懐かしの異端車を語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
特殊な用途や特定の路線に用いるためにごく少数が製造または改造された車両、それが異端車。
希少性ゆえにファンの耳目を集める一方で、異端であったが為の悲哀を味わわされた車両も。
そんな鬼っ子の思い出を語るスレです。 ネタスレにマジレスで悪いが、西鉄ク653。
ハミゴ扱いが哀れで哀れでならなかった涙 相鉄旧6000系モハ6021号
晩年、新6000系一党に鞍替えしたのも異例
横浜行きホームでこれが先頭で来るのを待ってたこともあった 琴電11000形
怪しい電車と言えばコレでしょ
て言うか最凶? 事故復旧において、オリジナルの製造期から大きく離れると
復旧後は全く違った姿になることがある
下回りは同じであるから組成は可能なので
余計に異端性が際立つ 西武池袋線9008F。
2000から改造された9000系列で唯一のシングルアームパンタ。
今やパンタはもちろん、
京阪みたいなゴシックに幕が変わった2000や9000もいるからな。
異端としては薄れてきた。 >>4
似ても似つかぬ小型車に何故白羽の矢が立ったのか ビスタカ一10000系。
ただでさえ希少価値があったのに、事故で別の顔にされた車両もあった。
一編成であれだけ顔や塗装が変わったのも珍しい。 東急7200のアルミ車
営団東西線5000のアルミ車
いずれもデフォルトはステンレス車。 名鉄 3560形だったっけ?
焼けたALの足回りにHLのハコを載せた1形式1両なんてのがあったね >>15
東急なら、初代8000系8400も。
軽量ステンレスの試作型。 >>20
ありましたね
どうせ作り直すなら3770並みの高運&両開ドアにしてもらいたかった モ3561登場時、3700系はまだモデルチェンジしてなかったのでは? 2代目の東急デハ8400も中々の異端車だな
1Mで回生範囲を広げるためにわざわざ750Vの主電動機まで用意したが、すぐに2両を残して普通のユニットに改造された
余った主電動機と制御器はデハ8490に持っていかれた 東武サヤ8000、8000系の番号付けているが、旧型車の車体流用サイリスタチョッパ試験車 >>13
しかも僅か13年しか稼働してないしな。10007の貫通ドアは使われた事はさすがにないよな。 >>29
あの貫通扉はさすがにないが、事故で余ってた
ユニットはエースカーと組んでたらしいね。 事業用車両まで含めると広すぎないかな
工事車にしても、救援車にしても、殆どの場合が少数だもの。 >>26
1編成しかないから異端ではなしに、
正面貫通が標準の阪急にあって、
例外的に非貫通デザインを採用したためだよな? 阪急にも非貫通スタイルがいたやんか
流線型200が有名だし、神宝線にも610系の一部あり、
もっと遡れば北大阪電鉄引き継ぎの小型車も‥‥‥‥ 異端とは違うけど
阪神の高性能車が最初非貫通で登場したと
昔の写真見て知った時はぎょっとした >>35
ジェットカーも初代は非貫通やったね
しかも加速キツいからロングシートは危ないとクロスシートな 東急8500系8542F
8500系唯一VVVF車。電動車は99を越えたためにデハ8700 8800形は0700 0800標記。
8500系延命策を目論んだが結局5000系投入に方針が換わり、延命はやらずに終わる。
2000系共々東武直通不可。 >>38
阪急210の話をしている時に阪急200や610は遡り過ぎとはいったい 近鉄400系
前面が非貫通、2枚窓の湘南スタイルで、生駒線・田原本線で使用されていた 奈良電鉄引き継ぎ車ね。
合併で多くの電車を編入したは良いが、
600v区間の番号である3桁の車番に空きがなく、
奈良電鉄主力1000のラストナンバーに連続して無理矢理形式化したので
当初はモ455形と呼称されてたと解説書に記載されていたのを思い出した。
1500v昇圧で400番台の他形式が軒並み廃車になったので
晴れて400系を名乗るようになれた、とも。 600番台にも空きがあって1300は680系になったがね シルバージェットは試作車だよ
結果が思わしくなかったから以後、
阪神は永らくステンレス車を造らなかった 保育社カラーブックスの阪神の巻では「シルバージェット」と表記されていたよ ステンレスでは、武庫川での板金補修に難ありという
ことだったんかな >>44-45
軽量化や保守費用の低減を「汽車会社が」試したというのが正確だろうな
当時のアルミ・ステンレス車を1本や1両入れる動きはメーカー主導のテスト 京成3500形にもわずかにオールステンレス車がいるが、それもメーカー主導の試作車だったと思う
それが未更新車の中では最後まで残るってのも謎だが
引退は決定したがまだ懐かしでないのはすまん 東武7800に一両だけ高運があった。
運転台の反対側は通常の窓だったので左右非対称の顔付きとなってた
1983年頃まで伊勢崎線で存命してたはず 南海21201系ニセズームカー
同車は足回りは事故車のモーターや台車を流用して製作された
車体は21001系と同一だったが、昇圧改造工事が困難なことから、
先頭車1両だけがクハ化されて、貴志川線で1251系と連結されて、
同線の3両編成運転廃止まで使用された >>52
名鉄では高運化は珍しく無かったが他の私鉄では少数だね 偽ズームは貴志川線移籍後に乗ったなあ
台車は新調されてたので乗り心地が良く、
明るい車内と相俟って貴志川線のスター的存在だった。 4両あったツリカケ特急の近鉄18000はこのスレ入りですか? 0系26形400番台
グリーン車が1両しか連結されていない「こだま」編成の16形グリーン車の代わりに10両のみ製造された
車掌室、業務用室付きの普通車 札幌市営地下鉄東西線は異端車が6000形試作車以外にもいるんだよな 大阪市営地下鉄10系試作車
新製当初は4両編成で20系を名乗り、谷町線への投入が考えられ、同線で試運転が行われたが、
御堂筋線で使用する方が効果的と判断されて、8連化されて10系と改番され、
御堂筋線に投入された。
この10系試作車は前照灯が中央にあり、前照灯が左右に振り分けられた量産車とは
前照灯位置が異なっていた。
位置が異なっていた >>52
子供の頃あの非対称顔が妙に怖かった
半分7800、半分8000みたいな。
これぞハーフ顔。 >>61
東急ファンとしては、事故復旧車だと3450系の3472だな。
車体新造して、つるんとしたルックスに。 >>64 7915が最強!
アトは帝都の車体番号のまま3000の連れ合いをしていた1560だっけ?
国鉄の20m戦災車を(電車に修復、短縮できなかった)長物貨車
西鉄の653・・・600形のTcに小型で戦前製旧型車100形のTcを内装、電装機器を改造して編入した代物
流石に他社には、製造中の新鋭型式(カルダン車の時代になってから)に戦前製旧型車を車体を殆ど改造しないで編入して例は皆無なのでは? 他社が該当しないように条件を絞り込んだんだろうけど
京王のスモールマルティーがバリバリあった
まあ形式編入するというのは編成単位にシステムを刷新した新型に組み込むということであって、
1両ごとごちゃまぜで融通効く旧車群なら混結したって形式を揃える必要はないから少ないのは確か スモールマルtは妻面の貫通路拡幅工事が車体の剛性を下げやしないかと
心配されたそうですね クハ2008。
京成210形の4コテで、先頭車がクハ2100形でない唯一の車両。
しかも元は戦災復旧車両。 >>53
南海って昇圧の時に妙に新型車体でもポイしてたな。 >>63
江ノ電300は全編成形態が異なっているんだから
306だけ異端ということはないだろ >>69
2本あった雨どいの下の方を撤去してだいぶ違和感は減ったけど、独特の通風器は最後まで残ってたな 地方中小私鉄から取り上げるのも何だが
北陸鉄道モハ3005
兄弟の4両が古色蒼然たる佇まいなのに対してこちとら近代的な全金ボデーと台車。 京成赤電3312 3294 モータ音が独特。前者は一時期 高出力のもの、後者はVVVF 水間鉄道モハ251、252
昭和33年にナニワ工機で製造されて、全長15メートル、前面非貫通2枚窓の湘南スタイルの
同社では唯一の全鋼製車だったが、元南海1251系に置き換えられて1972年に廃車 頂点から転げ落ちる悲哀を味わったのが参急2227系のサ2600。
戦前は皇室の橿原神宮や伊勢神宮参拝の為の貴賓車だったが
終戦により近鉄の一般車へ改造。当初は特急車として扱いは
まだ良かったが、 格下げ後は三扉化。
更に晩年は全ロング化され車番まで団体用2600系に譲りサ3018になる。 南海クハ1900
昭和13年に1両だけ製作され、車内はソファーやテーブルが配置された客室と
転換シートが配置された部屋に別れた貴賓車で高野山参りの皇族なども乗車された。
戦時中は橋本に疎開留置されて使用されなかったが、昭和26年に特急こうや号運転開始時から
高野山寄り先頭車として使用され、昭和36年に20001系デラックスズームカー登場後も、
しばらくの間、20001系「こうや」号と共に活躍した後、普通車の先頭車に格下げ改造
改造時は方転してから入場後、貴賓室部分を切断して1251系などと同じ形態の構体を接合するなどの
大改造だった。
昭和47年に廃車 >>77
たった14年でお払い箱なんて、随分気前が良かったんだね >>71 他は、対になる相方同士種車は揃えていた。
306は種車が違い 屋根の高さが違う。
最初から前照灯は窓下仕様で、当初 正面窓上に方向幕(他車は例の玉電タイプの正面窓下 サボ) >>77 南海1251大挙以前の水間なんて 他の中小私鉄並みに一形式1、2両じゃん。
>>81 通勤圏内になって人口増加で収容力不足になった。
ハコは新しいけど、機器は南海の木造車 故障多発→機器取替改造メンド 車種統一合理的!で廃車でしょ。
但し 大枚はたいて新調したプロパー車に対する愛着はあるから暫くは倉庫としてハコは温存していたでしょ。
阪急の90形(水と油みたいな関係の元木造院電)、93形は(地方私鉄 加越能鉄道の半鋼製ボギー客車)どちらも 標軌の阪急線とは
縁遠い狭軌路線車両。 >>83
それは 阪急96 です
私鉄版オハ31がちょうど電車になるってのは面白いな
オハ31と異なり妻面に手ブレーキがついていたらしいが 南海サハ4801
国鉄スハ43に準じた南海所有の南紀直通用客車で、南海線内では電車に牽引されていた。
車体色は南海グリーンで車内はシートはラテックススポンジ、ドアの上に「南海」の表記など
紀勢本線内では国鉄客車に併結されると国鉄客車より豪華に見受けられていた >>82
そういうの言い出していいなら宮原のスロ81には1両だけ異様に腰高で雨樋も揃ってないのがあったなぁ… 大阪市電3001形
1両のみの製造で、車内はセミクロスシートで試作的要素が強かったが、
音が静かで無音電車、なにわのPCCカーとも呼ばれていた。
今里車庫に配置されていた やっと本来の「異端」が出てきたな
同一形式にあって異なる形状、性能。こういうのを異端車と言うんじゃないのかな
>>82 >>90
異端児を調べてみると
「ある分野で、正統から外れ特異な存在と見られている人」だそうだ
置き換えると
「同一形式、車種で、正統から外れ特異な形状、性能をもっている車」と言えないか >>1の意図は違うみたいだが…
だからどっちもありという感じでよろしかろう >>93
すまない、その通りだな
細かいこと言うべきじゃなかったな 近鉄12000系初代スナックカー
2両編成10本が製作されたのち、改良型の12200系が登場した。
外観は12200系と見分けが付きにくく、地味な存在だった 12000はトイレがなぁ
狭いのは仕方ないとしても、位置が悪かった
これも仕方ないが、便器が1個しかないのも…
定員との両立に苦労したのは分かるが
現役車だと、12410もトイレの少なさが×
完全にスレ違いだけど 名阪ノンストップどん底期に2連単独でよく使われてたね。12000。 営団銀座線で1本だけあった先頭が1900形の編成。 京急400系の中に一枚下降窓の車が混じってなかったかな?
今では珍しくないが関東で一枚下降窓は1970年代まではレア物だったように思う >>98
まぁその為に作られだんだし。
大体12000は10編成も存在したんだから異端車とは言えないだろう。
近鉄ならサニーカーと同年代なのにスナックカーのような
塗り分けをした16010とかが異端車だと思う。 >>100
南海きのくに号の成れの果てやね
乗ってみたかった‥‥…