実現しなかった準備工事★2
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>>251
今は亡き阪急西宮球場は
西宮北口駅の上に作る構想があったらしい
断念した理由というのが
「駅周辺の所々に阪神が土地を持っていて取得できなかった」からというからなんとも
(強度計算とかは出来ていた、という事かw) >>247
銀座線の高架の車庫と、井の頭線渋谷の間の所ね。 西武秩父は、軽井沢方面への延伸の計画があったから
終点の筈なのに何か中途半端な作りになつているのは既出? >>259
あれは当時関係か悪かった秩父鉄道に街り中心に近い秩父駅への横付けを
拒否られたからという話と聞いたが。 >>261
それは都市伝説で、秩父鉄道隣接地の用地買収が困難だっただけ。
それは昭和38年頃の秩父市街図を見ると、西武秩父線が入り込む余地がなかったのが分かる。 東武東上線の「上」とはどこだろうか。
高崎だと、八高線とダブるが。 >>263-264
当初計画は渋川だったので上州の上
将来の目標が長岡だったので上越の上
東武が群馬までの免許欲しさに東上鉄道と合併したために
その後東上線の悲劇が・・・ >>265
>将来の目標が長岡だったので上越の上
長岡で上越って意味分かんないだろ
あそこは中越だ >>265
>東武が群馬までの免許欲しさに
これも変だな
1907年に東武は既に群馬県に到達してる 上越、中越、下越
上越線は高崎〜長岡
上越新幹線は大宮〜長岡〜新潟
新潟県上越市・・・・ 上越・中越・下越という分け方は好きじゃないな
せめて上越は「頸城」、中越は「古志」、下越は「蒲原」という呼びに変えて欲しい
特に下越は文字で見るなら区別がつくが、読みだと「加越」と混同するから変えるべきだ
また上越市も「頸城市」に、上越妙高駅も「頸城妙高駅」に変えるべきだ 下越と加越は地理的に遠く、歴史的に交流は盛んではないので、混同する人は少ないと思う。
頸城、古志、蒲原も狭い地域を指すので、域外の人には馴染めない。
上越妙高は脇野田でいい。
名前を変えても、どうせ遠方から観光客が来るわけはない。 上越線なんて名称にするからややこしくなったんだよ。
群新線とかにすればよかったんだ。 >>277
関越という言い方もバランスがとれてないよね。
新潟側は旧国名なのに群馬側は広範囲な地方名という。 「関越」の「越」は「甲信越」の「越」とすれば違和感はない >>284
両毛線とかりょうもう号とか上毛電気鉄道とかの語源として知ってるだろ 津軽線の中小国から先
青函トンネル入り口へのアクセス線として作ったのだが
新幹線対応のため手前からトンネルに潜ったため盲腸線に。 木古内から先の松前線は、青函トンネル入り口へのアクセスとして建設されたが、なぜか廃止されてしまった。 >>286
>>288
津軽線、松前線のこと?
在来線規格での青函トンネルはその一部を使うことになっていたが、
元々青函トンネルのために建設されたわけではない。
函館−松前間を松前線と称していれば津軽線と似たような立場だったろうけど。 1937年10月12日松前線開業
1951年12月5日津軽線開業
1953年8月16回特別国会「青森県三厩附近より渡島国福島に至る鉄道」を予定線として鉄道敷設法に追加 >>253
レスが付いてたw
亀レススマソ
昭和初期に阪急軍を作る時の話
NPBのHPにも載っている
ttp://npb.jp/news/detail/20181226_02.html
最初に読んだか聞いたかした時(ネットが普及するより前)に
随分インパクトのある話だったので覚えている 震災で崩壊した阪急三宮ビルは
線路の隣に同じ形のアーチがあり、ホーム増設を想定していたらしい。
が、長編成化で縦方向の用地が必要になってそれどころじゃなくなった。
阪神なんば線にも待避線用地がビルで…という駅があるが
近鉄車の長さに対応するためポイント部分にまでホームを伸ばしてしまった。 >>292
あれは単なるデザインで、ホーム用地ではない。
単なる駅ビル 土合駅のエスカレーター設置スペース
実際にバリアフリーへの対応に迫られたら
単線化して下り列車を地上ホームに止める対応になるんじゃないのか?
(トンネルの方は新垂井みたいに下り通過列車専用に) >>294
単線化の時は、ループ線廃止で地上ホームが先に廃止。 >>294-295
上毛高原駅から水上・湯桧曽・土合を通って谷川岳のロープウェイ乗り場までの
路線バスが、鉄道とは比べものにならない頻度で走ってるんだよな。
だから、湯桧曽・土合駅と県境超えの普通列車を廃止して、バスと新幹線で代替輸送しちゃえ
って時代が来てもおかしくはない 駅自体を廃止するって時代か
貨物はあるから路線を廃止できないってことになるけど 幻の車両スレでも書いたが
伊豆箱根鉄道7000系のJR東海乗り入れが中止になったのは、恐らくJR西日本と信楽高原鉄道との正面衝突事故が原因と思われる
(これを機にJRと直通する地方鉄道が見直されたため) 俺のペニス
一度も分割併合に使われぬまま寿命を全うする予定 でも、しろいえき/うすいえきを高速で飛ばすんですよね 683系のモーター出力が681系より上がってるのは
信越本線での過熱対策と当時の雑誌に記述があるが
683系登場後に実際にサンダーバードの長野乗り入れあったっけ? >>302
信越本線ってそっちのことか
直江津-新潟だって信越本線なんだから紛らわしいぜw >>299
あれは中間車だけ2ドアだったからでは? >>300
連結器のカバーが外れなくなってるんじゃなかった? つくばエクスプレスTX-1000系の8連化準備工事はTX-3000系登場で実現しない見通しになったな スレタイとは逆に、実際に使われちゃいるが実は意味の無かった青函トンネルの38km→53kmの計画変更。
おそらく0系のパワーで登れる勾配にしたのだろうが、今の新幹線なら当初の勾配でも大丈夫。 それじゃあ、これから38kmの新トンネルを造って新幹線をそちらへ移して、
現行トンネルを貨物列車専用にすれば、現状の併用問題が全て解決するな。
夢がひろがりんぐ… 窓割りが211系に合わせてある107系0番台
セミクロス仕様が出る(改造もしくは増備)ことを想定していたのかもしれないが結局登場せず
100番台では戸袋窓無くす意味もあってロングシート車らしい同じ大きさの窓3枚になった。 >>311
あの窓配置は、何か具体的な計画がというより、105系に合わせたのでは?
もっとも105系も、ロングシートにしては窓が小さい印象だから、クロスタイプの出現を
予測していた?。結局は119系だしなぁ。 211系5000番台の一部にあった120キロ対応化準備工事
315系導入で実現しない見通しに
速度計のスケールが120キロと140キロがまちまち
0番台は本工事したのに >>313
別に速度計がどうとかお前が困ることでもないじゃん 四国8000系は登場時、設計速度160キロを売りにしていたが。 速度計は、設計速度と関係なく、高めに作ってある。
アナログの場合は性能とほとんど関係ない。 今日定期引退の185も、110km/hしか出せないのに速度計は160km/hまである >>317
183系ATC車とキハ181系は運転最高速度と速度計のスケールが同一で目盛りを最大まで使ってる
通常は余裕を持たせて160キロスケールにする
183系は103系用のATC付き速度計流用でこうなったようだがキハ181系は理由が謎
圧力計は針が一番上の中央付近に来た方が見やすいようで元空気ダメ圧が真ん中に来るよう無駄に1500kPaスケールになってる車両がある >>319
「見やすいように」ならば「無駄に」ではない キハ181系は東北本線で速度計を振り切って走行してたなんて伝説あったな キヤ141系ドクターWESTの電気検測機能準備工事
一向に電気検測車が増備される気配がなくクモヤ443を未だに使用している JR貨物の新型電気機関車の型式番号で100・400・700番台は直流電動機の機関車に割り当てられるが直流電動機が廃れたので今後使われることは無いだろうな
VVVFが登場したのに直流電動機を割り当てた理由が謎 >>324
その当時は、そう思ってなかったんだから、しょうがない。 将来の技術革新で、直流電動機のほうが効率よくなる、って時代が来るかもしれない 廃車発生品のMT52やMT56を使って機関車作る時位しか使い道が思いつかないのだが 産業革命以前の人間も石炭燃やして鉄構造物が動くなんて思わなかったさ 橋場駅の存在そのもの。
田沢湖線全通の夢を託した暫定終着駅だったが、戦時中に営業休止になった後
戦後の工事再開時に手前から長大トンネルを掘るルートに変更されたため
廃止手続きされないまま現在進行形で放置プレイ中。 >>70
中西改札が復活したが駅改良工事で両方のホームに繋がってる北改札が工事で使用できなくなったための暫定措置みたい
南改札は2番線につながる封印された階段がある 南海高野線紀伊清水駅付近の複線化用地
紀伊清水駅付近に車両基地が建設される予定だったが、住民の反対などもあり、御幸辻駅付近に
小原田検車区が建設されたため、紀伊清水までの複線化と車両基地は実現しなかった 準備というレベルではないが、
福知山線カナリア色103系の「広野」の方向幕。
手前に新三田駅が出来たので使われる事はなかった。 男の乳首って何のためにあるんだろう?
それを考えたら尾骶骨や盲腸もそうか。
人間の体も「搭載準備」のままの部分が多いな。 幕だったら
西武9000系の新木場・和光市
京王8000系の本八幡 >>336
京王8000系の本八幡「幕」は、営業列車としては実際に表示されて使われている
2001年6月〜2003年頃の平日夕方前の上り1本(当時の2800列車・橋本〜若葉台)で、
若葉台で6000系30番台に車両交換と言う形、だから実際には新宿線へは入っていないけど
今だったら間違いなく「各駅停車 若葉台行」として運転されているだろうけど、
当時の橋本急行(夕方以降)を急遽10連化したことに伴う運用変更で
列車番号を変えずに対応しなかったことに起因したもの
なので、営業運転としては「幻」とはならない
当時使われていた8000系の6連14本全編成・両側で、半年かけてこの表示を
途中駅全ても使って撮り切ったよw >>339の文言修正
正しくは「列車番号を変えずに(変更を伴わず)対応した」
検索したら、当時の幕表示画像もあるみたいだね 余命わずかの阪神赤胴車
阪神なんば線用に作ったけど結局乗り入れてない 阪急3000系で山陽電鉄乗入れに備えて低屋根化したのがあったが結局実現せず
モニターを撤去して低屋根化したのとしてないのがまちまち 東京駅14・15番線の東海道・東北新幹線直通対応化構造
サピアタワーが邪魔で不可能に >>345
それを言うなら16〜19番線の先の当時CTCビルの通り抜け構造も 阿佐海岸鉄道甲浦駅の延伸準備はDMV乗り入れアプローチ線建設に転用され想定とは異なる形となった 他に想定と異なる形で使われた準備工事は御堂筋線梅田駅ホーム拡張工事か
あれは大国町駅みたいに谷町線が横付けされるはずだったが東梅田駅経由に変更されて余った >>348 「想定と異なる形で」なら、成田新幹線用だった北総線から成田空港までの区間、それに京葉線東京駅。
筑波方面新線になる予定だった京成上野・青砥間。
東海道貨物別線とするのを転用した東海道新幹線の武蔵小杉付近から小田原までの区間。他にも色々あるだろうが。 高蔵寺駅6番線の愛知環状鉄道のアプローチ
万博対策で作ったのは良いが元々は中央本線と並行する高架橋の国鉄瀬戸線と接続する計画だった
スロープを作るべくスラブ路盤を一旦壊して再度路盤を作り直す難工事に >>350
もとは国鉄岡多線と名乗っていたから、多治見方面にも何か痕跡があるんだろうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています