国鉄時代、博多発着の0系「ひかり」で食堂車を営業していた頃は、新大阪以西の山陽新幹線内では
各駅停車になる「ひかり」もあったが、これらの「ひかり」は山陽新幹線「こだま」の
役割をしていたことになるため、山陽新幹線では「こだま」でも食堂車を営業していたことになる