深名線の思い出
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深川と名寄を結ぶ長大路線。1995年9月3日を以て惜しくも廃止。
日本最寒も記録された極寒地帯でもありました。 寒くなると温かい蕎麦が恋しくなりますな(∩´∀`)∩ >>899
そば折詰駅弁のニセコそばもあったな
SL時代は倶知安や長万部のそば屋も繁盛だったと思うよ 最近は駅のホーム蕎麦屋も減ったな
今は札幌駅くらいじゃないの?
高架ホームとかではなく、上屋はあるが吹き抜け、吹きさらしホームで食べるのが良く、
18時21分に名寄着に着いたら、すぐには待合室に入らずに
1番ホームで蕎麦を食べてから駅舎に入り、弁当や飲み物を入手、
18時51分発の急行礼文の車中で弁当と燻製卵を食べるのがパターンだった。
平成3年頃に名寄駅0番線が廃止になり、深名線も3番線発着に変わったが
当時の名寄駅2、3番ホームは蒸気機関車でも出てきそうな雰囲気だったが
今はホームの上屋も無くなり、寒々としている。 名寄駅も今は上下ともにほぼ1番ホーム発車で間に合うくらいの本数だし
上屋撤去もそれだけ乗車客も減ったというところか ホームで旅情に浸りつつ蕎麦を食べたくなる駅というのはあるね。
都市の駅よりも程々の規模の乗り換え駅が良い。
北海道では音威子府や名寄、岩見沢、遠軽あたりが代表だと思うし、
昔は駅員や車掌も一緒になってそばを食っていた。 あの時、音威子府のホームにあった常盤軒で食べておいて良かった〜 深川駅で高橋商事のお楽しみ幕の内弁当を買い求めてから
11時過ぎ発の朱鞠内行に乗るのがパターンだった >>909
駅蕎麦、弁当、ウロコダンゴ全て深川市5条通りの高橋商事が製造販売 >>909
蒲鉾と添え物の梅干し以外は全て自家製手作りで
化学調味料は一切使用していない幕の内弁当だった かつては基幹産業だった稲作、畑作が潰れて
今は蕎麦ばかり栽培しているな・・・・・ 半分以下なら、旧産炭地や林業メインの町村から見たら全然マシに見える かつては人口5000人を超える独立した町だった多度志も
中学校が消え、小学校の統合話も持ち上がる程。
最盛期の5分の1もいないのでは? >>911
昼に藤原製麺の幌加内そば(乾麺)をざるそばにして食べたよ
藤原製麺には江丹別そばもあるが、幌加内の方が味ものどごしも良い 12月、土曜昼過ぎ
宗谷本線から名寄線へ乗り換えで名寄駅で待っていたところ、
「大雪のため、深名線は運休となりました。復旧の目処は立っていません」とアナウンス。
土曜昼なので待合室も人が多かった。女子高生たちを見ていたけど、驚く様子もなく。
日常の風景っぽかった。 >>878
国道沿いは添牛内商店街みたいな感じだね
今は何も残っていない 幌加内バスターミナル内の雪月花は食べたことがないけど、どうよ? >>925
食った事がないのでわからないが
添牛内の霧立亭はまあまあ上等な方だ 最後に幌加内を訪れたのは深名線が走っていた頃で、
当時は幌加内蕎麦もそれほど有名でもなかったし、幌加内での食事は大体、
駅前の松家食堂だったというか、町内で食事可能な店も数える程しか無かった。 乾麺を幾つか食べ比べてみたが、やはり、幌加内そばの味が良い IT化が進んだおかけで情報が拡散して政和や添牛内、天塩弥生で
そば屋や食堂を経営しても、それなりに成り立つんだろうけど
深名線が走っていた当時だと、沿線で食堂経営等が成り立つのは
多度志、幌加内、朱鞠内(湖畔のまねき食堂は谷川旅館と兼業)くらいだろうね >>930
朱鞠内も80年代以降は難しかっただろうね
多度志と幌加内中心部くらいだろうね >>931
深名線が走っていたら、朱鞠内は乗り換え時間もあるし、
鉄道マニアの利用が見込め・・・・・ないか(-_-)
朱鞠内の一日平均乗客数は昭和55年頃で50人くらい、
平成初め頃だと10人くらいだったからね >>933
朱鞠内は幌加内町の地名
以下Wikipediaより
基幹産業は農業(稲作、畑作)、酪農。ソバの産地として知られ、作付面積・収穫量ともに日本一。
なお、2005年度の「都道府県地価調査」によると、調査対象住宅地で日本一地価が安い地点が、字朱鞠内6400-14にある >>933
ダム工事が始まった事でにわかに活気づき
その後は後背地に控える森林資源を生かした林業、製材木工業へ
そして、林業が衰退すると観光だな。
平成3年末時点で農家は2戸だったし、昭和末期〜平成初め頃は
ワカサギや川エビの筏焼き、佃煮の製造販売と朱鞠内湖観光が
朱鞠内の数少ない産業みたいな感じだった >>936
町内の郵便局は幌加内と朱鞠内のみ
政和は簡易郵便局に格下げ、母子里は開設当初から簡易局
沼牛と添牛内は廃局になり、沼牛にいたっては跡形もない >>940列車時代と大きな変化はあったんだな。
郵便物や荷物が多かったな
深名線は荷物輸送が便利で多かったんじゃない? しかし、昭和末期までは町内に5つの集配郵便局があった幌加内町だが、
沼牛が集配廃止後数年で廃局(1991年)になると政和と添牛内も続き、
ついには朱鞠内も配達を取りやめて、町内全域の郵便配達を幌加内が
受け持つ様になった。
それだけ、人口も減り、需要も低下したとんだろうけど、幌加内から母子里への配達なんて一日仕事だと思うし、冬なんて寒いし危険では?
民営化に先立ち幌延町、天塩町、豊富町の外務集配を全て幌延局に
集約した時期があったが、冬は道路が凍る、地吹雪は食らう、
夏でも配達は遅れるわで苦情ビシバシ、無謀な企てだった事が判明して
結局、豊富と天塩がそれぞれ、配達を再開する様になったが
過度な集約化はむしろ逆効果というところか。 函館〜札幌〜[深名線経由]〜稚内
短絡させるとかどうだっただろうか >>943
樺太を控えていた戦前でさえ
深名線は宗谷本線有事の際の迂回路程度の位置づけだったし
路盤の強化も必要、除雪費もかさむわで経費倒れになったと思うよ >>946
無かったよ。
フリー切符で幌加内駅、朱鞠内駅で指定券を発行してもらおうとしたら、
出務していた幌加内駅U及び朱鞠内駅Aが面倒だからと屁理屈をこねて押し問答になった事があるが、ごり押しで0円券を発券させたよ。 深川と名寄ならば今でもみどりの窓口は健在です。
朱鞠内と幌加内、それに湖畔駅は乗下車した記憶があります(∩´∀`)∩ 朱鞠内行で、西名寄駅で高校生が1人降りた記憶があります。 政和温泉なんて駅も有ったね。
自分が乗ったときには既に廃墟になった温泉施設があったけど、その後政和温泉ルオンド
として、道の駅に復活したね。真冬の雪降る極寒地の露天風呂は趣があった。 場所も離れてるし、廃業した温泉は廃業前に温泉枯れてたみたいだし、完全に別温泉だよねあれ。
風呂上がりに裸でジンギスカン食べるのが名物だった宿のようだね >>955
泉源が涸れたのではなく
確か火事で燃えて廃業した筈 >>955
仮乗降所で降り、裸ジンギスカン屋へ行ってみたかったデス。 >>959
代わりに政和温泉ルオントで食事ができるが
メニューは丼ものと蕎麦、うどんばかり
もっとも深名線が走っていた当時は
幌加内の蕎麦も然程、有名ではなかったけどね
温泉に隣接するバンガローを借りて
自炊でジンギスカンを食べる事は可能かも知れないな 温泉ではないけど、朱鞠内レークハウスで泊まった方が良さそう >>962
夏の夜、朱鞠内辺りを車で走ると
車体に虫が大量に貼り付くわな キハ53-500の運転台のガラス部分に虫がこびりついていたよ
あれデッキブラシで落ちるのかな? 深名線の様に細々と走り続けているこのスレも
そろそろ次スレが必要になりそう
記憶の中で永遠に走り続けてほしいよ 深川5時10分発下り名寄行は事実上は幌加内から深川、朱鞠内から名寄へと通う
高校生を乗せるための送り込み回送みたいなもので、誰も乗っていない事も多く
幽霊列車とも呼ばれていたが一応は時刻表に載っている営業列車だったが、
便乗の車掌や運転手どころか、本務車掌さえ暇そうな感じ(笑)
乗客が私1人の貸切状態の時は、私から「放送を省略していいよ」などと
伝える事も多く、実際にその通りにしてくれて、ボックスでタバコを吸いながら
世間話に興ずる事もあったが、今だったらバッシングを受けるし、ありえない話だろうね。
同様に朱鞠内17時20分頃発車の名寄行最終も貸切になる事が多かった ちなみに平成2年くらいまでは深川発下り始発が5時25分頃、
朱鞠内発深川行の上り始発が5時55分頃の発車で
4時台に深川から朱鞠内への送り込み回送が運転されていたが、
朱鞠内を5時台に出たところで、通勤や通学には使えない、
丁度良い時間帯に朱鞠内から幌加内への町民バスが運行されるで
あまりにも乗客が少ないので朱鞠内からの始発も7時50分頃に繰り下げられた 一つだけ深名線に苦言を呈しておくと、喫煙可能な車両は大の嫌煙家の私には抵抗があった。そんなに密な状態でないので、まだ気管支炎の弱い私には辛い状態とまでは
行かなかったが。釧網本線も90年代半ばくらいの地点では斜里(知床斜里)〜標茶間
は喫煙可能な区間だったと記憶している。今はもう釧網本線も全線禁煙だが。 というか当時は大都市近郊以外はどこも禁煙可で一緒だろ >>969
> 乗客が私1人の貸切状態の時は、私から「放送を省略していいよ」などと
> 伝える事も多く、実際にその通りにしてくれて、ボックスでタバコを吸いながら
> 世間話に興ずる事もあったが、今だったらバッシングを受けるし、ありえない話だろうね
誰がバッシングするんだ? JR貨物の運転士がくわえタバコで運転している、なんざ写真記事をうPして騒いだ輩もいたが、貨物は運転中の飲食や喫煙もOKなんだよ。
運転席には灰皿も用意されている。 >>973
鉄道どころか観光バス、夜行バスはもちろん
郊外へ向かう路線バスでも喫煙可能だった タバコ売れないと他から税金取るしかないし、
医療費も逆にかさむ様になる 宗谷線の運転士交代後にキハのトイレでタバコ吸っていたな。臭いでバレてた。 朱鞠内の積雪75cm
幌加内の街は晴れていても
政和や添牛内、朱鞠内は雪の日も多い >>984
ニュース見りゃ誰でも知ってるよ雪降ったことなんて
チー牛駒大苫小牧オタ 1両で車掌乗務ってのも前時代的
平成七年あたりを山にして、鉄道に限らず
世の中全体のいろいろなことが
昭和感から平成感へ移行した印象がある。
この話を過去にどこかの板で書き込んだら
賛同してくれた人がいた。
鉄道関係で1つだけ例に出すと
国鉄→JR各社で硬券(乗車券&料金券系を主に)
が終了したのも、ちょうど平成七年あたり。 余談
だから、平成の名残りみたいな雰囲気も
あと数年すれば完全に令和感になると思う。 深名線を知る人も徐々に土に還りだしていることだろう。 なんだかんだでまだ深名線の小駅の駅員だった人で存命の人も多そう。
蕗ノ台、白樺、西名寄の駅員だった人で存命は居ないと思われるが。 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。