野上電鉄、有田鉄道共に沿線人口が少なく、鉱山もなく、60年代から70年代にかけて貨物輸送が激減していたというのに、80年代以降まで存続し続けていたのが奇異な感じがする。
会社が積極的にバス化する意欲がなかったから、ということになるんだろうが、並行する道路の整備が遅れていてバス転換が有効でなかったからだろうか?
野上は経営が杜撰でバス転換する気もなかったからなんだろうが、有田は休日運休含む徹底した省力化と保守コスト削減でやってきたということなんだろうか。
87年廃止の筑波鉄道に比べても、こっちの方が旅客需要が少なく、経営上の環境が悪いと思えるもので。有田、野上とも乗ったことはないが、地図広げて何で存続しているのだろうと不思議に思っていた。