そろそろみんなが忘れてそうな事@鉄道懐かし板 9
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>>482
2,250kw はEF70の初期タイプ >>485
モーター3つしか無いからな
EF30と同じ >>485
非力ってさぁ・・・。
そんなんが幹線クラスでブルトレや貨物列車牽かないでしょwww
ざっくり見てもED76相当ですよ? >>487
変圧器を用いた連続制御の交流機と
一旦整流してからの抵抗制御の交直機を一緒にはできないでしょ
再粘着性能からしても、ED76に軍配が上がる 越後下関、羽前金沢、筑前大分、豊前松江、
などの駅については、読み方からすれば旧国名を付ける必要はない筈である事。 何故横浜でない方の根岸に旧国名がつかないかについて >>480
EF200を岡山〜下関に閉じ込めて、セノハチで本気モードで使えば補機不要になるんじゃないの?
って思っていたけど、セノハチの区間はカーブで速度制限があるから無理
って理由を知ってなんか残念な気持ちになった。 国鉄大隅線は、全通から13年半後の昭和62年3月14日に廃止された。 インタビュー受けたおじさんが「やっと通ったと思ったら、生きてるうちに廃線になるとは
思わなかった」て言ってたのが今は昔。 大隅線には、駅名に大の字が付く駅が7つ連続していた 大村線にある「諏訪」という駅が、以前大隅線にあった事。 海潟が終着駅だった頃は改称後の海潟温泉より少し違う場所にあったこと 現在地に移転した当初の宇多津駅は、優等列車は通過し、快速でも通過する列車があったこと 泉北高速鉄道泉ヶ丘駅は開業当初の終着駅だった。
その後、栂・美木多まで延伸されて同駅が終点となり、のち光明池が終点、その後、
和泉中央まで延伸されて現在に至る その開業当時はまだ泉北高速鉄道線も、南海高野線も非冷房ばかりだったこと。その後、栂・美木多駅まで延長しても、泉北高速鉄道線の車両は非冷房ばかり、光明池延長でようやく冷房車が入った。 山手線103系冷房取り付け準備工事済み車両
結局付いたんか、廃車か? 土讃本線、予讃本線、高徳本線、徳島本線の路線名称は、国鉄民営化後に
予讃線、土讃線、高徳線、徳島線と「本」が付かない線名に改称されたこと 東海道新幹線から0系が消えても、かなり長い間、東京駅のピクトグラムに残っていたこと。 東京―神田間(東北本線・中央本線)、代々木―新宿間(山手線・中央本線)は、
「二重戸籍区間」だった事。 >>503
103系の冷房準備工事済車って何年製造ロットが該当する? 512(σ´∀`)σ ゲッツ!!
512キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
512(・∀・)イイ!! 金山は中央本線の驛であり東海道本線には驛がなかった
名鉄も金山橋であり複々線ではない >>511
子供の頃、現物見た覚えがあるんだが、よくわからんのよ。 エコがテーマの筈の「愛・地球博」が開催されてるさなかに、名鉄岐阜市内線が廃止された事。
(日本人の環境保全に対する意識なんて所詮その程度、と思わせた) その岐阜市内線を廃止に追い込んだ理由が美濃電の名鉄買収への恨み 愛・地球博より前にすでに、ぎふ未来博開催に伴う観客輸送経路確保のために、
長良線を廃止した前例がありますから、岐阜市は。 今の岐阜市内の道路の狭さを見ると本当にここに電車が走ってた事を忘れそうな程。 夜中に列車整備のおばさんが電車を勝手に運転して事故を起こしたこと 野上電気鉄道(廃止)が、水間鉄道から500系(元南海の旧型電車)を譲り受けたが、
車両が重すぎて使えず、解体された。 えち鉄5001形は旧永平寺線には入線できなかった
理由は上と同じ 近鉄大阪線で区間急行が設定されていてしかもその頃の急行は今の快速急行よりむしろ停車駅今の特急とほぼ同じだった 冷房設置前から「ス」級の重さだったスロ54は、
冷房化と引き換えに旧態の軽い台車に換装された事。
だから、夏以外の季節はサービスダウンになったような…。 近鉄鳥羽線が鳥羽まで到達したのは昭和45年3月1日
それまで近鉄志摩線は狭軌で孤立していて、鳥羽駅の国鉄ホーム側から発着し、
国鉄とレールが結ばれていた >>524
スロ54で振替に使われた台車はTR23D。元は古いが揺れ枕吊りを新製の長いものに変更して、
精一杯の乗り心地改善には配慮している。
なお、このTR23Dはスロ54のためではなく、元々スハネ30に使用するために改造されたもの。
スハネ30が冷房化から除外されて廃車されたため、発生品を流用した。 1970年代後半の山陰本線急行「丹後」の下り3号、上り12号は
京都と城崎を全線山陰本線、つまり福知山経由で結んでおり
令制国の「丹後国」を1フィートたりとも走っていなかったこと 阪急宝塚線 初詣特急宝塚行
停車駅 十三・石橋・川西能勢口・中山・清流神・宝塚 小田急
ホーム分割案内板Aを境に前6両が急行箱根湯本行き、後4両が急行片瀬江ノ島行きです 小田急
相模大野駅に江の島線からの急行着いて後ろ6両に小田原線からの急行連結するその待ち時間に小田原線から各駅停車が先に着いて先に発車新百合ヶ丘まで先着あれはやはり急行の混雑を緩和するため江の島線から町田までの客逃がしてた? 東急8000系にクーラーのカバーを載せただけの偽冷房車があったこと キハ58のみの編成だと、冷房改造車であっても稼働させることができず、
冷房装置は「お飾り」になってた事。 >>535
非電化末期の片町線長尾〜木津間で運用されてた
キハ47+58の2両編成。58側で冷房が稼働してたけど
どこから電源とってたんだろう 夏の山陰本線京都口の海水浴臨「丹後ビーチ2号」は
宮津線久美浜・小浜線敦賀〜京都の運用(西舞鶴で併結)だったが
久美浜編成はキハ58、28の冷房改造車、非冷房車の混結。
同じ指定席車でも冷房と非冷房が混在する不公平なサービスだった
しかも敦賀編成(3両)は全車冷房稼働で全車自由席
指定席料金で乗って久美浜編成の非冷房車でクソ暑い思いしてる客より
そちらの自由席に乗った客の方が快適に旅ができるというムカつく事態も発生していた 朝の上り通勤電車に"サロ"や"サハシ"が入っていたこと。 サハシは電源車だったり、奇数偶数の入れ替えのために外せなかったんだっけ? 日田彦山線にはもう一つトンネルがあるはずだったこと。 南海本線の特急「四国」号の1001系は、難波までの車両の送り込みで、
朝の急行にも使用されていた。 急行どころか休日の樽井発準急にもな。
準急と言っても今の区間急行であるが。 早朝の河内長野〜高野山・極楽橋間の各停運用に21001系ズームカーが使用されていたこと >>537
そういう無神経なところはしっかりJRに引き継がれた。
485系「いなほ」なんかで、指定席が原型のボロ車両、自由席がアコモ改造車両だったり。 運転開始当初の485系特急「北近畿」は、指定席車がリクライニングシート車、
自由席車がT17系のシートと差別化が図られ、指定席車と自由席車ではグレードが
異なるなどの差異も見受けられた JR東海のキハ82は指定席が転換クロス、自由席が回転クロスだった事。 国鉄末期になって、北海道のキハ80系はシートのモケットがキハ183系と
同じ茶色のモケットに貼り替えられていたこと 宇高連絡船のホーバークラフトは急行便の扱いで、乗船するときは、国鉄→JRの乗車券の他に
船急行券が必要だったこと。
ホーバー内の席は自由席だった。 >>550
海の新幹線とも呼ばれ、客層はビジネスマンが多かった。 阪神電車の特急には8000系以降の車両を除き、
ホーローのベッドマークが付いていた >>536
キハ47から?それともキハ58を改造? 阪神西大阪線の電車は赤胴車とジェットカーだったこと >>553
536自身がその辺の事聞いてるわけだから。
で、考えられるのは、「キハ47に発電機積んだ」って事だけど、
こんな事ができるんだったら、もっと早く冷房普及しただろうな…。
あと、身延線に投入された115系は、2000番代ながら当初は非冷房だった事。
というより、この車両は、モハ114のパンタグラフ取り付け部の屋根が低かった事、の方が特筆されるべきか。 >>555
PS23積んでもまだ対応できなかったから、さらに低屋根構造にした新車を
仕方なく新製投入になっただけで、パンタで対応出来たらどこか
ほかの路線からの転属車でまかなってたんだろうな。
山スカに新車を入れて、モハ114-800をPS23に積み替えて身延線に転属すればよかったってことか・・・ 身延線の2000番台に冷房が搭載されなかったのは当時の国鉄の財政事情を反映してると思う。
JRになってから早い時期に冷房を搭載したけど、冷房準備車であるにもかかわらず、
搭載したのはAU75ではなくJR東海独自のインバータ式冷房だったからな。 >>558
>>554はS40〜49のことを言ってるんだと思うが、当時の西大阪線の列車種別は
尼崎〜西九条間の普通と、三宮から直通する特急の2種類だけだった
普通はジェットカーの2両編成、特急は赤胴の3両編成だった 電源車付のブルートレインを途中駅で分割するとき、
電源車を失った編成に待機させていた電源車を繋ぐという面倒くさい作業があったこと。 その電源車は旧型車両(20系の時は旧客、24系の時は20系)を改造して使っていた事。 電源車といえば、サヤ420ほどの変わりモノはないな
しかも登場時はよくある改造車ではなく、改造されることを意図した新製車という面白いコンセプト 山陽新幹線博多開業前は、
「はやぶさ(20系)」:東京―西鹿児島・長崎
「みずほ(14系)」:東京―熊本
で、「はやぶさ」は鳥栖で電源車を増解結、その煩わしさがない車両の「みずほ」が分割併合無。
という不合理な状況だった事。
新幹線博多開業時のダイヤ改正で、これが改められた。
しかし、どのみち機関車の増解結は不可避なものを、電源車だけが何でそんな問題視されたんだか…。 私鉄の始発駅では、ホーローの行き先看板が立てかけられていた事 みずほの長崎編成は電化区間なのにDD51重連が牽いてたねぇ。 寝台特急「明星」は583系電車と24系客車で運転され、一時期は7往復も設定されていた >>565
交直流特急車の製造が間に合わずに暫定的に151系で九州直通してたからな。 JR若桜線廃止日にマイテ492を連結した臨時列車が若桜線で運転されたこと >>570
博多〜下関、瀬野〜八本松がネックで、
151系つばめより80系かもめのほうが博多〜岡山間の所要時間は短かったモンなあ。 そんな強引なやり方ででも直通列車運転しようとした時代があったんだよな。
今とは大違い。
そのうち、大阪(名古屋)―金沢程度の距離でさえ直通できなくなるし。 小郡(現新山口)〜広島間の電化がもう1年早ければ、
東京〜博多直通の151系つばめが設定されただろうね。 >>569
583系「なは」「きりしま」も、名が違うだけで役割は「明星」と同一だったから、
それも含めると凄い本数になりますね。
「ゆうづる」「はくつる」もそれに次ぐ勢力でした。 大阪市営地下鉄千日前線で、50系の置き換えのために御堂筋線から転属した
30系が千日前線用25系投入まで短期間運用されていた 京急と東武が同じ企業グループに属してる(してた)こと JR難波発着の関空快速があったこと
東岸和田と熊取を通過していた「関空特快ウイング」に指定席車が1両連結されていた 南海本線の特急「四国」号の座席指定車は車端部のロングシートでも、
指定席料金を徴収していた。
21001系使用の特急「臨時こうや」号も同様だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています