153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 12
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もし酒折辺りに短絡線があったら、石和分割で前寄り4両でも可能だったね >>545
544だけど、ごめん間違えた
×アルプス
○こまがね、かわぐち
アルプス、たてしな、かいじは基本編成だもんね 小さいころ、「かいじ」ってなんだろうなと思っていた。
平仮名だから。 小さい頃、アルプスってなんだろうと思っていた。
にほんごじゃないから 小さい頃、しらゆきってなんだろうと思っていた。
しらゆきのくせに雪印小豆アイスの色457系電車の交直流電車でなかったから おくいずがなんだか判らなかった。
奥伊豆だけど。
急行ではないが臨時列車あまるべろまん号も。
…なんだよべろまんって。
あまるべ浪漫とかの表記にしとけってw 急行アルプスといえば雪まみれでかっ飛ばして走る上りが格好良かった
今や温暖化の影響で真冬でもそういった光景は滅多に見られなくなった 急行かいじも、パッとしない名前だ、「甲斐路」なんだが。
今も特急かいじなんてのが走っているが他にいい名前がないんだろう。 >>552
おクイズ ってなんだ?w
あまぎ もピンとこなかったなぁ
157系のヘッドマーク周りの雰囲気もなんか独特だったし。 臨時急行くろいそ号にGWに友達と乗った。停車駅は赤羽、大宮、久喜、古河、小山、宇都宮、氏家、矢板、西那須野。途中上りはくつるや八甲田とすれ違った。 あとは9時50分か53分発の急行まつしま3号仙台行きと急行ざおう1号山形行きも乗った。ちなみにまつしまが3両でざおうが6両の9両編成。ざおうの指定席に乗った。ほぼ満席に近かった。小山で降りた。 日記乙
いつ頃の話かも書いてくれると尚良し
お前さんの歳がって意味ではないぞw 迷惑な話だ。小山まででGW混雑期の長距離指定取るなんて非常識
駅員が機転利かせて「満席ですねぇ」と
言って止める事案 子どもの頃、何で黒磯行きの特急を季節運行でよいから、157系使って走らせないのか?と思っていた。
日光行きは東武との競争に負けたが、那須方面では競合しないという理由で。そよかぜがあるんだから、那須野にも。 >>559 GWのお出掛けなら、東京から小山遊園地なんて手頃な所だぞ。急行おくいず乗って小田原で降りるのと似たようなもの 小山ゆうえんちと聞くと、
両手の親指を鼻元に持っていきたくなるw >>562
それもあるが、小山遊園地のCMソングが今でも頭の中で鳴り響いている。
でも、品川特発やってた頃、上野から小山、宇都宮まで直行する各停の本数少なかったし、特急、急行の通過待ちで時間がかかる。小山まで急行指定席取りたくなる気分もわかるわ。特に小さな子ども連れてたら >>559
ゴールデンウイークではないよ。2月下旬か3月上旬。 >>558
今から32年前位の話。くろいそもざおうも。 ざおうで小山まで行って、水戸線で友部に出て友部から常磐線で水戸まで行き、水戸で改札でて水戸始発14時03分発DCの急行ときわ号の指定席のって帰って上野まで乗った。水戸始発のときわ号キハはさすがに空いてた。たぶん急行が廃止前だから乗りにいった。 小2の頃、初めて北海道に行った時、DCすずらんとECかむいに乗った。
東京育ちだったから、北海道は異世界に感じた。
札幌駅ホームでDCが出発前にエンジン起動したのとか今でも覚えてる 今から40数年前の話だが青森の祖母と盛岡始発の急行しもきた号碇ヶ関or大湊行きを三戸駅まで乗ったことがある。たしか盛岡駅を17時50分頃発車して三戸に19時15分頃着いたんじゃないかな?俺がまだ幼稚園にかよってるぐらいかな。乗っていた大半は寝ていたが。 訂正します。大湊行きはなかったです。碇ヶ関行きでした。でも急行しもきた号に乗れたのは貴重な体験でした。急行くりこま号に乗る機会がなかったのは後悔しています。 >>546
下り
甲府到着後、アルプス(たてしな)が先発、その後みのぶが反対側に走り出す
上り
みのぶが甲府に先着、一旦下り側引き上げ線に引き上げ後、アルプス(たてしな)が到着
こんな感じ? 急行くりこまは快速くりこまになったが北陸本線快速電車並みに混んでたからな
北陸本線快速電車が廃止されたように、くりこまが廃止されたのはしゃーないな >>572
そうそう。8月なんざ始発の仙台や盛岡からも普通車は長い行列。下手したらグリーン車も座れなかったかも。 >>574
最大の魅力は、速さよりも冷房だな。
鈍行は50系や非冷房キハがメインの時代。 >>552
>>555
「おくいず」はどういうわけか「おぐいす」と読んでいた。
奥伊豆と気づいたのは後年・・・ 今更聞いてみる「くずりゅう」
九頭竜、葛流
どっち? 走ってる場所でわからん? 平仮名列車名って。みんなそこまでバカ? 因みに「九頭龍」は地名にはない。
伝説の名か神社のみ。
川や湖は「九頭竜」 ガキの頃まだガンプラもミニ四駆もない時期に戦車や艦船模型で遊んだが
昭和40年代後半-50年代前半で艦船好きなら国鉄の列車名は覚えやすかったよな
戦艦(旧国名)重巡洋艦(山)軽巡洋艦(川) ”せんだい” で
川内が先に思い浮かぶ艦船ガキだったが高雄は本読むまで悩んだけどw
天竜川は戦前天龍川だったのか? 竜の字がないなら昔は九頭龍川だろうし 急行列車の愛称はたいてい漢字
特急格上げで平仮名化
「富士川」→「ふじかわ」
「丹波」→「たんば」
特急の新幹線格上げも漢字から平仮名になるな
「谷川」→「たにがわ」 >>581 むつ、みちのく、よねしろ、ときわ、せっつ、いこま、なにわ、など急行として登場した時から平仮名だったもの多数。
漢字にすると読み間違いが生じやすいからだろう。摂津、生駒の読み方知らない関東人がいる、米代を読めるか?常磐か常盤か?そして急行じょうばんと読み間違えるのが出てくる。そういうことではないかと 「東海」を「はるみ」と読んだらヒネクレ者だけど
人名としてあるからね 読み間違いなら、特急だからスレ違いだが、タンゴ鉄道直通の「文殊」→「ぶんしゅ」は多かったようで。 指定席の予約作業で優等列車名が正確に伝わらないと大変なことになるからな。客が漢字を読み間違えて、意図していたのと異なる列車を指定するトラブルを避ける必要がある。ネット時代でも、それは変わらない。 >>583
「とんへ」とよむおかしな人達もいるw
>>585
それなら、駅名でも同じことが起きうるけどね。
かく言う私は、「関内」を「せきうち」と読んだ田舎者です。
窓口のおっさんに「はぁ?」とか言われちゃった。 急行「いこま」の愛称は近鉄奈良線沿線にある生駒山にちなんで付けられたものだが、生駒山は東海道本線京都〜大阪間の車窓からはよほど意識していない限り、
見えない。 >>586 指定席予約って、特に繁忙期は刻一刻を争う作業だろ。
ただ、優等列車の停車駅は決まっているから、指定する列車名確認して時刻表で照合した上で客に確認すれば、間違いは避けられる。
東北方面急行の指定席予約で、福島を大阪環状線の駅と間違えるようなことはあり得ない。 >>588
昭和53年10月改正から、特急、急行の列車番号が上りは偶数、下りは奇数と改められてから、窓口での発券もしやすくなり、間違いも少なくなった。 >>586
現地読みがおかしいとするなら世界中の国に誤らないとなぁ
特定の国を目の敵にする人じゃそういう発想になるのかw ローカル急行は、地元の人間でないと名称の由来がわからないのが多い。
例えば、「なつどまり」「ぬさまい」「らいでん」 >>587
進行方向左側の車窓を眺めていりゃ見えるんだろうけど、
どれが生駒山上かがわからん。
>>592
「天都」「かくだ」あたりもかな、天都はキハ22だったと思う。
関西・中国地方以外だと「みささ」あたりもどうかなと。 >>593 生駒山上はわからなくても、生駒山地はわかる。
東京近辺でも京王や中央線の車窓から、どこが高尾山上かわかるか?
