単端式気動車スレ [無断転載禁止]©2ch.net
常に前進あるのみ!
運転台が片一方しかないスタイルが特徴の単端式気動車を語るスレ 誰が書いたか分からんページを見せられても…
直訳するからこんなヘンテコな日本語になる
最初にこの用語を使い始めた人は相当頭が悪いよ 用語の話は置いといてください
沼尻や九十九里の車内の写真を見ると、
運転台はまさに自動車然としていたようだよ ついでにもうひとつ
自動車然としてるということはギアチェンジでバックもできたはずだな
ならば>>1の「前進あるのみ」は間違いかな 両運転台式の気動車が当たり前に量産されたご時勢の戦後
北海道の簡易軌道向けに当初単端式気動車を導入したのは、
北海道開発局の役人の無知もあるけど、メーカー(ターンテーブル等用品を販売する為)の作為的な悪意を感じる。
井笠がジ6・10,11を単端のままで車体切断を伴うキャブオーバー改造をしたのは、SLでの方転が当たり前にあるから
然程不便を感じなかったからだろうか? 終端駅でターンテーブルを使って方向転換してた
バック運転はしていない
だいいち運転台から後方を見通すことができないから危険 自動車だってバックの時にろくに見通せないのに何を言ってるんだか >>12 野暮なハナシだが、バックギアは、ガソリンカー導入黎明期の当時の自動車でもあるのだから、
当然備わっている。 構内の移動くらいなら当然退行運転はしている。
昔は、モグリでナンでもバレなきゃOKな社会情勢なんだから 故障の際や多客時(バックギアの方が大抵トルクがある)など退行側に
車掌に見張りをさせ(昔は坂を登れないとき客は降りて押して手伝うくらいだ)たり客に声で合図させて退行で本線を運転するケースもあったと思う。 単独仕業ではないが、 戦後も九十九里鉄道では、朝ラッシュの最混雑列車には、
本務の単端式気動車以外に最後部にもう一両単端を背面越しに連結し始動時の後押しに使う運用の列車が一本定期的にあったらしい。
(結果的に本線上を逆走。) キハ66・67
「ユニットと言う名の切っても切り離せない自分達も運転台は片方な訳だが…」 >>17
機械式でもない国鉄の片運転台の気動車なんていくらでもいるのに
なに頓珍漢なことを言っているのやら で、スレを立てるほど思い入れのある>>1は
当然乗ったことあるんだよね?
頭でっかちな詭弁はいいから思い出を語ってくれよ 50代の元ナローマニアだが
こんなジジイでも現役の単端は知らない。
木曽森林や立山砂防のモーターカーは
撮影できたが、
あれを単端とは言わんだろうし。
現役の単端を知ってるのは70代以上か? 連投ですまんが、
現役最後の単端は沼尻のガソだったそうだから
昭和40年代半ばで消滅したって事だな。
しかも最後の数年は動いてなかったようだし。 定期実働最後は、西大寺か九十九里のどちらかでは?
井笠のジ6,10,11の場合、いずれかが、昭和40年代初頭まで在籍したが実質隠居。
もっとも単端歴のある車両(大概客車になるが)で最後の定期実働なら井笠の客車になりそうだが・・・
それとも大穴で簡易軌道 鶴居村あたりの単端? 九十九里鉄道も西大寺も昭和30年代で廃止。
沼尻のガソ101は昭和40年に稼働している写真が
ネコのRMに掲載されているから
多分、沼尻が日本最後の現役単端なのでは。
井笠と頸城、北海道の簡易軌道は確認してないので断定はできんが >>17
走るだけなら単独OKだけど、サービス的にはユニットでないとだめだな
冷房の発電機が67にしかない。ついでにトイレは66にしかない 現役車、保存鉄道にも全く無いの?
赤沢の冷蔵庫と思ったけど静態なのな… ≫25
モーターカーは単端にカウントしないと思うよ 去年の軽便鉄道模型祭で買った軽便讃歌XにはDVDがついていて沼尻ガソの走行が数秒
(カラー音声なし)あったな >>27
そうなんだ。レール切られてるみたいに見える写真しか出てこなかったから
>>26
そういう偏狭な理屈やめねえか? 単端もモーターカーも仕組みは同じだろうが、
この趣味をやってウン十年、
モーターカーを単端と呼ぶ人には出会ったことがない。 >>34
スレ立てした奴も単端の定義がいまいちわかっていないようだしな
模型誌の懐かしい広告
「たんたんのうしろむき」 キハ28とか、キハ47とかキハ48くらい。
1両でも走ることは一応可能だが、カッコ悪いし、後ろに進む運転は
不向きなので、大抵は後ろに運転台が来るように2両以上で連結して運転する。 根室拓殖のゲテモノ三兄弟は保存してほしかったなぁ。 >>40
現役当時から朽ち果てる寸前の状態だったから
保存するのは至難の業じゃないかなw >>40 3号車?ちどりは、日車規格製品 ゲテモノじゃねーよ。
ゲテモノの銀流、かもめ製造元の田井自動車は札幌に現存するからお前の私財で再製造でもして貰ってくれ! 某サイトで写真を見たけどこれは凄いね
しかも公式には15人乗りとなっているが、
定員通りになるとおそらく全員窒息しそうになるくらい無理のある数字w ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 九十九里鉄道なら古本屋で写真集(地元新聞社編のやつ)を見つけて買ったが
微妙に車高の違う2軸客車を単端気動車が引く姿が何とも言えなかった 個人的には沼尻のガソが好きだが
単端王国といえば西大寺鉄道だろうな。 単端式って先頭部にエンジンの出っ張りがあると思うんだけど
沼尻は客室内に食い込んでるのね 一台くらい残って居ればなっ・・・本当に遺憾。
これも 廃れゆく鉄道の保存文化がSL偏重だった事の負の側面。
西大寺や井笠も保存、修復する余力があっても、往年の自社の偉業をたたえる意味でも
SLや当時の最優秀車両を優先して保存整備したからなっ。 ホントそれ
保存と言えばみんなSLだもんなあ
気動車以外でも貨車とか客車など地味だけれども鉄道輸送に貢献した車両たちに
もっと光が当てられなかったのかと思う。 西大寺、井笠、日本硫黄沼尻は撮影出来た。
本当に乗車したかったのが根室拓殖鉄道。 >>57
羨ましい!
しかし、西大寺に間に合った先輩は
いまお幾つですか? たしか廃止は昭和36年(1961)だよね?
当時って中学生くらいはまだ全国飛び回れないし
最低でも高校生だとして70歳以上じゃね? 廃車体なら昭和52,3年頃まで西大寺と根室拓殖(四角い鉄枠だけになり果てたダルマだが)のが残って居た。
その後西大寺は、西大寺鉄道最優秀車?のびわこ形キハは、修復し後年 オマージュしたバスまで造られたのに・・・
主力(稼働率は低かったらしいが、大多数を占めた)梅鉢単端を潰したのは本当に残念。 >>62 西大寺のお隣で同じく国鉄赤穂線の餌食になり消えた赤穂鉄道にも居た
マダ他にもあるかも?調べたいなら 湯口徹様の「日本の内燃動車」参照
単端じゃないが、西大寺の単端と失敗両運珍車キハ100に似た両運で荷台付きのが
井笠3両居た。
赤穂の単端は、西大寺のとは印象、カタチが違う。 >>51
地元ネタなので県内の公立図書館なら大体は閲覧できると思う
マッチ箱2,3両だけだからそんなに馬力は要らないとはいえ
見かけの大きさは関係ないけどあんな小さなエンジンでよく走れたものだと思った 軽便鉄道の気動車は2tトラックで使うような小型のエンジンだった。
もちろん、満員状態になると出足は非常に遅くなる。
満員状態で25‰勾配を登れとなるともう無理。
※急勾配では車両の重みが後ろにかかるため、普通の気動車の
駆動輪の配置では容易に空転を誘発させやすくなる。
キハ40系において、360馬力のエンジンに換装した車両では特に空転を起こしやすくなっている。
※一部では二軸駆動にしたやつも居るけど…。 軽便路線なら急勾配もないから問題ないという認識だったのかな
自分が生まれる遙か前の時代のことだから感覚的にピンと来ない 草軽は急勾配を避けるために等高線にそって右に左にうねうねと進む経路をとったため
50キロ以上もの長大路線になったそうだ 「カブト虫」のあだ名をもらった電気機関車のことかな