推進運転の思い出
名鉄三河線で黒デキが黒ワム4〜5両挟み込んでのんびり走ってた うわここ推進運転かプッシュプル運転書いてしまった汗 1、2両なら見通し付くから安全として、100両は無理?
法令で上限が決まってるかな 尾久客車区から上野間が、
日本最長の推進運転区間になるのかな。 機関車+客車、または機関車+貨車は画になるが
電車がこれやってもツマンナイね 編成も長いから、可搬式ブレーキ持った係員が乗っていたね 走行距離は長くないだろうが、森林鉄道は推進運転が日常的だったのでは。
台湾の阿里山鉄道もその一例。先頭となる客車に機関車制御機器はついてないのでプッシュプルには当たらないようだが 1972年頃、オハフ61の車掌室を運転室に改造してEF58を制御して
押させる試験を日光線宇都宮口でやってたけど
当時の国鉄はどこまで本気だったのだろうか。。。 >>12
気動車と電車のの試験もあったと記憶している。 昔はケガ人や死者が出る事故も発生したのでは無かろうか >>19
碓井峠でも坂下になる横川寄りに連結するから、
登る時は推進運転の一種と言えまいか?
アプト式に乗ったのは遠い昔で、
機関車が後ろから押し上げたのは覚えているけど、
先頭の機関車もアプト式でないと給電を受け取れない。
粘着運転になってからは、
電車列車や気動車列車は登りは推進運転に、
後に協調運転になった時は広い意味では推進運転か。
客車列車も多くて、
横川までけん引してきた機関車が、
峠を昇る時どうしたか、
全く記憶が無いのが残念。 >>20
You Tubeで見つけた。
客車列車と貨物列車が碓氷峠を昇る時は、
先頭にED42が本務で付いて、
後ろにED42が3両補助についていた。
ED42は第3軌条からの受電以外に、
パンタグラフもついていた。 同じ様な峠登坂の粘着運転でも碓氷峠は機関車推進で板谷峠は機関車牽引と違っていたのはなんでなん? 薄いなんて書かずに
ハッキリと面白くないと書いてやれw 推進運転が普及しないのは、どうしても連結器部分に全ての力が懸かり、破損する危険性が高いからという 観光路線みたいにゆっくり走るのはいいけど高速で走るのはさすがに怖いか 下り「奥出雲おろち」も近いうち過去帳入りするな。
(運転操作こそ客車側に引き通されてるが推進運転には違いない) >>25
スレ的・狭義的にはちがうが、
広義には「そういう見方も可能」だね。 >>41
ラッシュ後に御影で前切り離したら運転台がなかった 三角線やループ線を造る土地は無くても機回し線ぐらいなら造れそうなものだが… ループ線や三角線が普及しないのは用地確保の問題もあるが
車両の向きが変わることが保守の面で具合が良くないからじゃないのかな 近鉄は特急は名⇔阪の向き(伊勢中川以南は上本町発と名古屋発が逆向き)で
そのほかは名古屋・上本町⇔宇治山田(伊勢中川以南同じ向き) >>45
昔ジェットカーにのっぺらぼうってあだ名された列車があった >>48
両運なら不都合ないと思うけどそうでもないのか >>52
スレの趣旨を御理解の上投稿するようお願いします 推進運転の思い出であってこれからの話をする場所ではないですよ 東武りょうもう号に簡易運転台付モハがいた
推進運転の計画があったとかなかったとか >>56
館林の構内入替用
http://www.ops.dti.ne.jp/~yukiden/t-photo/1800/1800.html
http://www.ops.dti.ne.jp/~yukiden/t-photo/200-250/200-250.html 簡易運転台を先頭に運転するのは推進運転じゃないだろ >>58
簡易運転台を先頭に走ってる姿はオカルト的ですな