>>107
確かにわかりやすい。
アプト時代、下り列車の第3補機(軽井沢方)の機関士は、突込線に入ってから、トンネルの行き止まりが迫るので怖かったとか。
本務機(横川方)の機関車が構内に入りきったところで停止した後、後退して押上線のトンネルに入り、今度は第3補機が構内に入ったら停止…と、これらを全て汽笛合図で行なっていた。
これをやらないとポイントを切り替える事ができず、列車交換ができなかった。
熊の『平』の駅名の通り、峠の途中の僅かな平坦区間だから、構内の線路有効長が十分に取れなかったための、言わば「苦肉の策」だった。