153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 14
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>>850
JRになる直前から213系が投入されるまでは165系が関西線のヌシ。
その後、朝と夜間に165系が入る運用が追加されて淘汰されるまで走ってた。 追加で定期引退後もさわやかウォーキング号として何度も亀山まで来てるよ。 JR東海になってからの急行型ってモケットは原型で
白のビニールで枕部分覆ってたやつの印象が強いな
165やキハだけじゃなく113まであったやつ 当時は急行宮島に乗って朝から一日中かけて
広島まで(逆方向は東京まで)移動したんですかね 特急、急行の利用っていうのも今じゃ考えられないような
時代変化があるんだよね。 平成からの20年は停滞期だけど
戦後の昭和25-45年で比べたら、蒸機ばかりから高度成長で
庶民が特別急行に乗れる時代になったしね。
自分が小学生の頃でも、東京の親戚宅から急行高千穂に乗って
宮崎県まで帰ると言ったら親に「アホか」と言われた昭和49年。
新幹線39年開業時はかなり高価な乗り物だったのも、
万博後の47年岡山開業時には岡山接続九州方面
特急・急行が普通だったと聞かされてる。 >>854
急行の利用法は約4タイプに分かれてて
急行料金は201キロ以上が一定で長距離乗るほど割安。
(1)安く旅したい人の乗り通し
(2)新幹線からの乗り継ぎ
(3)途中大都市からの区間利用(長距離急行なら複数の都市)
(4) 普通が少ないエリアの急行料金払ってでもの層
宮崎県じゃ延岡-宮崎間の普通は朝ラッシュのあと午後まで全然無く
日中買い物客も嫌々急行に乗ってて、平成元年の普通毎時化まで 料金変遷が面白い
https://jikokuhyo.train-times.net/data/exp_fare
高度成長始まりの昭和35年から昭和47年まで同額
所得は倍以上になって、長距離鈍行が43-10で減り
急行利用者が増えたっていうのも金額の数字でわかるね もっと昔には、そもそも一般庶民には急行でさえ贅沢だったんだよ。 1961年急行日本海できるまでそもそも日本海側は急行もなかったんじゃないの
日本海側が裏日本と言われてた時代だが ああ間違いだった。戦時中だけ一時的に日本海縦貫線急行は不要不急とみなされ廃止されたがもし今ならどうなんだろう 昔の大阪駅はいでゆ、丹波、但馬、みささ・みまさか、たかやま、
と急行が色々おったなぁ 高度成長期に急行に庶民が乗れるようになったわけだね。
昭和30年代前半じゃ「準急券」という安いのがあったくらいで
中流以下の人は鈍行三等しか乗れなかったんだよね。
二等で運賃が倍だし。 >>860
急行日本海は確かに名無し急行だったが地味に戦前から続いた急行だったんだな
北陸新幹線開業でズタズタになり廃止はある意味先達をバカにしてるようなものコロナウイルスは不謹慎だが祟りかもな 日本海 といえば特急としか思えない
長距離急行はきたぐにしか思い浮かばない
このスレでは俺はかなり若手ですね 「きたぐに」の青森行、繁忙期になると大阪駅のコンコースに自由席客が昼間から
並ばされていたのを思い出す。 昭和40年ごろの準急、白河・青森とか名古屋⇔米原⇔富山⇔岐阜⇔名古屋みたいな
結構長距離列車が有った。 上野−仙台とか上野−会津若松なんてあたりの系統は
夜行も含めて急行と準急の両方が設定されてたな。昭和30年代。 急行まつしま、準急あづまだったかてか客車が急行で電車気動車が準急だったか 戦前 運賃のみで乗車できる現在の快速のような立ち位置
戦後 急行より割安の準急料金設定
1966年3月 100kmをこえる距離を運行する準急列車を急行格上げ。急行料金と準急料金が同一になる
1968年10月 全ての準急列車を急行列車に格上げ 40年くらい前、急行「阿蘇」上りを熊本-博多間で乗った(夜行前)けど、
急行で14系客車(183系と同じ車内、簡易リクライニングシート)の旅は良かったなぁ。
九州内で乗ったどの特急より快適だった。
夜行急行だからということもあるのだろうけど、こういう設備の長距離急行は便利だったろうね。
西鹿児島から乗った583系特急「有明」のボックスシートはある意味残念だ。
まぁ、このときはめちゃ混みで、おまけに停電で1時間半遅延で、
座席を見るだけで、座ることすら出来なかったんだけど(笑) >>875
そういう分け方してたっけ?
上野−仙台の場合で、急行がみやぎの・松島・青葉で電車、準急がしのぶ(福島以北普通)で客車。
上野−会津若松は急行がばんだい、準急がひばら。こっちはどちらも客車列車。
という感じだったと思うけど。 >>877
急行型車両のスレで特急形車両使った急行の話はスレ違いだ
特急形車両を使った特急の話はもっとスレ違いだ 中央線から神領・関西線送り込みって松本発名古屋行き840M以外ではやってないんだろうか? キハ55なら分かるけど、157系が準急用だったのが馴染めない。165系よりもデラックス。 >>883
あれでも東武の方が常に車両設備は上だしな 151系と451系
157系と457系
車内設備の快適さで比較すると直流電車側が優勢かな。 特急の形式十の位に8が割り当てられる前と後の数字比較して何の意味があるの。
なんなら651系あたりでも混ぜてみたら、無意味なことがより引き立って良いかもしれない。 特別準急とか連絡急行とか例外的なのはある
連絡急行あさぎりは小田急車で
御殿場行くのに東海の後ろ4両の167系に乗るより
SSEの方が人気はあったよなぁ >>888
>特別準急とか連絡急行とか
こう併記されると両方小田急のに見えるw JRになったんだぞこれまでの形式は引きずらないぞ
みたいなPRを内外向けにしたかった、というのもあったんでしょう
何しろ民営化後初の新車なのだから 東海も371を特急だし北も261とかやってて特急8限定は西と九だけでしょ 幻の国鉄ステンレス急行型キハって予定形式決まってたっけ?
あとxx9系=横軽協調運転のイメージで特急シフトが遅くて急行型でいってたら459系なんて作られていたのかと勝手に数字合わせしたこともあったが489系の両数すらそこまで多くないし万一作られてもどれだけ小ロットで終わったことやら 急行形がないんだから、そのために50-70番台を開けておく理由もないしな
もともと、50-80番台は長距離用の区分だったわけだし 651系は151系をリスペクトして、あの型式番号になったという説を聞いたことがある。 >>896
西の特急車と形式番号が被るのを避ける意味合いも有る。
あの当時は各社形式番号が被らないよう区分形式を宣言してた。
そんな中、客車と気動車の一部で重複番号が発生したね。 そういう意味では、プレフィックスでとりあえず重複可能性を潰した
JR東日本のやり方も一理あるということか
JR東海は、従来のやり方を完全に放棄しているとしか思えない
HC85なんて、型式名(プレフィックス)だけでなく、集電不要の電気式気動車にモハだもんな
バッテリーがあるから電車というなら新系列(死後の世界)用の3桁にするだろうし
いろいろやらかしている印象 >>904
四国はかなり早期に放棄してるけどな。
東海はHC85系では外れたけど、あとは国鉄方式に準拠してない? 371系、373系はちと外れてるけど。側面の車番表記もJRで唯一スミ丸角ゴシック 確かにDCと新幹線(N700以降)以外は、国鉄方式にほぼ準拠してるといえるかもしれない。
それより、前の番号にこだわりすぎって印象があるな。
キハ85系→HC85系
新幹線700系→N700系→N700A系→N700S系
でも、なんでDCは二桁に戻したんだろう。謎だ。
スレチすまんね。 東海は旧名鉄局時代にキハ91系と181系に手を焼いて東北筋からの181転用も受け入れず全部新系列キハ追い出したから3桁キハなんて知らないということでしょうね 交直流電車は一般型(近郊型)と急行型は常に東日本仕様車が先に登場し
若い番号が付けられていたが、特急型は西日本仕様車に先を越されてしまったな。
電車特急の需要は関西ー北陸・北九州>東京ー東北だったということかな。 >>911
リタイアした後なら運用の記録として引き取ったのくらいの感じじゃないかと >>913
「高速鉄道技術の進歩の紹介」がテーマの一つだから、
非電化・勾配区間での時間短縮に貢献した車輌、
ということからじゃないかな。 >>912
でも、特急車の増備の実態を見ていると、扱われ方は東高西低なんだよなぁ。
583系クハネ583は耐寒仕様ということで東日本(青森)に集中して新製配置、
突き出される形でクハネ581が西日本(南福岡)がまわされた。
485系クハ481もボンネット型や貫通型が、非貫通(耐寒)型の東北配置の玉突きで、
西日本に流れていった。
結果、交流対応が無駄になる地域で183系(800番台)に改造されたり、なんか哀れな感じがするわぁ。
スレチでごめんよ。 >>912 >>915
電化進捗や新幹線建設の歴史ってだけだよね。
急行型スレだから先に急行の話するけど153系は東京-大阪から始まり
徐々に電化とともに西進したんだが
交流電化は富山開業の段階で481系完成時期でたまたま西っていう状況
東北本線は仙台じゃなく盛岡電化を待つ形になって483系になったんだよね。
581・583は東海道新幹線開業後の話で大阪・新大阪を中心に考える時期
東京から在来線長距離は20系ブルトレが基本で、昼行特急・急行は
東京から新幹線乗り継ぎで山陽・九州に向かうから当然大阪基準になる。 >>912
>交直流電車は一般型(近郊型)と急行型は常に東日本仕様車が先に登場
401、421と451、471はほぼ同時だけどな <準急伊吹>で食堂車の有る運用では、<準急比叡>とは違う車両を使っていたのですか。 伊吹はサロ152とサハシ153が2両ずつの急行編成12連
同時期(1961〜1964年)の比叡はサロ153が1両の10連
鉄ピク2018-4(No.944)に詳細あるから頑張って探そう >>850
伊勢駅で見かけた58系は原色、シートモケット色変更車だったな。
>>856
一般周遊券が急行自由席乗り放題だったのもある。
>>890
特急型の50hz専用車は百の桁が6以降と規定されたから。
711系はそれ以前の規定によるから例外というか事情により形式命名規定は結構
変遷していたし。 >>914
181系は「しなの」に使ってたからでは? >>920
「特急型の50hz専用車は百の桁が6以降と規定されたから」
ってのはJR東日本独自ルールってこと? >920
>922
> 特急型の50hz専用車は百の桁が6以降と規定されたから
E653系は50/60Hz対応車で、50Hz専用車ではない。 50/60Hz対応の457系485系以降は主変圧器?がそれがデフォになったと聞いたことが
あるけど何でまた元に戻したのだろう?
広域配転する可能性がなくなったのと50/60Hz対応は専用より高く付く?から少しでもコ
ストダウンしたかったからかな?
ところで787系は登場時に東京駅で展示したけどサービス電源はどうしてたのだろう?
>>925
それまでも称号規定は柔軟に変えてたのと北海道と九州との番号被りを避けたか
らでは?
もっとも、東の車両は頭にEが付いてるから番号は被らないのだけど。 >>920
>一般周遊券が急行自由席乗り放題だったのもある
周遊急行券同時購入が普通
有効期限の問題があるから
急行自由席乗り放題は均一(ワイド、ミニ)な 475系などPCB対策の変圧器交換で50/60hz共用になった車両もあるらしい。 夜行の佐渡って自由席あったの?
混雑率はどのくらいだったの? >>929
普通車指定席×3、グリーン指定席×1、グリーン自由席×1、普通車指定席×7.5、ビュフェ×0.5
とか >>931
ごめん
普通車指定席×3、グリーン指定席×1、グリーン自由席×1、普通車自由席×7.5、ビュフェ×0.5
とか
普通車指定席×3、グリーン指定席×2、普通車自由席×7
とかね
本当にゴメンな ビュッフェの半室は自由席だったのか。
自由席非冷房時代は涼を求め客が流れてきそう。 >>936
自由席非冷房時代はサハシの客室部は非冷房だよ 涼を求めて「食堂室の方に」流れてきそう、って言いたかったんじゃないのかなぁ。 正しく書くならそうだけど、さすがにそこ読み取れないというのもどうかと思うぞ。 >>940
読み取ったら逆におかしいわな
涼を求めて「食堂室の方に」流れてきそうってのは半室側以外も同じだろ >>940
それに
自由席非冷房時代でもサハシは全車冷房付きで客室部に自由席客が涼を求め客が流れてきそうとも解釈可能だよね 乗客にもいろんな人がいただろうから、どちらでもいいんだよw
自分はどちらも普通にあることだと思うし
非冷房車で窓を開ける夏場は極力先頭車両の左側に座った
理由は黄害を避けるためw 鉄ヲタは自分の興味がある部分には徹底して細かく小突いてくるけど
興味無い部分は恐ろしいほど無頓着だったりするからね
知識が偏りすぎてるというか 東海にサハ164が連結された写真は結構あるのに肝心のサハ164の車内撮影された写真がないのはおしいな ピクに掲載されたのがあるらしいが >>944
何でそうやって言うことがくるくる変わるんだよ >>944
Real timeだから言いたい事は解るがなw
山陰本線東浜駅の近くには旧型客車列車Real time時線路沿い民宿沢山あったがもし旧型客車列車トイレ反対向きならw 夏は窓開けて風を受けていたから糞尿の飛沫はよく顔に飛んできたよ( ̄ー ̄)/ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。