昔の伊予鉄道を語る
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
中途半端に保存して結局解体の101とか300系とか600系とか
梅津寺にでも移設・公開してほしかった
潮風受けるから、たくさん展示すると維持が難しいか >>2
それもそうだが晩年の3連化には卒倒した
生まれも姿も異なる車をなぜ繋ぐのか、
せめて中間車に挿入してくれたら
まだなんとか編成美は保てたであろうに 昔は茶色の一色塗りだったのね
オレンジ基調の色に変えたのは大正解! モハ600は路面電車っぽい顔がチャームポイントだと。 昔の軌道線の方向幕は今のような系統別色分けじゃなくて、行き先別(前後幕)色分けだったけど、
道後に行くなら赤色って教えやすかった 側面の裾の切り欠きなんかも路面電車臭がしてました
昭和33年誕生とのことだが、なんで唐突に新車投入になったのかな 京急やら西武やら京王やら相鉄やら、
中古車の調達先は関東大手onlyだった
ゲージの異なる京急京王からはどんな経過で買い受けを決めたのかな 清水町は交換設備があったし、上一万には渡り線があった
城北線の遅れでダイヤ乱れ時の行き違い待ちの弾力性確保のためにも清水町の交換設備復活してほしい >>10
唐突というか、こういうのはメーカーが売り込んできて
条件があったら買う、というもんでしょ その問いにドンピシャの答えではないが
1960年前後に地方私鉄にあいついで納入された
日車標準車体が近いかも。 市内線で窓が全開できる車なかったかな?
子供の頃身を乗り出そうとして危ないから止めなさいと見ず知らずの他の客に注意されたのを覚えてる 全開できたとしても保護棒に遮られて身を乗り出せないはず
とはいえ危険には違いないから昔なら親でなくとも躊躇なく咎めるのは当然かと。
良い時代であった 保護棒って乗客の転落防止用なのか?
車外から飛来した物体がガラスに当たらぬよう保護するためのものと認識していたが。 梅津寺パークにハ31が置かれて触り放題荒れ放題?だったのが懐かしい >>26
梅津寺パーク自体がありません
ハ31は古町にブルーシート被せて残してるはずだけど >>22
市内線のスタンダードとも言える50は当てはまらないから
あるとしたら元京都市電か元南海和歌山か、の何れかだろうか 元呉市電は見た記憶があるが元南海は見たことなかった
ほとんど稼動してなかったんだな 見るからに狭幅でこじんまりしてた(だから他車より早く廃車されたと思い込んでた)が、
調べると長さは在来車よりも長かったよう。
小学校に上がり市内電車に興味持ち始めてヲチしてた中で
一番遭遇するチャンスの少なかった車がこれ 三坂ドライブインが懐かしい
梅津寺パークが懐かしい
久米ファミリー温泉が懐かしい
市駅バスターミナルが懐かしい 東京ラブストーリーを思い出した
ロケに使われてたね 今のわけぇモンは知らんだろう
織田裕二と鈴木保奈美がこんなに若かったのを見たら驚くぞ 今でもハンカチーフがくくりつけられてるんでしょ
ドラマの影響力はすごかったんだね ドラマのお蔭でわざわざ乗りに来る客が増えたというから、
伊予鉄にしてみればフジテレビさまさまといったところかな 大分から東京へ帰るのに、ヒマだったもんだから
大分→臼杵→(フェリー)→八幡浜→(宇和海)→松山→(しおかぜ)→岡山→
(のぞみ)→東京という経路にして、大分駅で、「しおかぜ」やら「のぞみ」の指定券を用意。
ところが、この「宇和海」が鳥ノ木駅での人身事故で伊予市で抑止されてしまい、
松山までの伊予鉄利用に誘導された・・・
で、オレが持っている乗車券類を見せると、車掌サンも駅員サンもすごく申し訳なさそうに
「松山からの接続列車には乗れそうもないので、後続列車の指定席へ振替でよろしいでしょうか?」
といった感じ。まあ急ぐわけでもないしーなんて思って
「どうせなら松山発を3時間程度遅らせてください。遅れついでに観光しますから」
といって、伊予鉄道の鉄道線に全線乗った。東京では懐かしい車両が元気に走っていて、
もちろん梅津寺駅でも降りて、例のスポットで記念撮影・・・
しっかしまあ、悲しいくらい乗客がいないんですよねー。 >>38
今から見れば筋書きが他愛ないし台詞ももっちゃりしてるけど
完全にハマって見てた。
600がワンシーン映ってたと思う。 関東大手私鉄から買った中古車で室内灯が白熱電球のやつなかったかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています