キハ07を語る©2ch.net
国鉄時代から流麗なスタイルでファンを魅了し、全国の地方私鉄に散らばったあとも永く活躍したキハ07形を語ろう 正面半円(俗に言うタマゴ形)スタイルはすでに大正時代に関西大手で流行したもののリピートだがね。 スタイルの話になるとオリジナル厨が涌いてくるよなw 運転室にあんなスペースを割く必要はない
少しでも広く客室スペースを取らないといけないのに見た目だけで実用性は考慮されてない 国鉄時代の画像が意外に多くない
ググって出てくるのは茨城交通、片上、北鉄、江若のばかり‥ ライト着ける位置が少し違うだけでスマートに見えることもある。
東野鉄道、片上鉄道が好例。 片上線で残してるのが何時まで持ってくれることやら… キカイってやつは動かさなかったらたちどころに劣化するし、
動かせば消耗するし、消耗しても部品供給が止まればそこでジ・エンド 運転技術をしっかり伝承できるかも大事だよ
今はOBが居るからいいけど、いつまでも頼るわけにはゆかない 地方へ散った仲間では茨交が一番格好良いカラーだった >>12
いや、忘れてないよ。
南薩の車は国鉄払い下げでなしに自社発注というのが良い。
まだ当時は中小非電化でも新車を買える財力を持ってる会社があったということだね。 有田鉄道に移った07はヘッドライトが埋め込み式で
江若や常総に行ったグループよりもスマートに見えましたね。
クリームと赤のツートンで紀勢線に乗り入れ、
単行でのんびり走ってたのを覚えてます。 かなり古い話だな
07系が有田で現役だったのは富士急からデラックスDCを買うまでだから今から40年くらい前?? スレチついでにもうひとつ
紀勢線乗り入れは廃止された国鉄並走区間の補償だが、
1991年の信楽高原事故がきっかけで廃止された事も付記しておこう しつこいがもうひとつ
有田には当時他に山鹿温泉の注文流れを引き取った湘南顔のDCがいたが
使いやすさでは車齢の高い07が圧倒的で乗務員の評価も上々だったとか 記録を調べると有田鉄道は07形を2度に亘って購入してるようだがね >>13
総括制御できずに重連の時は協調運転で
加減速の度にガクガクっとなる衝撃が凄かった >>13
実績取りたいメーカーの主導で安く出来るよと言われたのかな
少なくともこの後に新造したキハ300は国鉄キハ10に先行投入している キハ07のマスコンに相当するのは、床のアクセルペダルだと思ったけど、前面窓の下の「燃料加減機」のレバーは、一体何をする為のものかわからん。
ググってもわからんのだが、教えてエロい人! >>26
読んだけど、書いてなかったのよ。
キハ41000の方も読んだけど、書いてなかった(涙)
ちなみに、キハ07のペダルは、左からクラッチ、汽笛、アクセルだ。
南薩の車や、江若に行って日野のエンジンを付けたやつには、燃料加減機がついてないから、ますます謎は深まる。
誰か教えて下さい。 >>22
広いけど意味の無い広さだな。
デッドスペースとでもいうかな。 燃料加減機ってこう言う時に使ってるよ
↓4:00あたり見てみて
https://www.youtube.com/watch?v=GVZUjePOUn8
重連でシフトアップの時、踏み込み過ぎてエンストさせないために燃料絞って微調整させるためじゃない?
アクセルは開度の調整じゃん。燃料を半分に絞れば、より細かい回転数制御ができんじゃん。 >>15
かなり古い話か…
有田鉄道が富士急からキハ58を購入したと聞いて
キハ07を撮影に行ったのはもう40年近く前になるのか。
当時14歳だったが今や50半ばのジジイだw
キハ07は湯浅まで国鉄に乗り入れていたし
まだ貨物も走っていた(遠い目) >>29
そうなんだ。
トンクス。
その動画は知ってたけど、第2のアクセルというわけだね。
RMの江若の巻を読んだけど、エンストすると「殺す気か!」とか怒鳴られて、大変だったみたいだからね。 >>26は>>24氏に対するレスじゃないです
混乱させてごめん 昔のF誌にキハ07×2の特急試験と称する白黒写真が掲載されていたのを覚えてる人います?
どのくらいのスピードがでたんすかねw スマソm(_ _)m
ググったら108km/hって出てますたw >>6 当夜に居たのは 旧五日市鉄道 買収気動車キハ500形で 顔は42000だけど側面は、 41000のバッタモノです。 廃車後解体されず 後年まで豊後森機関庫に忘れ去らて居たように温存していた 0741は、何故生き残れたの?
当時の国鉄(中央本社?)が意図的に保管温存を指示したとはとても思えないのだが・・・
現場関係者計らいで 隠匿保管して隠し通していたの?
当時の国鉄の労務問題、放漫経営 等の混乱のゴタゴタとかでウヤムヤの誤魔化したの?
どういう経緯があって生き残れたのか?(機械式旧型気動車好きの俺としては大変感謝!!)興味深い。
是非とも一度は、鉄博の41307と対面させて欲しい! >>37
どうせ伸びないのにまたスレ立てたのか・・・ >>38 普通に解体だろ。
東野での同僚のキハ502がケハ46として茨交 湊線に行ったから(再就職のチャンスはあったが選ばれなかった)程度は痛んでいたのだろう。
茨交 茨城線には、東野キハ501の五日市での兄弟ケハ502が居て 廃止後 茨城線から移籍ケハ45等移籍組みが居たので、
東野から来たケハ46は、「そう云えば、前の職場に俺達の身体と42000の顔もった面白い奴が居て・・・」
「俺達の前居た職場にも居た!」「あの二人兄弟か?」なんて語り合ってのかな。 東野の終点 黒羽駅構内脇の農業倉庫マダ残っているの? 俺もそうだけど、04の方が、類似車多いし(影響力が強い)スレも伸びるし人気あるみたいだな。 19メートルは長い
04の16メーター級は田舎つぽくていい キハ07は、3扉なのにその後にキハは、35系まで何故に3扉車は作られなかったの?
西成線(非電化混雑路線での高頻度運転に使う事は)での火災事故で懲りたの? 西成事故
3扉だったから被害が拡大したということ? >>46 高頻度運転の混雑路線には、ガソリン機関のため脱線転覆等事故の際 甚大な被害が発生、 ガスタービンが軌道に乗ったら時速150kmで爆走する07が全国で見られたかもな 大分が07買おうとしたが値段で折り合わなかったらしい。 >>47
湘南顔、44000 44500は3ドア だけど、44100は2ドア。これがキハ17の基本配置になったよ。 〉45
というより車体剛性の問題。
軽量化を徹底していて尚且つ重いエンジンをぶら下げている気動車の場合車体中程に大きな開口部があるのは避けたい。
しかも昔のホーム高の場合ステップを設けなくてはならず、という事は台枠を切り欠かねばならず、それは基本的に禁忌だったのさ。
キハ35が外吊り扉なのはそういう理由。外吊りにすれば戸袋を設けなくてもいいでしょ。 >>50
それで新車(キハ600)発注したのかな? >>52
キハ35の場合は両開きで開口部が大きかったからじゃね
>>47も指摘されているように、電気式気動車や私鉄の気動車でも普通に3扉はあった >>52のと通り強度の問題
ソースはネコのキハ07 ロングシートで2扉か、、
閑散線区では支障無かったのかな 通勤通学対策でキハ26-600なんて改造もしていた事だし
しかし考えてみたら関東鉄道の4扉化改造というのも色々とんでもないことだったのかな
って07にあまり関係無い話題でスマヌ >>12
鹿児島では評判の悪い寿司太郎だがきちんと価値をわかっているじゃないか。 両端2ドア ロングシートはオハ41とかで先例があるね
播但線のキハ58 四国のキハ54も ローカル線で客扱い時間が伸びてもそんなに気にならなかった?
だから両端2ドアでも抵抗感がなかったとか… 夕張のキハ200も中間扉埋めて2扉化したけど
やっぱり車体剛性の都合なんだろうか 筑波線に04を撮影に行ったあと今度は07狙いで鉾田線にも立ち寄ったが
正面を改造されていることを知らずにいたため、美しい半円6枚窓を撮ることができないままに日没
当時は鉄道雑誌も頻繁に買えず、自分が訪問するはるか以前に改造されてたことを知ったのは、
かなりのちになってからであった 扉を埋めるのもまたそれはそれで
強度を落とす要因になりかねないんだけどね >>61 羽幌もな。
寒い地方だし・・・通学ラッシュだって高頻度運転じゃないから然程遅延も問題無いかと・・・
羽幌の場合 複雑な扉を復活するなら板金で埋める方が安くラクなワケで・・・
国鉄が昭和20年代半ば迄状態の悪い気動車を地方私鉄に払い下げた時期(個人的に・・・第一次機械式気動車払い下げ期と呼称)
でもキハ42000(のちのキハ07)比較的払い下げを渋り 地方私鉄でも有力な会社以外は、殆ど入手できないなか
舟木鉄道が、比較的状態の良いキハ42000を入手できたのは興味深い。
当時の国鉄への車両払い下げ願いは、スペックのみで(大雑把な希望条件)車種とか具体的な希望指定なんて到底はばかれるモノだったのだろうか? 関東鉄道って流線型に恨みでもあるのかってくらい顔いじりたがるな。 よく持ったよね
屋根上に重いものを載っけると全体が脆くなるんだったっけ? バス用エアコンだから屋根上はすっきりしてた
寧ろ台枠垂下が進んだ気が エアコンもガスタービンエンジンも搭載実績ありって地味に凄いな >>62 >>66 鹿島に残った長老2両は、再度の改造で非貫通になったのは、個人的には嬉しかった。
コレで 紀州鉄道に居たキハ603,604よろしく全面窓のHゴム支持を止めてくれたら最高だった。 中国で強引に電車になってジテ軍団入りしてるのには驚いた >>58
南日本新聞に書かれてたが
買収して乗っ取った後は最初は沿線開発したり
沿線が鹿児島空港の候補になったので新線引っ張る構想たてたりしたが
見切りつけたら鉄道への補助金を他所のリゾート開発等につぎ込んで
極端なリストラに走ってしまいに弱体化した施設が台風でおじゃんになって廃線
地元資本のままなら廃線でも未来だったかもなぁ 鹿児島交通は廃止の前年に偶然訪問のチャンスが出来て
乗りに行ったのが最初で最後の思い出
まさか会社の経営がそんなことになってるとはつゆ知らず、
ろくにカメラに収めずに次回訪問に先送りしたのが運の尽きだった
新聞で全廃の報道を見たときは膝から崩れ落ちてしもたw 鹿児島は遠いなあ
当時、07を撮りたかったら現地へのアクセスからして
やはり同和片上が最善の選択肢ではなかったかな
オリジナル原理主義の人にとってはあの2ライトが許容できるかどうかは課題だが… >>81
却って格好良く見えたと思うが、そうでもないのか? ライトがあるはずの位置にないと
なんか間延びした感じがする
俺は片上の2灯よりもオリジナルの方を支持する まあ、アクセスなら片上に負けるが
やはり正統派なら有田鉄道だろう。
鹿交と違って塗装も国鉄色だし。
関西住の俺からしたら
有田も片上も同じくらいだった。 関東のは酷かったな
あと国鉄試作のガスタービン試験車も、まぁ模型なら欲しいけど >>84
そうかなあ
二灯の方が精悍な顔つきで良さげじゃん 例のガスタービン試作車は正面改造した時点で以て07グループから脱落したといえるかも 夕張の四枚窓って単純に六枚窓のピラー各一本取っ払った状態なんだろうか?
分かり難くてスマン あれは何のために顔面整形したんだろ?
整形だってタダではできないわけで。 >>91
ここで延々と個人の嗜好を主張し合っても‥w 片上は04も腰部2灯化で他社の04とは明らかに異なる空気を漂わせていた 1ライトより2ライトの方が照度が上がって安全性も高まるじゃないか >>93
確かに夕張のは評価が分かれますね、オデコ1灯だから許せるかな?? 夕張から岩手開発に行ったのはもう動かなくなった後に撮影した
動いてる姿を撮りたかった…… 元々予備車両だったと思う
岩手で走ってる姿を見られた人は稀 江若のが良いと彼が言う
いやいや夕張だと奴は言う
そして二人は言った「なんだかんだで南薩鉄道だね」と 南薩鉄道線からの西鹿児島駅乗り入れが100形から(ATS搭載の関係で)300形に変更された
しかし上伊集院駅に登る饅頭石の勾配は大変だったろうな
ギアは常にローでエンジン全開だったはず
それでも時速は18Km/h前後だったと予想する 官より民です、の鹿児島交通並びに親会社様
一度は一般公開した100形をバス整備場に入れたまま10年余りが経ちました
もちろん保存して頂いてるだけど感謝感謝です
が、一般公開を再開して貰えませんか?必要なら有志一同で義援も致します
悪戯防止で常設が無理でしたら年に一回だけ整備場から引き出して頂くだけでも構いません
御検討の程よろしくお願い致します 一応去年見学ツアーのコースに組み込まれたよね
今年もやってくれるかな、評判や集客はどうだったのだろう 次の記念展は金山駅跡で開催します
事前の草刈りに御協力ください 枕崎から加世田まで乗ったとき進行方向左座席に座ってたから右に駅舎が有った駅を覚えていない
それにしても日置・吹上浜・伊作・加世田・津貫・枕崎以外はボロい駅舎ばかりだったな
それが良かった 加世田バスターミナル併設の整備工場に格納してあるキハ103を見てると「当て馬」になった気分になる >>108
こんな便所の落書きするより、
ブログでも作って現実世界の有志募って頼み込めよ >>115
五月蝿いな、とっくの昔からやってるし会社にも定期的に要望しているよ
アソコは鹿児島県民の嫌われ企業だからな
相手にされない >>116 なんで嫌われているのですか? 岩崎家が嫌われていたとか? >>101
昭和58年に撮影に行ったときにはほぼ動いてなかったが
ネットの記事に寄れば暖房機能が良いことから冬には多少働いていたらしい
どっちみち動いてるのを撮影するのは厳しかった 夕張・岩手開発の車は中央の2枚だけがHゴム支持で
チョッピリおしゃれ感が出てなかったっけ 詰め込み主義者の立場で見ると運転台周りにデッドスペースが多いな >>120
窓のHゴム支持は田舎バス風味でしかないが、
それでもオサレに見えるか? よく窓の上段がHゴム固定のやつをバス窓って言うけどむしろあんな窓のバスを見た記憶がない >>127
1970年代くらいまでは結構走ってたぞ。 >>128
70年代生まれだから見てるかも知れんが
覚えてないだけか 宗谷バス、名士バス、松本電鉄、蒲原鉄道、滋賀交通、コトデンとかなら、90年代半ばまで走っていた。
ボンネット車なら岩手県北とか鞆鉄道とかで今でも。 デッドスペースと言った方が居ましたが 模型で顔は04ボデーは07の作ったことがある >>127
リアルでは見てなくても、趣味誌にはよく載せられているよ
だからこそ用語として定着したのだと思う 現時点において、D6D6Dで最終の気動車は関鉄キハ531になりますかね。
亜流とはいえキハ07の系譜を受けついでいると思います。 >>134
別に信じる信じないじゃなくて見た記憶無いなっていうただの感想 >>135
存続が危ういと言われてたが、あまりにも急で最後のお別れが出来ず 鹿児島交通はかなり前からフラグ立ってたよ
本気でカメラに納めたかったなら早目に行動すべきだったな 鹿児島へのアクセスが当時は今ほど整ってなかったのは考慮すべき 2社とも1980年頃にはもう危ないと言われていたね ディーゼルカーの天国、関東鉄道には来てくれなかった? 夕張→岩手開発のやつは廃車後個人が買い取りはしたものの引き取れずそのまま解体されて今では写真でしか見れなくなった
全国各地にいたやつとは少し違った変わり種で稀少価値あったのに惜しい >>146
正面が4枚窓の時点でインパクトありますよね
あとおでこのタイフォンとか末期?のバス窓化とか
>>147
キハ07関係なくなるけど北海道に炭鉱鉄道のSLとか個人で集めてる人いたな
まだご健在なんだろうか >>147
山田コレクションですね。
保存内容は
「4122号機を含む2輌の4110形、2輌のB6、9615など5輌の9600形、夕張鉄道
の12号機や雄別鉄道のC11など12輌の蒸気機関車と、客車、貨車、除雪車な
ど総計15輌」
と言うのだから個人保管とは思えない規模と内容ですよね。。。 >>151
4110形2両、B6×2両、9600形5両、夕張の12号、雄別のC11
ここまでで11両…あと1両何なんだろう?w >>138-140
最近、災害で突然やられるのがまた増えてるけど、当時もいろいろあったな
せっせと乗りつぶしに励んでいたから影響なかったけど
ニュースや葬式状態になってから慌てる人は後手を踏んでるんだよね
九州は有名になる前に豊後森で見れたのも想い出 そう、関東鉄道には07が来なかったんだな
04と07の共演なんかオールドDCマニアにはたまらんシチュエーションなんだけど。。。 04と07が共存していた地方私鉄ってどこかになかったかな? 深名線でも走ってたいたんだな
北海道各地で活躍していたのか 曲面が流行ってたというよりも
半円タマゴ顔は当時流行した流線形の一つのバリエーションなんでしょ 西鉄沿線民だったのでモ200が原型でキハ07はコピーと思ってました‥‥ 鹿島鉄道キハ600、側面はキハ07だが前から見ると全然違い車内はロングシートで冷房車になっている。常総線のキハ610は側面から見てもステップ除去で裾が一直線中央扉だけ両開き片運転台で車歴を知らないと分からないくらいの魔改造車 そこまで改造しようとしたのはよほどオリジナルでは不具合があったのか 関鉄みたいに車体を別製して載せ替えた方が良かったかも知れない