【有田・野上】和歌山の消えた轍【和歌山軌道線】 [無断転載禁止]©2ch.net
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かつて和歌山県内に存在した有田鉄道、野上電鉄、南海和歌山軌道線等の思い出話をどうぞ
実質的な前スレ↓
【日方】おもいでの野上電気鉄道【登山口】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1222169589/
【注意】
有田鉄道は過疎っていますが単独スレがあるので、完走もしくはdat落ち以降になるまでは極力そちらで。
【みかん畑】おもいでの有田鉄道
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1228627874/
和歌山軌道線も南海の単独スレが存在しますので、そちらの方がレスが付くかもしれません。
昔の南海鉄道・南海電鉄・阪堺電軌を語るスレ7
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1296375206/
※前スレで散々揉めたので野上の話題を扱うときは煽り・実名を出しての叩きはスルーでお願いします。 >>113
野上は全線バス転換提案されて株主総会でも賛成多数で可決し、沖野々ー登山口の廃止申請を
近畿運輸局に提出
その後オイルショックにより乗客数増えたのと地元自治体が欠損補助をする事が決まり
申請取下げ、その後運輸省が欠損補助見直すまでだらだらとなったからな
有田の場合は蜜柑関連の輸送が主目的だったからな 有田は末期は社長の趣味とか道楽な感じだったからな
「ワシの目の黒いうちは潰さない」とか記事で答えてた 野上は廃止の日の朝ズームイン朝でよみうりテレビが
車庫から生中継してた記憶がある
該当のコーナーの前に学校にいったのでどんなのだったかは知らない 野鉄は廃止の約2ヶ月前に行った
大雪で行きの近鉄特急が90分遅れて料金払戻し、
帰りもその影響か名古屋線でミニスナックに乗った、
その印象が強烈
肝心の野鉄は、あまり印象に残ってない 野上の醜態って、閉塞の通票交換を法定のやり方をせず
ズボラナアナアのやり方が常態化していたのを鉄道誌かなんかに撮られて
その「逆恨み」からだと記憶するんだが、詳細はどんなだったっけ。 ttp://cocoroguteturou.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/03/19/_dsc0184_a.jpg
子供の頃に鉄道雑誌で野上のこんな感じのタブレット交換写真の見て
こんな風にやるんだなと思った記憶があるが現物は手元に見当たらない
立ち読みだったかな いくら事情があろうとも、社員が乗客に襲いかかる鉄道会社なんて、前代未聞で、国鉄時代でもなかった。
いまなら傷害・暴行・窃盗・恐喝・監禁等で現行犯逮捕されているかもしれない。
下手すれば放火となっていたかもと身震いする。 >>115
その記事の半年後の大晦日に廃止になったけどね
末期はバス部門が鉄道かなり毛嫌いしてたけどな
>>118
鉄ファソの野上電鉄特集な
通票交換の際、>>119の様に交換シーンを車内からばっちり撮影
偶々その特集を見た近畿運輸局からお叱りを受けて、それ以来鉄を嫌ってると言われてる
軌道なら >>122下
ああ、それそれ。どうも
完全に逆恨みだよな
どう考えても野上側が100%悪い。
撮られてまずいことが常態化、
しかも安全運行の至上である
閉塞系のことだからな。
誰がどうみてもサカウラミ。 >>122
小泉改革で補助金が削減されたかとかなんか過去のこのスレで見たな
図書館でその記事のった本見てそのときはまだ健在だったからしばらく持ちこたえたかとおもってたが
すぐだったんだな
野上に関しては車内でなく外からとったやつの記憶があるから勘違いかもしれない
1990年12月の鉄道ジャーナルの表紙や巻頭特集見てのどかな印象持ってたから
当時の実情を遥か後に知って驚いた >>113
新潟の蒲原、新潟交通といいあの頃までよく残ってたなと思うよ。
似たような存在が近くにある方が残るのか行政方針によるのか 有田鉄道、蜜柑輸送って季節限定でしょ。シーズンオフのときはセメントを細々と運んでいたそうだが。
鉱石だったら季節とは無関係、木材も積雪期以外は輸送量が平均化している。
木材以外の農産物輸送が主な収入源だった私鉄って、北海道の簡易軌道とここ以外、他にあったっけ?
西武農業鉄道は違うよな・・ 野上は生活用品に使うシュロの輸送とかじゃなかったっけ
ヒストリーチャンネルが少し前に放映してた高度経済成長前の和歌山県の紹介映像で
野上谷のシュロ産業に少し時間割いてた辺り割と栄えてたようだ 有田は乗り鉄訪問的には楽しい鉄道だったな
車掌から車内券買えばよかった
唯一悔やんでる
キハ58003時代に年ちがいで計2回訪問しただけでよかったのかもしれない
末期は行く気がしなかった…元樽見のレカに魅力なかったからだと思う
末期は結構えぐい商売してたみたいだね
(券ヲタ相手に乗車券類を乱発乱売)。
青ペンキの掘っ立て小屋で古い半硬券を売ってる風情が鄙びててよい
たった一駅だけの乗り入れ、しかも乗り入れ経緯的には有田側の立場が上とか、
湯浅の中線に顔の焼けた1両キハがDMH17をしずかにゴロゴロとか
今思えばたまらん魅力ある >>126
沖縄のサトウキビ輸送とかいろいろありそう 126です。現在の常識で考えるべきではなかった。
上田丸子電鉄にしても、かつては我が国の主力輸出品であった生糸輸送が重要な収入源だったわけだし、戦前と現在とで農産物の生産状況は大きく変化している。 >>100 旧常磐炭鉱車の安住の地にならんかったの?
何故に?資金難で処分? >>128
っダブオク 有田鉄道で車内券出てる
ただし、有田の社紋がど真ん中にあるやつか、鉄道地紋かは見てない >>133
お気持ちはありがとう
乱発前の車掌乗ってた天然時代のもので
自分の手で買いたかったということよ。 >>134
個人的にはありた地紋は好きではないが、切符乱発は賛否はあるが、存続する為の手段の一つだからね
地紋の色を変えたりはトミカのミニカー商法によく似ているが、あれは有田が仕掛けたんじゃないんだよな だからイヤというのもある
有田側からの増収策としてではなく
券業者の食いものにされた訳だからな。
自サイトで個人客を相手にしてるような
信頼度では底辺部類の証券印刷会社 リス工房な
あの後味を占めて紀州鉄道でも出したが、コレクターからは不評だったからね
正直好きでは無かったから本社事務所で回数券購入した際に鉄道地紋見てほっとしたのが本音ですわ
蔵出し券も有田が自発的にしたのではなく切符業者が出せば買うから一度出してみいと口説いて、
半信半疑で発売したらバカ売れしたって言ってたからね
末期はバス部門が鉄道かなり毛嫌いしていて、切符購入しに来た鉄に嫌味言って来たからね
特にバスの課長は喧嘩吹っ掛けて来たから、親族がうさぎさんマークの古くからの支持者だから、そこの地名のもんだと言ったら逃げたけどね そう。2chでは揶揄半分に栗鼠って書かれてたわ。笑 有田末期はどうみても活版印刷ではなくインクが上に載ったような硬券もあった。
プリントゴッコで適当に印刷してたのではないかと思うようなひどい代物。 動物券や乳幼児券にハアハア…してたのもビギナーばかりだったからな
末期券も団体券はインクが乾いてなかったのか、券裏に付いてたのもあったからな
和歌山の鉄道会社やバス会社物持ちいいんだけど、廃札券の販売はせんからな(笑) そんなひどかったのか
やっぱ末期に行かなくて正解だったわ。
でも最後に行った2回目って
末期よりうんと前すぎて平成5年なんよねw
金谷口までは片道バスで。
初訪は平成2年、このときは鉄道往復
復路は湯浅まで乗ったよ。 >>141
ひどいのはトミカのミニカー商法みたいな切符だけであって、現場じゃないよ
最終日も平和だったよ 最終日は最終列車を金屋口で撮影してましたが、沿線で撮影していても罵声もなくのんびりと撮影出来ましたよ 141だけど俺は乗りテツ+券ヲタだから
撮りテツが罵声やらでひどかったのかって意味で言ったんじゃないよ
「模擬券まがいの乱発がそんなにひどかったのか」って意味
あと、末期と書いただけで最終日の話はしてないよ >>145
最終日にも乱発してたよ
前日に届いた物見せて貰ったが、もういいわって買わなかったけどな
しかも藤並の窓口も開けて、関西の切符業界を牛耳ってるオフィスシ尺木寸が発券作業してたと後日本人から聞かされた >>146
あの窓口係員は店の客だよ。
商品の優先販売権欲しさに自ら申し出て無給でやってたらしい。 >>147
もしかしてだけど、切符スレで度々出てくるシ尺に告白したモーホーのやつか?
有田の総務でシ尺の名前はまだ通用したが、あの辺りで一番顔聞いたのは故人になったあの人だけどね 切符スレというのがどのスレかわからないが、そこでも野上有田は人気なんだな。
回収した切符を目の前で破り焼き払う光景はさぞかし恐怖だったろう。
また鉄道グッズ業者の客、すなわち自分のライバルが駅窓口に座ってる光景に嫉妬したことだろう。 ごめん、141だけど
やっぱり最末期や最終日に行かなくてよかったみたいですねw
しかし和歌山南部の3私鉄って
何かしらケガレてますよね。
野上:もともとキチ、末期さらに悪化
有田:末期に業者の喰い物に
紀州:健在だが、ショタ駅長の不祥事 つまりは有田の最後の稼ぎにその切符業者が協力してたってことか。
廃止間際にバイト雇う金もなかったのに、新たに切符を刷って、窓口開けて、手際のいい窓口係員だった覚えがあるが、あれは業者の息のかかったマニアが無償でやっていたんだね。 喰い物にされたって表現が世にあるが
まさにそれだな。 野鉄の27を所有している先生が引退したらしい。2年前は車両の中見せて貰えたけど、もう無理かな。 >>155
いや、会社もそれで売り上げ伸ばして喜んでいたはずだが。
旅行者も記念品が増えて楽しかっただろう。
マニア氏も趣味店に尽くしたことで、一般売りする前の商品を売ってもらったとか、良い思いをしてるはず。
すべては趣味店店主のおかげだよ。 切符販売の手数料収入で有田はいかほど取ったんだろうか?
あれ表に出ないからそれを見ないと儲かったとは言えないからな >>157
きもちわるいです。懐かし板にまで出てくんな 鉄道会社が売りたい切符とマニアが買いたくなる切符は違うからね。
多分有田が廃止間際にそこの店に売り物や売り方の相談に行ったのでは。 10年以上経ってるのに推測口調を用いてどうしても正当化方向へ誘導したいんだな食い荒らした側さんよ 業者を入れて損をしたとでも関係者は言っているのかね。そんなことないだろ。
会社は最後のあれで大もうけしてるよ。
窓口にいたのが業者の丁稚やタイコモチなら人件費もかかってないだろ。
印刷代は業者が持っていたらまさに濡れ手に粟。 有田の廃止にあたり、大阪の業者が一肌脱ぎ、店長を信奉する客が賛同して、売上を伸ばしたというなら、感動的な話。
協力した方は店長へのゴマスリもあったかもしれないが、無償で協力したのなら素晴らしい行為だ。
今ならガイアの夜明けやカンブリア宮殿で取り上げられるのでは。 >>162
あんたの理屈も一理ある。
しかし「儲けさせてやっただろ」と言ってるようにしか見えんぜ 有田は社員が少ないが社員の態度は悪くなかったからね。
きっとその業者にも廃止にあたり思い入れがあったのだろう。
いい話だ。
一方の野上はどうしようもない。回収した切符をホームで焼き払う車掌がいたくらい。
きっとその業者に相手にされなかったのだろうな。 廃止が決定してしまい、残務整理に大量の資金が必要だったんだよ。
それをこの大阪の業者が、デザインされた様々な切符を会社に持ち込み、利益還元を申し出た。
素人が来たのなら追い返しただろうが、大阪で何年も堅実な営業をしているとわかり、かえって有田から協力を依頼したっていう話と聞いたよ。 地元からも見放され最後に禍根を残した野上
遠隔地の業者やファンが無償協力して最後に一花咲かせた有田
対照的だね >>167-169
野上には相手にされなかったから悪く言い、
たんまり儲けさせてもらった有田は誉める
低俗な印刷屋乙w 素人はこれだから困る。
廃止間際の短期間の販売でたいして儲かるはずはなかろう。ほとんどボランティアみたいなもの。
何年も継続して取引してる会社の方が客として重要。
納品先の鉄道会社や一枚噛んでいた切符グッズ業者だってたいして儲けてないよ。
一番得をしたのはコレクションの優先販売権を得た現地に行っていたボランティアじゃないか。 際末期に下津野の薬局販売してた時に販売手数料あるのか?と聞いたら、無いと即答されたっけな
儲け無しの完全ボランティアだと教えて貰った際には、切符だけ購入するのは申し訳なくなり、
栄養ドリンクも買ったな 下津野の切符とその他駅の切符は、違う印刷屋に発注していたようだ。
藤並の窓口で、下津野のは店が勝手に作ったと言っていたので、廃止にあやかった偽物と思ってしまった。 有田は観光バスでガッポリ儲けていたので、鉄道は税金対策と言われていたんだけど 有田末期の切符乱売も、今になっては想い出の記念品。
一方の野上は、記念切符を実使用すると、切符部分だけでなくしおり部分まで回収を強要してた。
だから地元ではほとんど残っていない。 >>175
そのせいで引換券というのが出たけどな
コピーに会社印押したやつな 有田の末期の切符は面白かった。乳児用の券まで作っていた。
会社の発想ではないと思っていたが、あの業者が入っていたとここで知り、納得。 切符を刷り増ししたところで、販売に精通した売り子がいなければ絵に描いた餅。
そこに客の切符ヲタを使うという発想が すごい。報酬として刷った切符の余りを出せば、ヲタは本来金を出して買うものが只で手に入った気分になる上、業者に取り入ることができる。
鉄道会社、業者、切符ヲタ、旅行者の全てがハッピーだったんだな。 >>178
ヲタ用の券で喜べる人はいいねえ。よいカモだしw
>>179-180←自己正当化に必死な糞バイヤーw
懐かし板にまで出張してこなくていいから即売会ガーちゃん
文体でバレバレw >>181
何か満たされないものがあるんだろうな、医者逝け こんなキップ基地害の粘着連中に
たかられてたのか有田は。
気の毒なことだな。 野上の悪口応酬大会と化していた当スレを救ったのが、有田の有終の美を飾った切符業者とその取り巻きのボランティアだったんだね。 有田はラストの切符乱売でどのくらい儲けたんだろ。
もちろんコンサルやってや常連客を現地に送り込んでいた切符業者がマージン抜いたかもしれないが、相当の額が入ったはず。
現地の光景では、数百人が万単位で消費してた。
こういうエピソードってもっと広まってもいいと思うんだけど。 >>189
正直ボロ儲けはしてないだろな
と言うのも1列車60しか乗せられないし、定期2本に臨時が3本だっけ?
と両手で数えられる程の本数と、自社の観光バス出して葬式客輸送するも、
途中から不要になった程の数だったからな
切符については最終日にも定期列車限定のが出たが、それも300程度ずつ
だから( ゚Д゚)ウマー♪となる程ではない
それでも日々の売上と比べたらん十倍だけどな 乗りに来なくても郵送で欲しいというファンが多数いただろう。
また全口座ゴム印が違うだけでも別物として買ってた客もいた。 あれだけ多数いたアンチ野上が、有田をサポートした切符業者の話になったとたん、消えたのはなぜなんだろう。 >>192
ただ単に飽きたんでしょう
一人で連投してたあの人 有田鉄道末期の切符の話は初めて知ったが、別府鉄道末期も色々と硬券が出てたけどあれも業者絡みかね。廃止数年前と末期では台紙と柄が変わってたな。 元野上関係者なのかわからないが、必死で弁明していたけど、狼藉は事実なんだし、地元民だけでなく当時訪れた人を不愉快にしたまま消えていった鉄道だから。 野上ネタ投下
平成4年3月末に会社解散し、7月頃に破産管財人が管理
となってから盗り鉄が逮捕されたってあったな 元地元民だけど、廃線直後は声かけたら何でももらえたとの話をきいた。
時間経ってから取りに行くのがわからん。 >>201
部品鉄やるほどのディープな奴になるとまともに人と喋られない、社会的に終わっとる輩だらけだししゃーない >>201
廃止翌日にも行ったが、正確には略奪に近い
けどね
昼過ぎに日方到着した際には尾灯とかの部品
はあらかた持ち去られたから
まあ、あの当時は車無しで原チャだったから
持帰り出来なかったけど、ごみ箱に貴重な
資料や備品や組合腕章や役立たずの社会党党首
の土井たか子の色紙もあったけど、そのまま
ごみ箱に放置したっけ 野上を非難してるのは日常利用していた俺のような元地元民じゃないかな。
逆に鉄ヲタはたまたま白髪車掌とかに当たらなかったから被害を受けなかったとのでしょ。 粘着するくらい非難しているのによく日常利用していたな
相当辛抱強い性格だったんだね
本当なら >>203
201です
日方はそんなんだったんですね。
私自身も話聞いた奴も鉄オタじゃないんで、価値が有るものが何なのかしらなかったです。 >>208
鉄していても部品はしてないから、価値があるかはわか
らないです
個人的には本社で廃札の切符を売ってたのを知らなかっ
た点については悔やむが、そこまで知識が無かったから
ね 野上は廃札販売も営業時から計画的にやってれば、社員一人くらいのボーナスは出たのにな。
記念切符でさえ実使用するとしおり部分まで略奪し、ホームで舌打ちしながら燃やしてたような車掌がいる会社なのに、よく残していたもんだよ。
一方の有田は、廃止の前のイベントでも効率的に販売してた。
コンサル切符屋にいくらか払ったとしても社員全員のボーナスくらいは浮いたことだろうと想像する。 川島令三氏の著書には
「野上電鉄は愛想のいいベテラン社員が定年になり、態度の悪い若い社員ばかりになった」
と書いてたけど、DQN車掌が白髪なら、記述と矛盾するな。若白髪か? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています