夜行列車総合スレ★15
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>>928
昔の夜行列車の分類は?
「普通」や「快速」種別の電車・気動車・客車で運転したもの
「準急」や「急行」種別の電車・気動車・客車で運転したもの
「特急」(特別急行)種別の電車・客車で運転したもの
普通車自由席、普通車指定席、グリーン車自由席、グリーン車指定席、B寝台、A寝台があった
珍しい走行区間としては滝川〜富良野〜新得、急行立山3号の富山地鉄乗り入れ、
山陰線:浜田〜下関間、呉線、木次線、芸備線(備後落合〜三次〜広島)、
和歌山市〜和歌山など
夜行列車と言えば旅客列車の事だと勘違いするけど荷物列車も夜行列車の一員で
時刻表に掲載されていたし、夜行列車にも連結していた時代がある。
マニ、オユ、スユニ、クモニ、クモユニ、キユニなどがそうで荷物列車の
長い編成で客車が数量遠慮がちに連結されてた夜行もあった。 ノッチ残したまま非常入れるのも怖いよ。
車輪がゆっくり回ってモノの数分でレールが電蝕されるらしい。 >>930
F級電機でノッチがparallel circuitsならいいが、series circuitsでそれやると主回路のR損傷(場合によって溶断)だわ 50年3月の改正のとき、阿蘇・雲仙・西海・くにさき号などの急行列車は全車指定席だったけど、すぐに一部指定席になった覚えがある。
いつから一部指定席になったか分かる方います? >933
阿蘇・雲仙・西海・くにさき号の大きな動きは昭和50年3月10日と53年10月2日のみ。
お恥ずかしい話だが初めて自由席に乗ったのが昭和53年の冬休みだった。
ゴーサントウ(昭和53年10月2日白紙ダイヤ改正)の時は既に自由席は設定されていた
阿蘇の自由席 3号車〜6号車(繁忙期の3号車は指定席)
くにさきの自由席 7号車〜9号車
雲仙の自由席 3号車〜6号車(繁忙期の3号車は指定席)
西海の自由席 7号車〜9号車 >>931
>>932
電車のマスコンと違って手放しても戻らんからな >>933
1年後の昭和51年3月1日ではなかったか?
この時はそれまで在来線の全車指定だった昼行特急のほとんどに自由席が設けられた。
まつかぜ、くろしお、北越、はくたか、やまびこなど… そういえば昔は指定席やグリーン車が連結されていたのに急行狩勝は自由席が連結されてなかった
列番が6000番台の季節列車(後に列番が8000番台の臨時列車へ降格)した急行銀河51・52号も自由席がなかった >>936
> 1年後の昭和51年3月1日ではなかったか?
> まつかぜ、くろしお、北越、はくたか、やまびこなど… まさにこの時期前年1975昭和50年の夏休みのそのあたりにだいせん、きのくに、越後、よねやま、いわての自由席に乗ったからよく解るわ特急≒全車指定席急行≒自由席あり時代 >>937
同区間に夜行鈍行「からまつ」があったからだろう。自由席指向はそちらに誘導。
からまつを廃止して、狩勝に自由席が設けられた。
銀河51・52号についても、自由席は大垣夜行の誘導だったような。
夜行急行「だいせん」も、夜行鈍行「山陰」廃止になってから自由席が設けられた。 寝台のない夜行列車なんて地獄
どうやって寝るんだよ >>937
>>939
銀河51号や1978.10.2以降の銀河52号は全車指定席でいいのだと思う
特にJRになってからは品川の14系座席車は団体列車や上野発着の波動や
定期夜行・臨時夜行に使っていて臨時銀河の客車を宮原、岡山、広島
から客車を借りてまで運転してるから全車指定で指定席料金を貰って
赤字は増やしたくないのだと思う。 >>942
ATS-P?
>>943
大垣夜行で洗面所とトイレの間の通路で体育座りして居眠りした >>940
クロスシートの座るところの片っぽに缶をつっかえにして
斜めにして寝ていた猛者がいた。 >>940
>>947
L字型姿勢で横になって寝る
脚を通路側にだらんと垂れて寝る
窓側に背中凭れて脚を座席枕木方向に伸ばす
座席の座面を二つ外して桟敷にする
4番目すると車掌に怒られた。
国鉄時代の鉄道徒然草に色々な夜行座席車の寝方書いてあった。
で、結局普通に座って寝ている姿勢がいいらしい。 >>948
空いてると2番目がラク。
1年ほどしか連結されなかった583系「はくつる」の普通車指定席に乗ったとき、きわめつけに空いていたから、この姿勢で数時間ぐっすり寝ることができた。確か1両に2, 3人だったと思う。 >>948-949
キャスター抱えて旅行していた時、リクライニングをひっくり返してその間にキャスターを入れ、
ガラガラの車内で足を伸ばして熟睡したことがあるなぁ…
残念ながら、夜行列車でそれをやった訳ではなく、実際にやったのは
最末期の485系「白鳥」(青函列車への移行後)でだったけど
ええ、青函トンネル内でしっかり爆睡してました、MT54のサウンドを子守歌にしてw
ムーンライトながらでは、そんな芸当ができる空席の出来る時は、恐らくもうないだろうねw >>949
それなら座席を引き出して、下段寝台を作った奴いなかった?w >>947
それ旧客時代の夜行列車でよくやったよ
しかし真冬の急行利尻で塩狩峠走行中に凍み上げが原因で
客車が良く揺れた所為か、寝たまま椅子がずり落ちて
その方法は怖くなってやめた
あと14系から583系に切り変わったばかりの急行きたぐに
自由席で閑散期に座席を引っ張って寝台したのが一番安定して
良く寝れたけど3回目くらいに車掌から注意されてしまった >>951
シュプール蔵王で何回かやった事があって周囲の客も教えてほしいと言われてレクチャーしたら
自分が乗っていた3号車は殆ど下段のみ寝台にしてその後見回りにきた車掌が苦笑していたわ。
津軽が14系から583系になった最初の時も同じように1ボックスのみやったら車掌がいい顔しなかった
けどすぐに485系されて次に583系化されたら自由席の座席は寝台に出来ないように針金で
ロックされていたのは笑った。 食パン電車は寝台に出来ない様に座席がボルト止めされてたな。 盆・年末年始の帰省時期の時は、通路やデッキも満員で座るのも困難だったぐらいの時もあった。昭和40年代後半のはなし
ボックス席に座る方が、姿勢も変えならないから苦痛だった記憶もある
網棚に寝るのは、自分も「あそこに寝たら楽だろうな」と思ったことはあるが、混雑時も閑散時も実際に寝ている人は見たことがないわ
座面の下に缶を挟むのは何度も見たことがある 平成初期に583系津軽に何度か乗ったが、座席を引き出して寝てても、朝になったら戻せと言われるだけだった。
真室川あたりで夜明なので、座席にしたのを。 あれはもともとは寝台車がついてたのに583系になってなぜかなくなったよな。あれはなにか理由があったんだろうか。 >>958
寝台無くなったのは14系客車化した時
その後一回復活したけど一年余りでオール座席車に戻った ★急行津軽の歴史・改正による客車の移り変わり★
昭和29(1954)年10月01日改正 上越、羽越線経由で上野と青森を結ぶ不定期急行「津軽」が登場した。全車旧型客車で運行。
昭和53(1978)年10月02日改正 座席車を12系客車に置き換える。寝台車はまだ旧型客車であった。
昭和57(1982)年11月15日改正 20系客車での運転となる。1往復廃止され、1往復体制になる。
昭和58(1983)年07月01日改正 14系座席車に置き換える。
昭和59(1984)年02月01日改正 14系寝台車を連結する。
昭和60(1985)年03月14日改正 14系座席車のみになる。
平成2(1990)年09月01日改正 583系電車に置き換える。
平成4(1992)年12月01日改正 485系電車に置き換える。
平成5(1993)年10月改正 583系電車に置き換える。
平成5(1993)年12月01日改正 定期列車を廃止される。
平成10(1998)年1月改正 臨時列車を完全廃止される。 引っ張り出すときにちょっと座面を持ち上げるのがポイントだったな 上野駅19:50発のゆうづる1号に乗った時は下段だけ座席に戻して
洗面所に大量ぶらさがっていた青函連絡船の乗船名簿を1枚引きちぎり
座席に戻した席に座って乗船名簿を書いたあの頃がなつかしい。 165系ボックスシートの自由席時代の
大垣夜行に一度だけ乗ったけど
どうやって寝たんだっけかなあ
若いからこそできた気がする
373系や183になってからも乗ったが
倒れる椅子は段違いだね >>960
急行津軽には、最末期(1997年)の夏に乗ったんだよなぁ…
その時は下段寝台に乗ってたよ >>960
12系はなかったのか
臨時か?
吉幾三が座席が直角の列車とか言っていたけど >>965
>昭和53(1978)年10月02日改正 座席車を12系客車に置き換える。寝台車はまだ旧型客車であった。
と記されてるが文盲か!
確かに臨時で12系座席車だけの編成もあったが。 583きたぐにも1〜4号車は針金で固定されてて出来ないと書かれてたな
西年末フリーで乗り鉄中、ラストイヤーのシュプールの喫煙車は6号車?だったから、もしやと思い座席引っ張り出したらなったから、サロに戻らずそこで熟睡w
当然、下車前には戻して何事も無い様にしたが、年越しを夜行列車で迎える事も難しくなったな >>963
寝不足状態で乗れば寝れますよw
大概は腕組みしながら寝落ちか肘掛けに片手ついて顎載せ寝じゃないか?
18期間中は席に座れるかどうかで天国と地獄に変わるからな
これがサロだと、車内減光であの薄ぺらいリクライニグ倒して爆睡w
しかも、グリーン券持たない客は排除してくれたし、静岡の駅弁もグリーン車付近に待機だから買うのも楽だった
※当時の18きっぷはグリーン車は乗れませんので別途乗車券(ワイド・ミニ周遊券も含む)が必要 >>966
単に見落としただけじゃね?
何れにせよそんな言い方することないじゃん >>960
乙
西暦と元号があって実に分かりやすい 高速夜行バスが殺したものの、それを主導した役人の子弟がその夜行ツアーバスとやらで殺されたのは因果応報 須田様がもう1年営業課長をしていたら、おそらく上野駅発の帰省大混雑はなくなったと思われる
国鉄でトップを争うアイデアマンだったから 旧と新の差を簡単に言えば、
客用ドアが自動かどうか >>977
そうなんだよね
でも、ロック機能があるから自動と判別している節がある
20系「だいせん」の末期は発車するたびに車掌が車内を駆け回って閉めていて、ばったんばったんうるさいこと >>971に多謝
>>973
今となっては、上野駅は事実上の中間駅になったようなもの…
それ以前に、(上野発の)定期の夜行列車が全滅しましたw 12系と併結してた「かいもん」「日南」の20系はドアエンジン後付けで
自動ドアになって12系のドアと連動していたよ。
同じく12系と併結してた「ちくま」「さんべ」の20系ドアは未確認だが。
>>971
乙 >>978
>でも、ロック機能があるから自動と判別している節がある
自動ロックドアを自動ドアと解釈するのは無理がありすぎだと思うけどなあ さんべの20系と言えば、関ロッジのやつがそうだったな >>980
12系客車と併結される20系1000番台は12系と連動した自動扉 ドアエンジンはどんな感じだった?
いかにも後付け? >>984
ドアの上に「B寝台」の幕がなくなっていた、
米子駅にガスタービン車とお昼寝していので、ちょっと悲しかったな。 1970年代後半の夜行急行列車では、座席車主体編成の列車も多いことや車内環境改善の
見地も含めて座席車は12系客車への置換えが開始された。しかし併結される寝台車の
10系客車がアコモ陳腐や老朽化が顕著であるため寝台車を本系列に置換えて併結運転と
するために、1978年に幡生・高砂・土崎(ナハネ20形1000番台のみ)の3工場で
ナハネ20形・ナハネフ22・23形へ12系客車との連結に対応した改造である。
なお、ナハネ20形のうち12系客車と直接連結可能な車両は原番号+1000に、当グループの
中間に編成組成が限定された車両は番号+2000に区分される。
サービス電源を12系客車の440Vから供給とするために1000番台車は
ジャンパ連結器を12系客車対応品に交換。さらに変圧器などを搭載。
客用扉を12系客車と一括操作可能な自動ドアに交換。
ナハネフ22形・23形は車掌室・業務用室に車掌スイッチ、デッキにドアコックを取付。 >>986
何の注釈もなくwikipediaコピペって何がしたいんだよ? >>978
閉時にロックピンがでてくるだけから、ちょっと開けとくとロックされずに走行中に開けられるんだよな。旧客気分が味わえる
イギリスのMark3が昔、同じような構造で200km/hだすのにこれかよって驚いたけど、それ以上に驚いたのは引き戸なんだけどドア開けるのに窓開けて外からノブ回す事だった >>986
kiwiそのままコピペじゃくて自分なりに纏めて書けばいいのにと思う! >>965
津軽が583系化されても1990年から1993年くらいまでは臨時津軽は12系で走ってたよ このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 261日 5時間 25分 26秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。