薄幸の国鉄直流電気機関車 EF60/61を語る [無断転載禁止]©2ch.net
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国鉄電気機関車史上薄幸の部類に属するEF60/EF61を語るスレです。 70と同時期じゃないのは、制御器の開発に時間がかかってたからでしょ。直流と交流は
制御器同じじゃないから。SG積むのにも結構な設計変更あるし、同時期に62や63
も作ってるし、そんな簡単にいくと思ってるのが凄い
>簡単に切り替えられるよう考慮した旨
簡単じゃないから
61-200は60の歯車比のまま。なのに60の番台区分じゃないのはバーニアと空転再粘着の
機能を外して60の性能がでないから。再粘着まではお勉強したみたいだけど、それだけ
積めばいいってそんな簡単じゃないからな。制御器まるごと交換。言ってみれば60後期
の歯車比を変えて自動進段にすれば「簡単」に65になりますって言ってるようなもん
61-100はそれやって60にすればいいのに計画ですらそれをしようとしてないのは面倒でカネが
かかるからだからだよ。いうのは簡単だけどね。で、簡単って記述あるの?
72と73が形式違うのはSG積んだことによって軸重が違うから。軸重制限が
あるところに重い機関車いれないように形式かえてる。DE10と11がそう
64はEGの有無で番台区分すらしてないのは軸重も性能も同じだから >118
>125
>129
>137
EF61貨物機改造考慮説(=国鉄の説明)を否定する見地に立つ皆様は、否定説が正しいということを
立証できていないと思います。まあ、ないことを証明するのは悪魔の証明になるので、もとより否定説を
立証するのは極めて難しいとは思いますが、それはさておき、否定説に立つ皆様は、小歯車を取り換
えて歯数比を変える改造は困難であり、そのような設計はあり得ない、という前提に立っていると理解
します。
でも、それは、単に設計の巧拙という「評価」を語っているに過ぎず、かかる設計を「していない」ことの
証明になってはいないということに、いい加減気づいていただきたいものです。
さらに言えば、貨物機への改造が困難かどうかは改造をする立場の人が評価すればいいことであって、
外野席がとやかく言える立場ではないでしょう。要は、改造が簡単にできる設計であるかどうか、という
ことと、そのような設計をしたかどうかという問題は分けて考える必要がある、ということです。お分かり
いただけますか。
繰り返しますが、設計した立場の人が、貨物機への改造を考慮した設計だと言っているのですから、
それが事実でしょう。それを否定しようという神経が、私にはさっぱり理解できません。EF61が、貨物機
への改造を考慮した設計だということが事実だと何か困ることでもあるのでしょうか?不思議というほか
ありません。 >>137
”70と同時期じゃないのは、制御器の開発に時間がかかってたからでしょ。”
とありますが、私は>>136で(HN書き込み忘れてました。失礼しました。)、EF70とEF61が同時期に
発注されているのに、なぜ、EF61がMT52を搭載しなかったのかの説明が必要なのでは、という趣旨で書
いたのですが、ご理解いただけなかったようですね。EF60と部品を共通化した方が保守上有利だからに
決まっているだろう、といった回答が返ってくることを期待したのですが、そもそも、EF70がEF61と
同年にデビューしていることをご存じなかったようですね。
”簡単って記述あるの?”について
あります。>>134で紹介した、 鉄道ジャーナル1975年10月号54ページに、小奈氏がそう書いています。
”72と73が形式違うのはSG積んだことによって軸重が違うから。”について
これは、>>129の”そもそもSGは形式変える対象にならんし”を否定する趣旨でしょうか。ならばいいのですが、
肯定だとすると、矛盾することになります。>>129と同一人物でないなら問題ないですが。 >>139は、>〉136同様、私です。また、HN書き忘れました。すみません。
ところで、>>130、>>132さんが質問していた、EF53、56→EF59の改造ですが、それに言及する
資料を見つけました。鉄道ファン1979年3月号(通巻215号)「現代のスーパーメカ 峠の機関車の
すべて」(関 崇博)です。これによると、EF59は、大歯車、小歯車いずれも取り換えているそうです。
また、同資料では、計画中だったEF61の100番台の改造について、歯車比を200番台と合わせるため、
16(原典は”61”となっているが、誤植でしょう。):82を200番台と同じ15:82とする旨の記述があります。
この数字は、小歯車だけを取り換えて歯数比を変更する計画だったことを示唆します。
なお、関 崇博氏は国鉄関係者ではない可能性があるので、これらの記述が正しいかどうかは
論評を控えます。 在宅で暇なんだね
ともかく自論が正しいと信じて疑わない人は面倒だね >>142
まあ、暇ですよ。私が暇な方が世のためには良いと思っているので別に気にしませんが。
それはさておき、私も自説が正しい云々には同意です。
EF61が貨物機への転用を考慮した設計だという事実を信じない、言い換えれば国鉄関係者は嘘ついてると信じている人に、それを気付かせるのは大変面倒だとわかります。ある意味恐ろしいです。 JRに引き継がれた両数はEF60よりも多いし、定期運用もあったから、EF61という形式自体は薄幸とは言えないな。 EF60の近代ぽいがどこかあか抜けない顔が好きです。 EF53ないしEF56 EF59
MT17またはMT17A形 そのまま
27:71 21:77
1時間定格68km/h(EF53の13号機以後のみ72km/h) 51km/h
1時間定格8,500kg 11,700kg
だいたい旅客用電気機関車は貨物化改造されていることから、EF61は対策を施していた
ただ、EF61の性能を見る限りにおいて、高速優等旅客列車用EF58の後継ではなく、各停とか荷物郵便列車用機関車の側面が強い あれは修学旅行の帰り新幹線から見る濃尾平野だったんだろうが、
EF61がSGの煙を蒸気機関車みたいにもくもくと盛大にたなびかせて
荷物列車を引いている景色は忘れられん。。。ってことは冬だったん
かいな。。
EF60も61も65もゴハチに比べれば四角い箱型のつまらん奴で十把一絡げ
九州行きブルトレに乗ってて彼方からぴょーと警笛を引きずりながら
ぬっと一瞬白い顔が見えてすれ違ってく。中にはEF61がぬっと、おお今のは
ロクイチだったナと一瞬考えるがすぐに忘れる。
って別に遠征する必要まではなかったが武蔵野線走ってた特にEF60 500
とかちゃんと撮っとけば良かったと今になって少しクイル。 ヲイ、皆の衆、>>148の書き込みの素晴らしい終わり方が理解出来ているだろうね!?
ところでEF60 19はまだ解体されていないで良いかな。
保存するなら尾灯は原形の反射板取り付け対応形状のものに戻して欲しいね。。。 無理でしょう。その部分まで復元した保存車は記憶にない。
ED70も外されたままだし、マイテは復元前から付いたままだったのが存置されただけだし。 JR東海のオハフ46に反射板が復元された事あったと記憶
須田コレクションもずいぶん減ったね EF61って「旅客用」として出てきた割にはギヤ比低いよね(5.13)。クイル式のEF60 1次車の小歯車の歯数を1増やした(15→16)だけで、EF63(4.44)よりもローギヤード。
ゴハチの2.68までは言わないけど3〜4の間に収めようとか考えなかったのかな?
開発に時間が無かった?
将来の貨物化改造を踏まえてEF60と部品の共用化の為に極端にギヤサイズが変わるのを嫌った?
電車列車の間を縫って走る事が想定されたから、後続の電車から逃げ切れるように加速度重視した? 60の一次型と61のモーターは定格回転数が高い。MT49は高回転型
旧型電機は新性能機とは動輪径が違うからこれも歯車比だけの単純比較は出来ない 機関車の幸せとは何ぞや
スレタイを見て考えさせられた 詳しい人、教えてください。
EF61 0で清算事業団に引き継がれたのはありました?
JR移行前に全車解体されたのでしたっけ? >>159
昭和60年度中に全車廃車だから引き継ぎはなかったんじゃないかな 高崎のEF60は19より避雷器をヘッドライト後方に
移設した2次形トップの15が味があって気に入っていた。
かなり長い間放置されていてボロボロになって解体だったっけ。 EF61は全体保存機が無く、4号機の前面カットしか存在しないのが悲しい。
碓氷であの優雅なロングボディ車体を見たかった。 >>161
EF60 15は最後に凄まじい解体画像がネットに載ってたな。
前面にファスタが口開けたような凄い切れ込み入れられて見るに堪えない状態になってた。
1962年に製造されて黒貨車を牽いて黙々と高度成長を支えた最後があれかと思うと哀れだった。
今回画像をググったが見つからなかったが。。。 高崎のEF60を調べたら16号機も長期留置していたのを初めて知った。
国鉄民営化の過渡期に15号機と16を19同様に何れ動かす予定だったのか、
それとも静態保存用や部品取りとしてストックしていたのかが謎です。
15号機は2000年に解体処分、16号機の解体時期は不明。 15が倉賀野じゃなかったっけ?って思ったら16が倉賀野か
6314やPの539と同じころだな、2006年。2chでも話題になった 足利の123も貴重だけど、やはりEF60はブタ鼻に
なっていても一灯ライト車がもっと保存されていればね。
倉賀野解体16号機はスカート左側通風口が
塞がれているのが気になった。 で、EF60 19ってまだ解体されずに残ってるの? EF61の顔がED72のような"<型"のラインだったらもっとかっこよかったのではと妄想。
ED72、ED73だけがあの顔つきになったのも不思議だし。 >>169
EF61がMT52搭載で登場していたら、ヘッドライトがEF80前期型や
ED72・73のようなタイプだったのではと想像する
実際に絵を描いてみたが、まあまあ良かった EF61は東海道新幹線開業後は貨物機に改造することを前提に造られたけど、貨物機に改造されることもなく、
昭和50年代に計画された瀬野八補機への改造も貨物列車が減ったために実施されなかった。 それは200番台が重連で上手くいかなかったからだよ EF60初期車、EF61、EF70一灯車の運転室側窓左下が
斜めになって正面窓と繋がっているようなデザインが独特で好きだね。 EF60513が牽くカモレが
新宿方面から下って行く
そんな写真がある 特急色だったらぜひ拝見したい処
2灯の500番台って3両しか居ないんだっけ? >>176
番号忘れたが、3両のうち2両はブルトレ牽引時代に一般色に塗り替えられそのまま
悪いのは大宮工場 フイルムの余りでしか撮られない車輌を
薄幸という。
これよりシンプルかつ完璧な説明はない 現像された(残された)写真に、いちいち撮影現場でメインか余りかなんてキャプション
あるわけないから、後代の者はどっちだったのかなんて判らない。
つまり、残ってたらそれでいいわけ 薄幸の〜って基本、民鉄買収系のイメージ
でなきゃ54の呪い EF60だと瀬野八本松上りは旅客列車は後補機いるんだった?
EF58は要るんじゃなかったかな? >>184
ED74は九州に左遷されたかと思ったらそこで特急牽引という花形運用を与えられたから正確には栄転かも? >>185
牽引定数こそED76と同等だが軸重の問題で大分以南は入線不可
華はあったがSGではないので旧客に充てられなかったって事情あり
北陸で6年九州で6年の実動12年で後に休車4年を経て廃車は十分薄倖かも 19号もついに解体か
丸ごと残ってるのは123号と501号だけになったね
どっちも上屋無し保存だから今後も安泰とは言い切れないな 保存機上屋なしってか屋外さらし展示って日本の高温多湿の環境舐めすぎ 保存できなくなるほど劣化すると解体処分も難しくなり
どうしようもなくなる粗大ゴミになり果ててしまう
安易な保存は為にならないことを周知しなければならない ゴハチの荷レは撮影してもEF60や65のカモレはスルーした。
EH10とEF66は気が向いたら撮った。 >>180 フィルムの余りで撮影されたものはいちいち印画紙にプリントされずに永遠にネガのまま眠っている。撮った事さえ忘れ去られている。 つづき
白黒反転の陰画像であるから、EF60の車体の大部分は極薄い灰色、正面は黒の警戒色、台車とパンタグラフは透明であったと、陰陽を知らぬ後世には思われるだろう。
しかしEF60が薄光であったとはあまり思わない。いわゆるマニアに注目されたか否かの問題でそれは樽に取らない事だ。実際には国道が僅か片道一車線の絶望的に貧弱過ぎた昭和40年前後の東海道貨物輸送を一手に引受けた英雄であり、今なお活躍するEF65への原型であると言える。 EF61が主制御器が手動間接の最後の形式だな
EF62から自動進段となった
いきなりフルノッチに入れたら主回路焼損する 初期のEF60は良い顔してたな。
スノープロウが無い顔はなんか平べったくて洒落っ気も無い平和な顔だった。
尾灯周りの赤い円盤点けられる内側からランプ交換するテールランプ顔が好きだった。 ED60/61も薄幸かな。新型直流電機で1灯つながりで。 EF60は歯車比が3.83だったら民営化後も残っていたのだろうか 補償巻線付きだったらフラッシュオーバー回避できた? >>1
系列としては、国鉄晩年に
いささかの輝きはあったと思う
不本意的とはいえ輝きは輝きかと >>1
系列としては、国鉄晩年に
いささかの輝きはあったと思う
不本意的とはいえ輝きは輝きかと 活躍の機会のないままにロートル化して消えていった形式は機関車電車気動車いずれにも類例がある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています