105系スレ
地方電化ローカル線近代化の象徴でもあった国鉄・JR105系の思い出を語ろう 最初は冷房が付いてなかった
冷房改造されたがパワーがなくてぜんぜん効いてなかった
荷棚に装置を付けたから荷物が置けない
良い印象がないな 象徴と言うほど多く造られなかったし、
配備された線区も限られてたよ。
今一つ存在意義の感じられなかった電車だね やっぱり立ったか…
ローカル用なので日陰者の道を歩むのは宿命だが、
スタイルの異なる103系からの改造車がグループとしての一体性を損ねて、結果として人気も出なかったのかなと思う。 >>2
後付で冷改の場合、費用をケチるとこういうことになるという見本
電車と気動車とでは違うが、関鉄が80年代末から冷改を始めたとき
千鳥式に室内機を配置したが荷棚占領もあったし室内灯を競合したため
これを撤去したが為に暗がりになるなど、散々な出来映えだったのにも通じる >>4
> グループとしての一体性を損ねて
正面形状、扉配置や数の違いなどはほかの系列にもあることだし、
また多様なスタイル車両が混然一体となってる方が却ってファンの興味をそそると思うのだが
どうだろうか 好みは人それぞれ。
網棚を使えなくしてたのは俺も低評価。 首振扇と併用されてたのもあったよ。
天井がごちゃごちゃして見映えが悪かった。 だから105系以外でも同じことだよって言ってるじゃん 和歌山線で乗り鉄やった時にこれに乗ったが網棚に荷物置いてる人は無かった
自分の傍らの座席に置くのが普通。
それが可能な位にいつもガラガラだと言うことです。 3扉・4扉ともAU75で改造されたのは少数だったな。
福塩線のグループは最初床沖が他だったけど、30Nの際に廃車発生品の分散式に交換された。 戸袋窓の埋められてる編成に当たるとちょっと室内が暗くなっちゃうんだよなあ 室内燈があるじゃないか
確かに最近は節電とやらで昼間は全く点燈させない会社もあると聞いているが 東日本は明らかに105を冷遇してたね。
今ではもう一両も走ってないし。
何か曰くでもあるのかな? 私の個人的な印象でも105系と言えば西日本ですね。
和歌山線や桜井線でよく撮影しました。
東日本が25年あまりで放逐した理由は私も分かりません 105系は可部や福塩が主戦場だと思ってた。
古色蒼然の73系に替わる新戦力の登場は地元にも歓待されたんだよ。 73系から101系や103系を経由せずに105系に交替となると
眩しく見えるのかな 熱風電車には愕然
119や40なども含めて
当時、地方の私鉄やバスで冷房普及の兆しがあっただけに バスは80年代後半に一気に冷房が普及したね
快適性で鉄道が大幅に後れを取ることになってしまった。 冷風噴出口から熱風が出るなんてなかなか体験できないよな
103系の冷改車でも最初そんな不評があったが、施工が拙いからだったのかな 105系で冷房の事はあまり気にならんかったね
それよりやっぱり色でしょ 通勤形としながら3ドアなのがアレレ?だった。
翌年にはセミクロシートのが119系として出たし、形式とコンセプト、スペックがアンマッチし始めた先駆けだな。
後年のJR東ではまるきり211系ロングのインテリアなのに、107系となったからややこしい。 クモヤ143で実績のある端子電圧が750VのMT57案も検討されたがMT55を永久直列で使った方が抵抗損失が少ないという試算が出たんだな
マスコンのシーケンスが以下の通りになってる
1ノッチ:起動
2ノッチ:全界磁最終段
3ノッチ:弱め界磁途中停止
4ノッチ:弱め界磁最終段
阪急7000系や京王6000系のように同一モーターで1C8Mと1C4Mが混在してるのはシーケンスを合わせるべく永久直列となる1C4Mが2ノッチが全界磁途中停止になってるが回生失効が異様に速い 3扉でもいいから運転台背面に座席を置いて欲しかったなあ ワンマン化も考えてドアを運転室に寄せたんじゃないか? 広島の103系改造105系は元のドアエンジンを半自動に改造したため半自動・全自動切り替えが出来ない上にドアが重く(仙石線の103系では蹴っ飛ばして開ける人がいた)「握れるドア取っ手」が付いてるがラッシュ時に乗客に当たって怪我する事故が起きそう
デカいドア取っ手撤去して半自動ドアスイッチ付ければいいのに
和歌山は通年手動である システム的に1M2T可能だが実現しなかったな
下関のやつはクモハだけ単独で増結できるようになってるが