ホームに響き渡るのは、両線を占めた0系電車の甲高いブロワ音で、共鳴もあってかヒューンと笛音の混じったようなタービン音に似たトーンだった。
東海道新幹線開業の翌年、先回のオリンピック・イヤーの次の年の夏、東京駅の新幹線ホームに祖父と居た記憶は鮮明だ。
祖父はよくどこそこへと幼い私を連れて行ってくれる人であったが、特に写真を撮ることもなかったので、商店会の団体旅行に帯同した時か、稀に、新聞社に勤めていた叔父の同行でもなければ画像は残っていない。
しかし何故か記憶は客観的である。
当時は斬新だった団子っ鼻の先頭車ではなく、長広な窓の2等中間車の側面を背景にポツンと立つ私自身の姿。
もちろん記憶の中の新幹線電車は鮮やかな青白のツートーンカラーである。