珍しい発着駅・経由路線・車両の列車 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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見かけなくなった珍しい発着駅・経由路線・珍しい車両を使っていた列車を語るスレ。
今回から始発駅と経由路線と車両についても解禁です。
前スレ
こんな行き先の列車がありました2
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1240139814/ 大昔あった南柏発土浦行きとかか。
もともと二面三線だったらしいからな。 棒線駅といえば厚木折り返しの相模線列車なんてあったな。 上野発着時代のよねやまが、柏崎止りだった時代があった
海水浴シーズンでもないのにどこか中途半端 >>22
南柏発着は国鉄末期に回送であった。
つくば万博の臨時列車の留置目的だがな。 色々なスレで既出だろうがあきよし
浜田始発・益田で分離・厚狭で再併結・小倉で分離
一方は日田彦山線経由天ヶ瀬行き 新宿発八高線経由水上行き準急奥利根
八王子発八高・両毛線経由小山行き
児玉発宇都宮行き 重複折り返し
(例)苫小牧→(白石)→札幌→(白石)→旭川の白石ー札幌間
のケースで最長の重複区間って何になるのかな?
記憶にある範囲だと「のりくら」の季節延長であった金沢ー津幡あたりが結構長いのかな? >>33
それを例に出すならおおぞらの
苫小牧-千歳空港(現南千歳)-札幌-千歳空港-追分を出すべきじゃね? >>21
棒線駅折返はJRでは定期列車では今や全国探しても同志社前にあるだけ。
その割には同駅折返列車は意外と多い数なのだがな(しかもこれでも減少しているのだがな)。 平岩もシュプールの入線が無くなって程なくして1線化された 中野発上野行、上野発中野行(四ツ谷・新橋・渋谷・池袋軽油) >>40
小野新町発上野幾急行「みはる」なんてのもあったな。 半蔵門線三越前行(1989・1〜1990・12)
百貨店を持っている東急が、ライバルの名前を出すところが、なんとも屈辱的。 >>45
個人的にはそれより都営新宿線から半蔵門線に乗り換え可能になったことのが大きかった。
それから15年後に住吉でも繋がるとはって感覚だったが。 前橋発富士行なんてあったな。
そういえば、終端駅ではない1面1線だけの駅で、折り返し運転が行われたことってあるのだろうか? >>49
それをいうなら「ひめかわ」だろう。
青海〜新潟(越後線経由) >>49
乗った乗った。東京をシュプール号で出て、始発の上田から乗ったわ。
越後線を完乗するのに便利だったな。
ムーンライトの車両で豪華だったし。 有楽町線営団成増行き
営団最後の日の2004年3月31日
一日限定で復活した。
ちなみに、新駅名が「メトロ成増」ではなく「地下鉄成増」なのは、やはり、駅名にカタカナはなじまないからか(メトロ的に)。 関西本線経由急行大和東京発湊町行き
ちょっと前にバスタで湊町行きを見たけど
バスでは湊町は結構重要ターミナルなんだね >>54
その後王寺行きになったけど、夜行バスドリーム号で王寺行き復活 名古屋・京都間準急臨時比叡
大阪発宇品行き準急第3ななうら
大阪発横浜行臨時急行金星 かいじの上諏訪・岡谷行
そして松本発着定常化後も変わらぬはまかいじ そいえば急行丹後1号。
京都発、西舞鶴で分割された編成が急行のまま次の東舞鶴まで走って、そこで福知山発普通列車に併結。
気動車のキドウリョクがーと言いたいが、いったいどんな需要があったんだろうか・・ >>4
急行しんじ は宇野博多の時もあったなあ
宇野 岡山 倉敷 米子 益田 津和野 小郡 下関を経由して博多へ
いろんな需要の組み合わせをした列車は楽しい >>60
まだ二桁レスしか無いんだから最初から全部読もうよ >>58
直通需要はあるけど、2本走らせるだけの需要はないって事じゃないかな
もしくは、乗務員の手当てがつかないとか
この運用、準急時代からある上に、普通列車との順番が前後してもやってるんだよなあ 急行赤倉
名古屋〜中津川〜松本〜長野〜直江津〜長岡〜新潟 氷川←→千倉
いったいどんな需要があったんだろう・・・ 名鉄の特急の豊橋〜中国際空港
金山折り返しで
神宮前を2度停車 中央線快速の荻窪始発、
総武線(快速が無い時代)の
小岩・平井・市川・下総中山・幕張折り返し。
飛んで飛んで、
函館本線砂川行き、
そのまま転線して歌志内行きに。 >>46
九段下駅では、違う会社の路線(都営新宿線-メトロ半蔵門線)が、改札を通らずに乗り換えができて、同じ会社の路線(メトロ半蔵門線-東西線)が改札を通らないと乗り換えできないという逆転現象が起きている。 >>71
国分寺駅がJRと西武で改札分離される前
国分寺線はJRと行き来し放題で多摩湖線だけ中間改札があるへんな構造だった。 >>45
半蔵門線だと永田町部分開業時青山一丁目〜永田町は地下鉄では珍しい
単線区間だった。(永田町は一面一線で折り返し)
その頃はまだ営団8000系がなくて営団地下鉄線ながら
100%東急8500系で運転されていた。 >>77
元々川越鉄道は甲武鉄道の子会社だったからな >>78
西武有楽町線練馬-新桜台開業時も、練馬-新桜台は単線だった。
この時、有楽町線に初めて西武の車両が走ったが、西武の車両は本数も少なく、乗り入れ終了時は、練馬から小手指まで回送だった。
新桜台止まりの頃は、半蔵門線とは逆に、西武の路線でありながら、全乗り入れ車が営団の車両で、その状態が11年も続いた。 芝山鉄道も当時自社で保有していたのが3600形の8両編成1本のみの快速特急や通勤特急とかで入る前提で、
日中の東成田〜芝山千代田の4〜6両編成の折り返しはほとんど京成車だった。
3600形8両から3500形更新車4両に代わったがそれでも4〜6両編成の日中の折り返しは京成車ばかりで
自社車両が芝山千代田に入る自体が希。中には芝山車が千葉線にいたり金町線にいたりしている。 阪急なにわ筋連絡線もそんな感じになるのだろうな。
走っているのはほとんどが南海の車両で、阪急保有の車両はほとんど見なかったり。 >>72
新大阪って御堂筋線とノーラッチだっけ?
新幹線のことなら相直に過ぎないから >>83
相直だから何?
ちゃんと条件に一致してるんだから文句言うな >>88
循環急行で上下名称が同じだったのは「いぶり」と「旭川(こちらは準急のうちに消滅か?」くらい? 門司港発直方行き
門司港→折尾の側線から筑豊線→原田から鹿児島線→黒崎から折尾の側線通って筑豊線→直方 博多→(鹿児島本線)→原田→(筑豊本線)→直方→(伊田線)→伊田→(日田彦山線)→添田 s40年代後半の急行ちどり
基本
広島ー米子、芸備-木次線経由
基本ベースの最長
岩国ー鳥取
定期の一部
広島ー米子、芸備‐新見-伯備線経由
臨時客レ
徳山ー出雲市、山陽-倉敷-伯備線経由 上野発高崎・上越・信越・北陸・東海道線経由川西池田行普通列車 中央本線 休日運休の高尾発四方津行き 相模線 橋本発原当麻行き 後者はキハ30単行だった 先発1号が宮津線を迂回する間に、後発2号が城崎に先着するあさしお
午前便が2号、午後便が1号だった下り但馬・みまさか 宮原 川尻(現十王) 豊後中村
あと少しで拠点駅まで辿り着けなかったシリーズ 岡山〜鳥取間の急行「砂丘」のキハ58系4両編成は、快速「わかとりライナー」と
共通運用されて岡山〜米子間を津山・姫新・因美・山陰本線経由で運用される列車もあった わかとりライナーとは別にわかとりを名乗った列車があったように思うが調べても出てこない >>108
昭和60年に鳥取県で開催された「わかとり国体」に関連して、
富山〜米子間で臨時急行「北陸わかとり」と新大阪〜米子間で臨時急行「わかとり」が運転された。14系座席車による列車で、後者は山陽・播但線経由だった。 調べてたら答え書き込まれてた。
過疎スレに見えて人いるのね。 111(σ´∀`)σ ゲッツ!!
111キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
111(・∀・)イイ!! >>98
それがSL牽引の「ボタ山快速」という奴ですか。
>>59
準急しんじは最強ですね。
昭和39年頃の運行区間は、
博多-下関-石見益田-米子-新見-岡山-宇野。
「下関で山陰線経由と山陽・山口線経由に分割し、石見益田で再び併結する」
のは既出ですが、
それ以外も
「米子から新見までは広島行準急しらぎりを併結」
「新見から岡山までは広島からの準急たいしゃくを併結」
という二点がトリッキー。
こんな芸当を毎日やっていたなんて・・・・ 昭和40年の時刻表
三石始発5時台の普通電車嘉川行きなんてのがある。
車両は80系だろうか? 昭和30年
普通列車 杵築発門司港行
杵築 ⇒日豊本線⇒ 大分 ⇒久大本線⇒ 久留米 ⇒鹿児島本線⇒ 原田 ⇒筑豊本線⇒ 中間 ⇒短絡線⇒ 黒崎 ⇒鹿児島本線⇒ 門司港
普通列車 鹿児島発京都行
鹿児島 ⇒鹿児島本線⇒ 門司 ⇒山陽本線⇒ 櫛ケ浜 ⇒岩徳線⇒ 岩国 ⇒山陽本線⇒ 海田市 ⇒呉線⇒ 三原 ⇒山陽本線⇒ 神戸 ⇒東海道本線⇒ 京都 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています