105系スレ
バスクーラーなんて全く効かないしよく壊れるから地獄だよ。 >>76
あれでは正規運賃なんか払ってやるか、という気分にもなるよなw 107系の冷房の効きは最悪だった。
猛暑日では冷房が効かない。
加速性能は悪く、速度の伸びは悪かった。
宇都宮線での運用では、時速100キロを出し切るのはやっとだったな…。
通常は時速95キロほどがやっと。
205系では、100キロは余裕(E231系と同等の性能)。
大幅な遅延が出た時には壊れるのを覚悟しながら、限界の110キロまで出し切ったのを覚えている。 奈良線・和歌山線・紀勢本線・桜井線が電化した当時は103系改造の105系を投入したのに、加古川線や播但線には103系をそのまま投入したのは単に改造経費をかけないためだったんだろうか?モハ+モハなので電力を無駄に使う気がするんだけど?? >>81
抵抗制御の主制御器が生産中止になってるために改造時期的に1M化するとVVVFにせざるを得ない
119系はえちぜん鉄道譲渡時に600Vに降圧するべくVVVFにした
元愛環100系で抵抗制御のまま降圧改造して速度が出ず問題になった
VVVF化しなくても主電動機を永久並列に繋ぎかえればそのまま使えそうな気もするがやらなかった クモハ同士背中合わせで連結してた事があったな
JR西ではクモハだけ増結用に単独で配置されてる 福塩線の4両固定編成は冗長性確保のために105系にしたとしか思えないな
結局数年で先頭車化改造された
電動車が1両故障しても生き残った1両で最寄り駅まで走行可能
2両編成でもモーター2個で応急的に走行可能だが主抵抗器の進段を途中で止める格好になるので長時間使用すると抵抗が焼き切れる
113系じゃダメだったのか? >>84
当時の府中電車区がTcMM'Tcの編成での検修に対応していなかったような話を聞いた事がある。
JR化後は113系や115系や103系も入ったし、
クモハ123-5・6や和歌山線からの105系4扉借入車が入った事も。
115系が最初に入ったのは冷房化やワンマン化で105系が不足した時で、
非冷房の初期車も入って、トイレが福塩線内使用停止だった。今は普通にトイレが使えるが。 クーラーの効きが悪いだけでなく、
冬も隙間風がドアや窓から入り込んで寒かった
夏も冬も居心地の悪い電車w みんなにボロカス叩かれてみたいなので
たまにはアゲレスをば。
和歌山にいた103系1000番台からの変身組の
顔はなかなかのイケメンとは思わなかったかい? 関西では馴染み薄いだけで東京じゃ見慣れた顔
三扉四扉の混成が少し面白く見えた程度 >>60
正規の103系は戸袋窓が埋められてイメージが激変(特にN40)したけど
4ドアの105系の側面は103系そのものだからね。だから博物館級・・・
環状の201系や阪和の205系0番台の行方が気になるので、早めに記録した方がいいかもな。
205系はモハをクモハに改造するかも知れないし。
広島の105系4ドアは全て引退したのかな・・・? >>89
ドアが一枚増えてもシートはそんなに増えない ならばせめて引退前にはアッと驚く千代田線カラーを復刻させてはなむけにするとかないものか。 黄一色だけはやめてほしかった
95年頃を境に急に一色塗りが各地で増え始めたが
却って草臥れ感が増すだけで良いこと何もなかった 京都117系の宇治抹茶塗り潰しの刑も付け加えてけろ
単色化でどれほど合理化が進むんだ >>87
それは105系以外でも大して変わらない
国鉄時代は本当に接客面でダメダメだった 2000年ごろの夏、奈良駅から桜井線に乗った時。
車中はいくぶんひんやりしてるがそれほど涼しくない、
しかしクーラー作動中の音は鳴っている・・
まだ始発だからやがて涼しくなるだろうと思ってたが
いっこうに変わらないまま目的駅で降りた
額には汗が滲んでいた 長く使うつもりがなかったからクーラーもバス用の小さいのを申し訳程度に付けただけで
吹き出し口の真下でないとまず涼感など味わえなかった 噴き出し口にもホコリのような白いものがこびりついて
風にゆらめいていた ホコリ、細菌だらけの冷風を有り難がってたことになるのか 限流値減スイッチは使った事例あるのか?
使うと1M1Tで1.6km/h/sに下がる 107系の冷房はそんなに効かなかったぞ…。
※扇風機やクールファンが無いから余計なのかな?
E231系はクールファンのおかげで冷房の効きは良かった。 105系もついに余命宣告か。好きな車両だっただけに別れはツライな。半年ぶりくらいに名残乗車しに行くか。出来ればクハ105は1両だけでいいから保存熱望。 105系は制御段数少ないとも相まって加速が妙に鈍い感がする
実測1.8km/h/s程度か?
当初端子電圧750VのMT57案も検討されたがMT55を永久直列で使った方が抵抗損失が少ないという試算が出た 冷房は効かないし、連結は外れるし、冷房装置のダクトから変な匂いがするし…。
加速はキハ40系並に重い上に、モーター音はうるさいし…。
大変だなあ…。107系電車…。 広島の4ドア105系は握れるドア取っ手が車内側にもあるが出っ張りが大きくラッシュ時に乗客と衝突したら怪我の恐れがあり危険では?
和歌山のは車内側は窪みだけである
元々103系に付いてたドアエンジンを強引に半自動化改造したために全自動・半自動切り替えが不可能で通年手動が多かった上にドアが重かった 今の時期WAU202搭載車に当たったら罰ゲーム感半端ないな
ユニットが車端部にあるためにちっとも冷えないしよく故障する
バス用を1500V直結に改設計したいい加減な構造である >>108
107系はもうじき上信電鉄期待の新車700系としてデビューする予定です。
さよならセレモニーをやった駅で新車出発セレモニーをやるという稀な事態になりそう。
107系、末期は通年半自動だったせいかそんなに冷房が効かないとは思わなかった。
それよりも、115系に乗った後で107系に乗った時、跳ねる事無く滑るように走る乗り心地に感動したな。 一時期クモハ同士背中合わせとかあったな
しかしジャンパ栓どうやって繋いだんだ? >>112
屋根の断面が201系と同一で見事に編成美崩してるな
旅客案内がややこしくなるので現在は行われていない
広島で中央ドアを施錠して実質2ドアで運転してた事もあった 運転状況記録装置が網棚の上にあるとか不細工な取り付け方してんだな
キハ187系も網棚を潰してる
床置きにすると客室スペース削がれるしJR東のクモハ103みたいに乗務員室間仕切り上方だとワンマン運転用の運賃表示器と干渉する 冷房の効きがイマイチなのは本当だったのか
俺の個人的な経験だけじゃなかったと
このスレ読んで分かったw 1M2Tでも旧型国電1M1Tと同等スジで運転可能だが試運転でもやった実績を聞かない
平坦な路線じゃないと難しい
213系も1M2Tで加速度1.4km/h/sとか異様に低かった ローカル線用なのに新製時から塗装を路線ごとに分けたのは国鉄としては珍しくないかな?
福塩線沿線で育ったので黄色の青帯のイメージが強いのですが... Tc+M+T+Mcの105系4両編成って貫禄あるよね!
特急車の4両編成より長く感じる。 103系1000台からの改造車、千代田線乗り入れ当時のリバイバル塗装って、やらないんだろうなあ。 >>133
主制御器を1編成に2個以上にすることで冗長化を図ったとしか思えない
登場から4年くらいで先頭車化改造されてる
113系転用じゃダメだったのか? >>136
ダメってことはないと思うが、当時は113系も地方幹線のフリークエントサービスでわりと幹線での需要あったんじゃね?
105系が持つスペックや開発目的を見ると、4両編成の登場も利にかなった事のように思える。 >>136
>113系転用じゃダメだったのか?
どこから持ってくるのかって話になる
113系が抜けた穴はどうする?新造113系?
だったら福塩線、宇部線、小野田線にふさわしい新車を直で入れた方が良いじゃん 101系だと車齢が高いしモーター熱容量的に4両編成はオールM必須なので没
主電動機をMT54に変えてその上で特別保全工事すれば出来たかもしれないが 1M2Tの3連用にサハ105-5〜を製造してもよかったのに
実際は3連はクモハを2連続の2M1Tしかやってない
下関にクモハだけ編成がある >>132 投入線区のイメージチェンジの意味もあるんでは。
80年代初め、常磐線415系鋼製車の塗装変更や、斜め帯入り塗装の185系など、画一的と言われてきた国鉄車両の塗装を変更し始めた時期だし。 119系も3両が有ったころには
<クモハ119-<クモハ119-クハ118>
だった。 1M2Tはクハ2連続も考えられるがクハだけで自走できないのでラッシュが終わった後の切り離して入れ替え作業に苦労する
JR四国7000系もそうだが一旦車庫に入れてクハを置き去りにしてまた戻ってこないといけないため手間がかかる 奈良線の105系時代って案外短かったのかな。
京都駅新幹線高架下からDCがぞろぞろ出発していたのが
電車化されてすごいなーと思ったものですが、
103系や205系が走り回るような路線に成長して・・・ チャレンジ2万kmやってた時、奈良線・桜井線・和歌山線・紀勢本線の和歌山市〜和歌山を連続でやっつけたんだけど、103系1000番台改造のガタガタの105系ばかりでホントいやだったorz >>146
103系1000番台って1970年製造開始で105系化は1984年だから
言うほど古くない
というか当時の105系のほうが今走り回ってる奴らより新しかったんだぜ >141
なるほど、ありがとうございます。
常磐線や新特急みたいに関東界隈だけでなく地方線区も同様に扱われてたって事ですかね。
福山界隈では山陽線はボックスシートで古くさく非冷車もあり、ロングシートかつ冷房完備だった105系の方が都会的に思えたので... >>148
登場時のよろこびのように読み取れますが、登場時って冷房なかったでしょ? 103系1000台からの改造車、登場した当時の内装はほとんど103のままだっけ。
シートも青色のままだったか?201系に準じたような内装にはしなかったのか、ということなんだが。 ふと記憶がよみがえったが、105系ってドア付近のポールに灰皿ついてなかった?
103系改造の可部線の105系だったんだけど・・・。 >149
登場時は知りませんが府中電車区の105系の冷改の方が岡山電車区の冷房完了より早かったのですよ。
なので山陽線で非冷房に当たると残念な思いがありました。 改造の順番がよく分からんかった
利用度の高い所から始めるのが普通だが? 府中電車区は総数20両くらいなので冷房工事完了が早かったんだと思います。
うろ覚えですが扇風機もスイッチ入れられたので冷房+扇風機で当時としては快適でした。 >>150
窓も地下鉄仕様で15pしか開かなかった。 >>156
窓開けても涼しい風なんて入ってこなかったからなあ
トンネル全体冷やしてるんだから本来ベンチレーターから取り入れる空気だけで冷える筈だった訳だし
全然効果なかったけど
そんなことより安全が大事だからなあ 抵抗制御がいなくなった今の方がむしろトンネル冷房はきちんと機能すると思う(?) 元103系1000番台のやつは地下鉄での安全対策用の開口幅制限ストッパ残ってた?
これがあると下段を一番上まで上げることが出来ない >>159
自己レス失礼
>>155で答えが出てた コロナ禍で半自動機能使用停止が全国的に起きてるが105系4ドアの場合半自動・全自動のワンタッチ切り替えが不可能なのでどうしようもないな
ドアエンジンに改造を施すことで可能
キハ52も半自動専用で自動で開けられないので念入りに消毒するしかない ひたすら消毒…………
もう元の社会には戻れないのかな 第三波襲来で分かったろ
戻れないのさ
鉄道の未来は閉ざされた >>146
4ドアの座席は最後までオリジナルのままだったので座り心地に難があった。
3ドアと比較すると座面の奥行が浅い・・・
阪和の103系初期車でさえ座席が交換されていたからね。
ま、103系2000番以前の面影を強く残していたので「良し」とするか。 >>164
4扉は全て絶滅したと思っていたが、3日前の1月10日にその4扉と遭遇して驚いた。
紀勢線、新宮→紀伊田辺での話。 >>170
70系が4連だったからじゃないの?
詳しく知らんけど >>170
一応福塩線には当時4連の運用があったからと、Mc-T・M-Tcに分割できるかららしいが、
わざわざ新規に設計して中間車を作ったのには、将来的に3連での新製などを考慮していたからだろうか。
あとは、中間車のほうが先頭車より安いからということもある? 1M2Tはクハ2連続にするつもりだったのかクハ-サハ-クモハにするつもりだったのか
スペック的に旧型国電と同等の性能を確保できるが試運転でもやった事例がない
クハ2連続だとJR四国7000系もそうだがラッシュが終わったときにいったん車庫に入れてクハを切り離しまた戻ってくる運用が必要で手間がかかる 119系が当初3両が有ったが運転室は片方だけだった(単独で自走できたのかな)
<クモハ119-<クモハ119-クハ118>
後でクモハ119の反対側に設置された運転室は、いかにも後づけした感じだった。 >>176
ハァ!?
もっと調べてから書き込めよ。 確かにクモハ119のうち9両は両運転台化改造されているな。 105系投入前に、70系を撮りに行った時の府中電車区の人から105系の話を少しだけ聞きました
塗装が、今までの色ではなく、どこかの私鉄のように思えたとか言っていました
身延線の115系の時も驚きましたが、地方に新塗装とは、ちょっと信じられなかった
宇部線の105系と同じようなイメージを持っていたから、以外としか思えなかったです 車体カラーでイメージが変わるよね
新塗装は斬新性が感じられてイメージ良かった 阪和のモハ72はオレンジ塗装だったが、初めて見たとき斬新に感じた >>181
最初で最後に見て乗ったのが、阪和線の旧型電車の置き換え直前、
ぎりぎり間に合ったとき
そのため廃車前という姿ばかりで、退色が多く、別の意味で違和感でした
赤系の色は、どうも退色が早いように感じます >>182
片町線の旧型国電もオレンジの褪色は早かったね
吹田工場を同一時期に出場した101系と比較しても倍以上に褪色が進んでいたから >>183
片町線の旧型はギリギリ間に合わず、
淀川電車区で許可を得てクモハ32を区内で撮らせていただいただけでした
自分の勝手な印象では
ノーシールノーヘッダーの車両は旧型でも比較的色が変色していなかったが、
シールやヘッダーがある車両がダメと言う感じ
ただ、廃車後に天理の多数留置の車両の印象もあり、自分の印象だけでどうこう言うのも正しくないように
今から思うと感じる点があります 宇部、小野田線の朱色塗装は
いつまで残ってたんでしょうか?
ご存じの方、ご教授お願いいたします。 >>183
一時期天オトから千ツヌにたくさんのモハ72が転属してきた。
色あせてはいたが、オレンジのモハ72は斬新に見えた。
昔は千ツヌ車の運用があった成田線我孫子口でも見ることが出来た。 >>185
多分89年くらいまでではないかと…
90年に初めて乗ったときは赤青帯になってたので… もう少し後では113系ブルーライナーも転属してきた。
我孫子口でも見ることが出来た。 色によって軽快に見えたり鈍重に見えたりする
不思議 桜井線に投入されたとき「新型車登場!」の宣伝。
でも、地元客は微妙な空気だった… 103系よりも制御段数少なくして大丈夫だったのか?
ごつごつして乗り心地悪そう ほぼ同期に115系1000番台ってのがいるけど、福塩線で105系と115系1000番台と乗り比べした
時は断然115系1000番台がよかったなぁ。コイルばねだけどこちらはよくできてる頃の115系だから
余計その出来の違いがあった。105系はなんというか遅い。115系1000番台も遅いけどこちらは高
速域になると加速速くなって全然速かった。 ジャンパ連結器を細工してクモハ同士背中合わせとかあったな
しかしパンタグラフが接近するので押し上げる危険性がありそう >>198
115系1000番台と比べる方がまずおかしいだろ。
115系1000番台は300番台の最終進化形態で近郊型では一番使いやすいように設計されてあるんだからそもそも
比べ物にならないことぐらいわかるだろ モハ105とサハ105は製造意図が謎だったな
扱いにくくて製造からわずか4年で先頭車化改造されてる
ラッシュ時6両編成にするつもりだったのか編成の半分ずつ検査可能にするつもりだったのか >>202
製作費の低減をねらったんじゃないかな、廃車発生品を使うくらいだから
でも実際は短編成で高頻度運転が適切とされたから全車先頭車化改造 1M2T運転が決定してたらクハが余分に製造されてるかサハ105-5~が製造されてたはず
1M2Tはシステム上可能だが試運転したという話はない >>197
> 103系よりも制御段数少なくして大丈夫だったのか?
> ごつごつして乗り心地悪そう
それがですね、そんなに乗り心地が悪いと感じないんですよね。一度宇部に来てみては? よくよく考えたらモハ105・サハ105は冗長性的に最強だったな
主制御器が2個になるので片方潰れても1M3Tで応急走行できる >>207
おそらくそれが、波及形式である119系で1M2T運転しなかった理由でしょうね。 >>202
福塩線では70系同様4両運転継続するつもりだったのが思いの外乗客の減りが早かったから? >>187
最終的に単一塗装に戻すなら朱色1色のままでよかったのにねぇ…
JRだから国鉄とは違うぞ!ってところを見せたくてイキってたってことかね ゆうぱっく塗装は人気あるん?
個人的には春日塗りが好み 119系でドア位置を微妙に変えた意図が謎だな
105系は殆ど113系2000番台と同じ位置だが119系は両端のドアが外側に寄せられてる
それも全体的にオフセットしてて両運転台の100番台はよく見るとドアの位置が前後で不ぞろい 近畿導入分(奈良線・和歌山線・桜井線)はどうして逆向きだったのだろうか 後輩の107系は165系の機器を流用しているが同じ1M電車
戸袋窓が廃止された100番台2次車はスッキリしていた 床置クーラーは便所と見間違うほど巨大デッドスペースだった 奈良線に投入された105系改造車
車体側面上部にうっすらとJNRが見えていた
完全剥離せずにクリーム色に塗装したんだろうな >>222
宇部線105系の車体側面にうっすらとゆうパック塗り分けが
完全剥離せずに末期色に塗装したんだろうな 兄弟119系は両運化された仲間も居たけど
105系はサハモハの先頭車化だけで両運化は無かった
単車では走行不可でしたっけ? >>224
ほぼ同じ時期に製造された車両だからねえ。
可能なような気がするけど。
運用した路線に単行の需用がなかったのでは? 紀勢西線での活躍ってどんな感じだったのかな
くろしおやオーシャンアローに追いかけられて
必死で走っていたんだろうな >>224
増設側がいかにも後付けな作りだったのがすごかった >>227
103−1500や119とも瓜二つだったね 南武支線の101系置き換えに仙石線105系転用は2編成しかなく所要1編成不足
E127系は所要が1編成足りないがFV-E991を入れるのを前提にしてるっぽい ありましたな、仙石線向け105系
クモハ103-モハ102-サハ103-クハ103を
クモハ105-クハ104×2編成に
新規顔も103系低運転台のままという特殊な存在 >>229
尻手支線のホームは既に3ドア用の乗車案内になっているが、
ポスターには3ドアと4ドアの電車がある旨表示している。 富山港線は結局交直流車にしたな
城川原の車両基地が廃止されて機関車牽引で松任工場まで回送する必要が生じる >>230
あの103系低運仕様の新規顔は同時期に廃車になったクモハ103やクハ103があったんかな? >>237
新規ブロック工法ではなく各パーツを組み立てたのではないかと
廃車になった101系の機器も一部流用されたみたいだし
末期は新秋津&久里浜の訓練車になった 正面は良いとして側面ドアは3枚か4枚どちらかでまとめて欲しかった 地方ローカル線は整列乗車を実施してないから不具合はなさそうだよ 制御段数を少なく割り切ってたな
103系よりも加速が悪かったとか?
MT57で直並列制御も検討されたがMT55を永久直列で使った方が抵抗損失が少なくなる クモハ105+クモハ105
定期ではないけど背面連結パターンも存在していた
パンタグラフが隣接していても問題なかったみたい 両渡りにしないとクモハ同士背中合わせに出来ないのでジャンパ栓をいじってるよな
播但線の103系みたいに加速は良かったが消費電力凄い事になってそう 119系には実在してたな
しかしMGを置く場所に難儀して冷房化がJR化後にずれ込んだ 119系の両運改造はJRになってからですよ
冷房改造はDC-DCコンバータを屋根に積んでDC600V電源のクーラー2台
両運クモハ123-40の冷房化と同じ 客が少なくても電車の単行は侘しいから苦手
両運化してほしくなかった 単行運転できる電車が少ないから
鶴見線のクモハ12、宇部・小野田線のクモハ42はJR化後まで残っていた。 鶴見線クモハ12は名物化した
それで良かったんだよ 鶴見線は建築限界の関係で20m級が入線不可だった
JR化後改良して可能になった