懐かしの駅弁・駅そば・駅食堂などを語る 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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懐かしの駅弁(お茶などの飲料の話題も可能)や駅そば(うどんやラーメンなどでもOK)や駅構内食堂(ジャンル問わず)を語ろうぜ。
駅そばなどのスタンドの話題や駅弁などの立ち売りなどの販売方法や茶の瓶などの話題も上記に関連していたらOKでございます。
今回から麺スタンド以外の駅構内食堂についても解禁します。
前スレ
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1462175051 東京駅で,北関東の有名な駅弁うってら教えて<(_ _)> あると思うよ
有名どころは全国どこの奴でも取り揃えてる
祭って店
旅情云々は別にして、行けば必ず混んでるね いや、混んでないし、床にテープ貼ってるし、距離にうるさいし、入場の際、検査や消毒必要だし、入口は厳重だし、人も普段の半分程度で、まばらだし…デマこくな!田舎者(笑) また、荒らし関西人か!コイツ、嘘ばっかりだな!東京にうらみでもあんの?(笑) 崎陽軒はシウマイ弁当だが、
鳥栖の中央軒はシャオマイ弁当
米が俵めしではなくて鶏めしなのもポイント高い 高架化された姫路駅喰う駅そばより昔の地上駅で喰った駅そばの方が美味しかった
味は変わってないはずなのになぜだ!? 18キッパーが乗換の短い時間で殺伐と食うのは変わらん 新快速を一本ずらせばいいだろ?
15分毎に走ってるんだし。 来るな!と、あれほど、知事が再三、観光を自粛するように言ってるのに、わざわざ行く、日本語の通じない、田舎者って何なの?都会の人は、他県のナンバーを観ると、呆れちゃうよ!全く!(笑)東京都と神奈川県が可哀相(笑) >>567なら >>567ならきっとやってくれるはず! 黒岩知事の本音
日本人が、神奈川県大好きなのは解った!涙 黒岩知事の本音
新型コロナウイルス大流行でも湘南は渋滞する 神奈川県知事は兵庫県生まれ、高校まで神戸
兵庫県知事は生まれは兵庫県だが横浜育ち >>564
↑くっさいトンキンが自己紹介で先に臭ってくる(爆) トンキンてどこの方言?(笑)
共通語でお願いします。
そこの愚民様www 昭和の時代って焼肉って一般的だったの?? 朝鮮焼きとか言ってたと聞いた
むしろ牛肉は輸入規制が解かれるまでは高価で滅多に食べられるものではなかった。
玄米食野菜豆乳のメニューは、明らかにカロリー不足。
ああいう健康食は運動不足の中年に最適なメニューであって、タンパク質豊富な鶏肉を食べる。
今はプロテインも強化米も美味しく食べられるいい時代なんだ。
・ウォーミングアップ、クールダウン、疲労回復とかのためのジョギング
・無理のない本数決めてやる短距離ダッシュ
この辺はある程度効果あると思う
走るのはほぼ全てのスポーツの基本だから
やらなさすぎるのもどうかと思う
朝鮮焼きは、戦後間もない頃は知らないけど昭和50年代以降なら普通に食べてた
月に何回かは家族で行ってた
ライスが180円、ロースが一人前で800円、トックが600円、オイキムチが2〜300円だったと記憶してる
そう言えば最近の焼肉屋ってトックを見かけない
朝鮮焼き 朝鮮漬け と汚物扱いだったよね当時は
父が
「ゴメン臭いだろ 朝鮮焼き喰って来ちゃった」と謝ってた
神奈川だけ、朝鮮焼きじゃなくて朝鮮焼肉と言ってたな
朝鮮人が家族で経営する焼肉屋に月1くらいで行ってた
店内は煙がもうもうとしていて、壁にはたくさんの換気扇が付いていた
店主はなべおさみソックリだった
昭和50年頃のことだが、当時はネットもなかったし、日本人は朝鮮人達にひどいことをしたんだとみんな信じ込まされていた時代だったが、
朝鮮という言葉は普通に使ってた気がする
母は早い段階で焼きそば投入してた。 朝鮮の味、モランボンと言う焼肉のたれは米倉斎加年と言う俳優が出演をしていた。 >>572
↑阪国人てどこの方言?(爆)
日本語でお願いします。
そこのくっさい愚民様www 広辞苑に記載されないような、言葉を連発する基地外は、今すぐ、病院へ行くことをお勧めする。(笑) >>232
昔日曜日昼間に放送していたクイズドレミファドン!のスポンサーって日本食堂だったっけ?
上野不忍弁当とかCMでやっていたな。 >>573>>575
親父が焼肉店に食事行く時とかは朝鮮料理食べに行こうって言ってたけど朝鮮焼きは聞いたことねえな。 嫁が予約していた、天を持ってきたので、今、食ってる。まあまあかな(笑) >>120
昭和末期国鉄から民営化された時点の湯沢駅はボットン便所やった。
横手駅や大曲駅は既に水洗化していたのに。 鵜飼ちらし食いてー
急行たかやまの車内で食べた味が忘れられん 赤羽の立ち食いラーメンは食べずに終わった
西口の改札すぐの場所にあったやつ 朝鮮の味、モランボンと言う焼肉のたれは米倉斎加年と言う俳優が出演をしていた。
田舎だけどスキヤキのことを焼肉といっていました
たまごと出し汁で食べました
朝鮮焼肉は若いころ一度食べた事がありましたが
得体のしれない刺激臭が凄く、あのような臭い食べ物を喜ぶ人がいるのか不思議でした
後、ニンニク臭と知り他の調理に多用するようになりましたが
定食屋なんかで出てくる調理された焼き肉と生で出されて自分で焼くものを区別してそう言ってたのかね
家で食べる焼肉というか朝鮮焼きは、小さい頃からあった
でも外で朝鮮焼肉屋に行ったのは、昭和58年くらいが初めて
朝鮮焼きカルビなんて、その時初めて食べた
高校卒業して昭和60年くらいからは、よく行くようになった
というわけで、あくまで私の話ではあるけど"外で食べる朝鮮焼肉"は昭和が終わるギリギリくらいからは一般的になったものの
それまでは一般的じゃなかったな
うちは金持ちではないけど外食はよくする方だったので貧乏だから行かなかったのではなく、家族で行けるような
適当な朝鮮焼きの焼肉屋が多くなかったんじゃないかと思う
鉄板の朝鮮焼きは日曜日の夕飯の定番だったけどいったい何の肉を焼いていたのか思い出せない
近くに朝鮮焼きの焼肉のチェーン店ができて家族でよく行くようになったのが昭和60年前後だったかな
それまでうちで肉のご馳走と言えばすき焼きかトンカツだった
観光客だけでなく労働力が人で不足だから中国人はじめ海外の人に頼ってるのが現状でなのでどのみち受け入れないと世の中回っていかないよ。
コンビニとかスーパー玉出なんかは中国人をはじめとする外国人店員が頑張っているからなりたっている。
ヤクザが良いじゃないけど、労働力担ってた部分あるよな。借金の方に働かせて、上前はねてるけど。
労働力がないからと安易に中国に頼るとまた同じこと繰り返すし、中国の思う壺。 朝鮮焼きを最初に書き込みしたものです。
アラフォー世代は昭和の終わりで焼肉は普通にあった世代。
昔の週刊ベースボールとスポーツ紙をバックナンバーで見ると朝鮮焼き食ったとかいう記事見て
何のことかと思って団塊の世代の両親に聞いたらそれ昔の焼肉のことと言われた
キャンプの食事風景とかでもすき焼き食ってるシーンが多かったし両親もお祝い事があると小さい時は家ですき焼きとか言ってた
家で肉を食べるのは、すき焼きか適当に母がフライパンで焼くか網で適当に焼くか、とにかく適当だった
焼肉屋は社会人になるまでいったことが無かった
でも日本の肉文化もあったよね
ソーセージは魚肉、ハンバーグはチキンハンバーグだった
モランボンは北朝鮮系だね。東京の府中にある。 もちろんモランボン経営者も在日
寒村では
弁当のおかずが 裏で採れる松茸 が貧乏人
金持ちは魚肉ソーセージで 別学年の生徒まで弁当を覗き込んで来た
漁師町では肉入りカレーが金持ちでシーフードカレーは「銭出して喰うモノでは無い」と言う
ドグラマグラ文庫本の表紙が米倉斎加年だったような・・・
米倉斉加年は日本人だよ
CMを引き受けたからとやかく言われただけで
渡瀬恒彦だってモランボンのCMに出ていた
マツタケはお風呂やかまどに焚き物を使ってた時代にはアホのように採れたと言いますからねえ。 20年以上前、新入社員だった頃、北海道の漁村で育った上司と呑んでいて、子供の頃の話になったら、
「カレーに入れる肉なんて買えなかったからよ、浜でツブ貝やらホッキやら拾ってきて入れたんだわ」
と言われ、「それって超贅沢なシーフードカレーじゃないですか!」と驚いた記憶。
あの日、上司と飲んでいたのもサッポロラガービールだった。
今でも、サッポロラガービール赤星を呑んでそろそろ〆ようかと思うと、想像の世界にしか無い、あの上司の実家のシーフードカレーを食べてみたくなる。 中年以上の年代でこのような言い方をする方が時々いらっしゃいます。
沢村貞子さんも著書「わたしの献立日記」の中で
昔の献立として『牛肉の朝鮮焼』というメニューを載せておられたと記憶しております。
8月29日は「焼肉の日」だ。「8(やき)2(に)9(く)」の語呂合わせと、夏バテの気味の人に焼き肉でスタミナをつけてもらおうと、
1993年に全国焼肉協会が定めた。タン、カルビ、タン塩…網の上でジュウジュウと音を立てながら香ばしい匂いで食欲をそそる「焼肉」だが、
その歴史は戦後史と重なっている。
■「焼肉」の名は、朝鮮半島の南北対立が背景?
「焼肉」という名称の背景には諸説あるが、『日本焼肉物語』(宮塚利雄著)によると
「焼肉」の名が広まったのは1960年代の後半だったという。それまで焼肉は「朝鮮料理」と呼ばれていたようだ。
これが「焼肉」となったのは、朝鮮半島における南北のイデオロギー対立の影響があったという。一体どういうことだろうか。
焼肉のルーツとされる朝鮮半島だが、戦後は南北に分断され、1950年からは朝鮮戦争が始まり戦場となった。
この頃の日本では、焼肉や冷麺などを出す店舗は「朝鮮料理」を名乗る店が多かったようだが、
1965年の日韓国交正常化を機に「韓国料理」という呼称が増えていったという。
やがて、現在の焼肉を意味する「朝鮮料理」について、在日朝鮮人は「朝鮮料理」、在日韓国人は「韓国料理」と主張するようになった。
この混乱を収拾するべく、「政治的な対立の妥協の産物」として用いられたのが、「プルコギ」を直訳した「焼肉」という語だったようだ。
「プル」は火、「コギ」は肉を意味する。
1968年には「エバラ焼肉のたれ」(しょうゆ味)が登場。家庭で気軽に肉を焼いて食べる文化が根付いていった。
なお、同じ年には日清食品が「出前一丁」、大塚食品工業が「ボンカレー」の販売を開始している。
折しも日本は、高度経済成長期の真っ只中。忙しく生きる人々は手間をかけず、家庭で手軽に色々な料理が楽しみたい…そんなことを求めた時代だった。
焼肉文化の隆盛には、1980年代に登場した「無煙ロースター」の貢献も大きいようだ。肉を焼いた時に出るモクモクと出る煙を排煙することで、
服や髪につく臭いが気になる女性客を引き寄せ、焼肉店のイメージを一新させた。
こうして焼肉は、日本の食文化の一部として着実に根付いていった。
焼肉をめぐる歴史を知り、焼肉を食べたくなった人もいるかもしれない。
夏バテを防ぐのに、焼肉はとても効果的だ。だが、スタミナたっぷりな焼肉は高カロリーで脂質も多い。
内臓は比較的低カロリーだがコレステロールが多い。食べ過ぎには注意が必要だ。
また、新鮮な肉だからといって生食や半生で食べると食中毒リスクが高まるので注意が必要だ。
東京都福祉保健局では、肉中の色が完全に変わるまで充分に加熱するよう呼びかけている。加熱の目安は「中心部温度75℃で1分以上」としている 。
お肉と野菜をバランスよく食べることで、厳しい残暑を乗り切ろう。 韓国〜 なんて言いまわしが幅効かせるようになったのは
60年代なんかよりもっとずっとあと
たぶん1985年頃からだと思うよ
韓国なんて南朝鮮って方が普通だったわよ
1980年頃の桃屋のキムチの元が「朝鮮漬けがすぐできる」ってテレビCMで
言ってて何の問題もなかったからね
あと外語大の学科も「朝鮮語」だったよ
そのころまでは豊田有恒も「朝鮮語ができます」って言ってたし
それが1980年代の後半になって 「韓国ニダア」って言いだして仕方なく
ハングル語なんてイミフなことになってしまった
そのころから名前が 朝鮮読みになった。 キンニッセイ→キムイルソン 昭和の時代って焼肉って一般的だったの?? 朝鮮焼きとか言ってたと聞いた
むしろ牛肉は輸入規制が解かれるまでは高価で滅多に食べられるものではなかった。
玄米食野菜豆乳のメニューは、明らかにカロリー不足。
ああいう健康食は運動不足の中年に最適なメニューであって、タンパク質豊富な鶏肉を食べる。
今はプロテインも強化米も美味しく食べられるいい時代なんだ。
・ウォーミングアップ、クールダウン、疲労回復とかのためのジョギング
・無理のない本数決めてやる短距離ダッシュ
この辺はある程度効果あると思う
走るのはほぼ全てのスポーツの基本だから
やらなさすぎるのもどうかと思う
朝鮮焼きは、戦後間もない頃は知らないけど昭和50年代以降なら普通に食べてた
月に何回かは家族で行ってた
ライスが180円、ロースが一人前で800円、トックが600円、オイキムチが2〜300円だったと記憶してる
そう言えば最近の焼肉屋ってトックを見かけない
朝鮮焼き 朝鮮漬け と汚物扱いだったよね当時は
父が
「ゴメン臭いだろ 朝鮮焼き喰って来ちゃった」と謝ってた
神奈川だけ、朝鮮焼きじゃなくて朝鮮焼肉と言ってたな
朝鮮人が家族で経営する焼肉屋に月1くらいで行ってた
店内は煙がもうもうとしていて、壁にはたくさんの換気扇が付いていた
店主はなべおさみソックリだった
昭和50年頃のことだが、当時はネットもなかったし、日本人は朝鮮人達にひどいことをしたんだとみんな信じ込まされていた時代だったが、
朝鮮という言葉は普通に使ってた気がする
母は早い段階で焼きそば投入してた。 朝鮮の味、モランボンと言う焼肉のたれは米倉斎加年と言う俳優が出演をしていた。 福知山の駅そば(大江山そば)、誰か復活させてくれんかな
姫路は高架化しても駅そば残してたっていうのに
>>593
密封、密接、密着するんじゃねえ! >>594
デリカートたで川とJRの間で、駅構内店舗のテナント料が折り合わず撤退したから難しいな。
どうしても鬼そばを食べたければ、福知山駅から園福線に乗って新須知で降りて数分の道の駅丹波マーケスで食べられるぞ。 >>595
マーケスで鬼そば食えるとこあったっけ。フードコートのあそこも別物だと思ったが
マーケスはスーパー内の精肉売り場に、イノシシ肉が普通に売ってたな 高架後の蕎麦は地平時代と全くの別物だったな、地平時代の黒い出雲そばみたいなのを食べたいな。 すき焼きの残りにご飯入れたのが大好きだったので吉野家の牛丼もあんな感じだろう と期待していた
初めて有楽町吉野家で食べて マズいんで驚いた
ハズレだったのかな・・・ とも一度後日食べて やっぱマズイんで こういうもんか・・・と
その頃プロ野球外人選手が「吉野家がウマくて1日回喰ってる」と言って居た >>598
俺と同じ人がいた。
外食する習慣がほとんどない家に育ったので、高校になって初めて吉野家を食べた
平成4年か5年くらい。
アブラ臭くて、なんて不味いんだろうと思った。当時の俺の正直な感想。残してしまった。
まあ、その後はフツーに食べるようになるんですけどね。
もともとB級グルメですもんね モランボンは北朝鮮系だね。東京の府中にある。 もちろんモランボン経営者も在日
米倉斉加年は日本人だよ
CMを引き受けたからとやかく言われただけで
渡瀬恒彦だってモランボンのCMに出ていた
韓国という呼び名はソウル五輪前からだな
「演歌の起源は韓国」という日本が作ったキャッチフレーズでチョウヨンピルとケイウンスクなど
元祖ゴリ押しが始まった頃だが、日本読みは聞いたことがなかった
あとニュースでよく報道されていた知日派キンダイチュウが突然キムデジュンと呼ばれ始めて??だったりもあった
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朝鮮焼きでサッポロラガーも良いな。
壁に張られたメニューに脂煙が染み込んだ感じの店の小上がりでさ。
ガスの焼き台と向き合いながら飲むサッポロラガー赤星。
もちろん、コンコンと栓をたたき、ガラスのコップで。
20年以上前、新入社員だった頃、北海道の漁村で育った上司と呑んでいて、子供の頃の話になったら、
「カレーに入れる肉なんて買えなかったからよ、浜でツブ貝やらホッキやら拾ってきて入れたんだわ」
と言われ、「それって超贅沢なシーフードカレーじゃないですか!」と驚いた記憶。
あの日、上司と飲んでいたのもサッポロラガービールだった。
今でも、サッポロラガービール赤星を呑んでそろそろ〆ようかと思うと、想像の世界にしか無い、あの上司の実家のシーフードカレーを食べてみたくなる。 家庭のすき焼きと吉野屋牛丼では肉の質も違うし部位も違う
しかし同じ牛丼でも浅草今半のランチメニューにある
百年牛丼(1500円)はとてつもなく全然美味い
https://www.asakusaimahan.co.jp/granroof#g03
懐かしい駅弁なら郡山・東北軒の"磐梯牛めし"は安くて美味かった >>554
鳥栖は広東風の焼売らしいね
長崎のお店に製造法教えてもらったとか
崎陽軒も店の由来は初代が長崎出身で
昔は長崎が中国風に崎陽とも表現されてたから
そういう名前にしたと最近知った 駅弁発祥地 関東
駅弁発祥は関東である。当然ながら、他の地方の駅弁より、歴史、品質に於いて、老舗な為、一日の長がある。 遠軽のそば屋のばあちゃんは去年亡くなってたんやな・・ 大阪民国(だいはんみんこく、おおさかみんこく、テパンミングク、テパンミンゴウ)、
略称 阪国(はんこく、さかこく、パングク、パンゴウ)(英名;Republic of Osaka)とは、
日本列島の近畿地方に存在する渡来系朝鮮民族国家である。別名東朝鮮(ひがしちょうせん)。
首都は大阪市。
トンキン(ベトナム語:Đông Kinh/東京、フランス語: Le Tonkin)は、紅河流域のベトナム
北部を指す呼称にして、この地域の中心都市ハノイ(河内)の旧称である。 関東人の総意
大阪愚民と判明した時点で、そいつの扱いは、お笑い芸人イソジン吉村以下である(笑) >>619
謝れ!謝れ!(AA省略)
浮気で謝罪した大阪府知事・大阪市長に謝れ そういえば世界の車掌からで
中国側からのハノイ行きの横サボが河内になってたのを見たな。 >>621
謝罪したっけ?
「君たち!いつまで大阪府の知事を虐めたら気が済むんだ!!」
セクハラで逆ギレしなかった?
結果1100万払ったんだよね 無実だけど、女の子に元々優しくて、紳士だから、自然とお金をくれたのかもよ(笑) 叙々苑弁当たべたら西日本の弁当がいかに消費者を誤魔化した糞マズい弁当か解るであろう(笑) 日本人は基本的に関東の味付けが基本になっている。学校給食しかり、和食しかり、洋食しかり。戦後、当時のGHQの指導が厳しく、彼らの希望する水準を満たさない食料は、基本的に認められない時代であった。 現在の和食の味の基本はほぼ、江戸時代に確立されたと言っても過言ではない。京都は長い間武士に権力を押さえ込まれたせいで、シンプルかつ、見栄えの良い、京都料理は、出汁や京野菜を使い、やや薄口な味で造る料理が多い。一方、関東は当時、世界有数の大都市で特に労働者が集まった為、労働者向けに塩分多め、味付けも濃いめの料理が、庶民に好まれたという。 簡単に言うと
公家 そんなに働かない。見栄。塩分控えめ。
武士や庶民 普通に働く。現実的。塩分多め。 公家に政治任せたら、
そりゃ大乱おこりますがなwww 京都料理の食材の数が基本的に少ない理由
幕府の監視下で食材の数はカウントされていた。
贅沢は敵!と幕府がおふれを出したのに、
公家は無制限、無秩序に贅沢三昧では、
幕府の面目丸潰れである。 当時の公家
幕府の監視下で、限られた食材で、いかにゴージャスに美味しく優雅に料理を食べて、
他の公家に差をつけるか。いつも考えていたのだ。
この見栄こそが、
現在の京都料理の原点である。(笑) ちなみに、大阪愚民には、ゴージャスや見栄という概念は、もとから全く無いので、一緒にしてはならない。(笑) 津和野の「かしわめし」コロナ禍を生き抜いているだろうか。
数年間、山陰地方に住んでいた頃、実家のある山陽と行き来するときに必ず買っていた。
車の場合は、山腹の国道から降りてまで買いに行っていた。
原型は北九州系と思われるが、そぼろ感と味が違って、こちらの方がずっと好みだった。
3年前、三江線廃止の前の年、江津から乗るのにわざわざ山口線回りを設定して、何十年
振りかで再会することができた。
東京から注文は無理なのかなあ。 「京都料理」などという語は無い。日本人じゃないのかなw
いつもの京都アゲ大阪サゲの様子からもトンキン乙としか言いようがない トンキン連中は、どうしても京阪神圏とくに浪速文化を認めなければならないときは
全て京都発祥あるいは京文化扱いに捏造するからな。笑 京料理なんて一部の特別な料理だけじゃん、関東民でもわかるぞ
大阪の庶民料理はとにかく安くてうまい。決して観光客向けには行かないが
普通の街のスーパーのお好み焼きやイカ焼きだって旨くて
東京じゃ3倍出してももっとマズイからな。 >>640
河内連中じゃないから別物だと思ってるよ。
大阪は秀吉が周辺から雑魚を集めて、大坂の陣で煮て焼いた結果。
全く京都ではない。 >>638
SLの掛け紙がいいですねえ、復活記念とか、40年も前の話ですが。 >>641
連投君の偏向問題方面は置いといて、仰るとおり、京料理はもてなし料理として明治期以降に独自醸成されたものだからね。
京料理を含む上方料理だけでなく現在の割烹や会席料理など日本料理の基礎は、北前船により良質の昆布が入手できた大阪が発祥なのは事実だし、そのことは北大路魯山人や石毛直道など食文化研究者が共通で認識されていることだし、そういうのは東京と大阪どちらが偉いとか上とかじゃない。 東京対大阪の構図は昔からあるが、過去までは長らく、大阪側がその矜持として東京対抗の熱が強く、対する東京側は最大都市民として悠然と構えたり受け流したりしていた。
ネット時代以降に対立が酷くなっているが、昨今は東京(と第三者に思わせる側)の大阪サゲも、言われる側の大阪の東京サゲも酷い。これは実際やってるはどっちも同一連中。東西分断工作の手法(大阪と東京の煽り合いを演出)なんだよね。
こういう方面に無知な人が多い鉄道板で扇動目的の対立スレが大量に展開されるようになって久しい。
>>642
そういうサゲパターンが実際にあるんだよ。 と、基地外な645連投君が申しておりますwww(現在、華麗に4連投中w)
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