153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 14
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昭和60年以降、上野口から交直流急行電車が廃止され普通運用になって以降は
仙台運転所の急行形は交直交換スイッチを交流側に固定し、直流区間は走行できなくなったという。 すぐにそうなったわけではなくて、60-3改正後しばらくの間は、
臨時列車で上京してくることも時々あったけどな。
セミクロス改造後の上京も、たしかあった。 ちょうど715系1000番台が投入された頃だから、
基本的に統一したのだろうね。 417系は下松で製造後、南福岡まで走った後、自走で仙台に向かってる。
営業運転で直流区間に入ったことはないんじゃないかな? 昔、鉄道雑誌で山手貨物線を走行する417系の写真を見た事があった気がする。 3両編成5本全部繋いで15両で仙台に回送したのか? 161系には反応したのに417系には反応しないんだね
どんな理屈なんだろか >>769
左翼マスコミみたいなもんよ。 格上権力は叩いて良し、下におもねる 交直切り替えスイッチの話から横道にそれてしまっただけだ許せ >>770
それ普通じゃん。権力者に媚び売るメディアなんて提燈文屋。あるいは何処ぞの社会主義国メディアかよ。 165系中央西線だと先頭に車掌乗ってたけど
国鉄の電車って基本最後部でしか客扱いできないんじゃなかった?
鍵式の車掌SWに改造されてたなら先頭でも客扱いできたのかもわからんけど >>751-752
誠文堂新光社の国鉄電車ガイドブック・直流編を見たら、冷房搭載時(新製時含む)に片栓構造になったと書かれています。 >>774
サロの車掌室でも扉扱い可能だったので
通勤型のような縛り(必ず最後部で操作)はなかったかと 模型富スレで宮原の12系のテールライトがガチャメだと話題になってますがこれって国鉄時代からなんですか?
原因わかりますか?
https://i.imgur.com/mqNf3VO.jpg >>779
オレも最初はその言葉、ナニ??って思ったけど、検索すればすぐ出るよ。
実車のコレ、カッコ悪いけど形態の変化としてはなんだかワクワクするわ。 ガチャ目って左右の視力差でも使ってたな、昭和の頃
0.1と0.8みたいな片方だけ要矯正の視力を 要旨と関係ないが
小学生がメガネ作る場合0.1と0.8だと0.8の方も矯正されるけどな 実車が間違っているか変形車?
事故復旧車なんて、貫通扉が埋められてツルペタになっていたりした。 何をどうやったらこういう形態になったのかこのスハフ
踏切事故とか考えにくいし
脱線だが事故復旧車か分からんが他形式の部品の使い回しで違和感バリバリのケースとか
個人的にはスレ外だが九州のキハ52の貫通扉
キハ40系からの流用と思しきものを装備して運転台との窓の横並びが崩れて凸な感じに 九州のキハ52は廃車になった58のドア
つけてるのが数両いたんじゃなかったっけ
2002年まで筑豊で残ったと思った。 >>788
貫通扉だね。
これをつけてる車は何かユニークな顔になってたね。 58・28の貫通ドアだね。なんで付いたんだかは不明だったけど
高千穂線移管、志布志・大隅線廃止以降枯渇する
52・20パーツより58・28パーツへの共用化という話が信憑性がある。 >>778
貫通扉のことだね。
都城駅で見たとき、目を疑うようなショックを覚えたよ。
窓の位置が変わるだけでイメージがまったく変わるものだね。 電車運転の急行能登路5号に475系を当てられなかったのはどうしてだったのでしょうか。 リニューアルしたって種車のシートは急行型より劣ってる 特急誘導で急行型車両の優等列車用としての更新の類はほとんどされなかったからなあ
特に交直流急行型は急行廃止後ほぼ地域ローカル運用専用になっちゃったからJR化後だと東のクロハ455位しか思いつかない 急行型がT17シートなら良かった。設備は普通列車並で速達性だけ特急。当時の詰め込み輸送主義だから仕方ないが。 快適に行きたい人は特別急行,新幹線
居住性は問わない人は急行
と本来は住み分けしていただきたい。 急行型車両で優等向きの更新というと、
まずは「赤倉」「ムーンライト」用の新潟の165系が浮かんだ。 あと「月山」「よねしろ」用の58系とかもあったな。
宗谷本線系統用のキハ400は急行型と見なして良いのかどうか迷った。
東の方の住人なので、西の方の事情には疎くて申し訳ない。 九州だとクリーム色の急行型気動車(58&65)があるなあ
水戸岡式ロゴだらけがはびこる前
ただ全車G車シート流用と思っていたら違ったのね
ピク増刊号見るまで知らなかった >>802
JR東海
急行「かすが」
キハ58 3001+キハ65 3001
快速「みえ」用になるが
キハ58 5001・5002・5101
キハ65 5001〜5003 宮原の「ちくま」「だいせん」用の12系も座席がリニューアルされてたね >>802
急行丹後用のキハ28・58もリクライニングシートに変わっていたのがちらほら。
あさしおのキハ181が転クロのままなのもあったりして装備が逆転状態。 九州はリクライニング車の宝庫だったわな
急行料金取る最末期のえびの・くまがわは
全車リクライニングで、58はキロの座席
65は485リニューアル車のフリーストップ席だったね。 シーサイドライナーはハウステンボス開業でリクライニングシートになったんだな
それがキハ66転用で転換クロスシートになり
YC置き換えでロングシート
どうしてこうなった >>801
長野の169系新急行(天竜)があったが
急行としては短命だった 小さい頃宇部線沿いに住んでたけど夜たまに定期列車にキハ58が来て一人キャッキャッしてたな
信号の関係か毎日うちの前で一旦停車、その先に踏切あるからタイフォンならして動き出すスジがあったんだけど105系とキハじゃタイフォン全く違うからあ!キハだってすぐわかったな
代走だろうけどあれどこのキハだったんだろう? >>814
1980年12月の時刻表だと宇部新川-長門市・仙崎の列車が3往復載ってる >>813
改装と、天竜→かもしかの改名は、同時(61.11改正)だね 814
そこに住み始めたのJRになる2年前ぐらいからだし琴芝近くだから宇部新川から小郡よりだからその列車ではないと思う
そもそも見たのは年に1回か2回かとかレベル
一度キハで宇部線乗車してみたかったなあ ムーンライトえちごで一本だけシールドビーム改造された編成があった。
上沼垂車は鉄仮面改造が無かったね。 >>819
そういう列車があるから下関の長門市駅常駐の車両じゃねって話だよ クモハ471-1が2011年まで生き残ってたのが意外
車齢49年とか凄すぎ
上にはもっと上があって105系で50年突破があった 471系改造の413系はまだ残っているのに、新しい475系の方が引退してしまった。 西は京都に急行型保存しなかったんだっけ?
キハのいる津山は遠いなあ
一度DE50見に行きたいけど
あと敦賀港のキハ28は唯一のモデルチェンジ車生き残りっぽいが屋根なしじゃいずれ朽ちるなあ
噂にあったいすみ行きだった方が救われた気がする >>826
>西は京都に急行型保存しなかったんだっけ?
このスレ的にはオハ46形 >>827
wiki見たらレアな少数派の原形ですかオハ46びっくり
あと43系は北海道のスハフ44がねえ
スハシにした1両以外を早々に解体しちゃって後から14系客車を茶色く塗ったのが色々センス無いったら >>828
対立してた鉄文協に対して、C62は復活させないとのメッセージだもんな >>820
M1編成のことかな?
あれは元松本車でしたな 成田線の悲劇前に、もう国鉄時代に顔面補強改造は施工していたんだね。
上沼垂車はデカ目のままで補強。 最後に湘南色で佐渡やったよな、上沼垂の165
新前橋と違ってデカ目でかっこよかった。新前橋、シールドビームとアンチクライマーはともかく
ライトの上の手すりも前にだしてて雰囲気違ってた。しかめっ面 >>828
解体じゃなくて売却されたはず
>>829
C62ニセコの客車はそのままDL牽引の
イベント列車としても使えるのにそれをしなかったのは鉄文協に対する当てつけだろうな 急行しらゆきは457系で運転すれば50Hzと60Hzをまたげたのでは。 >>836
白馬、きたかみ連結してたから無理だろ457系電車の絶対数が足りなくそれこそ急行立山快速電車だけで一杯一杯だった >>836
時々その話出るんだけど457系だけで編成組めるだけの両数が配置されてないんだよねえ、
各区所とも。
そもそも457系は在来車の補充と言う意味合いが強くて、既に国鉄は急行を特急に格上げする方針を
打ち出してたので少数しか作られなかった。 19ユニットで終了だっけ457
455と475のユニット数から考えると足りなさすぎ 冷房が標準装備になって以降、特急型と急行型に車両製造費の差は殆ど無くなった。
ならば特急型だけ増備して特急料金を稼ぐ方が経営上好ましいのは当然。 なるほど
そう言えば冷房化がまだ過渡期の頃の、北陸本線の快速電車は非冷房だったね。
雷鳥から見たけどはっきり覚えてるわ。 457系は九州に集中配置されていて後は仙台と金沢に少数配置されたに過ぎない。 分オイが457鹿カコが475という謎配置時代もありました
なお西鹿児島で編成逆向き 特急は高いので急行に乗って安くすませる人が多かったのでは。 特急は停車駅が少なすぎて、使いたくても使えなかったというのもあるかな。 >>845
宮崎県民だけど謎配置じゃないよw
福岡に近いほうが車齢若いの充てがわれるのは今も同じ。
今年の移動も415-1500がミフ→オイ
古い415-100をオイ→カコ 転属が先月あったばかり。 >>847
https://books.google.co.jp/books?id=L4YT42BjQ1QC&pg=PA148&hl=ja&source=#v=onepage&q&f=true
1978年昭和53年10月の時刻表であるがこの頃から急行がだんだん減りはじめて急行しか止まらなかったそういう駅まで特急止まるようになった特に鹿児島本線 紀勢東線・参宮線と高山線のキハ58って原色・シートモケット原形だっけ?
亀山に165系乗り入れてる写真見かけるけど
165系って日中関西線で運用されてたっけ? >>850
JRになる直前から213系が投入されるまでは165系が関西線のヌシ。
その後、朝と夜間に165系が入る運用が追加されて淘汰されるまで走ってた。 追加で定期引退後もさわやかウォーキング号として何度も亀山まで来てるよ。 JR東海になってからの急行型ってモケットは原型で
白のビニールで枕部分覆ってたやつの印象が強いな
165やキハだけじゃなく113まであったやつ 当時は急行宮島に乗って朝から一日中かけて
広島まで(逆方向は東京まで)移動したんですかね 特急、急行の利用っていうのも今じゃ考えられないような
時代変化があるんだよね。 平成からの20年は停滞期だけど
戦後の昭和25-45年で比べたら、蒸機ばかりから高度成長で
庶民が特別急行に乗れる時代になったしね。
自分が小学生の頃でも、東京の親戚宅から急行高千穂に乗って
宮崎県まで帰ると言ったら親に「アホか」と言われた昭和49年。
新幹線39年開業時はかなり高価な乗り物だったのも、
万博後の47年岡山開業時には岡山接続九州方面
特急・急行が普通だったと聞かされてる。 >>854
急行の利用法は約4タイプに分かれてて
急行料金は201キロ以上が一定で長距離乗るほど割安。
(1)安く旅したい人の乗り通し
(2)新幹線からの乗り継ぎ
(3)途中大都市からの区間利用(長距離急行なら複数の都市)
(4) 普通が少ないエリアの急行料金払ってでもの層
宮崎県じゃ延岡-宮崎間の普通は朝ラッシュのあと午後まで全然無く
日中買い物客も嫌々急行に乗ってて、平成元年の普通毎時化まで 料金変遷が面白い
https://jikokuhyo.train-times.net/data/exp_fare
高度成長始まりの昭和35年から昭和47年まで同額
所得は倍以上になって、長距離鈍行が43-10で減り
急行利用者が増えたっていうのも金額の数字でわかるね もっと昔には、そもそも一般庶民には急行でさえ贅沢だったんだよ。 1961年急行日本海できるまでそもそも日本海側は急行もなかったんじゃないの
日本海側が裏日本と言われてた時代だが ああ間違いだった。戦時中だけ一時的に日本海縦貫線急行は不要不急とみなされ廃止されたがもし今ならどうなんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています