|。 ̄\ EF58 37/ ̄。| [無断転載禁止]©2ch.net
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何故か、急行「八甲田」のイメージがスゴイ 上野を14時過ぎにでて、青森に0:00くらいに着く。15分くらい後に上野16時過ぎにでた特急「はつかり」が来て、青函連絡船 が2便くらい出ってたはず
急行だと激安になる。
EF58の思ひで しゃああああああ だだん だだん!!!
|。 ̄\ EF58 36/ ̄。| それ八甲田じゃないだろ。58ですらない。客車急行の速さじゃねぇ
1Mはつかり、11Mみちのくの頃がそんな感じか 新製配置が高二、そのあと宇都宮にもいってたみたいだから入ってるだろ
八甲田が客車、上野発になったのが36.10。牽いてるんじゃね 鉄ピク'68-2(特集EF58)を入手
36号の宇都宮配置は'S33-4でS35-10から長岡二となってた
八甲田は牽いてないない可能性が高いね 知ってる人いたら質問です
これは運転台の助手席側の画ですが
運転側とはだいぶ違う形のマスコンとブレーキ的なハンドルらしきものが置いてあります
これは何の操作用ですか?
http://www.agui.net/tasya/jnr/jnrEF58-14h.jpg >>206 左側のレバーはパンタグラフ上げ下げの操作レバーでは?
EF65の助手席に似たようなレバーがあり、運転室機器配置図によるとパンタグラフ何とかとある。
(参考)https://www.over-rabbit.com/pc/mycom-diary/2173/
右側のレバーに相当するものはEF65にはないようだが、暖房の表示ランプの近くにある。「出」の字が書かれてるから暖房関係の操作用かも?(自信はない) 丸い方はパンタグラフだね
1上は1エンド側あげ
もう一つは 吹出 と 出 ってあるから>>207の言うようにSGじゃないかな
14号機ならSG機だし >>207
>>208
なるほど、そういうことですか
パンタ上下とか蒸気はき出しとか、現在の感覚なら
ボタンとか、指令をもって行う形でとりあえずやろうか、と考えがちですが
原始的なシーケンサでも、当時はまだまだ信頼性が低かった、というところでしょうか
でもこっちのほうが、故障時の対処を考えれば、現在でも残してもいい形態かもしれません
たまらなくマニュアル制御でかっこいいという点もあるしww
ありがとうございます! >>206
EF58 89の機器配置説明写真によると
http://photozou.jp/photo/photo_only/1490040/166254625
「入(レバーの陰)ー吐出ー出」の弁は、雪カキ器操作弁となってますね。
※スノープラウを空気圧かなんかで調整できたんですかね?私も初耳でした。 取付式のスノープラウは
普段は連結の邪魔にならないように
ブルドーザーのように平らにしておいて
いざとなると中央が前に出て尖る仕様
先台車を正面から見ると台枠にロッドの穴がある
長岡あたりのは固定式で別物 >>210
可動式のプロウの操作用なんだね
88や124がつけてたやつか
>>206
208だけど、適当なこと言ってすまんかった
写真のアドレスから14号機かなって思ったんだけど横川の172か
あの可動式のプロウ、2段階だったんだね。どうちがうんだろう 209 「原始的なシーケンサ」
スレ違いで申し訳ないが、747-400とか
777とかはスイッチポンでエンジン始動
してるようだけどあれもソフトハードの
シーケンサが随分良くなったからだろうね。
湿度気温気圧全て高信頼のセンサから
パラメータ得て最適化された手順で
簡単にできるようになったんだろうね。
昔は航空機関士の人が神経質にやってたみたいだけど。 >>206
これは何号機かな?
Hゴムのデフロスター付みたいだが。
前にあるのは飯田線の旧国のように見える このレバーをまん中にすると盛大にSGが吹き上がるのか。あのシーンはめちゃくちゃ格好よかったなあ。
調整弁で勝手に吹き上げるものだと思ってたけど、
マニュアルで出来るなら機関士さんに酒でも差し入れ
して吹き上げて欲しかったなあ。 機関区行くと
連結器の近くから逆噴射wしてるのが見られた 218 あれ連結手が蒸気もろに浴びたら火傷して
死ぬんじゃね?色が透明だと死ぬよ。白く見える
位ならだいじょぶだけど >>221
火を落としてあって残った圧を抜くところと思われ j-train79 宇都宮運転所最後のEF58 13両で、
60-3改正で89と122の2両が残ったと書いてあるけど、
141も故障離脱するまで(61年の夏前だっけ?)使われたんだけどな。
伊藤久巳も知っている様で知らないのか、ただ呆けたのか? 情報は正確でなければならない、という大前提の上で、
ふいんき的には荷レ中心の定期運用がなくなーた85.3時点で、集中力と関心が途絶えてしまったという言い訳が
成り立つ、かも知れぬ。 定期運用なくなってたからは
イベント用に落ち着くまで分りにくくなったのは事実 >>226
東海道・山陽筋では59.2改正までだな、
配置されていた区ごとの特徴が楽しかった
下関集中以降はおまけ、撮る気が失せた 下関集中配置の時に勝負ありの感じだったよな
どのカマが残ったのかも覚えてない
順々にEF62に代わってフェードアウトする頃には
俺も燃え尽きて撮りに行ってなかったw
運用離脱は古巣で取り込むようにしたのでなかったかな
家に帰してやろうという親心があったかは知らないが
解体費用の分担割合が関係してた希ガス >>229
RFのEF58置き換えレポによると、わざわざ古巣に戻るように運用を組んだとのこと。
多分皆さんご存知と思うが、EF62 を各機関区に貸し出し、そこで乗務員研修、
研修終了後、定期運用中のEF58をEF62に置き換え、EF58はそこで運用終了。
ただ、EF58の配置が無い機関区でも研修を行うため、古巣に戻らないものも多かった。
(静岡や沼津など、記憶にあるのは米原の118が岡山で運用終了)
この下関の配慮だが、元東京区の車両(番号失念)が故障のため運用が狂い、戻れない車両が増えたとの事。 東京、何号機だしたんだっけ?
壊れたので有名なのは宮原の100だな。小郡で晒し者になってた
で、東京の68を投入だったような 華麗なる特急電機(青)を出してみたが
84年発行なのに81年までしか配置一覧が載ってねえ
ブームに乗って旧版(茶)にちょっと手を加えただけか 下関の時に68が荷レでSG吹き上げてる写真があるのでそれは間違いなし。129も入ったという話も聞いたような。61も聞いたような。
その後東京機関区は61以外のプロパーが消えて
93と160の浜松ボロ釜のリサイクルになりまし
たなあ。ありゃハードオフででも買ってきたのだろうか? ゲロマルと呼ばれたのはその頃からか
古巣の浜松機関区直通のイベント列車牽いてたのは乗ったw
93はなんだかんだで車籍消えてからも生き残ったな 2005年頃、あたりまえだった国鉄型がチラホラ
なくなりそうな時に写真取っておくかと現地で
会った人とは、まだ下関の配置の時の事など、
あの時どうしてたか?と普通の話題として話すことが出来た。今は世代が進んでそんな話も
出来なくなってるのかなあ。
ゲロマル、言われてたね。宮原は126,127,150
っていう大窓は望めないにしても端正なプロパー揃いで残ったのになんで東機はよりによって
浜松の表面ブクブクのボロ釜2台なんだーという気持ちがこもっていた。中古車でも走行15万キロの元々固体的にアタリだったやつが使い込まれていつまでも使えそうって事があるけど、
それに近いものがあったのであろう。車検残の
関係が1番大きかったのは当然として。。 民営化後も
150=イゴマル
122=ゲニニ
この呼び分けはなんなんだろうな イゴマルは使った事あるがゲロゲは語感が汚いので好かん。
36号機が出た頃の鉄道模型趣味の表紙が大窓水切りなし
スッキリ茶色の超原型状態。いがんだつらら切りもHゴムもナッシング さあ日本はこれからだゾって希望がある。何も付いてないゴハチ。。それから15年日本の旅客輸送の中枢を担った。その後の15年は創価学会員の輸送頑張った。 上で書いたのは昭和27年の鉄道模型趣味の表紙だった。 なんとも言い難いのが36号機の後ろには17mダブルルーフの木造?と思われる客車がズラリ。
これが神話の世界のようなナハ22000型か?屋根なんか裾が絞ってあるから
モコッモコッってなってるw こりゃもう旧型客車とも言えないのではないか。
はとつばめ、その後の20系とかの牽引機として当時は華々しいゴハチであったがその頃から各駅停車の地味な運用もしてたんかねえ。ともかく36号機そのものはそれから32年後の昭和59年に向けて30年後の未来を向いている。しかしその後ろの木造客車を見ると時計は30年逆回りして大正時代まで遡ってしまう。 ゲロマル最後迄SG煙り噴いてたなー81系牽いてたな
誰だ最後、東機に乱入ブッこいてバカってペンキで
いたずらしやがって!
てなことがありましたね〰️〰️。 65513が山型富士マークで牽引してたのもすげーな ゴハチデザインを考えた人は神!
これがなかったらELのフォルムに光が当たることはなかったかもしれん クハ86、21から2枚窓だけど。全金属が出るころにはもう58は最終型 平成初の1号編成お召じゃなかったか?
もう動かないのではと噂されてただけに
そりゃもう大騒ぎさ
御料車が天皇と一緒に代替わりしなくなったのもここからか 録画して鑑賞したよ
プロジェクトXみたいな演出だった
ほんの一瞬、1回だけ寝台特急色のカラー映像が映って嬉しかったなぁ
横川の172
今はあんなにボロボロの禿げ禿げなのね(´TωT`) >>259
今回、初めて見たのが42号機の写真で青の直流新塗色、原形大窓庇付きで原形フィルタだった。
カトーの模型で青色、原形大窓、原形フィルタが実際いたのかどうか、写真が上がってなかったが、かなり近い形態。
庇付きとはいえ初めて写真見たな。 >>262
68号機がこの形態だった時期があるようだね。
ttps://blog.goo.ne.jp/kiza3jp/e/3d51dbb579bd48391df358bfa3c21edc とはいえ、よく見ると1位側のワイパーがWP50形化され、水切りが湾曲しているようにも見えますね。 失礼
✕1位側
○運転席側
でした。 >>263
これも初見だ
水切り湾曲は61と123号機は知ってたけど68までとは。
厳密に模型通りの仕様があったかは益々気になるな カン(ヘッドマーク)が付かないほうの顔が美しいと思う人、います?
「列車」としては、手間が掛かるぶんカンが付いたほうが美的面で宜しいのはもちろん十分理解できるんだけど、
ゴハチという機関車視点の場合、左右のヒゲが下に向けて細くなっていって一点で合わさってる最下部まで見えてるほうが美しいと個人的には感じる >>268
サンセーイ(・∀・)ノ
そしてお召の国旗は別格と思いつつも
回送の髭面も大好き 先日ホームセンターで買い物したら、合計金額5861円だった\(^o^)/
記念にレシート保存しとこっ
61号機はいつになったら鉄道博物館入りするのだろうか? てっぱくよりもふっかつ
でも蒸気吐かないからパンダちゃんとはみなしてもらえないかな(´・ω・`) 無知な私に教えて下さい。
引退の原因は台枠の亀裂と言われていますが、
若造にわかりやすく言うと「台車枠の亀裂」という事なのでしょうか?
SLの台枠等ググったのですが、ゴハチに当てはめるとどうなるのかよくわかりません。 58というか旧型電機は蒸気機関車の足回りにモーター載せた感じ
2Cの蒸機を背面合わせして箱形車体を載せてるイメージ
トルクに合わせて動輪径は小さいし、ロッドない代わりにモーターが車輪間にあるから軸箱が外側にあって別物に見えるけど >>274
EF58の台枠は
http://kraken.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/26-8-8-1627.html
のとおりです。
亀裂が発生した場所によって処遇が異なり、廃車第一号となった21号機の場合は、亀裂発生後は使用されずに休車を経て廃車になったので、台車付近に亀裂が発生したことが考えられます。
これに対し、61号機の場合は亀裂発生後は客車等を牽引せずに単機限定で使用していたので、連結器付近に亀裂が発生したことになります。 >>275>>276
ありがとうございます。よくわかりました。 連結器付近の亀裂発生ですか
SLならチョチョイノチョイで治しちゃうのかな >>268
61号機のヘッドマークは61の美しさを妨害してるだけ
何も付けない方がいいHM取り付け反対派です 希望ナンバー特定号機にしようかと思ったけど、結局1台にはしぼれずシンプルに・・58にしたよ。 >>263のブログ凄いな。茶色時代の1号機まである。68号機は踊り子とかでも結構撮ったけど、この釜とか12号機とか大窓時代あったんだよなーって思ってた。68号機は昭和47年から48年の間にHゴムと外側交換の尾灯になったみたいだ。昭和47よりも少し前にピクトリアルの表紙になった事があってその時は窓下手すりが
銀色になってるね。東京機関区は61もそうだけど124 129 148あたり地味にずっと転属しないでいた釜が多いね。154もそのコースだった感じだけど宇都宮に転出してEG化されて北封じ込めになった。。 https://blog.goo.ne.jp/kiza3jp/e/5416eb56535cd5b99e08bb8245d64593
ずっと東京機関区居着きの124号機、昭和39年
時点でブルトレ塗装。EF60 500にブルトレ牽引バトンタッチした前後かな。
この辺りの線路脇の石垣は今もまだそのまま残ってる。昔はその石垣が波打ち際だったらしいすげぇ。そらーちょっと波が高ければ運行に支障がでてたんじゃないのかな?昔のインフラの弱さよ。。今この辺り、画像の国道一号線の上下線とも上り車線になってこの海側に下り車線が2車線出来てて更に海側に東名高速が走っとります。 石垣が微妙に波消し構造になっとる。 >>284
尾灯の周りに付いているものは方向指示器ではありません。正式な名称は知りませんが、下半分をめくり上げると赤色になります。現在、貨物列車の最後尾に取り付けられている赤色の反射板と同じ目的のものなのです。ゴハチの場合は上野⇄尾久の推進運転、瀬野⇄八本松の後部補機等で使用されていたようです。 ついこの前まで、61が走っていたし
EF55だって走っていた
時の流れは早いねぇ ついこの前まで、61が走っていたし
EF55だって走っていた
時の流れは早いねぇ >>287 すみません、それです。ネットで検索しても正式名出てきませんね。機関車が先頭の時に畳んで車体色と一緒、後尾の時に広げて赤色。151系で前照灯に赤色フィルタつけてるのと同じ意味合いですね。昭和40年に規定改定で運用終了したと聞いていたので意外でした。ゴハチの青色塗装が始まったのが昭和40年らしく、新塗装になってもつけてるというのは謎謎。。
件のブログ大窓31号機の茶色時代にもワイパー
カバーがついていて形態学的?にまだまだ知られてない事が多そうです。 >>290
151系の前照灯にフィルターを付けるのは防護目的では?前照灯に交互点滅回路があって緊急時に使用する感じだから目的が違うよ。
キハ80系やキハ181系は前照灯内側に専用で常設してる。 >>290
茶色時代の31号機にワイパーカバーが取り付けられている写真は、『EF58ものがたり』愛蔵版のP.254に掲載されています。 EF58の運転席に座り、ポイントなどの急カーブを走行すると、
時間差攻撃で左右に大きく振られる。
EF60や65などに比べ、運転席の装置・機器類はスカスカで、
DLのキャブとあまり違わない印象。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています