153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 12
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スレチだけど、一番インパクトのある愛称は
「ダイナソー」だな。
植物、鳥類、動物、自然現象、山岳、河川、湖沼、地名、人名、精霊・・・・
列車愛称のジャンルは多々あるけど、
古代生物が採用になる例は初めて。 >>603
あじがうら 位になると、駅名というより観光地名だよね
日光 や 軽井沢 ごてんば もそうなるし、
私鉄だけど はこね えのしま なんかがそう。 急行深浦が走ってた頃の深浦も、観光地というより単なる田舎町だったのでは。まだ、白神山地の知名度は低かった。 >>601
急行の列車名は終着地あるいはそれに因んだものが多かった。
多かったのは旧国名とか山とか川かな。
かつての四国のようにドストレートなものが並んだことがあった。
うわじま いよ あしずり 土佐 むろと 阿波 よしの川 急行名に「越前」、「越後」はあっても、「越中」はなかった。
(白い)布状の物を連想するからという都市伝説もあるなw だいたい富山止まりじゃなく新潟・金沢・福井まで行くからね。 伊那と伊那路は国鉄かJRかって程度だけど
能登と能登路は全然違うね 能登国の地域まで行かず金沢止まりなのに、急行能登とはインチキではないのか?
これ言ったら、急行佐渡も同様となるが >>614
大阪や名古屋からのだと富山行多かったじゃん? >>613
備中も無かったような
備前も無かったかな?
びんごはあった ダイナスター
の間違いでした!
サーセン!
首くくっている >>624
秩父鉄道「パレオエクスプレス」
まぁ、気を落とすな >>602
新宿発着の方は「中善寺」だったから、ネタ切れではなかったんだろう。
「日光」はエリア名称としてブランドだったし。 岩手一周の五葉・そとやまかな。
どっち周りが五葉だかそとやまだか。 九州大回りの「ひまわり」もあったな。
内回りと外回りでどれくらい走行距離差があったのかな? 犬吠 水郷 内房 外房 153 165 169 何れが来るか楽しみだった
40年前の今頃1回だけ青い海 白い砂165で運用された >>630 その5年位前であれば、犬吠と水郷はDC急行でキハ58、それに55も入ってたな。 >>632
千鉄局は1機関命なので26と28ばかりだったんだな。 >>632
その頃稲毛付近の留置線に気動車放置されてた
戸袋ないレール剥き出しドアの車が錆び付いて野晒しされてるの覚えてる
快速稲毛通過
稲毛〜千葉高架になる前複線だった頃 >>633
S55年の頃は
「停車中は使用不可」ステッカー貼ってあったね
結局垂れ流しのまま終焉迎えたのでは… >>629
S41.10改正で、このような列車があった。
第2ひまわり
大分8:38→小倉11:12→博多12:12→熊本14:23→大分17:36→別府17:50
別府でそのまま第3ひまわりに変身
別府18:08→小倉20:42→博多21:52
始発の大分から1枚の急行券で何処まで乗車できたんだろう? 火の国(肥前、肥後)を廻るから「ひまわり」であって向日葵ではないんだな。 >>636
停車中の他にも、使用禁止区間というのもあって、
上野?大宮間なんかがそうだったと思う。
まぁ、ほとんど守られていなかったようだけど。
大宮駅で薄汚れた白い紙が道床周辺に撒き散らされているのは
子供ながらに、結構衝撃的な光景だった。 >>634 1エンジン車ばかりで、両国、千葉間の過密ダイヤの中を走ってたんだな。
常磐線では荷物輸送用気動車に2エンジンのを投入しているが、千葉までの途中停車駅が少なかったから、ダイヤの支障にならずに済んだのかな? >>638
なるほど!!!
…ずっと向日葵の方かと思ってた自分が恥ずかしい〜 火の回りが悪いってグルグル火をつけ回ってるのがひまわりって、時代的に不謹慎でスミマセンスミマセン >>638
JTBキャンブックスシリーズ国鉄準急列車物語の162ページには
>なお、名称は花の名前の「ひまわり」と、
>「廻る」を掛け合わせたものとされる。
と書いてあるけどな >>637
最高額の急行券を買えば、全区間OK。
周遊券だと全区間乗り放題だが、当時そういう事をするファン・マニアがどの位いたんだろうか? >>640
高架化以前の市川や本八幡は追い越しが可能だったんじゃないかな? >>644
「〜とされる」のであれば肥の国回りも否定してないわな。
「〜である」ではないからな。
ようはJTBのそれを執筆した人間もはっきりした名前の由来はわからないということだ。
興味もねえからどっちでもいいんだが。 向日葵→火回り→火車
火葬場で仏様の油脂等で火力制御不能になった時に出る現象
例として炉内で火焔が渦巻いて仏様可視できなくなった時「向日葵出てます」等々使います
スレチすいません
お邪魔しました 九州は大回り列車の宝庫かも
松浦線回りの急行平戸とか、日豊線完全走破の夜行日南・大村回りで時間稼ぎの夜行ながさきとか。 千葉でキハ28と451系の協調運転試験が実施されたけど結果はどうだったのだろう?
協調運転営業はされなかったから芳しい結果ではなかったのは想像つくが検索
しても出てこない。 電車が必ず先頭に立つ前提なら、そんなに難しい技術ではない
気動車側から電車を制御するのが面倒臭い 液体式は、エンジンの回転数とは関係なく加速していくイメージだなぁ。
キハ85系が登場したときは、特にそう感じたわ。 急行たかやま用のキハ58は東海道走るのにパワーアップしてた? 昭和40年代だとまだ制御の変換が難しかったのだろうね
マスコンの制御線が違うんで。ブレーキはDCからの司令は発電なしで
自動ブレーキ帯にすればなんとかなるが・・
オランダ村特急の際は変換器をDC側につけて
485系側の改造は後回しにしてたが時代の差だね。
たかやまはノーマルでしかも28繋いでたから鈍いよw
東海の5000番台58や65とは大違い 起動加速時はどうしても気動車側がワンテンポ遅れるから、485系が強引に引っ張り回してる感じで乗り心地も良くなかった >>659
そうだったね。最初キハを前にして制御は楽だったみたいだけど
後ろから小突かれるんで、485側からの制御にして引っ張るほうがマシって言ってた >>658
みえ用だけに単なる見栄ではなかったんだなぁ
キハ82系特急南紀の方が遅いという逆転現象が 日田彦山線などではDC運用などから、キハ58+キハ17+キハ55のデコボコ編成の列車も見られたが、
エンジンは性能的に問題なかったはのだろうか パワートレインは、基本的にみんな同じだからね。
混用の際は困ることはなかったんじゃない? 電車の形式違いも小田急等でよく併結してたけど、モータートルクピークや
制御器の進段タイミング+台車の妙な癖で脱線(1800+4000)という実例があるね
気動車はトルコンのおかげで変速に切り替える50キロくらいまでが無段階に近いのが利点
160馬力のキハ10系と360馬力のキハ58つないでも大丈夫だったが・・が・・しかし
キハ65が入ると色々面倒だったようですぞ
65は片台車に500馬力掛けている上、起動時の妙なトルクラグと
中速で急に上がるトルク特性、さらに直結に入れるべき速度は
60-65キロ以上が良いとされていて、直結失敗・走行中エンストなんていう話多数。 ごめんミス。 直結に切り替える50キロ です。
キハ65は50キロで切り替えたらエンストしやすくて、もっと60キロくらいまで
キハ58系以下在来車をぶん回してから直結操作するようマニュアルに出てる。
余談:小田急の複数回併結脱線は
軸バネがゴムしかないパイオニア空気バネ台車(4000)と重たい国鉄台車(1800)
さらに高回転低トルク型モーター(4000)と高トルク低回転型モーター(1800)
という最悪の相性の結果だそうで、併結中止、4000を新造して増備と・・ 旧国のクモニ、クモユニとの併結の時、115や165などの新性能車は性能落としてたんですか? >>668
気になって調べてみた。 クモユニ74・クモニ83の111・113・153系併結は
100キロと書いてあってクモユニ82・83の115系も同じでしょうけど
110キロ運転可能な165系とはどうなるか書いてないです。
100なら元から余力ある80系モーターは十分出るでしょうね。
気動車こぼれ話も見つけたので追記
キハ65の次位にキハ58なら良いものの、急行編成上キロ28を繋ぐと
かなりの性能特性差で乗り心地悪化と書かれています。 やっぱりなぁ・・ >>669 モーター出力よりも、ブレーキや制御装置を連動して動かせるか、という問題なのでは。
クモユニ74には電制ついてないが、新旧ブレーキ読み替え装置で対応してたとか キハ65やキハ66・67とキハ31を繋いだ時も起動時のショックが酷かった
ドッカンドッカンと凄い音を立てて押し引きしてた >>670
クモユニ74の場合3種あって、当初読み替えが出来なく111・113・153用ということで
抑速なしの0番台、新旧切り替えつき80系読み替え可能な100番台、
抑速つきマスコンの200番台と作り分けだったね。
>>671
豊肥線で65・31・58と挟まれて立野スイッチバック通って宮地行ったのを思い出した。
31の一人がけ転換が気楽で座ったもののガクガク凄かった思い出。 そう言えば165系は始発駅起動加速時はガクガクガクって衝撃があったな >>673
それは・・始発駅や分割併合後すぐの1ノッチ切り試験(流しノッチ)の衝動でしょう。
1→切してブレーキや電流の確認してから2-5投入。 米子運転所構内でのキハ181系の増結作業や車両移動の時は、低速でキハ58やDD51が
キハ180などを推進させたり牽引したりしていたが、移動させる距離がわずかということや
移動後や連結後はキハ180をすぐ切り離しということもあってか、キハ180と他形式の
DC、DLは構内入換え作業時のなどの併結運転時は、ブレーキ管は結ばれていなかったようだ >>672
32の一人掛けは、一見楽そうに見えるが冷房がオーバーヒートすると悲惨ww
30度超えたら外のほうが涼しい。 山陰本線や紀勢本線のキハ58系の長大編成の急行列車はキロ28だけ冷房車で、
先頭車や中間車のキハ58、28は編成中の大半が非冷房車という編成もあったが、
キロ28だけは冷房が使用できるようにされていたのだろうか キロ28は1両分だけまかなえる電源を持っていたそうですが・・ キロ58なら冷房電源無しだしエンジン音と床下振動が凄そう >>678
キロ28の2309以降と2508以降は、製造当初から冷房車で自車含め3両給電可能な4VKを搭載。
それ以前のキロ28は自車のみ給電の4DQ−11P。
一部は後に4VKに換装されて2000番台化されてる。 >>679
キロ28 101-108とキロ58は同時期に冷房化してるよ
キロ58にはキハ28 1505-1510という相方がいてそっちに4VK発電装置積んでキロの冷房電源賄ってた
キハ58+キロ28でもキハ28(1505-1510のうちの1両)+キロ58でも動力用エンジン3台と電源用エンジン1台で
同じってことだね
電源用エンジンの型式性能は違うけど >>681
成る程
昔はグリーン車x2両が多かったからできた技か
今じゃ在来特急でも1両或いは半室とかショボいもんね
在来線じゃ2両連結は普通列車の2階建て詰め込みグリーン車くらいか JR東日本からサハリンに譲渡されたキハ58系は、サハリンの冬の極寒や気候などの影響から車両の傷みや老朽化が激しくなり、すべて廃車となった。 >>683
キロ28じゃなくてキハ28だぞ
まあ実際には自身は非冷房のキハ28からキロ58二両に給電してた訳だけどね
キハ28自身が冷房化してからは自車入れて三両分
キハ58作って全車動力エンジン二台積みにしたぜ!
↓
一等車(グリーン車)くらい冷房入れないとな。でもエンジン三台載せは無理だぞ
↓
仕方がない冷房電源セット載せたキハ28つなごう
↓
おいおい1エンジン車つないだら意味ないだろう
↓
その分はキハ65つなげばおk
みたいなかんじだね 山田線はキハ58のみで走るので冷房有っても使えない そもそも東北って非冷房や準備車残ってたよな
47とくっつけて使えないとかも日常だし >>679
グリーン車開放で乗ったことあるが、案外静かだよ。
むしろ>>682の言うとおり、4VK搭載車のほうがうるさかった。
>>685
キハ28 1505〜1510は最初から冷房搭載じゃなかったかな。
キハ65が松本に入ったのはS44年かS45年だから、
S43年夏(S44年も?)はキハ65無しキハ28が1両入りの編成だったので、
坂登りが少々きつかったと思う。 そういえば58の横型エンジンって振動を不快と思ったこと無いんだよね。
DMF15-DML30はキハ181くらい床が厚くないとガリガリが酷いけどね。
最悪なのが一定高回転のスハフ12〜14・スハネフ14だと思う。
4VKは甲高い音が耳障りで、振動自体はDMF15ほど酷くはなかったね。 >>689
スハフ・スハネフの発電エンジンてDMF15じゃなかったっけ? そうか
電源供給に四苦八苦するなら電源車って手もあったな >>677
その点、四国は冷房化が早かったな。
昭和50年代前半でも、非冷を組み込んだ急行は無かったような。 >>694 三陸沿岸と四国の真夏の気温の産を考えろ。 名古屋・金沢〜出雲市間の急行「大社」
金沢発着編成は米子回転車だったり、編成の一部は豊岡回転車など、山陰本線の輸送量に合わせて編成を調整しながら運転されていたが、同じ日本海沿岸の鳥取県、
島根県と福井県や石川県が何の結びつきがあったのかと思わせるような急行列車だった。 いすみの28ってエンジン音よりも冷房音がうるさかった 郵便車のキユ25は国鉄所有ではなく、郵政省所有で、全車高松運転所に配置され、
キハ58系急行「あしずり」などに連結されていた。冷房付きで、車内で郵便物仕分け作業する職員は車内で快適だったようだ 仕分け作業で窓が開けられないからな、逆に航送で京都から高松まで運用されてたオユ10は連絡船がネックで郵政省所有ながら最後まで非冷房。 昔石狩丸で郵便仕分けバイトやったけど結構ハードだったよ
増して狭い車内で小刻みに揺れながら作業はいくら空調しててもかなり大変だと思う 石狩丸は小包の荷役だった
郵便葉書仕分けは羊蹄丸だわ
年賀状の時期の忙しさ今でもトラウマ 梅小路で待機中のキハ58系急行「丹後」は、同駅構内での仕業検査、車両点検時にエンジンを大きく吹かし、
全車両の屋根の排気管から白い白煙を多量にはき出したりしていたが、このエンジン調整時か点検時のエンジン音は、
キハ58系が坂を上る時の走行音より大きかった。
エンジンを吹かしたときの白煙の放出量でエンジンの調整が行われていたのだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています