懐かしの珍改造車を語るスレ©2ch.net
根室拓殖鉄道キハ3
と言っても当然自分には乗車体験が無くて地元の郷土史家の方に話を伺っただけだが、
当時はそれほど奇異の目を向けられることなく、利用者には受容されていたらしい。
では、どうぞ。↓ つまりゲテモノ車両集成スレってことで宜しいですな? 一畑電鉄(違うかもしれない)に、車高の低い元ガソ車の背丈を伸ばすために幕板を継ぎ足したゲテ物のクハがあったと聞く。
車長を継ぎ足す改造は知られてるが車高を継ぎ足す改造って珍しくねえか?
車高を上げたって定員増えねえしw 車高を高くして何かメリットあるのかね
まさかパンタが架線に届かなかったとかw 書き込んでから気づいたよ
その車高改造車はクハだったら
パンタ関係ねえわww ガソリンカーが電車に化けること自体が珍改造なのかも? 軽量化に徹して作られたものだから車体剛性がなく、
電車に引っ張られるだけで相当の負荷になり、早期の老朽化に繋がったみたいだね >>9
ガソリンカーは、ね。
でも電気式DCだったら電車に変身してもそんなに違和感ないよね
相鉄→日立電鉄の流線形にそんなのがあった。 珍改造ではないが、阪神の事業用車が種車時代の面影を側面に遺してた
明り取り窓を塗装で塗りつぶしてたように見えるが実際どうだったのだろう 小湊のキハ5800形は元々電車を無理矢理気動車にしたやつ。
エンジンや変速機は外されたが、1両だけ五井の車庫にいる。
数年前は動かせないがエンジン始動も可能だった。 関東鉄道に制御気動車があったね。
小田急1600を改造した車。 >>15
ペアを組まされる相手の車はかなり力持ちでないと務まらんね 倉敷市営がクハ16をもらってキクハ化しようとしてた。
重くてやめた。 高井薫平さんの「古典ロコ、軽便、田舎電車、そして…」に「気動車を電車にする話」というのがあったなぁ(鉄道ファン1983年10月号)。
淡路交通や日立電鉄等が出てたと記憶している。 >>16
本の受け売りで恐縮だが2個エンジンの強力車である元小田急キハ5000を相棒に指名したとか。 それでもキクハを繋いだら加速は悪かったんだろうな
過剰な負荷がかかって寿命を縮めたとかじゃなかったの 小田急5000についてなら、御殿場線走る方がよほど負荷は高かったみたいだよ
オーバーヒート寸前で辛うじて乗りきるとかも日常茶飯事だったらしい 改造ではないが、京阪は特急車では可能な限り着席乗車してもらおうということで、
パイプ椅子を積み込んで座席にあぶれた人にサービスしてたそうだ。
観光バスの補助いすみたいな感じかな
乗降口付近に設置したらしいですよ >>21
給油〜ラッシュ時の新宿送り込みスジの確保が大変で、SSEさがみ〜あさぎりの運転開始で一同、ホッとしたとか。
(山岳路線に挑む前のアルバイト運用は、ガス欠の危険が有って避けていた。) つまり燃料タンクが小さかったってことか。
小田急規格の小さな車体に2エンジン詰め込んだからね μとはちがうね
時代が下って燃費もよくなったんでしょう
北アルプス間合いだけでなく三、河海線の回送DCも架線下で営業運転してたよ >>10
名鉄はクハやらサハにして比較的後年まで使い続けた
流線形スタイルの2220は1970年代まで生き残ってた 黎明期の交流、交直流試験電車は買収国電、72系、クモハ11、クモハ51などベース車両にバラエティがあったな
何故かクモヤ791だけは完全新製車体だったが D61
D51に軸重軽減改造施したものだがそれなりに使われた先代車D50改造のD60とは裏腹に、
改造両数わずかな上にろくな活躍も出来なかった。中には機関区に放置されて使わずに
飼い殺し状態のまであった。 改造かどうか良く分からんのだか一台に異なる駆動系を抱えた栃尾電鉄209 >>31
おまけに栃尾一の力持ちで電機代用にされたというから
写真愛好家にもつとに有名な車だったな >>32
さらにその昔には二軸有蓋貨車を電車に改造するという荒業もやってのけた
あくまでも本の受け売り。できれば実物乗って見てみたかった。
これとて無蓋貨車を三等扱いで営業に出してた南海に比べると
まだマシかもしれない ガソリンボンネットバスを鉄道車両に改造した山鹿温泉鉄道のキハ101,102(101は、国鉄西鹿児島工場改造102は自社でバス2台のお尻を正面に!)
コレ最強!健闘努力賞もの!!! 山鹿は気の毒としか言えない
災害が無ければ立派な新車が買えていたのに モハ72→クモユニ82みたく国鉄工場で台枠流用の車体新製をやってたけど、
分厚い鋼板を曲げたり切った貼った出来る技術や設備って大掛かりだしそうそう無いと思うんだよね。
技術はともかく車体新製出来る設備は今でもJR1社1工場程度は残してるのかな?
今は台枠無事でも簡単に廃車してるけど昔なら意地でも修理してた感があったよね。
つべで「生まれかわる客車」を見るとワクワクする。
実際に台枠流用の車体新製を設計段階から見たかったなー。 国鉄工場を舐めてはいけない
かつて鉄道省は、鉄道も軍隊と同じく自己完結で組織が維持できるように独立した「省」だったんだ。
常に省内単独で、製造から・運営・配給・維持ができるように。
自省工場内で機関車や貨車、客車を製造・改造・修理できる職場を維持してた。
その流れを汲む国鉄工場、できて当然。
専用の炭鉱、発電所を持っていたのもそれで。 >>43
ttp://kokutetu.blog.eonet.jp/
ここのブログの人なら詳しく知ってそう
そのブログの記事では奥にはオロ60が置いてあったみたい 珍改造というほどのものでもないが近鉄や京王で見かけた、
前照灯2灯化を通常の白熱灯を2個並べたいわゆるデカ目をダブルで並べた車
見慣れれば何ともないが最初は違和感あった 一部しか新品を付けず、取り外した既存品も活かしたんだっけ? >>46
福知山の113系デカ目のライトを103系ライト改造車と同じライトを付けたやつよりはマシな見た目だと思う
確かクハ113-819だったかな? 訂正
クハ111-819でした
クハ113はなかったので >>40 設備が残っていたとしても、技術を継承した人が居ないんだよ。
分割民営化のときに技術者まで失った(技術開発者は温存して製作は民間で済ませば良いという考え)
だから近年度が過ぎた反省危機感もあり東急車両や日車を買収したり近車を囲いこもうとするんだよ。
これは、JRだけの問題ではない!静岡鉄道等の一部中小を診れば明らか(もっとも静鉄は需要も極めて限られるが、)
富山地鉄や大井川はこの点では健闘しているが、大手民鉄でも此処十年ほどの間に急速に怪しくなってきた。 103系3000番台。種車の仙石線用72系もT03系の車体を載せた
珍車だったが、更に車体を再利用してT03系に編入。高運転台に
非冷房、後に分散型クーラーは違和感が強かった。 >>52
その通り。その他にサハは1両単位で青梅、五日市線の既存編成に組み込まれていた。 >>46
あれをヒントに和歌山電気軌道が秋田や三重から買った中古車を二灯化したとか ここってネットや本の知識を書き込むだけで
自分が経験した上での話を語れる人はおらんの? 車内に飲料水の自販機を積み込んだ大井川の電車は対象外かな
鉄道雑誌にニュースが出たとき個人的にはインパクト大だった。 電源はどうしてたんだろうな
それはさておき大鉄の例は、自販機を電車に積み込むだけだから
改造とは言い難いかな >>60
照明で使う単相100Vなのか、クーラーなどで使う三相なのか。電車だから電源には困らない。
電車で使う三相は400Vか440Vだから、トランスで200Vに落とすんだろうけど。 西武が701系の売却で行ったクハからモハへの運転台移設って工程的にどうなの?
国電の101系以降新性能車でそれ以前の17m旧国で行った車体側面切断の配給車への改造が台枠強度の問題でできない!
とか訊いたけど、同主旨でコチラの安易な切断移設も問題あると思うのだが・・・
切断前に仮の梁でも設けた(仮溶接?)の?それとも変形防止の為に車体断面に巨大なクランプでも付けて切断したの? >>63
鉄ピクトリアルの譲渡車特集に詳しい作業の過程があったよ。 クモル145 の種車は 101系だし、新系列での先頭部移設は115系や113系で盛大にやってるし、何を疑問に感じているんだろう? 妻板を羊羹切るみたいにスパッと落とすと、クチャっと潰れると思ったのかな? 前面の窓配置が非対称だと不具合があるから普通は改造するが、
あえてそのままにしてた車は興味有りますな
例えば頸城のホジ3とか。 妻面は5枚窓なのに運転台側は2枚窓な蒲原鉄道クハ10 >>68
頸城ホジ3は正面形状よりも客室内に突出した動力機関のカバーでしょ
ちょうど手頃な荷物置き場になっていたが、普通は考えにくい てゆうかあんなデカい物があったら邪魔になるだろうに 現在の視座で考えたらダメだよ
当時は乗客から苦情不満は出なかったとのこと 比較的最近のものだけど717系は客室内に張り出した機器とか
急行型片開き2ドアの中間に両開き増設した900番台とか面白いクルマだった >>74
419や715か
その後の扱いは九州よか東北の方が丁寧だったみたいね
寝台を撤去し覗き窓を埋めてるし このスレで琴電を挙げるのはつまらないかもしれないがあえて言うと
軌道線車両を鉄道線タイプに無理矢理改造した50形
もちろん見たことも乗ったこともないがスピードを出した時はどんな乗り心地だったのか
ステップの張り出しも凄かったようだ ちょっと訂正
3行目
(誤)もちろん見たことも乗ったこともないが
↓
(正)もちろん実物を見たことも乗ったこともないが >>70
どうせなら座席にすればよかったのにね
あえてそうしなかったのは乗客の動線に悪影響が懸念されたからかな
と妄想したり。。。 >>6
車高の話
岡山電気軌道が屋根上に櫓を組んでその上にパンタ台を付けている
その櫓の側面を利用した広告が岡山名物にもなってた
郊外電車の一畑では高速で走るから櫓+パンタでは不具合があったのかな >>80 ホジ3、エンジンの真上だから熱や振動が多く座席には向かないのでは?
昔のバスもエンジンの一部が運転席横に出っ張ってきているのがあったが、車内の騒音や振動を増す原因となっていた。 おまえら>>6をよく読めよ
クハって書いてるじゃん
パンタなんか全然関係無いww
それに>>6の記憶違いでそんな車があったかどうかも分からない あえて>>81をフォローするとすれば当初は制御車として入線したがゆくゆくは電装する予定があったのかも
ただ木造客車を電車に化けさせるケースは得てしてゲテモノ系になるというのは分かる >>87
さらに一歩進んで補強のため外側に鋼板を貼った
所謂「偽スチール車」も珍改造に含めて良いだろうか >>89
福井鉄道が福武オリジナルの木造車を贋スチール車にしたが、
正面窓をしっかりHゴム支持にしてたのがユーモラスで笑えた >>89
事例が各地に多くある意味では珍しくはないが、
本来補強策とは車体更新でいくべきところを
“超”応急措置としてニセスチール車化改造を採用するのは
珍奇と言えなくもないかな
手元に資料が無いのではっきり言えないが
関東関西大手でこれをやった会社はさすがにないだろう 所詮応急であって長持ちするものでないから改造後も短命。
名鉄の車はどうやってメンテしてたんだろ >>981
書き込みは正確に頼むぜ
>>984
それらの回も雨が多かったっけな >>98
銚子にもいましたか
できれば感想&思い出なども書き添えてもらえれば‥ 俺が銚子訪問した時にはもう廃車されてたな>デハ201
乗ってみたい電車だった 他の車がのちにケバケバしい色に塗り潰されてしまったのに較べたら
素朴な色合いのままで生涯を閉じた201は幸せだったのかも知れないよ
ローカルの良さを自ら手放すなんて信じられなかった >>93
その関東の大手私鉄唯一の偽スチール車が東武鉄道モハ1101です。
1956年(昭和31年)1月より西新井工場の入換車に転用された際、
外板の老朽化が著しかったことから、車体外板に鋼板を張り付けて
簡易鋼体化が施工されました。
西新井工場の入れ替え車ですが検査担当が杉戸工場だったので
非営業車とはいえ車籍が維持されて本線を走行しています。
その後保存のため1981年(昭和56年)に廃車になり原形復元
ナンバーをデハ5号に戻し東武動物公園を経て東武博物館で保存されてますね。 >>103 ニセスチールの簡易鋼体化工事って単純に本来の木骨ボデイ外板に鋼板貼り付けて
釘やリベット、ボルトなんかで留めているだけなの?
本来 老朽化保全が工事の主旨なのだから腐り始めた木骨や外板の張替(部分的にでも)や補修、シロアリ対策、
防腐処理とかしないで隠しちゃうのか? 逆に63の全鋼製改造車は外板を流用してるから
シル・ヘッダが付いたままで半鋼車みたいに見える 森製作所のSL改DL
使える部品が少なく、新製を回避した利点が見えなかった。 もう知らないヒトも多いかも知れんが偽スチール化と言えば
小林亜星がCMをやっていたパッとサイデリアを思い出すんだわ >>108
住宅の外装リフォームで、サイディング、ってやり方があるだろ?
今の壁の上に新しい外壁材を貼り付ける奴。
偽スチール車って、木造車体に鉄板を貼り付けただけだから、
考え方は完全にサイディングと同じ。 あ、ID変わってるけど>>108です。
こんなにすぐに的確な返事もらえたの初めてなものでちょっと感動してます >>78 琴電の魔改造で最強と云えば 国鉄の客車を改造してクハにした
850?でしょ そもそもその前後に買収国電の譲り受けも受けているのに
軌間どころか車体構造も著しく異なる客車を何故選択したのだが?台車が広軌化し易い無難なTR11、14系だから?(買収国電だと厄介な雑種を掴まされる危険がある)単純に車両価格? >>112
それは、オハ31を改造した950・960でしょう
改造といっても、台枠と足回りだけ使っただけで、あとはほとんど新製だったようです。
種車から考えて、他のクハに比べけっこう重量があったのではないでしょうか?だからあまり使い勝手のいい車ではなかったとか(?) そう、重いのでペアを組まされたモハのモーターに負担がかかったとかで
直に出番が減ってしまった 12系と混結用に改造された20系。
見た目はオリジナル車とまぁ変わってないだろうが、
車番がステンレス板からペンキに変わって、
いかにも「格下げされた」って強調されたようだった。 しかしその後ペイントじゃ金が掛かるからステンレスに変更されたりもした
番号じゃなくて帯だけど。 一方で、「グレードアップあさま」の編成は、番号がペイントに。
塗装替えの時邪魔になって、ステンレス板を撤去したのか…。 珍改造といえるほどではないが、
秋田市電から南海和歌山に移った車は、
前照灯が和歌山標準の二つ目に改造されたが、
南海オリジナルの新製車の如き埋め込み式でなく
細い支柱に取り付けられたのでなんともユーモラスな外観となった
彼の地での活躍が短期間に終わったのは残念 >>119
平滑なルックスを意図したようなことを聞いた覚えがある。
先頭のエンブレムまで外しやがったのは許せん。
俺のダチは、Nゲージのグレードアップあさまに両面テープでエンブレム取り付けた。 新幹線0系の、15・16→21・22の改造車。
改造後の定員は、69・74になって、1箇所だけC席がない。 阪急90形:師弟関係に有った小林一三・五島慶太の縁で目黒蒲田電鉄より購入した黎明期の院電。3扉。
阪急96形:加越鉄道(後の加越能鉄道)より購入した客車。2扉。
何れも西宮工場で阪急スタイルに更新改造されて神戸本線系統で活躍した。 近鉄の初代ビスタカー10000系の先頭車10007。
追突事故で前面部が大破、オリジナルの流線型とは全く異なる貫通形で復旧された。 東急7200系の、先頭車→中間車の改造車。
元運転台付ってのが丸分かり…。 >>126
京急800形の3+3のやつもなw
あっちはも少し丁寧に埋めてあるけど。 京急は旧600も運転台埋めた部分だけ小窓1つ長かった >>121
ライトの改造よりも前頭部を思い切り削ったんだが
秋田時代の写真と見比べてみ 原型ないから
そっちの方が珍改造でそ クモハ300、クハ301の形式のままで運転台を潰した(前面の窓ガラスを埋めた)車両。 ちょい反則だが、ぽっぽやに出てきたアレw
キハ40系にくわしくない俺でもおかしいと思った。
ピクトリアル立ち読みしてきたw 途中で送信されちゃった
京福のEC40とか東武日光軌道線のED40
アプト機構を取っ払うまでして導入する必要があったんだろうか? 他に車両がない。選択肢がない。
その仲間では線路を壊した秋田が最狂。 >>129
鹿児島に行った大阪市電も車両限界の都合で尻すぼみ?になったね
長崎に行った小田原市内線は車両切ったり貼ったりニセスチールカーにしたりで
入線時点で原形がなくなってしまったりする。 長野電鉄601・602→611・612。
両側にある運転台の片方だけ乗務員室扉付になって、
前面の窓がHゴム支持式に変わった。
「珍改造」というほどの事もないかも知れんけど。 63系だとここに書ききれないくらいの改造が
あるんじゃないかな? 蒲原鉄道のモハ12のワンマン改造どうやって入るのってくらい幅が狭い乗務員扉 国電の車体を唐竹割りにした京成クハ2000形の極狭貫通扉。 >>137 旧国に私鉄含めた吊り掛け車で事業用車に改造されたものだと、珍改造だらけのような。
例えば、東武のサヤ8000。外観からすると、どこが8000系だ?と言いたくなるような代物だが。 北海道向けに、出入口が引戸に改造された14・24系客車。
元の折戸の方が客車らしかった気がしたから、惜しいと思えた。 >>142
折り戸の客車って特殊な例を除けば特急客車の20系14系と12系くらいで、ほとんど引き戸じゃないの?
世代が違うとそうなんだな モハ188・189-501〜504。
485系の改造だけど、見た目は新製車とまず変わらず。
ところが座席(だけ)は種車のベンチシートの流用で、
リクライニングしなかった(504のユニットを除いて)。 >>143
引き戸の客車って一部事業用車と50系、北海道向け14・24系くらいで、
ほとんど開き戸じゃないの? 世代が違うとそうなんだな 遺体のは俺だ
乗降扉の話か
折り戸のタイガーロープで吊ってくる… 451・471系の初期の車両は、出入口のドアが外吊式だった。
それを引き戸に改造した。
こういうのも珍改造に入るように思える。 既出かも知れないけど、
「似非近郊型」とも言うべき、モハ62・クハ66。 >>122
485系ひたちの新色検討案だったか、
特急エンブレムはおろかHMも撤去する案もあった 元特急・急行型→サロ110の改造車。
中でもサハ165をサロ110に改造したヤツ。
しかし、これらの車両の定員はこぞって48。
同じ定員のサロ113がそれ故に問題視され、定員60のサロ110-1200を造ったのは何だったんだって事になる。 >>152
まあ153系から改造したサロ110と珍車サロ152/163からのサロ112どころか
サロ95→サロ153-901→サロ110-901もそうだった。
サハ165-7から改造した501は座席と窓枠のピッチが合わないために運が悪いと
窓枠席のろくな車窓も見れない席を掴まされた。
特急改造車はトイレの箇所を乗降ドアにしたためにトイレがない車が多かった。
例外は総武快速向け1300番台最後の1356〜1358で種車の485/489系のサロに
車販準備室の改造をしてなかったためにトイレがある車になった。
ちなみに東海道線口の珍サロのある編成は田町でなく大概静岡に集められていた。 クハ105-105は踏面ブレーキだったが
クハ104-601はディスクブレーキだった クハ481-501・502。
181系改造車で車高が低い。 キヤ90
妻線で試験的に使用されたキワ90を保線車両に改造した車両
種車キワ90は非力で貨車2両しか牽引できず、空転も多いなど実用化に至らなかった AU75型クーラーの設置準備工事してあったところへJR東海独自の冷房載せた車両。
身延線の115系2000番代とか。 >>159
JR東日本ではそれをAU712でやってる車もある。新潟車の一部がこれだった。 白くまくん、霧ヶ峰、ビーバーエアコン
ブランド名はどうだかわからんが保存車に強引につけてたりする クモニ83-100番代。
どう見たってこの形式の一族じゃないだろ。
クモユニ→クモニは分かるけど、何で81→83の変更が必要だったんだろう。
「クモニ81」じゃいけなかったの? 東北の改造クロハに家庭用エアコンが付いていたのを雑誌で見た。
後付け感丸出しでカッコ悪かった。 >>162
マイテ49は外観を壊さぬよう冷房そのものが家庭用エアコンだった。
自己発電機給電だからSLやまぐち号で使うとスハフからの給電が不可。 「和風車だんらん」と称された、サロ481-500番代。 クハ181,481の一部に施された前面愛称版の電動幕改造。
クハ481 200番台でも手動だったのに・・・ クハ481-200番代の貫通路を閉鎖した車両。
クハネ581にもそういうのがあったらしいが。 福知山線内を走行中、踏切事故で前面が大破した特急「北近畿」のクハ481かクロハ481の貫通型先頭車
修復されて運用に復帰したが、修復の際、全面貫通扉が埋め込まれたため非貫通のクハ481やクロハ481に比べ、
ヘッドマークのサイズが小さくなり、目立っていた 考えてみれば、「北近畿」の車両が485→183になったのが珍改造車の最たるものかも知れない。
同時に七尾線の113→415も。 189系電車の中には、モハ484とモハ485の交流機器を撤去し、
車体を183系と同一のものに載せ替えて、189系の中間車に編入改造された車両があった
シートは種車の485系のシートが流用されていた 作り手も見る側も痛い子供だらけの迷列車とかからかな
ただの改造に「珍」をつける風潮が広まったのって >>177
あいつら「魔改造」だな
少しでも改造したり、理由あった改造だろうと魔改造とか言って面白おかしく馬鹿にしまくる 普通、ありえないような改造やったのが「珍改造」なんじゃね?
例えば、電車だったのをを気動車化したもの。元小田急1600の関東鉄道キサハがあるが、電車の車体ベースでエンジン取り付けたものって見当たらないような。 >>179 自己レス、小湊のキハ5800がありましたね。ここのスレの最初の方に載っていた。
これが唯一の例かな。 元はと言えばそっち(直流区間)の方が縄張りだったものを…。
そう言えば同じ181系の交直流化改造車でも、
サシ181→サシ489の場合は、車体を持ち上げたから格別な違和感はなかった。
しかしクハ181は、運転台の屋根はクハ481と同じ高さだったから、
嵩上げするわけにいかなかったんだろう。 クモエ21800やクモル23050といった、旧国改造の事業用車両。
買収国電改造車両も結構、面白いのがあるような。小湊キハ5800もその類だし。 こういうのが、珍改造車の名にふさわしいんだろうなあ
元・日本初の4ドア車あり、木造車あり、前面に両開きの大型扉をつけたものありと。
http://www.geocities.jp/h6feet/album7-3.html クモハ123。
荷物電車とかを人間が乗る車両に改造するってどういう神経だったんだか。
本来逆だろ。 クモハ84。モハ63→モハ72(クモハ73)→クモニ83と旅客車から荷電に改造。
そして再び旅客車へ。宇野線で活躍して引退。 クモハユ74もだな
モハ63→モハ72→クモハ74→クモハユ74
クモハ74の段階でクモハだがはなから旅客の使用を考えていなかった。
房総各線の新聞輸送車に使われて身延や飯田らから来たクモユニ143に代えられて引退。
はなから旅客に使うつもりないならクモハ74作る前にクモユニ82かクモニ83にすればと思えた。 モハ80 800〜850番代。
身延線乗り入れに備えてパンタグラフ取り付け部の屋根を低くした。
特に850番代は、種車はサハ87で、付随車→電動車の改造(逆は時にあるが)。 12系客車1000番台
旧客の置き換え用に急行仕業に入らなくなった12系を近代化改造
側面の白帯を消去、オハフ13とスハフ12の乗務員室に乗務員室扉を設置、
車内はシートの一部をロングシート化
JR西日本に継承されて山陰、紀勢、播但線などで使用された >>187
クモハユ74を置き換えたのはクモユニ74だよ。 >>187
72系改造のクモニは車体を新製してるから、コストも高かっただろう。
用途としては新聞輸送が主だったのだから、予算をかけずに改造するには「お面取り付け」で済ますのが適当だったのだろ。
実際、客扱いしたことってあったのだろうか?
もうひとつ考えられるのは、改造に当たったのが「本社予算」だったのか「支局予算」だったのか、おそらく後者ではなかったのか? 101系から改造されたクハ103-2000番台・2050番台 サハ103-750番台
一部の車両は冷房改造、方向幕取付、ジャンパ回路交換などが行われたがクハは非冷房のままで、
阪和線、大和路線で使用された。 キロ80を先頭車化改造したキハ82-901・902 阪神電鉄から高松琴平電鉄に譲渡された阪神ジェットカー
譲渡の際に中央扉を埋めて2ドア化、台車は旧型電車や元京急の車両のものに交換、
床下機器も取り換えられた
同じく阪神から京福に譲渡された車両も2ドア化、台車は国鉄101系のものが流用された 国鉄型のドア増設だと717-900のゲテモノ感がなかなか サシ489-12 → サシ481-83 → サシ489-83。
形式は元に戻ったけど番号は変えられたまま。 カニ25(←カニ22)。2両とも10年も経たずに配車。
まあ、こんなのよりはスシ24の方がよっぽど「珍改造車」にふさわしかろうが。 誤:2両とも10年も経たずに配車。
正:2両とも10年も経たずに廃車。
他に、14系と24系は双方向への改造がある(オハネフ24→スハネフ14、オロネ14→オロネ24、etc.)。
こういう例はそうそうないんじゃなかろうか。 >>207
183・189系と485・489系もその類かもよ
例:モハ485・484→183系800番台・189系500番台(車体載せ替え)
サロ183・189→485系JT(事実上名義だけ)etc. 453系→455系の改造車(Mc+M')は、トイレ・洗面所無になったとか。
このスペースは何かに転用されたんだろうか…? wikipediaから知識得ただけだからうわべだけ見て珍扱いか
迷列車とかかね、こういう風潮を作ったのは >>210
元の床下機器配置の関係で水タンクを新設するスペースが無かった(大規模な床下機器移設を行う必要があった)
従って跡地は何もない >>211
迷列車が悪い影響与えたのは間違いないがどんなの出せば言い方なら満足? >>211,213
珍改造と「魔改造」の線引きが分からん…
京阪の3608→3855(→3805)なんかは、「魔改造MAX」モードで、
走り始めた時の沿線へのインパクトも絶大だったようだけど >>213
日本語でおk
>>214
俺様基準なんでしょ >>212
その何も無いスペースの写真って見た事無い。
かつてのムーンライトのモハ164みたいにシートがあったら笑える。 広電の宮島線専用高床車の,運転席のアルミサッシ改造。
家庭用のサッシ窓で,クレセントまで付いてたのにワロタ 長野電鉄1100系。
あの車体、あれだけのために設えたのかって感じ。 >>218
貧弱な足回りのまま大型化したから、運転上の余裕が無かったのかもしれないし、車体だけ大型化しても2ドアじゃラッシュに対応しきれないのを悟ってOSカーに梶を切ったのかもしれない。 加悦鉄道のキハ083。
こんな重い車両よく買ったと評する向きもあるとか。 「グレードアップあずさ」の4号車。
この車両だけ、指定席/自由席の切り替えに備えてシートピッチを変えられるようになってた。
しかし実際は常に指定席の状態のシートピッチで使用されてた。 >>223
ピッチを詰めた時に増やす用の座席が、
実は、用意されていなかったという疑惑が…… で、後年「あさま」の189系をグレードアップ改造した時には、
シートピッチ可変の車両は製造されなかった。 「白山」編成のラウンジ&コンビニエンスカー。
客の評判がどうだったのか、てんで覚えてないが。 >>226
「能登」運用の時は、ソファーが最高のベッドになったんじゃないのかとw 写真に残る7101義経のタンク機関車姿がチンチクリンすぎて可笑しい テンダだからこそサマになってたのに
こともあろうにタンク車とは‥‥ タンク機改造
発案した人に聞いてみたい
アンタは何がしたかったのか、とw 今は梅小路にいる1070型など、同類は結構な数になるんだが・・・・。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 中国地方のモハ114→クモハ114改造車。
やる気のなさ丸出しって感じ。 >>234
旧型国電の先頭車改造も、相当の代物だったけどなぁ、クモハ73600とかクモハ12051とか・・・ 先頭車化改造・中間車化改造の両方を行ってるんだよなぁ、63系→73系って
あとは旧国だと10系(モハ10・クモハ12)程度?
その両方をやった車両の頂点は、東武8000なんだろうけど
(両方の改造どころか、運転台機器捻出のための簡易中間車化までもやってるし)
あとは神戸の1000系一統か(1100・1370とか) >>235
飯田線にいたクハ47に切妻にライト埋め込み式でそのまま先頭車にした変な車いたよな。 そう言えば、あの「似非近郊型(モハ62・クハ66)」化改造って意味あったんだろうか。
本物の113(115)系投入の方がよかったんじゃなかったのかって気もするが。 >>239-240
旧型電車を完全駆逐するまで、国鉄も東急も相当の時間を要したもんなぁ
(法定)製造年数の問題もあるから、いきなり駆逐…とはできなかったんだろうし、
実際、新性能車両が本格製造された後で竣工した旧型車ってのもあった訳だしね
結局は、旧型車だけしか走ってない路線で、「ガワだけ新型車」ってのを
強引にでも(少しでも早く)入れたかったための、苦肉の策ってことになったんだろうか
仙石線にしてもそうだろうけど その仙石線のモハ72がホントの103系に化けたとは…。
国鉄の死期が迫ってた事とも関係あったんだろうか。 国鉄で仙石線モハ72のような似非近郊型の導入が少数に留まったのは、103系を空気ばね無しで量産するなど、同時代の大手私鉄に比べ安上がりの新性能車を大量生産していたからなんでは? 車体は近代的だけど吊り掛け駆動という車両に萌えたな。江ノ電1000形
みたいに新製時から吊り掛けなのではなく、旧型車の更新で作られた車
両。小田急の1800形とか旧4000形とか東武の5000系とか相鉄の2100系
とか。 >>239
あれ身延線だけでなく房総各線にも入れる予定だったとか
その所為か、房総に投入された72系は便所取り付け改造もされなかったな 国鉄の旧型は、
それなりに規格化されて数もまとまってたから
特定の路線に集めて耐用年数使い
金を新車に回したほうが得策だったんだろな モハ62・クハ66改造は、クモハ73更新工事の続きという感じで、あまり深い考え無しに
企画されたもののように思う。
近代化対象の旧型車が大量に残っている一方で、クモハ73の更新を継続しても、もはや
大都市圏の投入先が無くなりつつあり、ならば、と、より地方線向きの車体構造を採用した
結果なのだろう。
身延線に投入された頃には更に風向きが変わり、車体だけ新しくしても足回りが古いままでは
検査回帰が旧型車扱いで短く、保守費の削減にならないので、これ以上更新工事に
費用をかけるのは得策ではないとの判断があったようだ。 「改造」の話じゃなくて悪いけど、
1993年に、新前橋の115系1000番代の車番の表記から
横軽対策車の「●」が消されてたのを目にした時は衝撃受けた。
既に碓氷峠の路線の廃止が決まったかの如き扱いに思えて。 サロネ581。
既に多数増備されていた2段式B寝台車に毛が生えた程度の開放式A寝台車を、
今更って感じで拵えた図太さには、或る意味感心した。 >>245
72系アコモ車は武蔵野線への投入も検討されていたらしいね。
高架新線をかすれきったツリカケ音も高らかに限界走行する72系、見たかったな。 >>250
> >>245
> 72系アコモ車
の成れの果ては、埼京線を試運転したよなぁ…。
> 高架新線を限界走行する72系の成れの果ても、見たかったな。
これが当てはまったのかどうか… サロ481→サロ183-1050。
ご丁寧に横軽対策も施した。 >>251
その動画をテレ朝チャンネルで見たことある
DL牽引で、オイラン車を併結した103系が架線試験してた
モハ103の屋根に試験機器を仮設、ケーブルを側窓から車内に引き込んでたな
どこの高架駅だか、ホームにオイラン車の腕木が接触
その根本をホームに擦り付けながら移動して砂煙あげてたな… そもそもうざちちがうっとうしかった
うざはははうっとい
あれやめんとひろいせかいしっててかくしごとしとったしよー
ほんまうっとうしいねん
ええとこいってよさつかんで
しがけんにかえってきたことがそもそもじかんのムダでやくやったわー
まーどーでもええけどよー
なんとかなったし そうみたいだけど、自分はそんな言葉は使わないようにしてるよ 187系
補機なしで碓氷峠を上ってゆく姿は・・・
見れなかった。 クハ183-151・152。
他の183系先頭車より車体が250mm長いという。 珍改造ね…。
忘れちゃいけない、大井川鉄道モハ1906+クハ6051+クハ6052。事情を知らないと「何だこのおかしな編成は?」 >>260
北陸鉄道から入ってきた車のくたにとしらさぎの内のくたにだろうね。
こいつはカルダンだったためにモハがぶっ壊れて修理出来ず他のモハを牽引車代わりに
クハで使っていた。 >>261
おかげでワンマン化に対応できず、多客時の増結用ぐらいにしか使えなくなり、結局は持て余して大代川の側線(=三途の川)行き。
小田急ロマンスカーもそうだったけど、あれだって3輌に短縮化したかったのが、構造上難しいのでそのまま使い、結局持て余して野ざらしだった…。
大鐡さん、もうちょっと考えてほしいな〜…。 >>261
違う。
機器構成上600Vの高性能車を1500Vに昇圧出来なかったんだよ。
だから電装解除して使った。
しかし、よく昇圧出来ない、走れないクルマを買ったよな。 >>256
わかる
なんか馬鹿にしたニュアンスが含まれてるから嫌いだわ >>259
あれは本来クハ481にするつもりだったんかねぇ。 サハ481→クハ480→クハ481-800。
最後は「クハ481の低屋根車(!)」なんぞと評されたとも…。 >>267
お前だけだろ?
早く夏休み終わらないかなぁ >>268
あぼんやすみなしのリーマン乙w
俺もあぼんやすみはないけど
代わりに秋休みがある(5日間のみ) 最後は交流機器を撤去しなくなった、JR酉による485系→183系の改造。 サハ87→モハ80の改造車。
付随車から電動車への改造はレアケースだろう(通常は逆)。 事業用車、特に新技術テストのための改造車なんて、珍改造(魔改造?)だらけではないのか?
例えば東武のサヤ8000、どこが8000系なんだ?という外見をしているが。
他にも廃棄対象旧型車の究極チェーンアップとして、小田急の強制振り子実験車両とか、買収国電改造の交直流車、ガスタービンつけてみた元ガソリンカーなど 付随車の電動化改造は台枠強化も要るだろうから、下手したら新車作った方が安いかも
101系の付随車は当初電装準備で、のちただの付随車にしたはずだが、パンタ台の有無とか以外に構体の構造の相違はあったのかしら? >>273
それは最近のステンレス車の類の話>新車作った方が安い
近年までの鋼製軽量車や、それ以前の吊り掛け駆動旧形台枠車は、
台枠補強を要しないか、比較的軽微な補強ですむ。
TのM化は、それほど珍しい物ではない。
小田急サハ2762(試験車だが)、京王6000系の中間車、井の頭サハ1500、
東急クハ7500、京王5000、3000の譲渡車、小田急旧クハ1551など探せばいろいろ。
地方私鉄にも多いね。 考えてみたら、
付随車→電動車(電車同士)の限界を飛び越えて、
客車→気動車なんていう改造もあった。 >>274
西武701を各地の私鉄に売却する改造の際、
伊豆箱根向けはTc車に電装品を移設・三岐向けはM車車端部を切ってTcの顔を移植
の2通りだった。
その後の譲渡車は顔の切り接ぎばかりだったから、
TのM化は出来ないことは無いけどやっぱり面倒なんじゃないの? >>276
そりゃ改造だから、面倒じゃない改造なんて無いでしょうが。
配線から何からやり直しだから、面倒は面倒で、出来ればやりたくないだろね。
でも必要があるからやったわけで。
運転室の台枠切断を伴う切り接ぎは、1980年代の初頭から始まった方法で、
それまではMのMc化なんかも、台枠の部分は残して工事していた。
ところで、運転台の切り接ぎと、TのM化とは、まるで別な話なんだけど。 東武2080系
2000系に20000系の顔を付けたやつ
地元の電車ながら一度しか乗れなかった
もう一度乗ろうと半日以上待ったが出会えず、その後すぐ廃車に
東武ネタでもう一つ
1800系通勤車化改造車
やっつけ感満載のショートリリーフ
酷い出来だった
せめて青帯を「りょうもう」時代と揃えればまだ見栄えがしたのに
見に行った時はすでに末期で、地元高校生のいたずらか、窓に張られてたフィルムが半分以上剥がされた悲惨な姿で運用されてた
「りょうもう」時代、颯爽と飛ばしてたのを思うと悲しくなった サシ181→サシ489。
車体の高さはオリジナルの489系と揃えられたが、
125mm持ち上げるってのは、結構大変だったんじゃなかろうか…。
一方で、「ゴー・サン・トー」改正の折に登場した、サロ481→サロ181の改造車では、
車高の違い、125mmは残存した。どうやって連結したんだろうと思えてくる。
その段差を乗り越えさせられた社内販売員の労苦はいかばかりだったか。 >>279
サシの489化は、台車の枕梁の交換じゃなかったかな。
上野で見たけど、見た目はわからない仕上がりだった。
サロのほうは、ホロも斜めになっていたが、ホロ枠をなるべく下げ、
渡り板も斜め連結に対応可能な形状のものを付けていたようだ。
当時のジャーナルに写真と記載があったと思う。
車内販売のワゴンは、ちょっとした坂をよいしょと持ち上げる感じかな。 >>281
Thanks!
あと、
社内販売員→車内販売員
だった。レス見て気付いたっていうお粗末ぶりだが…。
また、同じ「ゴー・サン・トー」の時に、サロ481→サロ183(189)の改造もあったが、
似た問題が起きてたんだろうな。
まあ、こっちの段差は35mmって事だから、181系の場合よりは対処は楽だったのかも知れんけど。 >>262
485と183の35mmは車内の床の高さの差だね
ただ、床面から窓下端までの高さが同じなので、外見では窓の高さがずれてしまう
サロ481→サロ189/183は機器流用・車体新製で窓の段差をなくした
国鉄末期のサハ481→クハ182/188等はそのままで、窓の段差が残ったうえに
元からのドアのステップもそのままにされてしまった(先頭側新設ドアはステップレス) >>280
近郊型サロの究極はサハ165改造のサロ110-501
座席と窓割りは合わないは扉は他のサロより広いわ
何故か車掌室が無いのにサロ111を名乗らなかった >>283
車体新製は、モハ484・485→モハ188・189(500番代)の改造。
これは、一見すると元485系とは思えないスタイルだが、
座席だけは種車の流用でベンチシートだったから(4ユニット中の1ユニットは例外で簡リク)、
指定席で当たった時は頭にきたもんだった。 そう言えば、いまだにわからないのが、
新幹線200系の改造車で、シートピッチ拡大したのがあったよね。
あれで3人席が回転するようにするため、肘掛けは回らず、
中身の腰掛け部分だけ回るとかの謎改造もあったけど、
窓配置を変更して改造したはずが、一見そうは見えず、
窓とイスの間隔もずれてない車があった。ピクに写真も載っていたはずだが、
あれはどうやって改造? というか、まさかの車体新製なんだろうか。 >>286
200系のあれは、シートピッチは変えてない。
要は、980mmのシートピッチで3列席を回転させるために、
肘掛を残して本体だけが回転するような座席が造られたって事になる。
で、後に0系にもそれが導入されたな。
こっちは、種車のうち0・1000番代のシートピッチが940mmなので、
流石にそのままでってわけにいかず、980mmに広げたために窓と位置がずれた。 200系新幹線の3列回転化は、2種類あった
最初はピッチ拡大して窓割も作り直し(車体新製ではない)
先頭車改造や215の半室グリーンなどが該当
後に、ピッチそのままで両側肘掛固定に移行 >>288
ああそうか。
221・222−200番代の件は失念してた。
それにしても、新幹線だと、一時的とは言えシートピッチに窓割り合わせるような配慮示したんだな…。
在来線特急車のグレードアップ改造では、そんな気遣い毛ほども見せなかったのに。 225-450や225-470も車体いじくってシートピッチ拡大だったな
2000番台と同じシートに取り替えたやつ
200系の改造車は複雑すぎてワケワカラン 元クハ153(低運転台)のクハ164。
せめて高運転台の500番代が種車ならよかったのに。
塗装を合わせれば、オリジナル車とほぼ変わらん外観だっただろうから。 >>283
サロ481→サロ183の中にはサロ481に戻った車両があった >>293
その車両は、サロ183に改造された折に横軽対策車になったが(●サロ183-1051とかの表記で、
碓氷峠通過可能を示す丸印が見られた)、これはサロ481に戻った後も残されたのか、と思ってる。
或いは、車体構造上はそうでも「●」の表記は消されたかも知れんが。 >>293-294
サロ481-98・112→サロ183-1051・1052は、車体も台車も流用
のち上沼垂のグレードアップ編成用に元車番に復帰
機器流用はサロ189-51・52 それが末期には格下げられてサハ481-300にされて末期のひたち7連専用車にされたり、電気釜頭移植させられて
ボロボンネット交換用のクハ481-1100にさせられた車もある。
末期のひたちの7連のサハの内0番台はほとんどなく全て改造車で占めた。JTにさせられた車もある。 >JTにさせられた
”何でいきなり煙草(専売公社)…”と思ったら”Joyful Train”なんだな。
それにしても、何で181→481〜489→183と、その度に車体割付が変わったんだろう。
だから、組み入れられた改造車が編成の統一性を乱す元になった。
近郊型や急行型では特にそんな事ないのに(ドアのステップを別にすれば)、
何で特急型はそうなのか。 >>297 交直流車か直流専用車か、現場で識別しやすくするためなんでは?
183系ベースの横軽協調車を183系○千番台とせず、189系と異なる型式番号付けるのと同様。
番台の違いで区別できると考えているような鉄オタの発想だと、営業運転でトラブルが生じやすいんだろうなあ >>298
形式そのものの話じゃないぞ。
481〜489系は181系に比べて車体が12.5cm高くなった。
また183(189)系は181系より、床が9cm・窓が3.5cm・屋根が12.5cm高い。
これは485系などと比べると、床が3.5cm・窓が9cm低く、屋根は同じ高さ、って事になる。
こういう違いが何で生じたんだろうと思った次第。
で、40年前の「ゴー・サン・トー」の時、181系はグリーン車の屋根が高い凹凸編成ができたし、
183・189系も、グリーン車の窓回りの赤帯に段差のある編成が見られるようになった。 >>299
九州では強引にクハ181をクハ481化したクハの凸凹編成があってこれがとんでもない大失態を招く結果になる。
まあ近郊型でも東海道線に入れた急行型グリーン車改造車はまだしもサロ181 183 481 489改造車は車体も何も
全然違うは冷房も違うわだった。
特にサロ110-301は車体まで凸凹編成だった。
急行型グリーン車改造車のサロ110やサロ112も色も揃っていた。
まあ昔のトミックスの113系にあったスカ色サロ112は本当は実在しないけど。 >>299
交直流車は床下に変圧器などを積むために、床面を上げざるを得なかった。
なんでそれに気づかない?
181→183で床が上がったのは、低床軽量構造を、普通床軽量構造にしたため。
小田急ロマンスカーSE、NSEの低床が、LSEになって普通の高さになったのと同じ。
>>296
クハ481-1100になったのは、サロ181-1100の新製車のほうでしょ。
だからサボ受けが残っていた。サロ481の改造車あったっけ? 183系の窓が485系よりも低くされたのは、座席が簡リクになって座面高さが下がったため、と
いう説明がされていたな。さらにリクライニングすれば目線も下がるから理由としては納得できる。
その関係で窓ガラスが腰のカーブにかかるため、車体断面も微妙に変更されている。
後から485系にも簡リクが導入されたが、編成美の観点からか窓位置の変更はされていない。
屋根は両者で変更する理由は無いはずだが、通風器が統一されなかったのは理由がよく分からない。 >>301
実は名鉄のパノラマカーの7000系と7500系で床面が違う。
7500系はわずかながら床面が低い構造で、運転席部分が頭でっかちに出っぱっていた。
その構造がバリアフリー法違反になって7000系より先にあぼんされた。1200系のドナーになった車もある。 >>302
客室用押込通風器
先に出た183系が在来スリット型を採用して
1年ほど後に出た485-200が新設計の箱形を採用したんだろうな
その後出た車では、新系列(40系気動車・201系電車・50系客車など)は箱を採用したが
在来型採用車の番代違い(183-1000、189、115系など)は在来型だった >>304
箱形はそれより前に昭和41年に東西線乗り入れ用の301系に使っていた。
地下鉄と言う特殊性から103系時代からの在来のグローブ形を使わなかった。
ところがコストが高くて量産が出来ず、昭和45年に千代田線向けに103系を地下鉄用にした1000番台を
作った際にコストがそっちのが安かったことや地下鉄でグローブでも箱形と大差ないことがわかって
以降103系で作られてる。
同じような箱形は165/169系の運転席部分の箱形もそう。
ちなみに301系が出た当時営団は日比谷線同様バカでかいガランド型だけだった。(箱形は翌年の5019F以降) >>305
箱形の最初はモハ90でしょ。
のちの101系900番台。
小形の箱形について、103系では、103系1500番台が採用している。 111(113)→115に改造されてもグローブ式ベンチレターは変わらなかった車両もある。
ってか、何でそんなの種車にしたんだか…。 その頃の国鉄は末期症状だったし、細かいことに構ってられなかったとか
新幹線の食堂車→普通車とか荒業もあったし >>307,308 そういう改造で何か走行性能や安全性に問題生じたの?
新幹線の食堂車なんざ、普通車に改造するのでなければスクラップにするしかなかったわけだし
小田急のように2ドア特急用車両を3ドア通勤車に改造した方が、細かいことに構ってられなかったんではないのかねえ? >>309
具体的に何か弊害が生じたかどうかは定かでないが、
そもそも115系でベンチレターが押込式になったのは寒冷積雪地域での運用を考慮してって事だから、
それに悖るような事を何でやったのかと思った次第。
しかも、111・113系が全てグローブ式ベンチレター車だってんならまだしも、
こっちにも押込式の車両があるんだから、余計、どうしてそれを改造の種車にしなかったんだと思えてくる。 >>309
発電機付きのキハ184から発電機を外したキロ184は
エンジンがキロ182と違うために扱いが難しくてエンジンを後から変えたことがある >>310 網干のクハ111が余ったから、岡山地区で不足していたクハ115の穴埋めのため改造、下関の老朽化した115の交換のために広島の113を改造といったケースでしょ。
首都圏の115持ってくるよりは、余剰となった近くの111、113を改造した方が便利。移動先も暖地でグロベンで問題ない。費用対効果の問題だわな。 >>309
小田急の2ドア特急車って何?
2ドアの特急専用車なんて、存在したことは無いのだが。 レス309訂正 2ドア特急用車両→1ドア特急用
小田急2300、1ドア特急用→2ドア準特急用→3ドア通勤用と2度の改造。中間段階を混同していた。 >>310
旧国時代から同じようなことしていたからね。仙石線に行った車は51系も72系もグローブから押込型にしていたし、
大糸線にもいたような。ただ富山港線の72系は仙石線より寒冷地で豪雪地帯なのに変えてない例もある。
>>312
サハ改造の600番台は種車の0番台が首都圏が出所。AU13Eクハ115最後の生き残りのやつも種車は三鷹の
中央本線からだったし。最後の生き残りは4基搭載タイプ。なんちゃって急行型屋根の5基搭載型は消えたし。 名古屋の113は逆に押込からグロベンに交換してなかったか? >>303
>バリアフリー法違反
この文言だけで何もわかっちゃいないアホだと思った サハ101→サハ103。
最初の17両は冷改+行先表示器設置がなされたが、
次の5両は、種車が既に冷房付だった関係で行先表示器省略、
更に次の4両は改造当初非冷房、
って具合に、だんだん「手抜き」になってった。
それにしても、このサハだけで30両(751〜780)あったんだから、
103系ってのはホントに化け物(両数的に)だ。 そういえば冷房車なのに幕がなくてブレーキ緩解音が101系と同じサハがあったね。
中央総武緩行とかでよく見た。 国鉄の瓦解を象徴してたような、715・419系(元581・583系)…。 特急車両をあんなみすぼらしい格好に改造して、何やってんだかと思わざるを得なかった。
今風に言えば、「国鉄、終わった」って感じがした。 使わないトイレの区画を撤去ではなく封鎖で乗り切ったりとか
長く使う気は最初からなかったから、最低限の改造だけで済ませてあの状態。
715は当初計画通り割とあっさり廃車になったけど、419は長生きさせすぎだったな。 >>319
ドアがワンクッション遅れて閉まるんだけど、バーンとかドッカンといきなり閉まるギロチンドアだった。
総武線にいた751〜754はみんなギロチンだった。あと772は幕がないのもそうだがこいつだけ
黄色が変色した車だったりした。 モハ403-1→モハ401-26。
何でスペックダウンの改造なんだよ(モーターの出力120kWh→100kWh)。 >>318
昭和48年関西線電化に伴い環状線にピカピカの冷房車が投入された。
中間車にみすぼらしい非ユニット窓車が連結されていたから良く目立った。
後に関東からとんでもないセコハンのクハを大量に受け入れる羽目になるのだがw >>325
むしろ相方を事故で失ったモハ400-26をモハ402に改造すべきだった >>328
モハ402-1の廃車(踏切事故)のとばっちりでモハ401-7が廃車されて、
この相棒のモハ400-7と、モハ403-1変じたモハ401-26がユニットになった。
さっぱりわけの分からん話だけど。 さらにクハ401-101なんて変な車まで作ってるな。しかも車がなくてクハ115から改造してまで。
しかも401系の最期まで看取るとは。 相鉄3010系→3000系
VVVF改造したから、たくさん居た6000系を差し置いて最後の低運転台車だったのも印象的。 >>318
T773・774・776の3両は非冷房のまま廃車となっているよ。 >>329
すまん間違えた
モハ400-26ではなくモハ400-7だった
つまりモハ400-7の方こそモハ402に改造されてモハ403-1と組むべきだった >>333
もちつけw
事故でクハ401-52とモハ402-1が廃車。
さらに401系が踏切事故でたんぼに落っこち、クハ401-13とモハ401-7が廃車。
それでモハ403-1をモハ401-26に改造。うまいこと4連に戻る。
モハ400-7をモハ402に改造した方が合理的にも見えるけど、
主電動機の出力が上がることで改造する部分が多くなるのを嫌った? 貨車改造の豊鉄サ201。琴電と違って戦後落ち着いてからの改造というのも異色。 「嘘から出たまこと」みたいな、103系3000番代。 古谷の車庫に止まってるのを見て、あれ、高運の非冷房車なんてあったっけ? と思った。103-3000。 量産化改造された201系900番代。
元モハ201-901のサハ201-901の屋根上には、パンタ台座が残存。 サヤ420→モハ420。
これは珍改造っていうより「珍種車」って感じだが。 >>341
> サヤ420→モハ420。
> これは珍改造っていうより「珍種車」って感じだが。
どうだろ
元からそのように設計してたのだから、改造というより復旧かな
旧に復したわけではないが 臓器移植したみたいな、183-800と415-800。 クハ381→クロ381(紀勢線)とサロ381→サハ381の抱き合わせ。
共に座席と窓の位置が合わなくなった。
単純にサロの先頭車化、じゃいけなかったのか…。 >>345
アルミカーの先頭車化改造は、思いのほか手間がかかるようだ。
なので、今後の寿命も考慮して、多数の手をかけて先頭車化するよりも、
基本座席の交換だけですむ方法にしたのでは。 クロ381はクハ381タイプでも貫通形と非貫通形の2種類がある クモハ119の両運化改造車。
常識的には、片運を両運にしたら形式が変わる筈だけど、「番代」が変わったに留まってる。 >>348
クモハ119Aとか?
奇数と偶数だけしか選定出来ないと、矛盾が生じてしまう例ですな。 >>348 富士急の両運転台キハ58は? 国鉄保有でないのに、何故種車の形式名を踏襲しているのかね? >>350
富士急のキハ58は、何かを種車に改造したわけじゃ無いよ。
最初からあの形態で新製された車輌。
国鉄車と同じ形式なのは、当時の私鉄の国鉄乗り入れDCの類、みんなほとんど同じ。
国鉄の基本設計をそのまま採用していたからね。島原・南海・富士急。
独自形式で乗り入れていたのは、小田急くらいか。 国鉄のキハ56→キハ53の改造車(両運化)見た時にはぶったまげた思いだった。
キハ53に編入するってのが理解し難い思いだったり。 >>353
ちなみに急行運用にも使用されていて
増結車として札幌発着の急行にも担当されていた >>353
旧国鉄のDCの形式符番の法則を考えたら、両運転台にしたからには
56を名乗り続けるのもおかしいんだよな。 >>355
確かに、当時新型車両のキハ54も登場してたから、
結局、2エンジン両運車用の空いた形式がなかった、って事にはなるか。 実際キハ23形の2エンジン型がキハ53-0番台として既にあった。車体はキハ23と同じ両運転台で2扉の両開きだが。
本州型はキハ58に両運転台にしたキハ53-200番台で、東北では只見線や氷見 城端線で使われていた。
会津若松にいた只見線型は非冷房車だが氷見 城端線型は冷房車だった。
(無論電源機関のあるキハ28がいないと使用不可)
オリジナルのキハ23車体で作られたけど財政難で安くあがるキハ58改造のが経済的にもよかったからだろうか。
ちなみに道央〜道南周回急行「いぶり」や東北の1両編成の急行である「いなわしろ」や「なつどまり」は
キハ22やキハ52等が使われていた。
急行「いぶり」にキハ53-500やキハ24(キハ23の北海道型)を使っていた話も全くないし。 気動車の形式付番については矛盾も多い。
形式の1の位、0〜4が両運転台、5〜9が片運転台のはずなのに、
キハ60(片運)、キハ65(片運)、キハ80などの特急形がその基準に合致しない、
キハ50、キハ51も片運。大出力の通勤形がもし出来たら、適当な形式を割り当てられない等。
本来、キハ56や58の両運化改造車が出来たら、キハ59あたりを名乗らせるしかないのだが、
ジョイフル車に使っていたためか、59と29をジョイフル系にリザーブしてしまい、
本来近郊形である53に編入しながら、北海道では急行にも使用とか、矛盾を重ねる
ことになってしまった。
100番台の形式と10番台の形式で新形と旧形(制御電圧の違い)としてわけたのだが、
それも混乱の元に。 そもそも形式1の位の付番方式は明文化された規定だったのだろうか?という疑問は置いておくとして、キハ50や51が登場した頃は二台エンジン車がまだ手探り状態だったから例外的な付番になったんだろうか
あと例外的といえばキハ60もそうね キハ56の両運化がキハ53、ていうのは、
晩年の113系のグリーン車を何でもかんでも「サロ110」にしてた事に通じるような…。
元サロ152を「サロ112」にしたのは何だったんだって感じ。 >>360
純粋に113系のグリーン車で新造したのが最初サロ111で、サロ110の0番台はサロ153からの改造車で、
そのあとサロ111以降がサロ113とサロ110-1200しか全く新造して作っていなくてほとんど改造車ばかり。
サロ112らがあった当時リクライニングしたのはサロ110とサロ112とサロ113だけで111は
回転するだけの座席だけでリクライニングすらしなかった。
サロ113は定員48人と少なすぎで17両で生産打ち切りされた挙げ句に一時期全部大阪の新快速に追い出されてる。 >>360>>362
サロ110-300・350・400・1300・1350番台は、定員からは本来サロ112か113だが、後者は113系本来の新造車だし、前者は廃形式済で再利用したくなかったんだろう >>361
キハ60と65が、同じ片運大出力なのに、整合が取れてないことを言っているんだよ。
気動車の体系は、形式十の位0は機械式、電気式、1〜2が1エンジン、3が通勤形、
4〜5が2エンジン、6が大出力エンジン、8が特急形、9が試作など。
一の位は上に書いたとおり(国鉄の職員が書いた雑誌記事などに依拠)。
十の位に上位概念(車輌のタイプなど)と、下位概念(エンジンの数など)が混在
するように制定されているのがそもそも問題。特急形のエンジン数の違うものを、
上手に形式分け出来なかったりするのだが、どうも5と6については、当初運転台を
考慮しなかったふしも?。
>>362
サロ110の0番台は、153系のリクライニング化で捻出されるサロ153を有効活用
するためと、サロ111に乗務員室が無いのを補完するため。イスもリクライニング
しない。
サロ113は成田空港開港に向けて、総武快速に連結し、外人観光客の体位を考慮し
特急形なみのシートにしたものだが、当時の編成数が17編成だったためらしい。 サシ489→スシ24。
「北斗星」登場当初は東海道〜九州のオシ24が現役だったから、
それを編成に組み入れるのは不可能だったとはいえ、
この食堂車は違和感ありまくりだった。 >>366
その当時東海道〜九州口のブルトレの食堂車だったオシ14(24)は食堂の営業を休止して売店機能と
車内販売準備室目的になっていたために安易に編成から抜けなかった。
ただし当時北斗星は1・2号が北海道と3・2号と5・6号が東日本とで編成が別々で、この時にロビーカーに
車内販売準備室機能つけていたら九州口の列車のオシを全部外してそのまま東日本の編成の北斗星に回せた。
そうすればサシ481/489のスシ24化は北海道の編成の最小限になるし、出雲1・4号 みずほ 瀬戸がなくなった際に
出たオシを北海道の編成に回せたかも知れない。
なおスシ24は種車のサシ481/489次第で冷房がキノコ型のAU12S型があるが、トワイライトに使っていた車は
そのまま使って全うしたが、北海道と東日本の北斗星に使っていた車は晩年14系から抜いたAU13Eに全て交換していて
キノコ冷房車のスシはいなかった。 >>367
客車用はAU13Aで、電車用がAU13Eじゃない? 当時せめてサシ581がまとまった台数残っていたらなぁー
>>367
北斗星のスシはキノコ型を交換したんじゃなくて、
種車自体がAU13装備。 >>369
サシ581を客車化するとなると、屋根上のクーラーが車両限界を侵しているので、
そのままだとダメなんじゃない?
それと、むだに重くてマシになってしまいそう。 どうでもいいが、客車の記号
ス すごく大きい
マ ますます大きい
カ 限りなく大きい
何かで読んだ気がするが、これマジ? で、スロ54は、冷房改造しても重量増抑えようってんで、台車を旧式のに変えたとか。
「マロ」になっちゃまずいって?
しかし、例えば元々42.4tの車両が0.2t重くなったら「ス」が「マ」に変わる。
一方、42.5tが47.4tになっても(4.9t増)、「マ」は変わらず、
なんだから、合理性を疑いたくなったり…。 >>372
諸説あるけど、
スはスチールカーだったのが、少し重い
マはますます重い、マキシマム
カはかなり重い
昔の図鑑に書いてあったのはこんな説。
>>373
客車の重量記号は、乗客や積み荷の重さも加えたものになっている。
マニ60が救援車になるとオエ61になるのはそのためだろう。 >>373
32系とかを使って作ったオハネ17も電気暖房を入れる際にそのまま重量がかさんでス級になっちゃうからと
寝台車なのにTR23/34のままにしてる。
冷房を付ける話になって重量がかさんでス級になったが、台車をスハ43からTR47をトレードしてもらってる。
逆にスハ43で作ったのにオ級に軽量だったからと何もいじらずオハ46にしちゃった車もある。 誕生し損ねたEF61-100。
もし日の目を見てたら、どんな機関車になってただろう。 >>351
小田急は当時、国鉄の準急形が制式化される以前だから、社形20mの2エンジン
名鉄も独創的なキハ8000(国鉄キハ82系相当?)を高山本線に投入
乗り入れの都合上、国鉄設計を踏襲する私鉄気動車は
キハ22タイプの羽幌と留萌があるな
>>352
常総筑波→関鉄も社形が水戸線に乗り入れてた >>379
小湊も千葉まで乗り入れしてなかったっけ?
計画だけだったっけ?
おかげさまで今でも国鉄キハ20の面影が味わえる サハ489→クハ183-100
サハ481→クハ188
折角種車に備わってる横軽協調機構を生かさず(それが不要な車両に改造)、
元々備わっていない車両に新たに付加。
何やってんだって言いたくなる。 >>381
引通の一本程度なら運転台増設工事に比べりゃたいしたことないし 60-3や61-11に向けた改造車は、とんでもない両数だったからな
改造や捻出の時期はもちろん、工場の能力や回送経路など様々な制約があった
数年前のピク誌、確か国鉄特急形の特集に裏話が載っていたか 元サハシ455-18のクハ455-201は、
車長が種車と同じ20mしかないって説と、
通常の先頭車と同じ20.4mって説と両方あるらしいが、
どっちなんだろうか…。 >>385
結局わかってないんだよね。
乗車した人がシートピッチが異なっていたと言ってもいるようなのだが、
実際にメジャー当てた訳では無いのだろうしねぇ。
サハに運転台を付けたクハ165やクハ455と比べると、
201号は本来のクハと車体長に違いは無さそうなので、車体新製ではないかと思えるけれど、
それも感覚的なものだしなぁ。 付けた座席がどっかで発生した
似てるようで微妙に背の厚み違うとかの
ものなら、シートピッチ違うとか
言われてもおかしくなさそうかな
あと、種車の台枠を行かして先頭改造するとして
オーバーハングが40センチ詰またらあからさまだろうとか、
それを回避するために台車中心間
わざわざ詰めるのかとか、
だったら連結器前に出す形のほうが
車端強度補強しやすそうとか
考えてしまいますな。 車体新造だとして
どこかで見込みで作って死蔵してた
クハの車体を引き取ってきて付けたが
そこらへん帳簿的に誤魔化しておきたい
事情があったとかの方が面白いかな 長野電鉄の601・602→611・612。
湯田中方の運転室が広がって(多分)、そっちにのみ乗務員室扉が付いた。
併せて、先頭の窓がR付で且つHゴム支持式に。 今も不思議に思っているその客車が改造車かどうか?
昭和30年頃の北海道では長距離の普通列車に
(1,2,3等があった時代で)2等3等が半分づつの客車が連結されていた。
出入り口のデッキは両端に合って、2等3等の境にトイレと洗面台があった。
2等車はゆったりしたボックス席で窓もピッチは合って広かった。
3等車の方は狭いピッチのボックス席で窓ピッチと合っていた。
2等車が普通列車に連結された理由は後年分かったのが、
当時の役人(公務員)の出張旅費規定で、
役付きだと2等車だったからと聞いた。
車両全体が2等車では大きすぎるので半車合造車だったと。 ただしこれはデッキが中央にあるから。記憶ちがいでは・・ >>393-394
これは合造寝台車なので、
私の記憶とは違います。
私のコメントは座席車です。 >>391
便所が中央にあるのは最初から新製の二三等合造車
スロハ31(32系)・スロハ32(35系)の類
窓の感じからすると32のほうか
寝台車を改造したスロハ38は便所が端部 >>393
ナロハネ10〜オロハネ10の
2等3等合造寝台車は、
夜行急行「かいもん」(小倉・)門司)〜博多〜西鹿児島に
連結されていました。 屁理屈だけど、その種の車両、本来は「オ(ロハ)ネ」みたいな表記にすべきじゃないかとか思ったり。
「オロハネ」じゃ、「グリーン車(座席)+B寝台車」とも取れなくはないから…。 >>398
二等座席車+三等寝台車だったら、オハネロ、ってなるんじゃないか? マロネロ38があったジャマイカ(Cロネ+ロザ)。
>>398
の「グリーン車(座席)+B寝台車」なら、
オハネロになると思われる。寝台が座席より上らしい。
北海道に一時期オハネ14の寝台1画をグリーン席に改造したものがあったが、
あれはまあ、オハネロ14とするべきだったんだろうなぁ。 サシ489-12 → サシ481-83 → サシ489-83。
形式は戻ったが番号は戻らず。 169系の座席を簡リクシート(元新幹線)に置き換えた車両。
客室とデッキの仕切り扉も新幹線風になったが、自動化はされなかった。
それにしても、あの車両がもうちょっと早く登場してたら、
到底その名に値するとは思えんような特急の濫造、は回避されたような気がする…。 1970年頃だったか?
急行形の製造が中止になった時点で、特急格上げがみえていた
中には、快速格下げもあったが そう言えば、先のサハシ455-18以外にも、
営業を終えたビュフェを普通車に改造する話があったとかいうが、
実現してたらどんな車両になってだだろう。 サロ489-1004からMG・CPを撤去した同101。
設置なら分かるけど、撤去の必要性って何処にあるんだろう?
重くなるから? >>406
サハシ165で見ると、まずビュッフェ側に運転室というのは、資材搬入ドアの戸袋が
車端部方向なので無理っぽい。
ハ室側に運転室を取り付け、中央ドアをそのまま、旧ビュッフェの資材搬入ドアを
自動ドア化して流用。食堂部分に窓新設と、通路側だった部分の窓高さ下げ、
全然ピッチが合わない座席取り付けで、クハ165-500番台。元の冷房MGが生かせる。
窓配置はクロハ49みたいな変則的なものになるだろうねぇ。 >>408
何か、車体そっくり新製するより面倒そうだな…。
出来てたら、間違いなく「珍改造車」だったと思えるけど。 サロ165(455)→クハ455-600も車体やドアや窓から座席までそのまま使って運転台部分をくっ付け。
東北にいた車は座席を近郊化の際にセミクロスとロングにしちゃったが、九州は座席は座席は変えず
ロングをつける等の近郊仕様にせずに使って終わった車も多い。
冷房はAU12S車が大半で13Eは九州にいた車しかいなかった。
(種車の内サロ165はAU13E車は130〜133の4両だけで種車に使ってない)
何故かあれだけ急行型がいた北陸にはグリーン車改造がいなかったのは珍しい(クハ165らの300と400番台はいたが)。 珍改造車というより、存在自体が珍奇だったキロ58だけど、
これは冷房化されたんだろうか…? キロ58は、製造から約5年で冷房化
冷房化から10年で廃車
あまり目立たない存在だった >>412
サンクス。
結局、中央東線の電化(キハ65の登場)で、キロ58は厄介者になったんだろうな…。 ED73は、22両全てが高速用1000番代に改造されたが、「新番号=旧番号+1000」、でなかった。
改造が製造番号順でなく、且つ新番号を改造順に付けたからだろうが、
律儀というか、杓子定規というか。 >>412
電源機関ないから冷房あってもキハ28から貰わないと使えないしまして運転台がない中間グリーン車だし
使い勝手の悪さが祟ったなあ。なくなったっていうよりキハ40の車体に替えてキニ58になって
常磐線の荷物列車用で暴走運用しておしまいだしなあ。 外吊式のドアから引戸式に改められた、初期の交直流型急行電車。
後年の車両は最初から引戸式になったが。 >>415
4VK付けたキハ28や65が多数配置されていた高山線に転用されたけど、
あまりうまく使われなかったようだよね。
>>416
枕梁部分に前ドアのステップがかかって、強度が不安だったからと言われていたが。
あまり問題なかったようだね。
>>417
キモ >>416
改造によってノーマルな形態に
なったのだから珍改造とは違うかと
むしろ珍新造車? 大阪環状線に最後に残ってた103系。
元と大幅に見た目が変わったけど、
そんなカネかける意味あったんだろうか…。 モハ301-4・モハ300-3→サハ301-101・102。
別に「サハ301-1〜」なんて車両はないにも拘らず、改造後の番号は101〜になった。 >>422
体質改善の経緯を調べなよ
自分の知識が少ないのを晒しているだけだぞ >>423
モハ300-9→サハ301-103も。行き場を失ったモハ301-13は放置プレーの上廃車された。 それにどれだけ金かかったんだよ。
ホントに経費に見合う効果あったんか。 >>426
イチャモンつけたいなら、まずはつける側がそれを証明しないと 185系気動車のローカル転用改造車。
座席のリクライニング出来なくした、ってのが何か笑える感じ。
そんな事しなくたって、元々特急用に足る車両とは思えなかったけど。 >>426
JR西日本のえらい人が、新車同様に化けた東武8000の修繕工事車を
見ちゃったんだから、真似しようと思うのは仕方ない話。
103は台車の出来が絶望的だから、あれにカネかけるのはねぇ >>429
東日本大震災で大津波に飲まれたのもLCカーの205系だしな。野蒜か高城町だっけか。 209系のボックスシート設置改造車も似たような印象。 4ドアクロスで落成し、長期にわたって使われ、
その後ロングシート化された近鉄2600系、2610系のほうが
珍奇な改造にも思えるが。 そう言えば、長野電鉄10系の窓配置は、クロスシート化改造も考慮してのものとか聞いた。
実際はそんな気配は全然感じられず、剰え、より高齢の3500・3600系より先に消えちまったが。 秩父鉄道に行った、元101系(国鉄)・165系。
前者は、3両編成の真ん中だけ非冷房だった(筈)。 >>435
>
> 前者は、3両編成の真ん中だけ非冷房だった(筈)。
然り
で、教えていただきたいのですが元東急7000が長生きしなかったのは車両長?非冷房? >>436
秩父での短命は、非冷房の上4連で短縮出来なかったため、と言われている。
簡単ではないけど西武701系のFS-342台車とMT54相当モーターに換装し、
冷房装置搭載の上Mc-M-Tcにしていれば良かったのかもしれないが、
いかんせん20メートル車が標準であった秩鉄にステンレスとはいえ、
18m車を入れたこと自体がダメだったんだろうな。 御教示ありがとう
冷房は国鉄101系の例もあるので横に置いといて、18メーター車4連がオーバースペックだったということですが、確かに3連にするわけにも行かなかったでしょうね 国鉄の鋼体化改造車宜しく、
18m×4両→20m×3両
なんて改造が行われてたら、それこそ「珍改造車」だったんだろうが、
流石にそんなわけにもいかなかったんだろうな。 >>437 元々、あまり長く使うつもりがなかったんでは?
90年代にもなって、地方私鉄への譲渡車両を冷房付きに改造するのが当たり前。
福島、水間、北陸に行った東急7000は、床置式にしたのも含め冷房改造している。
そして、3両ないし2両編成にしているわけだし。
秩父の場合、小田急1800など旧型車の更新考えてたところ、偶々東急7000大量放出されたので、最小限の改造で繋ぎとして入れたということなんでは? 440続き
秩父は、セメント輸送で儲かっていて旅客輸送は片手間でやってたから、小田急1800、国鉄101、東急7000と最小限の改造で安価で導入できればよい、という考え方だったのでは。
それが変わってくるのが都営6000入れたころからか。
吊りかけ非冷房の電車で有料急行走らせていても、行楽客の需要があった頃は楽勝だった。 短命スレの話になってしまうが、かつては国鉄が72系等の吊りかけ車を地方線区にほとんど無改造で転用したのと同様、大手私鉄からの譲渡車もあまり改造してなかったわな。
1500Vでない地方私鉄で走れるようにするための電圧降下改造以外。
非常に安く譲り受けた中古なんだから、手を加えずに寿命来るまで使えばいい、という発想だった。 >>441
三岐も旅客は二の次でセメント輸送で儲かってるようなものだよな。筆頭株主がセメント会社だし。
特に東藤原の炭酸カルシウム・フライアッシュ輸送が大きい。荷主は中部電力だし。 旅客輸送にテコ入れしないと路線の存続が難しい、
時代遅れの車両を更新しイメージアップを図りたい、
とはいえ、新車造るだけの予算がない
そんな事情で譲受車を大改造して入れる。福島交通なんてそんな感じか。 >>437-438
管轄の陸運局(?)によって見解が違うところがあるんだけど、
秩父鉄道の場合は、3両編成じゃないとワンマン運転を認めない、ってことだったので
より古い国鉄101のほうが長生きしちゃった。
地上側の設備を整えれば、4両編成でも認めてくれるんだけど、ホームにカーブミラー
付けただけだとダメみたい。
現に東上線や西武秩父線は4連のワンマンカーなんだし。 パンタグラフからの集電に改造された、元銀座線・丸ノ内線の車両。 元銀座線のは複数存在するけど、丸の内線のはアルゼンチン以外譲渡車はないんじゃあ 現存する分はそうかな。
旧・日立電鉄に元丸ノ内線の車両が輿入れしたと思ったけど、記憶違いだった…? パンタ集電化に加えて、大抵台車も狭軌用に換装したんだろうから、
相当手間のかかる改造だったと思われるが、新製するよりは安かったって事か…。 日立電鉄の元・営団2000系、夏は暑かった。水郡線支線にキハ110が入り、常磐線中電は100%冷房、バスも同様だという時期に・・
冷房化する位なら新製した方が安かったのかもしれないが。 日立電鉄は18mの中型車すらも入れなかったからもある。
旧式車両は変な出所の車があったり気動車を電車にしちゃったのまである。ほとんどが14〜15m級の小型車ばかり。
冷房すらつけられなかった。既に経営も行き詰まっていてモハ3000形2両が注文倒れになり、
それをもらったのが銚子だった。 サイズ的には、地方鉄道にはうってつけと思えるが…。事は単純に運ばないもんだ。 クハ164の種車は、何でクハ153の0番代だったのやら。
500番代だったら、見た目は165系オリジナルの先頭車と釣り合い取れたと思えるが。 それより、何でTc164-1〜4は非冷房車を改造して短期間で廃車にするようなことになった、ってことのほうが疑問だわ >>437
>>440-441
当時の秩父鉄道車両置換名目
1000系(←101系) :100系、800系(←小田急1800形)
2000系(←東急7000系):500系
3000系(←165系) :300系
自社発注500系は2扉一般車でWC付(当時は使用不可)だから
ラッシュ時には対応できなかったとかで、適当なのを探してたら?
偶然にも東急7000系が4連4本分丸ごとあったので導入したとか >>453
旧国17m級はOKで、私鉄18m級がOUTってのが大雄山線と似てるな・・・
こちらの方は、同時期に17mの新車が入線してる >>453 静岡鉄道の100形が譲渡されているが、長さ17.84mでほとんど18m車なんだが。
同じ車体長の静岡鉄道1000を18m級としているのもある。 日立電鉄、京王の2000に狭軌用の台車取り付けて入れるという選択もあったのだろうけど、金がないからやらなかったのかな?
元・静岡鉄道の車両があるから急ぐ必要はないと考えていたのか? >>462
タイミングが悪い、1979年の静鉄100形1本と同時期
相鉄から5両が入線(元小田急のモニ3両、旧国と青梅の更新クハ→クニ2両)
その直後に京王2000・2010系の大量置換は無いな
2010系全廃の頃に静鉄350形1本入線だからな C61(62)は、名目上D51(52)の「改造」だったとか…。 >>464
名目上も何も、実際に足回りを交換して大改造したものだよ。
「ボイラD52***」という元のボイラを供出した号機を示す、
小さい銘板が付いていたりした。 渋谷駅のハチ公広場の横に置かれている、
旧東急の「アオガエル」
ちょっと短いなと思ったら、
三分の2に中抜き切断して端部を溶接して、
元の車両風に復元したのね。
廃車の有効利用だけど・・・ >>465
東日本C61-20も拠出した元のボイラーのD51はいわゆる戦時型だったような。拠出元のD51表記もあり。
C62-2と3はボイラー拠出元のD52表記がないような。
足回り全取っ替えでなくD51とD52に軸重を軽くするために1軸追加したD61 D62はろくな使われ方しなかった。
D61はD51が入れない留萌線で使ったがほどなくD51でも入れるようなってろくな使われ方せず飼い殺し。
D62は函館線だっけ。 115系3500番代(元117系)。
これに当たった客は、「普段(先頭車両)より乗り心地いい」とか感じたんだろうか。
台車が空気バネだから。 仙石線103系の非冷房時代にあった、自販機つき車両。
103系に自販機なんて、首都圏じゃ考えられない。 AU75系クーラー設置準備工事したとこにJR東海独自のクーラー載せた車両。 101系1000番代。
他の車両に例を見ない、難燃化改造車。 >>472
開業がもう少し早かったら72系が入っていたんじゃないか、って路線だからな。
車体は新しいが足回りが古いモハ72-970と101-1000、
武蔵野線にとってはどっちが良かったんだろう。 >>473
結局冷房化されなかったのだから、72790で良かった気もするね。
101-1000化の種車は初期車が多く、保守には結構苦労しただろうし。
ただ72999まで番号が行ってしまい、どうなるかが趣味的には面白かったかもw 新京成のツリカケが乗り入れてた頃の北総線がそんな感じだったと聞く >>474
そこは知らん顔で721970とか(笑)しかし仙石や身延同様、短命だったろう。
もっとも導入するとしたら1973年だから例の水害(1974)より前、ならば970は作られず、72920や更新車で賄われたかもしれない。 で、後年103系が武蔵野線に投入された折、K島R三なる人物が、
「いくら101系より難燃性が高いとは言え、難燃化改造しないのは危険ではないか」
なんぞとこき下ろしてた。 >>478
203製造開始で常磐快速線に103-1000が転属していくのを見て
何故それを武蔵野線に入れないのか不思議に思っていた幼少期のオレ。
そこから玉突きになった103の0番台が武蔵野線にやってきていたから。 防火対策も、「57・11・15」改正で、183系非貫通型が東京―錦糸町間に乗り入れるようになってから、
どうなってるんだか分からなくなった。
特急先頭車の「貫通型化改造」なんて例はないけど(中間車の先頭車化は別にして)…。 >>480
散々言われてるけど、東京トンネルは長大トンネル扱いなんでA基準だったから、地下鉄A-A基準と違って貫通扉は必須ではなかったんでね。
今はどちらの基準も廃止されてるけど 72970番台の投入は、実際に検討されていた。仙石線のグループは、
A基準相当の難燃性を備えている。当時量産の103系も同様。
番号の問題は、暖地向けということで、クハ79701〜、モハ72750〜、サハ78600〜
あたりになったかもね。
>>479
実際武蔵野線への103系1000番台直接投入による101系1000番台淘汰は検討された。
しかし超多段制御器の保守を、松戸と三鷹だけに担当させたいということと、
豊田側も難色を示したらしいので、結局玉突き転属になった。
もし103-1000の武蔵野線投入が実現していたら、あのお面でオレンジ色にw 60・3改正で房総特急が6両で運用されるようになった折、
サロ183を先頭車化した「クロ183(182)」が登場しててもよかった気がする。 鶴見線用に、Mc'+M+Tc、の3両編成になった205系。
普通はMc+M'のユニット、つまり奇数の方を「クモハ」にすると思われるが、
この205系改造編成は逆パターンになってる。 >>484
不勉強で申し訳ないが、何故そういうことになったのかご存知の方おられますか?
ひょっとして2連を持つ関係でクモハ204を多めに持っておきたかったのでは?と思うのだが 推定だが、主制御器などの機器が多いM車より、補機関係のみのM'車の改造のほうが
手数が少なくて済むのではないだろうか。
あと、山手線から転用のモハ204形については、真ん中のユニットはMGの取り付けが
省略されており、その対策(SIV新設)も含めての工事としたからかも。 >>486
先頭車化改造の一番最初の編成が南武支線の2連だったのは、
MとM’のどっちが改造しやすいかを見極めるって理由があったのかな?
でも、富士急の車両はM車を先頭車化改造しているみたいだし。 そう言えば、仙石線のニセ103系が本物に化けた時も、Mc'+M+Tc、の編成だった(川越線)。 253系(クモハ252)や103系1200番台(クモハ102-1200)のように、新製時から奇数車モハ、偶数車がクモハだった例もある。 6両固定編成の3両化に伴って、
Tc+M+Mc'とMc+M'+Tcの
2通りが生まれた
103系1500番代。 東海の113はモハ113を改造、片方のクハを方転したな
東武8000は103-1500みたいな感じ、800と850の2種類に 冷房設置が非難された(?)、クモハ123-45。
冷房化で番号が変わって1→5の数字の並びが崩れたって。 >>491-492
103-1500は、元通りにつないで地下鉄直通に使えるように
って配慮なんだろうってのは分かるが
東武8000の3連化工事は、ただ単に安上がりになる方法を選んだだけなんだろうな。 まさか、3両化された103-1500が
Mc+M'+Tc+Tc+M+Mc'
なんて順序で併結された事はないだろうな。
改造は安価に出来たかも知れんが、自由度がなくなったと思える。 確か地下鉄のATCはTcにしかついてないからMc又はM'cを先頭にしての直通はできなかった筈 >>493
同系列に冷房の電源方式が違うのが混在するからって、律儀に番代区分した
103系でも異種冷房電源混在があったが、区分はしなかったくせにね 改造車の話じゃないけど、
山手線にはもう、「モハE234-56」は入ってるんだろうか…? 時代が時代だったからって事かも知れんけど、
サロ481→クロ481の改造(43・10・1、「やまばと」用)に関しては、
よく両栓構造にしたという印象だ。
後に「有明」用に先頭車化されたサロの場合は、偶数向き専用の「クロ480」になったし。
まぁ、それよりは、グリーン車を先頭にしてでも食堂車を連結しようとした事に敬意を表するべきだろうな。
もし10年後だったら、間違いなく食堂車が引っこ抜かれてただろう。5年後でもそうなってたか…? 新幹線高崎―長野間の開業後、189系グレードアップ「あさま」の編成が
「あずさ」に転用されたが、その際、
←上野 長野→
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
Tc-500 M' M M' M Ts M' M M' M Tc-0
―――――――――――――――
↓
←新宿 松本→
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
Tc-0 M' M M' M Ts M' M M' M Tc-500
―――――――――――――――
になって(―がグレードアップ車両)、
「1、11号車は各々方転、2・3号車と9・10号車のユニットの位置を交換」
みたいな事が行われた。
グレードアップ改造が指定席車限定だった上に、
「あさま」と「あずさ」で自由席の位置が逆だったから、こんな面倒な事になった、 103-1500の話に戻るけど、
改造で生まれたMc.Mc'は、元の車両番号を継承しかから、
「クモハ103(102)」としての番号は1501〜になってなくて、しかも飛び飛び。
この点からも、改造の安易さが偲ばれるような。 番号が飛んでいるからって乗客に迷惑かかってんの?
安易認定とか そんなこと言うんだったら、このスレ自体なくすべきって話になるだろ。
珍改造だったら客に迷惑かかるのか。 >>501
> 103-1500の話に戻るけど、
>
> この点からも、改造の安易さが偲ばれるような。
そうかな
必要あっての改造だし、番号を変に揃えようとせずに元番号を生かしたのも工夫に見えるけど どうしたって、運転室を取り付ける工事なんていうのは、安易な工事じゃ無いさ。
JR九州としても、閑散時短編成にしたいが、少数派の直流電車である103系に、
効果的な工事(もちろんそれはコスト的なことも含むし、無効止め車を減らすとか
別な要素も)をするにあたり、Tcの方転はしないとか考えて、ああいう風に
なったんだろうよ。地下鉄ではATC使用の関係からMc先頭に出来ないしね。
隣のJRみたいに、食パン正面にしてしまわず、ちゃんと新製時と同じ正面を接合するあたり、
決して安易な工事では無いと思うぞ。 >>503
うん、このスレ自体必要ないと思ってる
どこかの文章のコピーとか見せられてもな >>506 確かに。鉄オタの馬鹿の一つ覚え自慢となっているからな。 むしろ、ありそうでない改造車論ずる方が面白いかもよ。
例えば、国鉄80系の2両ないし3両短編成化改造。それからまだ現役だが、元近鉄ナロー車の垂直カルダン改造車とか。
両方とも、コストパフォーマンス考えると必要性がないからなんだが。後者は、越後交通栃尾線で前例があるが、メンテナンスで問題があったということなのかな。 >>508
> むしろ、ありそうでない改造車論ずる方が面白いかもよ。
> 例えば、国鉄80系の2両ないし3両短編成化改造
そんな実車あったっけ?
計画だけでしょ? >>509 「ありそうでない」と言ってるのに理解できない池沼発見! 189系のうち、183系1000番代からの改造車を見分けるポイントは、
開閉できる客窓がない事だった。
流石に、こういう窓を設ける改造は行われなかった。 そう言えば、元モハ112のモハ414-800は、パンタグラフの所の屋根低くしたんだろうか?
オリジナルのモハ414(交直流型電車のM'全般)はそうだから。 流石にそこまで手は加えないのでは?
実車見たことないけど
低パンタで何とかなりませんか? 交直流車の場合は屋根上の機器の絶縁強化のためにパンタグラフ周辺の屋根が低いって聞いたから、パンタグラフの折り畳み高さ云々て話じゃないと思われるが、実際はどうなんだか。 25系寝台車は、寝台区画を16→17に増やすべく、
クーラーを小型にしたり、トイレの1つの向きを変えたり、いろいろ工夫してたが、
24系(14系)は単純な2段化改造(定員は48から32)。
オリジナル2段ハネに纏わる涙ぐましい努力は何だったのかって感じ。 25や15は新造だから図面を引き直して0.5区画増やせたが、
さすがに24や14の改造ではそこまで出来ない 14系15形が出た頃のグラフ誌に激狭なトイレの写真があって
「空間のシワ寄せがここに来た」ってキャプションがついてたな
24系富士しか知らない俺は後に20系の保存車に入って
昔の寝台車はこんなに洗面所が広々してたのかと驚いたものだ
#ややスレチ失礼 >>517-519
サービスアップのために2段化したと言うよりは、寝台の設営と撤去の要員を
減らすのが目的の2段化だったからな。
2段化改造したのは国鉄末期の話だっけ。
その頃でもすでに寝台列車に未来がないことを見抜いてたんだろうな。
個室化とか色々手を打ってはいたけど。 >>520
IDがOER
は置いておいて、当初は要員の問題では無いのでは?。
25形の0番台は、寝台の昇降装置がまだ付いていた。
省力化で上段固定になったのは100番台から。
当時切迫していたのは、急速にグレードアップしつつ、値段が安い高速バスに
客を奪われつつあって、高い料金に音を上げた人々が寝台特急を見限った。
それに少しでも対抗しようとした結果。
もちろん、将来的な乗客減少はわかっていて、だからこそやれた2段化だったのだろうけど。 寝台車の改造というと、「今更」って感じが拭い難いサロネ581の方が珍奇性が強いか…。
というより、こっちは、何で2段化しただけで「A寝台」標榜したんだか。 京成の特急車崩れはだんだん平凡な改造になったね。AE100崩れも見たかった。 元々下段は広くて料金も少し高くてA'寝台って感じだったね。581/583系。 >>522
客車時代はA寝台の需要が高かったから、電車化の時に外せなかったみたい
仮に銀河が583化したら同じ理由でA寝台作ったと思われる
あの車両だけは、座席使用時は普通車扱いになる特殊な例だとどこかに書いてあった >>525
きたぐには新潟方1〜3号車は寝台でなく指定席座席扱いにしたから寝台に出来ないようにしていたような。
本格的座席専用にするなら寝台潰して485のような座席配置にしたんだろうけど。 昔、某鉄道雑誌で「583系改造案」なるものを募集してた事があったけど、
実際の715(419)系みたいなアイディアは寄せられたんだろうか…? >>525
> >>522
>
> あの車両だけは、座席使用時は普通車扱いになる特殊な例だとどこかに書いてあった
プルマン式開放A寝台の例に倣い、向かい合わせワンボックスで2人がけでグリーン車扱い
無理だろうな >>517
25形のクーラー小型化は二段寝台化による定員減の結果に見あった内容にしたのであって、
寝台区画増を目的としたものではないぞ。
また24形の二段寝台改造でオリジナルの涙ぐましい努力云々も違うと思うけどな。
25形が登場した当時、新幹線博多開業を控えてたとはいえまだまだ寝台需要が旺盛だったが、
24形の二段寝台改造時は夜行列車そのものの退潮期だったから、
定員が25形より減っても深刻な問題にはならなかった訳で。 25形の登場が1974年、24形の2段化改造が1983年。
この間に大幅値上げもあったりで、寝台への需要は激減、か…。
そう言えば、24形に続いて2段化改造された14形には
簡易個室の「カルテット」なんてのも設けられたが、
これはどの程度受け入れられたんだろう。 新幹線博多開業で関西〜九州の夜行需要が減るのは予想済だったが、それだけでは済まなかった
ある日突然5割増になれば、夜行どころか新幹線にも乗ってられんわな 201系900番代の量産化改造って、
MM'1ユニット→T×2
Mの後位側パンタ撤去
以外にどんな内容だったんだろう…。
電力回生率上げたとか? >>532
運転台の機器類統一。色彩の寒色系化。先頭車のスタンションポスト撤去。
前面手すりの改造。ジャンパ連結器の交換。
あとよろしく、詳しい人。 >>533
サンクス。
そう言えば後年、0番代(6両)+900番代(4両)、なんて編成見た気がする。
総武中央緩行線用に、黄色に塗装替えされた後だったが。 900の先頭車は取り扱いが違うのか、Pを設置しなかったので、先頭車を量産車にするように組み換えしたね >>538
三鷹方にクモハ200があってATS-P機器が付けられないために6+4の103+104の編成を中央快速から回してもらい、
中間に900番台をもってくように組み替えて両端を量産車が来るようにした。だから4両側にTが2連発になる組み合わせに。
後に京葉に移動したが、自動解結が付けられないために勝浦・成東運用には使われずに貫通編成と
同じ扱いで最期を迎える。
同じく京葉で最期を迎えるクハ201-7の編成も元々は8と一緒の6+4だったのに豊田にいた貫通編成の
クハ201/200-23のクハ同士でトレードすると言う無意味な転属トレードをやってる。
これも6+4だったものの試作車編成同様貫通車扱いで最期を迎える。 >>540
お前からかわれていることに気づいてねぇだろw
親頃くんw >>539
そうだそうだ、クモハがあったんだっけ
すっかり忘れてた サハ201-901のパンタ台座は、最後まで残ってたんだろうか。
それにしても、試作車で唯一、MM'の車両番号が揃ってたものを(モハ200・201−901)、
そのユニットが無くなったのは惜しかった気もする。 >>539
細かいこと言うと、Tc103+104は緩行線に新製配置した車両だったような
Tc8と23のトレードはP設置の前段階でB・S併設車を優先して先頭に持ってきてたからと聞いたような気もしなくもないような?
試作車とケヨ71は関東地区配置車では唯一のオレンジ、カナリア、スカイブルー3色を経験した車両となった そういや、京葉線で中間封じ込めのクハにはATS-Bの車がいたな
運転席のイスも外されてた 201系900番代の量産化改造も、
流石に先頭車の長さ短縮(19.7m→19.5m)はできなかったな。当然だけど。 まあホームドア導入前に寿命が尽きたのがまださいわいだな
とはいえ東日本の201導入路線は今でもホームドア導入が進んでないな 187系(横軽自力走行可能)は、実現してたら最大級の「珍改造車」だったと思われる。 >>548
むしろ迷改造車になってたとこじゃね?
横軽を補機なしで走行できても高崎線や軽井沢〜長野間の高速運転で何が出てただろうし
それにちょうど長野行新幹線(当時)の建設もあり、開業後の処遇の問題もあるからおじゃんで良かった >>550
国鉄末期で、新幹線建設決定前の話だからね。
EF67など、チョッパ制御マンセーって思ってた頃。
とりあえず軽井沢まではフル規格で新幹線を作る、って話になったときだと
187系の話は完全に消えていた。 そういや、187系は新製ではなく183系改造名義にする予定だったんだっけか?
んでそのために残しおいたサロ183は187系化が流れたんで勝田の「ゆう」に転用したので、ゆうは485系なのに183系改造となった、っていうのは都市伝説? >>554
他人の発言貶すしか能がないのか?
いつもいつも。気分悪いんだよ。 >>556
何「親」と決めつけてんだ? 子、孫、兄弟、友達、愛人、ペットだってそうだろ
なのにそれらではなくいつまでも親だけに限定する表現にはうんざり
亡くなったら困るのは親とは限らないのに
あと「殺す」くらい漢字で書け
小学校で習う漢字なのに書けないとか消防以下だ
小学校時代何やってたんだ?
今は2年前に発生した熊本・鳥取・茨城で起きた大規模地震や糸魚川の大火災の被災者をいたわらなければならない時だというのに、このような表現は不謹慎だ
ただでさえそういう人達が日本にもいるというのに、病気や事故によって身寄りを亡くした人達に対しても同じことが言えるのか
身寄りを亡くすのは殺人よりも病気や事故が殆どだし、これこそあしなが育英会からクレームが来てもおかしくない
それと類似の表現で「〜にでもいじめられてたのか?」というのも見る
しかし、こういう表現をする奴は、店長が失敗した店員を客の目の前で小突いたり説教したり、クレーマーが店員に物を投げつけたり唾を吐いたり土下座させたりする場面を見たら楽しめるものか?
普通なら「そのくらい勘弁しろ」とか「ちょっとは自重しろ」と思う筈だろ
それとも全然外に出ない人とかか
こういう奴は殆ど「いじめはいじめられる方に理由があるから仕方ない」とか言う
しかし、その言葉は「殺された奴は殺される原因があった」「理由があったら殺されるのも仕方ない」って言ってるのと同じだ
これこそ無意識に感覚麻痺してて危険人物
どんな理由があっても、殺人やリンチは殺人でしかないように、理由があったら人傷つけても殴っても殺しても良い訳ではない
こういう奴は自分がやってることが暴力って自覚がないだけであり、万引きやってる奴が窃盗の自覚が薄くて、大した罪じゃないと思い込んでいる感覚麻痺と同じで殺人じゃないなら人殴ってもOKだと思ってやがる、迷惑な酔っ払いと同じだ
せめて「おバカに振られたか?」くらいにしとけ
リア充に失礼な表現だが、俺はリア充嫌いだからどうでもいい
さらに「〜でも」という表現も滅茶苦茶だ
大辞林で調べてみたら
「でも」(助詞)
@軽く例示的に提出する意を表す (例「コーヒーでもいかがでしょうか?」)
A「たとえ…であっても」の意を表す (例「雨天でも決行します」)
B「なんでも」「どれでも」など,不定称の指示語に付いて,全面的な肯定の意を表す (例「お申し込みはいつでも承っております」)
C「せめて…だけなりとも」の意を表す (例「せめて子供だけでも救出できなかったものか」)
D(「(まんざら)…でもない」などの形をとって)不確かな判断を表す (例「古くてもこの車は捨てたものでもない」)
E極端な例を示し,他の場合にはもちろんであるということを類推させること (例「親のスネでもかじってろ!」)
今回の場合は否定的な文章のニュアンスから、親を「殺されるもの」、身寄りを失う様を「呪怨を抱くきっかけ」とする例えにしている時点で、6番目の意味で「〜でも」と用いているのが明らかであり、まさに身寄りを亡くした人達に失礼だ
それより何でお前がこんなとこにいるんだよ?お前もう荒らさないと約束しただろ
また失敗作スレの二の舞にでもしたいのか?
ていうかさっきも短命廃車スレで全く普通の人に同じレスしただろ
つーかお前誰もレスしてくれないからこんなレスして挑発しようとしてんのと違うか
話し相手になって欲しいなら人を挑発するようなスレなんかしないでまともにレスしろレス乞食
またスレ潰しにきたのかよ?
お前は早くこの巣に帰れ↓
親でも殺された?と聞かれるくらい嫌いな車両・路線
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1523885767/ そのクモハ485、従来の電車特急の先頭車とは似ても似つかない形状だったが、
或る意味でナハネフ23の電車版みたいな気もした。 目まぐるしく塗装が変わったな
スーパー雷鳥→国鉄色→しらさぎ→たんば系、だったか? >>560
あの運転台、途中駅(米原等)で増結するために設けられたようなもの。
実際に本線上で営業運転をした実績があったのでしょうか?
そうでなかったら簡易型でよかったのでは?何とももったいない。 >>563
スーパー雷鳥の富山・和倉温泉行きの金沢から先の区間の先頭に立ったことがある(どちらがその行き先かは列車によって異なる。その当時グリーン車は富山・和倉温泉寄だった)
さらに立山や宇奈月温泉にも乗り入れしたことがある この車両が、383系の貫通型先頭車やクモハE257のモデルになったような印象もある。 クモハ485-200が183系に再改造された時には、
最早交流機器は撤去されなくなってたとか。 電気釜頭のクモハ485は東北と九州にいて、九州はきりしまとかで未だに使っているけどね。
東北はかもしかとかで使っていた。
九州は相方がクロ480だったりした。種車の出所上キノコ冷房の車までいた。 交直流特急型は「徒に形式を増やさない」事を目指してた筈だが、
結局、改造で幾多の形式が生まれる仕儀に至った。
その中でも「クモハ」は、最も想定外の形式だったんじゃないかという気がする。 >>564
臨時列車で大阪まで単独で乗り入れたこともある >>568
151の反省?で形式を絞ったが、短編成化でそうはいかなくなったのだろうな クモハ485やパノラマクロ入りの編成に、
ボンネットも組み込まれてたら
面白かったのにと思う 485系は山陽、東北、上越、九州、北陸と新幹線建設に常に追われる宿命だったからな。
新製時は食堂車付き12両の長大編成でよかったが、
新幹線ができるだびに末端へ押し込められて短編成化していき、
分割民営化で急激なイメージチェンジも求められた。
サシの多くは84〜85年に廃車されたから短いものだと実働わずか13年。
和風車だんらんやスシ24と苦し紛れの転用が模索されたのも遠い思い出だな。 60・3改正で、「有明」の先頭車が両端ともクハでなくなった時は仰天した。
←西鹿児島 門司港→
Tsc+M'+M(+M'+M)+M'+Mc
平素は5両(多客期7両)に縮小されたわけで、
流石に、「短編成化の行き過ぎ」なんて批判の声も挙がった記憶がある。 モロ180・181の普通車化に際して、
座席を簡易リクライニングシートにして欲しかった。
っていうのは、荒唐無稽な話か。 >>573
編成自由度が増したということでは、Mc車改造製作も良かったのでは?と
今では思うけどね。
>>574
あのイス、わざわざ新品を用意したのだとしたら、もったいないよねぇ。
簡リクにしておけば、廃車後にサロ110とかに転用出来たのにね。 >>573
にちりんはおろかかもめのが有明より編成が長かったりしたしなあ。かもめとみどり合体ならなおさらだった。 「ゴー・サン・トー」後の181系で、元モロ180・181のユニットを挿入した編成は、
遠目にはグリーン車が4両連結されてるように見えた。
モロ→モハの改造も窓回りは、手が付けられなかったから。
尤も、グリーン車のクローバーマークは剥がされたんだろうけど。 >>574、>>576
モロ→モハ改造時は、旧151系車を中心に廃車を進めていた頃だから、座席はさすがに
廃車発生品だろう。
あと、上越新幹線開業時には、残存車は丸ごと廃車にする予定だったから
簡易リクライニング化はあり得ない。 逆に用途変更でご丁寧に窓割りを変えたケースの方が特殊だろう。
181系のクロ→クロハ→クハや、モハシ→モハは扉位置も変える大改装だったので、やむを得なかった。
あとは20系客車の座席車→ハネ化とか、0系・200系の車種間改造とか。
クハ481-600、クハ455-600、サハ110-400、数多のジョイフルトレイン、
JR化前後のクロハ化、クハ481-1100、クロ481-2100
雷鳥・しらさぎ・くろしお・やくものクロとサハ振替…と種車の窓割りのままである方が多い。 >>578
181系のモロのモハ化改造では、両デッキにする他、窓の新設なども行われているよ。 モハ488/489を改造したモハ188/189-500番台は交流用機器の屋根があるために屋根から下の車体を全部作り直しだった。
サハ481/489から改造したクハ183-100 150 クハ182-0 クハ189-200 クハ188-600もステップを潰したり
ドアを増設したりとかなり大掛かり。 クハ182.183-100.188の、元からあったステップは残ってたぞ。後年埋めたかも知れんが、
それは形式改造とは無関係な話だ。
因みに、「ひたち」の485系でも、ステップ埋める改造が施された車両があったが。 モハ188・189-500が、もし種車の車体を生かしてたら、
床と窓の高さがずれてた他、
トイレ・洗面所が直江津側になって、他のモハ(上野側)と逆だった筈。
サロやクハ以上に違和感あった気がする。
そんなのも見て見たかったような。 モハ188・189-500はどう見ても構体新製でしょ。
便所が485系と逆。ということは艤装上ややこしい配電盤も逆。
M'のクーラーやパンタの位置も違う。
急行妙高の一斉格上げにあたって
当時の国鉄財政上、新車では予算が下りなかったからと言われてるが、
改造車であることを強調するように回転クロスだったのが印象に残ってる。 >>585
485を向日町送り→雷鳥の運用持ちかえで、増発あさまは金沢持ちでも良かったのにな モハ188・189-500は、仮台車を履いた新製構体が回送されている写真が、
当時のピクトリアルに掲載されている。 あの改造車にも開閉可能な窓が設けられてたんだったかな…。
で、501のユニットだけは、後年グレードアップ改造もされた。
これも、構体が新製だったからできた事か。 違う見方をすると、当該のモハ484・485は新製から10年で事実上の廃車かよw
ダダ余りの583系でさえ電動車と制御車は全部活用されたのに。 座席だけはしっかり再利用された。
モハ188・189-500は、最後の1ユニットを除いて座席はベンチシート。
一番改まって欲しいところが旧態依然で残ったんだから、
地元民としては腹立たしくもあった。 クロ481-51〜57(元サロ481-19〜25)は、今の感覚からすると、よく両栓になったものだと思える。
このおかげで、東北線で偶数向き、九州に移って奇数向き、に使えた。 >>590
唯一グレードアップ車だけまともなリクライニングでそれ以外回転だけはあずさ以上にひどいな。
あずさはグレードアップはロックするリクライニングで、そうでない車はロックすらしないバッタンリクライニング。 >>589
151の事故廃車以外でも新幹線開業による転用で似たようなことになってる車もチラホラ
>>591
確か九州転用時に直してたと思うが さすがに民営化後はもう少し将来性を見越した車両新製が行われ、
10年前後でポイされるものは少なくなった。
有名なのは
785系のNE-105(1990年新造→2001年組替余剰→2010年転用復活→2016年廃車)、
E751系の中間車6両(1999年新造→2010年減車余剰→2015年廃車)
683系2000番台のサハ2両(2002年新造→2015年組替余剰→2016年廃車)ぐらいか。 >>594
785系の増結2両は実労26年だから問題なかったがそれ以外は明らかに失敗である
683-2000は編成を組み替えてこうのとりやくろしおに流用したのが失敗だった
しらさぎはその穴を埋めるべくはくたかからのお下がりである681系に置き換えられたが、実質的なグレードダウンとなり乗客が激減した
751系は交流専用にしたのがいけなかった
直流モーターを使用した車両であればサイリスタ位相制御が使える交流専用車の方が高性能であるが、VVVF制御の場合交直両用でも交流専用でも性能差はない
だから旧スーパーはつかりはE653系の派生で新製すべきだった >>595
お前の存在が失敗作。
親でも殺されたの? >>596
何「親」と決めつけてんだ? 子、孫、兄弟、友達、愛人、ペットだってそうだろ
なのにそれらではなくいつまでも親だけに限定する表現にはうんざり
亡くなったら困るのは親とは限らないのに
あと「殺す」くらい漢字で書け
小学校で習う漢字なのに書けないとか消防以下だ
小学校時代何やってたんだ?
今は熊本や大阪で起きた大規模地震の被災者をいたわらなければならない時だというのに、このような表現は不謹慎だ
ただでさえそういう人達が日本にもいるというのに、病気や事故によって身寄りを亡くした人達に対しても同じことが言えるのか
身寄りを亡くすのは殺人よりも病気や事故が殆どだし、これこそあしなが育英会からクレームが来てもおかしくない
それと類似の表現で「〜にでもいじめられてたのか?」というのも見る
しかし、こういう表現をする奴は、店長が失敗した店員を客の目の前で小突いたり説教したり、クレーマーが店員に物を投げつけたり唾を吐いたり土下座させたりする場面を見たら楽しめるものか?
普通なら「そのくらい勘弁しろ」とか「ちょっとは自重しろ」と思う筈だろ
それとも全然外に出ない人とかか
こういう奴は殆ど「いじめはいじめられる方に理由があるから仕方ない」とか言う
しかし、その言葉は「殺された奴は殺される原因があった」「理由があったら殺されるのも仕方ない」って言ってるのと同じだ
これこそ無意識に感覚麻痺してて危険人物
どんな理由があっても、殺人やリンチは殺人でしかないように、理由があったら人傷つけても殴っても殺しても良い訳ではない
こういう奴は自分がやってることが暴力って自覚がないだけであり、万引きやってる奴が窃盗の自覚が薄くて、大した罪じゃないと思い込んでいる感覚麻痺と同じで殺人じゃないなら人殴ってもOKだと思ってやがる、迷惑な酔っ払いと同じだ
せめて「おバカに振られたか?」くらいにしとけ
リア充に失礼な表現だが、俺はリア充嫌いだからどうでもいい
さらに「〜でも」という表現も滅茶苦茶だ
大辞林で調べてみたら
「でも」(助詞)
@軽く例示的に提出する意を表す (例「コーヒーでもいかがでしょうか?」)
A「たとえ…であっても」の意を表す (例「雨天でも決行します」)
B「なんでも」「どれでも」など,不定称の指示語に付いて,全面的な肯定の意を表す (例「お申し込みはいつでも承っております」)
C「せめて…だけなりとも」の意を表す (例「せめて子供だけでも救出できなかったものか」)
D(「(まんざら)…でもない」などの形をとって)不確かな判断を表す (例「古くてもこの車は捨てたものでもない」)
E極端な例を示し,他の場合にはもちろんであるということを類推させること (例「親のスネでもかじってろ!」)
今回の場合は否定的な文章のニュアンスから、親を「殺されるもの」、身寄りを失う様を「呪怨を抱くきっかけ」とする例えにしている時点で、6番目の意味で「〜でも」と用いているのが明らかであり、まさに身寄りを亡くした人達に失礼だ
それに「失敗作」というが、最初から欠陥だらけの物を「失敗作」というのは誤りだ
失敗作ってのは最初は見た目的に問題ないけど後からその欠点が見えてきた物を言うんだよ
最初から欠陥だらけの場合「欠陥品」という表現が妥当
だから「完成した時から欠陥品」と呼べ
それよりお前の方がそれらの車両より欠陥品なんじゃないの?
だから自演して人生楽しい?
お前どれだけこの車両が晩年不幸だったかわかんねーの?
ていうかお前邪魔だから早く轢かれろよ屑 JR東海・西日本共に0系普通車の2&2シート化改造やったが、
ただ座席を置換えただけって感じの東海車と、
「+α(元0・1000番代はシートピッチ940mm→980mm、etc.)」のあった西日本車の違いも見られた。
東海は「こだま」の不人気という消極的な動機が窺えたのに対して、
西日本は「ウエストひかり」っていう目玉商品の一環だったからだろう。 「座席車+郵便車」っていう合造車はクモハユ74以外にないと思われる。
「座席車+荷物車」の方が一般的だっただろう。 これは失敬。
ただ、改造によって「ハユ」になった車両というと、クモハユ74の他にあるだろうか…。 >>602
オハユ61はまごう事なき「鋼体化改造車」だが? 他者の誤謬をあげつらうしか楽しみがない連中が巣食うスレ。 2度も知ったかぶりで醜態を晒したアホを擁護する第三者の設定ね これは恥ずかしい(->_<-)
599 回想774列車 2018/07/03(火) 12:22:08.45 ID:4fq+n9iK
「座席車+郵便車」っていう合造車はクモハユ74以外にないと思われる。
「座席車+荷物車」の方が一般的だっただろう。
602 回想774列車 2018/07/03(火) 19:09:15.57 ID:Oqgd0e5V
これは失敬。
ただ、改造によって「ハユ」になった車両というと、クモハユ74の他にあるだろうか…。
605 回想774列車 2018/07/04(水) 12:52:13.72 ID:OMpZpeou
他者の誤謬をあげつらうしか楽しみがない連中が巣食うスレ。 飯田線には「クモハユニ64000」という合造車があったなぁ・・・ >>611
何「親」と決めつけてんだ? 子、孫、兄弟、友達、愛人、ペットだってそうだろ
なのにそれらではなくいつまでも親だけに限定する表現にはうんざり
亡くなったら困るのは親とは限らないのに
今は熊本や大阪で起きた大規模地震や西日本の豪雨の被災者をいたわらなければならない時だというのに、このような表現は不謹慎だ
ただでさえそういう人達が日本にもいるというのに、病気や事故によって身寄りを亡くした人達に対しても同じことが言えるのか
身寄りを亡くすのは殺人よりも病気や事故が殆どだし、これこそあしなが育英会からクレームが来てもおかしくない
それと類似の表現で「〜にでもいじめられてたのか?」というのも見る
しかし、こういう表現をする奴は、店長が失敗した店員を客の目の前で小突いたり説教したり、クレーマーが店員に物を投げつけたり唾を吐いたり土下座させたりする場面を見たら楽しめるものか?
普通なら「そのくらい勘弁しろ」とか「ちょっとは自重しろ」と思う筈だろ
それとも全然外に出ない人とかか
こういう奴は殆ど「いじめはいじめられる方に理由があるから仕方ない」とか言う
しかし、その言葉は「殺された奴は殺される原因があった」「理由があったら殺されるのも仕方ない」って言ってるのと同じだ
これこそ無意識に感覚麻痺してて危険人物
どんな理由があっても、殺人やリンチは殺人でしかないように、理由があったら人傷つけても殴っても殺しても良い訳ではない
こういう奴は自分がやってることが暴力って自覚がないだけであり、万引きやってる奴が窃盗の自覚が薄くて、大した罪じゃないと思い込んでいる感覚麻痺と同じで殺人じゃないなら人殴ってもOKだと思ってやがる、迷惑な酔っ払いと同じだ
せめて「おバカに振られたか?」くらいにしとけ
リア充に失礼な表現だが、俺はリア充嫌いだからどうでもいい
さらに「〜でも」という表現も滅茶苦茶だ
大辞林で調べてみたら
「でも」(助詞)
@軽く例示的に提出する意を表す (例「コーヒーでもいかがでしょうか?」)
A「たとえ…であっても」の意を表す (例「雨天でも決行します」)
B「なんでも」「どれでも」など,不定称の指示語に付いて,全面的な肯定の意を表す (例「お申し込みはいつでも承っております」)
C「せめて…だけなりとも」の意を表す (例「せめて子供だけでも救出できなかったものか」)
D(「(まんざら)…でもない」などの形をとって)不確かな判断を表す (例「古くてもこの車は捨てたものでもない」)
E極端な例を示し,他の場合にはもちろんであるということを類推させること (例「親のスネでもかじってろ!」)
今回の場合は否定的な文章のニュアンスから、親を「殺されるもの」、身寄りを失う様を「呪怨を抱くきっかけ」とする例えにしている時点で、6番目の意味で「〜でも」と用いているのが明らかであり、まさに身寄りを亡くした人達に失礼だ
それより何でお前がこんなとこにいるんだよ?お前もう荒らさないと約束しただろ
また失敗作スレの二の舞にでもしたいのか?
ていうかさっきも短命廃車スレで全く普通の人に同じレスしただろ
つーかお前誰もレスしてくれないからこんなレスして挑発しようとしてんのと違うか
話し相手になって欲しいなら人を挑発するようなスレなんかしないでまともにレスしろレス乞食
またスレ潰しにきたのかよ?
お前は早くこの巣に帰れ↓
親でも殺された?と聞かれるくらい嫌いな車両・路線
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1523885767/ アルミ車のT車を、電装化改造した例って、
東急クハ7500号のデヤ化しか無いのかな? >>614
メトロの05系先頭車のうち3両は、3連化時に電装している >>615
おお、そうそう、そうでしたね。
事例ご紹介ありがとう。 西鉄600系の旧ク653
(←車体が100系のやつ) >>617
あれは何だっんたのか
ネットで調べるともっともらしい記事がいくつか当たるが
決定打がない >>620 予算不足のため、暫定措置として600系2両ユニットの制御車とすべく旧型車を改造したものではないのか?西武も国鉄払い下げ木造車を種車とした制御車1411形を、制御電動車451系と組ませており、見事な凸凹2両編成となっている。
制御電動車は性能向上のため新型車とするが、モーターのない制御車や付随車は旧型の改造であっても構わないという考え方だろう。コンピュータ制御なぞなかった時代の話ではあるが。 西鉄は特急にもあったよな。中間車は新車で先頭は半鋼製っての。 スモールマルティーでしたっけ
保育社カラーブックスで知りまして・・ >>622
厳密にいうと先頭の車は大掛かりな改造はされてないが、
それだけにあの釣り目顔が後年まで遺された功績は大きい
よくぞ編成組み替えに止めて生き遺らせてくれた 近鉄の戦前製の伊勢電に両開きドア改造した 6453 とかだったかな
2000も重厚なボデーのまま 両開きになっていた 関東鉄道のキハ610、元々は国鉄のキハ07で江若鉄道から関鉄に譲渡。
前面が半流から貫通型に改造されたのは他にもあるが、側面が片開き2ドアだったのが中間に両開きドアをつけてしまった。
側面窓配置にキハ07の面影を残すだけ。これが元小田急1600で電車から気動車になったキサハと共に常総線走ってたわけで。 関鉄は1980年までで間違いなく趣味的にナンバーワン非電化私鉄 ついでに側窓も1000系並みの広窓にしてくれたら言うことなし 中間M車は広窓、Tc車はやけに幅が狭かったな>西鉄1300系 東急クハ8090の前面窓ガラス。
103系のような連続窓風のものが、単なるHゴム固定窓3枚に。
開放的で都会的なイメージが崩れて、鈍臭い田舎電車風に。
ガラス交換の簡略化のためとも聞くけど。 東急サハ8300の電動車化。
新製後、間もないのに、計画変更で電動車化。
車内の床には、点検蓋を取り付けた、工事跡も生々しく残っていた。
初代デハ8400の改番と併せて、デハ8200の番号形態はめちゃくちゃに。 東急デハ8400→デハ8100の改造
1M方式からユニット方式に変更された。
しかし8167と8168は大井町線転属で5両編成化され、結局デハ8200と組むことなく廃車された。 たしかに、茶色のモハ72970を初めて鶴見線で見た時は、絶句しかかった
ただ、それがオレンジであったら、もっとすごい印象だったかも >>639
72970と一緒に改造された(1972年?だったっけ?)79929というのがあった
ロング→クロスの転換が自動でできる、近鉄L/Cカーの先祖みたいな奴だった。
片町線に居たようだけど、転換機能を使ってたかどうかは知らない。
それと、仙石線むけに72971〜が出たとき、さらにモハ62・クハ66の登場には魂消た。 >>643
クハ79929は一度も転換して営業されなかったとされる。
仙石線向けの72971以降の登場より、62系のほうが先でしょう。72970→62系→72971〜じゃないか?
62系はいろいろと不具合があって(例えば床の主電動機点検蓋を115系サイズで切ってしまう等)
量産されなかったのは残念。当初は房総線(近郊形)、武蔵野線(通勤形)にも投入が検討されていた。 武蔵野線に投入されたら面白かったろうなぁ。車内はきっと会話不能で……w 見た目だけだが2ドアで登場したあと3ドア化するときに窓配置のバランスを尊重したために新設ドアだけ両開きになったやつ。
苦肉の策とは思うが。 両開きと片開きの混載はそんなに珍しくないがねぇ
たとえば合造車なんかもろにそれで >>647
京阪の1900両運車が3扉化の時に真ん中だけ両開きだったな。
あと改造ではないんだけど、森ノ宮の103モハに一時期だけ下枠交差のパンタ載せてるのが居たが凄い違和感があった 京阪は1900(初期タイプ)のほか、1800、1700にまで及んでいる
デザイン的にも実運用面でも
片開き&両開きのミックスは勝算ありと読んだのね マア、何の不便も無かったな
美観なんかどうでも良いし 逆に、混成を避けたいがために増設した中間扉が偏った位置になってしまった山陽3550(元2000)
おれは京阪の判断に軍配を上げたい 既出レスにあるが同一編成内でパンタが通常式と下枠交差式が混じってると違和感を抱くものかな?
個人的には許容範囲内。
二挺パンタで通常式と下枠交差式があると珍車と感じる。 >>655
悪いが俺的にはそれも珍車のカテゴリーには入らんなあ
集電装置で言うとパンタとポールの混在は当てはまると思う パンタとポールのハイブリッドなんてどこが珍しいのやら >>654
乗客数にも左右される
ドア位置の不統一は整列乗車の支障になるが
客が少なければ整列乗車を殊更要請するまでもなく… 戦前の話を持ち出しますかぁ
名古屋市電乗り入れを止めてからはポール不要になってパンタグラフだけになったでしょ DD51 507→DD17 1
改造と言うより
使った部品がどの程度だったのか エーデルシリーズは新しくなるたびに改造メニューがショボくなっていった
「丹後」展望室あり、電車併結可、平屋客室窓は大型化
「鳥取」先頭車のみ展望室あり&電車併結可、平屋客室窓は種車と同じ寸法に
「北近畿」鳥取の色違い、電車併結不可
「シュプール&リゾート」丹後の中間用、前面貫通扉あり、運転席窓以外大型化、電車併結可
「レインボーリゾート」北近畿タンゴ鉄道向け、平屋窓は種車キハ58/28のまま、老朽化激しく他車に比べ短命 >>665
種車が足りずJR四国から買ってる
或る列車も四国から購入 >>665
14系もそうだがキハ65もシュプール&リゾート車だけ座席リクライニング角度が半端なく倒れたんで夜行で両端丹後車だとあえて展望狙わず中間車の最後列指定した
あと北近畿に1両キハ58で窓種車のまま、幹0系座席の車両もいた >>672
どこが短命だ
581・583系を近郊型化改造した。
長く使う気はなかったようで、トイレも鍵かけて閉鎖しただけ、洗面台もフタをしただけのやっつけ改造。
東と九州の715はあっさり廃車になったが、それに比べたら419は長生きしすぎ。
当時、北陸新幹線がどうなるかわかってなかったから、様子見たかったのはわかるけどさ。 >>652
両端片開き中央両開きは近鉄2000と京阪どっちが先だろう
一連の関東鉄道は少し後の気がする。後、豊橋鉄道の古い電車にも居た(鉄道線だけど
市電ぽい) クモハ716-901
モハ456にクハ455-600(種車サロ455)からもぎ取った運転台ユニットを移植し、さらに車体中央に両開き扉を増設 >>673
試作品だからな
で、成績不良だから試作のままで終わった
地方私鉄によくぞ引き取ってもらえたと思う 1950年代までは非電化私鉄で片ボギーのディーゼル車があったらしい
珍改造の仲間 片ボギーの狙いって何?
資材節約かな
見るからに不安定なだけなんだけど。。 >>680-681
二両固定編成ならともかく、単行だと見たからにバランスが悪そう