懐かしの珍改造車を語るスレ©2ch.net
根室拓殖鉄道キハ3
と言っても当然自分には乗車体験が無くて地元の郷土史家の方に話を伺っただけだが、
当時はそれほど奇異の目を向けられることなく、利用者には受容されていたらしい。
では、どうぞ。↓ >>360
純粋に113系のグリーン車で新造したのが最初サロ111で、サロ110の0番台はサロ153からの改造車で、
そのあとサロ111以降がサロ113とサロ110-1200しか全く新造して作っていなくてほとんど改造車ばかり。
サロ112らがあった当時リクライニングしたのはサロ110とサロ112とサロ113だけで111は
回転するだけの座席だけでリクライニングすらしなかった。
サロ113は定員48人と少なすぎで17両で生産打ち切りされた挙げ句に一時期全部大阪の新快速に追い出されてる。 >>360>>362
サロ110-300・350・400・1300・1350番台は、定員からは本来サロ112か113だが、後者は113系本来の新造車だし、前者は廃形式済で再利用したくなかったんだろう >>361
キハ60と65が、同じ片運大出力なのに、整合が取れてないことを言っているんだよ。
気動車の体系は、形式十の位0は機械式、電気式、1〜2が1エンジン、3が通勤形、
4〜5が2エンジン、6が大出力エンジン、8が特急形、9が試作など。
一の位は上に書いたとおり(国鉄の職員が書いた雑誌記事などに依拠)。
十の位に上位概念(車輌のタイプなど)と、下位概念(エンジンの数など)が混在
するように制定されているのがそもそも問題。特急形のエンジン数の違うものを、
上手に形式分け出来なかったりするのだが、どうも5と6については、当初運転台を
考慮しなかったふしも?。
>>362
サロ110の0番台は、153系のリクライニング化で捻出されるサロ153を有効活用
するためと、サロ111に乗務員室が無いのを補完するため。イスもリクライニング
しない。
サロ113は成田空港開港に向けて、総武快速に連結し、外人観光客の体位を考慮し
特急形なみのシートにしたものだが、当時の編成数が17編成だったためらしい。 サシ489→スシ24。
「北斗星」登場当初は東海道〜九州のオシ24が現役だったから、
それを編成に組み入れるのは不可能だったとはいえ、
この食堂車は違和感ありまくりだった。 >>366
その当時東海道〜九州口のブルトレの食堂車だったオシ14(24)は食堂の営業を休止して売店機能と
車内販売準備室目的になっていたために安易に編成から抜けなかった。
ただし当時北斗星は1・2号が北海道と3・2号と5・6号が東日本とで編成が別々で、この時にロビーカーに
車内販売準備室機能つけていたら九州口の列車のオシを全部外してそのまま東日本の編成の北斗星に回せた。
そうすればサシ481/489のスシ24化は北海道の編成の最小限になるし、出雲1・4号 みずほ 瀬戸がなくなった際に
出たオシを北海道の編成に回せたかも知れない。
なおスシ24は種車のサシ481/489次第で冷房がキノコ型のAU12S型があるが、トワイライトに使っていた車は
そのまま使って全うしたが、北海道と東日本の北斗星に使っていた車は晩年14系から抜いたAU13Eに全て交換していて
キノコ冷房車のスシはいなかった。 >>367
客車用はAU13Aで、電車用がAU13Eじゃない? 当時せめてサシ581がまとまった台数残っていたらなぁー
>>367
北斗星のスシはキノコ型を交換したんじゃなくて、
種車自体がAU13装備。 >>369
サシ581を客車化するとなると、屋根上のクーラーが車両限界を侵しているので、
そのままだとダメなんじゃない?
それと、むだに重くてマシになってしまいそう。 どうでもいいが、客車の記号
ス すごく大きい
マ ますます大きい
カ 限りなく大きい
何かで読んだ気がするが、これマジ? で、スロ54は、冷房改造しても重量増抑えようってんで、台車を旧式のに変えたとか。
「マロ」になっちゃまずいって?
しかし、例えば元々42.4tの車両が0.2t重くなったら「ス」が「マ」に変わる。
一方、42.5tが47.4tになっても(4.9t増)、「マ」は変わらず、
なんだから、合理性を疑いたくなったり…。 >>372
諸説あるけど、
スはスチールカーだったのが、少し重い
マはますます重い、マキシマム
カはかなり重い
昔の図鑑に書いてあったのはこんな説。
>>373
客車の重量記号は、乗客や積み荷の重さも加えたものになっている。
マニ60が救援車になるとオエ61になるのはそのためだろう。 >>373
32系とかを使って作ったオハネ17も電気暖房を入れる際にそのまま重量がかさんでス級になっちゃうからと
寝台車なのにTR23/34のままにしてる。
冷房を付ける話になって重量がかさんでス級になったが、台車をスハ43からTR47をトレードしてもらってる。
逆にスハ43で作ったのにオ級に軽量だったからと何もいじらずオハ46にしちゃった車もある。 誕生し損ねたEF61-100。
もし日の目を見てたら、どんな機関車になってただろう。 >>351
小田急は当時、国鉄の準急形が制式化される以前だから、社形20mの2エンジン
名鉄も独創的なキハ8000(国鉄キハ82系相当?)を高山本線に投入
乗り入れの都合上、国鉄設計を踏襲する私鉄気動車は
キハ22タイプの羽幌と留萌があるな
>>352
常総筑波→関鉄も社形が水戸線に乗り入れてた >>379
小湊も千葉まで乗り入れしてなかったっけ?
計画だけだったっけ?
おかげさまで今でも国鉄キハ20の面影が味わえる サハ489→クハ183-100
サハ481→クハ188
折角種車に備わってる横軽協調機構を生かさず(それが不要な車両に改造)、
元々備わっていない車両に新たに付加。
何やってんだって言いたくなる。 >>381
引通の一本程度なら運転台増設工事に比べりゃたいしたことないし 60-3や61-11に向けた改造車は、とんでもない両数だったからな
改造や捻出の時期はもちろん、工場の能力や回送経路など様々な制約があった
数年前のピク誌、確か国鉄特急形の特集に裏話が載っていたか 元サハシ455-18のクハ455-201は、
車長が種車と同じ20mしかないって説と、
通常の先頭車と同じ20.4mって説と両方あるらしいが、
どっちなんだろうか…。 >>385
結局わかってないんだよね。
乗車した人がシートピッチが異なっていたと言ってもいるようなのだが、
実際にメジャー当てた訳では無いのだろうしねぇ。
サハに運転台を付けたクハ165やクハ455と比べると、
201号は本来のクハと車体長に違いは無さそうなので、車体新製ではないかと思えるけれど、
それも感覚的なものだしなぁ。 付けた座席がどっかで発生した
似てるようで微妙に背の厚み違うとかの
ものなら、シートピッチ違うとか
言われてもおかしくなさそうかな
あと、種車の台枠を行かして先頭改造するとして
オーバーハングが40センチ詰またらあからさまだろうとか、
それを回避するために台車中心間
わざわざ詰めるのかとか、
だったら連結器前に出す形のほうが
車端強度補強しやすそうとか
考えてしまいますな。 車体新造だとして
どこかで見込みで作って死蔵してた
クハの車体を引き取ってきて付けたが
そこらへん帳簿的に誤魔化しておきたい
事情があったとかの方が面白いかな 長野電鉄の601・602→611・612。
湯田中方の運転室が広がって(多分)、そっちにのみ乗務員室扉が付いた。
併せて、先頭の窓がR付で且つHゴム支持式に。 今も不思議に思っているその客車が改造車かどうか?
昭和30年頃の北海道では長距離の普通列車に
(1,2,3等があった時代で)2等3等が半分づつの客車が連結されていた。
出入り口のデッキは両端に合って、2等3等の境にトイレと洗面台があった。
2等車はゆったりしたボックス席で窓もピッチは合って広かった。
3等車の方は狭いピッチのボックス席で窓ピッチと合っていた。
2等車が普通列車に連結された理由は後年分かったのが、
当時の役人(公務員)の出張旅費規定で、
役付きだと2等車だったからと聞いた。
車両全体が2等車では大きすぎるので半車合造車だったと。 ただしこれはデッキが中央にあるから。記憶ちがいでは・・ >>393-394
これは合造寝台車なので、
私の記憶とは違います。
私のコメントは座席車です。 >>391
便所が中央にあるのは最初から新製の二三等合造車
スロハ31(32系)・スロハ32(35系)の類
窓の感じからすると32のほうか
寝台車を改造したスロハ38は便所が端部 >>393
ナロハネ10〜オロハネ10の
2等3等合造寝台車は、
夜行急行「かいもん」(小倉・)門司)〜博多〜西鹿児島に
連結されていました。 屁理屈だけど、その種の車両、本来は「オ(ロハ)ネ」みたいな表記にすべきじゃないかとか思ったり。
「オロハネ」じゃ、「グリーン車(座席)+B寝台車」とも取れなくはないから…。 >>398
二等座席車+三等寝台車だったら、オハネロ、ってなるんじゃないか? マロネロ38があったジャマイカ(Cロネ+ロザ)。
>>398
の「グリーン車(座席)+B寝台車」なら、
オハネロになると思われる。寝台が座席より上らしい。
北海道に一時期オハネ14の寝台1画をグリーン席に改造したものがあったが、
あれはまあ、オハネロ14とするべきだったんだろうなぁ。 サシ489-12 → サシ481-83 → サシ489-83。
形式は戻ったが番号は戻らず。 169系の座席を簡リクシート(元新幹線)に置き換えた車両。
客室とデッキの仕切り扉も新幹線風になったが、自動化はされなかった。
それにしても、あの車両がもうちょっと早く登場してたら、
到底その名に値するとは思えんような特急の濫造、は回避されたような気がする…。 1970年頃だったか?
急行形の製造が中止になった時点で、特急格上げがみえていた
中には、快速格下げもあったが そう言えば、先のサハシ455-18以外にも、
営業を終えたビュフェを普通車に改造する話があったとかいうが、
実現してたらどんな車両になってだだろう。 サロ489-1004からMG・CPを撤去した同101。
設置なら分かるけど、撤去の必要性って何処にあるんだろう?
重くなるから? >>406
サハシ165で見ると、まずビュッフェ側に運転室というのは、資材搬入ドアの戸袋が
車端部方向なので無理っぽい。
ハ室側に運転室を取り付け、中央ドアをそのまま、旧ビュッフェの資材搬入ドアを
自動ドア化して流用。食堂部分に窓新設と、通路側だった部分の窓高さ下げ、
全然ピッチが合わない座席取り付けで、クハ165-500番台。元の冷房MGが生かせる。
窓配置はクロハ49みたいな変則的なものになるだろうねぇ。 >>408
何か、車体そっくり新製するより面倒そうだな…。
出来てたら、間違いなく「珍改造車」だったと思えるけど。 サロ165(455)→クハ455-600も車体やドアや窓から座席までそのまま使って運転台部分をくっ付け。
東北にいた車は座席を近郊化の際にセミクロスとロングにしちゃったが、九州は座席は座席は変えず
ロングをつける等の近郊仕様にせずに使って終わった車も多い。
冷房はAU12S車が大半で13Eは九州にいた車しかいなかった。
(種車の内サロ165はAU13E車は130〜133の4両だけで種車に使ってない)
何故かあれだけ急行型がいた北陸にはグリーン車改造がいなかったのは珍しい(クハ165らの300と400番台はいたが)。 珍改造車というより、存在自体が珍奇だったキロ58だけど、
これは冷房化されたんだろうか…? キロ58は、製造から約5年で冷房化
冷房化から10年で廃車
あまり目立たない存在だった >>412
サンクス。
結局、中央東線の電化(キハ65の登場)で、キロ58は厄介者になったんだろうな…。 ED73は、22両全てが高速用1000番代に改造されたが、「新番号=旧番号+1000」、でなかった。
改造が製造番号順でなく、且つ新番号を改造順に付けたからだろうが、
律儀というか、杓子定規というか。 >>412
電源機関ないから冷房あってもキハ28から貰わないと使えないしまして運転台がない中間グリーン車だし
使い勝手の悪さが祟ったなあ。なくなったっていうよりキハ40の車体に替えてキニ58になって
常磐線の荷物列車用で暴走運用しておしまいだしなあ。 外吊式のドアから引戸式に改められた、初期の交直流型急行電車。
後年の車両は最初から引戸式になったが。 >>415
4VK付けたキハ28や65が多数配置されていた高山線に転用されたけど、
あまりうまく使われなかったようだよね。
>>416
枕梁部分に前ドアのステップがかかって、強度が不安だったからと言われていたが。
あまり問題なかったようだね。
>>417
キモ >>416
改造によってノーマルな形態に
なったのだから珍改造とは違うかと
むしろ珍新造車? 大阪環状線に最後に残ってた103系。
元と大幅に見た目が変わったけど、
そんなカネかける意味あったんだろうか…。 モハ301-4・モハ300-3→サハ301-101・102。
別に「サハ301-1〜」なんて車両はないにも拘らず、改造後の番号は101〜になった。 >>422
体質改善の経緯を調べなよ
自分の知識が少ないのを晒しているだけだぞ >>423
モハ300-9→サハ301-103も。行き場を失ったモハ301-13は放置プレーの上廃車された。 それにどれだけ金かかったんだよ。
ホントに経費に見合う効果あったんか。 >>426
イチャモンつけたいなら、まずはつける側がそれを証明しないと 185系気動車のローカル転用改造車。
座席のリクライニング出来なくした、ってのが何か笑える感じ。
そんな事しなくたって、元々特急用に足る車両とは思えなかったけど。 >>426
JR西日本のえらい人が、新車同様に化けた東武8000の修繕工事車を
見ちゃったんだから、真似しようと思うのは仕方ない話。
103は台車の出来が絶望的だから、あれにカネかけるのはねぇ >>429
東日本大震災で大津波に飲まれたのもLCカーの205系だしな。野蒜か高城町だっけか。 209系のボックスシート設置改造車も似たような印象。 4ドアクロスで落成し、長期にわたって使われ、
その後ロングシート化された近鉄2600系、2610系のほうが
珍奇な改造にも思えるが。 そう言えば、長野電鉄10系の窓配置は、クロスシート化改造も考慮してのものとか聞いた。
実際はそんな気配は全然感じられず、剰え、より高齢の3500・3600系より先に消えちまったが。 秩父鉄道に行った、元101系(国鉄)・165系。
前者は、3両編成の真ん中だけ非冷房だった(筈)。 >>435
>
> 前者は、3両編成の真ん中だけ非冷房だった(筈)。
然り
で、教えていただきたいのですが元東急7000が長生きしなかったのは車両長?非冷房? >>436
秩父での短命は、非冷房の上4連で短縮出来なかったため、と言われている。
簡単ではないけど西武701系のFS-342台車とMT54相当モーターに換装し、
冷房装置搭載の上Mc-M-Tcにしていれば良かったのかもしれないが、
いかんせん20メートル車が標準であった秩鉄にステンレスとはいえ、
18m車を入れたこと自体がダメだったんだろうな。 御教示ありがとう
冷房は国鉄101系の例もあるので横に置いといて、18メーター車4連がオーバースペックだったということですが、確かに3連にするわけにも行かなかったでしょうね 国鉄の鋼体化改造車宜しく、
18m×4両→20m×3両
なんて改造が行われてたら、それこそ「珍改造車」だったんだろうが、
流石にそんなわけにもいかなかったんだろうな。 >>437 元々、あまり長く使うつもりがなかったんでは?
90年代にもなって、地方私鉄への譲渡車両を冷房付きに改造するのが当たり前。
福島、水間、北陸に行った東急7000は、床置式にしたのも含め冷房改造している。
そして、3両ないし2両編成にしているわけだし。
秩父の場合、小田急1800など旧型車の更新考えてたところ、偶々東急7000大量放出されたので、最小限の改造で繋ぎとして入れたということなんでは? 440続き
秩父は、セメント輸送で儲かっていて旅客輸送は片手間でやってたから、小田急1800、国鉄101、東急7000と最小限の改造で安価で導入できればよい、という考え方だったのでは。
それが変わってくるのが都営6000入れたころからか。
吊りかけ非冷房の電車で有料急行走らせていても、行楽客の需要があった頃は楽勝だった。 短命スレの話になってしまうが、かつては国鉄が72系等の吊りかけ車を地方線区にほとんど無改造で転用したのと同様、大手私鉄からの譲渡車もあまり改造してなかったわな。
1500Vでない地方私鉄で走れるようにするための電圧降下改造以外。
非常に安く譲り受けた中古なんだから、手を加えずに寿命来るまで使えばいい、という発想だった。 >>441
三岐も旅客は二の次でセメント輸送で儲かってるようなものだよな。筆頭株主がセメント会社だし。
特に東藤原の炭酸カルシウム・フライアッシュ輸送が大きい。荷主は中部電力だし。 旅客輸送にテコ入れしないと路線の存続が難しい、
時代遅れの車両を更新しイメージアップを図りたい、
とはいえ、新車造るだけの予算がない
そんな事情で譲受車を大改造して入れる。福島交通なんてそんな感じか。 >>437-438
管轄の陸運局(?)によって見解が違うところがあるんだけど、
秩父鉄道の場合は、3両編成じゃないとワンマン運転を認めない、ってことだったので
より古い国鉄101のほうが長生きしちゃった。
地上側の設備を整えれば、4両編成でも認めてくれるんだけど、ホームにカーブミラー
付けただけだとダメみたい。
現に東上線や西武秩父線は4連のワンマンカーなんだし。 パンタグラフからの集電に改造された、元銀座線・丸ノ内線の車両。 元銀座線のは複数存在するけど、丸の内線のはアルゼンチン以外譲渡車はないんじゃあ 現存する分はそうかな。
旧・日立電鉄に元丸ノ内線の車両が輿入れしたと思ったけど、記憶違いだった…? パンタ集電化に加えて、大抵台車も狭軌用に換装したんだろうから、
相当手間のかかる改造だったと思われるが、新製するよりは安かったって事か…。 日立電鉄の元・営団2000系、夏は暑かった。水郡線支線にキハ110が入り、常磐線中電は100%冷房、バスも同様だという時期に・・
冷房化する位なら新製した方が安かったのかもしれないが。 日立電鉄は18mの中型車すらも入れなかったからもある。
旧式車両は変な出所の車があったり気動車を電車にしちゃったのまである。ほとんどが14〜15m級の小型車ばかり。
冷房すらつけられなかった。既に経営も行き詰まっていてモハ3000形2両が注文倒れになり、
それをもらったのが銚子だった。 サイズ的には、地方鉄道にはうってつけと思えるが…。事は単純に運ばないもんだ。 クハ164の種車は、何でクハ153の0番代だったのやら。
500番代だったら、見た目は165系オリジナルの先頭車と釣り合い取れたと思えるが。 それより、何でTc164-1〜4は非冷房車を改造して短期間で廃車にするようなことになった、ってことのほうが疑問だわ >>437
>>440-441
当時の秩父鉄道車両置換名目
1000系(←101系) :100系、800系(←小田急1800形)
2000系(←東急7000系):500系
3000系(←165系) :300系
自社発注500系は2扉一般車でWC付(当時は使用不可)だから
ラッシュ時には対応できなかったとかで、適当なのを探してたら?
偶然にも東急7000系が4連4本分丸ごとあったので導入したとか >>453
旧国17m級はOKで、私鉄18m級がOUTってのが大雄山線と似てるな・・・
こちらの方は、同時期に17mの新車が入線してる >>453 静岡鉄道の100形が譲渡されているが、長さ17.84mでほとんど18m車なんだが。
同じ車体長の静岡鉄道1000を18m級としているのもある。