いこまやなにわといった153系急行一群、六甲だけは漢字だった。六甲山地は全国的に有名だからか。 153系急行いこまがあった頃の生駒山はTVの送信搭が関西で唯一あったところTVの民間放送が関西で開始された頃のTVのシンボルみたいなネーミング故に153系から見えようが見えなかろうが、そんなことはどうでもいいことだと初代MBS社員知り合いから聞いたことあるよ 「河内(かわち)」「和泉(いずみ)」といった大阪府南部の旧国名は、
東海道本線沿線とは無縁ということもあるせいか、東海道本線の153系急行列車名には採用されなかった。 >>592
だからかどうか、末期にはストレートなネーミングも
みよし・つやまとか 急行「ながと」の列車名は山陽新幹線全通前に運転されていた山陽本線の急行列車の
列車名だが、長門国は瀬戸内海にも日本海にも面していることから、急行「ながと」はのちに山陰本線下関口の急行列車として復活したのち、廃止された >>598
実にわかりやすいよね。 急行「あおもり」が
JR化後の?と思ったらトンデモなく、43-10頃から臨時であったという。
自分が国鉄時代に乗った”ダイレクト地名急行”だと「紋別」があったな
名寄本線まわりのえらく時間の掛かるやつで。 >>601 急行もりおか、準急日光もネタ切れだったのか? スレチだけど、一番インパクトのある愛称は
「ダイナソー」だな。
植物、鳥類、動物、自然現象、山岳、河川、湖沼、地名、人名、精霊・・・・
列車愛称のジャンルは多々あるけど、
古代生物が採用になる例は初めて。 >>603
あじがうら 位になると、駅名というより観光地名だよね
日光 や 軽井沢 ごてんば もそうなるし、
私鉄だけど はこね えのしま なんかがそう。 急行深浦が走ってた頃の深浦も、観光地というより単なる田舎町だったのでは。まだ、白神山地の知名度は低かった。 >>601
急行の列車名は終着地あるいはそれに因んだものが多かった。
多かったのは旧国名とか山とか川かな。
かつての四国のようにドストレートなものが並んだことがあった。
うわじま いよ あしずり 土佐 むろと 阿波 よしの川 急行名に「越前」、「越後」はあっても、「越中」はなかった。
(白い)布状の物を連想するからという都市伝説もあるなw だいたい富山止まりじゃなく新潟・金沢・福井まで行くからね。 伊那と伊那路は国鉄かJRかって程度だけど
能登と能登路は全然違うね 能登国の地域まで行かず金沢止まりなのに、急行能登とはインチキではないのか?
これ言ったら、急行佐渡も同様となるが >>614
大阪や名古屋からのだと富山行多かったじゃん? >>613
備中も無かったような
備前も無かったかな?
びんごはあった ダイナスター
の間違いでした!
サーセン!
首くくっている >>624
秩父鉄道「パレオエクスプレス」
まぁ、気を落とすな >>602
新宿発着の方は「中善寺」だったから、ネタ切れではなかったんだろう。
「日光」はエリア名称としてブランドだったし。 岩手一周の五葉・そとやまかな。
どっち周りが五葉だかそとやまだか。 九州大回りの「ひまわり」もあったな。
内回りと外回りでどれくらい走行距離差があったのかな? 犬吠 水郷 内房 外房 153 165 169 何れが来るか楽しみだった
40年前の今頃1回だけ青い海 白い砂165で運用された >>630 その5年位前であれば、犬吠と水郷はDC急行でキハ58、それに55も入ってたな。 >>632
千鉄局は1機関命なので26と28ばかりだったんだな。 >>632
その頃稲毛付近の留置線に気動車放置されてた
戸袋ないレール剥き出しドアの車が錆び付いて野晒しされてるの覚えてる
快速稲毛通過
稲毛〜千葉高架になる前複線だった頃 >>633
S55年の頃は
「停車中は使用不可」ステッカー貼ってあったね
結局垂れ流しのまま終焉迎えたのでは… >>629
S41.10改正で、このような列車があった。
第2ひまわり
大分8:38→小倉11:12→博多12:12→熊本14:23→大分17:36→別府17:50
別府でそのまま第3ひまわりに変身
別府18:08→小倉20:42→博多21:52
始発の大分から1枚の急行券で何処まで乗車できたんだろう? 火の国(肥前、肥後)を廻るから「ひまわり」であって向日葵ではないんだな。 >>636
停車中の他にも、使用禁止区間というのもあって、
上野?大宮間なんかがそうだったと思う。
まぁ、ほとんど守られていなかったようだけど。
大宮駅で薄汚れた白い紙が道床周辺に撒き散らされているのは
子供ながらに、結構衝撃的な光景だった。 >>634 1エンジン車ばかりで、両国、千葉間の過密ダイヤの中を走ってたんだな。
常磐線では荷物輸送用気動車に2エンジンのを投入しているが、千葉までの途中停車駅が少なかったから、ダイヤの支障にならずに済んだのかな? >>638
なるほど!!!
…ずっと向日葵の方かと思ってた自分が恥ずかしい〜 火の回りが悪いってグルグル火をつけ回ってるのがひまわりって、時代的に不謹慎でスミマセンスミマセン >>638
JTBキャンブックスシリーズ国鉄準急列車物語の162ページには
>なお、名称は花の名前の「ひまわり」と、
>「廻る」を掛け合わせたものとされる。
と書いてあるけどな >>637
最高額の急行券を買えば、全区間OK。
周遊券だと全区間乗り放題だが、当時そういう事をするファン・マニアがどの位いたんだろうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています