北海道の昔の鉄道の思い出を語ろう9!!
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
1988年(昭和63年)11月3日。札幌駅付近の立体交差化事業が完成し、札幌駅が高架化しました。地下鉄東豊線開業1ヶ月前です。
その日は苗穂〜白石間の踏み切り事故によりダイヤは終始乱れました。
旧国鉄からJRへの過渡期に入る、北海道の昔の鉄道を語りましょう。どのような事でも構いません。
地下名店街ESTAが入っていた札幌駅の旧駅舎、函館の青函連絡船乗り場、
道内を縦横無尽に活躍していたディーゼル特急や客車列車、複雑怪奇な運用の急行列車、
懐かしくそして伝統のある駅弁など…。国鉄・JRだけじゃなく、定山渓鉄道(定鉄)やふるさと銀河線、
夕張鉄道、全盛期の札幌市電等、昔の北海道の鉄道に関する事ならなんでもいいです。
駅舎、ホーム、その当時発着の列車の画像の貼り付けも歓迎です。
またはその関連のリンクもどうぞ。age進行でお願い致します。
(前スレ)
北海道の昔の鉄道の思い出を語ろう8!!
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1501361334/ >>98
全国版だから仮乗降場の記載が無いだけで、北海道版だと掲載されているよ
1959年だけど1960年6月に北海道は大改正が入る→サンロクトオ
早い段階で
宗谷本線は気動車メインだけど、函館本線は蒸気機関車メイン
それよりも
国縫駅 カニほっき天丼100円
食べてみたい
https://i.imgur.com/TGH3OLe.jpg
https://i.imgur.com/bYL6uck.jpg
https://i.imgur.com/yGfTO13.jpg 昔はガソリンカーや木炭列車があってな
道外の内地の人は知らんだろうが
ガソリンカーは刑法にいう汽車や電車でないと犯人が争ったが,刑法では動力の際は問題としてないとしてガソリンカーは非電動車だから汽車に含まれる(あくまで刑法上)。 >>103
ガソリンカーはガソリンカーの記載があったよ >>106
ガス(ガソリン)を動力源としているから、ガソリンカー
車のエンジンを積んだ車両も製作された
気動車の一部ではあるけれど、現在一般的に言われている気動車はDC(ディーゼルカー)だよね >1
でJR北海道への過渡期が昔なら、
大昔の話をしても良いかな?
昭和30年頃は普通列車が札幌付近でも少なくて、
札幌での用事を済ませて滝川方面に帰るのに、
札幌に小樽方面から到着した列車がもう込み合っていて、
乗降口で押し合い圧し合いなので、
連れがいたりすると奥の手で窓から乗せたりした事もあった。
それである時から、市電で一駅前の桑園に行って
楽々乗車して札幌で降車する客の座席を確保する事が出来た。
その桑園駅行きの市電は本線から北4西14で別れて単線に。
単線に入る時は車掌が手動でポイントを操作して
渡り線を通り逆行してスプリングポイントを通過し単線に入った。 おおぞらが36.10改正だったっけ。
少なくともそれ以来続いていた札幌で方向転換していた列車がなくなったのはちょっと寂しい。 >>107
海上自衛隊の護衛艦はガスタービン主機の船が多いが
なぜか燃料は軽油なのである。 子供の頃に札幌〜函館を
山線経由で往復していた記憶からは、
小樽の地位が商業的にも経済的にも、
札幌と肩を並べていた頃の残照があったと感じる。 >>107 ガソリンに比べ軽油安いから。
ちなみにアメリカでガス・エレクトリックとは、日本で言う電気式ディーゼルのこと。 >>114
ガスタービンエンジンはほぼジェットエンジンだから灯油(ケロシン)だと思ってた >>120
小樽発旭川行急行さちかぜを
思い出したではないかw 旧型客車の思い出だけど、ブレーキ掛かると車体全体に響き渡る音で
ドドーン、ドドーンってな具合に減速したな。
なんか、ふと思い出した 札幌駅に入線する山線旧客鈍行のけたたましいブレーキ音と、
それに驚いて逃げる鳩どもを思い出したわ あー、そうだそうだスハ32だなあ
言われてみれば。
懐かしいなあ >>114
KAWASAKIさんの説明
>ガスタービンの作動原理
>ガスタービンは、ディーゼルエンジンやガソリンエンジンと同じ内燃機関の一種であり、
>その作動原理も、吸気・圧縮・燃焼(膨張)・排気という同じサイクルで作動しています。
>しかし、その基本的運動が、レシプロエンジンの往復運動に対して、
>ガスタービンは回転運動である、という大きな相違点があります。
>
>ガスタービンの基本原理は、下の図で示したように、まず空気を遠心圧縮機で圧縮し、
>この圧縮した空気を燃焼器に導いて燃料を連続的に燃焼させて高温・高圧のガスを発生させます。
>このガスをタービン(円板に多数の翼を付けた翼車)で膨張させて得られる回転エネルギーによって前段の圧縮機をまわすとともに、
>残りのエネルギーを出力軸で取り出すのが、産業用ガスタービンです。 真冬の機関区・運転区にいるDC・DL等は夜中もずうっとエンジンを回しっぱなしだった。 札幌駅がまだ地上駅の時代は、
1番線が改札口と同じ高さのプラットフォームで、
道路から階段の上り下りをしなくて汽車に乗れた。
一番の花形急行「まりも」なんかは、
上り(函館行)も下り(根室行)も、
その1番線に発着して、
その風景を改札口から眺められた。
食堂車と特2を外して寝台車を連結する作業(逆も)が見えた。
丁度京都駅の今の姿と似ていて、
京都駅に降りる度に昔の札幌駅を思い出す。
ちなみに拙者は戦後生まれだけど、
誕生地は疎開先だよ。 おおとりが一番に入っていて
7分ほどの停車時間に乗り込んで
食堂車を探検したもんだわ スハ32って今また新造出来たら人気を博するのでは。
重い客車なんだろうけどね おおとりが海線経由だったら、札幌と遠軽で2回転換やってたのか。 >>135
> おおとりが海線経由だったら
?
実際に海線経由だったよ おおとりっていつも混んでるから乗った覚えないな
オレが行ってたころのおおとりってボロボロ車両だったし 札幌15〜16時着の真っ昼間に走る列車って始発が昼前で
モロに一日潰すから空いてるイメージあったけどそうでもなかったのか。 北海は夏期間だけ旭川〜網走を臨時列車として延長運転されていた おおとりはいつも混んでいて、オホーツクはいつもガラガラだったイメージだな
>>141
夏季だけではなく、1975年頃まではGWにも延長運転されていた 石北本線内で特急北海の上り・下りの列車交換があった。
交換時の駅での写真ってあるのだろうか・・ >>140
札幌へ大学受験に行った帰りに乗った北海。
交換駅通過のたびにタブレットが当たる音でびっくりして飛び起きてた思い出。 駅員さんにタブレットを持たせてもらった。 とても重たかった。 トマム駅のトマム、漢字で書くと「苫鵡」なんですね。 アイヌ語に漢字を当てたので漢字自体にはほとんど意味は無い >>151
青春18きっぷでも新夕張〜新得間は特急券買えば特急に乗れるのよね。
めっちゃ混んでたけど石勝高原で半分以上の客が降りて座ることができた思い出w >>154
国鉄時代は18きっぷで特急券必要だったの?
区間内は現在同様特急券不要 その頃のキハ183は外側の騒音が酷かったのぉ・・・ 伊藤さんのお嬢さんのお屋敷が
札幌駅のちょっと桑園寄りで、
お婆さんから聞いた話で、
連れ合いが函館から戻る時には、
そのいつも乗る急行が屋敷の北横を通ると、
慣れ親しんだ汽笛と汽車の響きで分かって、
もうすぐ爺さまが帰宅すると、
家中で待ち構えてお迎えをする準備に
取り掛かったそうな。
そのお屋敷の跡が、
今やタワーマンションに。 >>156 青函トンネル開通直後の5月連休に大沼公園から洞爺までキハ183に初めて乗ったが、ディーゼルカーにもかかわらず車内の騒音、振動がかなり抑えられていると感じた。内装含め、電車特急とあまり変わらない。
外部の騒音はキハ181並みかね・・ キハ181も爆音だったな
山陰方面でも走ってたがもう必死感あったな 181や12系は排気管が屋根上の目立つ位置にあって黒煙黒々の印象が強かった。
14系ハザや183とはその辺も一世代違う感じ。 初期のキハ183だと、ホームで会話が出来ないほどの爆音だった。
別れのしんみりしたシーンも台無し 今JTBから、国鉄からJRになった時の時刻表が再販されてますね。
ぺらぺらめくってみたが、列車本数が多くて涙が出てきたわ・・ 国鉄最後の62.3月号と民営化最初の4月号のどっちかが売り切れてプレミアついたのを道新で見たな。
どっちだったっけ? 列車本数のピークは東北新幹線開業前あたりじゃないかな
東北、信越、北陸あたり全部在来線で頑張ってたから >>164 まだ標津線や名寄本線が残ってた頃か。羽幌線、広尾線、胆振線は廃止されてたが。他にも諸々。 夜行普通寝台ってそもそも寝れるんか
夜行は何回も乗ったけど コンビニの無い時代ですから、駅のKIOSKも遅くまでやっていたし、
駅弁も販売していたからなぁ おたのしみ弁当・滝川駅弁[駅弁の小窓]
http://ekibento.jp/hok-takigawa.htm
> 「1971年3月。22時55分ころ(別カットの時計から) 滝川駅 札幌発・釧路行きの夜行急行に乗ったときの写真です。当時は、こんな時刻にも立売りが出てたんですね。」 弁当の立ち売りといえば、もしかして九州人吉駅の立ち売りが日本全国で
最後だったのだろうか・・ >>178
折尾駅
東筑件かしわめし
今でも立ち売りしているよ >>179
マジですか? 実は一度も目撃したことが無い >>182
https://tochikuken.co.jp/quality/
>立ち売りへのこだわり
>一期一会の出会いを大切に
>駅構内での立ち売りは全国でも数少なく、列車の高速化に伴い昔のように窓から販売することはできませんが、
>古き良き時代の情景を残したいと思い頑張っています。
折尾駅4・5番ホーム立売
https://tochikuken.co.jp/store/ >>183
おぉ、ありがとうございます。
今でも立ち売りしてるんだぁ。 >>181
それを受けてどうなってるのかね
お年だから休業から廃業されたのかな >>185
変わらぬ味に「ほっ」 人吉駅前の弁当店、元気に営業中
2020/8/1 6:00
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/631387/
立売の菖蒲豊實さんがどうしているかは分からないけど 弁当ではないけど
板屋峠の力餅
峠駅で立ち売り販売している
購入時間を短縮するために、
税込金額で1000円
消費税10%に上がったときも金額は変わらなかったが、内容量(個数)が減った 日高線って海が見えるのはいいが
あればっかだと飽きてきて寝てたわ 余談だけど日高本線代替バスの関係で
JHBが3月にダイヤ改正するけど
JHBが札幌市営バスの琴似営業所を移譲した関係で
岩見沢と滝川地区から撤退した時も2月末だった >>196
おぉ、ありがとうございます。
立体感が なんだかありますね。 いい日旅立ちとかディスカバー・ジャパンでかなり集めたんだけど
引っ越しのとき捨てちゃった
本当後悔してるわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています