懐かしの珍改造車を語るスレ©2ch.net
根室拓殖鉄道キハ3
と言っても当然自分には乗車体験が無くて地元の郷土史家の方に話を伺っただけだが、
当時はそれほど奇異の目を向けられることなく、利用者には受容されていたらしい。
では、どうぞ。↓ 珍改造ね…。
忘れちゃいけない、大井川鉄道モハ1906+クハ6051+クハ6052。事情を知らないと「何だこのおかしな編成は?」 >>260
北陸鉄道から入ってきた車のくたにとしらさぎの内のくたにだろうね。
こいつはカルダンだったためにモハがぶっ壊れて修理出来ず他のモハを牽引車代わりに
クハで使っていた。 >>261
おかげでワンマン化に対応できず、多客時の増結用ぐらいにしか使えなくなり、結局は持て余して大代川の側線(=三途の川)行き。
小田急ロマンスカーもそうだったけど、あれだって3輌に短縮化したかったのが、構造上難しいのでそのまま使い、結局持て余して野ざらしだった…。
大鐡さん、もうちょっと考えてほしいな〜…。 >>261
違う。
機器構成上600Vの高性能車を1500Vに昇圧出来なかったんだよ。
だから電装解除して使った。
しかし、よく昇圧出来ない、走れないクルマを買ったよな。 >>256
わかる
なんか馬鹿にしたニュアンスが含まれてるから嫌いだわ >>259
あれは本来クハ481にするつもりだったんかねぇ。 サハ481→クハ480→クハ481-800。
最後は「クハ481の低屋根車(!)」なんぞと評されたとも…。 >>267
お前だけだろ?
早く夏休み終わらないかなぁ >>268
あぼんやすみなしのリーマン乙w
俺もあぼんやすみはないけど
代わりに秋休みがある(5日間のみ) 最後は交流機器を撤去しなくなった、JR酉による485系→183系の改造。 サハ87→モハ80の改造車。
付随車から電動車への改造はレアケースだろう(通常は逆)。 事業用車、特に新技術テストのための改造車なんて、珍改造(魔改造?)だらけではないのか?
例えば東武のサヤ8000、どこが8000系なんだ?という外見をしているが。
他にも廃棄対象旧型車の究極チェーンアップとして、小田急の強制振り子実験車両とか、買収国電改造の交直流車、ガスタービンつけてみた元ガソリンカーなど 付随車の電動化改造は台枠強化も要るだろうから、下手したら新車作った方が安いかも
101系の付随車は当初電装準備で、のちただの付随車にしたはずだが、パンタ台の有無とか以外に構体の構造の相違はあったのかしら? >>273
それは最近のステンレス車の類の話>新車作った方が安い
近年までの鋼製軽量車や、それ以前の吊り掛け駆動旧形台枠車は、
台枠補強を要しないか、比較的軽微な補強ですむ。
TのM化は、それほど珍しい物ではない。
小田急サハ2762(試験車だが)、京王6000系の中間車、井の頭サハ1500、
東急クハ7500、京王5000、3000の譲渡車、小田急旧クハ1551など探せばいろいろ。
地方私鉄にも多いね。 考えてみたら、
付随車→電動車(電車同士)の限界を飛び越えて、
客車→気動車なんていう改造もあった。 >>274
西武701を各地の私鉄に売却する改造の際、
伊豆箱根向けはTc車に電装品を移設・三岐向けはM車車端部を切ってTcの顔を移植
の2通りだった。
その後の譲渡車は顔の切り接ぎばかりだったから、
TのM化は出来ないことは無いけどやっぱり面倒なんじゃないの? >>276
そりゃ改造だから、面倒じゃない改造なんて無いでしょうが。
配線から何からやり直しだから、面倒は面倒で、出来ればやりたくないだろね。
でも必要があるからやったわけで。
運転室の台枠切断を伴う切り接ぎは、1980年代の初頭から始まった方法で、
それまではMのMc化なんかも、台枠の部分は残して工事していた。
ところで、運転台の切り接ぎと、TのM化とは、まるで別な話なんだけど。 東武2080系
2000系に20000系の顔を付けたやつ
地元の電車ながら一度しか乗れなかった
もう一度乗ろうと半日以上待ったが出会えず、その後すぐ廃車に
東武ネタでもう一つ
1800系通勤車化改造車
やっつけ感満載のショートリリーフ
酷い出来だった
せめて青帯を「りょうもう」時代と揃えればまだ見栄えがしたのに
見に行った時はすでに末期で、地元高校生のいたずらか、窓に張られてたフィルムが半分以上剥がされた悲惨な姿で運用されてた
「りょうもう」時代、颯爽と飛ばしてたのを思うと悲しくなった サシ181→サシ489。
車体の高さはオリジナルの489系と揃えられたが、
125mm持ち上げるってのは、結構大変だったんじゃなかろうか…。
一方で、「ゴー・サン・トー」改正の折に登場した、サロ481→サロ181の改造車では、
車高の違い、125mmは残存した。どうやって連結したんだろうと思えてくる。
その段差を乗り越えさせられた社内販売員の労苦はいかばかりだったか。 >>279
サシの489化は、台車の枕梁の交換じゃなかったかな。
上野で見たけど、見た目はわからない仕上がりだった。
サロのほうは、ホロも斜めになっていたが、ホロ枠をなるべく下げ、
渡り板も斜め連結に対応可能な形状のものを付けていたようだ。
当時のジャーナルに写真と記載があったと思う。
車内販売のワゴンは、ちょっとした坂をよいしょと持ち上げる感じかな。 >>281
Thanks!
あと、
社内販売員→車内販売員
だった。レス見て気付いたっていうお粗末ぶりだが…。
また、同じ「ゴー・サン・トー」の時に、サロ481→サロ183(189)の改造もあったが、
似た問題が起きてたんだろうな。
まあ、こっちの段差は35mmって事だから、181系の場合よりは対処は楽だったのかも知れんけど。 >>262
485と183の35mmは車内の床の高さの差だね
ただ、床面から窓下端までの高さが同じなので、外見では窓の高さがずれてしまう
サロ481→サロ189/183は機器流用・車体新製で窓の段差をなくした
国鉄末期のサハ481→クハ182/188等はそのままで、窓の段差が残ったうえに
元からのドアのステップもそのままにされてしまった(先頭側新設ドアはステップレス) >>280
近郊型サロの究極はサハ165改造のサロ110-501
座席と窓割りは合わないは扉は他のサロより広いわ
何故か車掌室が無いのにサロ111を名乗らなかった >>283
車体新製は、モハ484・485→モハ188・189(500番代)の改造。
これは、一見すると元485系とは思えないスタイルだが、
座席だけは種車の流用でベンチシートだったから(4ユニット中の1ユニットは例外で簡リク)、
指定席で当たった時は頭にきたもんだった。 そう言えば、いまだにわからないのが、
新幹線200系の改造車で、シートピッチ拡大したのがあったよね。
あれで3人席が回転するようにするため、肘掛けは回らず、
中身の腰掛け部分だけ回るとかの謎改造もあったけど、
窓配置を変更して改造したはずが、一見そうは見えず、
窓とイスの間隔もずれてない車があった。ピクに写真も載っていたはずだが、
あれはどうやって改造? というか、まさかの車体新製なんだろうか。 >>286
200系のあれは、シートピッチは変えてない。
要は、980mmのシートピッチで3列席を回転させるために、
肘掛を残して本体だけが回転するような座席が造られたって事になる。
で、後に0系にもそれが導入されたな。
こっちは、種車のうち0・1000番代のシートピッチが940mmなので、
流石にそのままでってわけにいかず、980mmに広げたために窓と位置がずれた。 200系新幹線の3列回転化は、2種類あった
最初はピッチ拡大して窓割も作り直し(車体新製ではない)
先頭車改造や215の半室グリーンなどが該当
後に、ピッチそのままで両側肘掛固定に移行 >>288
ああそうか。
221・222−200番代の件は失念してた。
それにしても、新幹線だと、一時的とは言えシートピッチに窓割り合わせるような配慮示したんだな…。
在来線特急車のグレードアップ改造では、そんな気遣い毛ほども見せなかったのに。 225-450や225-470も車体いじくってシートピッチ拡大だったな
2000番台と同じシートに取り替えたやつ
200系の改造車は複雑すぎてワケワカラン 元クハ153(低運転台)のクハ164。
せめて高運転台の500番代が種車ならよかったのに。
塗装を合わせれば、オリジナル車とほぼ変わらん外観だっただろうから。 >>283
サロ481→サロ183の中にはサロ481に戻った車両があった >>293
その車両は、サロ183に改造された折に横軽対策車になったが(●サロ183-1051とかの表記で、
碓氷峠通過可能を示す丸印が見られた)、これはサロ481に戻った後も残されたのか、と思ってる。
或いは、車体構造上はそうでも「●」の表記は消されたかも知れんが。 >>293-294
サロ481-98・112→サロ183-1051・1052は、車体も台車も流用
のち上沼垂のグレードアップ編成用に元車番に復帰
機器流用はサロ189-51・52 それが末期には格下げられてサハ481-300にされて末期のひたち7連専用車にされたり、電気釜頭移植させられて
ボロボンネット交換用のクハ481-1100にさせられた車もある。
末期のひたちの7連のサハの内0番台はほとんどなく全て改造車で占めた。JTにさせられた車もある。 >JTにさせられた
”何でいきなり煙草(専売公社)…”と思ったら”Joyful Train”なんだな。
それにしても、何で181→481〜489→183と、その度に車体割付が変わったんだろう。
だから、組み入れられた改造車が編成の統一性を乱す元になった。
近郊型や急行型では特にそんな事ないのに(ドアのステップを別にすれば)、
何で特急型はそうなのか。 >>297 交直流車か直流専用車か、現場で識別しやすくするためなんでは?
183系ベースの横軽協調車を183系○千番台とせず、189系と異なる型式番号付けるのと同様。
番台の違いで区別できると考えているような鉄オタの発想だと、営業運転でトラブルが生じやすいんだろうなあ >>298
形式そのものの話じゃないぞ。
481〜489系は181系に比べて車体が12.5cm高くなった。
また183(189)系は181系より、床が9cm・窓が3.5cm・屋根が12.5cm高い。
これは485系などと比べると、床が3.5cm・窓が9cm低く、屋根は同じ高さ、って事になる。
こういう違いが何で生じたんだろうと思った次第。
で、40年前の「ゴー・サン・トー」の時、181系はグリーン車の屋根が高い凹凸編成ができたし、
183・189系も、グリーン車の窓回りの赤帯に段差のある編成が見られるようになった。 >>299
九州では強引にクハ181をクハ481化したクハの凸凹編成があってこれがとんでもない大失態を招く結果になる。
まあ近郊型でも東海道線に入れた急行型グリーン車改造車はまだしもサロ181 183 481 489改造車は車体も何も
全然違うは冷房も違うわだった。
特にサロ110-301は車体まで凸凹編成だった。
急行型グリーン車改造車のサロ110やサロ112も色も揃っていた。
まあ昔のトミックスの113系にあったスカ色サロ112は本当は実在しないけど。 >>299
交直流車は床下に変圧器などを積むために、床面を上げざるを得なかった。
なんでそれに気づかない?
181→183で床が上がったのは、低床軽量構造を、普通床軽量構造にしたため。
小田急ロマンスカーSE、NSEの低床が、LSEになって普通の高さになったのと同じ。
>>296
クハ481-1100になったのは、サロ181-1100の新製車のほうでしょ。
だからサボ受けが残っていた。サロ481の改造車あったっけ? 183系の窓が485系よりも低くされたのは、座席が簡リクになって座面高さが下がったため、と
いう説明がされていたな。さらにリクライニングすれば目線も下がるから理由としては納得できる。
その関係で窓ガラスが腰のカーブにかかるため、車体断面も微妙に変更されている。
後から485系にも簡リクが導入されたが、編成美の観点からか窓位置の変更はされていない。
屋根は両者で変更する理由は無いはずだが、通風器が統一されなかったのは理由がよく分からない。 >>301
実は名鉄のパノラマカーの7000系と7500系で床面が違う。
7500系はわずかながら床面が低い構造で、運転席部分が頭でっかちに出っぱっていた。
その構造がバリアフリー法違反になって7000系より先にあぼんされた。1200系のドナーになった車もある。 >>302
客室用押込通風器
先に出た183系が在来スリット型を採用して
1年ほど後に出た485-200が新設計の箱形を採用したんだろうな
その後出た車では、新系列(40系気動車・201系電車・50系客車など)は箱を採用したが
在来型採用車の番代違い(183-1000、189、115系など)は在来型だった >>304
箱形はそれより前に昭和41年に東西線乗り入れ用の301系に使っていた。
地下鉄と言う特殊性から103系時代からの在来のグローブ形を使わなかった。
ところがコストが高くて量産が出来ず、昭和45年に千代田線向けに103系を地下鉄用にした1000番台を
作った際にコストがそっちのが安かったことや地下鉄でグローブでも箱形と大差ないことがわかって
以降103系で作られてる。
同じような箱形は165/169系の運転席部分の箱形もそう。
ちなみに301系が出た当時営団は日比谷線同様バカでかいガランド型だけだった。(箱形は翌年の5019F以降) >>305
箱形の最初はモハ90でしょ。
のちの101系900番台。
小形の箱形について、103系では、103系1500番台が採用している。 111(113)→115に改造されてもグローブ式ベンチレターは変わらなかった車両もある。
ってか、何でそんなの種車にしたんだか…。 その頃の国鉄は末期症状だったし、細かいことに構ってられなかったとか
新幹線の食堂車→普通車とか荒業もあったし >>307,308 そういう改造で何か走行性能や安全性に問題生じたの?
新幹線の食堂車なんざ、普通車に改造するのでなければスクラップにするしかなかったわけだし
小田急のように2ドア特急用車両を3ドア通勤車に改造した方が、細かいことに構ってられなかったんではないのかねえ? >>309
具体的に何か弊害が生じたかどうかは定かでないが、
そもそも115系でベンチレターが押込式になったのは寒冷積雪地域での運用を考慮してって事だから、
それに悖るような事を何でやったのかと思った次第。
しかも、111・113系が全てグローブ式ベンチレター車だってんならまだしも、
こっちにも押込式の車両があるんだから、余計、どうしてそれを改造の種車にしなかったんだと思えてくる。 >>309
発電機付きのキハ184から発電機を外したキロ184は
エンジンがキロ182と違うために扱いが難しくてエンジンを後から変えたことがある >>310 網干のクハ111が余ったから、岡山地区で不足していたクハ115の穴埋めのため改造、下関の老朽化した115の交換のために広島の113を改造といったケースでしょ。
首都圏の115持ってくるよりは、余剰となった近くの111、113を改造した方が便利。移動先も暖地でグロベンで問題ない。費用対効果の問題だわな。 >>309
小田急の2ドア特急車って何?
2ドアの特急専用車なんて、存在したことは無いのだが。 レス309訂正 2ドア特急用車両→1ドア特急用
小田急2300、1ドア特急用→2ドア準特急用→3ドア通勤用と2度の改造。中間段階を混同していた。 >>310
旧国時代から同じようなことしていたからね。仙石線に行った車は51系も72系もグローブから押込型にしていたし、
大糸線にもいたような。ただ富山港線の72系は仙石線より寒冷地で豪雪地帯なのに変えてない例もある。
>>312
サハ改造の600番台は種車の0番台が首都圏が出所。AU13Eクハ115最後の生き残りのやつも種車は三鷹の
中央本線からだったし。最後の生き残りは4基搭載タイプ。なんちゃって急行型屋根の5基搭載型は消えたし。 名古屋の113は逆に押込からグロベンに交換してなかったか? >>303
>バリアフリー法違反
この文言だけで何もわかっちゃいないアホだと思った サハ101→サハ103。
最初の17両は冷改+行先表示器設置がなされたが、
次の5両は、種車が既に冷房付だった関係で行先表示器省略、
更に次の4両は改造当初非冷房、
って具合に、だんだん「手抜き」になってった。
それにしても、このサハだけで30両(751〜780)あったんだから、
103系ってのはホントに化け物(両数的に)だ。 そういえば冷房車なのに幕がなくてブレーキ緩解音が101系と同じサハがあったね。
中央総武緩行とかでよく見た。 国鉄の瓦解を象徴してたような、715・419系(元581・583系)…。 特急車両をあんなみすぼらしい格好に改造して、何やってんだかと思わざるを得なかった。
今風に言えば、「国鉄、終わった」って感じがした。 使わないトイレの区画を撤去ではなく封鎖で乗り切ったりとか
長く使う気は最初からなかったから、最低限の改造だけで済ませてあの状態。
715は当初計画通り割とあっさり廃車になったけど、419は長生きさせすぎだったな。 >>319
ドアがワンクッション遅れて閉まるんだけど、バーンとかドッカンといきなり閉まるギロチンドアだった。
総武線にいた751〜754はみんなギロチンだった。あと772は幕がないのもそうだがこいつだけ
黄色が変色した車だったりした。 モハ403-1→モハ401-26。
何でスペックダウンの改造なんだよ(モーターの出力120kWh→100kWh)。 >>318
昭和48年関西線電化に伴い環状線にピカピカの冷房車が投入された。
中間車にみすぼらしい非ユニット窓車が連結されていたから良く目立った。
後に関東からとんでもないセコハンのクハを大量に受け入れる羽目になるのだがw >>325
むしろ相方を事故で失ったモハ400-26をモハ402に改造すべきだった >>328
モハ402-1の廃車(踏切事故)のとばっちりでモハ401-7が廃車されて、
この相棒のモハ400-7と、モハ403-1変じたモハ401-26がユニットになった。
さっぱりわけの分からん話だけど。 さらにクハ401-101なんて変な車まで作ってるな。しかも車がなくてクハ115から改造してまで。
しかも401系の最期まで看取るとは。 相鉄3010系→3000系
VVVF改造したから、たくさん居た6000系を差し置いて最後の低運転台車だったのも印象的。 >>318
T773・774・776の3両は非冷房のまま廃車となっているよ。 >>329
すまん間違えた
モハ400-26ではなくモハ400-7だった
つまりモハ400-7の方こそモハ402に改造されてモハ403-1と組むべきだった >>333
もちつけw
事故でクハ401-52とモハ402-1が廃車。
さらに401系が踏切事故でたんぼに落っこち、クハ401-13とモハ401-7が廃車。
それでモハ403-1をモハ401-26に改造。うまいこと4連に戻る。
モハ400-7をモハ402に改造した方が合理的にも見えるけど、
主電動機の出力が上がることで改造する部分が多くなるのを嫌った? 貨車改造の豊鉄サ201。琴電と違って戦後落ち着いてからの改造というのも異色。 「嘘から出たまこと」みたいな、103系3000番代。 古谷の車庫に止まってるのを見て、あれ、高運の非冷房車なんてあったっけ? と思った。103-3000。 量産化改造された201系900番代。
元モハ201-901のサハ201-901の屋根上には、パンタ台座が残存。 サヤ420→モハ420。
これは珍改造っていうより「珍種車」って感じだが。 >>341
> サヤ420→モハ420。
> これは珍改造っていうより「珍種車」って感じだが。
どうだろ
元からそのように設計してたのだから、改造というより復旧かな
旧に復したわけではないが 臓器移植したみたいな、183-800と415-800。 クハ381→クロ381(紀勢線)とサロ381→サハ381の抱き合わせ。
共に座席と窓の位置が合わなくなった。
単純にサロの先頭車化、じゃいけなかったのか…。 >>345
アルミカーの先頭車化改造は、思いのほか手間がかかるようだ。
なので、今後の寿命も考慮して、多数の手をかけて先頭車化するよりも、
基本座席の交換だけですむ方法にしたのでは。 クロ381はクハ381タイプでも貫通形と非貫通形の2種類がある クモハ119の両運化改造車。
常識的には、片運を両運にしたら形式が変わる筈だけど、「番代」が変わったに留まってる。 >>348
クモハ119Aとか?
奇数と偶数だけしか選定出来ないと、矛盾が生じてしまう例ですな。 >>348 富士急の両運転台キハ58は? 国鉄保有でないのに、何故種車の形式名を踏襲しているのかね? >>350
富士急のキハ58は、何かを種車に改造したわけじゃ無いよ。
最初からあの形態で新製された車輌。
国鉄車と同じ形式なのは、当時の私鉄の国鉄乗り入れDCの類、みんなほとんど同じ。
国鉄の基本設計をそのまま採用していたからね。島原・南海・富士急。
独自形式で乗り入れていたのは、小田急くらいか。 国鉄のキハ56→キハ53の改造車(両運化)見た時にはぶったまげた思いだった。
キハ53に編入するってのが理解し難い思いだったり。 >>353
ちなみに急行運用にも使用されていて
増結車として札幌発着の急行にも担当されていた >>353
旧国鉄のDCの形式符番の法則を考えたら、両運転台にしたからには
56を名乗り続けるのもおかしいんだよな。 >>355
確かに、当時新型車両のキハ54も登場してたから、
結局、2エンジン両運車用の空いた形式がなかった、って事にはなるか。 実際キハ23形の2エンジン型がキハ53-0番台として既にあった。車体はキハ23と同じ両運転台で2扉の両開きだが。
本州型はキハ58に両運転台にしたキハ53-200番台で、東北では只見線や氷見 城端線で使われていた。
会津若松にいた只見線型は非冷房車だが氷見 城端線型は冷房車だった。
(無論電源機関のあるキハ28がいないと使用不可)
オリジナルのキハ23車体で作られたけど財政難で安くあがるキハ58改造のが経済的にもよかったからだろうか。
ちなみに道央〜道南周回急行「いぶり」や東北の1両編成の急行である「いなわしろ」や「なつどまり」は
キハ22やキハ52等が使われていた。
急行「いぶり」にキハ53-500やキハ24(キハ23の北海道型)を使っていた話も全くないし。 気動車の形式付番については矛盾も多い。
形式の1の位、0〜4が両運転台、5〜9が片運転台のはずなのに、
キハ60(片運)、キハ65(片運)、キハ80などの特急形がその基準に合致しない、
キハ50、キハ51も片運。大出力の通勤形がもし出来たら、適当な形式を割り当てられない等。
本来、キハ56や58の両運化改造車が出来たら、キハ59あたりを名乗らせるしかないのだが、
ジョイフル車に使っていたためか、59と29をジョイフル系にリザーブしてしまい、
本来近郊形である53に編入しながら、北海道では急行にも使用とか、矛盾を重ねる
ことになってしまった。
100番台の形式と10番台の形式で新形と旧形(制御電圧の違い)としてわけたのだが、
それも混乱の元に。 そもそも形式1の位の付番方式は明文化された規定だったのだろうか?という疑問は置いておくとして、キハ50や51が登場した頃は二台エンジン車がまだ手探り状態だったから例外的な付番になったんだろうか
あと例外的といえばキハ60もそうね キハ56の両運化がキハ53、ていうのは、
晩年の113系のグリーン車を何でもかんでも「サロ110」にしてた事に通じるような…。
元サロ152を「サロ112」にしたのは何だったんだって感じ。