食堂車・ビュフェ・カフェテリア 4 [無断転載禁止]©2ch.net
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引き続き、時代や会社を問わず、日本の食堂車とビュフェの話題をしていきたいと思います。
今回からはカフェテリアの話題もOKです。
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レ
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/ ガラスのクレア:
「銀河食堂からご案内でございます。
食堂の営業は9:00からの予定でございます。準備ができましたら
改めてご案内いたします。なおワゴンサービスのご案内です。
銀河食堂ではお飲み物、軽い食事おつまみなどを揃えまして
お席までワゴンサービスを行っております。どうぞ、ご利用くださいませ」 国内旅行もカフェ巡りもインスタ映えを意識していきたいところ
http://instaspot.jp/ 国内旅行もカフェ巡りもインスタ映えを意識していきたいところ
http://instaspot.jp/ 自由席特急券で485系スーパー雷鳥に乗った時の事。
予想通り自由席は満席だったのでラウンジコンビニエンスカーに移動して適当に席に腰を下ろすと・・・
店員の姉ちゃんがやってきて「ご注文は?」と・・・
「え?フリースペースではなかったのか・・・」と思いながら缶ビールを買ったと記憶している。 鉄ピク4月号(通算944号)で153系が特集されているが、サハシ153の豪華さに驚いた。
急行でここまでやるか?と思ったが、当時の急行は今の特急以上に贅沢な乗り物だったんだな。 >>10
白山にも同じようなスペースが有ったが
何かを売っていたという記憶が無いなあ〜 昔の北陸筋は489系や485系スーパー編成に
ラウンジカーをつなげたりサロ583を
フリースペースに供したりして楽しかった。 昭和40年頃電車特急「つばめ」で伯母と広島に行った時、
東京で乗車して間もなく食堂ボーイさんが、
お昼のお食事のご予約を承ります、と車内を回って来て、
1回目、2回目希望とコースの注文を聞いて書き込んで行く。
伯母はチキンのコースで私はお子様ランチだった。
食堂車で伯母の前に大きなママのチキンが運ばれて来ると、
伯母はウエイターさんに、お手数ですけど骨を外して頂けないかしらと頼んでいる。
ウエイターは心得たとばかりに厨房に一旦下げてそれから綺麗に骨を外したお皿を持って来た。
食事が終わった会計の時に、
伯母は手間を掛けたわね、と別にポチ袋を渡していた。
同じ頃、
常磐東北夜行急行「北斗」の2等寝台に乗ると、
寝台車専属の列車ボーイさんが居て、
駅弁やお茶を買ってきたり電報を頼まれたりで、
子供には「おぼっちゃま」「お嬢ちゃま」と言って至極腰が低かった。
駅に着くと付近で手摺を綺麗に拭って、
乗客の手荷物を駅の赤帽に受け継いでお仕事は終了。
なんであの頃はサービスにあんなに人手を掛けられたのだろう、
(2等は3等の倍の運賃で、1等は3等の4倍の運賃だったけど)
それとも人手が掛かって国鉄が赤字になったのか、
ある程度の富裕層ではサービスにチップは付き物と心得ていた気がする。 >>15
昭和40年には、すでに広島行きのつばめは廃止になっていませんか?
それはそれとしても、並みのサラリーマンが食堂車利用をするようになったのは
新幹線開業以降ぐらいでしょうね。 >>17
貴兄も良い資料をお持ちですね。
私の手元の1962−10の時刻表の
そのメニューではまだ寿司や麺類は登場していません。
定食類のお値段は同じですけど、
飲み物がそれぞれ5〜10円程安いです。
東海道線の電車急行の寿司はとうとう食べず仕舞でしたけど、
北陸線の電車急行ブッフェの麺類は
昭和50年頃になって大阪から北陸に出張に行く時に手軽でお世話になりました。
あの頃の看板特急列車の食堂は帝国ホテルも参加していて、
伯母もそれで満足していた様子でした。 >>18
にぎり寿司はあるけど、
メニュー記載がないだけです。 >>19-20
素晴らしい資料に囲まれるのが羨ましい。
私は1962-10がオリジナルでは最古の現物。
他は復刻版だけ。
当時、関東〜北海道を往復していた小生は、
青函連絡船の乗り換えは面倒だったけど、
朝の洗面がゆったりしてお湯も豊富に出た
船内の洗面所が嬉しかった。
足も伸ばせて歩きまわる事も出来たし。
但し、指定が無かった3等の乗客は「桟橋ダッシュ」を強いられた。
関門トンネルが開通していた関東〜九州各地の急行は、
24時間超えの丸一昼夜走る列車も多くて、
高い食堂車に行く訳にも行かず、
旅は苦労の連続の時代。 >21
贅沢な意見ですが、それを知らない世代にとっては本当に羨ましく感じます。 >>22
でも関門トンネル開通は、
1942昭和17年だから、ちょっとあやしい 学生の頃乗った、ウェストひかりのビュフェで食ったカレーが美味かったなぁ…
確か1000円しなかったのは覚えている。
学生には高い値段だったが、食堂車的にはかなり安い料金だったんだろうなあれでも。 >>27
昭和から平成にかけてのバブル期だった頃で?
ならば当時在来線で、北斗星・トワイライトは別格でも、末期の九州ブルトレもそんなにメニューは安くなかった。
あとは0系・100系ひかりのアラカルトか、サンドイッチといい勝負か! 食堂車の相場は料理が市井の二倍、飲料は同じぐらいと書かにゃずっと列挙されそうやな >>33
食堂車は、編成の中で流れている空気が違うよね
好き >>34
新幹線の0系の食堂車の通路とビュッフェ車には、いつもカレールーとコーヒーをミックスしたような
匂いが立ちこめていて、その匂いがまた良かったな カフェテリアったら、50系あそBOYの売店くらいしか利用したことないなあ。 新幹線100系のカフェテリアは、登場時は軽食、おつまみ、飲み物などの品数が豊富で、
いつも大盛況だったが、100系が「こだま」に転用されるようになると、陳列棚の品数も少なくなり、
夜間の100系「こだま」のカフェテリアの陳列棚は土産物のまんじゅうなどがわずかに並べられているだけのことも多く、
棚が空っぽの時もあった カフェテリアは列車からは消えたけど、東海道の「のぞみ」停車駅ホームには、
今でもかつての100系カフェテリアを彷彿とさせる販売コーナーが健在だからな。 >>17
見えて貰ってなんだけど、もう少し明るくならんかい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています