていなかったか?
車掌なら上げてたけど。 たしかにそういう事が多かったけど、全部が全部そうじゃなかったよ
運転手と言うか、組合によっても違ってたのかも ブラインドの隙間から少しだけ運転士が見えた。
なんと咥えタバコで運転していてたまげた。 運転席まわりに、客席にあるのと同じ吸い殻入れがあったんだから、
まぁ、当たり前の光景だったと思うよ
子供の頃に見た光景で一番異様だったと思うのは、
左巻きのスローガンがペンキで殴り書きされた車両が当たり前だったこと 山手ATC化前、正面の銀色帯は冷房車だったので来ると嬉しかった
で、中間の数量は非冷房と(笑) レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。