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架空の車両形式・番台スレ・懐鉄編
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0001回想774列車
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2018/02/10(土) 20:45:27.06ID:k3EMH0qH
路車板だと、どうしても現行やJR化以降の架空車両が中心になってしまうような気が。

なので、もっと前の時代・・・まだ国鉄があった時代とかに、
国鉄でも私鉄でも海外でも、こんな車両があったらなあと妄想するスレッド的な。

【関連スレ】
架空の車両形式・番台スレ 23次車
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/rail/1481344289/
0002回想774列車
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2018/02/10(土) 20:54:32.22ID:k3EMH0qH
以下は自分が過去に書き込みしたもの。

【国鉄・22系急行型客車900番台】

1972年、急行「きたぐに」の北陸トンネル火災事故を機に、電源が12系客車、14系客車の様な分散方式から、
20系客車の同様の集中方式に戻される事に伴って試作された12系客車の集中電源方式バージョン。
普通座席車の他、夜行急行用としてグリーン車、寝台車、食堂車、
そして始発・終着駅での機関車の付け替えを考慮した非常に珍しい制御車なども製作された。
日本海急行「きたぐに」、東北急行「十和田」などで試用されて活躍。

オハ22(普通車)中間車。外観・内装は12系のオハ12とほぼ同一。
オハフ22(普通車)緩急車。外観・内装は12系のスハフ12、オハフ13とほぼ同一。
オロ22(グリーン車)外観・内装は電車や気動車の急行型グリーン車とほぼ同一。
オロネ22(A寝台)プルマン式A寝台。
オハネ22(B寝台)寝台幅70cm・3段式。
オハネフ22(B寝台)緩急車。
オシ22(食堂車)10系食堂車・オシ16の22系バージョン。
オクハ23(制御車)運転室の外観は貫通扉にパノラミック窓で急行型の制御車とほぼ同様。
カ二22(電源・荷物車)電源用DGを2基搭載。

日本海急行「きたぐに」編成 ←大阪・青森→(新潟−青森間・逆編成・座席車のみ)
二 ハフ ハ ハ ハ ハ クハ シ ハネフ ハネ ハネ ロ ロネ ハネフ  

東北急行「十和田」編成 ←上野・青森→(常磐線経由)
二 ハネフ ロネ ロ ハネ ハネ ハネフ シ ハフ ハ ハ ハ ハ クハ  

「きたぐに」の14系化、「十和田」の廃止後は、座席車は全て12系に、
グリーン車、寝台車、食堂車、電源車は全て24系に改造・編入され、
制御車はクハ165に改造の上、165系電車に編入され、全車が1980年代中盤に形式消滅した。
0003回想774列車
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2018/02/10(土) 21:21:39.57ID:U+23L4F4
外観が115系等近郊型電車そっくりの客車。旧客の置き換え用。3ドアだけでなく2ドア型もある。
0004回想774列車
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2018/02/12(月) 10:43:34.02ID:XEHDh/po
国鉄O系新幹線電車・デラックス編成ロット

1975年、山陽新幹線博多開業に伴い登場。
富裕層やVIPの利用を想定し、亡きクロ151や、試作編成961形の3・4号車の客室を反映しており、
豪華な車内設備となっている。

11形
博多方先頭車。客室はクロ151と同様の一人掛けシートが並んでいる。出入口は東京方のみ。
東京方の車端にトイレや洗面所がある。

12
東京方先頭車。客室はクロ151と同様の一人掛けシートが並んでいる。出入口は博多方のみ。
パンタ付の偶数形式だが、22形と異なり、博多方の車端にトイレや洗面所がある。

15形
従来の0系15形と同一の設備。

16形
従来の0系16形と同一の設備。

17形
全室個室車。961形の6人用個室や、2人用個室寝台が配されている。出入口は東京方のみ。
博多方の車端にバーカウンタ、東京方の車端にトイレや洗面所がある。

18形
全室個室車。961形の6人用個室や、2人用個室寝台が配されている。出入口は博多方のみ。
これもパンタ付の偶数形式だが、博多方の車端にトイレや洗面所がある。

19形
食堂車36形と組む特殊車両で機器類は27形と同一。
車内は、博多方にバーカウンタを儲けたフリースペースとなっている。

36形
従来の0系36形と同一の設備。

編成は以下の8両を基本とし、東京〜博多の「つばめ」、東京〜新大阪の「はと」として活躍。
どちらも一日一往復の運用であり、「ひかり」「こだま」を利用する一般庶民から羨望の的となっていた。

博多方
11 18 19 36 15 16 17 12
0005回想774列車
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2018/02/14(水) 20:46:42.84ID:UtBACf2n
国鉄205系・中央総武緩行線導入車両
国鉄末期、老朽化が進んでいた101系を置換する為に、最後の最後で導入された車両。しかし国鉄民営化前ということもあり、20両のみの導入で打ち切られた。
民営化後は再び山手線のみの導入とされた為、中央総武緩行線へは山手線の103系が転用された。
0006回想774列車
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2018/02/14(水) 22:14:30.98ID:of9hhwe7
国鉄・急行型気動車165系

1972年、北海道急行向けとして登場した65系・急行型気動車の固定編成・耐寒耐雪バージョン。
基本的には固定編成を原則としているが、56系気動車や他系列との併結も可能。
窓は65系の様なユニットサッシ窓でなく、北海道仕様の二重窓となっている。
乗降口の扉も極寒季の使用を考慮し、幅は700mmながら折り戸から引き戸に変更。
急行型気動車では珍しく、ビュッフェ車や寝台車も製造された。

キハ165(Dc)キハ65とほぼ同じ車両。トイレ・洗面所有り。DG搭載。
キハ164(D)運転室を持たない中間車。トイレ・洗面所無し。
キロ165(Ds)グリーン車。
キハシ165(Db)半室ビュッフェ車。床下スペースの関係で水タンクが車端にある。専用DGを搭載。
キサロハネ165(Tsn)エンジンを持たないA・B寝台合造の附随車。
キクハネ165(Tnc)エンジンを持たないB寝台車。運転室付き。

主な昼行急行編成
Dc D Dc ・ Dc Ds Db Dc ・ Dc D Dc

主な夜行急行編成
Dc D Dc ・ Dc Ds Db Dc ・ Dc Tsn Tnc

この他、56系気動車や他系列と併結した運用も存在した。
0007anorak?
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2018/02/18(日) 20:05:10.71ID:O5C0cjsw
並行世界シリーズ!
○国鉄・JR北海道キハ31形1000番台
1980年代、国鉄再建法により、赤字ローカル線の内、特定地方交通線に指定された路線が
廃止される事になった。
が、しかし、廃止路線が多い北海道では反対が根強く、
既に過疎化が原因で大量輸送に真価を発揮する鉄道の存在意義が無くなったにもかかわらず、
「鉄道を廃止すれば、地図に路線が無いと人や産業が来ない!過疎化が酷くなる!」云々の
鉄道信仰が根強かった。
ついには、「食糧自給率向上の為には農漁村をもっと振興すべし! 
鉄道廃止は過疎化を増長し日本の第一次産業を衰退させるから食糧安保上鉄道を存続すべし!」
というトンデモ理論により、
農林水産省の補助金で次の路線を1987年から30年間存続させる事となった。
羽幌線、天北線、名寄本線、池北線、標津線、広尾線、松前線など。
この農村漁村振興策としての農林水産省からの補助金で延命させた特定地方交通線用に、
同補助金で新造導入されたのが、キハ31形1000番台である。
九州向けの0番台との相違点は以下の通り。
極寒地向け仕様、例えば、乗降扉は半自動引戸、客室窓は一段上昇式の二重。
接客設備は、セミクロスシート、便所、冷房無し。
積雪時の空転防止と排雪抵抗対策としての粘着性能向上の為の二軸駆動。
ボルスタレス台車。スカート付き。
見た目は、キハ54形500番台を17mに短くした様なもの。
結局、廃止が適正な超赤字ローカル線を無理矢理存続させても、
沿線の過疎化と衰退を食い止めることは出来ず、利用客はかなり減ってしまった。
そんな現実に対し、世間では鉄道神話は完全に力を失い、
21世紀の深刻な少子化人口減少に日本政府の財政赤字の影響で、
補助打ち切りとなってしまい、2017年度に廃止する事となった。
廃止決定報道以後、夏休み等の学校の長期休暇期間中は乗り納めの鉄道ファンの客が増えて混雑し、
特に愛国から幸福の広尾線は顕著で臨時増発、
本形式で状態の良い車両は他路線に転用されキハ40系を置き換える予定。
0009回想774列車
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2018/02/21(水) 18:30:38.63ID:CA4Jar6K
香港メトロ1000系

日本からの技術供与により建設された香港地下鉄(現・香港メトロ)の初代車両。
日本の電車の影響を色濃く残す20m4ドア車で、
当時の流行であるくの字型・左右非対称のデザインは営団の各車両や京都市10系とともに時代を象徴するものとなっている。
海に囲まれた香港の地理を反映し、それらと違い耐食性に優れたステンレス製とされた。
0010anorak?
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2018/02/21(水) 18:56:08.03ID:lndJ2JY5
◎国鉄241系郵便電車
1984年
○1970年代後半以後、郵便物輸送における鉄道のシェアは年々縮小し、
郵政省は国鉄に対し鉄道郵便を継続させるならば、
トラックよりも速く、利便性あるダイヤで安価に大量輸送を可能しめるよう改善を要請し、
特に新幹線の利用を要望した。
1984年頃に、東海道山陽線等の汐留〜梅田〜東小倉間に最高120km/hの郵便物輸送用高速電車の
運行が計画され、
それが241系である。車籍は国鉄だが、郵政省の私有車。
車種は、クモユ240(M'pc)、モユ241(Mp)、サユ241/240(Tp/T'p)、(注:p=psot;ユ)の四種。
車体長20m級の鋼製車体。
登場以前の84年2月のダイヤ改正にて車内で郵便物を仕分ける取扱便は廃止されたので、
郵便区分室を有する車両はない。
M車は護送便用車両で、その設備及び間取り並びに意匠はマニ50形に酷似し、
同乗荷役作業員控室とトイレ洗面所付き。
先頭車M'pcの先頭の意匠は、183系0番台電車酷似の電気釜・貫通型、観音扉は省略。
T車は締切便用パレット輸送用貨車で、Tpはス二40形に酷似、T'pは回送運転室を備えマニ44型に。
M'pcMpTpTpT'p及びその逆配列の二種ユニット(2M3T)による両端にM車配置の10両編成、
若しくは一ユニット増結の15両。
走行システムは、201/203系のを改良した電機子チョッパ制御とし粘着性能を向上、
但し列車密度極小の深夜帯走行が専らなので回生ブレーキは非搭載、
発電ブレーキ用の抵抗器を搭載し、チョッパ制御は力行専用。
Mpにパンタグラフ二台。
台車は201系のを改良したヨーダンパ付きの空気バネ台車。
乗り入れる交流電化区間は下関〜東小倉間と短距離なので直流専用電車とし、
当交流区間は機関車に牽引するとし、M'pcに電源用のディーゼル発電機を搭載。
M'pcとT'pの運転台側連結器は機関車との連結の為並形で、ユニット内は密着。
車体塗装は、全体に赤系一色に白帯と、身延線色に酷似。
84年半ばに量産先行車が登場し試運転開始。
85年3月のダイヤ改正で郵便特急列車として就役開始。
就役当時、汐留〜梅田間の直行便は151系こだま号に匹敵する6時間半。
86年11月の国鉄最後の全国ダイヤ改正で、郵便小荷物輸送は原則全廃され、
例外の一つとして本系列使用の列車は残る。
汐留駅廃止で東京貨物ターミナル発着となる。
87年4月の国鉄分割民営化でJR貨物に承継。
その後、鉄道による全国的郵便輸送が復活したが、専らコンテナ輸送となり、
パレット輸送用の本系列の増備は無かった。
JRによる線路改良によって所要時間短縮。
登場時から10年程経った1990年代半ばの車両更新工事により、
フランスのTGVの郵便専用車を真似て、黄色に。
2006年にコンテナ輸送の新型車に置き換えられ、全車廃車。
引退直前に登場時の赤に戻る。
0011回想774列車
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2018/02/27(火) 20:28:18.53ID:8GaviqJZ
国鉄157系500番台電車・東海道線急行用

1960年、東海道線・急行を電車化するために製造された形式。

国鉄本社は当時、東海道線・準急(一部急行)として活躍していた153系電車に、一等車(グリーン車)と食堂車を連結することで、
東海道線・客車急行の電車化を予定していたが、大阪局では「準急形式の格上げではなく、急行形式を新たに製造すべき」という意見が根強かった。
国鉄本社も最初は「153系は準急形式ではなく、急行運用も想定に入れた長距離用汎用形式である」として取り合わなかったが、
大阪局は同様の意見を持つ一部車両メーカーと結託し、国鉄本社との丁々発止の末に、遂に押し切って製造許可を勝ち得た経緯を持つ。

その性能は、日光準急として使用されていた157系基本番台をベースとして纏められているが、製造コストの関係などから異なる点も多い。
座席は、一等車(グリーン車)はリクライニングシートだが、二等車(普通車)は157系基本番台と同じ回転クロスシートではなく転換クロスシートに変更。
客室側窓は153系と同様の上段下降・下段上昇式ユニット窓に変更。出入口は157系基本番台と同じ幅700mmの片引戸が二カ所。
塗装はクリーム地にマルーン帯が窓下に入る関西急行色とされた。

・クハ157
制御車。前面形状は、増結の際の乗務員の通り抜けなども考慮され、クモハ157の独特の形からクハ153-500番台と同様に変更された。
両渡り構造。前面貫通扉には電源コネクタが設け、ヘッドマークを電照式とした。製造当初は冷房なし。

・モハ157
電動車。モハ156とユニットを組む。製造当初は冷房なし。

・モハ156
電動車。二基のパンタグラフを搭載。157系基本番台にある車端の売店は無い。製造当初は冷房なし。

・サハ157
付随車。製造当初は冷房なし。

・サロ156
本形式の目玉の一つである二階建一等車(グリーン車)。車端に回送用運転台あり。冷房あり。
上階座席はリクライニングシートで、客室は車端の出入口近くまで広がっているが、平屋部分の通り抜け通路があるため一部は欠き取られた間取りとなっている。
台車間が下階となり座席はプルマン式座席で、家族や小団体向けとされおり、中央の通路とはカーテンで仕切られるようになっている。
また下階座席は簡易寝台することも出来るため、夜行急行では寝台扱いで営業することも出来る。
二階建構造とされたのは、大阪局のライバルである近鉄を意識したものであるが、二等車(普通車)の乗客が一等客室に入らずに食堂車へと通り抜けられることを考慮された為である。
なお実際の営業列車では、二等車(普通車)乗客は、平屋部分の通り抜け通路から、下階客室に降りて中央通路から車端反対へ通り抜けてる様に案内された。

・サシ156
本形式のもう一つの目玉である二階建食堂車。冷房あり。上階に食堂、下階に厨房と通り抜け用の側通路の構造。


1960年、東海道線・急行「なにわ」「せっつ」として153系と共に運用開始。
関東では鮮やか湘南色の153系と比べると、クリーム地にマルーン帯の関西急行色の本形式は地味とされたが、関西では「懐かしい色。落ち着きある色」と好評だった。
また夜行急行や151系トラブル時の代走特急に153系と共に使用されたが、転換クロスシート、二階建車両、簡易寝台などを備える本形式が歓迎されたようである。

・編成(<大阪・東京>)
クハ157-モハ157-モハ156-サハ157-サロ156-サロ156-サシ156-モハ157-モハ156-モハ157-モハ156-クハ157
0012回想774列車
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2018/03/18(日) 18:05:24.87ID:/GPLE6Yg
国鉄561・563・565系

1964年、直流−交流電化区間を走行する夜行客車急行置き換えの為に登場した交直流急行型の夜行バージョン。
走行機器類は455・475系と同一。
寝台設備は10系寝台客車を模した構造。
電動車は交流60Hz対応の西日本用561系、交流50Hz対応の東日本用563系に分かれていたが、
後に3電源対応の565系が登場。
付随車は全て561系となっていた。
塗装はローズピンクとクリームの交直流急行色。

クハネ561(Tnc)制御車。運転室の外観はクハ455とほぼ同一
モハネ561(Mn)電動車。交流50Hz対応の東日本用はモハネ563。3電源対応はモハネ565
モハネ560(Mn')電動車。パンタ付。交流50Hz対応の東日本用はモハネ562。3電源対応はモハネ564
サハネ561(Tn)付随車
サロネ561(Tsn)A寝台車
サシ561(TD)食堂車。両端に回送用運転台

西日本用561系編成/山陽・九州・北陸(上野−長岡−北陸間も含む)
Tc M' Mc Tc M' Mc TD Tn Ts Tsn Mn' Mn Tnc

東日本用563・565系編成/東北各線(日本海縦貫線も含む)
Tc M' Mc Ts M' Mc TD Mn' Mn Tsn Mn' Mn Tnc

尚、座席車は455・475系が使用された。
0013回想774列車
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2018/04/22(日) 15:56:38.86ID:/3ZXZ0ow
国鉄113系3000番台
国鉄が導入した113系の最終増備車。
115系3000番台と同様に2扉車でかつ転換クロスシート(ただしドア付近はロングシート)で導入された車両である。これは117系を導入するより、113系を導入した方が運用も共通化出来るメリットがあった為である。この車両は115系と同様に、半自動ドア対応として導入された。
しかしながら、利用者からは前面だけ見ると今までの電車と変わらないという声もあった。
最終的に54両が東海地区に、126両が西日本地区に継承された。
0014回想774列車
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2018/05/05(土) 01:23:52.14ID:9p46LDnl
大井川鐵道オハ4801
南海電鉄サハ4801が1972年(昭和47年)2月廃車後大井川鐵道に保存目的で譲渡されたが。
1976年(昭和51年)7月9日 SL復活運転時客車として運用開始
車体そのものは基本となったスハ43形とほぼ同一であるが、屋根上の通風器は左右両側に分割されたガーランド式で中央には2列のランボードが設置され、車体色が濃緑色となっていた。
また、デッキ上部に赤字で「南海」と社名を表示する当時の国鉄の特別二等車用と同様式の表示灯が備えられ、
車内は当初より蛍光灯照明となっており、座席はラテックススポンジを用いたスハ43形とは異なる形状
という南海時代そのままの姿でオハ35 オハ47
スハフ33 スハフ42の国鉄旧客の茶や濃青と連結
した際異色放ち後々グリーン車スロ54 スロ62
スロフ62(日本ナショナルトラスト)
が入籍した際も連結した、しかし未更新で老朽化進んだのと国鉄旧客と異なる1形式1両のため
J R北海道 西日本より14系座席車 12系やまぐち入線により廃車予定
0015anorak?
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2018/05/12(土) 19:55:31.44ID:Q9ufByuT
>>7 >>10 に続く並行世界シリーズ
◎国鉄EF67形500/550番台
1984年 第三軌条
○1950年代、関西本線の難所加太峠での峠越えの加太隧道のSLの煙害対策として亀山〜柘植区間が電化されたが、
関〜柘植区間は、加太トンネル等の幾つかのトンネル自体が明治開業時以来の超狭小断面であったが故に、
架線が張れず、碓氷峠のアプト式区間と同様に、やむを得ず第三軌条方式となった。
関〜柘植区間は、駅と信号場構内以外は、直流750Vの第三軌条集電で、それ以外は国鉄標準の直流架線集電。
当電化開業時に架線と第三軌条に対応した専用の旧型電気機関車が導入され、補機として長年活躍した。
1985年3月のダイヤ改正で、関西本線が全線電化。
但し、国鉄の財政破綻寸前を反映し、島ヶ原〜加茂区間はトンネル断面を拡張せず電化したので
身延線と同様に乗り入れる電車や電気機関車に制約が生じ、関〜柘植区間の第三軌条も放置された。
この全線電化対応及び上記の旧型機置き換え用に投入されたのが、EF67形500/550番台。
0番台と同様にEF60の後期形を種車とした改造車であり、
1500Vと750Vの複電圧車として、抵抗制御だと回路が複雑、電圧が異なると性能差が大きく、
エネルギー損失も多いので、 効率的な電機子チョッパ制御を採用。
使用路線の大半の区間が列車密度の低いので改造費節約の為、0番台と異なり、
回生ブレーキ非搭載で、発電ブレーキ。
台車に、DC750Vが流れる第三軌条(サードレール)から電気を得る為の集電靴(コレクターシュー)を設置。
電気暖房(EG)搭載。
第三軌条の加太峠区間では第三軌条非対応の電車を牽引する為に、
双頭連結器、EGの容量を増やして電車の冷暖房照明電源に対応などを追加したものは、550番台となる。
車体の塗装は、黄色単色をベースに、550番台には青いラインが追加。
85年3月のダイヤ改正で就役し、関西本線にて関・加茂区間経由の貨物列車や郵便小荷物列車、旅客列車を牽引。
加太峠の第三軌条区間では、パンタグラフを下ろして走行する。
87年4月の国鉄分割民営化で500番台全機がJR貨物に承継され、550番台はJR西日本に。
2016年、関〜柘植区間が架線集電の新線に切り替えられたのを機に、引退、廃車となった。
0016回想774列車
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2018/05/13(日) 23:23:22.52ID:3R+22lxG
717系1000番台

足回りは通常の717系と同様だが、車体が前面以外は117系に準じた作りになり
シートも転換クロスシートが装備された。
国鉄末期、西日本鉄道の対抗として南福岡電車区に増備され
福岡圏の快速等で使用された。
0017回想774列車
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2018/05/15(火) 21:28:12.59ID:vCueyp4K
209系(史実の209系は901系1000番台)
国鉄分割民営化を行なったが、その後しばらくして福知山線の事故など失敗が続いた。
また、東京一極集中を緩和させるため東京の企業や学校は積極的に地方へ移転した。そんなこともあってかJR各社では交流電化や非電化各線を直流電化することとした。
そこでJR東海が主体で開発し、全国で運転できるJRグループ共通の20m4ドア・トイレ付きの通勤電車を開発することとした。これが209系である。起動加速度3.3km/h/sで最小4両から編成を組める。
209系は史実でいうE233系に近いが、走ルンですではない。
0番台
基本区分で、クロスシート。2007年に御殿場線と四国地区に4両12編成づつ投入された。これにより313系2両12編成が東海道線増結車に用途変更。ラッシュ時の最混雑列車が211系8両(オールロングシート)となり、輸送力が激増。
四国でもラッシュに6両編成の各停運転を開始し、さらに余った113系は大和路線へ転属し非電化区間を電化させた。

1000番台
大阪地区の利用者が増加してることから、大阪環状線に10両29編成をロングシートで製造した。これにより103系が阪和線に転属し、阪和線の各停を8両ないし10両で運行するようになった。
ラッシュ時には亀山まで大和路線に各停として10両編成で乗り入れる。
0018回想774列車
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2018/05/17(木) 16:47:10.55ID:Wng52wVG
>>11
157系500番台は東海道新幹線の開業後、2等車への冷房装置取り付け改造を施したうえで、
東京−伊豆急下田間の全車指定席急行「伊豆」に転用された(なお0番台は史実とは異なり、
上野発着の日光・黒磯・水上・軽井沢方面への急行に使用され続けた)。
だが、1969年には増収のため0番台を使用する上野発着の157系急行同様、500番台使用の
伊豆方面への急行も特急に格上げされることになり、特急「あまぎ」となった。
しかし、1981年には急行「伊豆」の153系同じく老朽化のため、185系に置き換えられることになり、
史実と同様185系特急「踊り子」に置き換えられ、全車廃車された。
0019回想774列車
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2018/05/30(水) 20:05:50.42ID:z5SrxY5B
【過去投稿の改訂版】

国鉄20系特急列車用客車「はつかり」用ロット

1958年、初の東北特急として誕生した「はつかり」だったが、
車両が従来客車だったこともあり利用者から東海道特急や九州特急と比較され評判が悪かった。

そこで国鉄は1959年、長崎寝台特急「さくら」のサービスアップ用として製造した20系と共に、
「はつかり」サービスアップ用として座席車(ナロ20、ナハ20、ナハフ20)、食堂車(ナシ20)、電源車(カニ21)を製造した。

各車の基本的な仕様は同時期の「あさかぜ」や「さくら」の20系と同じだが、ナハ20とナシ20には変更があった。
・ナハ20変更点=上野(博多)方の売店スペースの廃し、代わりにトイレと洗面所を設置。青森(東京)方は出入り口のみとなった。
・ナシ20変更点=食堂部分の座席をナロネ21の様な向かい合わせソファに変更。

配置は品川客車区(当時)とされたが、上野発長距離列車の殆どを担当していた尾久客車区(当時)にならなかったのは、
当時まだ新鋭だった20系の管理を一箇所に集中させておいた方が運用上都合が良いだろうという国鉄側の判断だった。

「はつかり」編成は下記の通り。
←上野:カニ21・ナロ20・ナロ20・ナシ20・ナハ20・ナハ20・ナハ20・ナハ20・ナハフ20:青森→

完全空調・固定窓を装備した20系を使用することで、蒸気機関車の煤煙問題も回避できるようになり、
また座席車は回転シートととなったため、両終端駅での三角線を使った方向転換の必要もなくなった。

1960年「はつかり」はキハ81系に置き換えられたが、キハ81系の初期故障が続いた為、暫くの間「はつかり」代走用として編成は維持された。
他に季節増発「はつかり」としても使用され、「はくつる」「ゆうづる」登場後は、その編成に組み込まれたり、季節増発として活躍。

最後は全車、青森運転所に配置され、増結用、波動用として活躍し、1980年中盤に全車廃車となった。
0020回想774列車
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2018/06/16(土) 17:01:36.86ID:5yFXk+dQ
1963年東海道線高速試験
国鉄の高速試験に今回小田急3100NSE、
東武1720DRC 名鉄7500パノラマカーが
国鉄151系 クモヤ93と共に参加
先ず小田急3100NSEが東海道線で時速163キロ記録
次に東武1720DRCが負けずと東海道線で時速161キロ記録
次に名鉄7500だが東海道線で時速158キロと160キロ突破出来ず2回目で時速162キロ記録
国鉄151系が時速163キロ記録
更に営業最高速度時速120キロ運転見込んだブレ
ーキ試験を東海道線で行なった
軌間1435mmでこの速度試験に参加出来なかった近鉄は悔しがり、後々国鉄職員招き
近鉄名阪間で独自に最高速度記録試験行なったとか
0021回想774列車
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2018/06/16(土) 17:07:27.17ID:5yFXk+dQ
1963年東海道線高速試験
国鉄の高速試験に今回小田急3100NSE、
東武1720DRC 名鉄7500パノラマカーが
国鉄151系 クモヤ93と共に参加
先ず小田急3100NSEが東海道線で時速163キロ記録
次に東武1720DRCが負けずと東海道線で時速161キロ記録
次に名鉄7500だが東海道線で時速158キロと160キロ突破出来ず2回目で時速162キロ記録
国鉄151系が時速163キロ記録
更に営業最高速度時速120キロ運転見込んだブレ
ーキ試験を東海道線で行なった
軌間1435mmでこの速度試験に参加出来なかった近鉄は悔しがり、後々国鉄職員招き
近鉄名阪間で独自に最高速度記録試験行なったとか
0022回想774列車
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2018/06/16(土) 22:05:45.88ID:gJD+QQXZ
国鉄20系特急客車・食堂車ナシ21

サロンカー・オシ16の20系版という車両。

1965年、編成の担当が尾久客車区に移管された「はくつる」「ゆうづる」は、
「あさかぜ」などの九州特急より所要時間も短いため、
本格的食堂車であるナシ20よりもビュフェ・スタイルの食堂車の方が、
利用客の趣向に合っているだろうという理由で製造された。
勿論オシ16同様の電子レンジを装備。

1968年、編成の担当が青森運転所へ移っても「ゆうづる」への連結は続けられたが、
同じく担当の「日本海」の方は所要時間が長いことからナシ20が連結となった。

その後、数両が宮原客車区へ移り、関西ブルトレの一部に連結された関係などから、
ナシ21-3が弁天橋の交通科学館にナシ20-24と共に寄贈され、ナシ20-24が本格食堂の営業となる一方、
ナシ21-3はうどんやそばなどを提供する軽食スタンドとして営業することに。

現在はナシ20-24と共に京都鉄道博物館にて展示されている。


発想のきっかけは20系スレの書き込みから。

http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1524075510/l50

16回想774列車2018/05/01(火) 22:35:41.65ID:E2FL9P+F>>18
食堂車スレだったかな、20系の関西-九州とか、東京-東北はオシ16のような形が
良かったんじゃないかというのがあったけど、営業時間帯を考えれば
同意できるところがあるね。

18回想774列車2018/05/15(火) 21:06:44.67ID:GIG1H+DC
>>16
実際に東海道筋よりメニューも少なかったしね。
0023回想774列車
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2018/06/19(火) 09:04:09.85ID:mOo3B7Fj
国鉄キハ40形0・1500番台、キハ47形300・1300番台、キハ48形600・1600番台
キハ37形で試用した直噴式DMF13Sエンジンが好調だったので、原設計が古くまた重量の割に低出力な
DMF15系エンジンをDMF13系(横型に改設計したDMF13HS)に換装したもの。
北海道向けのキハ40形0番台を除き寒地仕様で設計されているが、設計共通化によるコスト縮減のためである。
エンジンの軽量・高出力化によりサブエンジン式のAU34による冷房化も行われた。(0番代は準備工事)

キハ40形0番台は苗穂機関区に配置され札幌地区で用いられ、JR化後に高出力を買われて釧路運輸車両所へ転属して滝川〜帯広間を中心に運用されていたが
9両と小ロットにとどまったことから延命改造の上道南いさりび鉄道に転属した。
それ以外は高出力で冷房化済という条件から竹下気動車区・直方気動車区・鹿児島運転所に集中配置され、
降灰の影響のある鹿児島地区や電車並みのダイヤを要求される香椎線、冷房化済のキハ66とのサービス格差是正のため筑豊本線・篠栗線を中心に用いられた。
後に機関換装・ワンマン化が行われた他筑豊電化などあり、現在ではキハ47が主に香椎線で、キハ40は肥薩・吉都・指宿枕崎線で運用されている他
キハ48を中心にD&S列車に転用された物も多い。
0024回想774列車
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2018/06/22(金) 22:22:14.01ID:AkQJINBa
国鉄461・751・753・761系電車
交直両用型が461系、交流型北海道用抵抗制御車が751系、交流型九州・東北用が753系、交流型北海道用サイリスタ車が761系である。
車体は2扉デッキ付きだが、車体長は21.3mとなり1300mm両開きドアを採用(グリーン車は700mm片開きドア、北海道用は1000mmの片開きドア)、
車内は普通車が910mmピッチの転換クロスシート、グリーン車はリクライニングシートである。
窓は普通車が2連の2段ユニット窓(上段下降、下段上昇)(北海道用は2連の1段上昇窓)、グリーン車が2連の固定窓である。
出入り口はステップ付きである。
正面は貫通型で、前照灯はシールドビームである。
モーターはMT54系、歯数灯は4.21である。
冷房装置は初期車がAU13系で、パンタグラフ付き中間車のみAU75系、ベンチレーターは2列配置、後期車は全てAU75系集中式でベンチレーターはなく117系と同じタイプの強制換気装置搭載となっている。
車体塗色は赤色13号に窓回りクリーム色4号である。
形式は
751系: クモハ751、モハ750、モハ751、クハ751、サハ751、サロ751、サシ751
761系: クモハ761、モハ760、モハ761 (電動車以外は751系と共用)
461系: クモハ461、モハ460、モハ461、クハ461、サハ461、サロ461、サシ461
753系: クモハ753、モハ752、モハ753 (電動車以外は461系と共用)
0025回想774列車
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2018/06/22(金) 22:24:17.60ID:AkQJINBa
から急行列車が存続した場合の
直流急行型電車、気動車

国鉄171系、179系直流急行型電車
国鉄が老朽化した153系初期車、155系、159系更にデラックス急行型157系列の置き換え、関西地区、中京地区で新快速の置き換えと平行大手私鉄対抗の為に投入した急行型電車
車体は2扉デッキ付きだが、車体長は21.3mとなり1300mm両開きドアを採用(
グリーン車は700mm片開きドア)車内は普通車が910mmピッチの転換クロスシート、
グリーン車はリクライニングシートである。 窓は普通車が2連の2段ユニット窓(上段下降、下段上昇)(北海道用は2連の1段上昇窓)、グリーン車が2連の固定窓である。
ここは>>629の国鉄461・751・753・761系電車 と共通
179系は碓氷峠の横川=軽井沢でEF63と協調運転可能な形式
歯車比は4.21、MMはMT54系
形式は
171系が クモハ171、モハ170、モハ171、クハ171、サハ171、サロ171、サシ171
更に皇室用編成置き換え用として、クロ171(供奉車)モロ171(供奉車)モロ170(供奉車)サイ171(皇室用)
が製造された。
179系は、クモハ179、モハ178、モハ179、クハ179、サロ179、サシ179

関西地区、中京地区では新快速に使用するため
サロ1両入り8両編成、総武地下線や関西片福線乗り入れのためにATC装備
首都圏では通勤時間帯に急行列車の間合いや増発で
定期券+指定券のホームライナーや
定期券+急行券の通勤急行列車ホームタウン系列車でも使用される。
上尾事件により首都圏では急行列車間合いの一般普通列車使用は
はばかれた事と国鉄の増収対策から。
更に皇室用お召し列車の置き換えのお召し電車用特別編成
も本系の仲間で製造。
(皇室用お召し列車客車編成は24系客車ベースで製造。)
0026回想774列車
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2018/06/22(金) 23:32:28.85ID:fO/5/7Ws
国鉄キハ68、キハ69、キハ64、キロ64、急行型気動車国鉄が1970年代後半に新時代を睨み急行列車の存続と
特急列車との併用存続。新幹線開業後特急列車は新幹線に移行だが並行在来線には
急行列車や夜行特急、夜行急行を引き続き残しエコノミー客に対応

そしてキハ66、キハ67の試験結果を反映した急行型気動車
車体は2扉デッキ付きだが、車体長は21.3mとなり1300mm両開きドアを採用(グリーン車は700mm片開きドア、北海道用は1000mmの片開きドア)、
車内は普通車が910mmピッチの転換クロスシート、グリーン車はリクライニングシートである。
窓は普通車が2連の2段ユニット窓(上段下降、下段上昇)(北海道用は2連の1段上昇窓)、グリーン車が2連の固定窓である。
出入り口はステップ付きである。
正面は貫通型で、前照灯はシールドビームだが顔つきはキハ66、キハ67
やキハ40系の顔つきで。
エンジンはキハ181系の札幌〜函館間120km/h〜130km/hの高速試験結果を
反映した結果、DML30系を440psに絞り、最高速度はキハ80系と同じ100km/h
として、キハ181系、その北海道運用含めた改良型のキハ183系の120km/h
と区別を付け、在来の置き換え予定のキハ58系との併結も配慮された。
やはり気動車快速や一部普通列車との兼任運用を考慮している設計だが。
普通列車や快速列車運用時はローカル線で珍しい冷房気動車として地方非電化線の
サービスアップや自家用車、高速バスに対抗出来た。
0027anorak?
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2018/06/23(土) 13:58:04.80ID:jdRh6z4q
>>7 >>10 >>15に続く 平行世界、並行世界、パラレルワールドもの!
◎国鉄021系電車
製造年 1985-90 
車種 クモハ021(Mc) クハ020(T'c)
特記 三相交流750V側方接触式集電
○沖縄返還間もない1975年に鉄道建設公団により沖縄縦貫線が着工、1986年夏に国鉄沖縄本線として開業。
規格は軌間1067mm、三相交流電化、高規格の在来線。
経路は、海洋博公園〜運天港〜名護〜許田〜石川〜具志川田場〜コザ〜沖縄県総合運動公園〜普天間
〜琉球大〜浦添牧港〜那覇旭橋.
運天港と鹿児島駅桟橋を結ぶ国鉄の鉄道連絡船を介して内地とレールが繋がる。
後年、那覇空港に延伸し、モノレールとは旭橋と空港で接続。
米軍基地の存在とそれによる民間建造物の密集で鉄道用地が確保困難な為、
国鉄としては異例の道路直上高架と地下線の比率が高い上に、
加えて沖縄本島は起伏の富んだ地形なので急勾配が多い厳しい線形となって、
動力車に高い粘着性能を要求されるので交流電化。
台風銀座で高架に隣接する建物からの飛来物の付着から米軍ヘリの引っ掛けまでと架線事故を避ける為に、
従来の単相交流20KVの架線集電方式では無く、三相交流750V60Hz側面接触式を採用。
つまり、線路に平行して地上から車両床下辺りの位置に三本の給電線を張り、
床下に装備した集電装置で電気を得る。
これ即ち、ゆりかも等のAGTと同様。
当路線用に021系が新造された。
設計と意匠は同時期の213系に準拠し、接客装備も転換クロスシート。Tc'に洋式トイレ。
走行システムは713系ベースのサイリスタ位相制御、回生ブレーキ。
Mcの床下に集電層装置を装備し、屋根にパンタ無し。
従来の国電車両形式の規則では三桁目は七か八だが、
電化方式の特異性を強調する為に敢えて零とし次の21世紀にも因んだ。
McT'cが基本編成で、自動解結装の為の電気連結器を備え需要に応じて二両単位で増結。
側面(側方)接触式の制約で最高速度は100km/h。
従来の単相交流20KVに比べて750Vと低電圧で三相なので、従来の交流電車に比べて機器が簡素化されて安価だが、
変電所の数は増えてしまいインフラは従来よりもコスト増。
就役後、青春18切符シーズンでは鉄道連絡船接続列車は最大六両で運行される。
87年4月の国鉄分割民営化で沖縄本島路線と連絡船と共にJRに承継される。
21世紀初めに、VVVFインバーター制御への換装などの更新工事が施された。
2015年以後、後継車両の増備で余剰車が発生し、廃車が始まっている。
0028回想774列車
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2018/07/06(金) 10:11:35.27ID:KreK7K+P
モハ114・115-600番台

80年代下関の111系の短編成化に伴い
クハ115-3000番台が先頭を務める編成が登場。その際中間のモハ110・111も115系に改造編入してしまったのが本番台である。

改造内容は主電動機がMT54に換装され、主制御器もCS15に交換しノッチ戻し、抑速発電ブレーキを装備
客用扉も半自動化に伴い取っ手が付けられた。因みに冷房化は見送られた。

外観は取っ手が付けられた以外、特に変化は無く通風器もグローブベンチレータのままである。

115系3000番台の増備後も一部の車両は残存し、JR化後は冷房装置WAU102が搭載された車両も出現され
2000年代まで活躍した車両もあった。
0029回想774列車
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2018/07/09(月) 18:49:23.83ID:AJqbcewm
クモハ73620〜・モハ72981〜・クハ79620(621)〜

試作モハ72970、仙石線用72971〜・クハ79600〜に引き続き、
それぞれモハ72500/920〜・モハ72500/920〜・クハ79300/920〜から改造されたアコモデーション改良車。

仙石線用と同様に103系ATC準備車から冷房装置と方向幕を除いた形態の車体を有するが、客用扉の半自動回路は備えていない。
クモハ73620〜は後位寄りに運転台を持ち、パンタグラフは連結面寄りに備える。このため奇数番号車は存在しない。
クハ79620(621)〜も同様に偶数番号車は改造されなかった。
当初は鶴見線に投入され面目を一新したが、1980年の101系置き換えにより、クモハ・クハは富山港線へ転用、モハは一時的に保留車となった。
0030回想774列車
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2018/07/09(月) 18:59:55.07ID:AJqbcewm
>>29 続き
国鉄・JR東日本 サハ103 700番代

後にモハは401系廃車に伴い発生したTR64台車に履き替え、空き区分番代となっていたサハ103 700番代として形式を改め、
103系1000番代車の地上転用が進んでいた常磐線快速に転用されている。民営化後に車両更新工事・AU712+SC24により冷房改造を施工され、
特殊な改造車としては寿命が長く2003年まで運用された。
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