153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 12
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>>633
S55年の頃は
「停車中は使用不可」ステッカー貼ってあったね
結局垂れ流しのまま終焉迎えたのでは… >>629
S41.10改正で、このような列車があった。
第2ひまわり
大分8:38→小倉11:12→博多12:12→熊本14:23→大分17:36→別府17:50
別府でそのまま第3ひまわりに変身
別府18:08→小倉20:42→博多21:52
始発の大分から1枚の急行券で何処まで乗車できたんだろう? 火の国(肥前、肥後)を廻るから「ひまわり」であって向日葵ではないんだな。 >>636
停車中の他にも、使用禁止区間というのもあって、
上野?大宮間なんかがそうだったと思う。
まぁ、ほとんど守られていなかったようだけど。
大宮駅で薄汚れた白い紙が道床周辺に撒き散らされているのは
子供ながらに、結構衝撃的な光景だった。 >>634 1エンジン車ばかりで、両国、千葉間の過密ダイヤの中を走ってたんだな。
常磐線では荷物輸送用気動車に2エンジンのを投入しているが、千葉までの途中停車駅が少なかったから、ダイヤの支障にならずに済んだのかな? >>638
なるほど!!!
…ずっと向日葵の方かと思ってた自分が恥ずかしい〜 火の回りが悪いってグルグル火をつけ回ってるのがひまわりって、時代的に不謹慎でスミマセンスミマセン >>638
JTBキャンブックスシリーズ国鉄準急列車物語の162ページには
>なお、名称は花の名前の「ひまわり」と、
>「廻る」を掛け合わせたものとされる。
と書いてあるけどな >>637
最高額の急行券を買えば、全区間OK。
周遊券だと全区間乗り放題だが、当時そういう事をするファン・マニアがどの位いたんだろうか? >>640
高架化以前の市川や本八幡は追い越しが可能だったんじゃないかな? >>644
「〜とされる」のであれば肥の国回りも否定してないわな。
「〜である」ではないからな。
ようはJTBのそれを執筆した人間もはっきりした名前の由来はわからないということだ。
興味もねえからどっちでもいいんだが。 向日葵→火回り→火車
火葬場で仏様の油脂等で火力制御不能になった時に出る現象
例として炉内で火焔が渦巻いて仏様可視できなくなった時「向日葵出てます」等々使います
スレチすいません
お邪魔しました 九州は大回り列車の宝庫かも
松浦線回りの急行平戸とか、日豊線完全走破の夜行日南・大村回りで時間稼ぎの夜行ながさきとか。 千葉でキハ28と451系の協調運転試験が実施されたけど結果はどうだったのだろう?
協調運転営業はされなかったから芳しい結果ではなかったのは想像つくが検索
しても出てこない。 電車が必ず先頭に立つ前提なら、そんなに難しい技術ではない
気動車側から電車を制御するのが面倒臭い 液体式は、エンジンの回転数とは関係なく加速していくイメージだなぁ。
キハ85系が登場したときは、特にそう感じたわ。 急行たかやま用のキハ58は東海道走るのにパワーアップしてた? 昭和40年代だとまだ制御の変換が難しかったのだろうね
マスコンの制御線が違うんで。ブレーキはDCからの司令は発電なしで
自動ブレーキ帯にすればなんとかなるが・・
オランダ村特急の際は変換器をDC側につけて
485系側の改造は後回しにしてたが時代の差だね。
たかやまはノーマルでしかも28繋いでたから鈍いよw
東海の5000番台58や65とは大違い 起動加速時はどうしても気動車側がワンテンポ遅れるから、485系が強引に引っ張り回してる感じで乗り心地も良くなかった >>659
そうだったね。最初キハを前にして制御は楽だったみたいだけど
後ろから小突かれるんで、485側からの制御にして引っ張るほうがマシって言ってた >>658
みえ用だけに単なる見栄ではなかったんだなぁ
キハ82系特急南紀の方が遅いという逆転現象が 日田彦山線などではDC運用などから、キハ58+キハ17+キハ55のデコボコ編成の列車も見られたが、
エンジンは性能的に問題なかったはのだろうか パワートレインは、基本的にみんな同じだからね。
混用の際は困ることはなかったんじゃない? 電車の形式違いも小田急等でよく併結してたけど、モータートルクピークや
制御器の進段タイミング+台車の妙な癖で脱線(1800+4000)という実例があるね
気動車はトルコンのおかげで変速に切り替える50キロくらいまでが無段階に近いのが利点
160馬力のキハ10系と360馬力のキハ58つないでも大丈夫だったが・・が・・しかし
キハ65が入ると色々面倒だったようですぞ
65は片台車に500馬力掛けている上、起動時の妙なトルクラグと
中速で急に上がるトルク特性、さらに直結に入れるべき速度は
60-65キロ以上が良いとされていて、直結失敗・走行中エンストなんていう話多数。 ごめんミス。 直結に切り替える50キロ です。
キハ65は50キロで切り替えたらエンストしやすくて、もっと60キロくらいまで
キハ58系以下在来車をぶん回してから直結操作するようマニュアルに出てる。
余談:小田急の複数回併結脱線は
軸バネがゴムしかないパイオニア空気バネ台車(4000)と重たい国鉄台車(1800)
さらに高回転低トルク型モーター(4000)と高トルク低回転型モーター(1800)
という最悪の相性の結果だそうで、併結中止、4000を新造して増備と・・ 旧国のクモニ、クモユニとの併結の時、115や165などの新性能車は性能落としてたんですか? >>668
気になって調べてみた。 クモユニ74・クモニ83の111・113・153系併結は
100キロと書いてあってクモユニ82・83の115系も同じでしょうけど
110キロ運転可能な165系とはどうなるか書いてないです。
100なら元から余力ある80系モーターは十分出るでしょうね。
気動車こぼれ話も見つけたので追記
キハ65の次位にキハ58なら良いものの、急行編成上キロ28を繋ぐと
かなりの性能特性差で乗り心地悪化と書かれています。 やっぱりなぁ・・ >>669 モーター出力よりも、ブレーキや制御装置を連動して動かせるか、という問題なのでは。
クモユニ74には電制ついてないが、新旧ブレーキ読み替え装置で対応してたとか キハ65やキハ66・67とキハ31を繋いだ時も起動時のショックが酷かった
ドッカンドッカンと凄い音を立てて押し引きしてた >>670
クモユニ74の場合3種あって、当初読み替えが出来なく111・113・153用ということで
抑速なしの0番台、新旧切り替えつき80系読み替え可能な100番台、
抑速つきマスコンの200番台と作り分けだったね。
>>671
豊肥線で65・31・58と挟まれて立野スイッチバック通って宮地行ったのを思い出した。
31の一人がけ転換が気楽で座ったもののガクガク凄かった思い出。 そう言えば165系は始発駅起動加速時はガクガクガクって衝撃があったな >>673
それは・・始発駅や分割併合後すぐの1ノッチ切り試験(流しノッチ)の衝動でしょう。
1→切してブレーキや電流の確認してから2-5投入。 米子運転所構内でのキハ181系の増結作業や車両移動の時は、低速でキハ58やDD51が
キハ180などを推進させたり牽引したりしていたが、移動させる距離がわずかということや
移動後や連結後はキハ180をすぐ切り離しということもあってか、キハ180と他形式の
DC、DLは構内入換え作業時のなどの併結運転時は、ブレーキ管は結ばれていなかったようだ >>672
32の一人掛けは、一見楽そうに見えるが冷房がオーバーヒートすると悲惨ww
30度超えたら外のほうが涼しい。 山陰本線や紀勢本線のキハ58系の長大編成の急行列車はキロ28だけ冷房車で、
先頭車や中間車のキハ58、28は編成中の大半が非冷房車という編成もあったが、
キロ28だけは冷房が使用できるようにされていたのだろうか キロ28は1両分だけまかなえる電源を持っていたそうですが・・ キロ58なら冷房電源無しだしエンジン音と床下振動が凄そう >>678
キロ28の2309以降と2508以降は、製造当初から冷房車で自車含め3両給電可能な4VKを搭載。
それ以前のキロ28は自車のみ給電の4DQ−11P。
一部は後に4VKに換装されて2000番台化されてる。 >>679
キロ28 101-108とキロ58は同時期に冷房化してるよ
キロ58にはキハ28 1505-1510という相方がいてそっちに4VK発電装置積んでキロの冷房電源賄ってた
キハ58+キロ28でもキハ28(1505-1510のうちの1両)+キロ58でも動力用エンジン3台と電源用エンジン1台で
同じってことだね
電源用エンジンの型式性能は違うけど >>681
成る程
昔はグリーン車x2両が多かったからできた技か
今じゃ在来特急でも1両或いは半室とかショボいもんね
在来線じゃ2両連結は普通列車の2階建て詰め込みグリーン車くらいか JR東日本からサハリンに譲渡されたキハ58系は、サハリンの冬の極寒や気候などの影響から車両の傷みや老朽化が激しくなり、すべて廃車となった。 >>683
キロ28じゃなくてキハ28だぞ
まあ実際には自身は非冷房のキハ28からキロ58二両に給電してた訳だけどね
キハ28自身が冷房化してからは自車入れて三両分
キハ58作って全車動力エンジン二台積みにしたぜ!
↓
一等車(グリーン車)くらい冷房入れないとな。でもエンジン三台載せは無理だぞ
↓
仕方がない冷房電源セット載せたキハ28つなごう
↓
おいおい1エンジン車つないだら意味ないだろう
↓
その分はキハ65つなげばおk
みたいなかんじだね 山田線はキハ58のみで走るので冷房有っても使えない そもそも東北って非冷房や準備車残ってたよな
47とくっつけて使えないとかも日常だし >>679
グリーン車開放で乗ったことあるが、案外静かだよ。
むしろ>>682の言うとおり、4VK搭載車のほうがうるさかった。
>>685
キハ28 1505〜1510は最初から冷房搭載じゃなかったかな。
キハ65が松本に入ったのはS44年かS45年だから、
S43年夏(S44年も?)はキハ65無しキハ28が1両入りの編成だったので、
坂登りが少々きつかったと思う。 そういえば58の横型エンジンって振動を不快と思ったこと無いんだよね。
DMF15-DML30はキハ181くらい床が厚くないとガリガリが酷いけどね。
最悪なのが一定高回転のスハフ12〜14・スハネフ14だと思う。
4VKは甲高い音が耳障りで、振動自体はDMF15ほど酷くはなかったね。 >>689
スハフ・スハネフの発電エンジンてDMF15じゃなかったっけ? そうか
電源供給に四苦八苦するなら電源車って手もあったな >>677
その点、四国は冷房化が早かったな。
昭和50年代前半でも、非冷を組み込んだ急行は無かったような。 >>694 三陸沿岸と四国の真夏の気温の産を考えろ。 名古屋・金沢〜出雲市間の急行「大社」
金沢発着編成は米子回転車だったり、編成の一部は豊岡回転車など、山陰本線の輸送量に合わせて編成を調整しながら運転されていたが、同じ日本海沿岸の鳥取県、
島根県と福井県や石川県が何の結びつきがあったのかと思わせるような急行列車だった。 いすみの28ってエンジン音よりも冷房音がうるさかった 郵便車のキユ25は国鉄所有ではなく、郵政省所有で、全車高松運転所に配置され、
キハ58系急行「あしずり」などに連結されていた。冷房付きで、車内で郵便物仕分け作業する職員は車内で快適だったようだ 仕分け作業で窓が開けられないからな、逆に航送で京都から高松まで運用されてたオユ10は連絡船がネックで郵政省所有ながら最後まで非冷房。 昔石狩丸で郵便仕分けバイトやったけど結構ハードだったよ
増して狭い車内で小刻みに揺れながら作業はいくら空調しててもかなり大変だと思う 石狩丸は小包の荷役だった
郵便葉書仕分けは羊蹄丸だわ
年賀状の時期の忙しさ今でもトラウマ 梅小路で待機中のキハ58系急行「丹後」は、同駅構内での仕業検査、車両点検時にエンジンを大きく吹かし、
全車両の屋根の排気管から白い白煙を多量にはき出したりしていたが、このエンジン調整時か点検時のエンジン音は、
キハ58系が坂を上る時の走行音より大きかった。
エンジンを吹かしたときの白煙の放出量でエンジンの調整が行われていたのだろうか そりゃ空ぶかしだから力行時よりは回転が高くなるわさ >>707
自分で車運転する時
空ぶかしするとしたらどうするよ? 気動車のクラッチの話をつい先日書いたの何処のスレだっけか
暑さでボケたかな、 と思ったけど思い出した
〔昭和〕ここだけ40年前のスレ・八[無断転載禁止]
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1561479815/137-147
変直だけじゃなく、逆転器入れなきゃ空ぶかし
ちなみに出庫前の空ぶかしはエンジンチェックだけじゃなく
ブレーキ試験に非常入れて制動管圧が下がるから
「2ノッチ空ぶかし」で回転上げてコンプレッサー早込めの意味もあるよ
ブレーキ試験は非常2回は入れるからね。 静岡の165系だけは、表示幕がオリジナルだったなー。 >>710
懐かしいね
地平ホーム時代の札幌駅8番か9番
札沼線の出発前によく空ぶかしやってたな。
キハ40 56 27 46 22は流石に編成中に居なかった >>669
153系も110km/h運転可能車だから、165系も同様の扱いのはず。 そういや旧型のクモヤ93だっけ?
確か175km/hぐらい出したんだけっけ? 空ぶかしではないが、冬の高山駅構内の気動車は一晩中アイドリング状態だった。
今はどうなんだろう。 普通の水使ってたからラジエーター内で凍って膨張破裂するからね。
流石に今のは不凍液使ってるでしょ。 >>716
比較対象ちと違うがキハ183は網走駅でアイドリングのまま一夜明かす
駅前ホテルで一晩中吹雪とDCの乾いたエンジン音聞かされた 日根野の165系の方向幕は、白地に黒文字で「紀伊田辺−新宮」などと表記された
国鉄時代からの物が最後まで使用されていた。 米沢駅のキハ28,58も一晩中アイドリングしてたな >>720 不凍液ケチってたわけ?赤字国鉄だから?
不凍液入れると目詰まりしやすい、ぼろっちいラジエーターだったからとか? 違うよ。エンジン冷やすと再始動が困難になるから、終夜アイドリングしてた
いまは直噴にコンピュータ制御でそれほどでもなくなった 蒸機時代のDF50やDD54は滞泊中の終夜アイドリングなんてアホなことしてなかった。
雪の積もった真冬の和田山、一発始動でC57の前に付いて632レ前補機仕業開始。
当時は流石に腐っても舶来エンジン、新潟鉄工物とは出来が違うわと思ってたよ。 >>724
前面の話な、静岡の165もある。
だがソイツにレスはやめな 紀勢線に165系を持ってくるなら急行に使っても良かったのではと思った >>722 その当時、寒冷地のバスも終夜アイドリングしてたのかなあ? >>722
冷却水を車内暖房にも使ってたから冷却水が大量に要る >>728 寒冷地仕様として、水タンクを区分して、アイドリングに必要な分のみ分けておくことはできなかったのかな?
車内暖房使うときはタンク内の弁を操作して、水全部をエンジン冷却と車内暖房に使用できるようにする。
アイドリング時に必要な冷却水は、そんなに多くなくて済むだろ。大量の冷たすぎる水をアイドリングで温める必要が無くなる。 クーラントは有毒だから客室内では使えないよ。ただでさえしょっちゅう漏れ出してたのに。 客車みたいに蒸気菅が貫通してるなら基地のボイラー使えるんだろうけど、キハなんか各車に温水回してられないんじゃね
船はそうだよね。冷間始動の時は温水にオイルも温めて回してから始動する
>>723
山陰はDD51でもB寒地だからな。終夜アイドリングやるような所はA寒地の所がほとんど。DF50が秋田や磐西にいた頃も一発始動ってならわかるけど
DF50は北海道、耐えられなかったし 益田駅裏のビジホに泊まったことがあるが、終夜アイドリングはしていなかったな。 米子運転所では冬季や春頃は、キハ58系などが日中でもアイドリングしていたが、
当日運転予定のない気動車や、入区後はエンジン停止されて留置される気動車もあった。夏場は、気動車のアイドリングはあまり行われていなかったようだった。
冬や春には予備車留置線に留置中の増結用キハ180もエンジンが掛かったまま留置されていることもあったが、キハ181系のような強力気動車でもやはり冬の山陰では、エンジンを長時間暖気しておかないといけなかったようだ。 ゆうゆう東海の運転室って窓ガラス面積広くて夏は最悪だったかな。
冷房は165系オリジナルのままだし、165系含め急行型の運転室には直接冷気の吹き出し口がないんだよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています