【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】4レ [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レhttps://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/
かつてほとんどの特急列車に連結されていた食堂車。
かつて多くの急行電車に連結されていたビュフェ。
新幹線にもビュフェや食堂車が当たり前に連結されていました。
流れる車窓を眺めながらいただく食堂車での食事、
今となってはごく限られた列車でしか楽しめなくなりました。
このスレッドでは、食堂車、ビュフェにまつわる懐かしい話を楽しみましょう。
新幹線や九州ブルトレなど、JR化以降も営業していたものから、
新幹線開業までの東北本線、山陽本線、東海道本線等々の特急列車の食堂車から、
場合によっては戦前の食堂車の話まで、
皆様の記憶と知識等々披露しあいながら語り合いましょう 昭和の食堂車メニュー再現も良いが、食堂車レプリカの洋食屋とか
どこでやってくれんかな?
面積は現代人の体格や、利用客に与える圧迫感などを考慮して
少し大きめの寸法にして、シートはソファでもいいので。 始発駅の発車時、クルーがホームに向かって整列して一礼するシーンって、すごくグッとくるんだけど
全業者、全営業所やってたわけじゃないんだよね? >>5 >>6
原則として、始発駅の発車時にホームに向かって一礼を行っていた。
一礼なしの列車が思い当たらない。 良き伝統として取り決められてたと思ってはいたんだけど、ふと、絶対だったのかなと疑問に思って…
0系36型登場時だと山側にホームがある状態で入線したら壁に向かってか狭い廊下でになるけどやってたかな?
あと、最近の事情に疎いんだけど今時のクルーズトレインやグルメトレインではやってるの? トワイライトエクスプレスの朝食メニューでブレックファーストがあったけど
あれを京都鉄道博物館で再現して販売したらどうだろうか >>8
北斗星ですら、各地の寝台列車がだんだん廃止されてきて
北斗星そのものが注目されるようになってくるまでは、あまりきっちりとは
実施されてなかった。
その後、注目されつつある時期くらい〜列車廃止までは、一転して
きっちりやるようになったな。
北斗星見送りブログってのがあって、その人も、あったときとなかったときに
そのつど言及してたりしたから、まちがいない。
整列のことについてコメント欄で語り合った記憶もある
そのブロガー何故かネット(2ch)で叩かれて、その末にブログを非公開にしてしまった
パスワードも忘れてしまって、それっきり。残念だった >>10
アスペじゃねえんだし、復刻メニューの提供程度で
通常営業時間にモーニングセットを提供しても特におかしくはない 2010年ごろ以前のココットなんて同じ時間にまとめて作るから出来たメニューで
オーダーが入るたびに作ってたらオーブンが開いてなくて
それだけがなかなか出てこないなんて悲劇が起こるし
2013年以降のコースメニューはセルフサービスで出すには著しく向かない
その間のスクランブルエッグのトマトソース掛けはメニューのキャラ的にオムライスと被る
さらにココットもハチクマと被る上にハンバーグがない分貧相だ
考えるだけ無駄だと思う 鉄道博物館の日本食堂の2階のレストランで他の系列会社と共同で
平成の食堂車メニュー再現の特別企画で
九州ブルトレのきじやき定食と中華粥
北斗星・カシオペアのパン・スープセットとご飯・味噌汁セットと
カシオペアのカニクリームパスタ
トワイライトエクスプレスのビーフピラフとブレックファースト
新幹線での蛸マリネ博多風と合鴨のくんせいを出せばいい >>5
少なくとも国鉄時代は、在来線営業列車は全て行っていた。 国鉄時代は食堂車要員も車両所から回送列車に乗りこみ準備をすることが多かったが
民営化後は基本営業区間のみの乗務になりホームで入線列車に一礼に変わったんじゃない。
入線後からの準備じゃ忙し過ぎて発車時にホームへ一礼なんてできなくて当たり前。 入線時に一礼ってのは自分はトワイライトだけのイメージかな
入線してバタバタ準備してる中、発車のベルや放送が入ると一旦手を休めて整列して一礼するのがいいんだよ(w
たまに1人くらい気づくのが遅れて慌てて整列の中に混じるがあったりして、それはそれで萌える(w >>16
そうとも言えない。
上野発の昼行特急などは、駅ホームで待機して乗り込んでいた。
東京発のブルトレは、車両基地から回送列車に乗りこんでいたけど。 運用の問題とはいえ新幹線の博多開業を前に
定期ひかりのほとんどに食堂車を連結させたのは失敗だったな。
在来線食堂車は大幅削減になるし
大して利用が見込めない時間帯の東京〜新大阪便も
営業させて赤字を拡大させたわけだし。 新幹線食堂車は、実際は東京−新大阪間で大半を稼いでいたのを
全く知らないんだな。
食堂利用率は列車の走行距離には殆んど関係がない。
乗車率に大きく影響されるので、博多直通列車でも食堂利用者が最も多いのは
東京−名古屋間だった。
在来線食堂車も、ひばりやときといった、あまり長距離でなくても都内に発着する
列車の利用者は多かった。逆に乗車時間の長い日本海縦貫ルートの利用者は
多くなかった。 >>19
利用率一番の期待区間が、東京〜新大阪だっただろうw
また博多開業時に食堂車新設は目玉で、東京〜博多は7時間かかっていても全区間利用者も
それなりにあったわけだし。
その考え方が100系登場後もあって、方向転換したのが100系G編成。
まあ今では東京〜博多を乗り通す乗客は稀少になり、40年前と時代が変わったが・・ >>14
これやったら食堂車メニューの再現ということで話題を呼びそう 在来線か新幹線のビュッフェを内装から再現して
メニューも同じメニューを出すレストランが出来たら話題を呼びそう >>23
それならサハシ153のほうがいい
モハシ21もいいかな トワイライトの朝食メニューは何で普通のメニューから
あんな感じの朝食メニューにしたんだろうか >>26
印度倶楽部が残ってりゃあねえ
伊福部さんが料理長から部長に昇進するタイミングで
看板からトワイライト料理長監修カレーも外しちゃったし >>19
ビュフェを止めて食堂車ならまだしもビュフェ+食堂車でやれば採算が厳しくなるのは予想できたこと
それでも「やる」と決めたら一律でやるのが良くも悪くも国鉄らしいところで民間会社の様な選択などない 俺が子供の頃(昭和40年代)、特急や急行の食堂車ってのは
グリーン車のすぐ隣に連結されるているものと思っていたが、
当時の仙セン、盛アオの電車特急はそうじゃなくて
上野寄りの1号車や2号車にグリーン車が連結されてる編成が多かったな。
>>19
もし実現してたらこんな運用かな?
ビュッフェ編成:5号車および13号車が35形
食堂車編成:8号車が36形、5号車および13号車には売店車25形400番台
東京〜新大阪・岡山、新大阪〜博多の列車は、主にビュッフェ編成が充てられて、
東京〜広島・博多の列車は、主に食堂車編成が充当される。 >>30
運用面を考えればそんな面倒な事はしなかったでしょうね。
151系時代の食堂車+ビッフェ運用の発想が、どっか国鉄首脳部に
あったのだろうか 国鉄時代の食堂車は、正直まずい(特に日食系)という評があったが、あの時代は高速道路のサービスエリアの食堂も「味わって食べたら負け」というようなものだった。
今はサービスエリアでグルメドライブできる時代だから、外食産業も厳しくなったもんだ。 昭和時代のサービスエリアのレストランってそんなにまずかったか?
サービスエリアやパーキングエリアにあるフードコートのような所の飯はあまりおいしくなかったが。 >>32
昭和40年代以降成長してきたファミレスと、人件費削減やレトルト化を
邁進してきた食堂車と単純に比較したらアカンって。 昭和の時代は観光地のフツーの店も
大して美味くなかったから、
食堂車もまぁこんなもんか、で納得していた。
動く中で食えるだけ有難いと。
今でも欧州旅行すると外食の高さが半端ない。
日本のチェーンファミレスのコスパは
イタリア人がサイゼリヤを褒めるほど。 >>34
観光地近くのドライブイン(死語)のメニューは何でもあるけど何でも
不味いと一般で認識されていて無難なのはカレーライスとされていた。
まあカレーライスすら不味かったドライブインも珍しくはなかったが。
SAなんてアイスはメーカー不明のアイス最中やソフトクリームが
市価の二倍くらいの価格で売られていたしレストランのメニューも
「店長お勧め」絶対に避けろと言われていた。
その当時で価格と味と量のバランスが優れていたのは東名高速だと
上郷SAの「豚汁定食」と富士川SAの「富士川定食」くらいだった。 東海道新幹線の末期の食堂車利用したが、まずくはなかったが、
メニューがスパゲティミートソースとか、ハンバーグ定食(的なもの、
勿論正しい名前は覚えてない)とか、昭和40年代のデパートの食堂のような
雰囲気だったな。 三十年くらい前だが浜名湖SAの鰻重は厨房で店員が蒲焼きの保護
フィルムを剥がしてご飯に載せ電子レンジに入れる姿が見えて悲しくなった。
味も予想通りゴムみたいな蒲焼きで不味かった。
それを思うと新幹線で販売しているウナギご飯は冷めているのに美味しい
といえるレベル。 民営化直後、JR東の初代社長の住田正二が、「日本食堂の弁当上手くないから、
京樽(これも倒産したが)に変えたら」という珍案を出したようだな。
住田氏と京樽との私的な関係を疑われてポシャったが。 >>43
だからNRE化した後にM&Aで大増を系列化した訳か! >>43
リテールネット系弁当屋の膳まいに入ってるのもそのつながりなのかな
持ち帰り寿司だと江戸前中心の寿司屋は採用しにくいのも事実だが 20年以上前の冬の100系ひかりだったかな?
時刻は18時くらいで静岡あたりだったか。
憧れの二階建て食堂車に行ってメニュー眺めてたら、
ウェイトレスの美人でもブスでもない姉ちゃんが面倒臭そうに、
「もうハンバーグ定食しか出せないんスけどいいスか?(棒)」
仕方なくそれを注文して、ブラックホール同然な車窓を見ながら
大して旨くもないハンバーグを食った。
それが最後の食堂車での食事だった。
今でも食堂車が残っていれば「あん時の『ひかり』の食堂車サイッテー!」と
罵ってるだろうが、
今となってはそれでも良かったと思える。 >>46
上りかな?
博多昼過ぎの発車になるから、品切れになるのは解る
品切になってなければ、熱海通過までは普通に注文をとるはず 200系のビュッフェに棚を付けてカフェテリアテイストを入れた車両もあったな >>46
1993年10月に神戸に出張し、帰りは100系ひかりだった。
一緒に行動してた課長は広島に行くので自分一人。
くたびれてたので、自由席3人掛けを占領して寝てきた(そんなリーマンばかり車掌も文句言わず)が、
運賃は会社持ちだから二階建てグリーン車と食堂車を楽しむんだったと、後の祭り。 >>47
下り。
ウェイトレス一人だったが、もしかしたら階下厨房もコック一人だったのかな。
客も俺一人で食堂は寂しかったが、 >>49
あなたが、当時、役職なら問題なく上級施設使って領収書出しても問題ないが、ぺーぺーがグリーン使ったらさすがに上司ぶちギレ案件では? >>47
おそらく午後に1往復だけあったJ-ウェストラン(現FSN)の担当列車だろうね。
博多〜東京〜博多の折り返し運用で、もうその頃には東京では共通飲料以外の補充ができなかった。
>>52
食堂車は別撮りでグランドひかりの厨房だな。 その一往復がのぞみの車内販売だけになっても残ってたのが不思議 こだまって車内販売もないんだな。
結構ガッカリ。
16両をワゴン販売って楽じゃないだろうから、
せめて売店スペースがあって欲しい。 九州ブルトレの売店メニューを鉄道博物館で再現したら人気が出るかも 新幹線の食堂車で長時間足止め中に臨時営業して食事を振舞った事例ってある?
排水ピットがある名古屋駅か岡山駅停車中じゃないと不可能
ななつ星in九州で熊本地震に遭遇した時に食材を運び込んで朝食を提供した そもそも新幹線の食堂車って営業を時間で切ってるわけじゃないからな
時間よりも走行区間で切ってるようなものだから
そんな事態になっても食材切れたら営業終了になってただけかと >>59
元・中の人間だが、幹線食堂車なら運転抑止中も営業は普通にやっていた。
もっともそれが長時間となり食材、飲料が切れて通常営業ができなくなるとお手上げ。
振る舞いとしては一度米だけが残っていたので、おにぎりにして無料提供したことはあった。 >>58
焼きそばやたこ焼きなら今でも東武スペーシアの売店で扱いあるだろう
スペーシアはチャーハンがニチレイのラインナップ変更で販売終了になったんだよな
チューカハンはいまいちだったみたいだし チャーハンといえば九州のつばめの787系の飲茶シリーズは結構良かった 九州のビュフェメニューはチャーハンをチャオといってたな >>61
怪奇マンガのエコエコアザラクで、大食漢の客が積み込んだ食材を平らげたのにまだオーダーするので、ウェイトレスを捌いて?
というブラックなエピソードがあるのを思い出したw 懐かしいw
大食漢の客は政治家か何かの権力者で食材を食い尽くすと
次に料理長は乗車中のペットを集めて料理して
最後はウェイトレスの1人を調理して提供して政治家のご機嫌を取ってたなw >>56
5分停車で売店を覗き込むのが、こだまの楽しみではないか
背伸びして外の空気を吸うだけでも気分転換になる とはいえ待避で長めに止まる様なこだま停車駅の売店にはロクなものがない
業者もヤル気なさそうで >>68
ほとんどの駅止まるじゃん、どこのこと言ってんの?
静岡の親子めしとか冷凍みかんとかおいしいよ >>70
静岡県内の駅だとホーム上に、売店がある方が多いので
5分停車のこだまでも間に合うが、そうでないところは難しいと
思うぞ。 あの、こだまって東海道だけじゃないんですが・・・
特に広島〜新下関は売ってる弁当が地元業者壊滅で広島の弁当を運んできてるだけ
しかもホームはおろか改札内全体を見ても売店すらない駅もある こだまでも広島〜小倉は弁当一つでなんとかなっちまうんだよなあ 確かに山陽は新幹線ホームの売店がなくなっただけではなく、ホーム自体が古くなって荒廃してる印象が
床がザラザラになってたり
大阪から東京への帰り、ひかりに乗って浜松や静岡でののぞみ通過待ちで売店や駅弁屋に行くのが楽しみ ワシはのぞみに乗る前の東京駅や名古屋駅、京都駅なんぞで
買うのが好きじゃがのう >>77
椎名誠が30年ぐらい昔にそんなエッセイを書いていた記憶が 新幹線のビュッフェメニューは
JR化後はどんな感じだったのだろうか >>80
JRになる前から、カレーとかサンドイッチはあった記憶があるが
殆ど売店と化していた。 食堂車で中華鍋使ったという話は無いな
あれ家庭用の数倍の火力のガスコンロ必須だとか
食堂車は流石にガスは使えず電熱器を用いてるが最近のはIHで出力が大幅に向上した >>82
石炭レンジの方が熱量が高かった言う話があります >>82
そりゃカマに使うレベルの石炭を融通して貰ってた程だからな。
宇都宮さんの著書にも記されてるから。 >>81
ウエストひかり以外の東海道山陽新幹線では食堂車よりも早くビュッフェが
撤退したはず >>80 >>81
東海区間で0系16両ひかりがそれなりに走っていた96年3月までは規模を縮小しながらもビュフェとしての体は保っていた。
だが要員と運用の関係もあり、以後は完全な売店化。西区間ではウエストひかりが頑張っていたが…
>>85
16両編成新幹線だと
95年1月で0系食堂車営業終了(前年12月から1往復限定営業も、地震運休で2カ月終了前倒し)
その後は0系ではビッフェのみの営業
98年中に0系定期ひかり(名古屋〜博多)でのビュフェ営業終了
99年9月に0系定期こだま営業終了
00年3月に100系食堂車営業終了
余談だが00年3月改正よりレールスター導入でウエストひかりも同年中に定期運用終了 駅弁と比べると食堂車やビュッフェは写真などの資料が少ないんだよなあ
デジカメが普及する前やもんな ジェイアール西日本フードサービスネットが
新幹線の食堂車とビュッフェを担当していた時期があるはず
(名称変更後に) >>88
FSNは元々日本食堂でジェイダイナー東海とは同根企業。
その後は山陽新幹線を主体に営業してたよ。
主に線内完結で東海道新幹線直通は殆どダイナーの担当だった。 339回想774列車2017/09/06(水) 22:01:03.76ID:oFBdCCa4
日食→JD東海(現JRCP)にいた人によると新幹線の食堂車は部門単体(非車内販売)では
博多開業前の営業開始から2000年の営業終了まで一度も黒字になることがなかったという。
繁盛列車の黒字よりも一部閑散列車の赤字がすべてを食いつぶすパターンだったものの
営業トータルでは車販の黒字で賄えたので大して気にならなかったとのこと。
ただ1980年代に入ったあたりから要員(職員定着)難が加速していたため
東阪間用への非営業列車(G編成)の導入は渡りに船だったようだ。
なお当初の計画では2000年代半ばまでは100系による食堂車営業を続ける見込みだったが
阪神大震災をきっかけにJRに終了の前倒しを要請することになったそうだ。
340回想774列車2017/09/07(木) 19:18:19.61ID:8YJtZJil
>>339
オレは組合の幹部から
平成5年のBT救済合併でJDの財務が悪化しそこに震災営業停止が追い打ちで決断
って聞いた >>90
親方日の丸にて丼勘定、また営業所ごとの独立採算制だった日食だから
この赤字っていうのはただの営業赤字じゃなく、採用とか設備投資といった
食堂車運用で発生する間接コストを含んでのものだろうな。
まぁ阪神大震災による運休は3か月弱だったから会社が傾くのも当然だわな。 今ではこだまでは車内販売がなくて自販機もないから
非常用の水を積んでいる ただでさえ乗る機会の少ないころだから
Gなんか目もくれずにXかVばかりだった
Gに乗る機会ができるころにはカフェテリア自体がすでに営業終了 食堂車1階の売店はイートインができないビュッフェって感じだったな >>93
食堂車の下の方か、カフェテリアの方か?
食堂車の方は37形式の代わりだったし、カフェテリアは最初の頃は
バブル期もあって、ちょっと贅沢感があったが、段々品ぞろえが
悪くなってきた。 景気はあまり関係なかったろ
食堂車から車内販売、そして駅構内にコンビニを入れるまでの過渡期の
中間的存在だったということ >>96
その頃のバイトだが
ひかりの食堂車・売店とも93年3月ののぞみの毎時1本&山陽直通で客層が変わり少しずつ低迷していった。
それでもカフェテリアは95年1月の阪神大震災による運休&営業縮小までは全盛期とそう変わらぬ品揃えであった。
だが以降はコストの見直しと0系置換による300系のひかり導入加速もあり取扱いアイテムが減少。
卒業する96年3月頃には全盛期から半減。1年後に乗った時にはただの売店に成り下がっていた。
当時で覚えていることとしては
のぞみ(全車指定)の増発で車内販売の売上が下がり、車窓販売(ホーム売店)の売上が伸びたこと
とくにグリーン車での販売が落ち、個室からの注文も減ったこと
300系は3.7.11.15に販売基地を設けるも販売不振で95年秋ぐらいからは7と11しか使わなくなったこと
(N700の喫煙コーナーはもともと車内販売基地スペース) >>98
こだまにG編成がある程度運用されるようになった頃は
こだまでカフェテリア営業をしていたはず >>98
やはりデフレ不況ですっかり販売形態が変わっちまったのな >>99
300系置換でひかりから押し出された100系G編成がこだまで運用され
カフェテリアも営業していましたが陳列・販売していたのは
弁当、飲み物、おつまみ、お土産と車内調整のシウマイやたこ焼き等。
全盛期のカフェテリアは「洋和食の一品料理」と紹介していた個食が充実していたが
それに比べるとただの売店レベルですよ。 それってサービスコーナーがカフェテリアと呼ばれてたってこと?
それとも量産車と違う営業方法だった? >>98
指定席が増えると予めホームで買う客が増えて、そのぶん車販の売上が減るってことね。
あとカフェテリアはホームの売店と同じ商品がけっこうなかったっけ? >>102
ただそのような形でも営業しているだけよかったかも
後半は営業すらしてない列車すら多かった >>106
東京-新大阪だけの時はグリーン車デリバリーの基地だった ビュッフェも売店も、要するに車販基地になっちゃうんだよね
500の売店は、500のグッズが置いてあったからよくいったが、売店廃止になったら板で覆われちゃった 近鉄のプレミアム特急「しまかぜ」「青シン」には
そんな状況に陥らない事を願うばかりだね。 >>109
本当に必要なものは乗車前に買ってくるし
わざわざ車内を往復100~300mを歩いて売店まで買いに行くのは少なくなるよ。 0系35形の売店・キハ81系の売店・
157系の売店・20系客車の売店
に行ってみたかった。
そういえば、2008年の0系3号車には売店跡がありましたが、あれは営業していたんでしょうか? サハ164ってのもな。
白山もけっこう乗るは乗ったが混む時期だったから、サロンは行けず終い。 >>112
0系の売店スペースは車販準備室で使用されてたよ 民営化直後くらいまでは売店付き車両の投入も多かったんだよな
681系とか783系とか383系にまであったり
今も残ってるのは251系くらいか >>111
結局それ。100系カフェテリアに行かなかったのも食堂車ほど
出向く価値が感じられなかったからなぁ。
近年で移動してまで行きたいと思ったのは787系ビュフェくらい。 東海道だと自由席客の避難場所になっていた面もあったね。
>>117
八代を超えたあたりの海岸部の後継をアテに飲むのは良かったよ。
アテンダントのおねえさんの力も大きいかね。 >>115
681の場合は、スーパー雷鳥に食堂車改造のビッフエというか
売店があったからでしょうね。 >>119
白山と雷鳥は国鉄時代から供食設備が重視されてたみたいですね
長時間乗車が多いと判断されていたのか
スーパー雷鳥サロの「だんらん」時代のビュッフェの画像探してるんだけど
見つからねえな・・・ >>118
鹿児島本線だと阿久根あたりの今は肥薩おれんじの辺いいねぇ。
よく乗ったのは空いてるにちりんシーガイアの方で、嫁さんと高千穂行った時に
アテンダントさんが記念写真撮ってくれたよ。 200系のビュッフェとカフェテリアを再現した店を鉄道博物館に出せば人気出そう もう閉店しましたが、
九州鉄道記念館にあったカフェは
古の787系のビュッフェを模した
テーブルとバータイプの椅子が設置されていました。 地上にかつての食堂車を模した店を出しても長続きするところが
少ないんだよなあ
やっぱり電車という限られた空間で他に選択肢のないところで営業することに
価値があったわけでな >>124
故宮脇俊三氏みたいに言えば、メインディッシュが無い、からか
「流れる車窓」という >>120
「白山」は、昭和53年10月から昭和57年11月まで、食堂車が無かったのはいただけなかった。
上野発着特急の編成を単純化する目的はあっただろうが。
JR化以降も首都圏~北陸の通し客はそれなりにいたけど、1往復化されて減少した感じだった。
1往復なのに「L特急」のままは笑えたけどw >>126
>
> 1往復なのに「L特急」のままは笑えたけどw
一往復だけだが、あさま の延長運転という発想で行けば、グループの一員だから、まあいいのでは >>127
それを言うなら大阪〜青森の「白鳥」も、「雷鳥」「いなほ」の延長として
「L特急」になりそうだけどw >>126
57-11で食堂復活は嬉しかったね。在来線電車食堂最後の経験になった
気動車だと61-11ギリギリの北海道になるけれど。
碓氷越えを食堂でコップの水面見ながらというのも良かった。 0系ウエストひかりのビュフェでカレー食った事あったが
ああゆうカジュアルな装いは良かったな
たしか同じ車内にシネマルームがあったかな? >>128
八戸開業直前のころにH編成のやまびこでカフェテリア行ってみたけど棚もコーナー自体も空いてたのが気の毒なくらいだった
そのくらい暇な有様なのでお姉さんに記念写真頼んだら写ってくれたくらいであるが… >>131
エル特急が、いい加減な特急というわけか。
そのエル特急も、今や名古屋発着3愛称だけになったがw >>90
地震による長期不通がなければ新幹線の食堂車はもう少し生き延びていたってことか?
たしかに西のグランドひかりなら品川開業ぐらいまでは営業していてもおかしくなかったな >>135
阪神大震災がなければ、同年3月にダイヤ改正が予定されたので、
0系食堂車はそれを機にあぼーん予定だったろう。 2003年10月改正前までは東海道・山陽新幹線で車内販売員が東京〜博多通し乗務してたな
300系のサービスコーナーは運行途中で商品の入れ替えが出来ず泣く泣くこうなった
現在は車内販売のワゴンごと新大阪で積み替える
もっと遡ったらJR化後暫くは互いに車掌も越境してたみたいである >>135
食堂車だけじゃなくてビュッフェやカフェテリアの営業もどんどん減ってきたからな >>135
1995年の震災は長期不通になっただけでなく、その後の客離れ(飛行機シェア増)のキッカケになったからな。
山陽区間で下げ止まったのが0系ウエストひかりに代わって700系ひかりレイルスターが導入された2000年。
また東京〜山陽間(岡山、広島、山口)の輸送シェアが再度上昇し始めたのが2003年秋の品川駅開業&のぞみ増発。
もちろん震災が無くても新幹線の輸送シェアは減っていただろうから
早かれ遅かれオマケの食堂車や車内販売は淘汰縮小されてたと思うが
もう少しゆっくりだっただろうね。 >>139
東海道区間で高速化が予想以上に早く進んで
ひかりにもあまり運用できなくなって
100系も思った以上に早く東海道で撤退する事態になったからな >>120
583系も西日本地区では営業してなかったけど
雷鳥運用が始まるときに食堂車わざわざ営業再開させたんだよな >>137
当時の山陽新幹線に於けるJDの拠点は新大阪・広島・新博多だった。
但し商品の供給体制が東海道に比べて乏しく、博多ではFSN(←JW)が協力していた。 >>120
「だんらん」時の写真はかろうじてグーグル先生で見つけたけど
ビュッフェはねえ
フイルム写真時代に車内を撮った写真自体が少なかったとしか >>143
グループ利用前提で、しかもグリーン料金が必要だったから、利用しにくかったのがあった。
その時代の国鉄末期〜JR初期は、やたらグループ・団体客用の車両に改造した車両が大半で、
個人客は蚊帳の外のようだった。
カルテットや、サロンエクスプレスや、ユーロライナーなどの欧風客車などなど。
個人客向けで絶賛できたのは、北斗星ロイヤルやソロの登場だった。 そりゃあの辺はお座敷列車からの流れの団体専用列車だからな
和風の奴があるから洋風の奴を作ろうという考えでできた
でも当時なら新幹線の個室グリーンでも良かったんだぞ >>142
逆に当時のFSNは大阪と博多にしか拠点が無く
東京、岡山、広島では地上業務をJDに委託していたな。 >>144
当時の食堂車の写真などを見るとビジネス利用も2人以上での出張が多かった可能性 >>147
アナログの時代は、上司と部下のセットで出張も多かっただろう。
ただ「だんらん」登場の頃の食堂車は、ほぼ東海道・山陽新幹線限定だったが、
>当時の食堂車の写真などを見ると
は新幹線の食堂車でOK? バブル期までは2名出張多かったね
飛行機もスーパーシートが満席になるほど
今は今で貧富拡大でプレミアムクラスがお一人様で満席になるが
一方、東海道新幹線グリーンは隣席に赤の他人が来るから
おいそれとコンプライアンスもあってノートPC開けられない時代 >>146
結局JDが山陽区間からの撤退に伴い、岡山・広島・博多の拠点と業務を全てFSNが継承した訳だな。 JDは新幹線だけじゃなくて新博多がブルトレも担当していたんだよな >>147>>148
昔の植田まさしの4コマ漫画見てると2人出張の描写があるね。 >>151
日本食堂としての末期にブルトレ時代のエースだった門司などの営業所が整理統合され博多へ集約。
JR移行時に九州の在来線部門が独立し、翌1988年の日食本体の分割時に博多では
東海道ブルトレや新幹線東京直通などの部門がJD東海(現JRCP)新博多
山陽新幹線のビュッフェ営業主体でにっしょく西日本(現FSN)博多として再スタート。
JDの新博多は帝国や都の撤退とBTとの合併までは勢力拡大も食堂車の営業縮小とともに減退。
2000年の食堂車営業終了後は>>142のような状態となり2003年に博多から撤退となった。
ちなみに2000年前後に過剰となった博多や広島の人員を東海エリアへ異動させようとしたが
ほとんどの人はそのまま退職。列車食堂ならともかく駅構内や弁当工場で働くなら
わざわざ転勤してまで残ろうとは思わなかったようだ。 上野列車営業所が東海道ブルトレ持ったのっていつから?
バブル時期にバイトで乗務したんだが、食堂車終了時は上野列車営業所だったな
「みずほ」は非営業になる前は仙台営業所持ちだった
「やまびこ」〜「みずほ」(下り)〜「みずほ」(上り)〜「やまびこ」というキツイ行路だったな ここに何年か前に載っていたが、14系の食堂車が食堂+調理室+売店で登場したら
もうちょっと有効活用された気がするね。 >>154
仙台担当はあさかぜだけじゃなかったんだな
東海道ブルトレを仙台が担当するのは国鉄時代ではなかった >>156
70年代前半に自動販売機主体の売店車やセルフサービス式食堂車が研究されてたものの実現しなかったからな
(591系電車を長編成化させた計画図でそれらしい中間車が作図されてる辺り検討はある程度進んでたんだろうけど) 自販機主体の売店車ってフェリーのオートレストランみたいな感じか
一時期E1Maxに弁当の自販機があったけど、割と一瞬で利用停止になってたな
揺れる車内でセルフサービスは危なそうだ スペーシアの売店で売ってる料理はニチレイだから
モノは自販機のものと変わらない
まぁ次世代特急では買えなくなるだろうな トワイライトエクスプレスの朝食は終盤のころは
和洋関係ない朝食メニューになっていたけど
あれはどうだったの? >>163
金サワのかがやき/きらめき専用編成だろ >>162
焼売は業務用で自販機とは別ラインの商品だった
ニチレイのラインナップが炒飯が中華飯になって劣化したのは解せんかったな
炒飯はロングセラーだったのに中華飯になって発売終了 >>160
RP70年12月号の「国鉄車両の今後のあり方」という記事に当時検討した売店車の室内配置載ってるけど
1両の中に48人分のテーブル席+米飯・パン類や飲料ほか8基の販売機と売店を備える形だった辺りオートレストラン的なものだな
(販売機の大まかな品目や何食分を積むといった内容も元記事にはあるが実際に作ったら管理が難しそうではある)
同じ記事に新幹線の将来編成構想図もあるが食堂車もテーブル席32人+カウンター併設と36形とも異なるスタイルで
それと別に車販準備室+自販機+飲食スペースを設けた車両を用意していた辺りはこの時期の考えが垣間見えるかもしれん… >>166
スペーシアの焼売はマルハニチロでメーカーも違う 博多まつかぜの上りにて福知山発車後に
食堂車へ行くと、注文したどのメニューも
品切ればかり、車両の向こう側が煙で
霞んで見えるなんともけだるい空気だった。 >>169
博多まつかぜは日食米子の担当だったね。
全盛期の食材積込拠点は大阪・米子・門司(博多)だったな。
だから上りの福知山付近は営業終了間近だったからメニューの食材も枯渇してたわな。 >>165
1回利用して食ってそれっきりになってしまったな〜
もっと他列車に普及すると思ったのにポシャったな >>161
それと商品供給の煩雑さ(弁当等は日配品扱い)が列車内の自販機衰退に輪を掛けてる >>175
違う。
1960年代にフランスとか西ドイツで、セルフサービスの出始めた。
人材確保が難しくなった日本でも、60年代の終わり〜70年代の初めに
計画されたけど頓挫したものがあるんよ。 >>166
>>168
それは失礼、全メニュー頼んだことなかったから知らなかった
そうか、新しく入った台湾飯はおいしくないのか・・・ >>169-170
食堂車とは直接関係ないが、一度だけ終着間際の上りまつかぜに乗った時、
車内には弁当などの食材のゴミが散乱して、窓枠にゴキブリがウヨウヨしてた惨状を
見た経験を強烈に覚えてる。 小田急ロマンスカー車販のアイスティーを缶で置かれてしまうと
高くても日東森永のサービスが欲しかったんだな 300系が出たころのグリーン車は、機内食のようにトレイに
盛られた軽食があった気がするぞ。
>>167
その頃使い捨て容器ってあんまりなかった気がする。駅そばの持ち込みにも
容器代を取っていた。 >>180
食堂車連結列車では食堂車からの出前もあった >>157
自分が乗務したころは博多あさかぜは上野持ちだった
仙台持ちがみずほの他にあったかは記憶にない >>181
北斗星あたりだと聞いたことがあるが、それ以外はあまり聞いたことがないな。 >>183
グリーン車に専属パーサーの乗務が始まったころの
新幹線食堂車が残っていたわずかな期間だが新幹線でもやってた
個室からはインターホンで食堂車に直接注文できたよ 100系を設計した頃はまだ食堂車が続く前提だったけど
90年代デフレ不況で一気に縮小が進んだよねえ 食堂車無しの100系G編成が作られるようになったきっかけは
景気が良くてグリーン車を増やしたかったからだったけどな >>186
ただカフェテリアとしてビュッフェみたいな形では残していたらからな 早く着くだけの移動手段化は300系が顕著だねぇ
無理やりの軽量化で乗り心地まで下落したから 700→N700でどんどん改善されたがサービスコーナーは復活しなかった >>184
グリーン車の出前サービスは0系から実施している。 >>190
今それあるのだろうかと思ったら車内販売がそうか ある程度の距離を走る優等列車なのに
車内販売やおろか自販機すらない列車すらあるからな でも実際の需要は少ないんだよなあ
大抵は事前に用意するし
あっても買わないのよね
だがしかしないと分かった時の不安だしガッカリもするんだよね
むずかしいわ のぞみとかって乗ってるの?
東京―京都を最近、何度か乗ってるけど、
最近、見かけない気がするんだよな >>191 回想774列車 sage 2017/12/18(月) 18:49:55.01 ID:LmqrKXlV
一等車でボイが給仕してた頃からの伝統かね
先生の生存を確認。
byヒマラヤ山系 部屋をごそごそしたら、300系が走り始めた頃のパンフが出てきたので貼っておく
https://ux.getuploader.com/irohasumikan/download/27 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:669e095291445c5e5f700f06dfd84fd2) >>198
うぷろだURLとかまとめ系サイトURLとかはNGワードなこと多いから注意な >>202
あれを鉄道博物館とか食堂車を再現したところでやればいい 九州ブルトレの朝食営業がバイキングだったのって食堂車営業末期だよね
あの狭い通路でバイキングなんてすれ違いも大変そうだけど
むしろ利用客が少なかったからできたことだったのかな
>>206
フェリーの朝食バイキングがあるぞ >>207
バイキングは90年代始めぐらいまでで
そのあとはチンケな和朝食のみになったな >>208
一時期中華粥が朝食メニューにあったはず 181系ときで営業していた聚楽のメニューに
中華物があったらしいが聚楽って中華の店? >>210
上野駅前の洋食屋とか万世橋付近でホテルやってるとこ 聚楽はもともと巨大大衆食堂
なんでもあるけど高級ではないし、飛び抜けてうまいわけでもない そりゃそうよ
列車内で食堂やってたというのが最大のステータスやもん 九州ブルトレといえば柳井のあなご飯をゲットする為に積み込まれた号車まで行くのが儀式だった
そしてゲット出来ず徳山のり巻き弁当しか手に入らなかった時の敗北感といったらもう >>215
せめて「出雲」末期のように食堂車が残っていたらねえ。
どのスレに乗っていたか忘れたが、14系以降の食堂車はオシ16ベースで
作っていたら、もうちょっとマシな供食体制が残っていたかもってあったけど
そう思うところはあるね。 柳井は富士ぶさのためだけに作っていた幕の内な
徳山のあなご飯も会社自体の廃業で終了 聚楽は伊東とか地道に手広く経営してるね、食堂車もやってたんだ
新幹線の都ホテル帝国ホテルより驚き 聚楽、その流れで200系ビュフェもやってたが、いつまでだったかはよく覚えていない 東北新幹線の一人用個室乗りに行ったとき
元カフェテリアらしきところが手もみ屋に
なってて悲しくなった。 聚楽と聚楽よーの区別がつかなかった当時小学生のオレは、時刻表の上越新幹線のページに並ぶ聚楽の文字に戦慄した >>220
カフェテリアは受付でマッサージ室は4人用個室の区画をつぶしたところにあった >>221
> 聚楽と聚楽よーの区別がつかなかった当時小学生のオレは、時刻表の上越新幹線のページに並ぶ聚楽の文字に戦慄した
そりゃ戦慄だな
オマケに、聚楽、極楽よ〜、もあったろ 電車サシの運転台を本線用に改造し、7両+食堂車+7両にすれば、
「かもめ」「みどり」以外でも分割・併合特急出来たんじゃね?
と今でも思う。 クロ151ならぬクシ151的展望食堂車はいいな
バータイム一杯数千円で展望座席に30分座れるとか銭ゲバ九州ならやりそいか >>226
東京〜長崎・佐世保の583系特急で、そんなのを妄想したな。
編成
BBBGBBB+食+BBBGBBB
食堂車は長崎編成の最後尾に連結したまま長崎へ。
BBBGBBB+食
そんで長崎で食堂車を反対側に連結し直して、上り列車として出発。
食+BBBGBBB
肥前山口で佐世保編成を後部に連結して、改めて東京へ。
BBBGBBB+食+BBBGBBB >>228
東京〜長崎・佐世保だと食堂車2両連結のさくらもあった 0系ひかりは、5号車と13号車をビュフェ、9号車と10号車をグリーン車、
8号車を食堂車にして欲しかったな。
そうすりゃビュフェの客も少しは増え・・・ないな。 >>228
九州夜行が最後まで電車化されなかったのは、合理化で寝台の組み立て
解体が走行中はできなくなってきたのも原因かもね。
むしろ、京阪神-九州間での現実的かも。 キハ82時代の白鳥も直江津で分割併合してたから食堂車2両連結だよね >>232
そもそも583系は基本走行中の寝台組み立て解体はなしでごく一部の列車しかやってなかったし
客車も二段ハネなんだから関係がない >>233
白鳥の場合はどちらかは非連結って訳にも行かなかっただろうからなあ
つばさも二両になったけどこの二つは結局列車自体が別になってるね
かもめだけ長崎編成は食堂車なしになった 滋賀の平和堂、頑張ってるが、如何せん、田舎で客少ない所に
店舗構えて大変でしょうね。
大津駅前、近江八幡駅前、彦根駅前、そして米原駅前。
平和堂も駅前店舗は振るわないね。
草津店(Aスクエアじゃない方)、守山店(駅前の方)も、石山店(駐車場で何か工事が始まったけど建て替えるのかな?)も怪しい感じだし・・・。
まぁ電化製品や衣料品などは、品揃えなんかも考えると、直営より専門店をテナントとして入居させた方がいいかもね。
平和堂米原店の営業、当面継続へ 食料品中心に規模縮小
1/13(土) 23:50配信
京都新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180113-00000083-kyt-bus_all
大手スーパーの平和堂(滋賀県彦根市)は13日までに、2月中に閉店する方針だった
JR米原駅西口の米原店(米原市下多良2丁目)の営業を当面継続すると決めた。
売り場の規模を縮小して食料品中心にするという。
同社によると「米原市や地元住民の要望があったことなどを総合的に判断した」という。
2階の衣料、住宅関連の日用品を1階に集約し、2、3階は閉鎖する。
「今後のあり方は社内で検討する」としている。
同社は、売り上げ減少や土地・建物の賃貸契約満了を理由に昨年3月、同店の閉店方針をテナントなどに説明していた。
しかし、地元住民が7月に「平和堂の存続を求める会」を結成、1300筆を超える署名を同社に提出、平尾道雄市長も存続を要望していた。 >>235
『白鳥』、『つばさ』、長崎・宮崎時代の『かもめ』の食堂車2両連結は、
80系の制御回路反転がキシ80だったからと、分割してからの距離と所要時間も長いからかな。
長崎・佐世保時代の『かもめ』は、分割してからの距離と所要時間が短いし、
要因確保も大変になって来た時期になったから、制御回路反転をキロ改造にして対応したのかな。
でも熊本・大分時代は『みずほ』や、西鹿児島・長崎時代の『はやぶさ』『あかつき』は、
分割後の距離も時間も長いのに食堂車1両連結だったな。
『さくら』は末期的なった頃に食堂車2両の時期はあったが、
もう食堂車は食堂としては >>237
ブルトレの食堂車無し側編成の単独走行区間って食事時間外れてね?
>>238
電車特急は食堂車1+半室ビュフェ1
電車急行は半室ビュフェ×2 >>230
>食堂車2両連結のさくら
その頃はすでに売店と言う名の“空き家”だったw 羽振りが良かった頃の電車急行はビュッフェ二両がグリーン車二両を挟む運用だったが、
山陽〜九州急行だけは、編成の上り方と下り方に分散。
新幹線もビュッフェ二両時代は同様。 東海道線の電車急行時代のメニューってどこかにあるかな? >>241
売店としての食堂車が連結されなくなった後の
富士・さくら・はやぶさは一部の区間のみは車内販売が乗るけど
ほとんどの区間では車内販売すらない事態になったからな >>28
食堂車の供食能力考えたら両方あっても不思議じゃないし
食堂車の採算性の悪さは人件費だから
たとえ完売でも儲かる仕事じゃない
だから食堂車会社はホテル直営から子会社になったところが多かったわけだが まあ人間なんてのは食ったら出さなきゃいけないんだな >>248
末期は、各営業所とも寝台特急以外の食堂車なかったわけだから
スケールメリットも得られなかっただろうね。
>>247
そういう意味ではオシ16のような形が14系の食堂車だったら
供食という意味ではもう少しマシな状況じゃなかったろうか。 下世話な話だが、相川恵理のウエイトレス姿が懐かしいわい。 >>231
36形は27形に機器を分散搭載してたのでそれは無理。 食堂車って指定席が取れなかった客がずっと居座るとかなかったのかな? あった。街の喫茶店みたいにコーヒー一杯で粘るとかね
だから全席指定じゃないとフリースペース設定するのは難しい
(それでさえ居座る人いるし) 爆笑問題が堂々と言ってたな。
ウェイトレスに追い出されたって、当たり前だわ。 座席夜行までの暇つぶしに調味料とか紅生姜で粘ったのも今は昔・・・フォッフォッフォッ >>254
全席指定でも昼行の特急は
立ち席特急券と言うものがあってな…
昔はのよく食堂車の世話になったw 787系つばめにビュッフェがあった頃(JR後の特急では珍しい「サハシ」だった)、出てきたチャーハンが、当時マックが盛んに売り出してたマックチャオ(当時のマックはハンバーガー以外のメニューを盛んに展開していた)と同じものだったことで唖然とした。 >>258
メニューも「〇〇チャオ」となってたのでは? 流石に車内にLPガスボンベを搭載する事が出来ず電熱器を使ってて火力が弱く調理時間短縮のために半分調理した食材を積んでたんだよな
ななつ星とかはIH調理器で火力が大幅に増えたため1から料理を仕込むことが出来るようになった
石炭レンジは北陸トンネル火災事故で懲り懲りになった >>260
ドイツの食堂車にはガスボンベ搭載のものがあったらしい ななつ星で特別企画で料金やすくする分食堂車のメニューを
九州ブルトレのJR化後のメニューやつばめのビュッフェメニューにしたらどうだろうか
例えば
朝食がバイキングや中華粥やミートソースパスタ
夕食がきじ定食やちゃんぽんやチャオなど イネのスイートから食堂車行ってそんな食事出されたら、通常料金払って通常メニューにしときゃ良かったって後悔しそう ななつ星に乗るような客層がそういうものを喜ぶとは思えないなぁ。
そういうのは九州鉄博の企画展でやるくらいしかないのでは? 平成元年頃の東海道ブルトレの朝食時間はバイキングだった
食堂車の売店化まで続いたかは不明だが ななつ星特別企画 懐かしのつばめビュッフェや九州ブルトレの食堂車のメニューを再現して
ななつ星の食堂車で提供
特別企画のため料金は通常のななつ星より大幅に安い料金で提供で
食堂車や売店やビュッフェが懐かしい人や普通のななつ星が確保できない人がターゲット
1日目昼食 なすとひき肉丼+ピリ辛ビーフン(つばめビュッフェ再現)
1日目夕食 カレー+皿うどん(食堂車再現)
2日目朝食 レストランでの朝食(通常のななつ星と同一内容)
2日目昼食 うなぎご飯+シューマイ(ブルトレ売店再現)
2日目夕食 やきラーメン+たこやき(つばめビュッフェ再現)
3日目朝食 中華粥(食堂車再現)
3日目昼食 牛丼+おでん(ブルトレ売店再現)
3日目夕食 きじやき定食+牛肉のたたき(食堂車再現)
4日目朝食 食堂車車内でのバイキング(食堂車再現)
4日目昼食 黒豚チャオ+ミックスピザ(つばめビュッフェ売店の再現だが通常のななつ星のお弁当箱で提供)
ティータイムメニュー ホットケーキとチーズケーキ(つばめビュッフェ再現) ななつ星のラグジュアリーな食堂車でそんなもん食ってたら虚しい気分になりそうだ
安くするったって半額になったとしても40万以上だからねえ
それで3泊4日ビジホかコンビニ程度の食い物で過ごすって誰も得しないと思うよ
客層を悪くするとななつ星のブランドイメージにも傷が付くし >>268
同じツバメならオシ17時代とか再現してらほしい
もしくはビュフェ再現ならオシ16みたいなのか
寿司ビュフェがいいかな
ビュッフェじゃないよ ななつ星の食堂車で復刻企画やるなら、「特別急行列車の食堂車」が相当のステータスだった戦前あたりの時代を復刻しないと客層にも料金にも見合わない気がする
ハネ主体のクルーズトレインでもあれば、戦後〜昭和後半くらいまでの復刻も良いと思うけど >>272
果物が「時価」ってw
高級すし店だと「時価」表記がよくあるが
ただぼったくりの懸念がありそう
東京都は価格表の掲示が条例で義務付けられてる 板さんが同乗して握りたてを出すって四季島でやってるんだよな
3泊4日コースと2泊3日コースの最終日の昼食で
あとカシオペアクルーズでもやってるコースがあった
お好みで握ってくれるわけじゃなくてセットメニューみたいなもんだけど >>268
そういうのやるんだったら肥薩おれんじ鉄道の食堂列車でやったほうが。 九州ブルトレのロビーカーのバーカウンターみたいなのをもう少し活用できなかったのかとは思う >>281
食堂車が売店扱いになってのちに
食堂車の連結を止めた時には車内販売自体が短区間だけ乗るスタイルになったからな
ロビーカーのバーカウンターはあまり活用された感がなかった 瀬戸・あさかぜのラウンジカーも奥にでかい業務用レンジの付いた売店コーナーがあったけど活用されずじまいだったね 一般家庭ではあまり普及してなかった電熱器が食堂車で使われてたのは画期的だな
一般家庭よりも早くオール電化が進んでたといえよう
電子レンジも一般家庭よりも早かった 急行きたぐに火災事故の頃は時代遅れの石炭レンジ使ってた オリエント急行来日の時は本来日本国内で使用できない石炭レンジが特認で使用されたな
防火専任の見張りを付けて特認を得た >>290
石炭ストーブじゃないとシベリア鉄道に通れないからね >>267
新幹線や北斗星などでもバイキングスタイル取り入れても良かった ロイヤルホストは値段が高いが客層がいいから、いつも利用しています。
>暴走族のたまり場になり苦闘
○暴走族、ヤンキーの生息地域
昭和:すかいらーく、コンビニ、学校(校庭をバイクで走り回る)
↓
平成:ドン・キホーテ、ガスト、サイゼリヤ、コンビニ
うちの近くのすかいらーくも若者の溜まり場化してましたね。
若者は集団になると気が大きくなるんだけどモンスターよりはマシだと思いますよ。
有閑マダムのたまり場になっている店にも困るよね
ランチの席の回転が最悪で、店には営業妨害、ほかの客には待ち時間が長すぎて嫌われる
子どもの頃に近所の店に、家族で行ったなぁ
あまり裕福な家庭ではなかったので、たまの贅沢でした
今の子供達は、ボタンを押せばジュースが出てくるけど、昭和の子供達はドリンクバーなんて夢のような機械はなく、
グラスに注がれたジュースを大切に味わって飲んでいたのを思い出しました。あと、専業モンスター軍団も居なかった。良い時代でした。
すかいらーくなー、昼間は大笑いしてるBBAがいて居づらい、夜は珍走団がいて入りづらい。詰んでる
大学の近くのマクドとかに行くと図書館状態になっている。あれは一般の利用客に迷惑だし、営業妨害だよ。
最近の暴走族は金が無いからファミレスなんて行けないよね。昔は裕福だったよ いつも気になるんだけど、揺れる車内でバイキングって大変そうじゃない?
トレイにおかず盛って自席まで持ってかなきゃいけないわけでしょ
カシオペアとか北斗星の食堂車のウェイトレスさんたちガニ股で踏ん張ってたような印象があるんだけど
ところで鉄博の新館にレストランが新設されるそうな
秋葉原の交通博物館みたいに食堂車風になってたりするんだろうか バイキング方式の食堂車をやったのはさくらはやぶさ富士ぐらいだったろ
食堂車末期に朝食でやってみたものの客足がさらに遠のいたようだぞ 客足がどんどん遠退きかけてたところに新機軸を打ち出す&コスト削減を同時にやろうとして、結果的にトドメを刺したってことかもね
北斗星は食堂車でウェイトレスがサーブしてくれるフルサービスの飯を食えるのが売りだったわけで、わざわざバイキングにする理由はないわな
新幹線の食堂車は寝台列車みたいに朝晩の営業時間が限られてるわけでもないから、そもそもバイキングに向かなかったのでは 一度バイキングの朝食を食ったことがあったがすごく取りにくかった。
細かい事はもう忘れたけどたしかテーブルの一席に料理置いてあってセルフサービスで料理よそって自席に戻るはずだった。
揺れてる車内で両側テーブル間の狭い通路1本しかなく複数人の客が行きかうのも無理があった。
それまでの和朝食洋朝食ならウェイトレスが料理を持ってきてくれたからね。 朝食バイキングはビジホのように動かなく、なおかつ通路もゆったり
料理もおけるスペース無いと無理だわな。
狭い乗り物供食というと機内食形が理想と言われるのも仕方ない。
その現状がグランクラスの弁当で。 まぁ、あからさまな経費削減なんだろうからねぇ
末期症状っぽく見えるのも無理はない 東京発夜行の末期症状はその先があった
東京発下り車内での車内販売あぼーん 飲食業届出は車両基地のある自治体で車両単位でやってたな
食中毒やらかしてその車両が使用停止になって編成から抜かれた事例ある? 記録上急行きたぐにの食堂車火災ぐらいしか目立たねえな トワイライトエクスプレスのブレックファーストと
北斗星とカシオペアの洋風皿の和風朝食があまり話題にならないな >>301
非冷房の食堂車だと、夏場に窓を開けてると他車両の便所の飛沫が飛んできたりするから食中毒のリスクは高い
食堂車の冷房化がいち早く進んでたのはそのためらしい 食中毒の原因てそんな分かりやすいことの方が少ねえわ >>304
電子レンジ動かすために大容量のMG積んでてついでに冷房化も出来たしな
サハシ165で料理を普通室側にテイクアウトは衛生上の観点から禁止されてた?
夏にビュッフェに涼みに来る人多かっただろうな >>305
結局は糞便経由の感染が一番多いのかと思ってたんだけど、違うのか?
少なくともそういう分かりやすい原因が容易に想定される環境だったってことでしょ
垂れ流した糞便の飛沫が食堂車の窓から飛び込んでくるんだから
どう考えても衛生的ではないわけで
>>306
そもそも当時のビュッフェって弁当以外の食べ物をテイクアウトできる形で提供してたんだろうか
コーヒーもソーサーに瀬戸物のカップ載せて出してたわけでしょ しまかぜは料理を客席に持ち出さないよう呼びかけられてた >>301
JR化後の九州など鉄道会社直営かつ限定運用の場合はそうだが
基本は食堂車の営業会社が列車ごとに許可を取っていた。 >>301
>>309
鉄道会社は大家で食堂車会社が店子だからね
届出は実際に商売を行う者がする 話題とはあんま関係ないかもしれんけど
トワイライトエクスプレスの食堂車の営業許可証は
平松市長時代の発行のままで終わったな >>296
他のスレによるとバイキングスタイルをやめた後しばらくして
中華粥とイタリアンスタイルを導入したことで一時期和朝食がなかったらしい >>309
列車単位で許可取ってるから新幹線食堂車全盛期は
抑止などで特発が仕立てられた時もその食堂車会社が営業することがあった。
スタッフも少なく食堂車は非営業でビュッフェも飲料売店としてか機能していなかったが。 特発だと食堂車どころか車内販売もないのがフツーじゃない? >>311
飲食業の営業許可の有効期限で6年とか8年とかだから
市長在任が2007年〜2011年だった平松氏時代の許可証のまま終わるのも普通かと 30年前、北斗星やあさかぜの特集記事を見たときは「乗ってみたい」と感じだが、今の四季島やななつ星は何かが違うんだよな
四季島やななつ星は、海外にオリエント急行やロボストレインなどのモデルがあるが、
端的に言えば、JR側が利用客を選んでる感じだな。
北斗星などは、みどりの窓口で寝台券を取れば良い気軽さはあったけど・・
国鉄は民業圧迫をしない観点から、鉄道以外の事業をやってはいけない制約があった。
そのため駅ナカ事業は、国鉄時代はやりたくてもできなかった。
まあそんな制約があった上に、政治的食い物にされていったから、
膨大な赤字が嵩んだ原因だったが・・
国鉄分割民営化がほぼ前提になった最末期に、余剰人員対策で駅そば屋や
大清水トンネルの湧き水を発売したのがやっとだった。 いくつか思いで書くよ
東京に家族旅行旅館は人形町の非冷房で暑かった国鉄指定なのに
料理は普通 交通博物館浅草寺などをまわり帰路の車販でハンバーグ弁当
ほか便スタイルの発泡スチロールに入ってって手でみぐらすそすが凄いうまかった
震災前ののぞみが増える前は山陽区間でも食堂車の炊飯器だけじゃ足りなくて
ビュフェの炊飯器も応援に回してた スーパービュー踊り子のカレーもこっち側の板向けの話題になってしまったか 鉄ピク4月号(通算944号)の153系特集でサハシ153載っているが
当時としてはすごく豪華なビュッフェだな。目の前で寿司を握って出していたなんて・・・
しかも一編成に二両連結!もうあんな車両は出てこないだろうな。 昔ながらの居酒屋は中ジョッキでも普通に500mlくらいあります。最近はどんどんサイズが小さくなってきて、中ジョッキとは言えないものも多い。 昔ながらの居酒屋は中ジョッキでも普通に500mlくらいあります。
最近はどんどんサイズが小さくなってきて、中ジョッキとは言えないものも多い。
生中と呼んでいる「中ジョッキ」にもいろいろなサイズがあります。
店独自で「生中」のサイズを決めています。
以前は、中ジョッキと言えば500mlの店がほとんどでした。
今でも古くからの店は500mlの「生中」を出してくれます。
最近は、435mlが多く用いられています。
容量は435mlですが、実際には泡の部分がありますので、例えば中ジョッキに注いだ時の泡が2割の場合は、ビールの量は約350mlです。
また、多くの店では泡とビールの割合は、メーカー推奨の「3対7」にしています。
この場合のビールの量は約300mlになります。
大ジョッキにも、「700ml(約490ml)」、「800ml(約560ml)」があります。
クリアアサヒの大ジョッキは700mlですから、このサイズで出す店が多いでしょう。
参考までに、記憶している方も多いでしょうが、昔の大ジョッキの容量は、「1000ml(1リットル)」でした。
いまでも大ジョッキが1000mlの店があります。
中ジョッキには、「360ml(約250ml)」、「380ml(約270ml)」、
「400ml(約280ml)」、「435ml(約300ml)」、「500ml(約350ml)」、とあります。
同じ「生中」を注文しても、これだけ出す店によってサイズに差があることが分かります。
店によりサイズにかなりの差があることが分かりました。
参考までに、昭和50年代までは、現在の「大ジョッキ」が「中ジョッキ」、
「中ジョッキ」が「小ジョッキ」で 「大ジョッキ」は今は姿を消した「1000ml」サイズです。
http://tap-biz.jp/tap_cat_100404/tap_cat_100418/1036494
昔と言っても30年ほど前に下町の居酒屋でジョッキの量を計った事がある
中ジョッキというと500mlを連想させるが、ジョッキのサイズであって瓶ビールを注ぐと形によるけど350mlあるかどうかだぞ いくつか思いで書くよ
東京に家族旅行
旅館は人形町の非冷房で暑かった
分割民営化直前の1985年の国鉄指定なのに
料理は普通
交通博物館浅草寺などをまわり帰路の車販でハンバーグ弁当
発泡スチロールに入ってって凄いうまかった
震災前ののぞみが増える前は山陽区間でも食堂車の炊飯器だけじゃ足りなくて
ビュフェの炊飯器も応援に回してた
札幌は一人飯しやすい街だったな
海鮮丼も焼肉も量あってクオリティも高かったなー
ジンギスカンは量そんなに無かったが旨かった
概してソロに優しい街って感じ
それに対して福岡はダメだね
海鮮丼の店は(魚介類がウリの街にも関わらず)少ないし
焼肉店もモツ鍋の店も一人旅の客にやたら冷たいし
高くて量が少ない
福岡はやっぱ遊郭目当てで行く街だと思った >>331
福岡といったら
サバの刺身、サバ茶漬けでしょう
海鮮丼の様に色々な魚を食すのではなく、的を絞らないと
後はちゃんぽん 福岡でモツって言ったら仕事終わって飲みに連れて行かれる店だからな。
福岡転勤で嫌われるのもそれ。体育会系飲み会強制連行が未だある町。 九州の鉄道拠点といえば長らく門司>>>博多だったのに
門司は今や跡形もないほど衰退したな。
にっしょくの門司営業所がなくなったのも30年ほど前か。 こんな環境でよく働いていたな…
新幹線開業後、昭和45年春までは、受け持ちが「編成(注)持ち」でした。のちの「ひかり○号」あるいは「こだま○号」に乗務するという「ダイヤ持ち」の受け持ち方ではなくて、
編成ごとに受ける業者が決まっていたのです。つまり、その編成が動くときは、否応なしに帝国ホテルのチームが乗らなくてはならない。
編成がどう運用されるかでチームの勤務計画が決まるわけで、明日乗務するのかしないのか、一度乗務に入るといつから休みに入るのかが分からない状態でした。
結果として、東京・新大阪間を1往復半は当たり前、「ひどい時」には2往復して富士山を4回見たということも珍しくなかったようです。
特に繁忙期などは、一旦車両基地に入った後でも、国鉄より「帝国さん持ちの編成が臨時で動きます。乗務お願いします。」となって、
3連泊の乗務を終えたコックさんたちがタイムカードを押すところで捕まって戻されたり、女性社員がトイレに逃げ込んでしまい、
その前で食堂チーフが説得するといったりした、笑うに笑えない光景が繰り広げられていました。
「ダイヤ持ち」へと変更され、何時発のどの列車に乗務するのかが予め分かる形になって、初めて勤務計画が固定されました。
http://www.joho-soken.or.jp/posts/3826888/ 昔、駅にはキオスクと駅弁売り場しかなかった。それが今は、「エキナカ」事業が強化され、鉄道会社が経営するコンビニができている。
飲み物は市中価格で売っていますし、弁当は500円で買えます。わざわざ、「高価」な食堂車やブッフェに立ち寄らないですよねという話です。
車内販売のお弁当やドリンクも同じです。
また、新幹線に乗ったら、家族や同僚が揃って食事するという風習めいたものが無くなりました。
それに、鉄道自体が便利になって、乗車時間そのものが短くなっています。日帰り出張で東京に帰るとき、新大阪でビール2本とつまみを買って車内で…
というのは今でもありますよね。昔は、浜松あたりでビールが無くなり、車内販売でもう1本買っていましたが、
新幹線自体がかなりスピードアップしたので、飲み干すのが小田原あたりになってしまいました(笑)。
すぐに着くから、もうお代わりはやめておこうかなとなりますよね。 編成ごとに厨房の使い勝手や食器の配置とか会社の癖でカスタマイズしてたりね。
なら運用者で編成変えるの解る。 >>335
九州ブルトレの一部が博多担当になったからな
まだ完全に上野担当になる前 とき あずさ あいづ
四時間以下の運転時間で需要があったのか?
「第1あずさ」で遅い朝食、「とき」新潟乗換の時間がなく
早い昼食を取った位しか憶えがない グランクラスの半強制的弁当にしても、東京新函館北斗間をマターリ乗り通すとかならともかく、
現在の北陸新幹線の最速便なんかだと飲み食いするのが壊滅的に遅い香具師は平らげる前に金沢着いちゃう可能性だってあるしな。
とてもオプションメニューにまで手を出してる暇はないだろう。
もう列車内で飲食するのは精々サンドイッチやコーヒー、おにぎりやペットボトルのお茶ぐらいで充分なレベルになってしまった。
今はまだ頑固なノスタルジー厨が存在するから一定の需要がある駅弁も、いずれは消えて百貨店などのイベントで
細々と生き延びるのみで、駅ではおやつ程度のメニューしか売らなくなる時代が来るのかも。
そりゃ北海道の長距離特急や飯田線のケツ割れる長時間走行の列車があるようなところでは少なからず需要は残るかもしれないが。 東海道新幹線に乗りながら弁当を食うのが好きなので、
無くさんでおくれ(´・ω・`) 東京駅からこだまに乗って、弁当売りの車販を待ちわびていたが、一向に来ずコーヒーすら飲めず死にそうになったと嘆いた我が母、
私にゃ「当たり前だろそんなもん」と思ったりもするがそこはグッとこらえて…駅ナカ案内に徹した。
まぁ一般的にはそうかもしれんな、特急列車や新幹線列車には車販があって当たり前と思っている、滅多に鉄道を使わない層は多いのだろうな。
だからこそ駅での「車販ないからな覚悟しろよゴルァ」の執拗な放送に繋がるわけで そうか、こだまにはないのね
小1の時分、静岡に行くときに乗った新幹線(だからこだまだったと思うが)で、
アイスクリームを買って食った記憶がある。
人生初の一人旅のおもひで。
食堂車はなくてもしょうがないが、車販はあってほしいなぁ。
風情の一つだと思うのだが。 こだまは通過待ちで駅の売店使うしかないからな、今や。
あれはあれで楽しかったりもするけど。 やはり、かつての東海道新幹線で出会った「スゴクカタイアイスクリーム」のインパクトは忘れ難いな。
今もあるのだろうか、初っ端にスプーンを破壊されてしまい
その後に一時間くらいを要して珍妙な姿ですするしかなかったあのスゴクカタイアイスクリームは スプーンが折れた記憶はないけど、
ガっちゃんみたいにガジガジと齧った記憶があるw >>348
あれは車販の人に言えばもう1本スプーンをもらえる アイスが売り切れて予備のスプーンもなくなってて、代わりをもらえなかったやつはいた。 100円ショップで売ってる
アイス用スプーン携帯するか 新幹線の食堂車は半端じゃないくらい水の量が多く貯め置き出来ないことから名古屋駅と岡山駅で8号車の真下に排水ピットを設けて停車中に排水してた
ビュッフェはどうだったんだ?
在来線は走行中は垂れ流してるがトイレと違い大して汚くないので問題になってない 35は垂れ流しと読んだ記憶が
ピク誌の新幹線特集、確か94年だったかな? >>345
昔は在来線の鈍行でも車内販売がいた時代もあったのにね😢 在来鈍行とか快速、はるか昔だけど大垣あたりの80系とか
福知山線や山陰線の旧客で来たことがあるね 行商のおばちゃんでももし魅力的な商品運んでて頼んだら売ってくれた場合もあった。
なにも魚しか運んでたわけじゃないしな、果物もあったし。 食堂車に積み込む食材を作るセントラルキッチンがあったみたいだな
ファミレスでも調理時間短縮と品質安定化を目的に採用されてる >>345
ただある程度距離以上の列車で車内販売だけじゃなくて
自販機もないと大変だからな >>346
末期の頃は新大阪発着のこだまは車販はもとよりカフェテリアも営業していた
名古屋発着は非営業だった
今から15年くらい前の話だが 風情がカネにならない状態では営利企業は成り立たない。
実用性の優位が列車の外に移った以上、どうにもならんのだよな。
夜に駅を出ても皆閉店済みで飯にありつけず飢えて遭難しかける時代ではないし。 都会はねぇ・・地方都市はひどいもんだよ。駅近くにスーパー・コンビニが無かったり。
朝もそうで、夜行高速バスを朝5時に降ろされた時あまりの寒さに入場券買って駅の待合室入ったし >>364
セントラルキッチンといえば新しく聞こえるが仕出し屋の厨房とか
工場への大量の弁当デリバリー会社の厨房とか昔からあったろ >>368
駅近くにスーパー・コンビニが無いってもう都市とは言えないだろう
大抵は徒歩10分以内にはあるよ 地方の駅前は死に体だったりする
たまたま幹線道路と駅が近いとか、何か理由がない限り >>371
地方都市っていうくらいだから幹線道路の一つくらい通ってるのがデフォじゃないの? 駅から徒歩10分も行けば国道あるさw
雪の中行く気になるか? 寒くて入場券買ったと言ってるのに >>368
昔茅野行ったらマックが19時閉店だったことに衝撃を受けた >>374
あるある。6時くらいで人通り無しになる
車社会ほど駅前は悲惨だね。 JR当時の三沢駅前の店ゼロ感、十和田観光が廃止になる訳だ もともと三沢の市街地は丘の上だしね。
あそこ鉄道現役時もJRと乗り換え通学とかがメインで
三沢市街に用ある人が使う駅じゃなかったな。
今の東口ロータリー、Willerのバスとか来るけどまだマトモに使ってるの見ないw 九州ブルトレの売店営業時代のメニューがあまり話題にならないな 多分誰も趣味的に面白いと思ってなかったと思う。
90年代後半-2000年代でメニュー入手したのは九州787つばめビュフェくらいだよ。 >>381
九州特急の方は知らないが、食堂車が廃止になったことを知らずに乗った
出雲の売店車時代にあたったことがある。レトルトの発泡スチロール入りの
カレーと缶ビールで、帰省風の老夫婦との相席で、何とも言えない
雰囲気が流れていた。 しまかぜの食堂車はキッチンが非常に狭くてレトルト食品を電子レンジで加熱しか出来ないみたいだな
スナックカーも電子レンジで簡易調理だったが利用が低迷した >>379
基本的には車内販売員を兼ねた、Jダイナーの係員が1人で切り盛りしてた。
そのため車内販売に行ってる最中は、食堂車は無人。
メニューは車内販売で積み込んだ弁当や軽食、菓子、飲み物と変わらなかった。
雰囲気は>>382とそんなに変わらない。
営業廃止した食堂車はいかにも侘しく、九州に行く際は新幹線・飛行機優先利用にシフトした。 急行の売店車はどうだったの?ただのキオスク状態?それともレンジでチンレベルの食事はあった? >>390
サハ164のことでない?
2両しかないレア車なうえにサハシと共通運用だったからねえ サシ581は配電盤が入ってるとかで安易に抜き取れず1985年まで残存してたな
晩年は休止中の食堂車がラウンジ代わりに駅で買った弁当広げたりとか出来た? >>392
寝台特急では基本的に車掌の打合せ場所だった。
休止中の食堂車が、ラウンジ代わりに駅で買った弁当広げたりするのは、寝台特急では
ほぼ許容されていた。
昼行で営業休止だった「有明」「しらさぎ」盛岡〜青森時代の「はつかり」は、車販基地も兼ねてたので、
九州ブルトレ食堂車営業終了後の売店営業と同じ感じのような。 雷鳥間合いの北越に1984年に乗った時は、椅子を片付けてて
座れないようにしてたな。自由席あぶれた層に居座られないようにという意味だろうな。 自由席あぶれた層に居座られても特に問題なさそうだけどな
と言うかそれだけ混んでるならスペースの有効活用考えるべき 掃除しやすいように、テーブルの裏面に椅子を引っ掛けて浮かせた状態なw
あと151系以降の食堂車は大体そうだと思うが、
テーブルを窓側へ跳ね上げて、従業員が椅子組んで仮眠床作れるようになっていた。 >>395
モハ180-50「だよねー」
サハ787-200「じゃがね」
サロ481-500「せやせや」 勝手に椅子を床に降ろして座るようなド厚かましさは当時はなかったんだ。
今は、どうだろうな。 てか、そもそも何で外さなかったの?
外すこと自体が面倒だから? >>386
内装は食堂車でメニューは売店営業のものを再現したレストランを作ったいい 北越の話だったら、雷鳥の運用だから外せないってことはあるな。
57-11から60-3の過渡期は白山のサシ489復活とか面白かった。
この時期は経験してないけど、59秋から60春までの間に雷鳥編成から
サシ抜きが始まって欠車編成もあったとか。食堂営業車でも
売店化したのもあったとはしらなかった。
https://ameblo.jp/sasurai-museum/entry-11991185494.html 1984年7月時刻表が出てきたのでUp
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org534832.jpg
白山では早めの夕食を碓氷下りながらコップ傾いてるの確認したり
(撮ったはずだけれど写真見つからない・・)
394で書いた北越は右の5号でした。 >>401
売店化というより、食器が使い捨ての簡易営業化だったような。
同時期「みずほ」も東海道ブルトレの中で唯一そんな営業体制だった。
その時期は、食堂車の動向が危ぶまれたが、60.3でまさかの電車特急食堂車が全廃とは、
思ってもいなかった。 なるほど。 ビュフェカウンターが無いから、買って自分で席に持ってゆくわけじゃなく
オーダーは取りに来てくれるのか。 やや残念メニューとはいえこれも経験してみたかった。 >>404
鉄道博物館のレストランで再現企画をしたらどうだろうか >>391
鉄道図鑑でも売店営業してる写真を見たことがない >>386
あれも上野営業所が担当していたから
食堂車とは同じ >>408
係員は、学生バイトっぽい若い男が多かった。
その人物1人が切り盛りし、調理係やウエイトレス・ウエイターがいなかったから、
営業中の食堂車とは明らかに違った雰囲気が流れていた。
それでも今や寝台特急は壊滅状態で、車販もない昼行特急も多いから、今となっては
あるだけ良かったかもしれないw 図面だけ書かれたサロシ88が登場したら、急行用食堂車は
ビッフェスタイルではなく、立ち席+座席となったのだろうか。 白山のコンビニエンスカーとスーパー雷鳥のラウンジを
再現したお店を出したら売れる気がする それイートインスペースがあるコンビニと大差なくないか
動く列車の中にあるっていう物珍しさがないとどうにもならん気がする 同一人物かどうかしらんが、こういうこと(食堂車メニュー等の再現)簡単に言う奴よくいるけど、
本当にそうだったら交通博物館の「レストランこだま」は普段から大繁盛してたはずだよな
本当に千客万来確信してるんだったら自分ちででもやってみたら?
ツイッターとかでバズればワンチャンあるだろうし 実際売れてるのって鉄博のハチクマライスくらいじゃね? だよなわかってくれるかありがとう
前に「朝食メニューを朝以外に出してどうするんだ」って問い返したら障害者扱いまでされたからな
あれは今思い出しても腹立つ、そいつが食いたいだけのくせして 神田鐵道倶楽部のベロネーズなんて渋谷や上野に日本食堂があった頃の超定番で
東海道新幹線の食堂車でも提供されていたメニューなのに
何故か全然食堂車再現メニュー扱いされないね・・・ ハチクマは賄いであって、客に提供していたわけじゃないからな。 あ、送信しちまった。 カレーライスやハンバーグは
ファミレスがロードサイドにない時代は子供も喜ぶ外食だが
今わざわざ内装だけ似せても頼むかというと難しい。
帝国ホテルのシャリアピンステーキ位なら珍しさで頼むかもな。 ビスタカーのスナックコーナー
琴電りつりん号の売店
七尾線お座敷列車の食堂
東武10系の売店
小田急2000の喫茶室
京成3290の車内販売
戦後だとこの辺がレアケースか。 トワイライトエクスプレスの朝食が途中から特殊な感じになっていた 九州ブルトレの食堂車が一時期仙台担当になっていたのなぜだろうか 博多で担当できない
仙台なら北斗星と抱き合わせ
かねえ
リアルタイムで記事読んだ記憶があるが、理由は書いてなかったかと >>395
おとなしく座ってるだけならいいが大抵そこで物食ったりゴミ出したりするからな
食堂車の清掃は食堂業者持ちで整備会社は手をつけないから
ゴミがそのまま置きっぱなしで残ることになる 元新東京支店勤務バイトだが、
>>425
九州ブルトレの「一部」な。自分の記憶では「みずほ」だけ?
やまびこ〜みずほ〜やまびこ の行路だからきつかったろうな
>>426
基本、北斗星組はやまびこ組とは別行路だった気がする ごめんごめん
いい加減な書き方して
北斗星と九州ブルトレと抱き合わせと書いたのは、食堂車乗務員の集約化、という意味で書いたつもりで、乗務上は当然分離
確か東北新幹線に便乗で上野の営業所に出頭し、点呼してから品川で乗り込みだったかと >>427
非営業の場合は整備会社が清掃すればいいだけじゃん >>413
こだま型食堂、繁盛してなかったの?
割と込んでたイメージだが >>432
店が小さいから混んでるように見えやすいというのもあったけど、
押すな押すなの大繁盛というわけでもなく、別の所で売ってる万カツサンドを選ぶ人も少なくなかった
閉館間際は別としてね >>431
1時間そこらの営業で何買ってたのか気になる。 食堂車に中華鍋持ち込んで本格的な中華料理を提供したという話は無いな
底が丸いのでガス必須な上に専用の五徳が要る NIOEがユーラシア横断した時はワゴンリ食堂車にも
石炭コンロがついていて火力は十分そうだったにもかかわらず
中華料理提供のために中国の食堂車を別途繋いだそうだからな ピザ窯搭載があったらどうなるか
流石に石炭だと防火上問題なので電気窯必須になる 都内で見たワーゲンバスを改造したピザの移動販売車は
ガチのピザ釜で中で薪たいてるっぽかった
でもイタリアのPizzaExpress食堂車も冷凍ピザだったね 成田鉄道の食堂車ミカンと酒くらいしかないとグチられてたらしいが成田エクスプレスにはそれすらないんだよな >>440
一方は成田山参詣、他方は成田空港へ、だから宜しいかと
飛行機乗ったら食べさせてもらえるし、搭乗前にはラウンジもある >>440
N'EXも3年前までは車販あったけどやめちゃったんだよね
成田駅の駅弁屋に至っては15年前に廃業
空港の駅にはNREの駅弁屋はあったりするけど 大学の学食のうどん・そば・ラーメンは冷凍を茹でてたな
調理時間短縮のためである
食堂車も麺類は茹でたの積んでた? りつりん号売店の客数と3290時代の開運号車内販売の客数、どっちが多かったのだろう? 近鉄のスナックカーは列車の揺れで料理を落としたとか結構多かった?
従業員が街中のレストランよりも重労働だったといえる >>443
現在のはなまるうどんも、そうでないか? 宇高連絡船は茹で上げ済みのうどん積んでて伊勢うどんみたいにこしが無かった
冷凍うどんの発売は1974年だが発売当初は売り上げがいまいちだった
https://president.jp/articles/-/25412 冷凍うどんの味バカにしたもんじゃない
茹で済み湯がくだけの立ち食いよりはるかに美味いし >>448
客の食い残しはロスじゃないだろ
売れたんだから うどんって、冷凍した方が美味しくなるんじゃなかったか?
某ガッ○ンでそう言っていた希ガス 瞬間冷凍してるから滅茶苦茶旨いよ
街場のスパゲティ屋も冷凍が多い そいや越後湯沢駅の立ち食いそば屋は
テーブルマークの冷凍麺使用を売りにしてるな
地元に工場があるんだそうだ 食堂車のカレーは具が小さいことに文句を言ってはいけない >>458
戦後の一時期、戦前の食堂車を復旧したのにそんなのがあったような?
ハシのシを小さく表記ヤツ
最終的に普通座席を食堂に戻したが >>459
京都の鉄博にあるスシ28301は、戦前は亜幹線向けの2等食堂合造車スロシ38003だったのが
戦中に輸送力増強のために調理室付き3等車のマハシ(シは小文字)4914に改造されて
戦後は3等食堂合造車のスハシ38102に再改造されて
交通科学博物館に収蔵して食堂営業することになってから全室食堂車に改造されたらしい
なので「スシ28」としての営業走行実績はない 使い道無くなって減価償却期間ぴったしの13年で廃車になったの結構あったな キハ181系の食堂車は15年ももったのか(褒め言葉?) >>462
稼働期間としては、延べ14年足らず。
(昭和43年10月〜昭和57年6月) まつかぜが181系で食堂車付きになると思ったんだけど
大篠津駅で何年も放置されてました。 >>454
いやいや、冷凍することでglutenがどうだのこうだので旨味が増すと。 >464
大篠津駅で留置されていたキサシ180のうち1両が民営化後、米子駅前で、
マニ50と連結されて「トレーンビアホール」という食堂として活用されたのち、
いつの間にかこの食堂もキサシ180もマニ50も姿を消した。 >>464
「まつかぜ」に付けるなら、その前「あさしお」「はまかぜ」で食堂車連結しただろうから甘い判断w >467
キハ80系特急「あさしお」に連結されていた食堂車のメニューはカレーライス程度の
軽食主体で、食器もアルミ製だったという。
とくに舞鶴線・宮津線経由の「あさしお」は天橋立以西は回送列車同然のガラ空きで、
営業成績が振うはずもなく、昭和50年に「あさしお」の食堂車は編成から外された >>468
あの区間ならビュッフェにしてコーヒービールメインにしたほうが良かった 469
キハ80系特急「はまかぜ」の食堂車も特急「おき」との共通運用のために、
食堂車は外されたな >>468
「あさしお」の運転系統は4往復共バラついてたな。
京都〜倉吉、米子の列車は食堂車があっても良かったけど。
>>470
まあそのために1年半、倉吉〜米子を延長してたな。 >471
「あさしお」の食堂車は都ホテル列車食堂が担当していたが、
食器がアルミ食器とは
食堂車廃止間近で利用者も少なかったから、陶器製食器を使うほどでもなかったのだろう >>472
レスアンカーはこうしとけ
と言うか他人がどうしてるか見ろよ
アルミ食器ってアルミ箔の使い捨て皿だろ?
単なる人員削減策、省力化だろ >>473
アルミ箔じゃなくて金属製の皿じゃないの?カレーなら楕円形のやつかな
割れないから楽だけど安っぽく見える
あといくらなんでもレスアンカー程度のことでカリカリしすぎだと思う >>474
それステンレスだよ
別にカリカリはしとらん 常磐線は普通グリーンとも酒自販機か売店置いたほうが儲かると思う やくも、まつかぜのカレーの皿が金属製だった記憶がある。
流石特急だと思ったのは、ソース入れにカレーが入っていた事だ >479
食堂車でカレーライス注文したら、カレールーはソースポット入、ライスは皿というふうに
別々なのは新幹線でも在来線特急でもみんな同じだったね >>478
儲けたほうがいいだろ?
ストロングゼロガンガン売れるぞ 寝台特急「みずほ」の食堂車は利用客の減少などもあり、昭和59年頃から軽食主体の
簡易営業となり、ビュッフェとしての営業となったのち、平成3年には営業休止となり、
食堂車は売店の扱いになっていた。 >>478
まあ常磐線に限らず上野からの北へ向かう路線はそれがステータスだからな
このご時世にE531はクロス車多く設置しているし
横須賀線新車は普通車オールロングみたいだから、地域の違いか >>482
はいこのおじいちゃんの記憶間違いのツッコミどころを挙げて 昔、東海道新幹線こだまで営業休止の食堂車の中に調理場に入れる車両があった
その車両はまだお皿やグラスがあったよ
もっと観察すれば良かったなあ 博多行き0系ひかりの食堂車でサンドイッチを食べたことがあるが、
その時のサンドイッチに挟まれていたチーズは、オレンジ色や緑色のチーズだったが、合成着色料で着色されたチーズが使用されていたのだろう。
車内販売や100系のカフェテリアカーで販売されていたサンドウィッチも同様だった カレーの皿はステンレスでフチに模様が彫ってあって
結構きれいに磨かれていたよ。
85年に無くなる直前、白山のサシで食べた時のは。
勿論ルーは別で自分で掛ける仕様。
当時はデパートの大食堂でもカレーはそう出すような時代だね。 寝台特急富士もカレーはSUSだった
別皿のサラダはガラス製だったよ
カレールーはボンカレーかな >487
東海道・山陽新幹線で食堂車とビュッフェを両方営業していた0系「ひかり」では、ビュッフェの
カレーは皿にルーとライスが盛り付けられていて、メニューにはカレーライス780円などと
書かれていたが、食堂車ではルーとライスは別々でメニューにはビーフカレー900円などと
書かれていたりして、食堂車のカレーの方が値段が高くて高級という感があったな ビュフェはハインツのカレーの缶詰を使ってたんだっけ 490
0系新幹線のビュッフェでは、レトルトカレーを湯せんで温めてるのが丸見えだったな >>486
チェダーチーズはオレンジ色
ブルーチーズはみどり色まじり
新幹線のサンドはハムorローストビーフとチーズ
地方の急行のサンドは、ハムとたまごだったね >493
帝国ホテルでも都ホテルでもハンバーグソースやステーキソースは、
ホテルでは料理長が調理場で手作りで仕込んで作るのに対し、
列車食堂のソースは列車食堂部の工場で機械で作られるため、ホテルの料理の味と列車食堂の料理の味は、
やはり違っていたようだが、都ホテル列車食堂の料理は美味しいという人もいたようだ。 帝国・都共にハンバーグは食べてないけれど、
帝国ホテルのビーフシチューは凄く贅沢感があって美味かったと思ってる
値段もカレーの倍以上はしたはず。 特急「まつかぜ」の食堂車営業は都ホテルが担当していたが、いつの頃からか、
都ホテルから日本食堂米子営業所の担当に変わっていた。
「まつかぜ」の食堂車のクルーは、新大阪・大阪〜米子間で乗務するグループと
米子〜博多間担当のグループが米子駅で交代し、米子からは追加材料の積み込みも
行われていた。 食堂車連結列車では、
日本食堂は「高い・まずい・早く食え」が代名詞だった >>496
山陽新幹線博多開業からだろう。
博多開業前は東京〜九州ブルトレも都ホテルの営業があったが、山陽本線昼行特急全廃で
西日本の食堂車営業列車の再編を余儀なくされた。 >>484
「みずほ」は昭和60年3月改正で、ビュッフェ営業から食堂車営業に戻された点かw 特急やくもの電車化後、山陰地区の食堂車連結特急列車は「まつかぜ1・4号」と
寝台特急「出雲1・4」号のみとなったが、「まつかぜ」の食堂車は全区間で賑わうことはなく、またメニューも欠品が多かったが、「大山おこわ定食」だけは用意されていた。
両列車の食堂車営業成績はやはり「出雲1・4」号の食堂車の方が夕食時間帯にかかることもあってか、「出雲」の方が良かったようだ。 >>500
それな
ウィキペディア先生にも書いてあったし 新幹線0系の食堂車は客席の通路側の壁に窓が新設されるまでは、
客席は落ち着いていて、照明も薄暗いオレンジ色だったが、それがまた高級感を
出していて、スパゲティやカレーなどの軽食でも高級に見えて、日本一豪華な食堂車だった。 懐かし板で30年以上前のことを語れる若輩者がいるらしい。
当時自発的に使えた連中が現在は老齢だということもわからん痴性なんだろう。 新幹線0系の営業休止中の食堂車は解放してほしかったね
まあ、100系の食堂車テーブル席は解放してほしかった
20前以上だけど出張族向けとしてね
打ち合わせもできるし
休止だけど、商売に繋ごうと当時は考えなかったのかね 東アジアで食堂車がまともに繋がれてるのは中国とモンゴルだけ >>513
モンゴルは知らんけど中国の食堂車って
その場にある食材で作れるものを作るみたいに
なんかものすごく弾力的に運用されてる感じ
お品書きがホワイトボードに手書きだし
日本の営業スタイルの統一規格メニューを準備して
その中にあるものは極力切らさないようにしてとか
きっちりやる性分が自滅を生んだような気がする
食堂車に限らず工業分野でもそうなりつつある気がするなあ オシ16やオシ17のメニューを知りたいね
オシ35はまた違うのだろうけど >>514 いつもカレーライスとか豚汁位しかない、時折、メニューのレパートリーが増える、それで構わないというのなら中国方式でOK。シベリア鉄道の食堂車もそんなものだそうで。 その時その土地でたまたま仕入れたものでサッと一品つくるという、おきまりのものしか作らない食堂よりレベルの高い話だと思ったのだが、違うのか? シベリア鉄道はモスクワに向かうにつれメニューが増えるとか書いてあったな 物流のレベルが低いから、その場その場で作れるものを作るしかないんだな
外航貨物船の司厨員とかはそんな感じみたいだね
高級かどうかは別として、料理人のアドリブ力は高くなりそう >>521 中国やシベリアの食堂車だと、殿様商売やっているようなものだから、アドリブなんてそう必要でもない シベリア鉄道に限れば停車駅ごとに買い物できるので
高いしみんな飽きて食堂車を使わなくなる >>523 モスクワからキエフ行く夜行列車乗ったことあるが、駅のホームで乗客相手の物売りはたくさんいるが、ろくなもの売ってないわな。 韓国や北朝鮮の特急列車の食堂車でビール注文したら、生ぬるいビールが出てくるという ロシアあたりは他に補給も選択肢もないから食堂車が必要なのであってな >526
作家の故宮脇俊三氏は、ロシア号に乗った時、食堂車は2両あって1両は外人用、
もう1両は一般ロシア人用とに別れていて、こうした区別は気分の良いものでは
ないと、鉄道誌に書いていた。 ロシアをロシヤって表記する書物
特急あじあに乗りてにはロシヤ人って書いてあったっけ。 >>525
ビールを常温で飲むのは別に珍しくない
常に冷えた状態で出てくる日本の方が珍しい 博多行き0系ひかりの食堂車で作家の故種村直樹氏は竹島紀元氏らと
食事し、その時食べたステーキは肉が若干硬く決して良い味ではなかったが・・・と
鉄道誌に書いていたが、それでも外国の特急列車の食堂車で食べたステーキに
比べれば、美味しい方だったとも書いていた。 >>513
タイはどうよ?中国製の新型夜行列車では、TGVのバー車のようなものか!?
モンゴルは所詮、中国かロシアとの国際列車が営業してるに過ぎないだろう。
中国も高速鉄道延伸で、食堂車連結列車は減少気味だな。
元々絶対数が多いので、中国の食堂車はまだまだ多いけどw 100系の食堂車で富士山期待したら雲かかってがっかりしたお子さんは多いだろう
>>532
モンゴルは国内路線もある。ハンガリー料理のグラーシュがあったり面白いぞ。 >>533
スウェーデン・ノルウェーの食堂車に近いなw ハンガリー&オーストリア料理のグラーシュをパクったモンゴル料理のゴリヤシは、
本家と比較しても味付けや料理としての完成度がかなり劣る代物が目立つ。 夜の大阪行583系雷鳥の食堂車は居酒屋だったな
出張のリーマンがビールや酒がテーブルに並んでいて宴会場みたいだったよ 晩年の特急雷鳥の食堂車は酷いものだった
定食ものには使い捨てのアルミ皿が使用されたり、弁当箱のような容器につめられていたり、
ナイフやフォークは使い捨てのプラスチック製といった、駅弁やコンビニ弁当を
食堂車で高い金払って食べるようなもんだった >>538
え、 60-3直前雷鳥はそうなったの?
白山はちゃんとしてたけどな。 「あさかぜ」や「富士」などの九州ブルトレの食堂車のメニューの関門定食
名前だけ聞いたら、フグやウニなど、関門海峡の美味い海産物のセットだと
思わせるが、幕の内だった こだまとかアルプスで売店車ついてたらハズレ扱いされたのかな? >>540
「さくら」以外の東京〜九州ブルトレが、門司営業所に集約された結果のものだろう。
50.3からJR化まで、夜行列車の食堂車営業は東京発着ブルトレだけだったし。
あと下り列車は関門定食の欠品が多かった?
昭和50年代に東京発「あさかぜ」「富士」に乗って、いずれも関門定食がなかった。 サハシ153のそばや寿司列車のメニューと価格を知りたいね 寝台特急「さくら」の食堂車のメニューの「長崎ちゃんぽん」
価格は1000円と高めだったが、本場のものと比べると具が少ない、スープがあまり
ドロッとしていないなどの声も多かったようだが、この長崎ちゃんぽんは長崎駅の
構内食堂のメニューと同じものが提供されていたという。 >>516
オシ16のメニューは時間帯的にも北斗星のパブタイムに近いような感じのものだったのかな。
ただ、北斗星パブタイムと違って定食類は提供してなかった(というよりできなかった)ような感じがする。 >>547
すしのボリュームはどれくらいかね
まさか一貫でこの値段? >>551
一貫30-50円で握り一人前300円からとなってる。
昭和40年代初期で六倍、後期四倍程度すると現在の物価に近いらしい。 北海道の特急「おおぞら」や「北斗」などの食堂車で提供されていた、
「えぞ定食」や「北海定食」
サケやイカの刺身などの盛り合わせかと思っていたら、サケやイクラの載ったちらし寿司に
みそ汁と漬け物が付いたものだった >>554
それでも在来線昼行特急では最後の食堂車だったので、有り難かった。 北海定食、今ならイクラ鮭の親子弁当が羽田空港で買える時代だけど、
あの頃キシ80で食えるという貴重感だけで嬉しかった。おおとりより空いてたオホーツクで数回ゆったりした。 >>557
昭和にそれ求めちゃいけない。冷凍技術・運送業者犠牲の上に成り立つ
生鮮チルドの全国配送でいまや東京でも旨い海産が食える。
ただ、昭和55-60年ごろのファミレスはガストもサイゼなく割と高めだったし
今よりむしろマズイ。 観光地は地元産でないモノ平気で出す高い旅館もあった。
今はそんな商売したら一発で潰れるが。 青函連絡船の船内食堂のメニューの「海峡ラーメン」500円
みそ味と塩味の二つあったが、生ぬるくて不味いラーメンだったらしい らしい?
体験がないなら書き込まなくてよい
海峡ラーメン、個人的には良好な想い出 新幹線0系の営業中の食堂車の狭い廊下とビュッフェ車の食堂部分はいつも、
カレールーとコーヒーの匂いをミックスしたような匂いが立ちこめていて、
いかにも食堂だなと思わせてくれた。
なお、食堂車かビュッフェのどちらかが営業休止中の時はこの匂いはしていなかった。 >>560
体験がないなら書き込むな、とか何様だよ。独りよがりがしたいなら自分でスレ立ててそっちでやってくれ。 例外は当時、生で観ていはいても
入ることが出来なかった(中学生とかでね)悔しい思い出とかはあるかな >>565
食べさせてもらえなかった体験というのも体験だものね 最近の懐かし板は、スレタイの対象の時代には生まれてもいない、懐かしむことができないガキの書き込みが多すぎるんだよな。
ふた言目には老害としか言えないらしいし。 戦前・戦中とかの話なら本のネタや爺さん婆さんの
思い出ばなし受け売りでも良いが、(マスコミだってそうだ)
昭和後期頃の話題を想像で書くようなのは要らんよな。
老害と言われようと実体験を優先したくない? 早速570みたいなガキが湧いたな。
当時を知らないのが悔しいらしい。 美味しそう
ttps://static.adroute.focas.jp/tmp/bannars/20631/2018/10/11/13/20631_15392305566171.gif >>569
小西了とかね。
アイツ在日チョンのくせに生意気なんだよ。
>>574
マン毛生えてそうなババアだな。 >576
コックが手作りしてたな
車内販売用のサンドイッチも食堂車の調理室で作られていた そうそう、カフェテリアの冷蔵庫で冷やされた固いパンとは別物
ちょっと高くても美味かったね。 >>562
というわけで、体験のない君は懐かし板に相応しくないようなので、懐かし板以外に自分でスレ立ててそっちでやってくれ。
どうやらここは体験者達が懐かしむスレなのでね。 ハムやチーズが旨かったので分割して食ったりしたなあ 新幹線100系のカフェテリアカーは、晩年はサンドイッチと弁当、飲み物と土産物のクッキーや
饅頭くらいしか陳列されてなくて、カフェテリアを営業している夜間の100系「ひかり」、
「こだま」では陳列棚が空っぽになっていることもあったな >>577
東北特急だと食堂車製造のカツサンドを車販してたよ。付け合わせにポテチが付いてたと思うわ。 上野発着だった特急「ひばり」や「はつかり」などの食堂車のメニューには、
「ホタテグラタン」、三陸の魚を使った「魚フライ定食」などがあって、
東京から北へ向かう列車ほどその地方の食材を使った美味そうな料理が多かったな >>586
所得に対しては割高だよね。小学生の頃(S46-51)
デパートの大食堂に家族で行くのもたまの日曜の楽しみだった。
当時でも700-1000円した感じする。今の物価なら2.5-3倍くらいかな。 オイルショック前なら4倍ぐらい、オイルショック後なら2倍ぐらいでちょうど今の値段に合うと思う。 >>577
100系はともかく、0系は車販用のサンドイッチはビュフェで作ってたけどな
泊勤務かつ地上設備がある泊地で翌日早朝の列車であらかじめ数が見込める
場合(休み期間中とか)だと前の夜に作って冷蔵庫に入れておいて翌朝他と一緒に積み込んだ
もちろん社内調製印の日付は翌日 0系35形のビュフェなんかはビュフェというよりもむしろ食堂車に近い性格を有してたからな >590
食堂車営業会社「ビュッフェ東京」は東海道・山陽新幹線0系のビュッフェ営業の他に
食堂車営業も行っていて、食堂車ではビーフステーキ定食や有頭のエビフライ定食など、
高級料理も提供していたな ビュフェとうきょうは避けてた
異論は認めるが味が好みではなかった 確かに昔の新幹線食堂車は営業している感謝も乗っていたねえ。 JR化後、東海道新幹線のビュッフェではたこ焼きが売られていた。
そのたこ焼きはレンジでチンしたものだったが 電子レンジが家庭用であまり普及してない時期に搭載してて当時としては画期的だったともいえる >電子レンジが家庭用であまり普及してない時期
えっ? 70年代じゃあるまいし >>597
だから時系列からしてどの年代を言いたいんだ? 急行でビュッフェが2両付いてた時期もあったな
しかも2両のビュッフェでメニューが違ってたとか
0系もビュッフェが2両あったり食堂車とビュッフェが両方連結されてたこともあった >600
山陽新幹線岡山開業時から0系こだまのビュッフェは5号車と9号車に2両連結され、5号車ビュッフェは軽食主体で食器はスチロール製と紙皿などと簡略化され、
9号車ビュッフェはビーフシチュー定食などを提供し、食器も瀬戸もの皿と
差別化された ビュッフェ2両連結は本来はグリーン車を通り抜けなくてもいいように配慮した結果みたいだが売上低迷で1両に減らされた
車端部の席に乗ってると車内を延々と歩かないと辿り着けないので指定券を買うときに食堂車やビュッフェに近い席を指名する人もいた? >603
金持ちの人、当時の鉄道マニアなんかはしてたかもしれないけど、
あまり金のない人は食堂車やビュッフェで食事せずに駅弁や車内販売の
弁当を買って車内での食事を済ませていたからね。
そこまで指名する人はほとんどいなかったんじゃないかな 特に新幹線の食堂車だと、利用客ってビジネスマンが多かったんじゃないかね
高度成長期からバブル期までは、出張経費なら領収書に書いてあるだけ全額出す会社も多かったんだろう そして指定席取れず立ってた層が食堂に長居して問題になる、と。 京都から乗って食堂車で定食食って新大阪で降りていく客とかな 会社の金で食堂車で延々飲み食いしてくれるならまだマシだろうけど
コーヒー1杯で延々居座られちゃ困るよな 0系新幹線食堂車の客室の車端部の椅子がソファになっている席
あそこは食堂車で長居するにはちょうど良い席だったが、
長居するには酒やビールのあてのおつまみをちょくちょく注文するなどしなければ
長居できなかった。
おつまみやメニューを注文するにもコツがいった 100系は2階建てで1階部分を通路とキッチンに出来て2階のスペースを贅沢に使うことが出来て最高傑作だった
定員が歴代の食堂車で最多だった その代わり、料理をリフトで運ぶ関係で、食器が単体の皿ではなく、
ワンプレートタイプに統一され、見た目のバラエティが無くなった。 寝台特急「あさかぜ」から「出雲1・4号」に転用されたオシ24食堂車「スターダストラウンジ」
奥の方が喫茶店のようにソファとテーブルがあって、「トワイライトエクスプレス」用の
オシ24が登場するまで豪華な食堂車だった (ボク、本や雑誌やWebで見たことあるから知ってるんだよ、凄いでしょ) >>611-612
その100系の二階建て食堂車、数回利用したが贅沢な気分を味わった。
ところで一番奥の席(博多側)は間仕切りでくくられていたような記憶がある。
見間違いだったか? 100系食堂車の奥は車両がたくさん描かれたレリーフの印象ばかりが強いな 誰が経営者だったとしても早晩廃止される運命だったんじゃないかね
食堂車の営業収支は改善しようがなさそうだし そもそも16両固定1323人なんてルールを作ったのはあの葛西。
JR西も500系の構想段階では食堂車の連結も検討してたらしいけど、
東海に「300系と内容を統一しない限り東海道乗り入れはダメ」と横槍を入れられて断念したとか。 500系食堂車構想ってのは初めて聞いた
ダブルデッカーは無理だろうし、あの車両断面形状じゃ片側に通路を設けるのも難しそうな気が
100系のV編成みたいに、西日本受け持ちののぞみはラグジュアリーにする構想だったのかね
300km運転で乗車時間が短縮されるんだから、食堂車の存在意義とは矛盾しそうだけど 東国の人間から言わせてもらうが、程度の低い煽りだな。 最大の勝ち組は最低限”中身のない見た目だけ”で
最大限の利益を勝ち取る愛知の企業だな、東海といいトヨタといい。 つまらん鉄道につまらん車、しかし客は一番集まる。素晴らしい 300系の開発段階の社長は須田さんだし、葛西がなにか言ってたとしても趨勢だろ
高速化するから食堂車なくすのは 利 に適ってるし。あんなの繋げてチマチマ稼ぐ
より100席増やした方がいいに決まってる。駅弁や車販あるしな。メシはその場で食え
トイレ以外、席を動くな家畜どもって東海のスタンスは間違ってない
車両記号、カ700とかウ700Sとかにすればいいのに >>626
リニアできて新幹線に余裕ができたら、グリーン個室復活するかな? のぞみが停まる!
って、大喜びする県民がいると思うぞ。 >>626
その後の車販衰退や駅ナカの隆盛、東のグランクラスを見るに付け
ビジネスの観点としては何等間違ってはいない 鉄道は高速・大量輸送が得意技だからな
東海道新幹線こそ、鉄道の理想型
強いて言えば、あの便数でも慢性的に混んでいるのが問題か >>633
旅情とかそういう情緒的なものとは全く反した存在だね>東海道新幹線
東海道新幹線はぶっちゃけ窓すら要らないと言われてるし >>634
>旅情とかそういう情緒的なものとは全く反した存在だね>東海道新幹線
乗り慣れてるだけだろ そもそも旅情とは高速列車だろうと車窓を眺めるだけでも堪能出来るもの
さて近未来の北陸新幹線全通に際しても食堂車の導入案等はビジネスの面でも最初から有り得ない妄論だ
食堂車の必然性とやらを旅情を要素として強調するならその目的を有する四季島・瑞風・ななつ星や
全国各地のクルーズ・トレインで何故楽しめないのか?
最早鉄屑ヲタクの「一般列車に於ける旅情には食堂車が不可欠云々」なんて時代錯誤な妄論は
世間の誰しからも賛同されない事を精々自覚しろよ クルーズトレインは100万持ってても
抽選に当たらないと乗れないから例外。
まぁ個人的には伊予灘やべるもんた位なら文句ない。 >>639
防音壁とトンネルを見ても旅情は感じんわな。 まあまともな人間のつもりなら板に沿って懐かしい話しろよ。字が読めないのに頑張って煽んなくてもいいからよ。 例え回顧話で有ろうと、過去幾多のレス傾向からでは・・・・
回顧話→現実への不満→非現実な復活論にエスカレート
いつもこの流れを繰り返してるよ
はい論破 >>615
どうも簡易個室的な使い方だったらしいです。
100系の食堂車は2回しか使ったことが無いので、うろ覚えですが。 昔の急行はビュッフェにしか冷房が無くて夏にビュッフェに涼んで長居する乗客もいただろうな
立ち食いなので回転率の低下は問題にならなかった 定員が増えるとすれば、自由席を東日本みたいな
6列シートで1両120人。もはや奴隷車、形式名があれば「ド」 >>649くんは座席に座るより自由席の通路で押し合いへし合いするほうが好きなんだね。 そ言えば昔料飲税とあったなー
1500以上は課税してた。
うな重とか
税金払った気がする。 二千五百円でした。飲み会の時に二千五百円で伝票切って貰った記憶があるなー 0系「ひかり」の食堂車のメニューのビーフステーキやサーロインステーキ定食
税込みで2000円〜3500円してたな 100系デビューの頃、JDのハンバーグ定食が値上がった記憶があるんだけど
トレーに纏まったはまぁ仕方なしとして、味が良くなったとはっきり覚えてる。
「え?新幹線のハンバークこんなに美味かったっけ?」ってツレと話した。
調理機器が進化したのかな・・100系って。 >>654
そのステーキは鉄板で出されてなかった?
1985年頃だったか、鉄道ジャーナルの新幹線特集で編集室の人間何人かで食堂車でメシを食う場面でステーキを注文してたのが居て鉄板で出てた覚えがある
0系食堂車の食器は最初は食堂運営会社問わず統一食器だったのがいつの間にか各社オリジナルな食器が使われるようになってたよね
ステーキ用鉄板食器もそのひとつだったような オリジナル食器は乗務のたびに積み込み積み下ろしをしないといけないから
結構めんどい 伝聞なのか実体験なのかくらい分かるように書いとくれ 最近の懐かし板は、ガキが本やネットや古い時刻表を見て書いてるだけだわな。 覚えている範囲での食堂車の利用は
博多→東京の100系ひかりだけなんだけど、
意外と食いやすそうな物がなくて、
(普通に生姜焼き定食みたいな物が食いたかった)
無駄に高いビーフカツレツセットみたいなのを食わせてもらったなぁ。
今となっては良い思い出やわ
金のかかる息子でゴメンよ 母ちゃん 特急まつかぜ1・4号の食堂車のメニューの「大山おこわ定食」
このメニューは下りまつかぜ1号では米子から材料が積み込まれてから
提供されていたようで、大阪〜米子間で食堂車に行って「大山おこわ定食」を注文しても、
「このメニューは米子から」ということで食べられなかったが、博多発の「まつかぜ4号」の
食堂車では、下関発車後、注文できて食べられた。
前日に米子から翌日分の材料も積み込まれていたか、日本食堂博多営業所では「まつかぜ」の
食堂車のメニューの材料も作られていたのだろうか >>661
僕食堂車では殆どカレーしか食べてないからなぁ。
もっと色々食べておけばよかった。 664
僕は新幹線100系の食堂車でエビフライとライス、サラダ食べたことあるけど
そのエビフライも工場で作られた冷凍物かパン粉着のものを油で揚げただけの
もので、市販のエビフライや飲食店のものと大差なかったよ なんか食堂車の昔の記事で
フルーツ盛り合わせとか写真で見たけど
実物見た事無い >>665
フライは乗務前に地上基地で衣つけるまで仕込みしてるよ
エビにしても白身魚にしても衣付きの業務用を仕入れてるわけじゃない
少なくとも新幹線食堂車はそう 中坊時代、鉄友のH君と乗り鉄に出た帰路、雷鳥のサシで食事した
お金持ちの彼はビーフシチューだったが僕はオレンジジュースしか買えなかった
少しだけ分けてくれたな >>663
おかしいいなあ。
宝塚をでたあたりで、だいせんおこわ定食を食ったことがあるんだけど。
鳥取あたりでカツカレーも食ったな >>669
大阪方の方が利用者は多かったから、上り4号も通常は米子から積み込んでいただろう。
そして前日の上りで食材が余っていれば、下り1号で大阪発車直後でも供されるだろう。
>>663の内容は、日食米子で大山おこわの食材が、相当困窮していた特殊事情があった
かもしれない。
40年程前に運賃・料金高騰で国鉄離れが進んでた時期、食堂車もやる気を感じられない
ことがあったので、それに関連した可能性も否めない。 >>561
>カレールーとコーヒーの匂いをミックスしたような匂いが立ちこめていて、
今でも偶に街のレストランからその匂いがすると当時を思い出して懐かしくなる。
70年代後半、日曜夕方の東京発下りひかり号の食堂車は満席でビュッフェにも
長い行列ができていた。
厨房からの煙がビュッフェの半室客室まで漂っていたのを覚えている。 >>576
コンビニのハムサンドと異なり辛子バターを薄く塗ったものなので上品な味だった。
何故か塩漬けピクルスの半割がサンドイッチに載ってた。 食品の保存技術が進歩したのと反比例して、食堂車が廃れた/プレミアム化したのが、
ある意味なんとも残念。
コンビニや駅ナカでいろんな種類から惣菜や弁当買えば充分なのだけど。 注文するタイミングを間違えて駅に着く前に完食できず食べ残しが多かっただろうな
それこそみんながみんな早食いしないと客層限られてるし回転率が落ちる コンビニ飯の味で満足できるなら構わんけどね。
10年くらい前にあまりの酷さに二度と買うまいと思った弁当
いくらなんでも改善されてるだろうと去年買ったら相変わらずだった。
塩おにぎりくらいしか買う気にならん。 >>674
京都から乗って定食食って新大阪で降りる客もザラにいたから
もちろん客だけでなく提供する側にもスピードは求められる >>678
自席に座る気ないんだろうなw
最低でも到着地まで一時間くらいの所で、優雅に食べたいやね まあザラにはいなかっただろうな
時々いる変な客レベル >>678
そういやかつて食堂車のコックだった宇都宮照信氏もそのような客がいたことを雑誌で言ってたな >>679
優雅に食われるとそれはそれで回転率悪いからあまりありがたくないんだけどな
しかも到着駅の5〜10分ぐらい前に一斉に立ち上がって清算する
粘るやつは東京出発後の営業開始後すぐ席に座って名古屋到着前まで粘る 京都ー新大阪で食堂車で食事とか、時間に追われているようにみえて、実は時間の計算がでかないバカにしか見えないわ。 夜間の東京発姫路行きの0系の「ひかり」は食堂車は営業せず、ビュッフェのみの営業で、
ビュッフェの営業は東京〜新大阪間だけで、新大阪の手前で営業終了していたな 新大阪で十分だと思うけど、
夜間って何時ごろの列車の話しですか? 新幹線の食堂車営業列車って東京博多間だけだと思ってた 博多行ひかり13号が広島までとか岡山行ひかり157号が新大阪までとか
時刻表に書いてあったな食堂車営業(78.10) >686
東京を20時過ぎに出て、23時40分頃姫路に到着する0系「ひかり」は、
ビュッフェしか営業していなかった。
その列車が100系V編成に置き換えられても、食堂車は営業していなかった。 >>687
78年当時、東京博多間は所要時間が約7時間だった。
運行時間が24時までだったから博多行きは東京17時発がリミットなのでそれ以降
の時間帯は広島行きが限度。
当時乗車した145号広島行きが18時発で富士と同時発車していたのは覚えて
いる。 阪神大震災直後、東海道新幹線では暫定ダイヤのため、100系グランドひかりも
食堂車を営業休止していたが、100系G編成のカフェテリアだけは営業していた。
0系の食堂車営業は阪神大震災が発生したと同時に営業終了となったが >>687
0系時代の「ひかり」は、東京〜新大阪の運転でも食堂車はほとんど営業してた。
民営化後に100系G編成が運転開始してから、それが崩れていった。
でも新大阪行きの最終「ひかり」は、シンデレラエクスプレスのCMのため、
X編成運用の間はずっと食堂車営業してた。 X編成の食堂車営業最終日の時レジが撤去されたとか話があったな
グランドひかりのさよなら運転はキッチンを使わず前もって地上で作っておいた食事を重箱に入れて配膳してた プロレス選手のスタンハンセンが食堂車のビールを飲み干したと聞いた 0系の食堂車は1998年辺りまで営業休止扱いで残ってたな
機器構成が通常のユニットと異なるために36形と27形を必ずセットで組み替えなければならず放置されたみたい 食堂車やロザが無いとジャンパや機器の関係で編成が機能しなくなる例は
結構あったな。
80系DCはジャンパの関係でキロ必須だったっけ? そりゃロザやシが無きゃ特急としてのサービスは機能しないと
考えられていた時代に設計された車両だからだな >>696
36形で普通車に改造されたケースも一部にあったけどな >>697
583系がサシに配電盤があるとかで安易に抜くことが出来ず1985年まで残存してた
キハ80は最初キシで引き通しがクロスしてて境にドアの位置が逆転してた >>701
キロは必ずキハ82の次位に連結されてたけどそれも弾き通しの関係? >>702
キロ80が両渡りだったが真ん中に連結するとキロを境にキハの向きが逆転し使い勝手が悪くなった
後年キハ82も両渡り化されてモノクラス編成が可能になった キハ82のデッキ側を両渡りに改造したのは向日町の一部(白鳥の付属編成用)とキロを全廃した末期の北海道くらいだしなまあ >>678
禾重木寸氏の著書に、特急「あいづ」に磐梯熱海から乗って
食堂車でスープ飲んで郡山で降りたって話が載ってた覚えがある。
亀レスですまぬ。 キハ181系では、回路が両渡構造になっていたこともあって、キハ80系のように食堂車連結時は、
必ず2号車がグリーン車、3号車が食堂車といった編成上の制約はなく、11両編成のキハ181系「やくも」は、
食堂車キサシ180が5号車に連結されていた。 >>707
寝台特急や電車特急と同じで、1等客だけでなく2等客にも使いやすい形の
食堂車が編成の真ん中になってきた時代と重なるね。 等級制廃止で1等がグリーンに変わった時期と、食堂車の連結位置の変更時期はほぼ一致するからな。
その頃を境に食堂車の利用対象も優等客偏重から普通車の客にも幅広く・・・というようになっていった。 昭和44年くらいって庶民の中の上くらいの所得が伸びて
特権階級(越えられない壁)庶民 が崩れた時期。
高度成長始まる35年が三等級→二等級だったし世情と合ってるわけだなぁ。 >708
>709
キハ81の車端部に設けられていた売店は、「はつかり」のキハ81普通車の客を
食堂車に行く時以外は、なるべくグリーン車を通らないようにさせるために設けられたのだという。 そういやキハ81の売店も紀勢線転属後は使用されなくなったとか 712
キハ81の売店は「くろしお」に転用後は車販基地として使用されていたようだが、
シャッターが閉められている時もあり、売店営業は行われていなかったようだ。 >714
満鉄あじあ号の食堂車のメニューは当然、中華料理主体だっただろうね。
あじあ号の食堂車のウェイトレスはロシア人だったらしく、メニューには
ロシア料理もあったかも 中華料理主体とはなってないわなあ。これは一品料理のメニューだが、当時の日本国内の高級レストランに似たようなもの。定食で和定食がある。
ロシア料理もなさそうだ。
http://hakubutukantyou.at-ninja.jp/asiashokudousya.html >>19
1970年代の絵本は新幹線の食堂車から富士山や駿河湾見てたのがあったよ
トンネル多い山陽より利用者も多く景色も良い東海道とは思うが
合理化の考えがないから利用者数や時間帯とか考慮しなかったんだろうな
もともと窓が開かないから優等には食堂車があってるわけだし えっ、当時食堂から富士山見えた?
後から通路側窓つけてからじゃない? >>717 >>718
食堂車ではなく35形ビュフェのことを言ってると思うけどな。
当時のビュフェは食堂車に近いような機能も持っててメニューも結構充実してたし、
しかもセルフサービスではなくサービス係による接客体制をとってたからな。 >>719
日本坂トンネルを出て静岡駅を過ぎると興津トンネルまでの間(旧清水市付近)で
進行方向右側で駿河湾越しに富士山が見える区間があります。
でも、じくっり見たいならやはり在来線だな。 >>719
50年前に婆様とカレーを食って、ウエイトレスのおねーさんが
運んでくれた記憶があるんだが。 157系準急「日光」の車内の売店では、流しはなかったものの電子レンジやコンロもあって、
軽食を調理したり、弁当を温めたりして販売提供してたが、やはり対抗する東武DRCの豪華な車内設備には敵わなかった。 >>722
その売店設備も後年のあまぎ・白根では使用されなかったらしい >723
近鉄12200系スナックカーのスナックコーナーの営業も近鉄系の都ホテルが行っていて、名阪特急や阪伊特急などの長距離特急の車内で軽食提供や車内販売を行っていたが、のちにスナックコーナーは営業廃止されて車販基地になったり、12200系は
車体更新工事の際にスナックコーナーが撤去されて座席が設置されたりした。 >>686
そりゃ姫路には地上設備も乗務員の宿泊所もないもの >>723
温泉特急なら温泉まんじゅうでも売ればいいのに >>678 >>682
元業界人だけど
その京都〜新大阪間でのカキフライの話、宇都宮さんの著書以外からは聞いたことないけどね。
もちろんコーヒー客ならいたし、たまにサンドウィッチが出ることがあったけどカキフライは
超の付くレアケースだと思う。また以後それ用に準備したというのが宇都宮さんらしい。
>>685 >>686 >>689
夜の東京〜西明石→姫路便(翌朝の上りにも同区間便)
平成6年12月のダイヤ改正での東京〜博多便1往復を除いて定期運用0系食堂車営業が休止になるまでは
東京〜新大阪間で食堂車営業していたよ。その後の100系置換後はもちろん売店営業のみだったが。
なお下り、上りとも新大阪での材料積み下ろしのため停車時間が4分あったものの、よほどのことがない限り
同編成だったので一部食材を冷蔵庫に置きっぱなしだったことも。
(翌朝、運用が乱れると大変だった…)
>>719 >>720
富士山と駿河湾だから通称・右富士だね。
当時は山側に窓がなかったけど海側なら見える。
なお右富士は窓位置の関係でビュッフェ客からは見ることができない。 混んでるときは通路で待ってる客の身体しか見えないけどな >>727
その西明石→姫路のひかりの0系食堂車時代
時刻表の表記では食堂車のみでビュッフェ営業が無いことになっていたな
ふつうは食堂車、ビュッフェ両方のマークがついていたのに
(臨時列車やこだまはビュッフェ営業のマークのみ) いいトシをしてあれなんですが、小学生頃に2階建て新幹線の食堂車で何か食べた様な記憶があるんですが
これはビュッフェの可能性もありますか?
それともそんなものはなかった?
もしわかる方がいらっしゃれば回答宜しくお願いします 本格的な食堂車は所要時間5時間以上ないと客が付かないよな
新幹線で食堂車が設置されたのは東京〜博多が当初6時間50分掛かってたため
東北本線系統の特急には大抵付いてたが東北新幹線開業で命脈を絶たれた 食堂車は食事する客2回転、飲み物だけの客4回転が最低ラインだからね。
理想は食事客3回転。 自由席代わりに長居する客対策は全車指定席にするしか方法が無い
急行のビュッフェは最初の頃珍しく冷房が付いてたので夏に長時間涼む客が多かった? >>736
ダメではないだろう。
実際日本の定期列車で、食堂車が付いてる列車が現存しないので。 >>737
しまかぜは定期列車だぞ。
まぁ、どうせ「あんなものは食堂車じゃない」と言うのだろうが。 そもそも定期列車という定義はどっから出てきたんだ
クルーズトレインに関しては各専用スレがあるからそっちでやればいいとして
べつにエモーションやら至福みたいなのも食堂車には違いないぜ?
昔の雑誌の手紙での投稿コーナーなんか北斗星運行開始時に
フレンチディナーコースが中心になることに批判的な投稿もあったし
新幹線帝国ホテルのコースディナーに批判的な奴もいた
でも今となってはどれも懐かしいよい思い出として扱われてるよね
お前らが今嫌ってる今を走る食堂車もいずれそうなってくると思ってるんだが 新幹線開業の数年前に東北特急の食堂車は営業停止してただろ
なにが命脈たたれただよ >>740
前年にあたる1981年8月の時刻表あるけど上野から東北方面に行く定期昼行特急は
あいづとひたち以外全部食堂車営業してたよ
ときの食堂車全廃と間違えてないか? 今のJR東日本だったらレジで会計するときにSuicaで決済可能とかしてただろうな
車内販売ではSuicaが使える >>741
その2ヶ月後の10月改正時に「ひばり」の半数が営業休止になった。
「踊り子」誕生と同じ時。
翌年1982年6月の東北新幹線暫定開業時に「やまびこ」廃止「ひばり」削減で、
残った「ひばり」は全列車食堂車になったが、その後11月の上越新幹線開業が近づくと、
485系は改正準備で編成を替えられ、食堂車のない「ひばり」「はつかり」も出現した。
583系は改正前日の11月14日まで営業してたが・・
>>742
クレジットカードもな。
臨時化された「北斗星」の食堂車では、遅まきながら会計でクレジットカードも使えた。 >>744
探したら10月号も出てきた
ひばり1、2、7、8、10、15、17、19、22、28号に食堂車記号ついてないね
何れにせよ>>740は間違ってるって確認できたね >>744
クレカはどうやって通信してたのか気になる
携帯電話回線でクレジット会社のサーバーと通信できればいいが青函トンネル内とか通信できない区間だとインプリンタを使わない限り決済不可能
最近エンボスレスのクレカがあるがインプリンタ使えない >>745
>>740は数か月前と間違ったのかもしれない。
いずれにせよ82年は、食堂車に波乱があった年だった。
東北・上越新幹線開業で、東北方面の特急食堂車が絶滅したが、「白山」は食堂車復活!
また「やくも」が電車化で食堂車が無くなった。今では車販もなしorz >>748
新幹線の開業で在来線特急が大幅に切られる上に、食堂車も衰退するのが常。
1975年3月の新幹線博多開業で、西日本の在来線特急はもっと凄まじかった。 1982年以前はまだ子供で親に乗せてもらっただけ
大学生になりバイト代注ぎ込んで食堂車へ、と思ったのは
雷鳥や復活した白山、あと北海道のキシ80が限界だったな。 「特急白鳥の思い出」780に書いたけど、
気動車特急で、大阪〜青森・上野が併結の時代に、
両方の編成に食堂車があった。
その前に関西発の九州行き気動車特急「かもめ」が、
京都〜長崎・宮崎を併結していた時代も、
両方の編成に食堂車があった。
関西仕立ての列車だから、
帝国ホテルの受け持ちがあったかどうか分からない。
のちに特急列車で食堂車とブッフェの両方がある列車はあったけど、
併結とは言え食堂車が別々に2両ついていたのは、
これらの「白鳥」と「かもめ」だけだったような、私の記憶では。 >>751
キハ82の初期に片側の発着駅が2つあった列車は、分割併合の関係上双方の編成に食堂車があった。
あと「みどり」が大分・佐世保行きで、こちらも両方のに付いてたような・・
特急で食堂車とビュッフェの両方付いてたのは、在来線では東海道・山陽本線の151→181系
しか記憶にない。後に0系新幹線「ひかり」編成もそうなったけど・・ >>751
白鳥運転開始とかもめ82系化は同時だから「その前に」ではないんじゃねえのかい?
>>752
キハ82系みどりは大阪-博多、新大阪−熊本・大分、新大阪−佐世保・大分の時代がありますが
新大阪−熊本・大分の時代の食堂車は熊本編成だけ、新大阪−佐世保・大分の時代は大分編成だけですね >>754
301円以上で遊興飲食税掛かってたんだな
料飲税・特別地方消費税と名前を変えて2000年3月まで存続してた 吉野家の如くみんながみんな早食いしてくれたら回転率が上がって利益が増えるがグループでのんびり談笑しながらだと時間がかかるよな 新幹線食堂車なんて東京名古屋の2時間で2回転がいいとこだからな
ほとんどが富士山見たがって静岡あたりまで粘る 客単価は安くなるけど回転率を高めようとしたのが戦前の和食堂車とか戦後のビュフェ >>760
それでも0系→100系で、よく25年程度もったもんだ。 早食いする乗客もいたのか?
短距離乗車だと早食いしないと駅に着く前に完食できず食べ残しが多発しそう
立ち食い蕎麦も大抵の人は5分で完食する >>763
自由席の客がコーヒーとかビールで粘ることがあった。 営業とは直接関係ないんだけど、オシ14以降で設置されたクルー用の寝台ってどんなもんだったの?
ググってみてもそれらしい画像がヒットしないのよ。 >>766
分からん
寝台車の一部を従業員向けに割り当てた他は分からん >>766
喫煙室を寝台にするのはあったな。
クルーが多かった時期は、食堂車の椅子を寝やすいように並べてもいた。
ウエイトレスは優先的に>>768 だった。 >>766
カシオペア乗ったとき
5号車一番?の位置、何でないのかな?と思ってて通りかかった時、たまたまクルーが出てきたか、入るとこだったのか
開いていて、
三段ベッドが向かい合わせになってるのを見たような…
あれがクルー用の部屋だったんですかね?? 京都駅で「新幹線懐かしの食堂車プレミアムビーフカレー」なるものが食せる。
https://www.jr-cp.co.jp/restaurants/detail/15?before_action=area_list&floor=2&station=7
Jダイナー東海の頃から京都駅でカレー屋を営業している店。 食堂車に漂う独特のにおい、あれは一体なにだったのだろうか。 短区間だけ乗車なのに食堂車を利用して必死になって早食いした人いる?
のんびりしてると乗り過ごしてしまう
調理時間短縮のためにレンジでチンしたり冷凍食品やレトルト食品とか既製品を使ったりしてるの多かったがななつ星in九州とかは1から仕込み可能 G車アテンダントは車販用端末持ってない。
車販カートと一緒のときだけ端末がある 非常ブレーキでワイングラスが倒れたとか食器が落下した事故が起きたことはある? 急停車で缶コーヒーをこぼしたことがある
それ以降、電車に飲物を持込む時は栓ができるものを選ぶようになった 昔の缶コーヒーのロング缶は倒れそうだな
190の缶は安定してるが 陶器の食器だと割れたときの損害が大きいので末期の新幹線0系のビュッフェは紙皿だった
学校の給食みたいにポリカーボネートにすれば頑丈だが環境ホルモンが問題になった 37は排水をポリタンクに溜める仕様だったので水が使えないので使い捨ての紙皿になった
まあ乗って最初にやることはゴミ袋でホースを作って排水口につなぐことだったが ガキ…本で読んだ知識を語る
ジジイ…リアルな思い出を延々と語る
おっさん…子供の頃は親が「号車移動が面倒」「高くてまずい」と言って連れて行ってくれず
大人になったら食堂車無くなっててorz
はい、俺はおっさんです。食堂車体験は「グランドひかり」「トワイライト」「北斗星」だけ。 53歳だけどオッサンじゃなくどっちかと言うとジジィ側になるんかな
1984-86年の在来線昼行食堂車末期に各地でギリギリ食べまくってた
白山の復活が嬉しかったり、北海道じゃ「おおとり」「オホーツク」とか
丁度大学生になってバイトして旅行出来たからなんだけどね。 58歳ですが、やはりおっさんとジジイの間かな?サシ481/489の雷鳥やしらさぎ、
新幹線の0系の食堂車やビュッフェ、100系の二階建ての食堂車。
その100系では贅沢な気分を味わえた。ただ、寝台車の食堂車を利用する機会が無かった。 >>788
俺が大学に入った時に稼働していた食堂車は168とスシ24だけ
18乞食だった俺は何度も乗れなかった。 50代だと結構リッチ(死語)な若者じゃないと
食堂車堪能は厳しかったかもな。
18きっぷ派は土台無理で最低でもワイド周遊券使わないと
遠出は金掛かった。取りやすい閑散期休めるなら
飛行機のスカイメイト利用もあったが。 788です。自分は恵まれてたかも知れないな・・結構遊びにお金使えたほうです。
〜1984年10月某日 「小布施竹風堂にて栗ぜんざい食す。長電2000系で長野へ
白山6号食堂車でカツカレーが夕食、金属の皿がよく磨かれている」
なんてメモがありました。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org582568.jpg
>>789
鳥海は下りは食堂良い時間帯でしたね。高崎→水上で12時代
上りは中途半端なので乗らなかったです。
>>790
100系先行車85年10月デビュー直後、1時間並んで食堂待ったのが忘れられないです。
>>791
少しの世代差で大きく変わる時期かな、と。40代だと小中学生ですしね。
>>792
バイト代を旅行につぎ込めなかったら無理でしたね。スカイメイトは私もお世話になりました。 44歳だが食堂車デビューは小学生
100系の2階建てだった様な
他には出雲の食堂車でコーンスープと他何か1品
小5にはサンドイッチが高過ぎて注文出来なかった思い出 自分は50だけど子供の頃に帰省や旅行でブルトレのオシ14や特急サシ481や581で食べさせて貰った
高校大学になったら興味が機関車、旧客、旧国、ローカルに興味が移って、カメラにレンズにフィルムに金使ったから、周遊券で車中泊、食い物は二の次、立ち食いそばや菓子パンばっかり
それから30年近く経って子供と北斗星のスシ24が最後の食堂車。国鉄の頃の食堂車とは別物だったけど、自分が子供の頃に親にして貰ったことを経験させてあげられて良かった 43歳
西日本民。初食堂車は1983の0系(担当列車が少なかった都H)
中1から単独旅行が許されたが
まだ現役だった九州寝台の食堂車、せっかくあるのに全く利用しなかった
(高い&おいしくない&閑散してて殺風景のイメージ。同世代以上は解るはず)
賑わいを感じる東海幹だけは終焉まで何度も利用
旅で北斗星利用のときは必ず利用
こんなところかな。 みんなの体験談が面白い。
在来で「美味かった」と思ったのはこれが最後
北海道のキシ80
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org582817.jpg
1993年まで残ったブルトレの最後の3年はダメダメ
調理法が変わったのか味は悪くなり、掃除も行き届いてなく
寂しい印象しかないな。ご飯が炊くんじゃなくパック飯になったんだっけ。 子供の頃親に食堂車に連れて行ってもらったというのが羨ましい。
自分は>>787で書いた通り親がねぇ >>800
そこ大事だね。100系2階で初めて食べたのは彼女との京都旅行の帰りだったな。
当時の京都は今みたいな激混みじゃなく、バス一日券も有効に使えた。 >>773
コーヒーとバターにブイヨンにオニオンが混じった感じ
最近どっかのレストランの外でその匂いを嗅いだが0系食堂車の記憶が蘇った。
日曜夕方の東京発ひかり145号だったがサンドウイッチを買いにビュッフェに行ったら
食堂車待ちの行列が37の客室通路まで伸びていて厨房からの煙が客室内に青く
漂っていたのを匂いと共に印象に残っている。 食堂車は・・・
ひかりで洋朝食とこだまのカレーライスにしらさぎのミックスサンドウイッチにジュース
しか経験がない59歳です。 在来線の食堂車で感じたのはデミグラスソースのような匂いかな。
街の洋食屋みたいな匂い。 ビーフシチューの上にカリカリのベーコンチップが載ってた北斗星
思いつかんかった
家に帰ってやってみた 唯一の食堂車体験が越後湯沢から乗った上りはくたか。
スキー帰りの臨時停車だったから54.10以降だが同時期には既に食堂車が無かった筈。
あれは一体… >>806
昭和54年の正月頃ではなかったか?
その時の「はくたか」は、金沢の「しらさぎ」と共通の485系食堂車付き12両編成で、
食堂車も営業してた。 >>808
ゴウサントウで白山と共通運用の間違いじゃね? >>776
100系末期に、京都から名古屋まででなんとかした。
残ってるもんが少なくて飯らしい飯がなかったので、
たしかエビチリとビールかなんかにした。
あの時は、まさかここまで減るとは思ってなかった。 >>809
1979年の新年に、一時的にだけ「はくたか」は食堂車なし489系でなく、食堂車付の485系使用だった。 スレ違いだが、
NHK総合で、明日(4月11日)に「所さん!大変ですよ」で駅弁が扱われる。
https://www4.nhk.or.jp/taihentokoro/ 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青砥6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青砥6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
D清水(東京都葛飾区青砥6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青砥6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青砥6−23−20) >>798
ブルトレの最後は朝食はバイキングじゃ? 一見、リッチっぽい印象もなくはないが、要は手抜きなんだろうなぁ >>815
九州ブルトレのバイキング朝食はJR化直後の87‐89年辺りで最末期(90年代初期)は朝粥になったりしてた
夕食の内容も同じように89年頃から寂しくなり始めてあとは…という感じ そういう意味では北斗星とカシオペアは最後よく持ち直したもんだな
一時期和洋朝食のおかずの食材を共通化してたし 食堂車はこんな程度の若輩
ひかり36,35(1978)
はやぶさオシ24(1990)
ひかり168-3000(199?)
つばめサハシ787(199?)
36は廊下側窓が増設される前だった
憧れの北海道ブルトレや地元の有明サシ481/581は乗る前に無くなってしまった(急行サハシ455は物心つく前) >>819
若輩と言いながら、50歳はいっていそうだな。
大人の休日俱楽部パスで我慢しようw >>821
そもそも現在日本の定期列車に食堂車がない(涙)
あるのはカシオペア、四季島、瑞風、7つ星のクルージング列車、明知鉄道?
特急の車内販売も壊滅状態なのに(涙) 東北エモーション、52席の至福、レールキッチン筑後、おれんじ食堂、四国まんなか千年物語もな ただ、レストラン列車と食堂車は別物な気もしなくはない 供食設備ってことでは広義の食堂車なんだろうけど(だからシを名乗ってる)
不特定多数の来客と来客後に注文を受けて(レンジでチンであっても)調理して会計することの両方を想定していない点で古典的食堂車とは違うよね
北斗星やトワイライトエクスプレスのメニュー予約の時点で萌芽はあったがまさか供食自体が目的化してクルーズトレインみたいに極論すれば出発地に戻ってくるということで遠距離移動手段としての目的が二の次のものしかほぼ残ってないとは
(一応ゆふいんの森が時刻表にビュッフェ記号あるんだっけ?) >>825
「一般列車のエクストラスペース」という古典的な意味での食堂車は現在しまかぜだけ?
「土産屋で売ってるレトルトカレーじゃねーかw」というツッコミもあろうが
おれんじ食堂以降のグルメ列車も沿線のレストランで作っていて車両ではパントリーの役割だけだし。 >>826
予約無しに行って食べられるなら
しまかぜ自体の乗車券がもし旅行商品扱いとかだとちょっと微妙だが
ゆふいんは普通に切符買って乗れる列車のはずだが >>827
「しまかぜ」は通常の乗車券として駅で購入可能。食堂車も予約不要。
ただ、人気列車だけに特に連休の当日購入は不可能に近い。 >>828
しまかぜはカフェ目当てだと乗った後もなあ
自分の経験だとカフェは難波・名古屋発は出発後早々に行列
賢島発は鳥羽までは毎回割と余裕、鳥羽過ぎると混んでくる
京都発は乗ったことがないから知らないけど難波や名古屋発と変わらんだろうな >>827
でもゆふ森はかた焼きそばがなくなって以降は単なる売店だよね
中でコーヒー落としてるレベルでいいなら現美新幹線つうのもあるけど いま、ゆふ森そうなってしまったのか。
787ビュフェは良かったが、もうあのレベルは無理なんだなぁ。
*にちりんシーガイアのが廃止って時に頂いたメニュー
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org586664.jpg >>827
ゆふいんその場で食べられる雰囲気じゃなかったぞ。小田急VSE全盛期と同レベル。
その小田急もGSEではただの車販基地、EXEより酷くなってる。
>>829
しまかぜピーク時間帯外せばそんなに混んでる印象なかったけどな。
むしろオリジナル弁当が主役で一般人は食堂車に見向きもしないのかって思い知らされた。 小田急はVSE導入時に走る喫茶室を復活させたけど、すぐ無くなったの? >>833
カウンターの隣の車両に連結面挟んでテーブルやいすのあるコーナーがなかったっけ 787系のビュッフェは西鹿児島発着のつばめしか使ってない。
今思えばもう少し利用しとくんだった。
薩摩大川−西方間の海岸風景を眺めながら高菜ピラフ(わかめスープ付き)食べたな。 787系「つばめ」ビュッフェと言えば
黒豚チャオファンと地鶏照り焼チャオファン
ビールのツマミに頼んだ鶏の唐揚げや
ソーセージ、そして海老餃子も美味かった。 >>834
すぐとは言わんが、11年後の2016年に廃止されている。
>>835
あれは完全なフリースペース(ブルトレのロビーカーに相当)だからなあ
そもそもキハ72系(1.2.5.6号)にはついてないし。 サシ481
年度製 両数 最終廃車年度
1964 4 1980
1965 10 1983
1968 6 1986
1969 6 1986
1970 3 1986
1972 33 1986。ただし、スシ24への改造車あり
50→508
52→3
1973 12 1986。ただし、スシ24への改造車あり
64→504
67→501
68→502
1974 2 1985。すべてスシ24へ改造
75→502
76→503 サシ489
1971 4 1986。ただし、スシ24への改造車あり
3→1
4→2
1972 4 1986。ただし、スシ24への改造車あり
7→507
1973 2 1985
10→サシ481 81(1978年度)
1974 2 (1978年度にサシ481へ改造)
11→82
12→83→スシ24 506
サシ489 101と102はサシ181からの改造(1972年度改造編入、1986年度廃車)
1966年度 サシ181 102→101
1966年度 サシ181 103→102
サシ181で新製されたのは上の2両と下の2両だけ(1980年度廃車)
1964年度 サシ181 43
1966年度 サシ181 101 サシ581
1967 5 1985
1968 14 1985
1969 2 1985
1970 8 1985
1971 6 1985
キサシ180
1968 2 1980
1969 5 1985
1970 5 1985
1971 1 1985 オシ14
1972 14 うち5両がオシ24 100番台となる
オシ24
1973 5 のちに全車オシ24 700番台となる 電車特急では全区間3時間くらいでも食堂車を営業させていた(雷鳥)
そして、特急の大衆化によるマナー低下が極端すぎた
昔から食堂車で粘って急行料金どころか運賃すら払わない「食堂車キセル」が横行していた
でも、新幹線は食堂車の営業をする必要がないと思っていたのだろうか?
そう考えると、やはり昭和44年に旅客局がまとめた「今後の旅客営業」で"車内サービスは検討する"として放置したツケが一気に噴き出た感じ
※「車内サービス(併食等)のあり方の検討を行い、これらと車両サービス改善との関連を検討する。」原文ママ >>846訂正
電車特急では全区間「4」時間くらいでも食堂車を営業させていた(雷鳥)
すまぬ >>847
「雷鳥」だけでなく、そんな食堂車付き特急は当たり前にあった。
北陸線特急では「しらさぎ」「北越」も同様だった。
「ひばり」「とき」もその分類。「あいづ」「ひたち」「やまばと」「あずさ」も。
新幹線博多開業前はそんな特急の宝庫だった。
上記以外に「はと」「しおじ」、岡山開業前なら「うずしお」も。
また気動車特急で走行距離200キロ以下で、天王寺~白浜の「くろしお」、岡山~松江の「やくも」、
京都~城崎の「あさしお」でも食堂車営業してた。
今ではそんな特急に、食堂車どころか車内販売すらないのがorz そもそもが乗車時間が4時間も5時間も(それ以上も)拘束されれば途中で飯を食う必要がある
なので供食サービスとして食堂車や駅売りの弁当などが必要とされた
スピードアップや長距離を乗りとおす客の減少でそれが必要となくなって消えていくのは必然
新幹線の乗車時間が最長で3時間10分なので食堂車でなくてビュフェでいいんじゃね、となったのもそのため >>850
3-4時間以上の乗車区間は軒並み空路に転移して、鉄道の役割は中距離輸送となったから
供食需要がなくなるのは当然
食堂車は長距離輸送が鉄道によって行われていた時代の設備でしかないからなあ 「今後の旅客営業」にて
食堂車連結基準
日中7時間半以上走る座席特急列車
15時間以上走る寝台特急列車もしくは夜行特急列車
ただし、編成両数の半分程度を切り離す場合は、その切り離す駅までの時間
新幹線は早さと輸送力を重視するため、食堂車は設置しない
半室ビュフェ車連結基準
日中3時間半以上走る座席特急列車
日中5時間以上走る気動車を除く座席急行列車
気動車を除く食堂車を連結しない寝台特急列車もしくは夜行特急列車
寝台車を連結する夜行急行列車
新幹線
と決定していたら、ダダ余りの食堂車は発生しなかった
また、身障者設備付加も求められていたため、合わせて設置していたら変わっていたかも(急行を除く) 新幹線27型(食堂車36型とペア)と37型ビュッフェ車でよかったっけ国鉄時代の身障者対策車両って 昨日、京都鉄道博物館のナシ20でカレー食べてきたのだが、
外の弁当売店の方が売れていた感じ。
食堂車は駅弁に負けたのだと思い知らされた。
ゆふいんの森のビュッフェも主力商品が積み込み弁当だし、
昔の鉄道ジャーナル読むと食堂車廃止直前の「白山」でさえ
ライターが釜めし食ってるからなあ。 この流れでグランクラスの軽食サービスも、いつまで続くのやら… >>855
それが目玉なのに、なくなるならグランクラスなんてガラガラになるだろう。
あんなバカ高い料金で何も付かないなら、飛行機利用にするだろう。
または普通車でも苦にならない所要時間なので、グランクラスの利用理由が無くなる。 >>855
車内販売廃止、削減のついでに縮小してきてるしなあれも
思えば東の車内販売も新青森開業の前後辺りから担当の人数減らしたりで質落ちてたここ10年ではあったけど 飯の内容は縮小だけどドリンクの内容やアメニティはあんま変わらんな
アテンダント付き列車は金沢開業以降増やしてないみたいだから
E5,E7の投入列車が増えた分、席のみグランクラスが増えてる そりゃ静態保存されてる動かない食堂車の中で普通にカレー食っても感動は薄そうだよな
だったら駅弁のほうが雰囲気出る感じがする 酒より飯派にはグランクラスのサービス縮小は悲しいねえ
まだ乗ったこと無かったのに >>859
あそこで売ってる弁当は駅弁ではないんだが 新グランクラス弁当は、写真の内容とは別にご飯がついてくるものと思っていたら
ほんとにあれだけというかご飯の上におかずが乗っかってるんだよね
路線と方向によって寿司飯でちらし寿司風のもあるけど白ご飯のメニューもある
ついでにサービスの方法もグランクラス開始当初は先に食事物を持ってきて
そのあとに希望すればデザートをもってくる分けてサーブする形式だったのが
今は弁当とおかきとパウンドケーキを一度にもって来る 京都の梅小路にナシ20移る前、大阪弁天町時代に入ったけど
淡路屋の駅弁を売ってた時期があった。
閉館決まって調理室は使わなくなって駅弁を持ってきてた。 カレーはともかく豚丼てw
あれはアメリカのBSE騒ぎでメジャーになった食いもんであって食堂車関係ねえ
逆に食堂車メニューとしては見られたものであっても
スパゲティペロネーズみたいに知らん人には伝わらんパターンもあるが せめてハチクマライスとサンドウィッチはお品書きに入れとかなきゃ。 クラブハウスサンドイッチなくなったの?
移転して間もない頃に入った時には食べたんだが
ハチクマライスは本館のカフェテリアのメニューにはある ビーフステーキ定食 2000円
ビーフシチュー定食 1600円
フライ盛り合わせ定食 1700円
うなぎ長焼定食 1700円
ハンバーグ定食 1600円
和定食 1600円
ビーフカレー 850円
カキフライ 900円
スペシャルサンドウィッチ 650円 フライ盛り合わせと鰻が同価格か。
価値観も随分変わったんだな… 食堂車での食事はプライスレスな思い出
といいたいが景色を楽しみつつ舌鼓を打つなんて器用なことは出来なかったよ
どっちか片方に印象が寄ってしまったな >>869
ここ4,5年の値上がりが激しいね
車内で登亭のパックうなぎを使ってた時期があったから
同じ味はそこで食べられるんだが今は一人前3000円くらいする 鰻の蒲焼をあてに一級酒を飲み、三段寝台に潜り込む
昔は鰻は安かったな >>867
あのハチクマライスは本来のハチクマに比べていろいろのせすぎてるんだよな。
まあ、一般の来館者にとっては目玉焼きをのせただけのどんぶり飯では物足りないだろうけど。 >>874
非鉄系の店ではロコモコ丼と称して供される食べ物だよなあ 上田のおかんの実家に行くのに白山も乗ったが、混んでてラウンジまで行ける状態ではなく、そのまま。
画像サンクス。 特急乗車時はエクスプレスアロマカフェを飲むのが楽しみだったのに(´・ω・`)
缶コーヒーでは気分が出ないからせめてコーヒールンバの自販機を置いて欲しい。 寝台特急富士の食堂車でカツカレー食べたけど、カツは車内で揚げてたのかな?
カレーはレトルトだろうけど >>880
揚げたてと作り置きの違いは判るのでは?
>>881
末期だと業務用のレトルトか缶詰では?
食堂車全盛時代だと厨房からカレーの匂いが漂っていたけど。 >>882
日食内製だろ?
業務用買ってくる方が割高だと思うが 末期でなくてもカレーは缶詰だろ
それに1個単位で買うわけじゃなく日食の営業所で営業全列車分(新幹線も)をまとめて調達するんだから仕入値は知れてる
その業務用カレーの缶詰(1缶5〜6人前)をタッパーに開けて湯煎して注文が入ったら出す
1回の営業で1缶単位の数が出ないことが見込まれないようになると1人分単位のレトルトになる
ちなみに新幹線はSANTAのカレーだった 近頃駅前などに乱立してる個店のカレーもレトルトと疑りたくなるような画一化された風味 >>887
基本はジャー積み込みだよ
途中駅や折り返し駅で補充するときもジャーを積む(で、空を下ろす)
米は積んでいるが非常用
そもそも米から飯炊いて供するまで小一時間かかるだろ
かつてのブルトレの朝食用は車内で炊いてたかもしれないが 1993年ころ?の繁忙期の夏前にビュッフェとうきょう博多営業所で3ヶ月ほどバイトしてた経験しか
ないけれど、ごはんは巨大なジャー2個積み込みで、使い切ることなく
捨てることが多かったかな
一回だけ積み込みご飯が無くなりそうになって、車内で炊いたけど
炊いたやつは結局はほとんど捨ててた
カレーもレトルトしか出したことが無い。缶詰は見た気がする。 スパゲッティの麺は湯煎でミートソースはレトルトだろ
ナポリタンはフライパンで炒めていたんだろうな
昔鉄道ジャーナル誌で食堂車の特集を読んだけど、カツサンド用のパンとカツはサシ581車内で調理してたみたいだね
調理師さんも大変な仕事だったんだろう >>889 >>891
そもそも1993年に、まだビュッフェとうきょうは存在してたか?
国鉄民営化前後に、吸収されたような気がするが・・ >>893
77年に乗ったひかり145号の食堂車には行列ができていたので隣のビュッフェとのドアも
開けっ放しだったから厨房からの煙で客室内が煙っていた。
ナポリタンを炒めるオニオンとバターの匂いにコーヒーの香りが交じり合ってたのを
覚えている。 >>893
サシ581なら、今から40年前「はつかり」の列車追跡だったか?
確かウエートレスの1人がサザンオールスターズのファンだったような。 >>896
そうそう
揺れていた方が包丁は優しい、だっけなwhitew ビュフェとうきょうといえば大阪駅のアクティ大丸が開業したときにスパゲティ専門店を出店してたんだよな
ただ時代が早かったのか当時はスパゲティ専門店など流行るはずもなく早々に撤退
それに合わせたわけじゃないだろうがこだまのビュフェのメニューにもスパゲティ(ミートソースのみ)登場した
もちろんスパゲティはレンチン
あとビュフェとうきょうといえば青酸コーラ事件 ブルトレ食堂車のハチクマライスって、食べてみたかったな ハンバーグが載っかってるなんて滅多になかったっていうよね >>903
鉄道博物館のハチクマライスはハンバーグが載ってロコモコ風のもんになってた そりゃお金取るんだから体裁は整えるだろ
明日の大宮公開でも工場の食堂のメニューにあるぞ。おまえら文句いいそうなやつだけど ハチクマライスは当時はベーコンが乗っかていたのが最上級だろ?
その他の従業員はその日の残り物だったんだろうな
都ホテルとか日食は賄いは豪華の賄いだったんじゃないの その昔、テレビで紹介されていたハチクマライスはハムエッグ乗せ丼飯にみそ汁と香の物だった。
さくら号の乗務員を追いかけたドキュメンタリー番組で、いまでもこっそり動画サイトに上がってる。 >>908
しかし山陽本線は、昭和40年頃から特急に自由席があったけど、それはどうなんだろう?
「しおじ」は初期の頃から自由席があって、そのままエル特急に移行していった。
また九州に乗り入れていた「みどり」「なは」「日向」も自由席があり、これら全特急に食堂車はあったけど。 >>911
その頃は多客期には全車指定席にしていたので、自由席に溢れた避難民に粘られることもなかったのでは。
岡山発着のエル特急になっていた「つばめ」もお盆休みは全車指定席だったから。 >>911 新幹線も自由席と食堂車両方繋げてたしね。70年代後半以降、在来線特急乗客の平均乗車時間が短くなってきたからなんでは?
この頃から飛行機との競争が激しくなり、北海道行くために、青森まで乗りとおす客は少なくなる。
70年代前半だが、特急しなのは電車化されスピードアップされたときに、食堂車廃止 4時間〜6時間以上、乗り続ける乗客が相当いないと、食堂車はやっていけないんじゃないかなあ。
40年代の山陽本線だったら、大阪ないし岡山から博多まで4〜6時間以上かけて乗車する客が相当数いたのだろう。しかし、70年代後半の東北本線となると、青森行き特急であっても福島や仙台など途中で下車する客が多い。仙台以北に大都市ないからね。 >>912
一理あるが、等級制廃止前後はそんな施策がされてなかった。
ただ当時、そんな客は急行に乗っていたか?
急行も昭和40年半ばまで食堂車連結列車があったけど、自由席からあふれて粘る客層はいなかったか?
>>913
新幹線は岡山開業時はビュッフェだけだよ!急行電車と同じ。
食堂車連結は、博多開業の半年前。
それに「しなの」電車化と、北海道連絡を同列は支離滅裂!
北海道連絡の客が激減したのは、76年国鉄大幅値上げ後。 鳥塚氏の話に出る時代だと、白山から外されたのが運用の都合とはいえ
非常に残念だった頃。 57-11で復活して嬉しかったね。
上野-長野間乗車のときでもあさまじゃなくこっちで食べたことがある。 乞食客が理由としてよく言われるが
繁忙期には確実に居たが全国通年居たとは思えず
食堂需要自体があるなら規制の方向とるだろ 「地方ローカル線は地域輸送をあきらめて遊園地の乗り物に徹すべき」とか主張するやつの
言うことだから話半分で >>920
>>922
レス913、915ですが同感。
昭和30年代〜40年代にかけてビュッフェ営業している急行列車があったが、鳥塚の説だと、その当時、自由席の客に粘られてたんでは、何故、その頃に急行ビュッフェを休業、廃止させなかったんだろうな?と疑問を抱く。
特急食堂車縮小の理由として、他には人件費高騰も。 >>918
山陽特急に自由席が連結された頃は等級制廃止前後ではないろ
訳分からん
狂ってんの? >>923
急行ビュッフェの全廃は、鳥塚氏が食堂車でバイトした同年だった。
ビュッフェは半室で、デッキや座席車に抜けやすい構造で、粘りづらかった。
営業全廃後がかえって自由席から溢れた客の巣窟になっていた。
その1976年は小規模なダイヤ改正などで、列車設備にかなり変化があった。
食堂車に影響あったのが
3月:北海道連絡以外の日中の全車指定席の特急に自由席を設置。
7月:向日町の「雷鳥」「北越」「はくたか」1両増結。
10月:「富士」「はやぶさ」「出雲」二段寝台化
11月:国鉄運賃・料金大幅値上げ。急行ビュッフェ全廃。 せっかくだからマジレスしとくと乞食客そのものが問題なのじゃなくて乞食客が粘ることによって
一般客が食事にありつけないまたは逃げることが問題なのであってこれは食堂従業員が追い立てればいいこと
現に新幹線食堂では「お客さん、並んで待ってられる方がいるので…」と普通に声をかけていた
もっとも列車食堂は街の食堂みたく食ったらすぐ出ていく、というわけではなく
大概皆ケツは重かったが(東京発車後食堂に来た奴はたいてい富士山見るまで粘る。この間約1時間)
大きな理由は営業内容のわりにかかわる人間が多すぎたこと
鳥塚の例でいうとたとえ白山3往復で最低8チームはいる(6時間半ともなると折り返し乗務は不可能)
コック3人ホール3人でもこれだけで50人近く必要になる
それ以外にもセントラルキッチンから駅や基地へ食材を運ぶトラックの運転手とかその駅や基地から
列車に積み込み終着駅で下ろす台車のおっちゃんとか見えない人たちもいるし >>914
鉄ピクの70年12月号にあった今後の国鉄車両に関する記事に591系を元にした新型特急車の図が載ってるけど
それには概略程度とはいえ中間車に食堂車らしいもの(同記事中にあったセルフ式食堂車の配置に酷似)があった
結局このままの形で量産に移ることなく381系になったからいいが実現してたらあんま想像したくないな… Fastech360Sにもビュッフェカウンターの試作区画があったんだよね >>927
新幹線食堂車は側廊下式で食堂が仕切られて、声をかけやすかったのはある。
在来線の食堂車はテーブルとテーブルの間が通路なので少々厄介だったが、
末期の「北斗星」朝食やパブタイムは、そのように声をかけてたようだった。
あと「白山」3往復なら6チームでなくて?
折返しで日帰り乗務は不可でも、2日間で同じチーム数の論理になる。
当時「つばさ」「いなほ」も類似の乗務パターンだったような。
本来それらの列車に食堂車の必要性があったけど、乗務効率なら「ひばり」「雷鳥」の方が良かったか? 鉄ピク2018年4月(944号)153系特集ではグリーン車を2両のサハシ153でサンドイッチして
(片方は方向転換してビュッフェ側がグリーン車に向くように)グリーン車客優先を醸し出していた。
新幹線も食堂車を2両のグリーン車でサンドイッチしていたら乞食客が入りにくかったのでは? >>930
「白山」3往復で6チームだと休みなしかよ、って話だろ
実際は他の列車と組み合わせて乗務行路組んでたはずだが >>894
1993年4月にジェイダイナー東海に吸収合併されたようだね。>>889は 1992年のことだったようだ JR東 車内販売コーヒー終了だってさ
乗ったら必ず車内で買ってたけどビュッフェ・食堂車が終了し、こんどは車内販売か
時代の流れは速いね 他の雑貨は販売継続するみたいだし
粗利はコーヒーが一番いい(原価数十円)ので
理由は他にある(車内で淹れることとか)んじゃないか >>935
車販準備室で作っていなかったか?
それがいらなくなるし、駅ナカで買ってくれということだろう。
でもさあ、荷物が多いと溢れやすいので、車内で買いたいね。 >>937
車内では淹れてない
ドリップ済みの奴をポットに詰めて積み込むだけ それこそ車販準備室の機器なんてここ10年20年の車両は冷蔵庫以外どれだけ使ったかも怪しい感じはする
まあ今後の新幹線や特急型ではその分のスペースさえ客室の一部か荷物置き場にでもするんだろうか >>938
確かに最初のポットは地上で淹れて詰めたものを持ち込んでるが
売り切ったら終了、ではなく追加用に車販準備室でも淹れてるはず(コーヒーメーカーもある)
なので今回の販売終了はその辺の事情が大きいのでは、ということ
たとえばコーヒーメーカーを撤去するためとか、当然使用する水(タンクの)は「飲料水」扱いなので
いろいろ手間がかかって止めたいとか >>936
原価は大事だよ
缶やペット入りの飲料なんて1本の粗利なんてせいぜい100円行くかどうかのところ
コーヒーだと倍以上になるし
しかも容器入りの飲料が100本売れることなんてまずない
車販のお姉ちゃんやその他会社の人件費と利益を支えてるのはコーヒー(と自社弁当)とは
よく言われた 東京駅から東海道線グリーン車に乗ったとき、車販準備室からコーヒーのいい匂いがしてたから、そこでドリップしていると思った
あと準備室にはドリンクやビールアルコール飲料を入れる冷蔵ケースはあるよね 晩年の夜上り0系こだまのビュッフェは自由席に溢れた、
出張帰りのリーマンで車内に入るとヤニと酒とつまみの匂いで充満していたね
そこでスタッフが補充のコーヒーを淹れたら、いい臭いとは言えない状況だったよ 昼行特急の食堂車が廃止になって、スケールメリットが
薄れるわけだから、食堂車の必要性があった夜行寝台でも
維持できなくなったのは、必然だったんだろうね。 >>945
寝台特急の食堂車縮小は早かった。
583系寝台特急は当初全列車営業してたが、営業時間・営業効率の悪さで段階的に営業休止。
客車も二段寝台の25型は、B寝台の定員減で食堂車は造られなかった。
そして1975年3月改正で寝台特急の食堂車営業は、東京発着の東海道ブルートレイン7往復だけになった。 ブルトレは東京発九州行きじゃないと夕食時間帯が稼げないからね。 583のサシ、サロは昼行の為に繋いでたようなもんだしな
列車がどんどん速くなって、食事の時間に合わなくなるんだからしょうがない
のぞみの食堂車なしも表向きの理由はそれだしな >>947
「日本海」もそれに負けない時間・距離だったが、車両運用の悲劇で外された。
青函トンネル開通・函館延長で当初食堂車復活予定だったが、トワイライトエクスプレス新設で見送り。 特急サシは給電区分の関係で残っていたパターンかと
自身が電力の大需要家でMG持っていたしね
他車で対応出来るように改造されてようやく外せた
急行型は長モトのアルプス用サハシが冷房電源の都合で他区の急行廃止余剰車のMG付クハ165で置き換えられたって過去スレで聞いた覚えが >>950
サシ581がそれで、サシ181・481は関係なかったことでいい? >>952
それもあったけど、「白山」の食堂車を無くしたのはM車比率を多くしたな。 >>951
181系ときがサシを外した時は同時に老朽化が激しかったモロをサロ481に置き換えた
けどMGが付いてた気がする。 >>954
181系がサロ481とはどういう事?外見上は確かにそれだったがw
サロに置換えた際に、システムがサロ481と同一なら、サシ481でも同じ事言えないか?
でも485系は後にも先にもサシ481無しの編成は多かったけど。 たぶん53.10で車両交換したグループだろ
でも、サロ481としては投入されておらず、サロ181-1000番台だ
1001 元サロ181-101
1051〜1053 元サロ481-26〜28
1101〜1106 新製。のちにサロ481-1501〜となる<MG・CP付>
なので、必ず1001か1050番台は1100番台とセットで連結される >>956
サロ181-1101〜1106
製造終了から9年ぶりに181系が新造されたと当時の鉄オタの間で話題になったやつ
ですね。 盛岡-青森の583系特急はつかりのサシ581は当初連結していたけど、後にサシ581は減車されていたね >>951
181と481、581はシステムが違う。481と581は補助電源用の配電盤がサシにあって
それがあったからサシを簡単に抜けなかった。それをサロやサハに移設した
381や485、183の1000番台は3MG化してて、他もやろうってことでサハやサロに
MG積んでた頃だから181用のサロも先を見越して481車体にMG、CP積んだ。
結局短編成化でただのクハになったけど
>>956
両数みればわかるけど1100同士はあった。元々485の3MG化用だから181なら
というか、12両編成なら中間のMGいらないんだよな。CPはともかくMGは使ってたんだろうか >>959
お前181系と183系を混合しているだろ
出直せ
181系にも冗長性確保のため3MG・3CP化されているんだよ
485系は1976年(489系は1978/1979年)から3相切替スイッチがサロ481(サロ489) 1000番台にも取り付けられるようになった
のちに583系同様MMユニットにも設置工事が行われたけどな 181が1100番台を組み込んだ時に3MG化してたならそれでいいよ。それは知らなかったから聞いただけで
別に混同はしてないだろ
しかしなんで喧嘩腰なのかわからん >>956訂正
1001 元サロ181-101 ←こいつだけサロ180(サロ180-1001)
>>961
あまりにも知ったかでウソを書くから喧嘩を売っているのだろ?
正直に言え どこがシッタカで、どこを混同してるのかいえよ。気持ち悪い奴 >181と481、581はシステムが違う。481と581は補助電源用の配電盤がサシにあってそれがあったからサシを簡単に抜けなかった。
>それをサロやサハに移設した381や485、183の1000番台は3MG化してて、他もやろうってことで
>サハやサロにMG積んでた頃だから181用のサロも先を見越して481車体にMG、CP積んだ。
>結局短編成化でただのクハになったけど
注記なき場合は中間MG追加の冗長性3MG化
381系にサシなし。非冗長性3MG化(4両用)
しなのは9両で4両用MGが3つなので、1つ壊れたら1両分供給できない
481系と485系を完全に混合している
189系設計でサシが連結されない、またMG共通化でのコスパを行うことで3MG化
しかし48豪雪で181系ときに故障運休続出で国会で議論される羽目に。さらにこの時の首相はあの新潟の田中角栄
すぐさま181系とき置換用電車が作られ、189系設計をほぼそのまま押し込んだ183系1000番台落成
そのあと、189系(1975.5)→485系(1975.9「つばさ」が最初)で冗長性が評価され、サシ追い出しの加速した53.10に合わせて489系・483系・181系にも波及
おそらくだけど鹿児島へ追い出された481系MMユニットだけの編成で3MG化されたものはない
>両数みればわかるけど1100同士はあった。元々485の3MG化用だから181なら
>というか、12両編成なら中間のMGいらないんだよな。CPはともかくMGは使ってたんだろうか
ぽかーん
冗長性3MG化
78年度後半に新潟151系のモロ3組をモハへ格下げ改造し、状態の悪いモハユニットを3組廃車にして、そして余剰車両で1編成組むまで、サロ181-1100番台が2両組み込まれた編成は検査時だけと思われる
53.10時点で新潟181系の、所要3本、組成済4本、改造・廃車待1本分+α
181系とき廃止の改正を待たずに、サロ181-1100番台の2両はサロ481-1502/1503へ改造されて青森へ行ってしまい、廃止後から同年度中に残り4両も後を追いかけた
MGの容積が違うではないか→便所の汚物処理装置と利用率の関係 3MGについて言及していない581・583系まで書いてやる義理はない 100系がカフェテリアになったのは自由席乞食が原因と明言されてるが、
それを認めるとしても37タイプビュッフェにすればよかったのにと思う。
こだまの37形ビュッフェはかなり遅くまで営業してたのに100系こだまのカフェテリアは
ワゴン商材を並べるだけ(実際ひかり晩年はそうだった)なのになぜか営業しなかった。 >>969
下からホームをのぞき込むおっちゃんたちがいたら不味いでしょう。
それはそうと、こだまで東京から新大阪まで乗り通す人って、
居なかったんでしょうね。だから車内で売っても売れ残りが
でやすかったのでしょうし、0系時代でも早々にビッフェが
1両になったのでしょう。
カフェテリアですが登場した頃はなかなか凝ったものを売ってましたな。
景気の後退とともに、だんだん質が落ちてきた感はありました。 確かにこだまには東京から新大阪まで乗りとおす人は少なかった
が、客が入れ替わるのでこと車内販売のコーヒーに関してはひかりより売上げがよかったりした 逆に、「寝台快速」ってな扱いで
寝台料金と普通運賃だけ取る長距離&長時間運転の列車を作り
食堂車を連結すれば、需要があるかも知れない。
寝台だって、高速で運転して揺れて寝心地が悪いより
狭い日本、多少は時間がかかってもゆっくりとしたペースで揺れも少ない列車・・・・良いと思うけどな。 乗りたいと思うやつは山ほどいるだろうが商売にはならんだろうな
>狭い日本、多少は時間がかかってもゆっくりとしたペースで揺れも少ない列車
これに豪華なツアーと商売になるようにたっかい料金をセットした奴は3つばかしできたろ 乗るのに普通乗車券が必要な夜行快速なんて需要がない たぶん○契のきっぷでしか乗れない団体列車をご所望じゃないか? それ供食スペースもないやん
せいぜいラウンジでお弁当食べるくらいでしょ 鉄道ジャーナルのバックナンバー読んでると
食堂車を滅ぼしたのは駅弁だとよくわかる
食堂車廃止直前の白山で釜めし食う筆者w >>982
その駅弁もコンビニやもの食わない人たちに駆逐されたかと思うと
因果なものである >>983
種村は同号の別記事で食堂車そのものを取材していた >食堂車を滅ぼしたのは駅弁だとよくわかる
それはない
そもそも定員に対し食堂車が供食できる人数は知れている >>986
だな。
食堂車なんぞ金持ちが使うもんで、一般庶民はせいぜい駅弁、さらに一般的には手持ちの弁当(にぎり飯程度)が普通だったろうに。
食堂車が大衆化して、ファミレス、マック、フードコートなんかと勘違いする輩が利用するようになった方が、衰退の理由としては納得できる。
まあ、高速化、短距離化が一番の理由であるのは言うまでもないが。 食堂車を全車指定席の列車のみにしないと、
自由席に座れない奴が居座るからな
自由席のある列車に食堂車を設けたのが失敗 >>988
順序が逆。全車指定席で食堂車付きの特急が、国鉄の特急大衆化で自由席が設けられるようになった。
当初から自由席と食堂車もあった特急は少数。 サハシ153の寿司コーナーは食中毒が出なかったことは奇跡だね
メニューはどんな寿司メニューだったの? 本物の寿司職人が握ってたと聞いた。
だから食中毒も発生しなかったんじゃないか? ビュッフェが冷房化されてて窓が開かなかったのと冷蔵ネタケースのお陰 閉店しましたが、
静岡県静岡市清水区のつばめ鮨で、
ビュフェで寿司を握っていた方がお店を営業されていました。
検索すれば少し情報が出ると思います。 客は戦争で生き残った方々。
現代の菌に耐性のない輩とは違うわな。 オシ16、オシ17、ナシ20、オシ24
これらの車両で食事をしたかったな ナシ20なら梅小路があるじゃない
カレー以上に食堂車メニューの雰囲気があったクラブハウスサンドやめちゃったけど このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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