食堂車・ビュフェ・カフェテリア 4 [無断転載禁止]©2ch.net
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引き続き、時代や会社を問わず、日本の食堂車とビュフェの話題をしていきたいと思います。
今回からはカフェテリアの話題もOKです。
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レ
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/ 新幹線のビュッフェは車内販売基地の役割もあって、車内販売のサンドイッチはビュッフェの厨房で調製したものだったんだよな。
いまのJRCPやJWFNSのセントラルキッチンで作られたものよりも、はるかに出来立てに近いものが食べられた。 0系「ひかり」の車内販売用のサンドウィッチは食堂車のコックが調理室で調製していたようだ。 >>847
各駅に停まろうとひかりはひかりでこだまじゃないから 夜間の東京発姫路行「ひかり」は0系で運転されていた頃はビュッフェのみ営業で
食堂車は営業休止、ビュッフェは東京~新大阪間営業だったが、100系V編成に
置き換えられてからも食堂車は営業休止だった。 >>848-849
サンドイッチもだが、上で書いたが車内調製のうなぎ飯は美味かった。
当たり前だが、食堂車が営業していなければ食べられない弁当だから
二度と食べられない。食べておいてよかった。
てか、ああいう弁当折の横幅フルくらいあるぶっとい鰻は
今は出回ってないから、再現もなかなか困難だね。
(あの太い鰻は我々の馴染んでる鰻とは別品種らしく、
昔は代替的な感じで流行ったが、日本人に好まれず下火になったらしい) >>850
食堂車を少しでも長く利用したくて、
わざわざ停車駅の多いタイプの営業ひかりを選んだりしたなあ。
もちろん少額でケチったりせず、きちんと頼んだよ。
それが目的なわけだったからね >>852
車販のうな重用のうなぎはこだまにも積み込まれてたよ(社内調製用なので)
だから食堂車の営業とは直接関係はない
なおうなぎそのものは新大阪積み込みは共栄水産、東京積み込みは登亭のもの
パッケージには鹿児島産となっていた(中華うなぎなんてまだない時代)
今この2社が当時と同じように扱ってるかどうかまでは知らない 新幹線車両は全幅が3,380mmで作れる為、100系の食堂車は中が広くて凄かったな
新幹線の車両限界の幅の広さが、JR在来線の観光列車や欧州の高速鉄道では不可能な広くて快適な食堂車を実現していた >>844
瑞風のザ・スイートのリビング・ダイニングで食べる食事は最高だよ
一両一室の部屋が無いななつ星や四季島では絶対に不可能な最高の部屋食サービス >>854
たしか米飯は予め炊飯したものをコンテナー(勿論食品運搬用)に入れて駅や車両基地で車内に積み込んでいたんだっけ。 かつての車内調製と今の工場製造のやつでは今のが美味しいかもよ
思い出補正前提でな 都ホテル列車食堂でも帝国ホテル列車食堂でも、新幹線の食堂車の料理に使う
ハンバーグソースやステーキソースは工場で作られたものだっため、
ホテルの厨房で料理長が仕込むソースの味とは異なり、人によっては、
新幹線の食堂車の料理は都ホテルが美味いとか帝国ホテルの方が美味いとか意見が
分かれてたよな 名前で損してたと思う、丸玉給食
学校の給食が嫌いだったから、子供の頃はこの列車だけは絶対乗りたくないと思ってた
「帝国」「都」「聚楽」と比較して「丸玉」という名前はコミカルなイメージだったし 上野駅前にレストランを出してるしお茶の水にホテルもあるじゃないですか あの聚楽ってマリリンモンローの聚楽とは関係あるの? >>854
意味がよくわからない
こだまなど別列車に積んでたことはよいが、
それは別列車(の食堂車)で調整したものなのか? それとも、ビュフェ内とかで車内調製してたってこと?
おそらくこっちかな
どっちにしたって、
「車内で製造された弁当」は今は食べられないことには違いないね
>>852で言いたかったニュアンスはそっちだったので >>860
損してたのはどちらかというと企業名の「給食」のほうじゃないかな。
「丸玉」もたしかにアレだが、単体では変わってるな程度で
そこまでマンガには感じない
けど、「給食」って付くと相乗効果で滑稽になる >>857
コンテナというが単にジャーだね
それも家庭用のじゃなくて酒樽みたいな業務用のもの
最低でも一本、多客期には複数
乗ったらまずうなぎ弁当の調製で飯を容器に入れパックのうなぎをレンチンして作る
東京折り返しの時に残ったのはそのままレンチン(付け合わせは一旦取る)か飯だけ入れ替えて下りで売る
なおこの時に入れ替えた元の飯は乗務員が食うこともあるが(捨てるだけなので)
飯にタレとうなぎの脂が染みてて結構美味い レンチンと言えば九州の787系ビュフェのメニューはなかなか美味かったな >>870
今の肥薩おれんじ鉄道区間で、海沿いの風景をおかずに食べた高菜ピラフはうまかった。
値段もそんなに高くなかったし。 都ホテル列車食堂は、キハ80系の特急「あさしお」の食堂車営業も行っていたようだが、
メニューはカレーライス程度の軽食主体で、食器もアルミ製だったとか。
「あさしお」の食堂車の営業成績は振るわず、昭和50年に「あさしお」の食堂車は
廃止された。 >>871
それも食べたよ。チャオファンシリーズ良かったな
にちりんシーガイアだと独自メニューがあったりしたもんだったなぁ
あれももう20年前か・・ >>857
どこで見たか忘れたけど、家庭用のジャーでライスを持ち込んでる列車がある
ホームで待機してるところを、確か撮影した気がするんだけど写真が出てこん >>869
酒樽みたいなジャーは保温機能しかなくて、炊飯はできなかったはず。
役割としてはお櫃みたいなもの。
大量の米を一気に炊き上げるには、ガスの火を使って大釜でやる方が効率がいいし。 >>875
もちろん炊飯機能なんかなくて保温のみであらかじめ地上設備で炊いたものを積み込む
なので多客期には数本持ち込むし途中で足りなくなるようであれば新大阪や東京(折り返し)駅で
要求して補充もする
食堂だと一応米も積んでるがあくまで非常用で車内で飯炊くことなんてめったにない
(炊くときは鍋を利用して炊く)
そもそも車内にガス設備なんてないし
第一車内で炊いてたら飯炊きあがるまで営業できないだろ 在来線食堂は経験ないのでわからないが昔のブルトレの列車追跡に「コックが朝5時半だかに起きて朝食用の飯を炊いた」との
記述があるんで長時間とか途中で補充できる駅がないとかだと車内で飯を炊くことも普通にあったんだろう
調理器具がレンジにかける鍋釜なのか電気釜なのかは不明だが
ただ上に書いたように車内で炊くと炊きあがるまで営業できないので発駅では炊きあがった飯を積み込んだのか
営業開始が発車後1時間程度たってからなのかは知らない(もしかしたら列車によって違うかも) キシ80の調理室には最後まで電子レンジは入らなかったので、トーストでも
焼き魚でも電熱コンロやオーブンで焼け具合を見ながら調理していた。 北陸トンネル列車火災事故の原因は、オシ17型食堂車の石炭レンジの火の不始末ではなく、
車両の電気配線の漏電が原因だったが、事故の翌日からはオシ17は全車運用から退いた。 >>881
急行の食堂車が風前の灯火だったので、いい機会だったのだろう。
当時はまだ特急の食堂車は、ほぼ当たり前だったけど。 >>882
きたぐに以外は十和田(下り2号、上り3号)だけだったんだよね サンライズ出雲には食堂車・ビュフェ・カフェテリアが無いが、
サンライズ出雲乗車中に食事を取りたくなったらどうするの?
外で弁当を買うにしたって、その為に電車を止めてもらうわけにはいかないだろうし >>881
そもそも労働組合側はずっと食堂車の廃止を訴え続けてた
揺れる車内で刃物や熱湯を使う仕事は危険だし、運転士なんかと違って途中駅での交代がなくて拘束時間も長すぎたから >>884
乗る前に買って持ち込むしかない
途中で買い物が可能なのは上り瀬戸の岡山停車中のみ
それ以外は停車時間が短かったり早朝や深夜で店が開いてない >>885
そもそも食堂事業者は国鉄じゃなくて別会社なんだから
組合が労働条件を盾にして口を出すのは余計なお世話だよな
食堂事業者のほうから採算が取れない人が集まらないから止めたい、と当局に申し入れするならまだしも >>878
宇都宮さんっていう食堂車でコックやってた人の本読むとその辺詳細に書いてあるよ。
夜行列車じゃ普通に石炭レンジで米炊いたそうな。
>>885
聞いたことないな。
運転士も車掌も食堂車から食事回してもらってて恩恵被ってたんだが。ハチクマライスなんかまさにそれだよ。
あ、もちろん運転士は弁当な。 >>888
宇都宮さんといえば、以前九州の門司港の博物館で講演聞いたよ。
当時副館長だったかな。 昭和26年に製造された旧型食堂車マシ36は、調理室に電気レンジや電気冷蔵庫を
備えていたが、これらの電化設備が不調だったために、石炭レンジや氷冷蔵庫に取り換えて、
マシ3511・12と形式番号が変更された。 >>890
発電用エンジンを積んでいた重量級食堂車か。
結局、サービス電源を編成単位で供給する集中電源の方式にした方が何かと便利ということで、後の20系客車の基本思想になったんだよな。
分散電源の14系はひとつの電源で5両まで電源を供給できたけど、何かと電気を食う食堂車を組み込むと、どのくらい影響が出たんだろうか。 電車特急「白鳥」の食堂車のクルーは青森から大阪まで途中駅で交代もせずに通しで乗務して、
大阪で一泊、翌日の青森行き「白鳥」で青森に戻り、2日休みという行程だった。 欧米では巨大な車軸発電機を床下に吊ってプロペラシャフトで回してた
走行抵抗も大きかったに違いない >>892
それが事実なら青森発は早朝6時台だから点呼時間何時なんだよという
事務所に前泊しないと出勤できないだろ
特に冬は積雪もあるし >>891
積んでないよ。発電用エンジンを積むようになったのはオシ17からだろ
どっちも車軸発電機はついてる。36は冷房もその電力からだけど、マシ35は直接駆動なんだよな 特急「まつかぜ」1・4号の食堂車は日本食堂米子営業所の担当だったが、
食堂車の従業員は大阪~米子間担当のグループと米子~博多間担当のグループがあって、
両グループの食堂車従業員は米子駅で交代していた。 >>894
当然寮、もしくは宿泊所が用意されてたよ >>891
うろ覚えだけど、オシ14が給電区分内に入ってると4両までの給電だった気がする。 かの「毒入りコーラ事件」の犠牲者は
新幹線食堂車でバイトしていた高校生だったそうですね。
宿舎に行く道中の電話ボックスに置かれていたコーラを飲んでしまった不幸だったとか・・・ >>898
合ってる
オシは2両分消費でカウント
登場時の基本編成は8両だったからオシ入でもキハネフ2両で足りていた >>894
白鳥に食堂車があった頃は、青函連絡船があった時代だから、青森発は4時50分だった。 >>900
手元に昭和63年当時の編成表があるけど、食堂車組み込みの14系はさくら・みずほの熊本運転所所属。
全8両で、オシ14は5号車。
その他はスハネフ14が2両、オロネ14は1両、オハネ14が4両。
スハネフ14が2両で10両分の電源を賄えるから、電力供給は1両分余裕があるな。 キハ80系はキハ82が7両編成まで給電可能だったが、食堂車連結の時は、
きし80は2両分と換算されて給電されていたな >>899
その事件以降某BTはバイトに高校生を採用しなくなったと聞いた
なお急変して死亡した某高輪の宿泊所(の部屋も)はそれ以降も普通に使われていたとも >>901
出勤の点呼ってだいたい1時間前ぐらいだから乗務員が青森ベースだと夜勤と変わらないな
点呼するほうも当直みたいなもんか >>905
でも折り返し時にしっかり就寝時間取れるじゃん
大阪側ベースだと仮眠時間取るの難しいぞ
23時50分着、4時50分着で5時間しかないからね 瑞風は、コロナ禍以降に積極的に部屋食サービスを提供するようになったけど、
四季島やななつ星はどうなの? 瑞風はコロナ前から最終日ランチは部屋食だぞ
四季島は割と車外での食事も多いし車内の食事も2回に分けてる
ななつ星は今回のリニューアルで定員そのものを減らした >>904
本人の不注意とはいえオフ時間に被害に遭ったわけで
事件と仕事場や勤務とは全く無関係なのにな。 一応労基法に準拠して休憩時間(睡眠時間)は取られている
白鳥(大阪−青森時代)の末期は、全区間JR東日本の車掌が担当しているものの
大阪−新潟 新潟運輸区
新潟−秋田 秋田運輸区
秋田−青森 青森運輸区
の3区が交代して乗務していた >>912
そうだよ
それを前提に話をしているわけだが 最近5chどこでも、こんなやりとりばっかり
噛み合ってない
まず最初にスレタイにまったく関係ない
車掌の行路の話を唐突にレスした910がおかしい 晩年の特急「雷鳥」の食堂車は酷いもんだった。
食器は使い捨ての紙皿やアルミホイル皿、ナイフ、フォーク、スプーンは
プラスチック製の使い捨て、定食は四角いプラスチック製の弁当箱に入ったものだった。 仮に他例として車掌行路の話題を出したいなら
「スレチになるが」とか、一応ひとこと含めたほうがいいね。 ↑どんな動画だと思ったら
唐松の例のJJIたちのキモい馴れ合い動画シリーズじゃん。。 >>903
編成途中にキハ82を組み込まない場合、最大で座席車のみの場合は14両、食堂車組み込みの場合13両の編成が組成できたんだな。 できないよ。4両給電だよ、キハ81とキハ82
キシをいれたら3両。独り言老人とは会話が成立しないから突っ込まなかっただけだよ >>919
違うよ、キハ82 1両の給電能力は座席車自車含めて4両分、キシ80組み込みは3両分。 基本組成は両端が82のキロキシ込みで7両、白鳥はそれを2本くっつけて14両編成にしてた いろんなサイトから拾った情報では、キハ80系は7両ないし6両で1編成になってるね。
基本的にキハ82が2両、キロ80とキシ80が1両、キハ80が2両または3両。
食堂車抜き編成ではキシ80の代わりにキハ80が宛がわれている。
これがキハ181系になると、最大9両で組成しているのでキハ181は1両でサービス電源を5両まで給電できるのがわかる。
1編成当たりキハ181が2両、キロ180とキサシ180が1両、キハ180が5両。
どっちにしろ食堂車1両で、2両分の電力消費とみなされているのは一緒だな。 >>920
はつかりでキハ81が2両で10連組んでたみたいだけど? >>924
はつかりは食堂車がキサシで発電セット積んでたからな
キハ81型2両とキサシ80型1両でこの3両から他車8両に給電可能 サービス電源用の電動発電機を搭載していたから、電源供給体制を維持するためにビュッフェの営業を中止した後も編成から外されなかったサハシ165みたいな例もあるからね。 >>926
MG故障の際、サービス電源をMG故障側に融通する切り替えスイッチがサシにあった為、中々編成からサシが抜けなかった583系ってのもあったね >>927
大昔で記憶も薄れたが、
ブッフェの設備は半車で2(3)等車との合造車、
売店設備になった時は、
車両の2〜3割ほどの面積だったような。 サハ164なら定員56人だから片側窓3つ+戸袋窓分(左右3ボックス半ずつ)客席が少ない(モハは定員84人) クルーズトレインのラウンジ車両だけど、瑞風は最初から乗客が目の前でバーテンダーが作るカクテルをそのまま飲めるバーカウンターを設置したのに、
どうしてななつ星と四季島は設置しなかったんだろう?
キッチンで作ったカクテルをラウンジにある席や宿泊室までサービス係に持って来てもらう方式だと酒やカクテルが届くまでタイムラグがあって楽しみが半減する そのかわり瑞風にはピアノがないから
バータイムの生演奏はピアノ抜きになっちゃうんだよね
バイオリンの担当が葉加瀬太郎風のヅラ付けて瑞風演奏し始めたのはワロタけど
でも四季島はコロナ中にしか乗ってないからピアノは昼しか使ってるの見たことないな 瑞風は車内でピアノを聴く事よりも、1号車や10号車の展望車で景色を見る事を重視しているように感じるから別にピアノは必要ないと思う クルーズトレインで食堂車での食事を二交代制にしてしまったのは、
高額な料金を支払っている顧客の側からすれば納得できないんじゃないの?
食堂車を2両にするとか、ラウンジを食堂スペースにするなどの工夫をして、
全ての乗客が一度に食事を取れるようにした方が顧客サービスとしては良かったと思う 2両でほぼ同時方式でやってたななつ星は結局定員減らして
1両に収まるようにしちゃったんだよな
ただ希望通りにいかない可能性があるという前置きはあるけど
ディナーの時刻の早めか遅めかはある程度希望を聞いてくれたように記憶してる 厨房が激狭いから一度に作るのは難しい
キッチンカーを先回りさせるなどの対策が必要 ななつ星みたいに朝食専用の施設火星を阿蘇駅に設置するとか、
瑞風みたいに朝食や昼食を提供する為のレストランアルマーレを設置するなどして車内厨房の負担を減らす方法がある
ただし、これは車内の食堂車や自室で食事を取りたいと考える顧客からは反発されるリスクがある ななつ星は、食堂車のキッチンスペースの面積が瑞風や四季島のキッチンスペースよりも狭いように見える
キッチンが狭い所為で、料理の供給能力に限りがあり、これがななつ星の頻繁な停車と車内の食堂車ではなく外部レストランでの食事の回数の多さを招いているのかも 厨房面積が広くないから外部レストランでの食事回数が多くなったのか
外部レストランでの食事の回数を多くするというコンセプトだから厨房に面積を取らなかったは不明だが
ただ意匠重視で実用(厨房面積)は気にしてなかった感はある 定員は収益に直結するから、あんまり客室スペースを犠牲にするわけにもいかんのやろ ななつ星は定員を減らした後また値上がりした
一人部屋があるトワイライト瑞風は別として
ほかのクルーズトレインは一人利用は料金が二人分と大して変わらないから
見合った分はしっかり客から取ってることになる
まず先に固定した料金制度がある普通の夜行列車とは考え方が違うよ ななつ星は、定員を20名にして3泊4日の値段を2名一室利用で250万円の高級路線で行くのなら、客室は全室一両二室前提で広々とした設計で作るべきだった。
1泊2日の旅行ですら130万円の値段設定なのに、一両三室で狭い上に簡易ベッドではななつ星マニア以外は納得しないでしょう いつまでヲタのどうでもいいベキベキを聞かないといけないんだよ
食堂車のスレだよ。しかも懐かし板。現役の話はしかるべきスレでやるべき クルーズトレイン総合【四季島・瑞風・ななつ星・Royal】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1646388671/
折角専用スレ立ってるのにな
現役系の鉄道系の板はお断りされてる連中がここでクダ巻いてるのかもしれんけど 現行語り&ベキ語りは全て>>931から始まってるね。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。