【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】4レ [無断転載禁止]©2ch.net
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【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レhttps://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/
かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう >>514 いつもカレーライスとか豚汁位しかない、時折、メニューのレパートリーが増える、それで構わないというのなら中国方式でOK。シベリア鉄道の食堂車もそんなものだそうで。 その時その土地でたまたま仕入れたものでサッと一品つくるという、おきまりのものしか作らない食堂よりレベルの高い話だと思ったのだが、違うのか? シベリア鉄道はモスクワに向かうにつれメニューが増えるとか書いてあったな 物流のレベルが低いから、その場その場で作れるものを作るしかないんだな
外航貨物船の司厨員とかはそんな感じみたいだね
高級かどうかは別として、料理人のアドリブ力は高くなりそう >>521 中国やシベリアの食堂車だと、殿様商売やっているようなものだから、アドリブなんてそう必要でもない シベリア鉄道に限れば停車駅ごとに買い物できるので
高いしみんな飽きて食堂車を使わなくなる >>523 モスクワからキエフ行く夜行列車乗ったことあるが、駅のホームで乗客相手の物売りはたくさんいるが、ろくなもの売ってないわな。 韓国や北朝鮮の特急列車の食堂車でビール注文したら、生ぬるいビールが出てくるという ロシアあたりは他に補給も選択肢もないから食堂車が必要なのであってな >526
作家の故宮脇俊三氏は、ロシア号に乗った時、食堂車は2両あって1両は外人用、
もう1両は一般ロシア人用とに別れていて、こうした区別は気分の良いものでは
ないと、鉄道誌に書いていた。 ロシアをロシヤって表記する書物
特急あじあに乗りてにはロシヤ人って書いてあったっけ。 >>525
ビールを常温で飲むのは別に珍しくない
常に冷えた状態で出てくる日本の方が珍しい 博多行き0系ひかりの食堂車で作家の故種村直樹氏は竹島紀元氏らと
食事し、その時食べたステーキは肉が若干硬く決して良い味ではなかったが・・・と
鉄道誌に書いていたが、それでも外国の特急列車の食堂車で食べたステーキに
比べれば、美味しい方だったとも書いていた。 >>513
タイはどうよ?中国製の新型夜行列車では、TGVのバー車のようなものか!?
モンゴルは所詮、中国かロシアとの国際列車が営業してるに過ぎないだろう。
中国も高速鉄道延伸で、食堂車連結列車は減少気味だな。
元々絶対数が多いので、中国の食堂車はまだまだ多いけどw 100系の食堂車で富士山期待したら雲かかってがっかりしたお子さんは多いだろう
>>532
モンゴルは国内路線もある。ハンガリー料理のグラーシュがあったり面白いぞ。 >>533
スウェーデン・ノルウェーの食堂車に近いなw ハンガリー&オーストリア料理のグラーシュをパクったモンゴル料理のゴリヤシは、
本家と比較しても味付けや料理としての完成度がかなり劣る代物が目立つ。 夜の大阪行583系雷鳥の食堂車は居酒屋だったな
出張のリーマンがビールや酒がテーブルに並んでいて宴会場みたいだったよ 晩年の特急雷鳥の食堂車は酷いものだった
定食ものには使い捨てのアルミ皿が使用されたり、弁当箱のような容器につめられていたり、
ナイフやフォークは使い捨てのプラスチック製といった、駅弁やコンビニ弁当を
食堂車で高い金払って食べるようなもんだった >>538
え、 60-3直前雷鳥はそうなったの?
白山はちゃんとしてたけどな。 「あさかぜ」や「富士」などの九州ブルトレの食堂車のメニューの関門定食
名前だけ聞いたら、フグやウニなど、関門海峡の美味い海産物のセットだと
思わせるが、幕の内だった こだまとかアルプスで売店車ついてたらハズレ扱いされたのかな? >>540
「さくら」以外の東京〜九州ブルトレが、門司営業所に集約された結果のものだろう。
50.3からJR化まで、夜行列車の食堂車営業は東京発着ブルトレだけだったし。
あと下り列車は関門定食の欠品が多かった?
昭和50年代に東京発「あさかぜ」「富士」に乗って、いずれも関門定食がなかった。 サハシ153のそばや寿司列車のメニューと価格を知りたいね 寝台特急「さくら」の食堂車のメニューの「長崎ちゃんぽん」
価格は1000円と高めだったが、本場のものと比べると具が少ない、スープがあまり
ドロッとしていないなどの声も多かったようだが、この長崎ちゃんぽんは長崎駅の
構内食堂のメニューと同じものが提供されていたという。 >>516
オシ16のメニューは時間帯的にも北斗星のパブタイムに近いような感じのものだったのかな。
ただ、北斗星パブタイムと違って定食類は提供してなかった(というよりできなかった)ような感じがする。 >>547
すしのボリュームはどれくらいかね
まさか一貫でこの値段? >>551
一貫30-50円で握り一人前300円からとなってる。
昭和40年代初期で六倍、後期四倍程度すると現在の物価に近いらしい。 北海道の特急「おおぞら」や「北斗」などの食堂車で提供されていた、
「えぞ定食」や「北海定食」
サケやイカの刺身などの盛り合わせかと思っていたら、サケやイクラの載ったちらし寿司に
みそ汁と漬け物が付いたものだった >>554
それでも在来線昼行特急では最後の食堂車だったので、有り難かった。 北海定食、今ならイクラ鮭の親子弁当が羽田空港で買える時代だけど、
あの頃キシ80で食えるという貴重感だけで嬉しかった。おおとりより空いてたオホーツクで数回ゆったりした。 >>557
昭和にそれ求めちゃいけない。冷凍技術・運送業者犠牲の上に成り立つ
生鮮チルドの全国配送でいまや東京でも旨い海産が食える。
ただ、昭和55-60年ごろのファミレスはガストもサイゼなく割と高めだったし
今よりむしろマズイ。 観光地は地元産でないモノ平気で出す高い旅館もあった。
今はそんな商売したら一発で潰れるが。 青函連絡船の船内食堂のメニューの「海峡ラーメン」500円
みそ味と塩味の二つあったが、生ぬるくて不味いラーメンだったらしい らしい?
体験がないなら書き込まなくてよい
海峡ラーメン、個人的には良好な想い出 新幹線0系の営業中の食堂車の狭い廊下とビュッフェ車の食堂部分はいつも、
カレールーとコーヒーの匂いをミックスしたような匂いが立ちこめていて、
いかにも食堂だなと思わせてくれた。
なお、食堂車かビュッフェのどちらかが営業休止中の時はこの匂いはしていなかった。 >>560
体験がないなら書き込むな、とか何様だよ。独りよがりがしたいなら自分でスレ立ててそっちでやってくれ。 例外は当時、生で観ていはいても
入ることが出来なかった(中学生とかでね)悔しい思い出とかはあるかな >>565
食べさせてもらえなかった体験というのも体験だものね 最近の懐かし板は、スレタイの対象の時代には生まれてもいない、懐かしむことができないガキの書き込みが多すぎるんだよな。
ふた言目には老害としか言えないらしいし。 戦前・戦中とかの話なら本のネタや爺さん婆さんの
思い出ばなし受け売りでも良いが、(マスコミだってそうだ)
昭和後期頃の話題を想像で書くようなのは要らんよな。
老害と言われようと実体験を優先したくない? 早速570みたいなガキが湧いたな。
当時を知らないのが悔しいらしい。 美味しそう
ttps://static.adroute.focas.jp/tmp/bannars/20631/2018/10/11/13/20631_15392305566171.gif >>569
小西了とかね。
アイツ在日チョンのくせに生意気なんだよ。
>>574
マン毛生えてそうなババアだな。 >576
コックが手作りしてたな
車内販売用のサンドイッチも食堂車の調理室で作られていた そうそう、カフェテリアの冷蔵庫で冷やされた固いパンとは別物
ちょっと高くても美味かったね。 >>562
というわけで、体験のない君は懐かし板に相応しくないようなので、懐かし板以外に自分でスレ立ててそっちでやってくれ。
どうやらここは体験者達が懐かしむスレなのでね。 ハムやチーズが旨かったので分割して食ったりしたなあ 新幹線100系のカフェテリアカーは、晩年はサンドイッチと弁当、飲み物と土産物のクッキーや
饅頭くらいしか陳列されてなくて、カフェテリアを営業している夜間の100系「ひかり」、
「こだま」では陳列棚が空っぽになっていることもあったな >>577
東北特急だと食堂車製造のカツサンドを車販してたよ。付け合わせにポテチが付いてたと思うわ。 上野発着だった特急「ひばり」や「はつかり」などの食堂車のメニューには、
「ホタテグラタン」、三陸の魚を使った「魚フライ定食」などがあって、
東京から北へ向かう列車ほどその地方の食材を使った美味そうな料理が多かったな >>586
所得に対しては割高だよね。小学生の頃(S46-51)
デパートの大食堂に家族で行くのもたまの日曜の楽しみだった。
当時でも700-1000円した感じする。今の物価なら2.5-3倍くらいかな。 オイルショック前なら4倍ぐらい、オイルショック後なら2倍ぐらいでちょうど今の値段に合うと思う。 >>577
100系はともかく、0系は車販用のサンドイッチはビュフェで作ってたけどな
泊勤務かつ地上設備がある泊地で翌日早朝の列車であらかじめ数が見込める
場合(休み期間中とか)だと前の夜に作って冷蔵庫に入れておいて翌朝他と一緒に積み込んだ
もちろん社内調製印の日付は翌日 0系35形のビュフェなんかはビュフェというよりもむしろ食堂車に近い性格を有してたからな >590
食堂車営業会社「ビュッフェ東京」は東海道・山陽新幹線0系のビュッフェ営業の他に
食堂車営業も行っていて、食堂車ではビーフステーキ定食や有頭のエビフライ定食など、
高級料理も提供していたな ビュフェとうきょうは避けてた
異論は認めるが味が好みではなかった 確かに昔の新幹線食堂車は営業している感謝も乗っていたねえ。 JR化後、東海道新幹線のビュッフェではたこ焼きが売られていた。
そのたこ焼きはレンジでチンしたものだったが 電子レンジが家庭用であまり普及してない時期に搭載してて当時としては画期的だったともいえる >電子レンジが家庭用であまり普及してない時期
えっ? 70年代じゃあるまいし >>597
だから時系列からしてどの年代を言いたいんだ? 急行でビュッフェが2両付いてた時期もあったな
しかも2両のビュッフェでメニューが違ってたとか
0系もビュッフェが2両あったり食堂車とビュッフェが両方連結されてたこともあった >600
山陽新幹線岡山開業時から0系こだまのビュッフェは5号車と9号車に2両連結され、5号車ビュッフェは軽食主体で食器はスチロール製と紙皿などと簡略化され、
9号車ビュッフェはビーフシチュー定食などを提供し、食器も瀬戸もの皿と
差別化された ビュッフェ2両連結は本来はグリーン車を通り抜けなくてもいいように配慮した結果みたいだが売上低迷で1両に減らされた
車端部の席に乗ってると車内を延々と歩かないと辿り着けないので指定券を買うときに食堂車やビュッフェに近い席を指名する人もいた? >603
金持ちの人、当時の鉄道マニアなんかはしてたかもしれないけど、
あまり金のない人は食堂車やビュッフェで食事せずに駅弁や車内販売の
弁当を買って車内での食事を済ませていたからね。
そこまで指名する人はほとんどいなかったんじゃないかな 特に新幹線の食堂車だと、利用客ってビジネスマンが多かったんじゃないかね
高度成長期からバブル期までは、出張経費なら領収書に書いてあるだけ全額出す会社も多かったんだろう そして指定席取れず立ってた層が食堂に長居して問題になる、と。 京都から乗って食堂車で定食食って新大阪で降りていく客とかな 会社の金で食堂車で延々飲み食いしてくれるならまだマシだろうけど
コーヒー1杯で延々居座られちゃ困るよな 0系新幹線食堂車の客室の車端部の椅子がソファになっている席
あそこは食堂車で長居するにはちょうど良い席だったが、
長居するには酒やビールのあてのおつまみをちょくちょく注文するなどしなければ
長居できなかった。
おつまみやメニューを注文するにもコツがいった 100系は2階建てで1階部分を通路とキッチンに出来て2階のスペースを贅沢に使うことが出来て最高傑作だった
定員が歴代の食堂車で最多だった その代わり、料理をリフトで運ぶ関係で、食器が単体の皿ではなく、
ワンプレートタイプに統一され、見た目のバラエティが無くなった。 寝台特急「あさかぜ」から「出雲1・4号」に転用されたオシ24食堂車「スターダストラウンジ」
奥の方が喫茶店のようにソファとテーブルがあって、「トワイライトエクスプレス」用の
オシ24が登場するまで豪華な食堂車だった (ボク、本や雑誌やWebで見たことあるから知ってるんだよ、凄いでしょ) >>611-612
その100系の二階建て食堂車、数回利用したが贅沢な気分を味わった。
ところで一番奥の席(博多側)は間仕切りでくくられていたような記憶がある。
見間違いだったか? 100系食堂車の奥は車両がたくさん描かれたレリーフの印象ばかりが強いな 誰が経営者だったとしても早晩廃止される運命だったんじゃないかね
食堂車の営業収支は改善しようがなさそうだし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています