153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 14
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そして肝心の記事が載っているRJを、まだ発掘できてない、92のおいら……。すまん。 そんな記事あったっけ?覚えているのは急行しらゆきの廃止間近記事やれ長距離DCのくせに冷房車ないだの新潟の人は相席になっても会話なく重苦しいだのと文句ばかり書いていたような記憶あるがやはり種村直樹氏も戦前の人なんだな。やはりそういう所は宮脇俊三氏似てる。 新潟に限らず日本海側の人は相席で会話無いのは随分経験してるな。
種村のいつも偏見丸出し擁護のつもりはないが。
それも文化だと思って静かにしてれば良いだけだからね。
西日本でよくあるおせっかいとどっちが良いかは好みの問題。 しらゆきでの一件は種村と同行したカメラマンが席を長時間空け、周囲の立ち客から顰蹙を買ったためだったかと。
周囲が無口ではなく、ボックス席で種村だけが会話に加われなかった。 >>103
索引だけ調べてみたが、1978年10月号のようだ。特集「架線下DC」。
多分荷ほどきしてない引っ越し荷物の段ボール箱の中だorz
持ってる人いたら、確かめていただけると助かります。 「しらゆき」の記事も読んだ覚えがある。読後感が気まずくて読み返す気にならなかったけど。 >>103
シティー電車特集(85年8月)でも
取材してた方が地元の方に話しかけてもシカトされたって
嘆いてたし
無口な方が多いのかもしれない 逆に新潟の人間が東京に出てくると自分は東京の人間に疎外されるんじゃないかとビクビクして無理めに愛想良くして力のある派閥に加わろうとするんだよな。そして自分が阻害する側にまわろうとする急行佐渡。 >>105
自由席に乗っていたのか、それとも指定席の通路に立ち客が溢れるほど超満員だったのか、どっちだろうか。 >>110
お盆の時期で種村というか編集部も指定席が取れず普通車自由席になったはず。 >>106
架線下DC急行 401D<おが1号>「炎天下に峠を超えて」の記事を見てみました。
前寄りのキハ58形1500番台をねらえ、という小見出しで「先頭車には爽やかな外気だけが飛び込んでくる」「背もたれがふっくらして、坐り心地が格段によい」とのいう内容の文章でした。 種村はプライベートで夏家族と赤倉に乗って家族に恨まれてたな >>113
新しいってだけか。背もたれ違ってたのかね
そういや165やキハ58、座面のクッションがいかれてたのあったよな、583改の近郊や
103のロングもそういうのが多かった。長い間、客乗せて走ったってことなんだろうけど 何気なく165系のシート裏に指入れて中身引き抜いたら人毛だったわ。
散髪屋から仕入れて詰め込んでたのね。 >>113
ありがとう。割と些細なことだったんね。だから覚えてなかったのか……。 またぶり返して申し訳ないけど、
北海道の特急形式は、キハ283系の次はキハ285系でなくキハ261系にしたのはなんでだろう?
まだ十の位は8はネタ切れしてないのに。
そのあと幻の形式で出たけど・・・ >>119
そもそも183のあと281に飛ばしただろ?
それって振り子式だったからじゃね?
だから空気ばね車体傾斜の261は別にしたんだろう サロ152や157系の下降窓って、上下の寸法からして客車みたいな上昇窓でも良かったのでは?
あと冷房化した時点で窓を固定にするとか。 >>121
非冷房時に窓を開けた時、下降窓なら上が開くので髪が乱れない。
顔にも強い風が当たらない。
窓を大きく開ける事が出来るので、換気量も多く取れる。
157系の場合、窓幅1435(1485?)では1枚での上昇窓は厳しいのではないか。
両側のストッパーの場合、1人で一度に操作しにくい。
ナハ10のように上昇のバランサを入れると、窓が自然に上がるトラブルが予想される。
(ナハ10の件のソースは回想の旅客車 星晃著)
下降窓のほうが開くのを防止しやすかったんじゃないか。
以上、勝手に推測、冷房化時点で窓を固定化するのは同意だが、
電車はとにかく、気動車の場合、冷房のシステムはいま一つ信頼できなかったと思う。 すまん、ナハ10の件、ソースはRP10系客車特集座席車編だったかもしれん。 >>121
下降窓のせいで、車体腐食がさけられなかったんだよな。
205系が量産車で下降窓になって驚いたのを思い出した。 名鉄モ700形も下降窓だったのですが何か違いがあるのでしょうか。
(北陸へ行った車両は昇窓に改造されましたが…) 一度進入した水が排水し難い構造だったとか、どこかのブログに書いてあったな
水が底に溜まりっぱなしだったらしい>国鉄の下降窓 名鉄でもモ5200形の下降窓は支障が有ったのか上昇型改造された。 >>124
そこはSUS化で解決
と思ったが117系後期型も下降窓だった オシャレだからな、下降窓。車内、車外ともに見た目もいい。やってみたかったんだろ、あれ
メーカーも売り込んでそうだし
157だって全部開ける必要もなかっただろ。キハ58は2/3くらいしか開かないしな
>>123
回想の旅客車にはなかったと思う。始めて聞いた 70年代からの下降窓は水抜きがあったり、小田急8000なんかは
アルミユニット水受けまであるそうな。117後期型とかも
耐候性鋼のおかげ(201とかもね)な時代も大きいかな。
1960年頃から下降窓の阪急、近鉄は凄いよなぁ。 そんな下降窓の想い出。サロ169の窓の丸つまみで引き下ろして
横川でホームじゃなく窓から釜飯買ったことがあった。
グリーンの窓開け方知らない他の客も、めったに無いのか
釜飯の立売りの方も一瞬ビックリしてた。
その時代のちょっとしたイタズラだと、189系の重たい非常窓も
持ち上げて開けて買って苦笑されたり。 急行形電車の先頭車はデカ目が似合う。
近郊形電車の先頭車はシールドビームが似合う(ただし交直流近郊形・低運転台はデカ目) >>129
すまぬ、やっぱRPかな、冬場に窓が勝手に開いて閉めて回った云々とか。 >>132
シールドビームといえば、角型を使用した鉄道車両ってあまり多くないね(特に国鉄・JR)
改造された165系とか、電気機関車くらいか? 165系初期グループが次々と廃車される中、トップナンバー編成だけは
赤倉廃止まで使っていた。延命させたのかな。 90年代だけど、小学校の修学旅行が169系貸し切り列車だった。 153系低運のシールドビーム車って実在したんだ
ケツ目のでこっぱちに見えてかっこよくないな >>135
そうかしらん?
富士重や新潟鉄工のローカル線用気動車とか
東武6050、国鉄型ならキハ32とか結構あるんでない >>135
国鉄は標準化で規格もの使ってたから。DD51なんかカバーで抵抗してるから意味わからんけど
まぁ当時はクルマも規格のライト使ってたからな
>>138
両国で水郷のマークつけてたのを見たときは衝撃的だったな
クハ401にもあったよな、低運シールドビーム。新色になってたから目立たなかったけど
赤電の頃に見たかった >>141
碓氷鉄道文化むらで聞いた話だけど、EF63のシールドビームも
KOITOの180mm自動車用がハマるから展示車を点灯してるんだそう。
クハ401のシールドは白電ならまぁ許せたけどw 赤電は似合わないだろうね。 >>141
車だと、80年頃には車で結構使われてたよ < 角型シールドビーム
私鉄と違って、当時の国鉄はやはり保守的だったということか
JR貨物の機関車は角型のイメージしか無いけど、
時期的にシールドビームではなさそう 内房、外房、犬吠、水郷のワンポイントイラストはわかるが、鹿島の鹿だけは謎。 >>145
鹿島神宮行だろ?
鹿島神宮と言えば鹿だから >>131
いいねえ。
大垣夜行の静岡駅でやってみたかった。
つまみを下ろして幕の内弁当くださいとか。 夜行伊予のキロで窓が自重により5センチくらい開く席に当たった
ロックがダメで(多分ほとんどが)持ち上げてもまた徐々に開く
冬の雨降りだったので寒く何度も閉め直しているうちに高松に着いた
早朝着なので少しでも楽しようと奮発したのにその日は眠くて辛かった >>148
車掌さんに事情話して席変えてもらえばよかったのに >>144
その80年頃が大赤字で標準化してたんだけどな。まぁその頃にでてきた185や211、キハ183とか
見る限り、四角を使いたかったんだろうな、っていう気持ちはわかる
>>142
それか。S30のZやサニー、カローラなんかが使ってたやつ。ちょっといいクルマになると丸目4灯で
四角はその10年後くらいにやっとクラウンやセドリックに使われ始めた時代 同じモデルで丸目から途中で角目になった、いすゞ117クーペを思い出した。
鉄道これっぽっちも関係無い話ですまん。 サロ落とし窓話
35年前、遅めの夏合宿で白馬へ
アルプスの大糸線内サロ開放を狙って乗った頃
後年は付属編成になってサロなくなったんだよね
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org617071.jpg 奇しくもレス番がサロ>>152。
下げた窓ガラスの上枠部分、赤茶色なのは錆び? >>104
今の時代では見ず知らずの相客に話しかけたりしたら事案発生ですけどね
時代とともに人の心も変わっていった >>153
サビじゃなくて防振ゴムでしょう
ガタツキ抑えるやつが黄ばみと言うかグレーが茶色に >>154
「おせっかい」とは心外ですわな。
ヲタは一人でいるのが楽しいんだろうけど。 >>50
7000系列以外だと5500系だけでは?
他に非冷房の5000系に5200系で運用していて6000系は本線で乗った記憶が無い。 >>156
昔は相席の人と会話するのが防犯でもあり牽制でもあったんだってな 「袖すりあうも他生の縁」という言葉は完全に死語になったな サロ165はとても良い車両だったね
静岡発東京行の列車でよく利用したよ あちこちで昔は私鉄の車両が国鉄線に乗り入れるシーンが見られたようだけど、普通列車として直通していたならいざしらず有料の優等ともなると「あさぎり」だの「きのくに」だの「かわぐち」だのと愛称が付けられていたように思う。
かつて九州の島原鉄道では国鉄で言うところのキハ20やキハ55の自社発注車を使って長崎本線に乗り入れ、国鉄の準急や急行と併結し長崎や博多・小倉へと足を伸ばしていたと聞くけど、ところで島原鉄道の乗り入れ列車自体には愛称って付けられてたんですかねえ? もう一つ、模型や写真でしかキハ58の修学旅行色って見たこと無いんだけど、修学旅行の運用が無い時などは普通のキハ58系に伍して働いていたとか。
基本、非冷房だったから後に優等運用には入れ辛くなったであろう事は想像に難くないんだけど、それ以前の修学旅行車って一般車とは別格な運用枠が設定されてたんですかねえ?
新幹線の圧迫を早くから受け、しかも編成単位での運用が前提となるから早々に転用された修学旅行電車とは異なり、1両単位で使えるキハ58系では修学旅行車ってどういう扱いだったのやら? 急行運用で普通のキハ58に混じって上野にきてたよ、800番台
山形に配置が多かったから今から思うと出羽なんだろうけど。 そそ。出羽で、よく上野に来ていましたね。昭和の50年頃の話 島鉄のは 「出島」「弓張」は知られてると思うけど
他あったのかは知らない。 昭和48年の時刻表あったので見てみた
小倉14:36 いなさ5号 弓張3号のうちの一部が加津佐行きだった。
上りは加津佐8:46 いなさ2号で小倉落としだね。 情報ありがとうございます>各位
修学旅行色も定職あぶれて遊んでるなんて事させずに行って来いさせてたんですねえ。
極端な話、キハ58(修学旅行)+キロ28+キハ28(修学旅行)なんてのも有り得たのかな?
新幹線の延伸や万博以降の冷房付12系客車の台頭で修学旅行輸送自体への充当も減っては行くんでしょうが。
ところで修学旅行列車ってものが成り立たなくなってからも修学旅行車は修学旅行色に塗り続けられていたんでしょうか?
修学旅行電車の方は早々と修学旅行色と決別したグループもいましたけど。
>>169
島鉄車による列車自体に単独の愛称は無く、国鉄の列車の名前の一部に取り込まれていたって事なんですかねえ? >>170
うんそれ
島鉄の車両を諫早で急行に連結して直通する形 修学旅行車は利用する自治体がお金を出しあって造った車両だから、識別する意味もあってあの色にしたんでない? >>173
利用債ではなくボックスの間にテーブルがあったからでは?
利用債で車両製造は他にもあったから、現場での識別には必要は無いからな
因みに62年の801からの直方が東急、翌年に809から盛岡 山形 小牛田は帝車
RP687号の車歴表から抜粋
新幹線の延伸で運用範囲狭まったとあったが東北新幹線開業っていつだっけ? >>174
現場では無くてお金を出した側の認識の為かと。
修学旅行の環境改善の為にお金出したのにボロな一般車が充てがわれちゃたまんないだろ。
色が違えばうちが金出した車両だってすぐ判る。 門カタの修学旅行色は大阪万博1970年夏の早朝、繁忙期の夜行「筑豊」で上ってきたのを
大阪駅で見た。 >>164
小田急や島原鉄道みたいな特急や急行用車両ではなくて、私鉄の車両が国鉄を走るのはかなりレア?
帝都高速度交通営団、伊豆急行、茨城交通、有田鉄道くらいしか思い付かない >>177
定山渓鉄道
三セクとか公営も入れればたくさんあるな >>177
定山渓鉄道、茨城交通、三岐鉄道も自社電化区間から気動車が乗り入れしてたね。 >>177
優等だと名鉄北アルプスは外せないだろ?
あれは元は準急用だったが特急車両に出世しただけでなく、シーズン中は地鉄乗り入れて私鉄ー国鉄ー私鉄の3社乗り入れしてたし
留萌鉄道、羽幌炭礦鉄道、小湊鉄道(臨時のみ)、鹿児島交通(南薩鉄道)も追加で >>180
小湊鉄道の国鉄乗り入れは初耳?
内房線、木原線どちらに乗り入れてたんだろう? >>179
定山渓鉄道は最初は電車が乗り入れてたんだよな >>182
今の内房線経由で千葉まで行ってた
ダイヤを合わせるのが大変などの理由で何年かで止めてしまったそうだ
キハ10系列をぶら下げて千葉駅に停まっている写真を見たことがある なんか話の方向が急行型から離れてってる気がするけど…。
念の為、有田の場合は先に湯浅までの路線を持っていたのが有田鉄道で、軒を貸したら母屋を取られちゃったような面もある。
そこで富士急行から有田に行ったキハ58は、キハ58を名乗ってはいたものの後にエンジン1組降ろして1エンジン車になっていたと今更な話題で無理やり急行型に話を戻してみる。 当時は富士急も景気が良かったんでしょうね。
今は中古ばかりのようですが。 >>190 当時の富士急は、少数の優等列車用車両を新製した以外は全て17m国電の中古、しかもほとんど無改造で入れているから、他の中小私鉄と似たようなものだよ。
今日は中古とはいえ、改造して入れているからね。
富士急版キハ58にしても、両端運転台以外は国鉄のとほとんど変わらない規格量産品だから。 ちょっと違うような…。
富士急の旧国は2連3本だけで導入されたのも昭和45年になってから。
それ以前は自社発注車を更新したり、その更新車に合わせた改造した譲渡車が主力。
昭和31年に初のカルダン車3100形(別に優等用じゃない)が2連2本投入されたが後に1本が事故で失われた。
その穴を埋めるべく導入されたのが5000形2連1本、これが今のところ最後の自社発注車。
以後は譲渡車たのみながら改造には意外と手がかかっている。
キハ58に関しては言う通り、国鉄仕様に準じているから特に訂正する点は無い。
但し、3両の全てが両運なわけではなく、両運なのは58003だけ。
これは単行運転を考えたものではなく、常に2連で運用に入るから検査予備を捻出する為。
最初に投入された2両は背中合わせで2連を組み、そのどちらかが検査に入っても両運を1両用意する事で運休しなくて済むよう。 >>170
修学旅行に使用されなくなったのちに塗装は湘南色にされて153系や165系と組んで
運用していた。
155系はシートを通常の四人ボックス席に取り替えている。
159系は一般仕様にされることもなく即効廃車されたが車齢は155よりは若いのに
何でだろう? ピクの別冊で165系(167系、169系含)本が出るらしい。
12月10日頃予定だとか。
過去の特集をまとめたものだろうが楽しみだ。 >>193
車齢については155系は159系とさほど変わらない物が多い。
155系のうち、残ったのはS40頃に作られたやつ。
雨どいが運転席乗務員扉のところまで延びているやつ。
また159系は元々一般仕様のようなものなので、改造する必要は薄い。
159系と155系の廃車時期はほぼ同じだが、159のほうがわずかに早かったかな。
155の方が座席が新しいからだろうか、すまん、その辺はわからん。
正直、大垣生え抜きの159より、全国的にみて「要らない子」だった155をさっさと潰してほしかった。 >>193
159系は、座席は153系と同じ
廃車になったのも、155系どころか、153系とも殆ど変わらないよ >>195
155系は大垣の153系に繋がれていて乗車したことがあります。
サハだったけどゴゴゴゴゴゴゴゴという車輪の音と固い乗り心地が記憶にあります。
159系は中学の修学旅行で乗った車両なので思い入れがありました。 はは、リロってなかったw
あと、159系は全車に簡易休養スペースがあったり、
男子便所が物置になってたりして、無駄なスペースが有り、
波動輸送には使いづらかったということもあるかも 159系はクハの車内に運転席側だが右上にスピードメーターが付いていた。
運転室と同じタイプ(円形)だった。
155系にもあったのかもしれないが、自分が乗った時には無かった。 スレタイに修学旅行用の形式番号が無いのでもしやと思ったら、専用スレがあったわ。
ここはスレ違いになってしまうのですね。
修学旅行用155・159・167系・キハ58系スレ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1250373002/l50 急行型として作られたわけではないけど、防寒対策としてデッキ構造を採り入れ、実際に急行としても走ってたキハ22や711系にもスレ違いと触れてはいけないのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています