食堂車・ビュフェ・カフェテリア 4 [無断転載禁止]©2ch.net
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引き続き、時代や会社を問わず、日本の食堂車とビュフェの話題をしていきたいと思います。
今回からはカフェテリアの話題もOKです。
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レ
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/ 私鉄の車内販売も系列会社がやってるし、駅の売店も同様。 >>110
「モグリ業者」というより「モグリ個人」だな
ワゴンなんかじゃなく商品を両腕に抱えて売りに来る 公共企業体のままだったら系列会社との随意契約不可!公募による競争で広く参入を!
となったのだろうが民間会社だから系列会社との随意契約当たり前 車内販売、食堂車それに駅売店といった営業形態に参入希望する民間企業がどの程度存在するかだね。駅ナカや駅売店の一角で自分とこの商品を販売させてもらえれば十分、と考える企業が多いのでは? マクドナルド食堂車がコケた欧州ではスタバカフェカーが好評らしいね >>116
たしかにドリンクメニューは豊富なんだけどカスタマイズは出来ないし
フードメニューは通常の食堂車メニューの一品料理をを省略したような感じで
体のいい供食サービス合理化にも見えたけどね >>100
知り合いにそんな医者が居た。
食事もかなり気を付けていてスポーツジムにも通って汗を流していたが、
健康診断は「仕事が忙しい(本当は過度の飲酒・喫煙により悪い結果が出るのが怖かった)」を理由に全く受けてなかった。
結局40代半ばで勤務中に吐血して倒れて緊急入院。
胃癌が深刻な状態まで進んでいて半年後に亡くなってしまった。
まさに『医者の不養生』だった。
ただ医者としての腕はかなり良かったので亡くなって困った患者さんが結構居た。 ウエストひかりのビュフェメニューご存知の方居ませんか? 昭和60年3月改正を待たずに電車特急の食堂車が全廃になったのは、今にして思うと
予定していた分割民営化後を見越して、在来線昼行特急の食堂車をJRに引継がせない意向だったか?
大阪−青森の「白鳥」や、「白山」はせっかく2年程前に復活させたのにどうして?
と当時は不可解だった。
「雷鳥」は座敷車だんらんに改造したけど、結局利用不振だったし。
またその改正で、古いクハ481ボンネット車を九州から常磐線に転属させたのも、
古い特急車両を九州に偏らせない意向だったとも聞くし。 >>122
ありがとうございます!
シーフードカレーもあったんだ 白山やスーパー雷鳥にラウンジカー連結するんなら白鳥にも連結したらよかったのにと思う
>>120 ラウンジカーが出てきたのってJR化後でしょ?もうその時点で白鳥を長距離通し乗りする乗客は少なかったんじゃないの。 >>125
その問題じゃなく、どうして食堂車を全廃にしたかの話だろう! 利用客数が見込める新幹線部門に人員や予算配分を宛てる為にも在来線の食堂営業廃止に舵を向けたんだよ >>127
その新幹線も、利用者数が見込める皮算用でなかっただろう!
JR発足翌年に登場した100系G編成がそれを表している。 新幹線はまだ長距離利用客が見込めるから食堂利用を考慮する必要があったんじゃないの
採算面はある程度度外視して、長距離列車にはサービスとして必要って考えだったのかもしんないけど
食堂車付きのV編成だって民営化後に登場してるし
G編成は主に短距離列車に割り当ててたでしょ >>130
営業上はビュフェと案内してたけど設備的には食堂に近かったね
西日本の場合、在来線には一定の合理化を図った供食設備を有するラウンジカーを投入して
食堂要員は新幹線に集中投入してた感じか
あさかぜにもパンタ付きの新しいラウンジカー入れたりしてたよね
立派な売店カウンターもあったけど、あんまり活用されなかったみたい
所要時間で飛行機に敵わなくてもサービス向上で乗客を掴めるんじゃないかって目論見も民営化直後くらいまではあったんだろうなあ 85年の改正直前の時点で食堂車が残ってた昼行特急って
・雷鳥
・白鳥
・北越
・しらさぎ
・白山
・まつかぜ
・オホーツク
・おおとり
で全部か? あれ?北越でも営業列車あったんだっけ。
84年に乗った時連結してても非営業だった。 というか白鳥と白山はちょい前に食堂車なくなってるよな
北越は3往復時代で営業列車もあった筈 84年夏の乗車メモと時刻表が出てきた。
長野の帰り、あさまじゃなくわざと白山4号乗車
横軽区間でステンレス皿のカツカレー食いながらコップの水の傾きを見てた。
翌月に乗った北越はやはり非営業だったね。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org685901.jpg >>129
東海で葛西が実権を持つようになってからは効率至上主義が徹底されるようになり、
食堂車などの長距離旅客向けサービスは無駄と切り捨てられていったからな。 今となってはまともな車内販売が残ってるの東海道新幹線と山陽新幹線くらいのもんだろ
むしろ良く持ってるほうだと思うが しなのに自動販売機あったのはちょっとびっくりしたわ
ひだ向けの新型車両はどうなんだろ >>132
オホーツクは85年3月改正で80系運用ができて復活!
改正前はオール183系運用で、食堂車なし。 >>138
編成組み換えか何かの都合ダイヤ改正を前に1月辺りで食堂営業終了だったな白鳥や白山 >>147
それは気付かなかった。60-3改正前やその前年59-2の前は
各地に旧客追っかけ専門で・・
当時18歳としては贅沢してたかも。同世代が18切符貧乏旅してた頃に
北海道遠征にTDAのヨーロピアンエアバスA300乗りたいとか
特急食堂車乗り歩きとか、バイト代フルに突っ込めたのは恵まれてた
85年100系ひかりのDD食堂開始にも乗れたし。
羨ましさを感じるのはナシ20やオシ17知ってる70歳くらい以上の方々かな。 せめて弁当とサンドイッチくらいは扱ってほしいけどねぇ >>129
その頃に新幹線で長距離需要なんて笑わせるな!
0系の巌窟な座席で長距離利用なんて、白鳥の関西〜秋田・青森の利用と似たり寄ったりw
85年頃なんか首都圏の国鉄職員でさえ、九州へは飛行機使う時代だったぞ!
思い込みだけで物を言うな!このでくの坊が。 >>153
じゃあ85年以降に新造食堂車が作られて東京博多間に投入されたのは何故?
需給予測が当たってたかは別にして、需要を見込んでたってことではないの? せめてスマートマルシェとかプチローソンとかみたいなのが
車内にあったら
「天気の子」を見ていてヲモタ 100系168は0系36の替わり
ただ、168を組み込むと打診した時には食堂車運営会社4社合同で猛反対したものの一蹴され、
その代わりに要員確保の名目で昼間特急から一律撤退(北海道だけはのちの北斗星とキハ183系車両更新の関係上86.11まで存続)
分割民営化してからビュッフェ(軽食堂)形式で一部再開したものの、結局は予約なし食堂車共々淘汰された 85年は好景気の始まりだよ、それから90年代前半までは夢と希望を追う時代
北斗星、トワ、JT各種・・・ダブルデッカーハイデッカーetc 183系、381系、24系25形から食堂車の新造はナシ。
183系は房総急行格上げ用だから分からなくもないが、あずさやときにも使われたからあっても良さげ。 要員や営業時間・距離の関係で183はビュフェかキハ183みたいな方式で充分だったのでは? 東北や関西のブルートレインにはオシ16みたいなのを連結してもよかったかも >>163
その末裔がオハ25 300番台とスハ25 300番台
1990年から1997年まで車内売店の形で営業していた >>157
>>158
話がループしちゃうんだけど、白鳥から食堂車を外して新幹線には0系の代替食堂車を新製して入れてるってことは
新幹線では長距離移動とそれに伴う食堂利用を一定数見込んでいて、白鳥では見込めなかったってことなんではないの?西日本なんかJR化後に改造ビュフェとV編成食堂車を作ってるわけで。
北斗星の食堂を引き合いに出したのは何故?営業方式が新幹線と違うし、北斗星の成功というのが具体的に何なのか分からない。
ところで北斗星食堂車の種車って白鳥から外れた食堂車? 『白山』のラウンジ&コンビニエンスカーを利用した方はいらっしゃいますか? >>164
国鉄時代製造のロビーカーにも売店カウンターがあったんだけど
ほとんど活用されてなかったんだよな
売店営業のために食堂車を繋いでおくくらいならロビーカーのカウンターを活用できなかったもんかと思う それ逆だ
食堂車を売店営業に使ってたから
ロビーカーの売店コーナーを使わずに済んだんだ >>165
それを言うなら>>120の意図が伝わってない。
60.3で当時の国鉄側が意図的に、電車特急の食堂車を全廃したかったのでないか?の話。
「白鳥」「白山」「新潟雷鳥」は利用率悪くなく、何もサシ481・489を
全廃させる事はなかった筈。
また新幹線博多開業から、国鉄食堂車も新幹線偏重があった。
東京〜新大阪運転の「ひかり」でも一部を除き全列車営業してた。
3時間強かかってたとはいえ、今から見ると過剰サービス。
東京〜博多の「ひかり」でも、稼ぎ頭は東京〜新大阪の区間だった。
それに国鉄が毎年の値上げで、新幹線の長距離利用のシェアも低下してきた。
それでも食堂車要員を新幹線に向けたので、在来線で本来必要な特急から食堂車が外されたり、
「くろしお」「やくも」のように、電車化と同時に食堂車終了の列車もあった。 その頃の私鉄特急はどうだった?
国鉄より資料が少ない分野こそ知りたい >>169
利用客数の見込みには大差ないのに、片や新幹線に食堂車要員を振り向けて片や白鳥の食堂車を廃止した意図が何だったのかって言ってるの? >>171
「白鳥」だけに偏るなよ!他の在来線特急もある。
つまり85.3までの国鉄は、何らかの理由で意図的に、日中の在来線特急の食堂車を
止めたかったのでないか?の話。
「白山」もせっかく食堂車を復活したのに再度廃止して、JR化後にわざわざ
普通車を改造してラウンジ&コンビニエンスカーを造る必要がどうしてあったか?
分割民営化も既に計画に入ってたから、複数会社にサシを運用させたくない
何らかの理由があったと想像できる。 何らかの理由ってかとにかく単にできる合理化は進めたかったって話じゃない?
郵便荷物輸送やヤード輸送の廃止とも重なるし
国鉄に対する突き上げが一番厳しかった時期でしょ そういや381系への食堂車やビュッフェの設置って需要や人員以前にそもそも可能だったんだろうか?振り子式だしなんか重量バランスとか厳しそうじゃない? >>173
だったらソースを出せよ!偉そうに!
>>174
「しなの」も気動車特急時代は食堂車はあったね。
「しなの」電車化直後に、「あずさ」の食堂車廃止が決まってたのと、
乗り心地や揺れで非難されたので、食堂車の設置は見送りになったか?
思えば381系デビューから、在来線特急の食堂車が衰退に転じていった。 >>172
「何らかの理由で意図的に、日中の在来線特急の食堂車を止めたかったのでないか?」のソースは?
「何らかの理由」とは、具体的には? 18切符の代わりは周遊券で、
1〜3等時代を知っている身としたら、
食堂もブッフェも採算が悪くて、
運営会社は天下りでの忖度で運営関与を続けたけど、
新幹線を含めて優等列車の急増で、
要員確保と人件費負担で限界が来ていたと。
鉄道会社としても、
食堂車からは運賃収入が無くて、
ただでさえ鉄道運賃収入での採算が低下して、
座席を売りたかったのでは?
長距離便の飛行機での機内食方式は、
停車駅が多くてサービス時間が定まらないし。
思い出を一つ書くと、
新幹線開業前の電車特急「つばめ」では
確か帝国ホテルが担当で、
一緒に乗った伯母がチキングリルを注文して、
「骨を外して下さらない?」とボーイさんに言ったら、
綺麗に外して持ってきたのは遠い昔の話。 >>175
381は高速化してつける必要ないって判断したんだろうな
3両ユニットとかしてる時点でサシは計画にもなかったんだろう。ときも上越新幹線が遅れ
なければ183-1000はいらなかったし、直流区間は長距離特急がなくなるからって話で
オシ24は1972年、サシ489は1974年まで作ってたんだから1970年初頭までは必要なら
まだやる気はあったんじゃないかな
1975年くらいから国鉄は急におかしくなったから、食堂車がやっかいになったのは増収しよ
うとして特急増やした53.10あたりじゃね >>175
他人を偉そうにデクノボー呼ばわりしときながらその言い草はないだろう
思い込みで語るなとか言っときながら自分だって思い込みでしか語れてないし >>172
さすがに白山や白鳥、新潟雷鳥までを食堂車を外したのは天下の愚策でしかなかったからな >>180
供食は車販で弁当売れば大丈夫という判断もあったんだろ
車販NG,食堂車でないとダメという理屈にはあまり説得力ないしな >>181
ペンドリーノやICE-T、スイスのICNには普通に食堂車ついとりますがな 実際にも食堂車でメシ食う客より自席で弁当(持ち込みでも車販で買っても)食う客の方が多いわけだし ペンドリーノと日本の振り子式車両って仕組み違うんじゃなかった?
>>183 車体傾斜機構付きで供食設備を有する車両は日本では小田急のVSEくらいか >>178 名古屋から長野まで三時間なら食堂車の需要は少ないという考え方。
白鳥などより長距離の特急でも三、四時限乗り続ける者は少なくなった。途中で客が入れ替わるだろ >>175
他人にはソースを求め自分はソースを示さず高圧的な態度。
自分が独善的なのにも気づかない。
甘やかされて育ったんだろうね。親の顔が見てみたい。
賛同だけがほしいのだろうか。チラシの裏にでも書いてれば。 >>186
その機能も5年前に実質的に封印
車販準備機能も2か月後には終わる >>189
1/8からロマンスカーの車販は営業中止だが
3月までそのままだったりしてな >>187
長距離列車でそんな短区間の客層もあったけど、それを言うなら新幹線も同じ。
そんな実情だったので、300系以降は食堂車が無くなった。
東海の運用効率化も含まれるが。 新幹線の場合は時間と効率だね
平成経済の失われた30年がなければまた違ったかも
コンビニで買って持ち込む(車移動でも)そんなチープな時代だよ
富裕層向けクルーズトレインやレストラントレインは成り立つわけで
効率的移動と食事が両立できない世知辛い世の中なだけ そんなにみんな金がないならなぜ東京駅の祭で高い駅弁が飛ぶように売れていくのかね
大丸地下のたっかいたっかい弁当やら惣菜やら買ってくる連中も結構いるぜ >>192
でも300系はまだ売店があったろ
100系G編成のカフェテリアからの流れで 地方駅は駅弁の取扱がどんどん縮小してるけどね
業者の淘汰も進んだし >>194
東京ですよ。平均所得突出してて、客も途切れないから商売成り立つ。
地方は>>196の言う通り。
ただ、出張で西都城行ったら駅内じゃなく外の元駅弁屋が賑わってた。
誰ひとり駅には行かず全員車で取りに来ていたが。 >>198
うん、なので暫く宮崎帰れん・・・
県独自緊急宣言とかいっちょるし >>192
そもそも食堂車を利用するような長距離客自体がが飛行機に転移したから、
長時間乗り通す客も少なくなったのは確かだからな。
東京−博多直通にしても新大阪などで多くが入れ替わるのが実情だし。 >>200
全くその通りだし、今でも東京〜博多運転ののぞみもそう。
JR東海はそれを着目して新幹線食堂車をやめる傾向になった。
西日本は当時のバブル景気と、山陽〜首都圏客をターゲットにしたのもあって、
100系V編成を造った。 >>174
381系が具体化する前の591系ベースでの計画(1970年作図)だと大まかな図のみだが食堂車が書かれてる
もっとも同時期に検討してた売店車の構想に近い配置なんでこれを単につけただけかもしれないが >>120
加越は新造車で編成されていたのに召し上げられて中古車
を宛がわれていたなあ。 >>125
ラウンジ&コンビニエンスカーの登場は国鉄時代では? >>208
白山のラウンジ&コンビニエンスカーは平成元年からじゃね?
雷鳥のだんらんは国鉄時代だと思うけど >>209
白山のラウンジ&コンビニエンスカー登場は、その1年前の昭和63年。
それと同時に金沢支社の変態白山色の塗分けに変わった。
どのみち>>208の国鉄時代ではない。
雷鳥のだんらんは昭和60年3月からで、国鉄時代は正解。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています