夜行列車総合スレ★16
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日本の夜行列車も2019年2月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、臨時列車で
何とか走っている「ムーンライトながら」・「ムーンライト信州」も一時期より運転数を減らして残すのみとなり、
これらもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」など、豪華な客室を売りにする
寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴です。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
※個別スレへのリンクは>>2以降で
前スレ(夜行列車総合スレ★15@鉄道懐かし板)
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1527218739
上記同名スレ@鉄道総合板はこちら
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1517052329/ その他の関連サイトとテンプレ
年代別・主要客車列車編成表
http://cyuouline.la.coocan.jp/page300.html
1978年の夜行列車(編成表)
http://kobayasi.on.coocan.jp/rail/hensei.htm
ほどちゃんの島 - 研究中の寝台列車一覧
http://hodo.blue.coocan.jp/s/train/index.htm
★急行津軽の歴史・改正による客車の移り変わり★
昭和29(1954)年10月01日改正 上越、羽越線経由で上野と青森を結ぶ不定期急行「津軽」が登場した。全車旧型客車で運行。
昭和53(1978)年10月02日改正 座席車を12系客車に置き換える。寝台車はまだ旧型客車であった。
昭和57(1982)年11月15日改正 20系客車での運転となる。1往復廃止され、1往復体制になる。
昭和58(1983)年07月01日改正 14系座席車に置き換える。
昭和59(1984)年02月01日改正 14系寝台車を連結する。
昭和60(1985)年03月14日改正 14系座席車のみになる。
平成2(1990)年09月01日改正 583系電車に置き換える。
平成4(1992)年12月01日改正 485系電車に置き換える。
平成5(1993)年10月改正 583系電車に置き換える。
平成5(1993)年12月01日改正 定期列車を廃止される。
平成10(1998)年1月改正 臨時列車を完全廃止される。 では前枠を埋めてから移動よろしく🌠 >>3 オハネフ12こと10系寝台車って、旧客の部類に入るのか?
軽量車体であるものの、蒸気暖房など旧来の装備を引きずってたが。 >>5
以下の出版物を読むと10系寝台車も旧型客車である記述がある
鉄道ピクトリアル 「国鉄型車両の記録 10系軽量客車 」2017年 02月号
イカロス出版 j train 「旧型客車の時代」2017年 04月号
鉄道ピクトリアル 「客車の時代」2014年 01月号
Rail Magazine 「旧型客車の愉しみ」 2019年 01月号
イカロス出版 j train「客車編成今昔」 2018年 04月号 >>6
新型は20系からか。
オシ17は木炭使っていたし。
なんと言うか、EF10みたいに旧型と新型の過渡期って感じがする。 急行 ばんだい まつしま いわて
で、上野から夜行急行で朝一で仙台駅から仙石線へ乗り換え
で、駅から降りてもチット始発バスには早かったっう思いでが
1976年から1979年の話しでした。 旧客の事を鉄道ジャーナル誌では雑客と呼んでた人もいたな オシ17は石炭レンジやろ
北陸トンネル火災事故の原因は、にっしょく従業員のレンジの不始末か?
電気暖房器のショートが通説だが >>8
あのまま
ただ、3年以上も炎天下で潮風を浴びているから、もう解体しかないと思う
スロネ24 552,553
オハネ24 7,49
オハネ25 147,152,210,211,213,215,218,220
オハネフ24 7,8,10,15,19,25,27
オハネフ25 117,125,202
カニ24 23,25,102,109,112 >>13
北陸トンネル火災事故の原因は急客501列車に連結してあった11号車の食堂車(オシ17 2018)喫煙室椅子下から
火災が発生。火災の原因は、オシ17形の喫煙室長椅子下にある電気暖房装置のショートとされた。
初期の段階ではオシ17形調理室の石炭レンジからの出火、あるいは、喫煙室でのタバコの火からの出火の説も
あったが、断定はされなかった。死者30人、負傷者714人の被害を出して世界的にも有名な列車事故のひとつに
数えられるようになったため、運転が復活された際には普通座席車のみ12系座席車(夜行列車に12系が使われるのは
初めてのケース)だがA寝台車、B寝台車、グリーン車など6両は旧型の車両を繋いでいた。 >>15
運転再開時はオシ17が外されただけ
その後の昭和48年10月改正時に10系・43系の普通座席車合計6両を12系客車6両へ交換し、普通座席車1両の秋田切り離しがなくなる
昭和53年10月改正でグリーン車が外れ、B寝台車がすべてオハネフ12化
昭和57年11月改正で座席も寝台も14系化の上、荷物車が外れ、郵便車も高速対応のスユ16化され、列車の運転区間が新潟以南へ短縮 >>15
結局出火原因分からず仕舞?
電気暖房原因なら食堂車外すのではなく電気暖房禁止した方が対策だと。
そして蒸気暖房に回帰。 >>15
もともと夜行急行列車の食堂車なんかは寝台特急への格上げで廃止したかった。不謹慎な言い方だがまさにうまい具合にきたぐにの事故いやむしろ事件が起きて国鉄的にこれ幸いと急行食堂車全廃した
まさに別件逮捕言うか冤罪ドラマの口実 >>19
でも事故当時の急行食堂車は、当のきたぐにと十和田1往復だけだった。
ただ寝台特急も583系食堂車の多くが営業休止になり、ブルトレの食堂車も見直し時期で、
関西〜九州の食堂車などが縮小された。
そして翌1973年10月改正で、きたぐに事故のトラウマで新製された24系でオシ24も作られたが、
投入された関西〜九州では振るわず。
確かこの改正で、583系寝台特急の食堂車は全面営業休止になったような。 >>19
10系客車の車両端から出火した例はいくつかあり、電熱と言うより熱源に対する耐熱考慮が欠けていたと思われる
急行食堂車については、昭和44年7月にまとめられた「今後の旅客営業」の中で特急格上げ・急行の短距離化(夜行は800kmまで)とあり、
必要な範囲から外されている
霧島→桜島からも昭和47年3月改正で外されたことから、おそらく昭和48年の改正できたぐに・十和田(事故時点では下り2号・上り3号のみ連結)からも外されたと思われる
十和田はオシ16も使用していたが、昭和47年3月改正で外されている
不幸とは言わない。国鉄労使双方の上層部のエゴが原因で発生した事故だから 急行きたぐには12系の時しか乗ってないけど大阪22:10→17:10青森12:58→8:27で正に
当時としては日本一の運転時間と運転距離を誇る急行列車かつ夜行急行列車であった。
急に14系寝台車+14系座席車に格上げされたけど新潟〜青森間の廃止は格下げと同じで
その後、583系になって急行きたぐにも急行立山(583系で運転されていた)の代用みたい
になってしまったのは本当に残念ある。
きたぐに 編成
http://kobayasi.on.coocan.jp/rail/hensei.htm#43
501列車・502列車 時刻
http://kobayasi.on.coocan.jp/dia/dia202.htm >>11
そのころは、路線バス全盛期だった(いまは民営バス廃止でコミュバスに代わっている)
で、通勤通学客を最寄りの駅(当時は国鉄)へ輸送するために回送バスをバンバン送り込み
していたので、逆に駅からの早朝バスがam7:00を過ぎないとなかった。 >>22
583系も、結局は急行きたぐにが使用列車としては代名詞の1つになってしまったけどね
結局、30年近くも使われたんだっけ? >>25
60.3改正のときに14系から変更しているから、6年前の正月の最終運行ってことであれば28年弱使用されたってことになるね
確か当時のRJで読者モデル(?)だか何だかの姉ちゃんをモデルにしてA寝台で撮影した写真を掲載していた記憶がある
今思うと、あの姉ちゃんはレポーターの…(ry 急行食堂車はきたぐに火災事故をきっかけにこれ幸いと全廃したんじゃねーの(鼻ほじ >>27
非営業でも、583系「立山」では食堂車が連結されていたことになるんだよね
同じ非営業なら、能登のラウンジ&コンビニがそっち系での最後の連結車両ってことに
なってしまうのかな >>28
サシ581は編成としての機器の関係上連結せざるを得なかった
どうしょうもなくなり、無理やり他の車両を改造してサシ581を外した >>29
でも、当時の向日町の12両編成(〜S.60.3)だと、雷鳥運用も絡んでたために
食堂車を連結せざるを得なかったって面もあった?
(確か、最末期ではあっても、食堂車は辛うじて営業してたはず…)
東北特急の方の583を考えれば、57.11の時点で食堂車の役割は
完全に終焉を迎えていたとしても サシ581にはCPと三相切替スイッチがあった(MGは自車分の70kVA)
三相切替スイッチが特に問題だった
食堂営業 昭和53年10月「雷鳥」投入時から昭和60年3月まで
実のところ「雷鳥」へ寝台設備を外した581系・583系をすべて回し、それで浮いた481・485系を他の線区へ回して、
交直流急行電車をすべて普通電車化すればよかった
東北北陸はともかく九州北部はまだ気動車が関門トンネルを抜けている時代であり、そこそこ旅客が多かったので、ED76に50系を8両程度引っ張って門司港−荒尾間を行き来しておけば充分だった
(昭和55年の改正で特別快速廃止)
後半は多少暴論 >>32
雷鳥食堂車の実質的な本営業は昭和59年12月くらいで
昭和60年元旦から紙皿で一部メニューも廃止した簡易営業だった 食堂車は非連結だったんじゃないのか?
あの頃の時刻表というものはとにかく、「◯月◯日から食堂車なくなります」のオンパレードだったような記憶がある。グリコ森永事件、三浦和義ロス疑惑と、世知辛い事件が次々起きた時期でもあり「世知辛い世の中やのう。食堂車がまだ元気なうちに乗ってよかった」と思った >>34
もうその時は60.3改正に向けて、在来線特急電車の食堂車を全廃する布石が出来上がっていた。
だから食堂車連結列車を段階的に食堂車を外していった。
皮切りは青森の「白鳥」「鳥海」で、昭和59年11月頃から。 >>34
気になって資料等を再確認したけど、583系立山では、食堂車はやっぱり連結されてたみたいね
当然非営業だったけど 現代の感性と結果論でたらればの披露とかおバカの極致 >>14
>>16
少なくとも日本じゃもう営業運転されないし処分しかないんだね
あれだけ親しんでた青い客車の開放寝台車にはもう絶対乗れないってのが本当に残念無念 >>38
海の横に長く放置してあるので潮風と太陽にやられて塩害でかなり錆びてそう?
ODA(政府開発援助)の海外譲渡するも本線は走れないと思うから現地解体すると
の予想だけど時間が経ち過ぎているからせめて雨が凌げる場所に何両か保存して
もらえればいいけど無理なのだと思う。
青森駅・青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸横の空きスペースに整備・塗装した
24系2〜3両を屋根付きの場所に移転してメモリアルシップ八甲田丸と同じ様に
展示したらいいのにと思うが24系に興味あるのは鉄道ファンだけなので場所代や
維持費を考えると大赤字の青森市はやらないだろうし、JR盛岡支社もやりたがらない
と思う。残念だけど個々の想い出に残すしか出来ないだろうね。 witter.com/Tosuirapid/status/1096032810446417920
@Tosuirapid
開放寝台の料金設定が旅客営業規則から削除。
「ブルートレイン」の復活は規則的にはあり得なくなった訳か。
ttp://pbs.twimg.com/media/DzXkBkBUYAA4sm8.jpg
@Tosuirapid
開放A寝台ももちろん削除。ついでにB個室カルテットがついに削除。
デュエットとか廃止の時には何故か生き残っていたけどなんでその時に消さなかったんだろう。
ttp://pbs.twimg.com/media/DzXl8cgU0AYsX7p.jpg
@Tosuirapid
リンク貼っておく。
>運送約款の改正履歴
>ttp://railway.jr-central.co.jp/ticket-rule/carriage/history/
>平成31年2月8日 旅客営業規則の一部改正(平成31年3月16日乗車となるものから施行)
>ttp://railway.jr-central.co.jp/ticket-rule/carriage/history/_pdf/80.pdf >>41
急行料金まで同時に消えた…ってオチだと、それもそれで…
サンライズが廃止されて、寝台料金の設定が完全に消えた時、
JRでは完全に一般利用できる寝台列車が消えることになる(復活も当然ない)のか… ツアーとか企画切符とかで対応するんだろうな。要は「みどりの窓口」で購入できる昔ながらのスタイルではやらないということだ。
ツアーで料金をまとめると実質的に値上げも可能。寝台料金のまま残しておいて、いざ値上げとなってイメージダウンのリスクを負うこともなかろう。
高速バスや飛行機だって、季節や予約数に応じて値段が変わる。鉄道もそうしろと言うわけではないが、時期や状況によらず全国一律(多少の加算とかは除く)の料金体系というのが時代に合わなくなっているのだろう。 トワイライトエクスプレス瑞風いい例。
トワイライトエクスプレス瑞風は何故か東浜駅に停車するが東浜駅と言えば昔は60歳以上の定年退職世代にとっていわば中学校高校の臨海学校思い出だからな。43年以上も前の時間が戻るわけないのに金だけはある定年退職後世代ターゲットJR西日本のやり方はあまりにあざといw
KOボーイ事件でないが悪賢いと言えるw そう言えば、ついに189系も全滅するんだよね
ムーンライト信州も、189の完全引退とともに終焉する(既にした?)のかな
ツアー列車的な形で残る可能性は当然あるとしても つまりこうだ!!
今年の秋から運行開始するJR西日本の117系改造の長距離列車も
特急料金適用でみどりの窓口では売らないツアー列車決定という事だね >>44
言いたい事は分かるけどトワイライトエクスプレス瑞風はいい列車だよ
確かに西日本のやり方は多少は問題あるけど年金生活を沢山貰ってる富裕層が
ターゲットだから価格が高いのは致し方ない。3種のクルージングトレインに
乗って来たけど個人的には旧型客車で運行された夜行急行に愛着的な想い出が
あるよ。 >>47
>確かに西日本のやり方は多少は問題あるけど
問題って何? >>48
>>44の文中
(省略)定年退職後世代ターゲットJR西日本のやり方はあまりにあざといw あざとくなんかないだろ?
何が問題なのかさっぱり分からん お前ら夜行列車なんて過去に沢山乗っただろうよ?
俺も1975年から多くの夜行列車に乗ったから今さらもういいやって感じだよ
カルテット、デュエット、ソロ、シングルDX、ツインDX、デラックススリーパーの
エクセレントスイートとスーペリアツイン、ロイヤル、スイート、シングルツイン、
ツイン、シングル、それに開放B寝台と開放A寝台。ひと通り乗れて満足だけど
もっと別な事にエネルギーと金を使えばもっと素晴らしい事が出来たかも知れない。
寝台車もいいけど昔ながらの急行や普通の座席夜行の旅もチープでいいよね。
安く浮いた分で郷土料理を食べたり、ワンクラス上の宿で食事をグレードアップさせるとか。
俺はそもそも鉄道ファンではなくて旅行行くのに座席夜行だと安く行けるから選んだだけで
乗り鉄とかは興味なかった。夜行列車や寝台車の旅で鉄道は好きになったけど目的は
観光や景勝地巡りに温泉と美味しい物であって今でも基本理念は変わっていない。
だから夜行列車には乗ったけど昼間の鉄道利用はあくまで移動手段だったなw。 >>52
逆に、現時点では「ほぼ」(サンライズしか)乗れなくなる/選択肢がないってのがなぁ…
その観光の面も、インバウンドの影響で「こんな状況じゃ行ってってられるかよ!!」って感じに
(悪い方向に)変貌してしまったとしたら…
旅行する(観光で遠出する)意味自体が消え失せてしまうような気がして、なぁ >>53
今は定期で走ってるのはサンライズしかなくて山陰か四国に限定されるから
安いフリー切符的な物も無くてそのために行くのもどうかと思う。
自分は夜行列車に限定しないで大人の休日倶楽部パスか夫婦ならフルムーン
夫婦グリーンパスで新幹線を使っているよ。
大人の休日倶楽部パスが使えない時に北海道なら短期間で往復飛行機利用で
現地レンタカー、道内滞在1週間以上なら自分の車をフェリーに乗せて行く
スタイルが多い。 >>54
その面も含めて、「鉄道を用いた(用いなくても)旅」の概念が
夜行列車がほぼ完全に消えたことで、根本から変わってしまったのかもなぁ…ってのも
>>53には含めてる…って思っていただければ
夜行列車での移動を前提とした旅行…今では/これからも事実上不可能になったし、
当然ながら、同じ経験の実体験も、今となってはもうできないってので…
夜行列車で移動して、一眠りして目を開けたら、車窓から広がる異郷の広大な景色…って感覚を
自分も未だに忘れられないんだけどね 旅のスタイルは人それぞれ、さまざまだけど夜行列車が、ほぼ壊滅状態になってからは
夜行列車で移動をしてた人が、飛行機や新幹線に移行してそのまま旅の続きを行える人なら
問題はない。 しかしながら夜行列車に乗る事を目的とする夜行列車乗り鉄(このスレの
住民の約半数くらい)はその手の趣味人とかつて夜行列車ファンで新幹線や飛行機に移行不可能な
貧乏人は夜行バスやフェリーの徒歩乗船貧民しか移動方法がないので悶々した心中であろう。 大企業のメーカーを定年まで勤めた人、そうでない人の格差社会という訳だな。こればかりはまさにアリとキリギリス、しゃーないでしょうということになるがキリギリスのじいさんフラフラは大回り18乞食っぷでフラフラするしかないな。
だから何だ自業自得身から出た錆じゃんと言ってしまうのは残酷なのかもだが、世間的にはそんなじいさんどーでもいい18歳の少女の白血病お涙頂戴の方がいい アリとキリギリスに例えてるけど現実は逆じゃん
アリは死ぬまでぼろぼろに働かないと生きていけないし
キリギリスは老後も悠々自適
これが現実だから >>57
それ自業自得のザマアアーーって感じ
>>58
それ逆だよ
アリは定年まで働いて厚生年金+企業年金基金の年金がもらえるまで沢山もらった退職金で悠々自適
キリギリスは早く退職したので残り期間は国民年金でもらえる年金も少なくて、退職金も少ないから
蓄えがないため、65歳また70歳の老齢年金支給開始まで働かく必要があるので定年後もボロボロも
なって老齢年金もらえる前に逝ってしまう。
勤めていた会社を辞めて自営業や自由業をしても年金は全額自腹持ち、厚生年金+企業年金基金組は
半分会社が負担するし、健康保険でさえ会社が負担する割合があるのでこの時点で負けww >厚生年金+企業年金基金の年金がもらえるまで沢山もらった退職金で悠々自適
こんなのもらえる時点で既にアリではないよ・・・ キリギリス「働いたら負けと思っている」「雇われたら負けと思っている」
アリ:労働者
キリギリス:自営業 >>61
キリギリス「働いたら負けと思っている」「雇われたら負けと思っている」
アリ:労働者
キリギリス:自宅警備員 だろ
自営業は退職金も賞与(ボーナス)もないし、年金額も当然少ない。
つまり生涯収入となれば大手企業か公務員の方が断然金額的に上なんだよ。
自営業でも自分で株式会社を作ってる法人化した自営業なら安定収入で
老後も悠々自適だけど自営業で大儲けするには会社員で頑張って働いて
培ってきたノウハウや人脈が必要だから"働いたら負け"なんて甘ちょろい
考え方では起業は成功しないよ。
自分は22歳から60歳まで公務員で勤め上げて昨年3月末に無地定年退職を
迎えた人生初めての無職で自宅警備員になったけど賃貸収入があるので
退職金は使わずに夫婦で生活して年に2〜3回は松江に住む息子夫婦の所へ
サンライズ出雲に乗って孫の顔を見に行ってる。 キリギリスは芸能人、棋士、スポーツ選手、水商売とかじゃね? 現代を含めてこれからの時代はアリもキリギリスも共々
頑張らない奴は負け組になって更に貧富の差が拡大する
20代前半で海外旅行に行けるのと40代になっても独身で
旅行は青春18きっぷか夜行バスとか笑わせてくれるよな >>64
普通は普通で味があったんだけど、田舎の鉄道も都会の通勤列車のように
ロングシートなったから、味が無くなったんだわ。
それと頑張っても負け組になる時はなるよ。 >>65 キハ30系が、新潟などの田舎で70年代ころから走ってますけど。
地方私鉄でロングシートの車両なんて、半世紀前、当たり前に走ってましたけど スーパーボランティアの爺さん見てみろ 最低レベルの国民年金のみでやりくりしてるぞ
歩いて大分まで帰る途中だが沿道の皆さんが大勢集まってなかなか進まないくらいだ
誰か18きっぷ教えてあげろ 3月まで待てと >>65(最終行)
氷河期世代から、その現実に大きく直面して行った気がする…
学生時代に周遊券が消えた世代でもあるだけに(同時に急行列車も激減)
数年前からはそこにインバウンドまで加わって、わざわざ旅行する意味自体が
大きく損なわれてきている気がしているんだが…
>>62-64
たとえアリになれても、あまりに無理し過ぎて早逝、
もしくは社会生活を営めない心身状態になったら、
「人生って一体何だったのか…」ってなりそうな気が
(特に氷河期世代が、これまたまさに直面していたのかも) >>64
韓国などの激安海外旅行は貧乏人にも行けるけど今は国内旅行の方が高い
北海道で1週間往復ANAかJAL移動で道内移動は空港で借りるレンタカー、
宿泊は夕飯が部屋食限定の温泉旅館か観光温泉ホテルだと2人で行っても
1人当り18万円以上はかかる。
>>65
東北ローカル普通列車の旧客が50系・12系になってオールロングシートの
701系が進出した客車列車の風情が消えた1993年くらいから東北エリアの
乗り鉄は終わったと思った。昔は各地で走っていた風情があった客車列車。
宗谷線、石北線、釧網線、根室線、三菱大夕張、室蘭線、千歳線、函館本線、
津軽線、東北線、奥羽線、男鹿線、八戸線、羽越線、釜石線、磐越西線、白新線、
磐越東線、常磐線、高崎線、信越線、東日本地区でもっと走ってた線区はあったような?
>>69
就職氷河期(1993年から2005年)でも頑張っている人の方が多いんだよ。
しかしリーマンショック後は更に酷くなったのは致し方ないけど目的と希望を
持って乗り越えた人も多かった。正社員制度をなくしたり、ホワイトカラー
エグゼンプションで時間外手当が付かなくて仕事が終わらないと帰れない闇も
あったけどそれに勝って管理職(課長)になった後輩もいたよ。 ここは個人の感想を長々と垂れ流す場ではないんですが 夜行列車について書け
大阪時代はよく後の2921Mに乗っていたわ
ほとんど末期だけど、つり時期はそこそこつり客が乗っていた以外は和歌山を過ぎればボックス占有できた
2年後から紀伊田辺までが定期、新宮までが金・土・休前日発に変わってしまった
117系に変更していたら、もっと長く運転されたかもしれないね >>72
紀州夜行(紀勢線夜行)と言えば普通でB寝台連結の「南紀」や後の「はやたま」(921・924列車)へよく乗ったよ。
しかしながら夏場の座席車は冷房が無かったので、南近畿ワイド周遊券だったから冷房が付いてる
夜行急行「きのくに15号」(312D)『天王寺23:30→新宮5:23』にも乗った事があるよ。南近畿ワイド周遊券と言えば
自由周遊区間で使えた名古屋〜紀伊勝浦間の片道のみ設定の急行「紀州5号」(1915D)にも2回だけ乗った事があるが
今思えば花火臨やF1臨の臨時夜行列車の先駆けだったのかも知れない。
天王寺⇔名古屋の921・924列車が天王寺⇔亀山になって「はやたま」も旧客も廃止になると竜華機関区のEF58・
EF15ブームも下火になって921・924列車は天王寺⇔新宮へと変わり、12系座席車に変わった。
快速臨時夜行「いそつり」も走ったけど自分は1986年くらいが紀州夜行に(紀勢線夜行)に乗るのは最後になった。
紀勢線は天王寺発が上り(924)、新宮発が下り(921)だったけど165系になって新大阪駅に乗り入れした時くらいから
新大阪発が下りになって921Mや2921Mになってる。若しかしたら特急くろしおが新大阪乗り入れで
変わったのかも知れない。
なにぶん、1995年から仕事で札幌に行ってからJR西日本は疎くなってしまったよ。 >>71
とは言っても、定期の夜行列車自体がサンライズだけになった現状では
夜行列車は事実上「思い出の存在」になってしまったからなぁ…
実体験に基づく、思い出補正も入った書き込みしかできなくなってしまっているのが
非常に辛い限り
車販サービスの大幅縮小とも合わせて(もともと夜行列車では車販はないけど)、
夜は地上設備で宿泊・飲食…と言うのが標準とされる時代になってしまったのが、
個人的には色々と寂しくもある >>70
701系化と同じく、MLえちごとミッドナイトが普通列車だけでつながったプラス面もあった。
確かに日本海側のロングシートは鬱だったけど、18きっぱーは喜べた一面もあった。 >>74
自分は長期記憶に関しては強い方だが、4半世紀以上前のものとなってしまった50系客車列車とムーンライトのペアーは165系ムーンライト以上遠い記憶だしな年取ると昔の記憶は以前よりも鮮明だが
夜行列車どころか東海道新幹線でさえも誰かが死んだ時しか乗らなくなったしなそれ以外はほとんどすべてが車だし多分自分みたいなのが増えすぎたんだろうがこればかりはしゃーないでしょうとしか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています