東京・九州ブルートレイン★136レ
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大阪人のくせに阪神タイガースファンっておかしくね?
オリックスファンになるべきだよな? スレ立てオツ。
食堂車営業廃止になって、一度も乗ってない。
最後に乗ってからもう30年以上経つなあ。 車両の経歴では、案外20系は長くなかったな!
最長で元祖あさかぜの20年足らずなので。
その後の24系25型の方が息が長かった。1976年〜2005年まで30年近くか!
トータルで一番長かったのは14系だなw
1972年のさくら・みずほから、2009年九州プルトレ全廃まで活躍したから、37年とは! 1968年10月の復刻時刻表を見て
すでには特急はやぶさと特急みずほが岐阜駅に停車していたのを知った
さくら号はまだ通過。 >>1
スレ建て乙
夜行列車総合スレがピリ付いてて居心地が悪いので
ここが復活して助かる >>7
さくらはみずほ廃止まで、岐阜はずっと通過してただろう。 >>10
しらさぎは最初から全列車停車してたけど、それはあるだろうね。京都や横浜より岐阜は都市規模が小さいし。
大宮でも、新幹線開業前の在来線特急の通過は程々あったし。 若干格落ちする特急であるしらさぎの停車意図は、高山線連絡だろうね。
大宮がそうだったように、速達特急や最上位の特急は通過だろう。 >>12
しらさぎの岐阜停車理由が、高山線連絡の理由はあまり関係なく、県庁所在地としての面子だろう。
新幹線開業前の151系特急も一部停車してたので、九州ブルトレの一部停車も必然。 自治体のメンツ保障のために速達性が損なわれるのは非常に嘆かわしい >>14
それを言ったら、新幹線駅にもっと酷い駅があるだろう >>14
某寺本氏なら特急列車の格が云々と言うだろう >>4
因みに上野口の東北ブルトレは、24系なら1976年のゆうづる投入から2014年のあけぼの廃止まで38年間だな。
北斗星を加えたら39年。 昔B寝台の通路に下車しようとした客が一斉に入ってきて車体が傾いた事象なかったか? しらさぎ号は名古屋⇔米原⇔富山なので
高山本線の駅ならはじめから急行のりくらや特級ひだ
名古屋⇔富山(⇔一部金沢方面)に乗るのでは。 あと循環運転の
名古屋⇔米原⇔富山⇔高山⇔岐阜⇔名古屋
急行こがね,しろがねが有った >>24
客車の音っていいな。DF50で涙が出てきた。 >>14
新幹線より遅いのは確定なんだから岐阜、大垣に停めて集客した方が良いわな >>27
それを言うと富士や沼津にもっと停めろとか、草津や近江八幡などにも停めろということになる。 >>28
そんなこと言われてもそれはものには限度ってものがあってな >>29
岐阜、大垣でどの程度利用あるか?がある。
大垣はしらさぎ程度しか特急は停まらないし。
岐阜は、はやぶさとみずほの利用者がどのくらいあったか? 9001レもしくは9002レに乗った人います?
列車終盤に、たしか500円で車掌が売ってた
しおり付きの円形ピンバッジ、
タダで配ったって書いてるツイートがあるけど
そうだったっけ?
支払った記憶があるんだけどな。。 JR化後の「はやぶさ」東京→西鹿児島。
食堂車の画像がないのが残念だけど、作成者は食堂車に行かなかったか?
https://youtu.be/Fgxdsli2x48 東京-熊本間で『はやぶさ』をフォローする『みずほ』の様に
東京-大分間で『富士』をフォローする『富士2号』が無かったのが悔やまれる。 そういえば『富士』だけ東京-九州ブルトレの中で仲間外れなんだよな。
・列車名が漢字
・博多を通らない
・日豊本線を走行
名前だけでも平仮名にして大分と宮崎に因んで『おおみや』とでもすればベストなんだもんッ!
なお男性乗客は全員、延岡名物・去勢の刑の処す。 >>43
他に富士が他の東京九州ブルトレと違う要素はC62はじめ蒸気機関車とEF58牽引時代がなかったこと
1964年10月改正で山陽本線全線電化したのと同時に設定されたからね 所謂「下関あさかぜ」を大分まで延長すれば『富士』のアシストになったのにな 寝台特急としての富士の名前は、151系昼行特急から持ってきたものだし、
漢字という他に、後年はヘッドマークの形状まで特異だった
他の寝台特急とはいろいろ事情が異なるんだよな
個人的には丸いヘッドマークのほうが好きだけど でも「みずほ」も仲間はずれにならないか?
・運転区間が「さくら」「はやぶさ」とダブっていた。
・食堂車廃止が他の九州ブルトレより早い。
・食堂車が一時ビュッフェ扱いだった。
・20系化が他より遅かった。 >>45
下関「あさかぜ」が、急行「安芸」の格上げ・延長だから、それはないだろう。 >>47
ただホラ。
最後まで残った所謂「ふじぶさ」が元祖『みずほ』のルートだったから。
そういう意味でも仲間だろ? >>49
その前の「さくぶさ」でも同じルートと言えるけど、そうすると「みずほ」は
所詮あってもなくてもいい存在とも言える。
「富士」は日豊本線を行く、唯一の存在価値はあったけど。 戦後の九州特急設定時、急行「さつま」スジ格上げが「はやぶさ」と命名され
新設の長崎行特急は「さちかぜ(→平和→さくら)」となった
1.後者を最初から「富士」と命名しておけばよかった
2.二度目の改名時に「富士」と命名されていれば以下略
1と2どちらもまだその段階では、戦前由来の「列車名の格」で忌避温存された
それが本来の本筋ではない日豊経由に命名されてしまうという腸捻転を招いた。 富士と櫻(さくら)が温存されていたわけだが、
登場時の担当者&部署は
当然ながら戦前期から既に勤めており
列車名の格的な部分はよく解っている
両者なら先ずさくらを採ったのは順当だったろう。 >>50
すげえ個人的だけど、それ納得できる
九州特急で「みずほ」だけは乗らなかった。
だって、さくらの補完列車でモノクラスだったでしょ
趣味で乗るのだからロネに揺られたかったので。
(厨房時代からすでに阿房列車のセンスw)
あと九州特急ではないが東京発着ブルトレは
出雲だけ乗らなかった。 >>53
> だって、さくらの補完列車でモノクラスだったでしょ
熊本編成のロネ+長崎編成のヒルネ
でも乗れたけどな >>52
さくらは1951年から東京-大阪の臨時特急に使われてたから温存なんてされてないぞ (鉄ピク1973-10(284)寺本光照氏)
『みずほ』から分離した東京〜大分の特急の愛称は
当初『しおかぜ』が予定されていたという。 あさかぜとしおかぜは平仮名で書くと特になんでも無いが
漢字で書くとよく似ている 西村京太郎氏死去
寝台列車のトラベルミステリーはもう「昔の話」なんだな。 大宮工場の職員が改造中のスシ24に爆弾を仕込むというストーリーだったのを契機に買うのも読むのも止めたわ 『さくら』『みずほ』『はやぶさ』は新幹線に名前使われてるが
『富士』はJR東海がリニアに使うつもりらしい、という噂があるが
どうなるんだろう? 昔から言われている。
きのう書き込みたかったが間に合わなかったw 貨物のスーパーライナーの東京〜梅田の表定速度79.3km/hってみずほの77km/h凌駕してすげぇ!と思ったが、九州ブルトレも東京〜大阪はそれくらいか。 『はやぶさ』の長崎行を『みずほ』に変更したのは何故なんだろ?
それぞれ20系から形式を変える際に『はやぶさ』を14系、『みずほ』を24系で変えれば余計な変更もせずに済んだのに。 はやぶさを西鹿児島まで運用するためには最低3本必要、が何かしらの理由かな?…知らんけど。 そりゃ終点までに2回すれ違うから
トワイライトエクスプレスもフル運用だと2回すれ違った 24系25型時代、
富士とはやぶさが付属編成こみ全3編成で共通運用
そこにあさかぜが入り込んでなかったっけ? あ、数が足りんかな?w
でも、富士はやぶさにあさかぜの運用突っ込んでたよね? >>66
ロビーカー連結前、オシ24が白帯の頃は、博多あさかぜ、はやぶさ、富士、米子・出雲が同一編成だった筈。
ま出雲だけは付属編成7両の内、東京寄りの2両を外しての運用だったが。 >>63
東京と熊本・長崎・佐世保なら距離が同じくらいだから車両のやりくりも有る程度、共通のローテーションが組めるが、
そこに距離が長い西鹿児島折り返しが入るとそのローテが複雑になるからかな?
全部20系だった頃はそれでもそういうの気にしなくても良かったんだろうけど形式が違うとね。 サンライズが老朽化して廃車にする時に、あさかぜを寝台新幹線として復活させたらどうか?
停車駅は
東京−品川−新横浜−静岡−名古屋−米原−京都−新大阪
−新神戸−西明石−姫路−岡山−福山−広島−新山口−小倉−博多
東京21:50発(サンライズと同じ)
米原24:00着
騒音対策のため150キロ程度で走行
新大阪で長時間停車
騒音対策のため150キロ程度で走行
姫路6:00発(サンライズより30分遅くまで寝れる)
博多8:10着
座席車も併結し、座席車は新大阪前後で分けて指定席を発売、初電、終電を兼ねる。
東京−博多はあさかぜより6時間スピードアップで、使い易い時間に!
サンライズよりやや早いぐらいの時間に岡山到着
保守時間の確保が問題なら、運休日を設ければ良かろう。 ↑こんな下らないことを書いてる暇があるならとっとと寝たらいいのに >>70
航空+ビジネスホテルよりも高ければ経営上無意味。 >>63
「はやぶさ」の20系末期時代は、新大阪〜西鹿児島・長崎の「あかつき」にも運用してた。
その当時までは20系の弾力的運用もあり、14系はある程度試行錯誤だった。
もっとも当時関西発着の14系でも、「あかつき」の長崎・佐世保行とか「あかつき・彗星」
の14系本領の運用はあったけど。 >>76
もし現在走っていても、B寝台利用で片道2万円超えではな。
JALやANAの羽田〜福岡も、数日前購入で1万円台が見当たるし。
いずれにせよ、東京〜九州ブルトレは食堂車廃止と、スカイマーク就航時の航空が価格破壊して命運が絶たれた。 ところで、全盛期でも寝台特急って採算取れてたんかねえ?
3段寝台でも1両に乗れるのは50人程度だよね
それに加え寝台設備のために掛かるコストもある
深夜に走ることで保守業務の効率も落ちるだろう >>78
採算性は捉えてなかっただろう。人員合理化には当時の国労・動労がうるさかった。
寝台セット・解体する車掌補もかなりいたし、20系ならドアの開閉にも人員を要した。
九州ブルトレなら、国鉄末期〜JR化頃と比べて2倍から3倍の乗務員がいたような。 78
現在の価値観、もしくは貴方個人あるいは貴方の世代での価値観のままで
当時を捉えるのはよくないねえ。 まぁ、50年前は出張族が大挙して乗ってたからな
一番の転機は、例の5割増
前後も含めると、数年で倍以上
大衆の味方から、贅沢品に
そりゃあ、航空+ビジホに移行するわけだ >>78
1970年代後半に国鉄が寝台列車の採算を試算したところ、どうやっても大赤字になるのが判明して夜行列車全廃論まで国会に出された 寝台利用人員のピークは山陽新幹線博多開業直前の1974年
当時はマル生運動の失敗で職場が最も荒廃していた頃で、翌1975年11月26日〜12月3日にかけては国労と動労がスト権ストを打っている
そして寝台料金は1975年11月と1976年11月に2回価格が改定され、それまでのほぼ倍に値上げとなった
ttp://twitter.com/featherprovince/status/1201508321926139913
@team185
運輸政務次官が誰かが「国鉄赤字改善のため夜行列車全廃」って言いだしたのはいつだったかと思い出したら昭和54年だった。
当人はハッパをかけた程度の発言だったのだろうけど。
ttp://pbs.twimg.com/media/EKybixoU0AArwdf.jpg
@featherprovince
54年ならもう寝台利用人員がピーク時から半減してますね。
夜行とイコールではないにせよ、東北・上越の新幹線開業も控えてそういう話が出てくるのは自然なことでしょうか。
@featherprovince
国鉄末期に夜行列車の将来は予見できたか?というと難しい問題ではあるけど、
さしあたり当時がどんな状況だったかということで寝台列車の利用人員推移を。
データは成山堂書店『日本国有鉄道 民営化に至る15年』より。
ttp://pbs.twimg.com/media/DaMaNdmVwAAW3nh.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>62
EF66牽引で国鉄末期の、最もスジが立ってた頃の寝台特急『みずほ』は、
東京17:05発→大阪00:46着の6時間41分運転だったので、平均速度は約82.3Km/hだった。
これは『さくら』、『みずほ』や、下関『あさかぜ』のような定数51未満の軽い列車なら、
高速域の加速が全然トロいEF65でも、全力運転すれば代走出来たので、
牽引機をEF66限定にして、EF65の代走を想定しない速度種別に設定すれば、
151系の特急『こだま』同様、6時間30程度に短縮できたはず。 意味あるよ。
観光客向けのクルーズトレインではない、定期列車だし。 >>84
訂正。
正しくは、東京発⒙:05。 >>86
ここのスレに該当する列車だと意味がないであってると思う
例えば東京-下関で30分所要時間が短くなったとしても結局乗客は増えなかっただろう 寝台列車で所要時間が7時間を切るやつには乗りたくないなぁ
寝る前と起きた後の細々したこと考えると、寝不足になる EF66を使って120キロ運転に挑戦して欲しかった
軌道を傷めるので特甲線規格の東海道線東京~神戸間に限られそうだが EF510のように、EF210かEF200牽引の列車も観たかった >>84
国鉄末期の時刻表を持ってるが、牽引定数51の「みずほ」は東京ー大阪間6駅停車で、
所要時間6時間41分、表定速度は約83.2Km/hだな。
同じく同区間で牽引定数55の「はやぶさ」は、6駅停車で6時間44分、表定が約82.6Km/h。
同じく同区間で牽引定数51の「さくら」は、7駅停車で6時間44分、表定が約82.6Km/h。
なので、6駅停車の「みずほ」が最速だが、7駅停車で3分差で走破する「さくら」が、
最もぶっ飛ばす列車だな。 >>90
国鉄時代のEF65牽引の「みずほ」は、東京17:00→下関08:13で、所要時間15時間13分。
国鉄末期のEF66牽引の「みずほ」は、東京18:05→下関08:06で、所要時間14時間01分。
東京-下関間で、EF66はEF65時代と比べて、1時間13分も所要時間を短縮しているぞ。
でも結局乗客が増えなかったのは、羽田ー福岡の航空運賃が各種割引等もあって割安になったのが理由。 >>93
EF66-100番台のブルトレがあってもよかったのに
ヘッドマークステーを取り付ける穴を有する車両があったが実現しなかった >>91
だから自分は「つるぎ」は乗らなかった。
大阪市内の人間なのでいつでも乗れたが、やっぱりそうだよねえ。
いまでも「乗れなかった。。」とは思わない
そのかわり「きたぐに」は元号が昭和の頃から乗ってる まあでも「北陸」はよく乗ったなあ。シンデラがあったからね。
個人的には「モノクラス」「短距離×モノクラス」が食指がなかった。
「瀬戸」も岡山からちょびっと南下して終点、ってので乗らなかった 俺は横浜民なので、大阪−横浜の夜行移動は銀河がよく眠れて一番よかった。
今のサンライズも時々利用するが、横浜までだと所要時間が短すぎて、
大阪でしこたま飲んで爆睡すると、いつも目覚めるのは六郷鉄橋を渡る時の轟音だ。 ああ、「銀河」を出してくるなら、俺も銀河は別格ですわ。
相当乗った JRになったばかりの頃の、ロビーカー連結した<はやぶさ>に乗ったことあるけど、
未だ結構乗客多かったんだよな。
折角だからと、デパ地下で買ったワインを持ってロビーカーに逝ったら、大勢人がいて、
山側の一人用カウンター席は満席。仕方なく海側のソファー席の端に座らせてもらった。
その席には九州のオッサンとオバサン達4人が焼酎のウーロン割を飲んでいたので、
座らせてもらったお礼にワインを勧めたら、仲良くなっちゃって、
ツマミを勧められたり、ウーロン割を勧められたりして、大船〜大阪辺りまで一緒に飲んでた。
今となっては、ブルートレインならではの楽しい思い出。 レール7の空席情報も週末だと満席。みずほは空席目立っていたような気がする。 JR化後もそれなりに乗客はいたけど、新幹線博多開業前の全盛時代が三段寝台で常時満席だったのと比較して、利用は落ちていたな。
客層も変わって、ビジネス利用は少なくなっていた。
ファミリー層や、ある程度ゆとりのあるリピーターになりにくい客層が主流だった。
そしてJR化後の九州ブルトレも徐々に利用が減り、九州ブルトレのシンボルだった食堂車営業が終了して、人気が大幅に下降。
発着時の東京駅は閑散とするようになった。 データで見るJR西日本
鉄道事業
P.66-85 輸送(新幹線) 輸送(都市間) 輸送(京阪神近郊)(PDF形式 3,448KB)
ttp://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2021_10.pdf
7ページ目(通算79ページ)の右下に、「主要線区の特急・急行乗車人員の推移(下り片道1日平均)」の折れ線グラフが出てる
その中に出てる山陽線(岡山~福山)「さくら・はやぶさ・富士・あさかぜ・なは・彗星・あかつきなど」の乗車人員を見ると、
1987年の民営化から8年目の1995年度には早くも利用者数が半減し、富士はやぶさが年度に廃止となった2008年度には
鉄ヲタの記念乗車を含んでいてもわずか175人/日という、実に悲惨な数字であったことがわかる
1987年度 2,193人/日
1995年度 約1,000人/日
2008年度 175人/日 →ブルトレ全廃 >そしてJR化後の九州ブルトレも徐々に利用が減り、九州ブルトレのシンボルだった食堂車営業が終了して、人気が大幅に下降。
これはのぞみの大増発や航空機の台頭が主要因であって、食堂車の営業終了が主要因ではない
そもそも寝台特急に利用者数に対する食堂車の利用者数なんてたかが知れてる >>103
「みずほ」は、「はやぶさ」や「さくら」の補完列車的で、日陰の存在だったよね。
長崎は勿論、熊本民でも格下に見てた気がするし、九州ブルトレで最初に廃止されてしまった。
なので、浮かばれなかった「みずほ」を、山陽・九州新幹線最速列車に設定したのは、
「みずほ」ファンだった熊本か長崎出身の、JR九州幹部社員の復讐なんじゃないのかな?
鹿児島本線で常に脚光を浴びていた、「はやぶさ」を九州から追放して東北新幹線に追いやり、
ブルトレ時代地味で不遇だった「みずほ」を最速列車に設定し、一躍脚光を浴びさせた。
本来「はやぶさ」こそ、山陽・九州新幹線の最速列車にふさわしい名前なのに。 >>107
そもそも九州新幹線は速達タイプがさくら、各駅停車がつばめの2種類の筈だったんだよ
その後さくらより上位種別の設定が決まったのでそれをみずほにしただけだよ 最速タイプの列車なら、「はやぶさ」こそが相応しいのでは? 同様に、東北新幹線の北海道連絡最速タイプの列車には、
「はやぶさ」ではなくて、「はつかり」こそが相応しい思うのだけど。 >>109
はやぶさはタッチの差で東北新幹線に取られちゃったからね >>107
みすぼは91年改正で早々と食堂車営業休止 ID:4zBA+7bi
今時こんな周回遅れの主張をしていることに唖然としている とっくに決着済で名称自体も定着している話に10年以上前のカビの生えたヲタ視点でしか見てない主張を今さら繰り返されても
だから何って話でしかないわな
あとはチラシの裏にでも書いてろと >>108
当時は速達列車となると見られていた「さくら」の停車誘致合戦が各自治体間で相当に白熱して収拾つかなくなったので、
最速達列車の愛称の「みずほ」が隠し玉として使われたってのが真相だからな
かといって特定地域にちなんだ名称をつければそれはそれで自治体と揉める元になるから、昔使われてたがその時点では
使われていない一般的な名称の流用となるのはごく自然な流れだわな
そもそもJR西との共同運航の列車なのに、みずほファンだったJR九州幹部社員の復讐だったとか、陰謀論として見ても
下の下しかない
はやぶさが使われるべきだったというなら、その前に日本の速達列車の象徴的名称だった「つばめ」を各駅停車の名称に
使っていることについて、JR九州として整理してからあらためて主張しろっていわれるだけだわな >>115
そんな俺様真理教みたいなこと言ってると、過疎るよw >>117
精一杯の捨て台詞ですね
ここはお前の日記帳ではありませんので
お疲れ様でした 自分が理解できないこと陰謀論で埋め合わせするのは教養が足りない証拠ですな >>119
あんた相当狭量な上に大人気ないねwww
やっぱ、ヲタってそんなもんなのかね。 自分が重度のヲタという自覚もないらしい
終わってますな 陰謀論全開のアホが俺様真理教を布教しようとして失敗しただけの話だわな 新幹線や飛行機や夜行バスに潰された感あるよな
サンライズは新幹線が通ってない主要都市を結んでる上に直流区間で完結してるため電車化で運行コスト削減できた >>122
思わず連投しちゃうほど悔しいわけねw
自分の気に食わない言論は一切認めない。
まるでバカサヨクみたいな言論弾圧体質だね。
普通、教養がある人はそんなことしないんだけどねwww 死んでも理解できなそうですね
もはや手遅れですので、残り短い人生どうぞお大事に 言論と陰謀論の区別くらいはつくようになりましょうね
一生係わり合いになる事もないでしょうけど ID:4zBA+7bi ← 50代以上でここまで知性と耐性のなさはヤバい ID:4zBA+7biには同意する人がいない時点で気付いてほしいわな 幾らIDを変えても、連投すればバレバレだよw
キモヲタそのものだね。
陰謀論だ〜!陰謀論だ〜!と発狂するバカは皆同じ。
そんな事だから禿げるんだよwww 自作自演扱いにしなくちゃ自我が保てないのな
糞なカキコしか出来てないし、ホントマヌケだねぇ >なので、浮かばれなかった「みずほ」を、山陽・九州新幹線最速列車に設定したのは、
>「みずほ」ファンだった熊本か長崎出身の、JR九州幹部社員の復讐なんじゃないのかな?
ばかじゃねーの? >同様に、東北新幹線の北海道連絡最速タイプの列車には、
>「はやぶさ」ではなくて、「はつかり」こそが相応しい思うのだけど。
JR東は早いというイメージを持てる愛称をと公募してJR他社にあらかじめ承諾をもらって「はやぶさ」と名付けたのに
「はつかり」こそがふさわしいって?
ばかじゃねーの? ID:4zBA+7bi ← 50代でこんな返ししか出来ないのはヤバい ID:4zBA+7bi ← 50代でこんな低レベルな返ししか出来ないのはヤバい ID:4zBA+7biもID:QBs5qEMpも分かりやすいマウント取りたがり爺さんだなw 目的が達せられなくなった人間は、愚かなほどそのことを認めずにその後の目的が嫌がらせに変わる >>140
ろくに反論も出来なかった復習爺の往生際が悪いだけだろ
>>141
まさにこれだな
ttp://pbs.twimg.com/media/FRJG4c8aAAAJ1EN.png
ttp://pbs.twimg.com/media/FRJIqLsacAA7Law.png 111で終わってるのに何故か煽りだしたID:QBs5qEMpもも十分おかしいと思うよ
平和に仲良くやろうぜ >>143
ではお前が責任持って ID:4zBA+7bi = ID:ol1N0RtV の面倒を見るということで良いね >>146
アホの相手は一手に任せたからな
こっちに面倒かけんなよ >>146
俺もコイツには関わりたくないのでお相手は頼んだ 客車の仕業検査は9日または3000kmと規定されてるが九州ブルトレだと計算上東京~九州を1往復するごとに仕業検査する事になる
西鹿児島まで行ってた頃の富士は片道が1500kmを微妙に超えてたがどうしてたんだろうか?
多少オーバーしても大丈夫だったのか東京と鹿児島の両方で検査してたのか
電車は距離での規定がなく10日毎 >>149
東京〜西鹿児島は、はやぶさも1500キロ超えてたぞ!
日豊本線経由の富士なら、1600キロ近くだった。
もしかして岩徳線経由の距離で計算してないか? 鹿児島で15時間あるからやっていた
ただし、上り富士→下りはやぶさの間(品川)は行えず、また鹿児島でほぼ22時間あるからそこで トワイライトエクスプレスも上りが1500km超えてた
大阪と札幌で仕業検査やってた? >>129
人を嘲笑う前に齢50にて自己破産の自分を笑いなさい。
あまりにも長年にわたり迷惑かけすぎです
冗談とウソはあなたのハゲ頭だけにして下さい
ほんと迷惑なんですよ。
書かれてることは事実です。 >>124
追加。
お前の毛の無い頭にゴールデンモップでも載っけてやろうか?wwww
カマヤツみたい風貌の金髪変態おじさんに変身やなww >>155
分割民営化の際、東海地方だけでなく中部・北陸も背負わせれば良かったのにと思う。 だからさ、東海ができたのは葛西じゃなくて
三塚なんだっての。
関西差別者が難癖つけたから
東海が出来た
それ以外の区域はオマケだよ
東海できてなかったら区域なかったんだし 近年、たまに東京に行くとリアルに空気が臭く感じることが多い。
下水の問題なんだってな。 >>161
昔からだよ。
地下鉄があるような都会はだいたい臭い。
でも、都会に住んでるときは全く気がつかなかった。
田舎に住むようになってから、都会に出ると、どこも臭い。 ブルートレイン全廃は国民のせいもある
日本は狭すぎる国なのに、あちこち新幹線や高速道路を通してるしな
どれだけせっかちなんだよ >>165
政治家の利権だろう。
整備新幹線なんて国民は望んでない!
自民党のバカ議員が勝手に法案化してしまった。 九州ブルトレって厳密には九州内で完結している列車だと思う
つまり夜行の『かいもん』『日南』だけ 急行はブルトレに含まれない
座席車連結列車はブルトレに含まれない
と主張する向きも多かったはずだが >急行
20系使用の急行はブルーエキスプレスなんて言い方もあったかと。
上り銀河には乗った。 >>171
その言い方はケイブンシャ大百科でしか見たことない
少なくともコロタン全百科では使われてないと思う >>169-170
戦後「九州特急」という呼び名が先にあってだな、東京←→九州を直通する特急という意味な。
なぜ九州寝台ではなく九州特急と呼ぶかといえば
あさかぜ20系デビュー時は座席車が存在したし
また旧客の寝台者や座席車で組成された特急もあった(登場時のはやぶさ等)
当時は東京九州みたいな長距離夜行でも必ず座席車は在った。
でその九州特急が寝台専用列車化するのはもっと時代が下がった後
別の「九州寝台」という呼ばれ方も出てくる。
それとは別に、ブルートレイン(ブルトレ)の愛称だが
その呼び名は民間の非公式から始まり、国鉄公式に遡及するのは1966年頃かららしいが、
流星のシンボルマークなんかと共に宣材として発信→一般化するのは
少なくとも1970年台後半以降だろう。
組み合わせアレンジで「九州ブルトレ」という呼び名が出てきたのだろう。
どちらにしても主流ではない呼び方かな。
ブルトレ好きの人間だと九州特急で通じるし オウムかよ
406 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2022/10/09(日) 08:51:09.56 ID:lqfdswrx
ググレ加須 MonoMaster(モノマスター) 2022年 11月号の付録はお勧め
11月号の特別付録は、鉄道開業150周年記念!!!!ブルートレイングッズ豪華3点セットが登場!!!!!
ヘッドマークのステッカーは以下8路線
★あさかぜ ★さくら ★はやぶさ ★みずほ ★富士 ★あかつき ★彗星 ★なは
★懐かしいブルートレインそっくりポーチ
★懐かしヘッドマークのステッカーシール8点
★ステッカーも飾れる!トレイン顔キーホルダー
tkj.jp/monomaster/202211/
monomax.jp/archives/136108/ >>181
tkjだから東海交通事業?と思ったら宝島社のURLか。笑 新幹線否定厨www
時代に取り残された老人そのもの
まあ、札幌と長崎が全通すれば、もう良いけどな 博多と長崎をフル新幹線で結ぶのは不可能
あきらめてくれレベルなほど乗車人数が少ないのはすでに実証明されているし、何度も乗せられてきた長崎の口車にこれ以上乗るバカは本当のバカ
逆に札幌は全区間JR東日本が保有した場合においてのみ、東京−札幌間片道4時間切りが可能な追加設備投資が行えるため有益
現状の新青森以北がJR北海道保有のままでは、貸付料が高くなる260km/h越え運転は技術的には可能だが経営上は不可能
東京−札幌間片道4時間切りに必要な最低320km/hを地上設備の改良なしには環境基準を超えるため技術的にも不可能 新幹線は西は博多まで北は盛岡までで
もう効用は限界だったと思う。あとは土建自民
のエサになっただけ。並行ローカル線廃止で
地元に大変悪影響さえある。
LCCで5000円で東京札幌飛べるのにその
4倍5倍出して4時間かけて行くバカがいるのか?飛行機怖い金正恩位だろ乗るの。 ぼくのかんがえたガーを展開すんなウザい
懐古の場で >>173
東京発着寝台特急で20系普通座席車が連結されてたのは「あさかぜ」以外にもある
さくら:ナハフ20・ナハフ21、1959.7.20〜1965.3.19
はやぶさ:ナハフ20・ナハフ21、1969.7.20〜1965.3.19
みずほ:ナハフ20・ナハフ21、1963.6.1〜1965.9.30
富士:ナハフ21、1964.10.1〜1965.3.19
[参考]あさかぜ:ナハ20・ナハフ20、1958.10.1〜1965.9.30 >>173
昭和はじめ生まれのオヤジは単に「夜行」
「夜行のさくら」とか言ってた気がする。
ブルトレとか言ってたのはウチらナウなヤング世代からだろう。
因みにオヤジ夫婦が九州から上京する時に乗ったのはさくらの座席車だったらしい。ナハ20か
ナハフ20か。もしかしたら後ろ窓が平面2枚の
ちょっとかっこ悪いナハフ20初期車だったかも >>185
菅原文太も飛行機嫌いで、亡くなる数年前に東京〜博多を京都で1泊し、新幹線で2日かけて行った。
ただそんな人物はレアケースで、大体飛行機使うよな。
そんな時代に並行在来線の多くを犠牲にしてまで、札幌まで新幹線延伸したい奴の気が知れない 並行在来線は新幹線が通るか否かに関わらずいずれ破綻してただろ >>173
50年も前だけど、
博多行の「あさかぜ」の最後尾が1両だけ3等の座席車で、
徳山まで乗った事があったけど、
夏で冷房が超利いて、
隣のノースリーブの女性はガタガタ震えていた。
冷房が苦手のおいらはその準備は万端で、
彼女に上着を貸してあげたら嬉しそうにしていた。
おいらが徳山で降りる時に上着は返してもらったが、
その上着にお化粧の香りが残っていたのは淡い思い出。 日本は狭いのに新幹線や高速道路が多すぎる
一般道ですら昔より舗装されたり車線が増えてるから、そっちで我慢しろよ
宅急便の時間指定といい、せっかちな奴が増え過ぎだわ >>192
>日本は狭いのに
え?
ttp://pbs.twimg.com/media/B7JJhsPCIAAszEN.png 新幹線が開通するまではあさかぜも東海道山陽の区間特急の補完の意味合いもあったという事だね。いわゆる九州島内での有明やにちりん補完のヒルネ客、みたいな。
プラス頭数は稼げるから寝台に溢れた客を
吸収することも出来た訳だ。
しかし丸妻に平面窓2枚のナハフ初期車は格好悪いな。窓作り替えようとはしなかったのかな。
感じがする。 夜行列車マンセーも、度を越すと単なる滑稽爺さん化する ID:CoeXmdlf はまずスマホとPCを捨ててからそれを言え たらぎ、テール幕が残念な状態のままだな。
https://pbs.twimg.com/media/FiF5a-EaUAEJ42r?format=jpg&name=large
本物にこだわる必要ないし、
キレイでズレてないように、誰か「付け鉄」してほしい。
俺は持ってない 1レさくらは区間によって所定で機関士2名乗務があったみたいだけど
やはり担当する乗務員区所にとっても別格だったのだろうか ここの板って、
「大阪・九州ブルートレイン」っていうスレは無いみたいなんだが
大阪の人々は、あまりブルトレには思い入れがないのかね?
彗星とかあかつきとかいろいろあったろうに >>202
新幹線博多開業で全列車食堂車がなくなったどころか、車内販売なしの列車が多くなった上に、
1976年11月国鉄大幅値上げで値段がバカ高く競争力がなくなり、飛行機などに転移して
衰退の一途を辿っていった。
そして通常期は悲惨な乗車率だったので、思い入れがないだろうな。 >>202
以前は「明星なは彗星あかつきの時代」ってスレがあったんだよ。
当時はここのスレタイもちがってたが。
このスレは廃止後しばらくいろんなスレタイが用いられて、
その後、現役当時に路車板で使われてた現在のスレタイに落ち着いた。 >>203
関西-九州のインフラ移動は往時から現在でも瀬戸内海航路が複数あるからね。
寝台好きの俺でも彗星は乗らなかったくらい。乗車時間短いし高いし開放式モノクラス
「なは」「あかつき」はソロが良かったのでたまに乗ったけど 九州特急といえば、東京、関西から九州に向かう一群の寝台特急のことだったが、
今やどう検索してもJRQの水戸岡作品しか出てこない。 >>205
彗星の日豊本線方面は本当にお気の毒だった。
フェリーの港が別府や日向などにあって、露骨に競合してた。
それで日豊本線が距離が長い上に、起伏と単線区間が多くてスピードが出せない悪条件。
更に航空機も伊丹〜大分・宮崎が福岡より短く、国鉄時代で価格規制撤廃以前に航空機は彗星のB寝台利用より安かった。
でも国鉄時代、あかつきも明星・なはも振るわなかったから、分割民営化直前に最小限まで減便されただろう。新幹線博多開業時は明星だけで7往復あったけど。
まあ特急・寝台料金は、東京〜九州で乗っても、関西〜九州で乗ってもほとんど変わらなかったから、関西〜九州て寝台特急利用は割高感があったと思う。
それに長い間、二段式B寝台だけのモノクラス編成が多かったのもあるし。 大阪発着夜行は新幹線乗り継ぎで幅広いエリアを補完してたんやよ ほとんど山陽新幹線で置換できた
47年の沖縄復帰で新婚旅行先が宮崎から沖縄へ移ってしまったこともある
一番ひどかったのは国会議員が無能すぎて、運賃値上げを認めず赤字を減らせとほざいたから、運輸大臣の判断だけで行える料金大幅値上げをせざるを得なかった事(50.11.20)
これで首都圏国電暴動(48.4)で逃げられた貨物に続いて、旅客も逃げはじめたところでスト権スト突入(50.11.26〜)
その後も段階的に値上げすればいいのに、51.11でトドメとなる運賃・料金50%以上値上げ
※運輸大臣の判断だけで運賃も値上げできるようになるのは、52.12.16の「国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道法の一部を改正する法律(昭和52年法律第87号)」が施行された翌年3月末から
少なくとも53.10で東京九州ブルトレは全廃し、静岡発着へ短縮しなければならなかった
名古屋は手狭であさかぜを金星化しても新たに4編成を収容できなかった 広域カバーというけど、少なくとも2000年夏はこんな状態
東京1852→「のぞみ27」→2335小倉2350→「ドリームにちりん(下り)」→0651宮崎
東京1956→「のぞみ29」→2314岡山2320→「こだま595」→2343福山0017→「彗星」→1026宮崎
宮崎1630→「にちりん14」→2105小倉2126→「のぞみ502」→2337新大阪→大阪0037→「サンライズ出雲瀬戸」→0708東京
宮崎1748→「彗星」→0510岡山0606→「のぞみ2」→0924東京
宮崎2330→「ドリームにちりん(上り)」→0533小倉0652→「のぞみ6」→1128東京 1000q以上ならともかく、600〜800q程度なら新幹線&ホテルより寝台列車のが効率良いのに
新幹線だとホテルを確保する必要があるが、寝台列車ならグッスリ寝て移動出来る
285系サンライズが人気なのも解る ホテル代わりのグッスリで出雲だの高松だのに人気と言えるほどの需要があるとは思えない。
寝ないでV撮ってる乗ることが目的のヲタ需要ジャマイカ? 同じ座席のあかつきレガートとムーンライト九州座席(シュプール&リゾート)と夜行高速バスを乗り比べたけど、
レガートはぐっすり
シュプール&リゾート(オハ)は最大限倒すとぐっすりに近くなるものの、後ろに人がいたら揺れる
余り倒さない場合でも翌日にはそれほど響かず
夜行高速バスは余り倒せないし、小刻みの振動がすさまじく、翌朝からホテルないし会社の安静室に入って一旦寝なければまともに行動できない
今でも品川−京都間ノンストップ新幹線なら2時間切るから、早朝始発で1往復設定すれば夜行高速バスから客を獲得できる ところで、ブルトレA寝台の列車名入りオマケタオルの新品って、需要あるの? >>216
富士かはやぶさのA個室に備え付けてあったもの? >>214
それは偏見
サンライズの乗車率は武漢肺炎下でも平均6割超え
その6割全てが寝ないでV撮ってる乗ることが目的ならネットアップの数が少なすぎる サンライズの採算は減価償却が終わっているため黒字になっている
減価償却が終わっていなかった時でも分岐点は8割程度と中の人が言ってた
ただし、リニア名古屋開業で列車自体が廃止だから後継車両は出てこない サンライズの定員280の6割で160人
高松米子松江出雲(あえて岡山除く)で前泊する人は何人なんだろうかねえ
逆の需要(各地発東京前泊)でもいいが >>219
富士ぶさのA個にビニール袋入りで置いてあったやつ。 >>222
サンライズが黒字なんて言ってるやつ誰もいないぞ
リニアと関連性があるとも思えんし
開業まで車両が保つとも思えん 「ぼくのかんがえたそんぱいろん」やめてくれ
どっち側でも、うざい 減価償却できてるからカツカツ黒字程度では、後継の新車は出ないな・・ >>222
更新工事で新たに減価償却が発生してますが ガキがわめいている
285系は1998年製だから、2010年分で新製時の減価償却は終了済
改良費が製造当時の新製費の半額を越えていないと思うから、電車の減価償却の耐用年数(13年)の2割=2年※
※2年を超えている場合は小数点以下端数切捨て
2016年までにリニューアル工事が完了しているため、改良分の減価償却は2017年分までで終了 改良費なんて区分ないから
知ったかこいてるのが丸分かり 減価償却が終わってるから黒字だなんていってるのは怪文書堀内重人くらいだぞ >>229
B専は知らないだろうが、Aのおまけタオルは持って帰れるんだよw 100万円で100回フル稼働しても売り上げで1億。
減価率なんぼや? >>236
俺は明言を避けただけなんだが、それも理解できてないって
ガチハザ客はそっちでは?笑
旅客が乗ってこなかった空き個室から盗った泥棒乙 もし今も博多あさかぜがあったら、富裕層やYouTuberが乗って話題になったのに・・・
ただし、カシオペアやトワイライト並みの設備にしないとダメだけど
東京ー博多は約1200qあるから、16時間かけてノンビリ乗るのもありだけどな キモ鉄ヲタ防止で全車2人用のグレードの高いA個室専用で2名分の乗車券セットにすればいいのに >>242
それならカシオペア車両を充当すればいいけどw 博多あさかぜ20系終了で、ナシ20・ナロネ22消滅から45年経ったか! ナシ20の形式消滅は35年半前の1987年3月31日 >>240
実際、東京では『あさかぜ』や『はやぶさ』が入線後したら不正乗車して盗む奴が多かったみたいね。
たから発車後の検札で車掌から乗客へ渡す手順に変えたとか。
コロタン文庫のブルトレ全百科にそんな記述があった。 6回乗れば6枚もらえる。
もちろんA寝台にな。
B専は盗ることしか考えていないようだw >>248
↑言われて初めて知った負け惜しみにしては苦しい言い訳だな。
ガチB専の自己紹介君(笑)
>>246
しかし富士ぶさ末期は再び事前置きになってたね。
ただし、リネン類の下に隠し置いていて
車内改札時にレチが口頭で伝える式に。 小学生のときBネに乗ったらレチ氏が内緒でくれたボクは勝ち組?
もう斜陽化していた時代だから余っていたのかな
40年近く使えずにずっと取ってある >>250
それがいつ頃か分からないが、A個室の利用者が極端に少なかっただろうな。
小学生でブルトレ好きそうだったから、車掌から粋な計らいだっただろうw >>250
なにも車掌に限らず、昔の大人は子供に優しかったわな。 鹿児島本線ブルトレの付属編成を久留米で分岐して久大本線経由で大分行としたり、
日豊本線ブルトレを大分で分岐して豊肥本線経由で熊本行としても良かったのにな >>254
湯布院行きとかならちょっとは需要あったかな?いや、なさそう 久大本線や豊肥本線で客車の優等列車はキツイんじゃね? 豊肥本線は言うまでもなく、立野のスイッチバックに阿蘇外輪山登りはDE10重連でもきつい
久大本線も久留米−日田間は大したことはないけど、そこから大分の手前まで25‰半径300mばかり
DE10単機で4両程度だから、大分駅での対面乗換で我慢してもらうしかない 熊本行きみずほの14系のうち、3両だけ豊肥線阿蘇、あるいは肥薩線人吉まで延長運転させるとか・・採算取れるならやってるだろ。
SL人吉の客車3両を熊本からDL牽引で豊肥線に走らせる企画運行列車があったが、これはDE10重連だっけ? スイッチバック厳しいから、DE10重連でみずほ、水前寺延長運転・・やる意味あるのか?? 特急料金は601km以上になるといくら乗っても変わらない
迂回により運賃は無駄に跳ね上がり時間も無駄にかかる
大きく迂回になる経路で走らせると下りは下手すれば夕方に終着、上りは午前の始発になり、1編成余計に必要になる
そんなブルトレを久留米経由で大分とか、大分経由で熊本とか、増収効果も競争力も全くないのに性能の低い客車列車をあえて大きく迂回させて
長大な単線区間に乗り入れさせる意義なんて、利便性、経済性、運転、運用、営業面とありとあらゆる面で一切見当たらんぞ 久留米経由で大分も大分経由で熊本も終着駅には他のブルトレとは逆向きでの発着となるから、
運用面ではそのまま上りに折り返しとする以外やりようがない >>254
お前の自己満足以外に何のメリットがあるのか 利便性や経済性を考慮された結果、九州ブルトレは一掃されちまったからな
七つ星とかは高過ぎて乗れないし
誰かに八つ当たりするしかないんだろ >>266
バカはハッキリ言ってやらないと判らないからな それでハッキリと馬鹿を晒してる>>268が怒り狂ってるということか >>269
なるほど
お前みたいな読解力のないバカにはそう見えるんだな と読解力の意味は疎か読み方も知らない馬鹿が激怒してます そろそろやめとこうや
さくらの車内で提供されていたというちゃんぽんや皿うどんを食べたことある人の感想きぼん 良いこと思いついた!と>>254を書き込んだのにフルボッコにされたのが受け入れられないガキなんだろ
理屈では言い返せないから>>266で人格攻撃に走ってるところがまさにガキの証 >>246
同じコロタンには「下関に到着して牽引機を交換する下り『富士』から降りて先発する普通列車に乗ると門司で進入しているく後発『富士』を撮影できる」とかの情報もあったな >>272
1978年の暮れに"さくら"に乗った時に初めて長崎ちゃんぽんを食べたが
ちゃんぽん・皿うどんは400円でどうせタンメンみたいな物が出るのだろうと
あまり期待はしてなかったけど丼の下に皿を敷いたちゃんぽんが運ばれたので
早速食べたら具沢山で美味く汁も残さずに完食。
帰路の"さくら"では皿うどんを食べるが細い揚げ麺の上に中華旨煮みたいなのが
乗ってるので酒の肴に合うと思い瓶ビールも同時に注文して味わったが和カラシを
付けて食べたり酢を掛けて食べたり美味しかった。
しかし国鉄がJRになって直ぐにはやぶさか富士に乗った際に郷土料理復活で食べた
皿うどんはレンチンか湯煎でレトルトの具をかけた物で酢を所望しても無いとの事。
ここが日食長崎営業所と日食上野営業所の違いなのだろうが食べ終わりかけの
時にありましたとまだ未開封の小瓶に入った酢を持ってきたけど既に時遅し。
ちゃんぽんは はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ を担当する日食門司営業所でも
食べる事が出来たけど美味しかった。 >>278
おお、詳しくありがとう!
一度は食べたかったが、
後半に書かれているような代物だけ味わったとすると、思い出には残り辛かったかも知れないなぁ… 東京・九州ブルトレが14系や25形に置き換わって25形編成の食堂車が付属編成になった以降から暫くの間は
片道で一番長い時間食堂車を営業していた列車は『さくら』って事になるのかな 「(博多)あさかぜ」24系25形化から「トワイライトエクスプレス」運転開始までの間なら、
食堂車併結編成運転距離1位は14系14形「さくら」
(省略)→はやぶさ.ナシ20→富士.ナシ20〜オシ24→さくら.オシ14→トワイライトエクスプレス.スシ24→北斗星.スシ24・カシオペア.マシE26→(全廃) 九州ブルトレでふと妄想したのが、
90年代前半辺りに個室主体にしてたらどうだったか?
ということ。
勿論その時点で定期は2列車併結の1本程度に集約せざるを得ないが。
編成例で言えば、
東日本24系博多あさかぜベース
(カルテットはBコンパートとして使用)
+
九州14系(24系から改造含む)
(ソロ・シングルDX・ロビー、カルテットは同上)
※当時は九州の24系⇒14系改造も進んでいなかったから、東日本側が改造でも
はくつるにロコは連結できなくなるが、青森の24系はロネ含め出羽廃止分が余ってたし、余剰の金帯ハネでどうにでもなったろう。
末期のなはつきが個室主体でも悲惨だったから、大して変わらないかぁ…
と思う一方で、アレはアピール不足+遅くに失した面はあっただろうし。。。 >>282
民営化で4社に跨ったので、思うようにいかなかった要因がある。
車両を受け持っていた九州と東日本は、自社走行キロが短くて改造費をかけたくなかったのもあるし >>282
タラレバは意味がない。
ぼくのかんがえたそんぞくろん、は不要 ぼ、僕は、タ、タラレバよりニラレバがいいな(裸の大将の声で) >>283
> 4社に跨がっていたので
だからこそ早い内に資源を集約しておいたら、、、
と思って書いたが、
本数を少なくした時点で客レ自体が異端児・厄介者になるから、電車化されなかった時点でどの道終わりだったと思い直したよ。
ところで、博多あさかぜが一早く消えたのは、区間が他と被ってたのが主たる要因だよね?
(車両を九州保有に一元化した、というのは副次的なものと理解している)
車両を保有するか否か、をアボイダブルコスト目線で見れば、
東日本は00年代初頭まで多くの余剰寝台車を保有していたし、
所属が同じ出雲が暫く続いていた以上、運行コストを理由として東日本が手を引いた、というのは疑問なのだが。 >>286
それに加えてのぞみ運行開始で思った以上に減りが急だったのも大きな要因かと >>286
いち早く消えたのは「博多あさかぜ」と「みずほ」
食堂車の営業がいち早く休止になったのは「みずほ」 > 所属が同じ出雲が暫く続いていた以上、
「出雲1・4号」は「博多あさかぜ」廃止と同時に所属は車両と共に品川から尾久へ移管 そして品川は14系・24系ともに寝台車の配置が全てなくなっている 94年のみずほ廃止で余剰になった14系は廃車になったの? >>291
1994年12月の改正で「みずほ」は廃止となったほか、「さくら」は付属編成が東日本から九州へ移管された
九州は「みずほ」の廃止で捻出された14系を「さくら」の付属編成へ転用、「さくら」は基本・付属共に九州の担当となる
一方で、それまで「さくら」と「みずほ」の付属編成で運用していた東日本の14系は28両全てが尾久へ転属となり、
しばらくは臨時「あさかぜ」で使われた後に老朽化により順次廃車となってる >>286
博多あさかぜは、ギリギリ国鉄時代のグレードアップ改造だったのが、結果的に限界になってしまった。
国鉄が大赤字で予算的に切り詰められていたのと、国鉄分割民営化前後はまだある程度の輸送量があったので、当時は北斗星やトワイライトのような思い切った改造ができなかった。 ナロネ21に乗ったことはないが、オロネ10には乗ったことがある。 八代以南に最盛期は
はやぶさ、なは、明星と3本も夜行特急走っていたんだな >>297
最盛期だと関西発着の寝台特急4〜5往復が西鹿児島まで行っていた。
でも熊本までと比べたら、需要は減退。
みずほもあれば、熊本止まりの明星も本数があった。 >>289
それは単に所属が移った(客車を尾久に集約させた)ってだけの話だよね。
その後の出雲も基本的には品川常駐だったワケで。。。 >>299
何言ってんの
出雲用の客車は転属してからは交番検査を全て尾久で施行するようになり、頻繁に尾久と品川の間を東大宮操経由で行き来するようになってただろ 品川運転所は1994年12月の改正で24系のほかにサロンエクスプレス東京や江戸、14系寝台車・座席車、1号編成など、
ホキ以外の全ての客車が尾久に移管され、車両基地としては事実上閉鎖されてる 新幹線品川駅建設のための用地確保ですね>品川運転所廃止 東北、上越新幹線ホーム増設で潰された東京駅11、12番線と着回し線 >>303
東海道新幹線ホーム新設と増設で潰された13~16番線
senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-c0d6.html 新宿駅に上越新幹線延伸するなら地下になるのか
まず無いだろうけど >>305
どこまで掘り下げるんだろうな
一番深いところにあるのは新線新宿駅だったかな、そこより更に下ってことになるな
で、その駅に至るまでの線路(赤羽あたりから分岐?)も大深度地下で整備しなきゃいかんから
まあ、実現は不可能だね せっかくグレードアップされた博多あさかぜだが、実は東京-北九州エリアの利用は少なく、ほとんどが東京-広島・山口の各都市だって話が、昔出版されてたイカロスムックあさかぜ特集に載っていたな >>307
新幹線博多開業以降は、そんな傾向だった。
それがあり、分割民営化後の両端会社の利用が少なく、九州ブルトレで早期消滅になった。
分割民営化前は、そんな事を想定してなかっただろう。 早めに、グレードアップあさかぜの運行区間を下関までに縮めておけば、運行コスト削減、車両の老朽化も多少なりとも抑えられて、今の「旅を楽しむ」列車への切り替えもスムーズにいってたかも知れないな ないない
内部のコスト削減と利用者的利便性とは真逆。
列車単体における利便性は博多直通が圧倒しとる
その状態でダメだったんだから
下関短縮なんかやっていたところでもっと減る。
はやく減らして廃止させたい段階的施策に限り
短縮は効果的 >>307
それは単に山陽地区客に利便のよい到着時間帯だったからだよ。
もちろん新幹線が出来たからではあるけど、単に「できたから」ではない
博多をふくむ終着地区は朝が遅めでしょ、
それらの人が寝台列車に乗ってた頃は「直通需要>朝遅い」だった。
が、新幹線ができて「新幹線で直通>朝遅い寝台直通」になった 夜行列車の強みは新幹線より早く終点に着けることだからね >>306
新線新宿駅の上に上越新幹線用の空間が用意されてる 「あさかぜ」の死因は新幹線でも「のぞみ」でもない。
市街まで5分の福岡空港だろ。
早朝出て昼前に着く中途半端さが「あさかぜ」よりマシとは思えない。 あさかぜ1・4(博多あさかぜ)号廃止は、
1993年つまり廃止の前年に地下鉄が福岡空港まで延伸されたことで、ほぼ時刻通りに空港へ到着できて東京−博多間の所要時間でも負けたため
博多あさかぜの場合
1956.11 旧客時 福山、広島、徳山、小郡、下関
1958.10 20系時 尾道、広島、徳山、三田尻、下関 >>303
東北、上越新幹線ホーム増設で潰されたのは
東京駅11〜13番線と上野駅を結ぶ線と着回し線
因みに11番線はホームがない通過線用の番線 >>319
11番線も機回し線でしょ
ただホームがない線路にまで旅客案内用の番号を付けていた例は東京駅の他になかったって話だが本当なのかな 東京駅はもともと、優等列車用プラットホームが2本(12・13、14・15)で、
その両側に機回し線(11、16)がバランスよく配置されてたんだよ。
東海道新幹線(16・17、18・19)で16番線が削られ、
東北新幹線直通ホーム増設(15)で14・15番線が削られ、
そのホームのもう片方(14)の使用開始で13番線がなくなった。
この時点で、上野方面も行き止まりになった。
ここまでが国鉄時代の変遷 その上野方面は行き止まりになったが、30余年を経て上野東京ラインが復活するとは。 >>320
>東京駅の他になかった
どこから聞いたのさそのガセネタ 14年前の今頃、富士はやぶさラストラン後の余韻に浸ってる頃だったな。 >>324
もう14年になるか!早いものだ。
朽ちた九州ブルトレなんか興味なくなってたけど。
食堂車営業全廃からは、もう30年になるなあ! >>326
ラストランだよね?
いかにも3月っぽい空の、風の強い日だったなあ。 博多駅も在来線ホーム減らして、その部分を新幹線ホームにしたっけ
新幹線が増える度に味気無くなって行くJRの列車たち >>327
天気は良かったのは覚えてるが、風は覚えてないな
天気と関係あるかわからないが日豊線の対向列車が遅れてダイヤが乱れてた
「このまま更に遅れてはやぶさよりあとの到着になれ」と内心願ってたが
結局そこまで大きくは遅れなかった >>329
花粉症だから敏感だもんで強風はハッキリ覚えてる。
遅延に関しては、2時間過ぎてたっけ?ギリ以内だったっけ?
車内で親しくなった人たちと「さすがに今日は誰も文句言わんわな」と苦笑いした記憶がある >>330
1時間59分遅れだったな。
下車後は湯布院まで行ってトロッコ列車に乗ったよ。 あさかぜが北斗星並みに豪華なら面白かった
東京ー博多も約16時間掛かるから、観光に特化した列車のが向いてたな >>332
当時姫路で高架工事をやっていて、途中駅で遅れて工事開始時刻までに姫路を通過出来なかったんだよ。
それでも回復運転に努めて払い戻し対象となる2時間遅れにはしなかった。
ただ2時間遅れになっても払い戻す奴はいなかっただろうが。(特急券回収されちゃうからね) >>333
あさかぜはグレードアップが国鉄時代だったのが災いした。
またある程度のビジネス需要が国鉄時代からあったのもある。
北斗星は分割民営化後に登場で、当時でも東京〜札幌のシェアが飛行機の独壇場だったので、あそこまでできた。 >>335
東京~福岡も飛行機の独壇場じゃん
ましてや鹿児島ならもっと 地下鉄が福岡空港まで乗り入れる以前は、飛行機と鉄道はほぼ同率だった
あさかぜ金帯はプロトタイプだから仕方ないし、
ソロも中央廊下・レール方向寝台が誕生したのは1991年から
それまでのソロは側廊下・枕木方向寝台で、どうしても定員が大幅に減る(開放34に対して最大でも個室20)ため二の足を踏んでいた
設備投資としても、300系のぞみの始祖となる100系によるスーパーひかり構想があり、順調に進めば数年で博多あさかぜは消滅する予定だった
2階建て車両を外してN700系からやっている全周幌を追加すれば275km/hは達成できたと思われるけど、東海道側がAT饋電化されるのは1991年 >>337
> 地下鉄が福岡空港まで乗り入れる以前は、飛行機と鉄道はほぼ同率だった
初っ端から出鱈目w >>334
その姫路駅構内(東側の電留ある場所)で最後の離合したよね。
自分は、あれ見てから寝た。そして広島手前で起きた >>340
でも東京〜札幌のような極端なシェアではなかった。
昔から鉄道で乗り換えなしで行けたのがあっただろう。 阪神大震災で東海道本線・山陽本線が不通になっていた時、寝台特急「富士」の編成は、
東海道本線・山陽本線が復旧して全通するまで南宮崎駅に長期留置されていた。 >>342
言い訳すんな
>>343
対東京じゃなきゃ意味ないだろ
ここ何のスレだよ 名古屋つまり中京あたりは含めてもいいと思うんだ
だめかな >>345
だったら言い訳の根拠を証明しろよ!
このタコ野郎! >>348
逆ギレしてんのお前じゃんw
出鱈目書いといてみっともないぞw ブルトレなんて途中停車駅があるから、区間を限って表記しなければ全般を指すに決まっているだろう
今回は片方博多に限定していたけど、東側はどこの明記もされていないから、東京(関東)・名古屋(中京)は含めて当然
それを最初からお前の価値観で決めつけて、それと違うから明記しろとお前ルールで強要するなんて、どれだけ自己中なんだ
まずは「それはどこと福岡のシェア?」と質問しないと >>350
で、どことどこのシェアなんだ?
ソース付けて教えてくれ >>350
で、
333や335読めないのかお前は?
東京-福岡の話だぞ またお前ルールで強要か?
引用・返信レスではないから、つながりがないのは当然
ほんとに春だねぇ >>353
> 引用・返信レスではない
じゃあ何で唐突に?
それもどこのシェアかも書かないで
自分ルールは明らかにお前の方だわな
で、
> 地下鉄が福岡空港まで乗り入れる以前は、飛行機と鉄道はほぼ同率だった
これの対象区間とソース早く出しな
出鱈目書いて引っ込みがつかなくなったからって見苦しいやつだなw 1人勝手にキレている奴がいるw
自分の知識不足を棚に上げてw コイツ、50系スレで連日暴れまくって焼け野原にした超ど級の基地外じゃね? >>337
博多あさかぜが最後まで20系で残ったのは20系が引退する時点で廃止するつもりだった説あったよね?
他にも敢えて博多あさかぜが最後まで20系で残った理由はあったようだが 1978年2月改正まで博多あさかぜを20系から置き換えなかった他の理由はこんなもんだったっけ
・アッパークラスによる旺盛なA寝台需要と、独房とまで言われたオロネ25の評判の悪さ
・品川配置のカニ24-0では対応出来ないほど旺盛だった対博多の新聞輸送需要
・廃止となると、山陽道は影も形もなく中国道も荘原までしか開通していない状況で、この新聞輸送需要を何で受けるかという問題
・現行のままの運用ではこれまでオシ14の改造とオシ24で賄ってきた食堂車の種車が捻出不可
>>337
「20系が引退する時点で廃止」って一瞬ん?と思ったが、「あさかぜ専用の20系が引退する時点で廃止」って言いたかったんだよね? >>359
ナロネ20/22の1人用ルーメットは見てたらそんなに広くなさそうだけど独房感はなかったんかな? >>361
窓が大きかったので独房感はなかったんじゃないの >>361
リアルに利用したけど、独房感はなかった。
寝台にすると個室内スペシャルを全部取ったけど。
シングルツインの上段寝台を撤去して、折りたたみの洗面台が付いた感じかな。
海外に行けばカナディアン号や、オーストラリアのインディアン・パシフィック号の1人個室は、20系個室と同様の造りなので、機会があれば利用してみれば? >>358
国鉄時代の当時は、九州ブルトレは格が高かったので、博多あさかぜ廃止の方針はなかった。
元祖のブルトレだったので、扱いに苦慮したのだろう。
>>359の唱える理由もあったけど。 >>359
オロネ25は部屋を横長の構成にして、寝台のセットをセルフサービスにしたので、ソファー利用時は正面にすぐ壁と大鏡があるのと、窓際に洗面台があったため圧迫感が生じた。
またベッド兼ソファーも硬く、幅が70センチだったので、寝返りも不自由だった。
分割民営化後、富士・はやぶさにソロができると、値段と設備からA個室を選ぶ選択肢はほぼ無くなった。 晩年目線で言われてもな。
たしかに登場時から揶揄されてたらしいけど、
当時の視点では一人個室はまだまだ画期的
(その嚆矢は20系ルーメットだが) >>366
揶揄のされ方が、「これなら開放A寝台の方がいい」だった わし先にBソロ個室に乗ったからシングルデラックスは
なんだかんだで値段の分だとは思ったよ 通路が山側で車窓から富士山が見えないことも不評の一つだったと聞いた フルフラットにできるリクライニングシートで、起こした状態なら個室内でも回転して、
進行方向に合わせることができるロネの模型を作ろうとしていた厨房の頃。 オロネ25は、合理化を言う割りには個室寝台をよこせとほざく国会議員への当てつけで作られたものではないだろうか?
オロネ24も3段で登場した24形が作られた昭和47年度第3次債務以外作られていないし、オハネ24・オハネフ24が2段化されるまでずっと3段のオハネ24・オハネフ24に連結されているから、
ゆくゆくは2段モノクラス化の方針だったと推察される
オロネ24 9両 昭和47年度第3次債務 1973.8/1973.9 向日町新製配置
あかつき・彗星各2往復 1973.10〜1975.3 向日町
はやぶさ・富士・出雲 合計8運用 1975.3〜1976.10 品川
ゆうづる4往復 1976.10〜1978.10 青森
ゆうづる3往復・日本海1往復 1978.10〜1980.10 青森
あけぼの2往復(1編成に各2両連結) 1980.10〜1982.11 秋田
あけぼの2往復(1編成に各1両連結)、出羽・ゆうづる各1往復 1982.11〜1986.11 秋田 1982.12〜1983.7にかけてオハネ24・オハネフ24が2段化される ゆくゆくは2段モノクラス化の方針であったのなら、
24系24形使用の特急寝台列車は2段化の完了の際にオロネ24が編成から外されていたはずではないのか?
14系14形使用の特急寝台列車も2段化の完了の際にオロネ14が編成から外されていたはずではないのか?
1986年に銀河が14系14形から24系25形となった際、ロネは外すどころかわざわざオロネ14を改造してまでオロネ24を連結し続けたのはなぜなのか?
オロネ25が国会議員へのあてつけで作られたのなら、悪い意味での公平性の観点から
1978年に製造開始の14系15形はあかつきではなくオロネ15の製造と共にさくら・みずほ・出雲へ最初に投入されていたはずではないのか?
この辺の検証は必要かと思いますけど… 客車の減価償却:20年(その他のもの)
オロネ24(新製車)は1973年製だから、(国鉄のままでは)1993年まで使わないと会計検査院から指摘される
同様にオロネ14(新製車)は最新でも1972年製だから、(国鉄のままでは)1992年まで使わないと会計検査院から指摘される
1972年にナロネ22付20系から14系へ車両変更した「さくら」は開放A寝台のオロネ14だけになった
1976年前後で東北にてオロネ25が求められなかったのは、新幹線建設中でそんな定員の少ない車両を入れたらやり玉に上げられることが分かっていたから
答えになっていると思うけど >>372
関西発着ブルトレはB寝台二段化でモノクラスの方針だったが、東京発着ブルトレは
当時国鉄の看板列車で、A寝台需要もあったのでモノクラスの方針はなかった。
でもB寝台二段化で当時は従来の開放A寝台にするわけにいかず、苦肉の策として新製
した結果が、当該の個室寝台だった。
国会議員のためのものではない。 >>375
>1976年前後で東北にてオロネ25が求められなかったのは、新幹線建設中でそんな定員の少ない車両を入れたらやり玉に上げられることが分かっていたから
それは違う。国鉄時代は西から新製車が投入され、その余剰車両を東北方面に回してた。
24系客車も73〜75年は関西〜九州ブルトレ、75〜76年に東京発着ブルトレで、その後
ゆうづるに回された。
当時の国鉄は車両の全国配転は当たり前だったし、運賃・料金大幅値上げ直前で国鉄の赤字も
酷く、余裕がない時代だった。 それでもクハ481貫通・非貫通やクハ583なんかは、東日本に新製配置され、
その都度はじき出された古いクハ481やクハ581を西に送っていたよね
クロ481が組み込まれたみどりと併結のかもめは東北からの200番代だったなぁ >>375
すみません、答えとして全く理解出来ません
会計検査院の指摘を考えて2段化でニーズから外れたオロネを無理矢理運用してたのですか?
営業車として走らせ続けること自体それなりにコストがかかりますけど
ナシ20やキサシ180が国鉄末期にどうなっていたかは知ってますよね?
そもそも「外す=廃車」ではありません
ブルトレの削減で余剰が出たオシ14がその後どうなったかは知ってますよね? >>375
> 1976年前後で東北にてオロネ25が求められなかったのは、新幹線建設中でそんな定員の少ない車両を入れたらやり玉に上げられることが分かっていたから
すみません、一体何のことですか?
青森に25形が初めて配置となり、モノクラスでゆうづる2往復に投入されたのは1980年、それも新製ではなく向日町からの転入です
日本海には1976年から宮原の25形が投入されてましたが、青森に25形が1980年に配置になるまで東北で25形で走っていた列車は日本海だけです >>375
> 1972年にナロネ22付20系から14系へ車両変更した「さくら」は開放A寝台のオロネ14だけになった
すみません、1974年のB寝台の2段化が始まる前の1972年に行われた、さくらを3段の20系から3段の14系に置き換えた話が
今話している話といったい何の関係があるんでしょうか? > 新幹線建設中でそんな定員の少ない車両を入れたらやり玉に上げられることが分かっていたから
すみません、ここが何度読んでも理解出来ません、もう少し分かりやすく教えて下さい
新幹線が開業済の東海道ブルトレにオロネ25を投入したのは東北とは違いやり玉に上げられることはないと当時の国鉄が判断したからなのですか? >>378
当時の東北・奥羽系統は東海道山陽よりも最大編成長が短いのもあって圧倒的に輸送力が足りませんでしたからね
1978年当時の東北は、高速道路は東北自動車道がやっと盛岡南までつながったばかり、航空路線はプロペラ機ばかりでそれも高嶺の花、
良くも悪くも鉄道以外に選択肢はありませんでした
そりゃあ、あけぼのが1980年まで輸送力重視で20系で残るわけですよね >>383
さすがに1978年ともなると
> 鉄道以外に選択肢はありませんでした
これは違うと思うよ 1982年の東北新幹線開通までは昼行列車で移動に一日がかりも
普通だったし積極的に夜行列車が選ばれていたという理解なんですがそこは 50系スレで連投で暴れまくって焼け野原にした超ど級の基地外じゃね? >>384
1978年当時の交通事情の実態を知らないんですね
少しは調べてみたらよろしいのではないかと思いますけど
ちなみに都市間夜行高速バスの魁となった「ノクターン」の運行開始は、それから8年後の1986年12月です >>386
>>375であまりに認識が雑な薀蓄を巻き散らかしておきながら、それへの突っ込みにレッテル張りを投げつけてるあたりからして、
ひょっとして海峡用50系の投入後を民営化後だとドヤ顔で書いたのを突っ込まれたことに逆ギレして50系スレを焼け野原にした張本人ですかね? ちなみに田沢湖線と併走している国道46号線の岩手と秋田の県境にある仙岩峠の区間がトンネルの開通により通年運行可能になったのは1976年です
それまでは1966年開通の田沢湖線しかこの峠を超える交通手段はありませんでした
当時の東北はこの仙岩峠の他にも豪雪により冬季閉鎖となる峠が多々あるのが実態でした 海峡用50系の投入後を民営化後だと → 海峡用50系の落成時期を民営化後だと >>387
> 1978年当時の交通事情の実態を知らないんですね
> 少しは調べてみたらよろしいのではないかと思いますけど
知ってるから言ってるんですよ
もう既に航空機の利用は一般的になってましたよ どうやら根本的に認識が異なるようですね
ここは東京と九州を結ぶブルトレスレなのでこれ以上は続けませんが、当時の東北に住んでいた者としては違和感を禁じ得ません
参考に1978年当時の東北発着の航空路線と国鉄の特急列車と対東京の運賃を載せときます
特に国鉄の運賃と料金は1975年から毎年大幅な値上げを行い世間から叩かれまくっていた値段です
青森 千歳1往復(YS)、羽田2往復(YS)、伊丹2往復(YS) 対羽田の運賃15,600円
国鉄(対上野) はつかり6往復、みちのく1往復、ゆうづる7往復、はくつる1往復 運賃+特急料金で9,000円
三沢 千歳1往復(D9)、羽田3往復(D9) 対羽田の運賃15,800円
国鉄(対上野) はつかり6往復、みちのく1往復、ゆうづる4往復 運賃+特急料金で8,600円
花巻 羽田2往復(YS)、伊丹2往復(YS) 対羽田の運賃11,600円
国鉄(対上野) はつかり6往復、やまびこ4往復、ゆうづる1往復、北星1往復 運賃+特急料金で6,900円
仙台 千歳3往復(B2)、羽田5往復(B2)、伊丹3往復(YS)、名古屋2往復(B3・D9)、福岡1往復(D9) 対羽田の運賃8,100円
国鉄(対上野) はつかり6往復、やまびこ4往復、みちのく1往復、ひばり15往復、ひたち1往復 運賃+特急料金で5,200円
山形 羽田2往復(B3) 対羽田の運賃8500円
国鉄(対上野) つばさ3往復、やまばと3往復 運賃+特急料金で5,400円
秋田 千歳3往復(YS)、羽田4往復(YS)、伊丹2往復(YS) 対羽田の運賃11,000円
国鉄(対上野) つばさ3往復、いなほ3往復、あけぼの2往復 運賃+特急料金で7,600円 >>383
あと485系や583系が新しいめな車両ほど北や東に入るのは寒冷地には新しい車両を使うという原則があるからだと思う
1985年頃に常磐線ひたちに481系ロットを含むクハ481ボンネットなどオンボロ485系が大挙九州から転属してきて初めて東日本の485系がボロだらけになった あれ凄かったな。九州を短編成分割化するからって200番台集めて、ボンネットを勝田に
入れたら、ひたちが7+7になってボンネット同士で併結とか
面白かった
583や485はただ単に耐寒耐雪車があとからできたから入れただけでしょ
東北のブルトレは新幹線がもう出来る関西よりも輸送力が必要だったから3段寝台が残っただけで 国鉄時代の広域配転は今考えると面白いよな。
どこかに書いたかも知れないが、常磐線で高校通っていて、田舎は九州だったオレ。昭和59年九州に遊びに行った時に撮った有明クハ481 500は数年前まで上野でなくなる特急ときの先頭車だったし、逆にその時撮った有明のクハ481 0が翌年高校帰りに上野駅にいたりした。何か雰囲気が違うな〜と思った勝田への転属車だったんだよね。あとEF81 300が関門に帰って行ったのもこの頃だ。
…と思ってたらJRになってからも常磐線415系のお下がりが九州走っていて面白い。 > あと485系や583系が新しいめな車両ほど北や東に入るのは寒冷地には新しい車両を使うという原則があるからだと思う
そんな原則ないです
485系は1970年代に入って安定輸送を目的とした3MG化と耐寒耐雪強化の方針が打ち出され、改造よりも新製の方が得策との判断から
1000番代が新規で製造され、秋田と青森へ投入されたというだけ
北海道に対応できずに青森に戻された酷寒地向けの485系1500番代については言わずもがな
581系は50Hz未対応なので当然東北には配置とならず、3電源対応で新製された583系は後期車の一部を除き耐寒耐雪対応が標準
青森にTnc583が集中配置とされたのは寒冷地云々だからではなく、輸送力不足の東北特急の15両化を見据えていたため 仙台運転所の485系は1985年に東北・常磐特急の運用がなくなるまでキノコクーラーの初期車が大部分を占めていた
1982年11月改正時点でみるとM+M'ユニットは68組あって、うち483系が15組、キノコクーラーの初期車が44組を占めており、
後期車の200番代はわずか2組、600番代も7組しかなく、初期車の宝庫と言って良い状況だった
青森運転所には1972年に下記のキノコクーラーの485系が新製配置となった
Tc481 109・110・113・114・115・116・117・118・123・124・125・126
Ts481 40・43・44・45・50・51
Td481 32・34・35・38・39
M485+M'484 68・69・70・71・75・76・77・78・79・80・81・89・90・91・92・93・94・95・96
このうちTc481は1年も経たずに全車が向日町へ転出
1979年に485系の新製は打ち切り
Ts481は6両全車が1982年まで、M485+M'484は次第に数を減らしたものの89・90・91・92の4ユニットが1985年まで青森に在籍し東北特急で活躍
Td481は5両全てが1985年に食堂車が編成から外されるまで1972年の新製配置から青森配置のままで使命を全う 自分が知らないことを謎の陰謀論で埋め合わせてネタを創り上げるの、そろそろ止めてもらって良いですかね >>404
1978年にPFに交代したから45年じゃ? そして85年には66に変わってしまうポンコツっぷり
以外に九州ブルトレは短いんだよな、PF。短距離のを牽いてたから長く感じるけど
自分がPF牽引で乗ったのはみずほ1回だけ。1098だった。短命機 >>407
ただPFは、出雲と瀬戸は最後まで牽いてたけど。
九州ブルトレが66に替えられたのは、はやぶさロビーカー連結のため。スピードアップの一面もあったけど。 昭和49年20系のあさかぜ51号にに乗ったけれど牽引が初期のPFだったかも。58だったら夢があるんだがなあ、と言うのは昭和の価値観だろうか。
PFってまだ地方にSLがうじゃうじゃ走ってて、
旧客当たり前、茶色いEF56 57 12 13 15珍しくない 京浜東北線にもまだ吊り掛け72系、そんな国鉄黄金時代から走ってるのに、当時は全然注目されてなかった感じだよね。 65PFってデビュー当初は東北本線で貨物牽いてたせいもあって地味な印象を持たれたのだろうか。
初期型は薄汚れたイメージが強い。 スノープロウでいかついイメージもあったな
東海道口の新製配備車はついてなかったので、登場時は違和感を覚えたほど パンタはでかくないとな。プロウついてて汚くて武骨なのが宇都宮のPF。優男なのが東京のPF
まぁその武骨の方は黒磯からの短い距離で、東京に着く優男は1000km走ってきてるんだけど なぜ北海道ブルトレみたく「観光列車」に徹しなかったのだろうか。
飛行機に加え新幹線もあったからビジネス需要なんて見込める筈無いのに。 >>409
広島や下関にはかなり早く(1970.4〜5)から配置されている
下関なら1023〜1025 1970.4.18/4.22/5.12
1053が牽引している写真もある 同機は1972.9.1下関新製配置 >>415
さすがに認識がズレてるし
汎用列車でなければ意味ないよ >>407
もと[東]機で民営化直前に田端に移れた最若番ですね
ワイが唯一経験したPF牽引は1097で、1096と一緒に新鶴見に置いてけぼり
そして令和の今も生き残っているという奇蹟 定期となるとどちらかだけでは苦しいので
もう汎用列車+観光列車くらいしかしかないか >>420
分割民営化の弊害で、一旦廃止してしまっては復活は無理だろう。
各旅客会社で調整が難しくなっている。 なにいうてんの
まだJRになったばかりだし 寝台も沢山走っていたから やりやすかっただけだろ
景気も良かったし 1レさくら→3レ富士→5レはやぶさ→7レみずほ→9レあさかぜ→11レ瀬戸→13レ出雲→101レ銀河
だっけ?
1レが富士になったのは何年改正から? >>426
その頃はまだあさかぜと出雲は2本体制だったような?
さくら→はやぶさ→富士→みずほ→出雲1(浜田)→あさかぜ1(博多)→出雲3(出雲市)→あさかぜ3(下関)→瀬戸→銀河、だったかと 列車番号は知らんけど
1630さくら、1645はやぶさ、1700みずほ、1800富士って忘れないよね
>>421
無理だね。ブルトレがなくなると同時にそこに貨物がはいっちゃってるしな
SRCをだすまでもなく貨物はスジ通すのに苦労してるから ブルトレの本では大抵列車番号順で載っていたから最初のページは、さくら、富士、はやぶさ、みずほ、あさかぜ…の順番だった。 >>428
ややスレチだが、ブルトレじゃない夜行、たとえばムーンライトながらの廃止後のスジにもすでに貨物が入ってるのかしらね? 今のJRには共同で新しい列車を走らせる基盤はないんでないかい。 >>428
その時刻がいちばん馴染みますね
9レのお後は8011レ 1972.3〜
1レ14さくら1630、3レ20はやぶさ1645、5レ14みずほ1700、7レ20富士1800、2001レ20出雲1820、9レ20あさかぜ下一1825 11レ14あさかぜ下二1855、13レ20あさかぜ下三1900、15レ20瀬戸1925
あさかぜ下三は広島・下関車、他は分離時電源車を除き品川車
8011レあさかぜ五一は1975.3〜
1993.3〜
1レ14さくら1630、3レ25富士1705、5レ14みずほ1800、7レ25はやぶさ1816、1001レ出雲一1844、9レ25あさかぜ一1900、13レ25あさかぜ三1920、15レ25瀬戸2100、2003レ出雲三2120 1001レ25出雲一1844、
2003レ14出雲三2120 >>426
レイルアートのブログ記事に当たれば何処かに載ってる 285系ももうすぐ25歳、いつまで走り続けるかなあ? >>428
18:20出雲1
18:25あさかぜ1
19:00あさかぜ3
19:25瀬戸
20:40紀伊&出雲3
22:45銀河
こんな感じだったっけ? >>439
1978年10月改正時ではそれで正解。
ただ瀬戸が後に東京発車が21時頃に繰り下がったけど、何だっただろう?まだ宇野行きで宇高連絡船があった頃だったけど。 >>440
下り瀬戸東京出発時刻変遷(1978.2〜285系前日まで)
1978.2 1925
1980.10 1905
1985.3 2015
1986.11 2105
(1988.4 2105)
1990.3 2100
1998.3 2050
1998.7 285系化
瀬戸大橋開業は1988.4.10
この日、東京からの瀬戸を牽引していたのはのちの2代目レインボー&客車瀬戸下り最終牽引となるEF65 1118 1118号機ってそんな早くからレインボー色になっていたんだ 東京〜九州乗りとおし客、昔は当たり前のようにいたと思うが「旅満喫派」のような感じだったのかな。
九州(東京)に午前到着なら新幹線+関西九州ブルトレのほうが到着と言うか、乗車時間的には速いはずだが、
どっちが利用パターン多かったんだろう。下記のパターンって例えば専門雑誌、書籍の掲載(同乗記とか)が
殆ど無くてピンとこないなw >>447
所要時間と運賃料金を全区間夜行および全区間新幹線とで比較すると、新幹線と関西ブルトレの乗り継ぎを敢えて選ぶ理由が全くない
1978年10月改正 東京→博多
【さくら・あさかぜ】 運賃8300+特急料金3,100+寝台料金4,500(2段)/3,500(3段下)=計15,900(2段)/14,900(3段下)
東京1630→1レ→博多0859
東京1825→9レ→博多1053
【ひかり+明星・あかつき】 運賃8,300+新幹線特急料金4200+乗割夜行特急料金1,350+寝台料金4,500(客車2段・電車3段下同額)=計16,350
東京1512→81A→新大阪1822~大阪1906→41レ→博多0442
東京1812→183A→新大阪2126~2143→35M→博多0715
【新幹線+金星】 運賃8,300+新幹線特急料金3,100+乗割夜行特急料金1,550+寝台料金4,500(電車3段下)=計17,350
東京2024→179A→名古屋2225~2250→21M→博多1011
【ひかり】 運賃8,300+特急料金7,000=計15,300
東京1512→81A→博多2243
東京1700→13A→博多2356 運賃料金訂正
【さくら・あさかぜ】 計15,900
【ひかり+明星・あかつき】 計18,350
【ひかり+金星】 計17,450
【ひかり】 計15,300 >>448
おー、詳細ありがとうございます
なるほど、敢えて選ぶほどのアドバンテージは無いって感じではありますな。
東京〜大阪(新大阪)間でだけ新幹線がスピードで有利でも、トータルの移動を考えると
時間的な利便も大して影響変わらなそうだし、なによりコスト面で不利か。乗り換えも面倒だし。 追記です、すんません
まあ東京〜九州でちょっとでも時間節約考えるならハナから航空機でしょうしねw
飛行機嫌い、列車移動のみ金かかっても時間は1分でも短縮したいって、それは相当奇特と言うかね 異論もあるだろうが、宿泊費込みでないとちゃんと比較できないのでは? >>452
新幹線乗り継ぎでも宿泊は車内だろ
飛行機の場合金額超越してるわな >>447
448が回答してるが、時間短縮に対してのコスパが良くなかった背景がある。
その背景もあって関西〜九州の寝台特急が衰退し、東京〜九州ブルトレは分割民営化時点でも本数の減少がなかった。
ただ国鉄末期から登場した、東京〜九州各地の往復割引きっぷが登場してからどうだっただろう?
東京〜小倉・博多を新幹線でも、東京直通のブルトレも選べただけでなく、新幹線➕関西〜九州のブルトレや、新幹線で静岡や名古屋へ行き、九州ブルトレを追いかけることもできた。 >>451
1978年10月当時の航空ダイヤと運賃
羽田→福岡 片道20,100 1日19往復
JAL351便 羽田0715→福岡0855
・・・
JAL377便 羽田2030→福岡2210 当時の羽田~福岡線はJAL・ANA・TDAの3トラック、運賃は各社同価格 機種はB747SR(定員498)のほか、B727(定員178)、L-1011(トライスター、定員306)、DC8(定員128)、DC9(定員130)、DC10(定員310)と様々 少しでも安く抑えるために関西~九州で夜行急行「阿蘇」「雲仙・西海」を使う手はあったが、到達時間がその分犠牲になるだけでなく、
寝台を使った時の運賃料金は新幹線で博多直行と東海道ブルトレのいずれよりも高くなるため、この手段をとるメリットはほぼない
【ひかり+阿蘇/雲仙・西海】 運賃8,300+新幹線特急料金4200+乗割夜行急行料金400+寝台料金3,500(客車3段)=計16,400
東京1512→81A→新大阪1822~1831→201レ→博多0644
東京1700→13A→新大阪2010~大阪2042→203レ→博多0743
しかも夜行急行「阿蘇」「雲仙・西海」に接続する新幹線はいずれも博多行である >>448
1976〜1978年の暴騰やらかした後なら乗り継ぎ嫌忌も致し方ない そりゃあ、1975年3月の山陽新幹線博多開業前だと状況は大きく異なるでしょうな
車両形式が1978年とは異なる列車が多いし、東海道ブルトレの通し利用か、大阪か岡山で新幹線から夜行へ乗り継ぎしか選択肢がありませんから ですね。
あの76年(昭和51)の5割り増しからの毎年の如く値上げはかなり鉄道(国鉄)離れはあったはず。
さすがに航空機はまだまだ高かったがそれでも羽田〜福岡2時間足らずはハッキリと選択肢として
大ありだったでしょう。
>>454 その上でその末期の割引サービスは果たしてどこまで浸透していたのか、
「国鉄なんて高いし、乗り換えまでして利用するほどでも・・」といった先入観のほうが定着していたか。。 夜行需要が大幅に落ち込んで大量の余剰車両が出たからこそ715系と419系が誕生したわけです
既に航空機との勝敗が決していた国鉄末期の割引サービスの導入なんて国鉄の救世主にはなりえません 何度か貼ってるけど、国鉄時代の寝台利用人員の推移
ttp://pbs.twimg.com/media/DaMaNdmVwAAW3nh.jpg
ソースは「日本国有鉄道 民営化に至る15年(2000/8) 運輸政策研究機構 (編集)」
利用者数のピークは1974年度
1970年代後半の怒涛の運賃値上げと新幹線の延伸により、寝台利用者は5年で半減
国鉄末期の割引切符の導入はほぼほぼ効果なし 【さくら・あさかぜ】
さくら 14系14形(3段) 1972年3月から(1983年〜1984年7月に2段化改造)
あさかぜ(9レ) 20系→24系25形 25形化は1978年2月から
【明星・あかつき】
明星(35M) 581/583系 変更なし
あかつき(41レ) 14系14形→14系15形 15形化は1978年10月から
【金星】(定期) 581/583系 変更なし
1975.3と1978.10の比較でいいと思うんだけど >>464
運賃値上げと乗り継ぎ嫌忌に関連はないと思ってるので、1975年3月改正時点のデータは自分で調べてくれ 横レスだが
銀河-はまかぜ の乗り継ぎって注文したら「そんなのあったかな・・あっ、あった」って
発券してくれたw
余部鉄橋葬式の頃 >>465
調べてやったぜ
【さくら・あさかぜ】
1975.03 運賃4510+特急料金1400+寝台料金1400(3段下)=計7310(3段下)
1978.10 運賃8300+特急料金3100+寝台料金4500(2段)/3500(3段下)=計15900(2段)/14900(3段下)
【ひかり+明星・あかつき】
1975.03 運賃4510+新幹線特急料金2200+乗継割引特急料金700+寝台料金1900(客車2段・電車3段下同額)=計9310
1978.10 運賃8300+新幹線特急料金4200+乗継割引特急料金1350+寝台料金4500(客車2段・電車3段下同額)=計18350
【新幹線+金星】
1975.03 運賃4510+新幹線特急料金1600+乗継割引夜行特急料金700+寝台料金1900(電車3段下)=計8710
1978.10 運賃8300+新幹線特急料金3100+乗継割引夜行特急料金1550+寝台料金4500(電車3段下)=計17450
【ひかり】
1975.03 運賃4510+新幹線特急料金4200=計8710
1978.10 運賃8300+新幹線特急料金7000=計15300 >>468
おー、ありがとう
新幹線で博多通しと名古屋で金星乗り継ぎが同額なのは意外だった 大卒初任給の推移
ttp://nenji-toukei.com/n/kiji/10021
1970年 39,900円 2012年の価値に換算すると143,568円
1975年 89,300円 2012年の価値に換算すると161,758円
1978年 105,500円 2012年の価値に換算すると149,671円
2012年 201,800円 もともと乗り継ぐと高くなっていたのが、1975年以降は特に寝台料金の値上げ幅が大きくて寝台列車の競争力が一気になくなっていったのがよくわかる
国鉄が試算してみたところ夜行列車が予想以上に大赤字なのが判明し、1979年には寝台全廃論が国会で取り上げられたのも頷ける >>468
1975.03の「明星・あかつき」と「金星」の乗継割引が同額(\700)だがいいのか?
一方は大阪(京都?)〜博多、一方は名古屋〜博多じゃない? >>472
当時の在来線特急料金区分は、601〜1200キロまでと、1201キロ以上一律になっていた。
悪夢の76年11月大幅値上げから、区分が800キロまでに変わり、801キロ以上一律に変わった。 1200キロ以上という区分があたりまえに成立した時代 >>474
>>468をよく注意して見ると、東京〜博多と、大阪〜博多の在来線特急料金が同額だった。 >>473 >>468
これは失礼! 当時(1975・03)状況確認しないまま書き込んでしまった。
大阪博多が約620q 東京博多が約1170qくらいかな営業キロ。
なので同額なんですねえ601〜1200Km区分だから。
区分が大阪と東京両駅ギリギリとギリギリなのが凄いw これはその辺を狙ってわざとではないか?
往復割引も東京大阪では使えない600キロ超に設定したというし >>477
急行料金が201キロ以上一律など、遠距離利用を割高にしない要因だろう。
それだけ昭和50年代前半までは、国鉄だけの長距離利用が今と比較にならないぐらい多かった。
今でも600キロ以上の運賃は、40キロ刻みで加算のスピードが鈍くなっている。ただ昨今はJRだけのそんな長距離利用はどの程度か?だけど。 フランスでは、寝台夜行列車はほぼ全滅したけども、旅客はTGVで移動、旅客の自家用車を夜行列車で目的地に運ぶ、っていうシステムがあるらしい。
夜行列車そのものがジリ貧の日本との違い >>479
日本も以前は、東京都内と九州・北海道にカートレインがあったけど、手間と売り上げ配分の関係で廃止された。 >>478
現在の遠距離逓減制の運賃制度は、乗り鉄や切符ヲタによる複雑な一筆書き切符やマルスで対応できない手書きの切符の購入を助長する
一因になっている
LCCなど長距離需要に強い対抗輸送機関が一般化して久しく、もはや長距離切符を使わざるを得ない長距離列車は新幹線以外ほぼ皆無であり、
新幹線利用以外だと乗り鉄や切符愛好家以外はほぼ需要がなくなっているのが現状だが、この長距離切符が全国のJRの窓口で買える制度が
今も温存されているのが、チケットレス化やエリア内均一運賃の導入など時代に即した運賃制度の抜本的な見直しを阻害しているのは確か
だとしたら、改札内を新幹線だけで乗車可能な距離(東京~鹿児島中央だと1464km)以上の乗車券の販売を一斉に取りやめるか、確実に複数の
鉄道会社に跨り会社間清算の手間がかかる遠距離の切符については、遠距離になればなるほど逆に賃率を上げるようにして、利用客が一筆書き
ではなく、一定距離の乗車券に分割して購入した方が安くなるような賃率の運賃制度へそろそろ変えるべきではないかと個人的に思ってる 要はもはやヲタしか使わないような複雑な切符の販売を徹底的に排除した方が、結局は大多数の利用者と事業者共にメリットがあると言うこと こういう連中のために、中の人や委託先の人があまりにも複雑な運賃制度を必死に勉強して理解して対応する意義はもはや一切ないと思う
ttp://twitter.com/ipper3/status/1298651015068016640
好きそうな人だから喜んでもらえると思って、複雑な案件で一生懸命作った補充券。
自由通路の反対側でスマホにパシャリ。イヤな予感。
「払戻しお願いいたします」
「かしこまりました。変更でなくてよろしいですか?」
手数料頂いて戻しましたが。
今後は見えないところでお願いいたします。
気持ちもわかりますし正当な権利の行使なので顔色は変えませんが、労力が生かされないのは心に来ます。
コレクションの1つに加えて頂こうとせっかくキレイに書いたんですが、お役に立てませんでした。😥
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ttp://twitter.com/westnozomi/status/1617301109386932227
城端駅での窓口トラブルがネットで話題になってるが、ミス誘発して嘲笑う動画投稿者もそうだし、それを分かった上で同じことをして
「切符売ってくれなかった」と騒ぐ人も呆れて言葉がない。そりゃ日本中から窓口なくなるわ。
元々人件費負担多いのに、余計なトラブル増えれば企業にはリスクでしかない。
他人(人様)への迷惑を考えず利己的な主張ばかりして騒いでるから鉄道ファンに対しての風当たりつよくなっているの何故分からんのかね。
地域の委託窓口なんて殆ど善意に近い形で残ってると言っても過言ではないのに。こうしてまた駅窓口が消えていく。
悪いけど、そりゃそうなるよ?
ttp://twitter.com/JRS_1025/status/1407513329195622401
偕楽園誤発、つまり何がダメなのかわからん
本来、偕楽園以南(今回の場合三島駅)から偕楽園に行くには水戸駅までの切符を買う必要があり、まず偕楽園までの切符は発券できない
はずなのですが、JR西日本のシステムだと何故か発券できてしまった模様です。
ですがこの場合立派な不正乗車ですし、運賃も不足しています。
更にダイ氏は偕楽園駅の特殊な取り扱いを認識した上で、東日本エリアに疎いJR西日本の簡易委託駅の駅員に無理矢理発券させたため、
大きな問題となっています。要するに確信犯で不正したという事です。
わざと発売できない区間を売らせたYouTuberがいるのは理解できました
ただ疑問なのが、誤った乗車券を発売/購入すると発売させた客か販売した取扱者にペナルティが発生するんですかね?
乗車券界隈が騒ぐほどの事件なのかがわかりません...
乗車券が間違ってるというか、前も書きましたが運賃を誤魔化している事が大きな問題点の一つです。
詳しく言うと、本来なら水戸駅の営業キロに従って払わないといけない所、手前の偕楽園までの切符(普通は存在しない)を不正に買うことで
運賃が上がるギリギリまでに収め、不正に運賃をケチっていたという事です。
参考に、三島〜水戸の乗車券は4510円(241.8キロ、東京まで新幹線) 三島〜偕楽園は4070円(239.9キロ、但し本来は偕楽園に営業キロは
設定されていない)ので、4510円払わなければならない所を4070円で無理やり通ろうとしているので、立派な不正だと思います。
それが全てなんですかね...?確かに運賃をちょろまかしたことは問題なんですけれど切符界隈(?)だと誤発を出させたこと自体をかなり批判
しているように見えるんですよね
偕楽園までの切符は誤発である事を知っておきながら、委託されている城端の観光協会の方に発券させたという事も批判される事でしょうね。
城端の観光協会が偕楽園駅の取り扱いを知っているとも思えませんし。人間性の問題もありそうです。
人間性云々はともかく僕も件のYoutuberは好きではない(し嫌い)ですが、発売できないことを承知で売らせたYoutuberも悪質ですけれど
知らないです売った取扱員も良くはないかと
発売を担当している以上知識がないと責任を持って仕事が出来ているとは言い難いように思えてなりません
後で販売した人間がJRから責められても、売れと言われたから売ったというだけで販売した人間は無罪放免になるんでしょうか...?
まぁそれはそうですね…ただ、城端でわざわざJR東海・東日本の切符の切符を買う必要もないわけで。
最近は自駅以外から発着の切符は売らないという駅もあるようです。
あと、偕楽園駅が設定されているJR西のシステムにも問題は大有りですね。改善されてほしいところです。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) そもそも富山県にある城端駅が品川~平井の往復乗車券を売る必要など一切ないです
こういう連中の自分勝手な主張を見ると、そもそも販売出来ない制度にすべきと本当に思う
ttp://twitter.com/SGN_railtravel/status/1617070388168777728
城端駅の西POS簡易出札で三島→偕楽園の学割乗車券の購入を申し出たところ、窓口氏が
「よく知らないものは売らなくて良いと言われている」「偕楽園には嫌な思い出がある」との理由で断られた。
「例の方」は一体何をしたのでしょうか…
※YouTube撮影の為に簡易出札でゴネるのはやめましょう
ttp://pbs.twimg.com/media/FnD88UsacAE6K-3.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/FnD88VRaEAEeXS1.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>481
経路が面倒なら、大都市近郊区間を増やせばよい
日本最長一筆書き片道とか複雑な切符は一時期を除いて、全て出札補充券対応
一応、マルスは20経路までなら対応している
西日本の簡易POS駅はすごいな
普通簡易POS駅で難しい発券を依頼されたら、時間がある場合はFAXでみどりの窓口がある主要駅へ全て丸投げ、時間がない場合はみどりの窓口がある駅ないし新幹線乗換駅までの乗車券だけ発行してあとは途中駅ないし車掌に任せるんだけどね >>486
今の西は他の有効な切符を持っていない限り自駅発しか売らないことを徹底しているようです 炎上した元のツイート
ttp://pbs.twimg.com/media/E4Y6zEoUUAAg-Zw.jpg 今思い返せばオロネ25、当初料金1万円だったがあんな質素なアコモのウナギの寝床でも
二段ハネよりかは高級志向のニーズに合ってたのかね。北斗星とかのウエルカムドリンクなんて
さらさらない時代だしw、昭和50年代ブルトレブーム真っただ中世代だがぶっちゃけあの頃が
一番ブルトレの色んな良さが削がれてた時代のように思う。20系全盛のような「動くホテル」的な
捉え方もすでに潰えてた感じだったし、東京九州以外の関西九州やその他ブルトレはほぼモノクラス。。 >>489
登場時はまだ国鉄大幅値上げ前だったので9000円。
大幅値上げで一旦13000円だったが、あまりに高過ぎたので、1年足らずで1万円に値下げされた。
それはともかく、登場直後のRJ富士号列車追跡では、竹島編集長が相当酷評してた。開放A寝台や二段式B寝台の方が数段マシだと。
登場当時が車掌補の廃止で人員合理化が伴ったのと、国鉄の財政難が合わさり、開放A寝台のままでは二段式B寝台に比べて料金差を付けにくいことから、あのような造りになったような。
そんな造りでも色彩を暖色系にしたり、東京発着のブルトレが国鉄の看板列車だったのがあって、当時としては高級志向になったような。
言いたいことは理解できるけど、国鉄分割民営化まではあれが最上級の設備だったので。 >>490
料金ご指摘すいません。。ああ、値下げの1万円だったか。
まあ当時小中時代だったが、その頃の価値観だと個室寝台と言うとオリエント急行の豪華さ、
戦後すぐ辺りのマイネ(マロネ)40のような重厚で威厳を醸す室内を提供してたイメージが存分にあって、
それに比してのオロネ25のあの空間だったわけでねw でも国鉄としてはあれが最高の寝台サービスだったのは
当時の台所事情を考えれば精いっぱいだったのかもね。。 オロネ25 0番台は合理化と個室を掛け合わせて作られただけ
あれだけ不評にもかかわらず編成共通化という合理化のため、あさかぜ分としてあと2両作られた
1976年後半 10両(1〜10)
1977年12月・1978年1月 2両(11、12)
1987.3.21〜のゆうづるに連結されたオロネ25 500番台を忘れないで下さい(客車ゆうづる全4本に連結されたのは3.24) 25形になると省力化しすぎなんだよな
ルーメットみたいにレール方向でなんとか部屋を配置できれば窓も大きくできてあれほど酷評されなかったのに 個室と言ってもまるでカプセルホテルだもんな
いや、カプセルホテルのほうが幅が広くて居心地良さそう 列車寝台って実は利用したことないんだが、あの形状って普通に眠れるんかね。
真横に直角の壁がそそり立ってるから体のどこかが緊張してそう。
サンライズのノビノビのほうがそのあたりの開放感みたいなのはまだ得られそうだが。。 眠れるよ
あるうちに一度サンライズで試してみなはれ 下手くそなキシに当たると、前後のコギングというか前後動のせいで、
壁が思ったより近くにあったり、2本のベルトに助けられたりということはあったかなw
深夜の時間帯にそういうのに当たると悲惨
まぁ、電車だとそんなことにはならないけどね >>494
オロネ25は当時、一定数の寝台特急長距離利用客がいたので、国鉄として一定の定員を確保する必要から、あの中途半端な有様になってしまった。
一方北斗星は、青函トンネル開通時既に航空機のシェアが9割以上を占め、遊び心で設定したら当たった。 >>492
ゆうづるのA個室は、もしかして九州ブルトレのA個室より中途半端だったかもな。
1年後に北斗星のツインデラックスになったが、ロイヤルなどが登場してどうも食指が動かず、北斗星の個室では1番不人気でなかったか?
確かに九州ブルトレのA個室より空間にゆとりはあったが、2人用なので個人旅行には割高。またギリギリ国鉄時代に登場したから、ロイヤルやB個室より陳腐な雰囲気だった。
その直前に博多あさかぜで登場したデュエットや、その前にさくらやみずほに連結されたカルテットなど、国鉄末期は複数名利用前提の車両が多く登場したけど、カルテットなんて麻雀のメンバーを集める感覚で、気軽さはなかった。
家族連れやカップルをターゲットにしただろうが、各々で都合や予算や利害が絡み、なかなか思うようにはいかない。 >>496
ノビノビは、カーペット床が異様に硬い。
それ以外はご明察どおり。枕木方向だし。
かつてのプルマン式と同じ「レール方向の寝台は、
乗車中ずっと続く前後動がアレで、飲食して横になったりすると
食道や胃やらが不快になるよ。
>>498
キシって判らないんだけど、ひょっとしてキカンシの略で
いわゆるウテシのこと?
気動車食堂車かと思って「?」となったw カートレインもそうだけどファミリー層へ訴求したかったのでしょうね
当時すでにビジネスユーザーは飛行機か新幹線の時代
あとはカートレもカルテットも準備にかかる手間賃が少なめというのもあるね
カルテットなんか後年の北斗星Bコンパートと同じようなもんだし
貧乏国鉄(´TωT`)ヒモジー >>504-505
うん、ぜんぜんそう言ってないわけだが。
スレタイ系統の列車たちの「想い出話」「回想話」をする場所でまで
「こうすればなくならなかった論」「こうなったから衰退した論」を書くなってこと >>506
> 「こうすればなくならなかった論」「こうなったから衰退した論」を書くな
お前何様だよ? >うん、ぜんぜんそう言ってないわけだが。
日本語不自由すぎだろw >「こうすればなくならなかった論」「こうなったから衰退した論」を書くなってこと
お前にそれを決める権利はないっていう話だな
ひとことで言うと、「どちら様?」 >>490
>>494
前にも書いたかも知れないけどオロネ25は室内面積そのものは20系ルーメットより広い気がするけどやはり座席として着席してる時に目前が壁なのが閉所感、独房感があるように感じるのかもな >>513
しかも目前の壁に大鏡!自分がハンサムボーイや絶世の美女と思ってるならいいけど、そう思わない者にとって居心地良くなかった。
また窓際に折り畳みテーブル兼用の洗面台も、車窓を楽しみたいなら邪魔な物この上ない。
B個室ソロが登場してから、このA個室は金額と設備が論外になった。
ただロイヤル登場までは寝台の最高設備だったので、仕方なさはあったかも。 民営化後のように各社工夫を凝らした車内を提供するわけでなく
あの当時は国鉄(国有)という独占企業?みたいなもんで、「こういうの作ったから」で終わり。
利用者側も「ああ、そうですか」しか反応するしかない時代よw >>515
と言うより、博多あさかぜが24系25型化された78年からの国鉄は、大赤字で毎年のように運賃を値上げする斜陽産業になっていったと上に、画一化に走り出して楽しみが薄れていった。
ブルートレインの画一化だけでなく、78年10月改正で上野発着特急の編成が揃えられたり、直流電化区間の113・115系化や、キハ40・47系、50系客車の大量投入で、全国どこへ行っても同じような近郊型のセミクロスシート。窓枠にテーブルがなく、車内飲食に不向き。
赤字国鉄から客離れが進んできたから、79年に山口線のSL運転開始や、ミステリー列車の運転などあったけど、冴えたものではなかった。
そんな時代でも夜行列車が消えて、普通列車のロングシート化が進む今よりマシだったかもしれないけど。 うん、90年代前半ぐらいが一番バラエティー豊かだったなあ 自分なりの思い出としては、70年代半ば〜後半のその国鉄がどんどん斜陽になっていく時期が
一番鉄分多くて、ブルトレについてはケイブンシャ百科やその他少年向けの鉄道書籍やら
各種月刊誌で片っ端から知識を仕入れた。ゴーサントオから導入された、どう見ても
ヤッツケ仕事にしか感じなかった絵入りバックサイン見て、国鉄も何とか利用者へのアピール頑張ってるなあと
子供ながら半ば同情のような気持になったこともw まあ関係ないがその他、スーパーカーやロボットアニメやら
あの頃の10〜12、3歳そこそこの時代は色々と懐かしい1ページである。 >>518
そうすると山陽新幹線博多開業から、国鉄大幅値上げ時期、電車特急イラストマーク導入時期が一番鉄道に馴染んでた?
イラスト入りテールマークがその評価なら、電車特急のイラストマークもあまり好まなかったような。当時は小中学生にはそれなりの人気だったけど。
山陽新幹線博多開業から、徐々に斜陽化してきた感じだった。
ブルトレのヘッドマークと食堂車が東京発着のみになり、直後に国鉄SLの全廃など、国鉄旅のエッセンスが薄れてきた感覚だった。
80年代に入り運賃が高くなり過ぎたのに赤字で緊縮財政の上、東北・上越新幹線開業を控えて、斜陽化がもっと顕著だった。
最近日本の行く末と、何となく似た雰囲気がある。 >>519
そうですね、昭和50年代前半から半ば、小学高学年あたりにハマった趣味ってホント幾らでも
知識が頭に入ってそれがずっと残りますもんね。このスレ的にだと20系が戦列から離れ
14系以降の新系列がどんどん投入されてそっちのほうに目が行ってたけど、今見ると20系のほうが
趣きありますねえ。B寝台狭いけどナシ20は雰囲気あるし、ナロネ個室もシックな感じで。
ちなみにブルトレの絵入りバックサインは79年(昭和54)夏以降でしたw 53年10改正だと思ってたけど
電車特急だけか。冒頭で頭に残るっても寄る年波に勝てないのか、記憶ミスでした。 >>520
ブルトレのバックサインイラスト化は、79年7月1日に当時唯一20系で残ってたあけぼの
以外一斉にだった。
ただ格調的には好きになれず、それなら機関車のヘッドマークを一斉に復活させろ!
と思ったけど、電車特急の貫通・非貫通型同様の幕式で、表示切替えに手間がかから
なかったので実施されたような。 >>521
電車特急や14・24系ブルトレのヘッドマーク・トレインマークがイラスト化された時オールドファンは特急の威厳や格式が損なわれたと嘆いた反面小中学生からは人気を博したという話、裏を返したら若いファンが好むものは年寄りファンは嫌うという感じに思える そもそも特急のヘッドマーク・トレインマークって絵入りだったのが20系(電車&客車)で文字のみになったんだろ?
威厳や格式に関係する話か? まあ現代チックな図案化したようなデザインが電動でクルクル幕が回るあの様式が
深み、趣きよりどこか効率優先を意識させてしまい、オールドファンの心には響かないというか
反発心を生んだんでしょうね、、w >>524
愛称板の取り付けと取り外しが手間だったから。80系、181系気動車も同じ。
機関車のヘッドマーク取り付け、取り外しよりマシだったけど、当時の国鉄労使関係はいいとも言えなかったので、組合員からクレームが来そうな行為は避けたかったのでは?
181系電車単一運用だった「とき」は、愛称板を取り外す必要がなかったので、ボンネット型でいち早くイラスト化された。 ちがう
20系電車・客車、キハ80系からはヘッドマークを電照透過式、つまりバックライトで夜間も特急名をわかるようにした
当時はヘッドライトの光量が少なかったから、少しでも前を照らす光量の足し&保線区員が分かりやすいようになればと白地に文字だけとした
20系のテールマークも当初はそのルールが使われたものの、「テールマークは以前白地でなかったけど、何も問題なかった」として、昭和35年のはやぶさから変更
はやぶさは黄色地だったけど、昭和38年のみずほからは光量の足し要素はなくなった
それでも地模様が昭和50年代まで復活しなかったのは、壊れやすい消耗品として認識していたため そーいや20系のテールサインの行灯(トラック野郎かw)の色具合って
微妙に差異があったような。ピンクっぽかったり黄色みがかったり。 みずほが青のバックに文字は黄色という個性あふれるカラーリングだった。 >>526
20系時代の銀河が急行ブルトレで最初に絵入り化されたのも当時のミハの20系が銀河単一運用だから181系ときと同じく交換する必要がなかったからなのかな? >>530
それはありそうだね。
それから当時該当車両が所属した鉄道管理局の考えもありそう。
銀河は当時、廃止など考えられない列車だったので、大鉄局や宮原側から積極的に行ったような。
他に181系「とき」に続き、79年夏に489系ボンネット「はくたか」「白山」をイラスト化したのは、当時金沢局と金沢運転所の判断だろう。間合い運用の「あさま」ボンネットは、文字ローマ字のままだった。 仙センの『ひばり』『ひたち』『あいづ』のボンネットはイラストマーク後も文字のまんまだった
『ひばり』や『ひたち』の12両編成は上野方が200番台だからイラストマークが見られたが
『あいづ』は9両編成で両端がボンネットって場合が多かったからイラストマークに出会えるのは希少だったな >>517
国鉄末期のはやぶさロビーかー連結から、上り目傾向。
分割民営化後に個室化とシャワー設置が拡大した。
最盛期は青函トンネル開通と、夢空間運転開始かな?
しかしそれらもバブル崩壊後の93年に、九州ブルトレの食堂車全廃と、東北夜行の整理でまた衰退へ。 まあでもバブル景気と国鉄崩壊〜民営化がほぼ同時期なのが皮肉だ・・。
清算事業団が土地売って金に出来たのはいいタイミングだったがw >>531
大ムコのボンネット雷鳥も1982年頃から絵入りになったな
これも85年に白鳥が盛アオから移管されるまでは雷鳥しか運用なかったよな
>>535
機関車ヘッドマーク復活や客車テールマーク絵入り化以前に廃止になった安芸がヘッドマーク復活や絵入り化以降も存続してたらどんな絵柄になってたか想像は尽きない
個人的にはヘッドマークやテールマークはSL急行時代のヘッドマークそのものが機関車用ヘッドマーク、テールマークはそれを元に若干のアレンジした柄になってたと想像 >>536
1982年11月改正から。
その改正と同時に、北越としらさぎのボンネットもイラスト化されてないか?
しらさぎは当時ボンネット型が稀有で、臨時で白山編成の489系があった程度だけど。 絵入りヘッドマークでは、加越の絵がよくわからなかった。
後で知ったけど東尋坊なのね。 81年年末夕方だったかなあ、新橋の東海道ホーム品川よりに降り立ったら、
いきなりEF58 11と14系ハザ8連がやってきて、ゴハチの方はカメラ間に合わず
撮りそこねて、客車の後ろ撮ったら、絵入りになる前のつばさだった。
個人的には絵入りじゃないほうがすっきりしてて好きだったりする。
東北年末臨の回想だったようだ。多分品客の客車の尾久への回送だったんだと思う。
東機ゴハチの品川尾久回送は新幹線できる前にはよく見られた景色。
中には上野で客乗せて宇都宮や黒磯まで行くこともあったのかな?
ちなみに58 11見たのはそれが最初で最後で写真に残っていないのが残念。 品川から尾久への回送って、
品川→品鶴線目黒川→大崎→山手貨物→東北貨物→東大宮操車場(ここで機関車機回し)→東北本線→上野→推進回送で尾久
って感じでやってたのかな 小回とかシナオクとか呼ばれてたやつだな。スレある
2008年くらいまで臨時で残ってたような
そしてこのスレは2009年からある
オクシナ、シナオク、試客の思い出
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1250217739/
品川区の客車の大宮入場に使われてて、東京の58の若番、11、12、14がよく入ってた
控車のマニ36やナハフ11が1両の時が多かった >>540 1954年から1982年だったかな東京ー上野間は回送線があったので直通ですよ。
11号機とは別に東京ー秋葉原間でEF58 148の引いた12系を京浜東北線で追い抜いたので上野で降りてダッシュして停車中の写真を撮った記憶。 >>539
>>個人的には絵入りじゃないほうがすっきりしてて好きだったりする
ところが文字だけ時代は、ジャンパ栓受けがテール横の位置だったから
こんどは客車側の見た目がスッキリしてなかった。 >>542
1973年頃までだろう。ちょうどその年に東北・上信越方面の一部特急が、新幹線工事のため東京発着が取り止めになった。
そして秋葉原の手前で線路が切られて、御徒町駅では上野発特急電車の折り返し停泊がよく見られた。多くは上野駅高架ホームに発着した、とき・あさま系統だったが。 >>544
1982年までは線路は繋がってたし使われてたぞ。
検索すれば1973年以降の1941レ、1940レの画像は出てくる。
有名なのはEF5861牽引のキハ181転属回送、
これはつばさのEC化後の事だぞ。 特急つばさがキハ181から485系になって余剰になったキハ181の一部を
ムド(無道回)で南チタか南シナに留置していた頃は無道回を写しに行ったよ
他には南チタの157系や183系を上野口で使うために東京駅11番線を通過してた
定期列車では高シマの115系を使った籠原〜小田原間の普通列車もあったし、
臨時なら157系の湘南日光もあって更に昔は上野発の臨時夜行急行が一部
品川発車になっていたにもあった 鉄道板なんだからムドだけで判るのに
要らん補足するから莫迦のツッコミが入るんだよ。 >>550
> 鉄道板なんだからムドだけで判るのに
鉄道現場の専門用語使いたがるヲタにとってはそうなんだろうな 医師になるのは、めちゃくちゃ簡単だよ。
どんな馬鹿医大でも国家試験の合格率7割以上はあるし、自治医大以上ならほぼ100%。
弁護士の場合は難関ロースクールを卒業しても、国家試験を通るのは10%程度。
医師になるには金と時間がかかるが、試験自体は簡単。
うちは従兄弟三人医師になったが、英検二級すら落ちるレベルの頭だからね。
医師国家試験の合格率ランキング見てみ。
一番低い杏林大学ですら、79.4%。
奈良県立大以上の偏差値の25校は95.0%超え。
これのどこが難関試験なの?
医学部に学費を支払える財力のハードルが高いだけで、医師にはバカでもなれる。
弁護士、司法書士、会計士、英検1級あたりは、バカには絶対に無理。
まとめると
医師国家試験→バカでも受かる。しかし、医学部6年間で1,000万以上かかる学費のハードルが高い。
司法試験→ロースクール卒業しても、合格できるのはごく一部。非常に難関な試験。
司法書士→ロースクールに行かなくても受験できるが、難易度は司法試験並み。
英検1級→英語がずば抜けて優秀でないと合格できない。英語の偏差値100必要。(実際にはそんな偏差値はないが)
会計士→おそらく、最難関試験か。会計大学院修了者の合格率は7.6%しかない。
不動産鑑定士→鑑定理論が地獄。単体の科目としては最難関の一つ。経済学などは公務員試験より簡単か。 「富士」は消滅して現存しないが、「みずほ」は現存する。
と書けば列車名のことなんだか銀行のことなんだかわからない。 再利用の復活だけどな
厳密な現存とはニュアンスがちがう >>555
それ言ったらブルトレの富士なんて再々利用の復活だろ サンライズ出雲の米子・松江・出雲市到着は、始発の飛行機より遅いんだよね。
そういう列車じゃないんだろうが、新幹線・飛行機の最終より遅く出発して始発より早く到着する寝台列車は衰退した。 >>335 >>337
だったら東京~鹿児島なら札幌と同じかそれ以上に飛行機の独壇場じゃん
なんではやぶさを北斗星みたいにできなかったんだよ >>556
なにを興奮しているの?
俺は「「みずほ」は現存」って554の表現がおかしいから指摘しただけ
途切れなく続いてきたのは現存と表現していいけど
一度途切れているのだから、現存って言い回しはふさわしくないのでは?
というニュアンスを、554個人に対して言っただけなんだけど?
どうしてそうやって列車名が再利用かどうかの話まで思考拡大させたがるの? >>559
> なにを興奮しているの?
何も興奮してないよんw 「現役」を用いるならおかしくないんだわ。
「現存」って語のほうは「(当初から継続して)ずっと」ってニュアンスを含むからな。 >>558
走る区間がJRで4社に分割されたのが最大の要因だろう。
特に両端の東日本と九州がお荷物扱いだったし、グレードアップするにも4社間の調整が面倒だった。 昭和末期なら名古屋乗り継ぎの方がよかった
その金星もは定期で熊本まで行かなかった >>562
語の使用意図として触れてないなら
なおさら「現役を用いるのはおかしい」となるけどな。 あんたもしつこいね。即レスということはずっと監視してるの? >>567
> あんたもしつこいね
お前だろそれは さくらの発音が昔と今で違うの昔と同じにしてほしいわ >>569
昔と今の違いが分からないけど
今は寅さんが妹を呼ぶ時のイントネーションになってるってことかな? どの職種でも高給鳥の国鉄職員なんか居ません。長く働いて定年頃にやっと一息程度
国鉄は薄給でも、嫁も居て家も建ったなら今のワープアよりは良かった? >>572
国鉄職員時代のことはわかったよ。じゃあJR社員になってからはどうだったのかな? >>572
JR西日本の駅とか車掌の放送聞いてると寅さんの発音になってて花の桜の発音じゃないね >>574
それを何で572に?
570の間違いじゃね? >>563
生き残ってるサンライズ瀬戸も4社にまたがってるんだけど はやぶさ、さくら、富士は深夜早朝に大阪にも停車してたんだけど、大阪で乗り降りする人いたのかな?
大阪から九州へは別になは、あかつき、彗星があるのに >>563
東京・九州ではないのと電車だから牽引機要らずなのと車輌を西・海で持っているのと
もそもそ客車をQ・東に持たせたのが運の尽きだったよね 東京発のブルトレ最盛期は「あさかぜ」が3往復(ただし一往復は下関止まり)だった
1970年10月から新幹線博多延長開業の1975年3月までと思われる。
今はない在来線14番15番ホームの夕方から夜にかけての情景は壮観で
一種独特の厳かな雰囲気お醸し出していた。 自分が始めて東京駅いったときは14,15番はもうなかったな。調べたら1973年になくなってる
13番も工事してた。いまとなっては12,13番どころか9、10番も新幹線だからな
跡形もないな。南部機待線は残ってるっぽいけど、昔のじゃないよな
また、機関車列車が来ることはあるんだろうか >>576
>>578にも答えが書かれてる。
国鉄時代の車両ベースで分割民営化をしたので、分割民営化後のグレードアップが不自由になった。
サンライズは、北斗星やトワイライトの成功モデルや、寝台列車の衰退理由を研究されただろう。
それから既存の瀬戸・出雲の置換えで、車両受持ちを走行区間の長い西日本・東海に任せたから。
しかしサンライズも、車両寿命が終わると恐らく廃止。 車両ベースってなんだろう
はやぶさ・富士は分割民営化直前まで品川が担当だったし
1987.4時点の定期夜行寝台特急急行他社乗り入れ分のみ(客車・電車)
E:東日本車 W:西日本車 K:九州車
なんと東海車は皆無(大垣夜行? 快速だね)
直江津−東日本−上野/青森
直江津−青森 日本海1・4W
直江津−新潟 つるぎW、きたぐにW
東京−東日本−熱海
はやぶさK、富士K、みずほ基本K、さくら基本K
あさかぜ3・2W、瀬戸W、出雲3・2W、銀河W
熱海−東海−米原
はやぶさK、富士K、みずほ基本K、さくら基本K
あさかぜ3・2W、瀬戸W、出雲3・2W、銀河W
あさかぜ1・4E、出雲1・4E、みずほ付属E、さくら付属E 米原/直江津−西日本−下関
直江津−大阪 日本海3・2E
直江津−金沢 北陸E、能登E
米原−下関 はやぶさK、富士K、みずほ基本K、さくら基本K
米原−下関 あさかぜ1・4E、みずほ付属E、さくら付属E
米原−福知山−浜田 出雲1・4E
新大阪−下関 なはK
下関−九州内
下関−博多 あさかぜ1・4E
下関−佐世保 あかつき付属W、さくら付属E
下関−長崎 あかつき基本W、みずほ付属E
下関−大分 彗星付属W
下関−都城 彗星基本W
個別
米原−名古屋−塩尻 東海区間 ちくまW
塩尻−長野 東日本区間 ちくまW >>583
てか東海の在来線車両はジョイフルトレイン車両も含めて西日本と東日本以外のJRで走った事例がなさそう 食堂車の営業終了が1993年3月でもう30年前になった。
終了前日の3月17日仕事を終え東京駅に見送りに行った。
食堂車のスタッフがホームに向かって一列に並び
深々と挨拶していた姿が目に浮かぶ。 ブルトレの乗務員は新幹線と並んで子供の憧れだった? そりゃあっただろう
蒸気機関士なんて種別関係なくそれ単体で憧れの職業だったわけだし 機関車の運転も車掌も新幹線より楽しそうではある
特にEF66とか510なら、新幹線より運転してみたくなる 東京発のブルトレはみずほ、紀伊、いなば以外の出雲、瀬戸、銀河も含め乗車したが
食堂車の利用は少なく、はやぶさと富士の2回しかない。
はやぶさは1988年5月の連休中、九州旅行に行く際に利用したが
機関車の故障で藤沢駅で機関車交換のため長時間停車したアクシデントに遭遇し
ホーム伝いに食堂車に行きビーフシチュー定食を食べた。
富士は1990年代初めごろと思うがバイキング形式だった朝食を
山口の瀬戸内海を見ながら食した思い出がある。 ちょいちょい話が出てくる「バイキング形式の朝食」ってどんな感じだったんだろ?
あの狭い食堂車、しかも揺れる中で、立ってビュッフェ台まで移動して、汁物とか自分で入れるって至難の業のような
あと、食数限定じゃないから、足りなさすぎたり余りすぎたり、が頻回に起こってたのでは >>594
すまんが全く記憶にない
特に苦労した思いもないが和食ではなく洋食のバイキングだったと思う。 >>594
1989年の上りみずほで利用したけど、当時街中であったバイキングレストランと雰囲気は似てた。
料金会計して、必要に応じて食器を取って、空いてるテーブルで食べた。
その際利用したみずほの寝台は空いていたので、朝の食堂車も空いていた。食堂車スタッフも手持ち無沙汰の雰囲気だった。
その当時の九州ブルトレは、国鉄時代より衰退した場末感があった。みずほだからかもしれなかったけど、寝台特急のスポットが北斗星になり、九州ブルトレに衰退感が生じてた。 トワイライトエクスプレスは夕方に日本海、明け方に津軽海峡を眺められるような運転時刻にしたとか
youtubeで聞いたけど
東京~九州夜行にはそういう時間的配慮はなかったのかな >>598
下りの朝、瀬戸内海。
さくら・はやぶさは、朝起きると下関だったから、下関と門司の機関車交換と、北九州の工業地帯がそれに当たりそう。 >>598
実用列車だったから、よい意味で時間的配慮はなかったでしょうね
朝メシを食う時間帯になったら食堂車へ行く、ただそれだけ(羨ましい)
それはそうとレチ氏の通し乗務って、令和の尺度で見ると相当に過酷な勤務でしたよね
北斗星が登場したとき青森(蟹田?)で交代と知ってへぇと思ったけれど
今やサンライズは境界駅でキッチリ交代なのよね >>600
汎用列車の場合は逆に季節によって楽しめるときがある。
逆にトワイの場合は、時間的配慮した側のスジが固定だから
季節によってズレてしまう。 トワイライト、下り札幌着からスジを作ってるでしょ。それで日本海側がそうなっただけだよ
日本海側でトワイライトしたかったら鶴岡を18時ころにしただろうしな >>588
自分、ブルトレブームのころ小6〜中3だった世代なんだが・・・
あのころのことを思い返すと、基本的にブルトレの人気ってのは機関車+客車の編成のカッコよさであって、
ブルトレの乗務員への憧れってのはほとんどなかったと思うなぁ
ていうか、ブルトレの乗務員っていわれても、なんですかそれ?みたいにピンとこないやつのほうが
多かったんじゃなかろうかな・・・
やっぱりあのころの子供たちの憧れってのは新幹線の運転士、だったと思う
あくまでオレ周辺の話ね。ほかのかたがたはどうだったかは知らん。 BS松竹富士で「皇帝のいない八月」放送中
いま上り「さくら」が博多を発って、寝台を作ったところ すこし昔話をしてみる。
富士はやぶさラストラン関係の話題
廃止後、例のハゲイナバ氏の販売動画を買ったけど
コピーライトが大きく邪魔な位置にあって
せっかくの映像価値が台なしで残念だった。
画質は落ちるが、youtubeの「NEWYORK55MATSUI」氏の
関連動画のほうが良い(当時から注目してた)。
ただハゲイナバ氏をフォローしておくと
当時のやりとりで親切な方でした。 h ttps://twitter.com/OmoriTkb/status/1736566744112861591
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おそらく当該運転士は九かな
https://twitter.com/thejimwatkins 山陰に行っちゃったのと、京都発も仲間に入れてやれよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています