【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 2両目
蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!!
前スレ
【分散電源方式】国鉄12系・14系客車
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1434740192/ >>131
20系、全車にベビコン搭載の方が驚いた。ならオロネ10の6両制限もそうなのかもな
ただそうだとするとその後の12系はベビコン止めていてもBPだけで問題ないってことにはならないよな
そっちにも両数制限はかかると思うんだが
>>132
あなたは現実社会では説教臭い人って認識されてるし、別にここで信用されたいとも思ってない
本当の事実って言った奴と、あなた含めて「本当の事実」っていう言葉にひっかかってる奴らに言いなよ >>132
なんでいきなり出てきたこの馬の骨とも分からないお前のレベルに合わせて話さなきゃならんのよ
ここはお前の知恵袋でもないし学校でもない
判断つかないなら自分で調べな
お前以外は各自自分で調べてるんだから
>>133
回送ならドアの開閉もないし、ブレーキ制御機構も旧客より進化してるから、12系は6両以上でもBPからの供給で運転上支障はなかったのかもね(推測) >>132みたいな文句つけてるだけのヤツなんてどうでもいいし、この場で信用されたいとも思ってないわ >>133
> 別にここで信用されたいとも思ってない
>>135
> この場で信用されたいとも思ってないわ
じゃあ何で言い合いになってるんだろう?
不思議な話だw 言葉は通じるが会話は通じないようですね
お疲れさまでした 12系客車 CL自動空気ブレーキ装置ツナギ図
ttp://www.tetsushako.or.jp/contents/data/3308/20150121141535_IJNkuVUbhC.jpg
ttp://www.tetsushako.or.jp/cgi-bin/museum/list_info.cgi?n=3308
小さくて判別しづらいが、右下部分を見るとBPとASPが逆止弁等を介して繋がっており、空気バネへはASPからだけではなくBPからもエアが供給出来る構造なのが判る 客車の空気バネがBPからエアを供給されるのはオロネ10やAREB化前の20系客車がそうだったように当時としては当たり前だったから、
12系の解説記事の中で一切言及がないのは特段不思議じゃないわな 右下部分を見るとBPとASPが逆止弁等を介して繋がっており、
↓
右下部分を見るとBPとASPの双方から逆止弁等を介して空気バネにエアを供給している容積空気ダメに繋がっており、 >>131
これか
MT54Bさん 2020/9/5 0:25
冒頭お断り致しますと、私が実際の業務で関わった客車は12系と14系だけなので20系については元本職としても正確な知識は持っておりません。
ご存知の通り12系も14系も空気バネを使用しておりますが、BP(ブレーキ管)以外の引通しが必須ではありません。
このことは20系も同様です。何故ならかつての高速貨車も含め、客貨車の空気バネはBPからのエア供給だけでも作用できるものだからです。
一例として客車の「水揚装置」などを例に見てみましょう。
旧型客車から床下の水タンクから洗面所便所に水を出すためにエアを用いていましたが、あれはBPからのエアで賄われているのです。
あるいは戸ジメのエアも然りです。
新系列客車では客車にも空気圧縮機(Cp)を持ちますが(なお、正しくはベビコンとは云いません)、現状ではこの客車のCpを使用停止していて
問題無いのです。
というのも機関車の自弁が運転位置のときは実質的には「緩め込め」であって常時BPにエアを込めていますから、そのエアで水揚や空気バネが
作用するのです。ブレーキは少なくとも一気に数十k?減圧しないと作用しません。
また、客車の場合、BPの他に引き通される空気管はMRP(元空気ダメ管)ではなく、実はASP(空気バネ主管)なのです。
つまりブレーキ関係はBPに由来する補助/付加空気ダメのエアがBCへ送られるのです。
字数もありますから詳細は書ききれませんが、当該Wikipediaの出典もガセネタ専門誌も含まれますから、はっきり云って元本職が読めば視界が
暗転しそうなデタラメもちらほら出てきます。
空気バネを持つ客車を組成したとき、最初はBPのみ貫通している場合は機関車からの込めに物凄く時間が掛るのは確かですが、いったんこもって
しまえば、あとはBPだけでもちゃんと作用するのです。 >>144
真実みたいなこと
妄想しすぎること
それを それを それを 愛と呼んで
とても とても 愛に依存症だよ 福山雅治の歌詞かw
今思えば、12系をオリジナルの青モケットのまま維持し続けている
わたらせ渓谷鐵道に拍手をおくりたいね
・・・とはいえ、いつまで持つかなぁ > あの手の記事も思い込みが多くてw、後年間違いが指摘されてるが。
結局思い込みだらけで間違いを指摘されたのは自分自身だったというオチでしたな >>133
20系客車の空気ばねは、さくら用新製車から電源車以外の各車にベビコンを搭載し空気源をBP管から独立させたとあるが、各車間でのASP
(MRP)の引き通しまではやっていない
下記の鉄ピク2020年11月号別冊に日立笠戸工場で撮影された「あさかぜ」用新製車のデッキ側連結面の写真(p68)があり、「左からKE-2(一般),
連結器,制動管,KE-2(冷暖房),KE-59(操作回線)」との注釈が付いており、新製当初はASP(MRP)の引き通しがなかったことがわかる
鉄道ピクトリアル1985年3月号の記述(p18)
増備車主要設計変更点
昭和33年度債務負担(さくら用)
・空気バネがパンクした状態で高速走行を行っても安全性に問題がないことがわかったため,空気バネ警報装置を撤去した.
