153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 12
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>>371
たしか電化区間の大町まで入る運用があった。 急行ごてんば号が廃止されると言うことで廃止する数日前に東京駅から14時18分発東海3号ごてんば3号を国府津駅まで乗車しました。ごてんば3号が発車する前に東京14時30分発の183系あまぎ号が国府津駅を通過するのを見送りました。あまぎ号も同時に廃止されました。 >>373
すいません。記憶違いでした。あまぎ号は1981年9月30日に廃止されてますね。自分が国府津駅でみたのは東京発14時30分発の183系使用の踊り子号でした。ごてんば号の廃止は1985年の3月のダイヤ改正の時でした。 東北本線仙台~青森間を走っていたくりこま号がかっこよかった。同区間を走るはつかり号よりは遅いけど、それでも俊足でならした急行だったね。 >>370
クモハ165-108ってリニア博物館に保存されているっけ?
デフロスターついていた車。
上沼垂車も電熱膜に交換されちまったから物足りなかったわ。
新前橋のは残っていたけど。 165系や455系でスーパーロングシート化改造車があったらどうなっていたか
キハ58では播但線で実在した 同じ上野~盛岡間を走った急行といえば
いわて号ともりおか号。
いわて号が東北線経由
もりおか号が常磐線経由
客車急行で言えば八甲田号と十和田号みたいなものだな。 >>380 だが、1972年頃だと東北線回りで上野、黒磯無停車の臨時急行エコーもりおか、常磐線回りの常磐いわてというのがある 急行赤倉は途中から普通になったり快速になったりと変な列車だった
終点まで急行で走れよ 運転台直後の一番先頭の2人掛けの「ハーフボックス席」は座席の向きがデッキを向いてるのと中央部を向いてるのと2種類あったな
鉄道ファン2013年8月号の内装イラストでは153系がデッキ向きでキハ58が中央向きに書かれてる クモハ165はデッキとの仕切り部分にモーターの冷却ダクトがあるので中央向きになっている。 久しぶりに急行型に乗りたいな
特急みたいに特別感がないけれど、デッキ付きでシートピッチも近郊型より広い
平民のお出掛け感覚がいい そんなあなたに東武の6050
デッキは無いけどシートはふかふか >>389
クハはヲタシートになっているんだな
更新車は全部埋められたけど 80系はハーフボックス席に当たる部分がロングシートでキハ22みたいな内装だった
しかし指定席で当たっちゃったら罰ゲームだった?
一時期運転されてた715系の急行ひのくにがロングシートにまで指定席割り当ててたとかもう滅茶苦茶 >>391
昔「グリーン車 ふかふか」という糞スレがあってだな マスコン交換してて抑速出来なくなってたんだっけ?秩父の元165 >>397
1000系ともども小田急のマスコンだよな。デッドマン付けたかったらしいが >>393
東武の快速急行もロング部分に指定が割り当てられてたな。 >>393
南海の臨時の四国号や臨時こうや号もロング部分に指定が割り当てられてたな。 >>393
おいこっともロング部分に指定当てられているな 名鉄7000系白帯車もロングシートに指定席なかったか?
ロングシートの下にドアエンジンが入ってて全面クロスシート化が不可能だった
あっちはソファーみたいな大型の座席で座り心地は最高だった >>402
クロスシートとは別の番号が振ってあった。少なくとも連番ではなかった。
自分はロングシートの「指定席」が割り当てられた経験はなかったが、実際に発行していたのでしょうか? TJライナーはロング部の座り心地が案外よくて好評だけど発売席数に含めてないとか
実際には2人がけで他人の隣が嫌という人が結構使っているそうな 昔は2等がロングで3等がクロスだったらしいが
215mのシートピッチと考えれば納得 昔は2等がロングで3等がクロスだったらしいが
2.5m超のシートピッチと考えれば納得 京阪のライナーはどうなんだろ
ロングシートは調整席にしてるとか? >>404
初期の頃は定員に含めてなかったけど
今はロングシート部も定員に入ってるよ 関西線の165系って結構減ってたけど意外に旅客から不評だったのだろうか? >>402>>403
ロング部分の席番は101〜108
3人掛が半数だったが、指定席は2人の割当、かなり広かった
手元に1号車108番の指定券がある
夕方の犬山線、売切寸前にギリギリ買えた クハ455-701、702の顔って、先頭車化改造のときに新しく製造したものですか?
それとも、廃車から取り外したものでしょうか? 新造のはず
あの当時 短編成化のために中間車の先頭車化の工事が多く行われていた もう少し153系が長生きしてたらクハ164−500とかが登場してたんだろうか? ん?化けたか
クハ164ー500が登場したのかな? >>412
ありがとうございます
だと、顔自体は1985年前後に製造された新しいものなんですね 嫌みに受け取られるかもだが、量産車と同じ仕様で運転台ブロックを作らせる余裕があったのかとも。
後に3800番台やらかすことまで考えると。 >>414
165系のクハの需要が出てきたらありえたかもな。
ちなみに、クハ153-1・2・17〜20・25・26→クハ164-1〜8に改造。
主に山陽地区で使用されたが、新幹線博多開業時に神領電車区へ移動して最後の活躍をした。 ないない
153系が高運転台にシフトしてからのデビューだから >>420
確かに新製車では低運転台車は存在ないけど、>>418に書いてあるクハ164もクハ153からの編入だが165系だろ?ないないと全否定はどうかな〜? >>416-417
貫通付だからな。無しならクハ85や715、3800番台みたいな切妻の安普請でいいんだろうけど
貫通付だと最低でも103-1000や105くらいの意匠になる。それで拡幅車体なんだからそのまま
の形状の方がよかったんでしょ
あの形は国鉄末期でも713系や115-3000番台を新製しながら先頭車化改造もやる
ことになって作り続けてるから新規で設計の必要もないし
3800番台は可部線の73系のリバイバルだろ、やりすぎ >>423
クヤ165-1はサハシ153-15からの改造。ちなみに、サハシ153-11を改造したクヤ153-1もある。
クヤ153の顔はクハ101だが、クヤ165は何にたとえたらいいのか・・・ 153系低運転台の顔を潰せばほぼあの顔になるw
ライトとかは流用品なのかな? >>424
だから73系の先頭車改造や先頭車の3枚Hゴム化があんな感じだろ。近郊や急行に合わせてライトを窓の下にしてあるけど
クモニ83やクモユニ74も103顔にライト位置をさげてるしな 講談社のりものアルバム1に165系シールドビームの急行アルプスの写真がある
松本運転所にシールドビーム車居たのか? >>427
S60年前後に松本に住んでたけど、確かにシールドビーム車を見た覚えあるよ。 >>427
松本の165系はシールドビーム改造車の方が多かったぞ。 上沼垂に1編成だけ居たシールドビーム改造車も
松本からの転入車? >>428だけど、松本のあとは新潟に移り住んだけど、松本はシールドビーム、新潟は原型ライトのイメージ。
タイフォンは前者がシャッター、後者はスリットに半透明カバーが被せてあるイメージだわ。 1 原型ライト・スリットタイフォン
2 原型ライト・シャッタータイフォン
3 シールドビーム・スリットタイフォン
4 シールドビーム・シャッタータイフォン
組み合わせはこれだけあるけど、
1は新潟と新前橋
2は千葉
3は静岡と日根野
のイメージ 助手席側に信号炎管があるのは
まだ一人常務化以前に作られたロットか 今も現役の急行型車両は12系と471系?だけでよいのかね? 28・58が急行型電車とは違い、1段窓なのは何か理由が?
その後の65は2段ユニットになったが。 明記した本とかは見てないけれども前面窓に曲面ガラス採用諦めた(これは各誌に記述あり)のと同様のコストダウンじゃないの?
あとは先行のキハ56/27と設計共用で単に一重窓化とサイズ大きくしただけとか
10系軽量客車あるから一枚窓がコスト高ってわけじゃなさそうだし 工作局で設計してると思うけど、動力車課と客貨車課って感じで担当部署が別れてるよね。
同じ国鉄でも担当部署が違うとそれぞれで設計するから構造が統一されていないって話を聞いたことがあるね。それと同じで電車と気動車では別個の設計思想で事が進んだとかあるんじゃない?
確か気動車は客車と同じ設計思想で進んだからナハ10系と同じ1段上昇窓で製造されたけど、キハ90系を設計する時点ではユニット窓の急行電車が幅を利かせてたから、右に習えでユニット窓を採用したんでは?
以上あくまで自分の予想ね。 >>436
急行型電車は2015年の北陸新幹線開業で全滅
急行型気動車はいすみ鉄道のキハ28
急行型客車はJR東日本等の12系客車
がラスト? JR東海のキハ58・28は窓が全開できないようになっていて、窓は下部がわずかに開くだけだったが、
非常時の事は想定していなかったのだろうか それいったら特急は開かないしな。貫通あればいいんじゃねぇの
>>438
元々その頃の急行ってスハ43とか10系客車。準急だと80系の全金車やキハ55、157系
153系が急行なのに大型の2枚窓とか新しいこと始めただけなんだよな
>>440が言ってることも影響してるだろうね。星さんとこか石井さんとこかの違い 紀勢本線の165系は日根野発新宮行で新宮に到着した編成が折り返し紀伊田辺行となったり、
紀伊田辺、串本、新宮などで滞泊したりして交代で紀勢本線内を何往復かした後、新宮発日根野行で
日根野にも戻って、日根野電車区に入区という運用だった。 キハ58系、雨樋がないところが斬新。
JR型みたいなつくり。 >>445
> 雨樋がないところが斬新。
あれは張り上げ屋根といって雨樋はちゃんとあるんだよ。 >>446
キロ28の後期型だけ雨樋が通常の位置にあったので編成美崩してたな
キハ65と同じ位置 >>443
ずいぶん前に寝台特急彗星に乗った時(二段式だったからたぶん24系25型?)非常時は
備え付けのハンマーでガラス窓を割って脱出してくださいと書いてあり、実際にハンマーがあった。 その後国鉄が張り上げ屋根にしなかったのって清掃の都合とかかね
組合強かったし。 構造上、二段ユニット窓だと張り上げ屋根に出来ないのかな? >>450
いやいや出来るよ、私鉄だと小田急なんかは
上段も上に上がって全開にできたタイプで、ちゃんと整備をする会社は
それで腐食劣化もしてないからなぁ。
後年洗車機の都合で雨樋の高さを決めてる会社もあるね。
もっともステンレス時代になって構造的に全般的に下がってるけどね。 有田鉄道のキハ58は元富士急行の車両で国鉄キハ58と同一設計だったが、エンジンは一機撤去されていたが、
キハ58003などのまま使用され、前面は錆のような汚れが目立ってたり、シートは座布団を手で叩くと埃が舞い上がるなど、
手入れはあまり良いとはいえなかった。
金屋口の車庫には検査表記が昭和55年に国鉄高砂工場で全般検査の表記のキハ58も留置されていたり、
また、有田では部品取りのために旧国鉄やJR西日本からキハ58を購入したりもしていたが、解体された。 >>448
西村京太郎のサスペンスで凶器に使われてたから、乗ってみる以前から知ってはいたな。 >>449
車両限界の関係、と聞いた事がある。
電車の位置に付けると一部路線で支障するとか。
>>447
キロ28最終ロットは車体断面をキハ65に合わせた。
屋根のカーブも微妙に異なる
(キハ65とキハ58 1100・1500の前面の印象が違う、キハ58等は屋根の肩のRが小さい)
理由は不明だが、車体組立の治具の関係かな、キハ58・28等は生産中止になっていたから。
>>418 >>413
夢を壊して悪いが、153系編成のクハとして大量にクハ165が使用されていたから無いだろうな。
165系に充当して余剰となった分はクハ455に改造されている。 >>454
急行「東海」は153系時代は確かにクハ165が先頭に立っていた編成が多かった(モハは153/152)。
逆にサハ153は165系に混ざって使用されていた(アルプス・きそ・富士川・伊那)。 >>454
ないも何も、クハ153→クハ164は実在してたんだけどな…
一度ggks >>456 だけど、クハ164-500は確かに実在ないな。よく読めよ、オレ >>458
改めて昨年の鉄ピク四月号153系特集号や当時の編成表等、調べなおしてみた。
アルプスではなく天竜だった。神領・大垣電車区配置車両にあった。
153系全廃後はクハ165になったり列車そのものが廃止になった。 >>459
クハクハって「こまがね」の印象が強いな、82年に松本に変わってからの天竜と >>412
前面パーツは111顔らしいけど違いはタイフォンの位置くらいだっけ? モハ165は21両しか製造されなかったからね。
サハ165の製造量数も11両と少なかった。 165系の貫通編成で最も長かったのは何だろう?
153系みたいに12連とかあった? ”東海”の8連以上の中に先頭車無し編成ってあるんかね。 >>462
1985年頃でまだ111系顔造ってたのかな? >>466
153系時代は12両
165系時代は8両かな
クモハなし、モハ165を2両組み込んだ実に165系っぽくない編成 国鉄長野工場で旧型客車に165系の先頭車の前面部分を取り付けて衝突実験が行われた。
この時の165系の先頭車前面部分は白一色で運転席には機器類などは無かった。 そんな大昔から衝突実験していたのに
成田線事故は防げなかったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています