105系スレ
地方電化ローカル線近代化の象徴でもあった国鉄・JR105系の思い出を語ろう 119系が当初3両が有ったが運転室は片方だけだった(単独で自走できたのかな)
<クモハ119-<クモハ119-クハ118>
後でクモハ119の反対側に設置された運転室は、いかにも後づけした感じだった。 >>176
ハァ!?
もっと調べてから書き込めよ。 確かにクモハ119のうち9両は両運転台化改造されているな。 105系投入前に、70系を撮りに行った時の府中電車区の人から105系の話を少しだけ聞きました
塗装が、今までの色ではなく、どこかの私鉄のように思えたとか言っていました
身延線の115系の時も驚きましたが、地方に新塗装とは、ちょっと信じられなかった
宇部線の105系と同じようなイメージを持っていたから、以外としか思えなかったです 車体カラーでイメージが変わるよね
新塗装は斬新性が感じられてイメージ良かった 阪和のモハ72はオレンジ塗装だったが、初めて見たとき斬新に感じた >>181
最初で最後に見て乗ったのが、阪和線の旧型電車の置き換え直前、
ぎりぎり間に合ったとき
そのため廃車前という姿ばかりで、退色が多く、別の意味で違和感でした
赤系の色は、どうも退色が早いように感じます >>182
片町線の旧型国電もオレンジの褪色は早かったね
吹田工場を同一時期に出場した101系と比較しても倍以上に褪色が進んでいたから >>183
片町線の旧型はギリギリ間に合わず、
淀川電車区で許可を得てクモハ32を区内で撮らせていただいただけでした
自分の勝手な印象では
ノーシールノーヘッダーの車両は旧型でも比較的色が変色していなかったが、
シールやヘッダーがある車両がダメと言う感じ
ただ、廃車後に天理の多数留置の車両の印象もあり、自分の印象だけでどうこう言うのも正しくないように
今から思うと感じる点があります 宇部、小野田線の朱色塗装は
いつまで残ってたんでしょうか?
ご存じの方、ご教授お願いいたします。 >>183
一時期天オトから千ツヌにたくさんのモハ72が転属してきた。
色あせてはいたが、オレンジのモハ72は斬新に見えた。
昔は千ツヌ車の運用があった成田線我孫子口でも見ることが出来た。 >>185
多分89年くらいまでではないかと…
90年に初めて乗ったときは赤青帯になってたので… もう少し後では113系ブルーライナーも転属してきた。
我孫子口でも見ることが出来た。 色によって軽快に見えたり鈍重に見えたりする
不思議 桜井線に投入されたとき「新型車登場!」の宣伝。
でも、地元客は微妙な空気だった… 103系よりも制御段数少なくして大丈夫だったのか?
ごつごつして乗り心地悪そう ほぼ同期に115系1000番台ってのがいるけど、福塩線で105系と115系1000番台と乗り比べした
時は断然115系1000番台がよかったなぁ。コイルばねだけどこちらはよくできてる頃の115系だから
余計その出来の違いがあった。105系はなんというか遅い。115系1000番台も遅いけどこちらは高
速域になると加速速くなって全然速かった。 ジャンパ連結器を細工してクモハ同士背中合わせとかあったな
しかしパンタグラフが接近するので押し上げる危険性がありそう >>198
115系1000番台と比べる方がまずおかしいだろ。
115系1000番台は300番台の最終進化形態で近郊型では一番使いやすいように設計されてあるんだからそもそも
比べ物にならないことぐらいわかるだろ モハ105とサハ105は製造意図が謎だったな
扱いにくくて製造からわずか4年で先頭車化改造されてる
ラッシュ時6両編成にするつもりだったのか編成の半分ずつ検査可能にするつもりだったのか >>202
製作費の低減をねらったんじゃないかな、廃車発生品を使うくらいだから
でも実際は短編成で高頻度運転が適切とされたから全車先頭車化改造 1M2T運転が決定してたらクハが余分に製造されてるかサハ105-5~が製造されてたはず
1M2Tはシステム上可能だが試運転したという話はない >>197
> 103系よりも制御段数少なくして大丈夫だったのか?
> ごつごつして乗り心地悪そう
それがですね、そんなに乗り心地が悪いと感じないんですよね。一度宇部に来てみては? よくよく考えたらモハ105・サハ105は冗長性的に最強だったな
主制御器が2個になるので片方潰れても1M3Tで応急走行できる >>207
おそらくそれが、波及形式である119系で1M2T運転しなかった理由でしょうね。 >>202
福塩線では70系同様4両運転継続するつもりだったのが思いの外乗客の減りが早かったから? >>187
最終的に単一塗装に戻すなら朱色1色のままでよかったのにねぇ…
JRだから国鉄とは違うぞ!ってところを見せたくてイキってたってことかね ゆうぱっく塗装は人気あるん?
個人的には春日塗りが好み 119系でドア位置を微妙に変えた意図が謎だな
105系は殆ど113系2000番台と同じ位置だが119系は両端のドアが外側に寄せられてる
それも全体的にオフセットしてて両運転台の100番台はよく見るとドアの位置が前後で不ぞろい 近畿導入分(奈良線・和歌山線・桜井線)はどうして逆向きだったのだろうか 後輩の107系は165系の機器を流用しているが同じ1M電車
戸袋窓が廃止された100番台2次車はスッキリしていた 床置クーラーは便所と見間違うほど巨大デッドスペースだった 奈良線に投入された105系改造車
車体側面上部にうっすらとJNRが見えていた
完全剥離せずにクリーム色に塗装したんだろうな >>222
宇部線105系の車体側面にうっすらとゆうパック塗り分けが
完全剥離せずに末期色に塗装したんだろうな 兄弟119系は両運化された仲間も居たけど
105系はサハモハの先頭車化だけで両運化は無かった
単車では走行不可でしたっけ? >>224
ほぼ同じ時期に製造された車両だからねえ。
可能なような気がするけど。
運用した路線に単行の需用がなかったのでは? 紀勢西線での活躍ってどんな感じだったのかな
くろしおやオーシャンアローに追いかけられて
必死で走っていたんだろうな >>224
増設側がいかにも後付けな作りだったのがすごかった >>227
103−1500や119とも瓜二つだったね 南武支線の101系置き換えに仙石線105系転用は2編成しかなく所要1編成不足
E127系は所要が1編成足りないがFV-E991を入れるのを前提にしてるっぽい ありましたな、仙石線向け105系
クモハ103-モハ102-サハ103-クハ103を
クモハ105-クハ104×2編成に
新規顔も103系低運転台のままという特殊な存在 >>229
尻手支線のホームは既に3ドア用の乗車案内になっているが、
ポスターには3ドアと4ドアの電車がある旨表示している。 富山港線は結局交直流車にしたな
城川原の車両基地が廃止されて機関車牽引で松任工場まで回送する必要が生じる >>230
あの103系低運仕様の新規顔は同時期に廃車になったクモハ103やクハ103があったんかな? >>237
新規ブロック工法ではなく各パーツを組み立てたのではないかと
廃車になった101系の機器も一部流用されたみたいだし
末期は新秋津&久里浜の訓練車になった 正面は良いとして側面ドアは3枚か4枚どちらかでまとめて欲しかった 地方ローカル線は整列乗車を実施してないから不具合はなさそうだよ 制御段数を少なく割り切ってたな
103系よりも加速が悪かったとか?
MT57で直並列制御も検討されたがMT55を永久直列で使った方が抵抗損失が少なくなる クモハ105+クモハ105
定期ではないけど背面連結パターンも存在していた
パンタグラフが隣接していても問題なかったみたい 両渡りにしないとクモハ同士背中合わせに出来ないのでジャンパ栓をいじってるよな
播但線の103系みたいに加速は良かったが消費電力凄い事になってそう 119系には実在してたな
しかしMGを置く場所に難儀して冷房化がJR化後にずれ込んだ 119系の両運改造はJRになってからですよ
冷房改造はDC-DCコンバータを屋根に積んでDC600V電源のクーラー2台
両運クモハ123-40の冷房化と同じ 客が少なくても電車の単行は侘しいから苦手
両運化してほしくなかった 単行運転できる電車が少ないから
鶴見線のクモハ12、宇部・小野田線のクモハ42はJR化後まで残っていた。 鶴見線クモハ12は名物化した
それで良かったんだよ 鶴見線は建築限界の関係で20m級が入線不可だった
JR化後改良して可能になった