・バネ用空気ダメの圧力低下を防止するため,小形電動空気圧縮器(ベビコン)を荷物車以外の全車種に取り付けた.
鉄道ピクトリアル2020年11月号別冊 国鉄形車両の記録 20系固定編成客車の記述(p17・23)
「あさかぜ」用新製車
■台車
空気ばねに使用する圧縮空気は,空気ブレーキの付加空気溜からとり,自動高さ調整弁により,自動的に供給したり排気したりするようにした.
「さくら」用新製車
増備車設計変更点
■台車
また,空気ばねがパンクしても高速走行の安全性には問題がないため,空気ばね警報装置の取付をやめた.このほか,空気ばねの圧力低下を
防止する目的で,それまで制動管より得ていた空気源を独立させて小形電動空気圧縮機MH88-AK18(ベビコン)を備え,付加空気溜および補助
空気溜の容量を在来車より増加して制動効率の向上を図った. 鉄道ファン1978年1月号の記述(p19・20)
20系客車のあゆみ
(略)
翌年の34年には,”あさかぜ”に続いて”さちかぜ”あらため”平和”の20系化が行われることになった.”平和”の20系化用として作られたのは
日車16両,日立18両の合計34両で,この中にはカニ21・ナロネ22・ナハフ21という新形式が含まれている.
(略)
さらに,全体の改良として,今までブレーキ管からとっていた空気バネの圧縮空気はブレーキ扱いに不都合が生ずるおそれがあるため各車に
小形のコンプレッサーを取り付けることになった.これにより空気バネは原則として専用の空気源から圧力空気を受けることになった.そして,
”平和”は同年7月の改正で20系化されたが,このとき名称はふたたび変更され一度は消えた”さくら”となった.またこの時”あさかぜ”の編成も
変更され,ナハネ20がナロネ21に置き替えられている. 20系の空気バネがブレーキ管からエアの供給を受けていたのはごく短期間だったんだな 20系のAREBはその後CREBへ進化してたんだな
1958年 20系特急固定編成列車「あさかぜ」にAS形自動空気ブレーキ装置を採用
ttp://www.tetsushako.or.jp/cgi-bin/museum/list_info.cgi?n=3305
1968年 20系特急客車列車の110km/h化用としてブレーキ率速度制御付AREB形電磁自動ブレーキ装置が採用
ttp://www.tetsushako.or.jp/cgi-bin/museum/list_info.cgi?n=3307
1969年 12系でCL自動空気ブレーキ装置が採用
ttp://www.tetsushako.or.jp/cgi-bin/museum/list_info.cgi?n=3308
1971年 20系客車にCREBブレーキ装置を採用
ttp://www.tetsushako.or.jp/cgi-bin/museum/list_info.cgi?n=3312 >>132
>信用してもらいたいならきちんと納得されるソース持ってこないと駄目なんよ
文句つけるだけで信用の欠片も判断する知識もないお前に信用されることに何のメリットがあるの? >>124
>ググると機関車とはBPのみを繋いでいる12系の回送列車と試運転列車ばかりわんさか出てきますけど
ホントそれな
ttp://livedoor.blogimg.jp/akashi207f1/imgs/3/6/36ef7793.jpg
ttp://livedoor.blogimg.jp/akashi207f1/imgs/b/b/bbf57432.jpg
ttp://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/warayono/20190813/20190813063403.jpg
ttp://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/warayono/20190813/20190813063407.jpg
ttp://livedoor.blogimg.jp/jr225to287/imgs/3/0/309a2075.jpg
ttp://livedoor.blogimg.jp/jr225to287/imgs/5/a/5a48fe05.jpg
ttp://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/9d5744c76d6d54de935cf1f6f807f5dfd696cbd7.27.2.9.2.jpeg
ttp://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/581b1e0b47239a3ac37768448b8029e9f8e75f27.27.2.9.2.jpeg 買って損はなし
鉄道ピクトリアル(電気車研究会)@tetsupic
本日、弊誌「国鉄形車両の記録」シリーズ最新刊、「14系寝台・座席客車」発売となりました
定価2400円ですが価格の分だけの内容と自負しております
何卒お買い求めのほど、よろしくお願い申し上げます
ttp://pbs.twimg.com/media/FLrvAdFagAI-A0o.jpg
ttp://twitter.com/tetsupic/status/1493769266793181187
鉄道ピクトリアル(電気車研究会)@tetsupic
皆さんおはようございます
本日弊誌3月号別冊 国鉄形車両の記録 14系寝台・座席客車 弊社に到着致しました
一般販売は16日となりますので、いましばらくお待ち下さい(予想していたより厚みと重さがすごいです
ttp://pbs.twimg.com/media/FLhbYvLaQAAfkkH.jpg
ttp://twitter.com/tetsupic/status/1493043942799310848
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 14系座席車
1編成6両が先行で新潟鉄工所1972.9
そのあと10編成程度が1972.11までに作られる 小学校の修学旅行は行き先は伊勢で
神戸駅1番線からEF58が引く12系だった
途中でDD51 に交換した 加太越え、12系なら10両までは単機で牽引だからDD51は力持ち。ノロノロだったけどw ちくま/だいせん用の12系3000番台は14系並にグレードアップされていましたね。 なんか昭和50年ごろに「しおじ55号」に乗った
12系だった >>161
12系だともうちょい前昭和47年とかじゃなかったですか? >>162
うーんと俺が1966年式で小学校2年の話だから・・・
多分、1974年ごろではないでしょうか? 連続カキコすまぬ
俺は1966年生まれのオッサンなんやが
先ほどのカキコにある通り小学校の伊勢修学旅行で12系乗った
小2の頃に「しおじ55号」で12系だった
小5の頃は塾の帰りに三宮で雲仙・西海の14系を見てたよ ということは山陽新幹線全通まで12系臨時しおじって残ってたんですね
知らなかった 「雲仙・西海 長崎、佐世保行き間も無く発車しまーす」
ってのが三宮での日常だったなぁ
「あかつき」とか「すいせい」とかあったなぁ
カニ25がある意味日常だったなぁ >>165
わからんけれど「しおじ55号」で長崎目掛けて旅行した思い出やな
何せ小学校なんで記憶が曖昧やね
なんか記憶にあるのは別の旅行で、大久の島に行った時やね
神戸が拠点やね
岡山まで新幹線で特急つばめ(583系)やったな
呉線で80系にガタゴト揺られてた >>167
しおじって広島や下関行ですよね
長崎までの列車の指定取れなかったのかな?
混んでました? >>168
流石に小学校低学年の思い出なんですみません
思い出したわ
九州に着いた時点でニッサン サニー クーペをレンタカーで親父が借りてたわ >>168
自分の記憶も曖昧なんで助けてくれますか?
長崎に行くのには12系のしおじ55号に乗った記憶があるだけです
そのあと阿蘇山の噴火口行ったり,なんか黒い卵食ったり
地獄めぐりした思い出があります 12系の気動車化
キサロ59(セイシェル)
キサハ34(氷見線用中間車)
14系は北海道の寝台車が気動車併結改造されていましたね。 東日本の12系客車はオハ12が一部方転されててトイレがある側が向き合うようにして2両に1か所の割合になるようにしてんだな
国鉄時代やJR西日本はオハ12の向きが揃ってる
何故あんな組成にしたのか疑問 2箇所で隣り合うように編成しておくと、結果として便所が効率的に利用されるようになるからね オハ12も両渡りだったから一部方転してトイレ集約の荒業が出来たとか?
片渡りにしないとジャンパ連結器の数が多くなって構造が複雑化する上に製造費も高くなる >>175
あらゆる経路を走るが故に客車区帰着時の向きが頻繁に変わってしまうことを想定せざるを得ない波動・団臨用として
専ら製造された形式を片渡りで作ること自体あり得ない こういう例まであるというのに
1991年10月1日 14系団臨 ED79 53+14系寝台車(尾久)6両 ※オハネ1両が他のオハネとは逆向きに連結
ttp://pbs.twimg.com/media/FJT2qQzagAc9RNJ.jpg >>177
B寝台だと通路の位置が逆になる
東海道線では基本的に通路が山側に来る向きに揃えてる
24系は片方電源車なので通路の向きを揃えられたが14系はどうしてもスハネフ1両だけ逆になる 2箇所の便所を隣り合うように組成しておくと、乗客が見える範囲に便所が2箇所出来るため、乗客が通路で便所の空き待ちをする際に2箇所
ある便所のうちどちらか空いた方を順次使える
便所の位置を片方向に統一して組成すると、便所が乗客が見える範囲に1箇所しかなく、実際には隣の車両に空いてる便所があったとしても
乗客がそれを有効に活用できず、目の前にある1箇所の便所を空くまでひたすら待ち続けることになる >>178
そんな基本的な話などしてない
よく見ろよ
逆向きなのはオハネ14だからな >>177
サロンエクスプレス東京もそういう編成だったの思い出した。 ジョイフルトレイン
初期の12系お座敷は車体の改造範囲は少なかったけどサロンエクスプレス東京、
サロンカーなにわが登場したころから車体色変更、展望室設置、一部固定窓化など
外観もだんだん派手になっていきましたねー
皆さんの好きなジョイフルトレインは何でした? やっぱ元祖というべきのサロンエクスプレス東京だな。
ブルトレブームが落ち着いた後で、あこがれたわ 寝台車だとトイレが元から1両に2つあるので向き合わせ連結する必要性が薄い
それどころかドアが無い箇所が出来て乗り降り不便になる 自分もユーロライナー!
専用機が何両も存在したし、増結用?にユーロピアもあったね。
EF64ユーロ色+ユーロライナー+ユーロピアはホントにカッコよかったなぁ。 >>182-183
トイレ側を潰して展望室くっつけてるんだよな。斬新だった
ユーロはかっこよかったな。あれが一番カネかかってそう。固定窓と色がよかった
オリサルも好きだったけど、中間車が12系丸出しなのがいけない。サザンクロスは配色がちょっと
浪漫もよかった。14系はかっこいい。でもレインボーはどうだろう >>189
ナコ座で車掌室を展望室に改造したら手間がかかりすぎ懲りた
あれ以降車体を反転して車掌室と反対側に構築したが車端ダンパ付けるために妻面形状を変えた車両と変えてない車両がまちまち >>190
>>車端ダンパ付けるために妻面形状を変えた車両
・サロンカーなにわ
・ゆうゆうサロン岡山
・あすか
西日本に多い印象ですが、他にもありましたかな >>189
ユーロライナーは余剰国鉄マンの活用と展望ガラスが平面のみで構成されてるので改造費はそんなにかかってない。
1億2〜3000万円くらいだったはず。
この費用も個室車も種車の台枠を使おうとしたけど高さが合わなくて新規で造ったから4両で1000万円ほど追加になった額だからほぼ材料費w wiki見たら2億5000万円だった。失礼。
国鉄時代で一番金かけてんのはレインボーかな?展望窓ガラスが大型曲面ガラスだからこれを造る金型だけで数千万円かかってる。
さすがにもったいないと思ったのか、この金型を使ってフェスタの展望窓も造ってます。 >>191
サロンカーなにわが京都鉄道博物館に展示されてた時車体下側を覗き込むことが出来て元の台枠に継ぎ足した痕跡があった
成型しないと車端ダンパが付けられず乗り心地に影響する 事実に妄想を混ぜこんで全て事実の如く語るのは止めてください サロンカーなにわとふれあいみちのくの展望室は似ていると思うけど設計した人は同じかな
もちろん車体色や客室窓は全然違いますけど サロンカーなにわとふれあいみちのくの展望室は似ていると思うけど設計した人は同じかな
もちろん車体色や客室窓は全然違いますけど ttp://twitter.com/kuha207/status/1129927317780803584
@kuha207
なにわのスロフは車掌室側を切妻に改造していることがわかる写真
2枚目は比較用のオロ
ttp://pbs.twimg.com/media/D65O4yMUEAAwr3o.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/D65O5nKUEAEv4U-.jpg
ttp://twitter.com/202_ed79/status/1129369249590341633
@202_ed79
サロンカーなにわを拝みに京都鉄博へ。
スロフ14の車掌室側の改造跡や宇高連絡船用フックなどマニアックなパーツばかり注目してました。
ttp://pbs.twimg.com/media/D6xTVqYUIAA7NKG.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/D6xTVqYU8AEyr-R.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/D6xTVqbUcAEsbsV.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/D6xTVqZVsAApas_.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) スハフ14・オハ14・オハフ15
トップナンバーが今でも東武所属とはいえ現役というのはすごいと思う。
前職のJR四国は結局何がしたかったんだろう? 原形と言えばEF58に引かれた雲仙/西海、阿蘇/国崎かな
大体1975年ごろ 四国の14系は東武同様SL運転用客車として使うため購入
しかし、試しに走らせたSL讃岐路義経号はどうにかダイヤ通りに走ったものの、沿線では大混乱(併走県道が見物客で通行不可能)
そして、JR四国と四国4県全てバラバラな動きをしてしまい、リーマンショックと3.11で自社SLの運転計画そのものをやめることに >>202
> 大体1975年ごろ
だとすると阿蘇とくにさきは併結運転じゃないな
俺の環境で「くにさき」を変換すると
国東
くにさき
國崎
国崎
の順番で候補が出てくるけど国崎が最初に来るってどんな環境なのかちょっと興味がある
その前に変換してる時点で違う訳だが >車端ダンパ付けるために妻面形状を変えた
当時の新車記事を含めてこうハッキリ書かれているソースを見たことがないんですけど >>190-191
ゆうゆうサロンは車端ダンパないよ
ttp://blog.goo.ne.jp/inabaji-rapid5828/e/059858b33d54105bc3f2398dc9140fa1/?img=5e6c2c12bfcbd5956ec8ebdef417461a
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/131019112179513413288_yuyu_01_surofu12_704.jpg
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/131019075486813312428_yuyu_02_oro12_710.jpg
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/003/131019080778713232363_yuyu_06_surofu12_703.jpg >>206
鉄道ジャーナル1983年12月号で、サロンエクスプレス東京とサロンカーなにわの乗り比べの記事の中に、サロンエクスプレス東京はオイルダンパを全車外した、サロンカーなにわは、オイルダンパが全車に付いている、
というのがあって、サロンエクスプレス東京が、揺れが大きい、サロンカーなにわは、揺れが小さい、というのはあったけど。 オロフ/スロフ/マロフ展望車の施工箇所と落成年月
ナコ座 名古屋 1983年3月
サロンエクスプレス東京 大宮 1983年7月
サロンカーなにわ 高砂 1983年8月
ユーロライナー 名古屋 1985年8月
ゆうゆうサロン 幡生 1985年11月
江戸 大宮 1986年2月
やすらぎ 大宮 1986年4月
ふれあいみちのく 土崎 1986年7月
わくわく団らん 松任 1993年9・12月
レインボー 大宮 1987年3月
サザンクロス 小倉 1987年3月
あすか 鷹取 1987年11月
旅路 鷹取/幡生 1994年9月
浪漫 長野 1995年11月 >>190
>ナコ座で車掌室を展望室に改造したら手間がかかりすぎ懲りた
>あれ以降車体を反転して車掌室と反対側に構築した
ナコ座 1983年1月に展望車が外観予想図と共にプレスされ、展望車は1983年3月に落成
サロンエクスプレス東京 1982年9月から本格的な設計を開始、1983年2月に大宮工場で改造に着手、
1983年5月31日に1両目のオロ14-701が報道公開され、展望車は1983年7月27日に落成
サロンカーなにわ 1983年6月に1両目のオロ14-706の外観と車内が国鉄からプレスされ、展望車は1983年8月9・26日に落成
以上の時系列からナコ座で手間がかかりすぎて懲りたから以後の展望車は反転されたという筋書きはまずあり得ない >>212
こつして見たらサロンエクスプレス東京とサロンカーなにわは本当に同時期だな サロンエクスプレス東京は改造車なのにブルーリボン賞も取ったしなぁ
当時はそれほど画期的だった 限られた工期で最大限の変化を求められたらあらかじめ製作した展望室ブロックを接続するサロンエクスプレス東京&サロンカーなにわ方式が最適解だったんじゃないかな。
ナコ座の場合、内装系担当者ばかり忙しくて車体担当者がヒマになってしまったのではないかなと予想。
あと当時は電車の先頭車化改造も大ブームでしたね。
短期間であれだけ大量に登場出来たのも国鉄工場に大量の技術系社員が居たからだと思います。 >>215
あのブロック工法?がかなりの工期短縮になり先頭車改造が捗りましたよね。
サロンエクスプレス東京やなにわはブロック工法を行った中では初期の方ですかね?確かS59.2改正で電車の短編成化が進んだかと記憶していますが…。
ブロックと車体の構体接合部は誤差分を解消するために鋼板だったかをサンドイッチしたんでしたよね。 >>215
>展望室ブロックを接続するサロンエクスプレス東京&サロンカーなにわ
当時の記事を見ると、サロンエクスプレス東京は展望室の最前部をブロック接合してたけど、サロンカーなにわはブロック工法ではありません 車掌室側を切妻にしたり
東サロに比べて大サロは仕事が丁寧だなーと小学生ながら思っていました
今も現役なのがまた凄い サロンカーなにわは登場当時の金色より現行の黄色のほうが似合っていると思う。
トワイライトエクスプレスの緑色+黄色を見慣れたからかな? 12系初対面からもう50年近くになるなあ
祖母ちゃんに連れられた天理イベント(おぢばがえり)だった。
鮮やかな青20号、車内も奇麗で、冷房も効いて当時から鉄好きな自分はときめいたよ
12系って何か車体の塗装に独特なつやがある感じ。 >>221
俺は昭和41年式のオッサンだが小学校の修学旅行は神戸駅1番線から発車のEF58 が引く12系だった
途中でDD51 に交換した
途中の行き違い駅で修学旅行列車同士が鉢合わせしたんだが
窓開けてど突いたり唾吹っかけたり
アホがガラス割ったりしてた 卒業前の2年間は国鉄で塾に通ってた
駅の窓口で回数券を買うのが楽しかった
駅員さん1枚づつハンコ押してくれてた 当時は貨物はEF60かEF65 0番台でたまにEH10が走ってた
EF66はコンテナ専門だったな
でEF61は荷物列車だったな
で当時の雲仙/西海はピカピカの14系だった
なんかツヤツヤでカッコよかった 12系といえば山陰本線あたりの普通列車かなー
近郊型化改造されていない白帯車があれば選んで乗車していました。 >>218
お召し編成という他にはない役割があるから残ってるだけですね A寝台はゴロ寝できるから「ロネ」
B寝台は跳ねるから「ハネ」 スロフ14 701
ttp://www.mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/0803090133.jpg
スロフ14 703
ttp://kokutetu.up.seesaa.net/image/E696B0E9AB98E7A082E381AAE381ABE3828FE382B9E383ADE3839514703E5B7A5E4BA8BE98BBCE4BD93.JPG
ttp://kokutetu.up.seesaa.net/image/E696B0E9AB98E7A082E381AAE381ABE3828FE382B9E383ADE3839514703E5A6BBE98BBCE4BD93.JPG
ttp://kokutetu.up.seesaa.net/image/E696B0E9AB98E7A082E381AAE381ABE3828FE382B9E383ADE3839514703E5BE8CE4BD8D.JPG
スロフ14 704
ttp://kokutetu.up.seesaa.net/image/E696B0E9AB98E7A082E381AAE381ABE3828FE382B9E383ADE3839514703E4BD9CE6A5ADE5B195E69C9BE5AEA4E581B4.JPG 末期の高砂工場はジョイフルトレイン改造多かったな
高砂線は引き込み線のおまけで旅客営業運転してたとしか思えない
結局鷹取への工場機能移転で命脈を絶たれた >>228
「『ロ』はロマンスシートの『ロ』、『ハ』は汎用座席の『ハ』」っていう鉄ヲタが居たな。
鉄道系ユーチューバーでも菱形パンタの事を「ダブルアームパンタ」って呼ぶ奴も居るし。