懐かしの異端車を語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
特殊な用途や特定の路線に用いるためにごく少数が製造または改造された車両、それが異端車。
希少性ゆえにファンの耳目を集める一方で、異端であったが為の悲哀を味わわされた車両も。
そんな鬼っ子の思い出を語るスレです。 >>38
阪急210の話をしている時に阪急200や610は遡り過ぎとはいったい 近鉄400系
前面が非貫通、2枚窓の湘南スタイルで、生駒線・田原本線で使用されていた 奈良電鉄引き継ぎ車ね。
合併で多くの電車を編入したは良いが、
600v区間の番号である3桁の車番に空きがなく、
奈良電鉄主力1000のラストナンバーに連続して無理矢理形式化したので
当初はモ455形と呼称されてたと解説書に記載されていたのを思い出した。
1500v昇圧で400番台の他形式が軒並み廃車になったので
晴れて400系を名乗るようになれた、とも。 600番台にも空きがあって1300は680系になったがね シルバージェットは試作車だよ
結果が思わしくなかったから以後、
阪神は永らくステンレス車を造らなかった 保育社カラーブックスの阪神の巻では「シルバージェット」と表記されていたよ ステンレスでは、武庫川での板金補修に難ありという
ことだったんかな >>44-45
軽量化や保守費用の低減を「汽車会社が」試したというのが正確だろうな
当時のアルミ・ステンレス車を1本や1両入れる動きはメーカー主導のテスト 京成3500形にもわずかにオールステンレス車がいるが、それもメーカー主導の試作車だったと思う
それが未更新車の中では最後まで残るってのも謎だが
引退は決定したがまだ懐かしでないのはすまん 東武7800に一両だけ高運があった。
運転台の反対側は通常の窓だったので左右非対称の顔付きとなってた
1983年頃まで伊勢崎線で存命してたはず 南海21201系ニセズームカー
同車は足回りは事故車のモーターや台車を流用して製作された
車体は21001系と同一だったが、昇圧改造工事が困難なことから、
先頭車1両だけがクハ化されて、貴志川線で1251系と連結されて、
同線の3両編成運転廃止まで使用された >>52
名鉄では高運化は珍しく無かったが他の私鉄では少数だね 偽ズームは貴志川線移籍後に乗ったなあ
台車は新調されてたので乗り心地が良く、
明るい車内と相俟って貴志川線のスター的存在だった。 4両あったツリカケ特急の近鉄18000はこのスレ入りですか? 0系26形400番台
グリーン車が1両しか連結されていない「こだま」編成の16形グリーン車の代わりに10両のみ製造された
車掌室、業務用室付きの普通車 札幌市営地下鉄東西線は異端車が6000形試作車以外にもいるんだよな 大阪市営地下鉄10系試作車
新製当初は4両編成で20系を名乗り、谷町線への投入が考えられ、同線で試運転が行われたが、
御堂筋線で使用する方が効果的と判断されて、8連化されて10系と改番され、
御堂筋線に投入された。
この10系試作車は前照灯が中央にあり、前照灯が左右に振り分けられた量産車とは
前照灯位置が異なっていた。
位置が異なっていた >>52
子供の頃あの非対称顔が妙に怖かった
半分7800、半分8000みたいな。
これぞハーフ顔。 >>61
東急ファンとしては、事故復旧車だと3450系の3472だな。
車体新造して、つるんとしたルックスに。 >>64 7915が最強!
アトは帝都の車体番号のまま3000の連れ合いをしていた1560だっけ?
国鉄の20m戦災車を(電車に修復、短縮できなかった)長物貨車
西鉄の653・・・600形のTcに小型で戦前製旧型車100形のTcを内装、電装機器を改造して編入した代物
流石に他社には、製造中の新鋭型式(カルダン車の時代になってから)に戦前製旧型車を車体を殆ど改造しないで編入して例は皆無なのでは? 他社が該当しないように条件を絞り込んだんだろうけど
京王のスモールマルティーがバリバリあった
まあ形式編入するというのは編成単位にシステムを刷新した新型に組み込むということであって、
1両ごとごちゃまぜで融通効く旧車群なら混結したって形式を揃える必要はないから少ないのは確か スモールマルtは妻面の貫通路拡幅工事が車体の剛性を下げやしないかと
心配されたそうですね クハ2008。
京成210形の4コテで、先頭車がクハ2100形でない唯一の車両。
しかも元は戦災復旧車両。 >>53
南海って昇圧の時に妙に新型車体でもポイしてたな。 >>63
江ノ電300は全編成形態が異なっているんだから
306だけ異端ということはないだろ >>69
2本あった雨どいの下の方を撤去してだいぶ違和感は減ったけど、独特の通風器は最後まで残ってたな 地方中小私鉄から取り上げるのも何だが
北陸鉄道モハ3005
兄弟の4両が古色蒼然たる佇まいなのに対してこちとら近代的な全金ボデーと台車。 京成赤電3312 3294 モータ音が独特。前者は一時期 高出力のもの、後者はVVVF 水間鉄道モハ251、252
昭和33年にナニワ工機で製造されて、全長15メートル、前面非貫通2枚窓の湘南スタイルの
同社では唯一の全鋼製車だったが、元南海1251系に置き換えられて1972年に廃車 頂点から転げ落ちる悲哀を味わったのが参急2227系のサ2600。
戦前は皇室の橿原神宮や伊勢神宮参拝の為の貴賓車だったが
終戦により近鉄の一般車へ改造。当初は特急車として扱いは
まだ良かったが、 格下げ後は三扉化。
更に晩年は全ロング化され車番まで団体用2600系に譲りサ3018になる。 南海クハ1900
昭和13年に1両だけ製作され、車内はソファーやテーブルが配置された客室と
転換シートが配置された部屋に別れた貴賓車で高野山参りの皇族なども乗車された。
戦時中は橋本に疎開留置されて使用されなかったが、昭和26年に特急こうや号運転開始時から
高野山寄り先頭車として使用され、昭和36年に20001系デラックスズームカー登場後も、
しばらくの間、20001系「こうや」号と共に活躍した後、普通車の先頭車に格下げ改造
改造時は方転してから入場後、貴賓室部分を切断して1251系などと同じ形態の構体を接合するなどの
大改造だった。
昭和47年に廃車 >>77
たった14年でお払い箱なんて、随分気前が良かったんだね >>71 他は、対になる相方同士種車は揃えていた。
306は種車が違い 屋根の高さが違う。
最初から前照灯は窓下仕様で、当初 正面窓上に方向幕(他車は例の玉電タイプの正面窓下 サボ) >>77 南海1251大挙以前の水間なんて 他の中小私鉄並みに一形式1、2両じゃん。
>>81 通勤圏内になって人口増加で収容力不足になった。
ハコは新しいけど、機器は南海の木造車 故障多発→機器取替改造メンド 車種統一合理的!で廃車でしょ。
但し 大枚はたいて新調したプロパー車に対する愛着はあるから暫くは倉庫としてハコは温存していたでしょ。
阪急の90形(水と油みたいな関係の元木造院電)、93形は(地方私鉄 加越能鉄道の半鋼製ボギー客車)どちらも 標軌の阪急線とは
縁遠い狭軌路線車両。 >>83
それは 阪急96 です
私鉄版オハ31がちょうど電車になるってのは面白いな
オハ31と異なり妻面に手ブレーキがついていたらしいが 南海サハ4801
国鉄スハ43に準じた南海所有の南紀直通用客車で、南海線内では電車に牽引されていた。
車体色は南海グリーンで車内はシートはラテックススポンジ、ドアの上に「南海」の表記など
紀勢本線内では国鉄客車に併結されると国鉄客車より豪華に見受けられていた >>82
そういうの言い出していいなら宮原のスロ81には1両だけ異様に腰高で雨樋も揃ってないのがあったなぁ… 大阪市電3001形
1両のみの製造で、車内はセミクロスシートで試作的要素が強かったが、
音が静かで無音電車、なにわのPCCカーとも呼ばれていた。
今里車庫に配置されていた やっと本来の「異端」が出てきたな
同一形式にあって異なる形状、性能。こういうのを異端車と言うんじゃないのかな
>>82 >>90
異端児を調べてみると
「ある分野で、正統から外れ特異な存在と見られている人」だそうだ
置き換えると
「同一形式、車種で、正統から外れ特異な形状、性能をもっている車」と言えないか >>1の意図は違うみたいだが…
だからどっちもありという感じでよろしかろう >>93
すまない、その通りだな
細かいこと言うべきじゃなかったな 近鉄12000系初代スナックカー
2両編成10本が製作されたのち、改良型の12200系が登場した。
外観は12200系と見分けが付きにくく、地味な存在だった 12000はトイレがなぁ
狭いのは仕方ないとしても、位置が悪かった
これも仕方ないが、便器が1個しかないのも…
定員との両立に苦労したのは分かるが
現役車だと、12410もトイレの少なさが×
完全にスレ違いだけど 名阪ノンストップどん底期に2連単独でよく使われてたね。12000。 営団銀座線で1本だけあった先頭が1900形の編成。 京急400系の中に一枚下降窓の車が混じってなかったかな?
今では珍しくないが関東で一枚下降窓は1970年代まではレア物だったように思う >>98
まぁその為に作られだんだし。
大体12000は10編成も存在したんだから異端車とは言えないだろう。
近鉄ならサニーカーと同年代なのにスナックカーのような
塗り分けをした16010とかが異端車だと思う。 >>100
南海きのくに号の成れの果てやね
乗ってみたかった‥‥… 富士急行のキハ58両運転台車
同社の国鉄乗り入れ用DCとして製造され、急行かわぐちなどに併結されて使用されていたが、
中央東線の急行の電車化などで用途廃止となり、有田鉄道に移籍
有田移籍後はエンジンを一機撤去したためキハ58→キハ28になるはずだが、
キハ58001などの番号で使用されていた。 >>59
確かに8000形で宮の沢延伸用の2本以外にVVVFの関係で
6000形組み込み用の8300を使わないで全編成同時に新製した編成が1編成だけあるな >>103
きのくに自体が国鉄色の気動車で緑の電車ばかりの南海では
異端みたいな存在だったな。
南海の異端と言えば1501系も忘れないでほしい。
63を南海に割り当てられたものだが、ほかの南海型と並べたら
明らかに異質な存在だった。 >>102
ビスタカーA+B編成の6連だったのが2連になっちゃったんだからな
新幹線ショックは凄まじかった 南海線内のきのくには目立ったな
色といい編成に短さといい 109
泉佐野駅などで7100系6両編成の急行がキハ5500系「きのくに」の通過待ちする
光景も見られたな 営団400形で、OK16(川車製軸梁式)、KD21(近車製シュリーレン式)を装備した車両。
後で全車FS349A(住友製アルストーム式)に交換された。 北海道は少数派・異端の宝庫だけど
3扉化されたオハ51 41なんか本数の少ない客レかつ唯一両だから地味な存在だったなぁ。
DD51なら微妙に前照灯が低い716、両エンドでラジエータグリル形状が異なる1006とか。
どちらのカマも事故復旧で変わった。 事故復旧異端車 クロハ150?・・・サロから改造 新幹線開業目前のパーラーカー事故廃車の補充改造
クハネ581−7・・・非貫通電気釜に
クハ86015・・・曲面ガラスに(後に左遷先の広島で部品確保都合?から曲面ガラスを止め)
近鉄10007・・・高安の事故で 当時造っていた特急車12200仕様の顔に >>115
クロ150-3だな
しかし9か月でクハ181に改造されたために元々の車体が無くなってしまった(先頭車化改造して更に客室部を新製する先頭車化改造と逆の工法を採った) >>116
現代のバッサリ輪切りに切って繋ぐ工法と違ってタネ車の台枠流用したから元のサロの車体の一部は残ってたとも言える
全長が中間車のままの仕様で60センチ程短くなったのはそのせい
そんな無茶したせいでシートピッチが通常のクハより狭くなってる上に高速走行すると異常振動起こしたりするいわゆるオバケ車両になってしまった >>114
国鉄JR以外にも結構いて
札幌市交通局では市電・地下鉄・バスに異端車がそれぞれ存在している 西鉄2000形のク2041は踏切事故で脱線して民家に突っ込んだものの修理の後に特急運用に復帰してその頑丈さに当時の鉄ヲタをびっくりさせたもんだ
しかしそんな事故起こして無事で済むハズもなく高速運転中に変な振動や挙動を起こしてたとか
他の2000形が2010年頃まで急行に格下げされて運用される中その10年前に編成ごと廃車解体されてしまった 西鉄のその事故は鉄ピクの西鉄特集に詳しくのってるな
あんだけ派手にひっくり返って復帰できるもんだわ 南海11001系の事故復旧車
昭和42年に南海本線男里川鉄橋手前の踏切でエンストで立ち往生したダンプカーと衝突し、電車の1、2両目が
男里川に転落する大事故と、翌年には天下茶屋駅構内で回送電車と衝突する事故で被害を受けたが、事故廃車とならずに
修理されて復帰し、事故被害車両は昇圧改造されて1001系となって昭和62年まで在籍した。 >>115
近鉄の事故復旧車10007は12200ではなく18200に似た顔に。
でも18200の特徴である、左右に別れた行き先名称板の取付位置を
所定より10cm下に間違えて取付てしまい更に異端車になってしまった。 >>120
その記事を俺も読んだ
事故車の運転士氏のインタビューもあった。
ご本人も忘れたいだろうに、逐一思い出させて語らせるなんて
傷口に塩を揉み込むとはこのことかと思ったよ >>122
>所定より10cm下に間違えて取付てしまい
本当?? 近鉄8167
取替用に改造した8177も異端だけど
8459はしぶとく走ってる >>124 本当! 昭和53年頃の鉄道ファン 特集 近鉄特急を見れば記述がある。
廃車後までミスに気付かず。 >>127
18200と比べたら締まらない顔立ちだな 大阪地下鉄30系の3559F
旧8000で元四ツ橋線だったっけ?大日方先頭車の貫通扉が後付け(外吊り)で異端だった。 貫通扉の窓の形も量産型と違っていて、一目で分かった 旧7000-8000は62〜66だったか?
70・71・98辺りも?
廃車から20年超え、さすがに記憶が薄れてきた >>131
7001〜7009→3062〜3065・3069〜3071・3098・3066
8001〜8009→3562〜3565・3569〜3571・3598・3566 ここまでEF18なし
EF58(初期デッキ型)の予算が下りず(通説のドッジラインは時期が違うので間違い)
メーカーストックを貨物機に改造して購入。
後に製造が再開してもボディ転用先のEF13が間に合ってるので放置。
旅客機を無理やり改造したバランスの悪さから性能はEF15に及ばないが
元々EF58とEF15が兄弟で予備パーツ使えるから意外と長生きした。
逆に完成率が低かった作りかけは後年デッキ型の車体に流線型の先頭部を
無理やりくっつけた異端車になったが不具合とかの話は聞かない。 VVVF車一党でも最初期の車は騒音の酷さから異端視されることも多い ちょっとそれるが最晩年の73系は各地に散らばって思い思いに改造されたので
正面形状一つとっても一両一両が違っていて
全車が異端みたいな感じになってた
マニアの方が運営されているサイトを見ているとそれが良く分かる
と同時に撮影のために払われた努力にも敬服 東武7860形のモハ7865とか、元々標準型だったのが、事故復旧で異端車になってしまうこともあるね。
名鉄の5500系にも確かあったような・・・。