【おおぞら】キハ80系を語るスレ 3D【かもめ】
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京都→長崎を走った80系「かもめ」は、3D時代が長かった。 特急「ひだ」「南紀」のキハ80系の一部の車両のシートが117系や185系と同じ転換クロスシートに
交換されたとき、転換クロスシート車は指定席、ブルーの旧式の回転シート車は自由席車用と
差別化が図られ、指定席車の転換クロスシートは長時間腰掛けていても疲労が少なくなり、
快適になったな。 「ひだ」はとにかく、「南紀」では転換クロスシートの格落ち感は否めなかったな。
晩年の現役時代の晩年、既に急行「かすが」や快速「みえ」で、新幹線の簡リクと交換したものがあったから、
それに比べると、転換クロスはやはりしょぼかった。
117系と同じ、と言う点で余計。 北海道のキハ80系は、国鉄末期になってシートのモケットのみキハ183系と同じ茶色のものに交換されたり、民営化後はシートがキハ183系と同じものに交換された車両もあったな。 >>98
高砂工場の持ち出しに国鉄が関与してなかったんだよ。
お前が一番素人 >>108
業者が適当に持ち出した。
国鉄職員でも番号は判断しにくい状態。 高砂工場には、札幌運転区で廃車になったキハ82-45とみられる車両が留置されていたという
この車両も剥がされたナンバーの文字の跡などからは、本当にキハ82-45かどうかはわからないが 転クロでも0系の物と117系の物では
けっこう違うからなあ。
後者なら腰掛交換する意義が感じられない。
北海道の腰掛は民営化後に183-500のリクライニングシートへ替えられていたな。 国鉄民営化後、JR東海のキハ80系によるイベント列車か団体臨時列車が京都から山陰本線に
入線して運転されたことがあった 「はつかり」の頃は知るべくもないが、45〜6年ごろ上野駅で「いなほ」「ひたち」をよく撮っていた。
夕方、「いなほ」のマークのまま地平ホームに入線してきて、停車するや「ひたち」に換装(?)
するのを眺めていた。翌朝帰ってくるときは高架ホームだった。
そういえば中間にキハ82が組み込んであったが、あれは補助電源対策だったんだろうか? >>114
> そういえば中間にキハ82が組み込んであったが
それは昭和47年3月改正以降だね
9両編成になったから発電用エンジンが3機必要 それまで、発電エンジン搭載のキサシ80が連結されていたってこと? >>116
それまでは7両編成だったからキハ80二両でまかなえてた
>9両編成になったから
と書けばそれ以前はもっと短い編成だったと理解できると思うんだけど無理? >>116
「はつかり」はキサシ込みの10両編成だったね キハ81
「つばさ」時代は7両だから電源車2両で済むが、「いなほ」転用後すぐはどうだった?
最初から9両くらいはあった気がする
だとすれば、中間にキハ82が必要になる >>115
解説有難う。7連から9連になったんだね
>>120
資料をありがとう。なんせ昔のことだから記憶があいまいになっているよ(笑)
当時、羽越線電化のあとすっかり廃車になると思っていて、転用と聞いて「くろしお」が気の毒になった覚えがある
キハ81にせよモハ181にせよ薄汚れていてボロに見えていた(当時中学生)
邪推するに、都内の車両基地で河川や下水の汚染防止のため洗剤を使えなかった・・とか?公害のため(笑) >>121
冬至は尾久や田町じゃなくて秋田や新潟に移管済み 小学1年生?の頃ばあちゃんと白浜に旅行に行った時、まだディーゼルで、行きはきのくにに
帰りはくろしおに乗ったんだが、そのくろしおは白浜で増結で、先頭車に乗った。
そう、あれが生涯唯一のキハ81乗車体験だった。翌年には53・10で消えた。 キハ81は、秋田機関区から和歌山機関区に転属するとき、日本海縦貫線を米原まで下って、
米原から吹田、吹田から城東貨物線、阪和貨物線経由で杉本町へ出て、そこから阪和線経由で
和歌山機関区へ回送された車両と、平から回送で尾久客車区、尾久から機関車牽引か、
自走で名古屋第一機関区、そこから関西本線、和歌山線経由で和歌山機関区へ回送された
車両があるようだ 9月26日がキハ81のいなほ、ひたちの最終運行日
で10月2日にはくろしおとして運行開始だから日程タイトだね >>124
>>125
和歌山以外、名古屋、亀山、多気、新宮、紀伊田辺で現車による研修があっただろうから、
結構きついだろうな
他に運転業務担当しているところがあったかな 和歌山機関区では、紀勢本線和歌山〜新宮間の電化前にキハ81-2を秋田機関区から
借り入れて、キハ81を試運転させて同車の運転席の高さと阪和線、紀勢本線の信号機の高さを合わせたりするなども行われた いきなりキハ81で通過駅でのタブレット扱いとかつらそうw >>127
電化前ではなく、キハ81型が「くろしお」で運用が開始される前に トヨタCH-Rのフロントビュー、キハ81に似ている。 JR東日本に承継されてたらアルカディア火災事故後のDMH17H全廃政策でエンジン交換の対象だっただろな
副次的効果でエンジンの許容回転数向上で110キロ運転対応になってたはず
キハ185はキハ82と同一減速比だがエンジンの許容回転数が向上してて110キロ出せる 追記
発電エンジンも交換しないといけない(DMH17H-Gであるため) 1989年、修学旅行は団臨でキハ82だったな。
行きは千歳周り、帰りは山線経由で俺は嬉しかった。
あれが最後のキハ82 高砂工場でのキハ80系の全般検査では、エンジンを取り外して、同工場で検査、整備済みの
キハ80系用のエンジンを換装し、検査のために取り外されたエンジンが検修に回されるという
作業工程だったようだ >>135
そんなもん国鉄工場に限らず鉄道工場なら大体どこも同じような工程じゃない?
ワンオフ的な車両は別にして。 >>135
>>136が言うとおりそれが普通。じゃなきゃ全検出場に時間がかなりかかることになる。 EF66の振替台検という記事でその方法を知った。
職場で多用するものについてワンセット多く用意するという改善案のネタにした。 台車を余分に用意して検査済みの台車に交換もやってたな
国鉄末期にこのような検査は廃止され余ったパーツで103系3000番台を作った キハ81の台車は交換されて、それまでの台車はキハ58系に流用されている >>140
そのキハ58が履いてたDT22系台車はキハ55初期車の台車交換に転用された。 大阪・弁天町にあった交通科学博物館がリニューアル工事中の時、屋外展示されていた
キハ81は、同科学博物館から一時姿を消していたが、同車は大阪港の方でシートを
被せられて仮留置されていたらしい。 >>143
テニスコートやコインパーキングになっている くろしおにキハ81が使われていた頃、基本7Rの先頭はキハ81でも、付属の3Rの先頭はキハ82ということはあったのでしょうか?
また、キハ81が基本の7Rは、必ず名古屋行きに使われていたのでしょうか?
もし名古屋行き限定だったのなら、その理由が判れば教えてください。 >>146
>付属の3Rの先頭はキハ82ということはあったのでしょうか?
それはあった。
>また、キハ81が基本の7Rは、必ず名古屋行きに使われていたのでしょうか?
名古屋−天王寺のくろしおは、最低どちらかの先頭がキハ81だった。
詳しい理由は分からん。 >>147
分割併合のやりにくいキハ81を中間に入れない為だったかと。
だから分割併合の無い名古屋–天王寺運用の両端が本則。
末期は基本の天王寺方に入った事もあった様だけど。
俺が乗った白浜増結のキハ81は何号だったんだろう。 ご教示ありがとうございました。
天王寺〜名古屋の全区間を10Rで走行していたのですね。
串本辺りを走行中の新宮方がキハ81、天王寺方がキハ82の7Rの写真を見たことがある(確かRF)のですが、あれは名古屋くろしおではなく、新宮くろしおだったのてをしょうか。 >>149
末期の頃は
1号車キハ82+2号車キロ80+4号車キシ80+5号車キハ80+6号車キハ80+7号車キハ80+8号車キハ81+9号車キロ80+10号車キハ81
※9,10号車は多客期のみ連結。3号車は欠。
という編成だったらしいよ
ソースARC >>150
それピクトリアル78-12号にも載ってるよ。 >>150
>>151
早速ありがとうございます。
これなら、8号車と9号車の間は通り抜けできなかったんですよね。
9号車と10号車の人は、名古屋行きなのに食堂車に行けなかった(車販も来なかった可能性も)とはお気の毒な。。 >>150の編成ではキハ81が8号車と10号車に連結されることになっているが、
編成の中間にキハ81を連結することってあったのかな? >>135-139
国鉄はそれをやってたから、保存予定の蒸機を間違えたりしたのだろうか?
関東大震災の頃、義経のつもりで東京に保存のため回送されてきた7100形蒸機が
実は弁慶だった、という話とか。
スレ違いスマソ。 >>154
それはまた違う話かも?
工作精度の都合、蒸機は1両毎にバラしては同じモノで元に戻さないとアライメントがズレたりして不調をきたしてしまうので。だから各部品に形式・車番が打たれてたし。
ただ、末期を中心に他車から流用して、ってこともあったりするみたいだね。
取り違いと言えば他にも色々とあるな。
京都鉄道博物館にあるキハ81 3が、実は車番だけ変えられた5とか。 >>152-153
150は恐らく8号車をキハ82と間違えてないか?
8号車に入れるくらいなら1号車をキハ81にするだろうし、
昭和51年ごろにキハ81の一部を廃車したので、末期にキハ81を両端に入ることは滅多になかった。 >>156
8号車をキハ82にすると
キハ81は多客期しかお仕事無くなる ネット上で新宮だったかのくろしお同士の行き違いでキハ81が並んでいるのを見たことがあるなぁ。その当時は3と5が残るのみだったはずだから、そのときすでに両端キハ81編成はみられなかったみたい。 >>157
ならば1号車をキハ81にして、キハ82と入替えればいいだけ。
少しは考えろ!
現実には昭和51年10月改正から、名古屋〜天王寺のくろしおも、両端キハ81が滅多に見られなくなった。 >>159
俺が考えても意味ないだろ
当時の国鉄がやってたことなんだから ところでキハ81を中間に組み込んで制御回路引き通しはどうするんだ >>150
離れ小島?の付属編成の9号車にわざわざキロ80を組み込んでいる理由は、レチさんの居場所のためかも。
ちなみに、当時のDCくろしおのレチさんの乗務状況は、本編成に2名、付属編成に1名でしたか? >>162
欠車の3号車が本来グリーンだからその代わり >>156-161
>>161の言う通り制御回路の問題もあるし、やっぱり中間にキハ81って考えにくい。
RF 78-08に載っている最後の年(78年)5月の7連の2Dの写真には天王寺方先頭に
キハ81が連結されていて、8号車に連結されていたことが確認できる。
RP 78-12には同年8月の新宮での1D、2Dの交換を天王寺方から撮った写真が
載っているが、1D、2D共先頭がキハ81で1Dは10号車(次位はキロ)に連結されて
いたことが確認できる。
で、キハ81は1D、2Dに各1両、通常期は8号車に連結して9,10号車の連結はなく、
多客期に9,10号車を連結する場合は10号車がキハ81で8号車はキハ82だったのでは
ないかと思うがどうだろう? 制御のKE62を2つ仕込めるほどの穴が開いていないから無理じゃねー
ツナギ板接続も違うし
51.10に向日町からキロが増備されるまで、キロの予備車はない
52.12に81が4両廃車で、
53.1から残った81×2はキロと2両増結へ組成再編され、名古屋発着編成は基本でのキロ2両立て続け連結もなくなる
先頭車予備は81が1両と82の各2両しかなくなっており、超繁忙期に82が3両(あと転車台で反転させたら1両増加)ダウンしたら81しか投入できなくなる >>165
時刻表の編成表からは、1D・2Dくろしお5/2号はほぼ2・3号車グリーン車の
10両編成だった。新婚旅行需要が減退したので、150の編成に変更したのか?
もっともダイヤ改正間近だと、転属や廃車など絡むから編成変更もあり得るけど、
衆目の通り中間にキハ81が来るのは不自然。
なので9・10号車連結時は、おっしゃる通り8号車はキハ81ではなさそうに思う。
新宮電化完成後の特急南紀がキハ80系6両編成となったので、元々名古屋口で10両は
輸送力過剰だったかもしれない。
でもコロナ禍とはいえ、今の特急南紀が2両編成で運転とは、尾鷲・熊野地方もかなりの過疎化か? ピクの78-12を信じるなら8号車にキハ81は存在してるんだわ。
あと増結編成が1号車側に来たりで当時の撮り鉄を悩ませたらしい。 >>172
キハ85系200番台は当初、「南紀」用として製造されて、「ひだ」とは運用は別になっていて、シートのモケットが背ずりの裏側にも回り込むなど、座席が改良されたりして0番台よりグレードアップされているが、最近は200番台は「ひだ」で運用されて、
「南紀」は0番台車で運転、200番台は「南紀」運用に入らないなどして、
「南紀」は冷遇されているように見えるな >>164
ナゴヤ球場輸送ってそれじゃなかったのかな? ナゴヤ球場正門前って超スーパー乗り得列車だったな
有り合わせの気動車使ってたので車種を問わず運賃だけで乗れた
野球観戦しないのにキハ82に乗るためだけに乗車した鉄ヲタもいた? JR東海に在籍していたキハ80系改造の「リゾートライナー」は、ジャンパ回路を急行型に合わせたため、特急「南紀」「ひだ」用のキハ80系とは連結できなくなり、キハ58系などと連結されて運用されていたな。 >>176
1979年の臨時増刊名鉄特集では、1ぺーじの2/3(もう少し多かったかな)ほどの正誤表が
後の定期号に載ったな、
あの頃のピクはちょっと中途半端なやつが多い 和歌山機関区でキハ82とキハ81が向かい合って連結されて留置されている写真を
見たことがあるが、検査の関係か工場への回送列車なのか >>172-173
キハ85が80系を絶滅に導いたのに、それが老朽化とは相当年月が経ったものだなw
南紀がキハ85に置換えられたのが1992年だから、80系絶滅から30年近くか!
80系気動車の現役時代を知る者は40歳以上だろうな。 キハ80系南紀を名古屋から紀伊勝浦まで
乗ったことあるわ・・・(*ノωノ) >>183
40代以上より未来の鉄道が見られるように長生きすれば良い 特急「南紀」のキハ80系は、名古屋〜紀伊勝浦間を1往復半するごとに給油されていた
ようで、列車によっては紀伊勝浦に到着後、新宮運転区へ回送、そこでも給油されて、
再び紀伊勝浦へ回送、折り返し名古屋行上り「南紀」となる列車もあったようだ >>185
そりゃまあ一往復半なんだから
両方で給油するわけだよな 運転開始当初、キハ80系で運転されていた特急「おき」と、舞鶴線、宮津線経由で
運転されていた特急「あさしお」1往復は、表定速度53キロと日本一遅い鈍足特急として有名だった。「おき」がキハ181系化されるまでは両列車とも米子発着の
「あさしお」1往復と「はまかぜ」1往復と車両は共通運用されていた。 駅ホームに給油設備を設けて乗客を乗せたまま給油に挑戦はしてないな
白鳥でも無給油で走破できるくらい燃料タンクが馬鹿でかい
現行の気動車は1000キロ以上もの超長距離で走行する事が無く燃料タンクが小さいのか? >>188 駅ホームに給油設備?
編成のエンジン付きの各車両(ほとんど全車両だろうけど)の給油のために、何人もの駅員が張り付かなくてはならなくなるんでは?短い停車時間中にどれだけ給油できるのか?
小規模な私鉄線ならともかく、非現実的としか思えない。 元カラそういう意味のこと書いてるようにしか思えないんだが。 間違っていたらごめん・訂正よろしこ
キハ80系 走行用550リットル/エンジン・発電用800リットル/エンジン
キハ181系 キハ181が2200リットル/「両」、キサシ180以外の中間車が1500リットル/「両」
キハ183系 900リットル/「両」
キハ283系 1160リットル/「両」
キハ185系 600リットル/エンジン(キロハ186のみ800リットル/「両」)
キハ189系 650リットル/エンジン
キハ120 450リットル/エンジン・両 >>185
53.10特急「南紀」登場時
1日目 朝の1号で名古屋から紀伊勝浦、新宮まで回送 泊
2日目 昼に新宮から紀伊勝浦まで回送、4号で紀伊勝浦から名古屋 夕方名古屋から紀伊勝浦 新宮へ回送
3日目 新宮から紀伊勝浦、2号で名古屋すぐ折り返し3号で紀伊勝浦、折り返し6号で名古屋
3D→6Dの際、一旦新宮へ戻しているかもしれん、
間違いがあったらすまん >>188
そういや宇和島駅にはホームの間に給油設備が有るな。 >>195
【擬人化】885系かもめ
何でここに? >>188
江若鉄道では三井寺下で客を乗せたまま給油していた 実際は危険物の規制に関する政令第27条で給油中エンジン停止が義務付けられてるので車内が停電しちゃうな
真冬のDMH17系だとエンジンの真下に火鉢を置いてオイルパンを温めないと始動できない
ダイヤ乱れで長時間足止め食らってアイドリングで燃料浪費しちゃったらどうするんだろ ブルトレのカニとか満タンで何時間稼働できたんだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています