実現しなかった準備工事★2
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>>362
まず、鉄道が明治時代にイギリスの技術から始まったことを知ろう。
吋、呎が使われていたのだが、現場の職人が寸、尺に置き換えても、近似性があってそう大差なくやっていけたこともあったので、
現物合わせで図面を書くときは、尺貫法でやっていた。
昭和5年に度量衡法の統一でヤードポンド、マイル法からメートル、キロに強制的に転換して、罰則規定まで設けたが、実効性はなく、
そもそも民間では実用性から、尺貫法を戦後も使い続けた。
JISの発足は早かったが、普及は遅かったと言える。
客車も貨車も木工職人が制作、修理をしていたので、「グリル」などと言う言葉は登場しないのは明らかで、
ガラリという、木工職人の用語が、鉄道工場の現場に持ち込まれた。
国鉄工場では木造車は戦後、職用車を除き早く淘汰を進めていったので、車両を扱う木工職人は建屋など、建築方面に転じたと思う。
民鉄には木造車が昭和50年頃でも現役車両がごろごろ残っていたし、そのため、日常的に車両工場でメンテのできる木工職人が居たはずだ。
そのような歴史的経緯から、ガラリという言葉が残っている。 >>364
ご苦労さん
ところで、
> 民鉄には木造車が昭和50年頃でも現役車両がごろごろ残っていたし、そのため、日常的に車両工場でメンテのできる木工職人が居たはずだ。
ごろがろはいなかったと思うが、具体的には?
半鋼製車は国私鉄問わずゴロゴロいたから内装などは木製のもあった。
この当時は国鉄工場にも木工職場があった。 湯口御大は単端ガソリンカーに装着されている相鉄12000系の前面についてる物体様のモノをラジエターグリルと表記している。12000系は将来単端式気動車に改造するための準備工事なのではないか?果たして実現するか?はたまたこのスレのネタになりさがるか、緊張感を持って注視してゆきたい。その時は、自信を持ってグリルと呼んでいただきたい。
以上 ワシ、建具屋。
お客はガラリのことを「ギャラリ」と言っていたのを思い出した。
全然関係ない話ですまん。m(__)m JR四国2600系の直結4段式変速機の4段目
130キロ運転しないと入らないが営業では120キロまでで3段目までしか使ってないし量産化見送りで今後も使われない見通し >>369
機械自体は「準備工事」でなく、本設ということね。
実現しなかった120km/h運転の準備 埼京線赤羽〜大宮間の15両編成対応のためのスペース
高崎線乗り入れを想定していたが、未来永劫に実現することはないだろう。 宮原駅の4線は、埼京線乗り入れを計算していたんですかね? >>373
そもそも埼京線を延長して複々線化する予定だった。 高崎線と埼京線の直通、湘南新宿ラインがあるから
今更やっても意味ないんだよなあ。
それより準備工事スペース利用して鉄道博物館にJRの駅を >>376
もし駅を作るとしたら川越線だけ設置して欲しい
その新駅から宮原までの支線を作れば当初の計画通りになる
高崎線に新駅はいらない >>375-377
逆に川越線を上野東京ラインに直通出来るようにならないものなのか。
川越線ホームだった線路の延長線上は大宮操車場だったから、その線路を
さいたま新都心までに列車線につなぐのは相当無理がありそうだけど。 >>379
東武ファンフェスタ絡みで東武直通用の253系が川越から南栗橋まで走った時、
川越線から宇都宮線へどうやって転線してたんだっけ?
それ次第でできそうな気もして その気になれば川越東京ラインもすぐにでも始められる 211系5000番台の120キロ対応化準備工事は315系投入で実現しない見通しに
そもそも速度計が120キロスケールと140キロスケールがまちまち
0番台は本工事を施工したのに >>385
海の211ですね。
補助シートの使用実績が無かったような。
こっちが知らないだけかも。 >>386
訂正します。
213−5000番台です。 キハ183系1000番台の存在そのもの
「オランダ村特急」は全区間電化(「みどり」と全く同じ)なのに
大村線乗り入れを想定して気動車で作ったが
ハウステンボスまで電化されたため想定された使い方はされず。
その後の転用やエンジン交換からJRQもワンオフのこの形式を
持て余してると見える。 カニ21-100の空番
ジェネレーターの自動運転装置付きで新製された車両は
従来車の追番+100になっていて0番台の編入改造を想定していたが
改番されずに自動化されたため意味がなくなった。 阪急西京極上りホーム手前にあるガーターは貨物営業を見越した側線用 ファミリー向け一戸建てを建てたが ずっと一人で住んでる
未成線みたいになっちゃった
連結相手が居ないと言ってた方と似たようなもんだ あんまり書きたくないがフィアンセが本当にぽっくり死んじゃった
元々女にもてないため以後ずっとそのまま キハ185系のワンマン化準備工事
特急型でありながらワンマン準備してて半室運転台になってる サハE231-4600番台の一部
当初は全車E235系に改造されるはずだったが4両が改造されず廃車になった >>388 特急用DC車の新車造りたくないJR九州としては、キハ183-1000って便利な存在ではないのか?ローカル線の目玉として使えるし。
JR四国と違って豊肥線や久大線の高速化諦めているから、振り子式DCの新車投入しないんだろう。 桃花台新交通小牧駅臨時ホーム
多客時やラッシュ時の使用を想定していたがそもそも沿線開発がうまくいかなかったり路線自体に(名鉄との接続とかいろいろ)欠陥が多く、2006年に廃止されるまでついに一度も使われなかった(小牧・桃花台フェアのときに一度使ったかも?) >>397
後は桃花台東のループ線の分岐準備工事や高蔵寺方向から入出庫することを考えてたであろう桃花台東〜桃花台センター間の将来の入出庫線用の分岐準備工事 >>27
亀スレスマソ
確か谷津で桃花台新交通とか山万ユーカリが丘線で使われた日車のVONAの試験してなかったっけ? >>397
> 2006年に廃止されるまでついに一度も使われなかった
自分に尊敬語w >>400
お前が馬鹿
使われなかったは(この場合は)尊敬語でもないだろ >>402
まあでも
使われなかった
一度使ったかも
で主語が違うから悪文ではあるな 岡オカ115系1000番台の横軽対応かな。
転属を考慮していたんだろうけど、使われることはなかったと思う。 転属を考慮もなにも、広域転配当たり前の国鉄ならではの標準化で、
横軽対応なんて、いくらでもあるよ。 >>405
50Hz60Hz両用で一方でしか使わなかったやつとかね 417系も今残ってたらひょっとして快速石巻行きに使われてたかもしれん。 457系で両方の交流区間を走ったのはあるのですかね >>407
それはない、交直セクションのド真ん中で信号待ちする必要があるから。 >>408
457系は仙台と南福岡だけだったはずで、金沢は471/475系だけだから、恐らく50/60Hz間の移動は多分なかったはず。
ちなみにクハ455の165系からの改造先頭車も金沢は1両しかいなかった。700番台は413系を作るにあたってサハ455から作ったし。 >>410
457のMcM'ユニット、16-19がずっと金沢配属だったかと
クハ455の方になら、東西を渡った車両がいた記憶があったような >>410
南福岡じゃなくて鹿児島じゃないか?
鹿児島から大分に移ったのもいた筈 ピクのバックナンバーを召喚してきた
クハ455なら16(金沢→鹿児島)、40(南福岡→仙台)、41〜43(南福岡→金沢)、
55(金沢→仙台)、65(仙台→金沢)、74・75(鹿児島→仙台)が広域移動を経験してて、
サロ455やサハシ455も広域移動車が数両いた模様
クハのうち、65・74・75なら457系と同時期に製造されたグループだから、
グループ全体としてであれば「存在した」と言うことにはなるのか>408 >>413
とは言え、実際に周波数が影響するのは電動車(特に変圧器搭載車)だからね。 McM'ユニットで存在していれば、堂々と「名実ともに存在していた」と言えるんだけどね
広域転配を考慮した設計は一応実際に活用されていたけど、
(475系のMcM'でも、-40のユニットが九州→北陸転属も実際にされている)
実際には完全に活かされた訳ではなかったから、表現として難しい訳で 457系で大阪〜青森とか有ったら本領を発揮したでしょうに >>414
415系1500番台異例の東日本から九州譲渡(勝田→南福岡)もそうだしね。
500/700番台は絶対なかっただろうけど、0/100番台は勝田と南福岡でトレードは多分なかったはず。 >>418
ふと考えたら、415-1500のJR化後製造車での変圧器の仕様変更って、
国鉄の車両で例えたら457系が455系へ退化したようなものなのか
ある意味457系的な広域対応仕様だったからこそ、JR化から数十年経っても
50Hzエリアから60Hzエリアへの譲渡ができたと言うことになるんだね >>405
旧客の横軽対応なんて、工場でペンキで●印付けただけかもしれんw >>419
新幹線開業で電車が余りだしたせいか
国鉄末期は電化・非電化直通を平気で切るようになったな。
57.11以前に直通切りが多かったら竹野や浜坂の人間は
「城崎電化反対」を叫んでいたのではないか?
>>420
JRQは東製造車ももらっとけばよかったと思う。
変圧器は手持ちの鋼製車の発生品に交換すればいいんだし。
関門トンネル運用はステンレス製の1500番台を
騙し騙し使うしかないんだから。 >>422
関門トンネルだけなら今持ってる1500番台で足りるんでは
東日本から買ってもそんなに長くは使えないし
どうせ東日本から買うなら烏山線の蓄電池電車買った方が
小倉に専用ホーム作らなきゃならんし交流区間はパンタ上げたまま回線切るとか仕様変更要るけど >>423
それなら819系がいるでしょ(下関対策が必要だろうけど)
YC-1への代替でも良さそうだけどね 交直流急行型の、直流区間のみの運用ってありました?
間合で上野発黒磯行きとか。 >>424
> (下関対策が必要だろうけど)
それを問題にしているのですが・・・
> YC-1への代替でも良さそうだけどね
入れるならBEC819系「DENCHA」でしょう。
門司から下関往復ならば西の関内でバッテリー切れになる心配もないでしょう。 >>425
広域運転時代の中央西線ローカル運用とか(神領出入庫絡み)
>>426
>>423で「直流型の蓄電池車」が出たから、それなら九州には交流の蓄電池車両が既にいるでしょ、ってことで
ああ記した次第
長期的には819かYC-1のどちらかに代替するのが、妥当か無難か >>422
新幹線開業でそんなに電車が余ったかな?
東北新幹線開業では、485系は九州にまで転属させているし、「ひたち」増発などに使われなかったかな。
急行型は交直車は主に磐越西線。
普通列車は、機関車と機関士が余っていたので50系を作ってまで残して、元々の架線下DCも存置。
交流電車自体皆無に近く、交直流電車を急行から普通に転用したくらいで、電車は余っていない。
上越新幹線開業は、特急は181系廃車。183系を転配。165系も転廃。115系は増備を続けていたと思う。
583系を一般形に改造するくらい、交流区間では電車不足。
宝塚電化では103系各所から寄せ集め、城崎電化では、183系、485系かき集め、
直流電車は余っていたんだろうね。 >>428
宝塚用103系は、最初は6連の新製配属だけだった記憶が
思ったほどの需要がないから、4連化した上で一部は赤羽線・常磐線にまで転属させていたはず >>426
関門トンネル内で電池切れになったら怖いので直流で集電して走れる方がいいのかなと思って
門司打ち切り可能なら門司駅構内に直流専用ホーム作って西日本車の乗り入れだけにするのが一番合理的ではある >>430 門司駅4、5番線を直流専用にするとして、貨物用上り交直セクションを駅の西側に新設しなくてはならないのでは?
貨物用下りの線路が4、5番線の間にあるけど、上り貨物用の線路も設けないと、ダイヤに支障生じ安くなるんでは? 門司駅の配線図見てるが、駅西側のどこに上り用デッドセクション設けられるのか、よくわからない。 >>428
宝塚電化の103は新製高運転台車やぞ
寄せ集めは城崎電化の485系と113系だけ、183系なんか来てねーし >>433
485/489系をかき集めて183系700/800番台、200番台にしたわけだから寧ろ交直車のほうが余ってたんだな >>434
直流化で発生させた機器で、七尾線用の415-800ができた訳でして 434みたいなロジックで欺くってどうにかならんのかね? >>433
その通り。6連で走っていたが余りに閑散としていて、4連に減車したんだな。
城崎電化は、485系改造で183系化だな。失礼。
しかし、交直車の特急形は余り出しても、近郊形はほとんどなく、
旧客→50系、架線下DCが最近まで残ることになった。
幹線長距離輸送に力を入れていて、地域輸送に手が回らなかった車両増備をしていたから、
今でも国鉄車が現役で走ってるんだね。 >>438
違う、城崎電化の時には485のまま
183系になったのは七尾線電化の際に485系の交直流機器を113に移植した後やぞ 城崎電化に絡む485捻出までの流れもまた凄い
まずは紀勢本線の急行「きのくに」完全格上げのため、381は新造せずに485を全国から招集、
その時に貫通扉を使っての運転にも対応したクハ480をサハ481から先頭車化改造(昭和60年3月改正前後)
次いで「やくも」用にクモハ381を先頭車化改造で仕立て、短編成化した上で「くろしお」用に捻出、
そこで玉突き捻出された485系を中心に、城崎電化用として「北近畿」に回した(昭和61年夏〜11月改正)
くろしお時点で使われていたクハ480の多くは、九州に転じた…って感じだったっけ
全国規模だからこそできた大規模転配・改造でもあったんだろうね 関門トンネル通過用の車両、DCにすれば一気に解決しそうな気がする。
国鉄時代は塩害対策でステンレスの機関車入れてたくらいだもの。
廃車寸前のDCを使って、錆びたら廃車、でいいじゃないか >>442 貨物列車走るから門司駅構内のデッドセクション存続せざるを得ないんだよ。それで関門通過普通列車用のDC入れて、門司と下関往復させるわけ?
開業挟んで往復する通勤客にとっては乗り換え増えて、不便になるだけ。 >>428
磐越西線の「喜多方」は、裏があったんだろうねえ。 その昔、70年代頃は郡山から喜多方まで直通する列車も多かったし、電車急行ばんだいの喜多方行きもあった。当時の普通は客車だし、電気機関車で喜多方まで行ってたんでは?
今のダイヤで論じても意味ないよ そのまま新津へ伸ばしていくと新津側にデッドセクションが必要になる >>428
70年代は珍しくなかった全区間架線下DCが減少し、
キハ58の急行が一足飛びに電車特急に格上げ
にもかかわらず481系モハの全廃や583系の食パン化など
特急車の総数は減っている 20系も建築限界ギリギリのはずだったが、これも建築限界ギリギリのはずの581の断面が
何故に食パンなのかww たしかに、ナハネフ23なんかを食パンとは言わんな。 山形食パンに形的に近いのは20系客車だろうけど
青いから食パンは想起出来ないんじゃないかな?
まあ419系だって初期は赤だけど 先に登場したのが九州用の715系で、車体色がクリーム1号だったってのも、食パンと称された理由なんじゃないかな。 食パン電車と言い始めたの、鉄道雑誌なんでは?20系のと違って切妻側が先頭に出ることがあるし、目立つ存在ではあるけど。 >>453
食パンと言い出したのって、201じゃなかったか? なら、103系、72系、みんな食パンだ。
JR西の改造、115系辛子色のやつ、食パンじゃないのか? 都営6000形の東武・東急への直通用の車両規格
皮肉なことに、この車両が(元含む)東武や東急の車両と顔を
合わせたのは秩父鉄道や熊本電鉄に譲渡されてから >>452
715系は東北とどっちが先だっけ?。塗装のクリーム色も黄味が強く、まさしく食パンだったが、東北は両端電気釜もいたし。 >>457
確か九州が先(S57.11改正で余剰となった581系モハネを改造して九州に回したのが715-0)
両側食パンは九州に2本と北陸に9本(419系だけど)、それ以外が片側食パンで
715・419系で両側電気釜は存在していない 常磐線大野〜双葉間は逆に準備工事になってしまったな
復旧に際し複線の片方を避難用通路にしたが将来復活を視野に入れてる? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています