オリエント・エクスプレス'88 [転載禁止]©2ch.net
やはりバブル時代だからこそ仕掛けられたイベントだったのですかねえ >>25
それと東海が今ほど他のJR各社と孤立してなかったこともある。 青函トンネル通過時の火災騒ぎの時は
海底駅に止まらずに走り抜けたのか? あれ下手したら青函トンネルに入れず北海道走行は貨物船に乗せて海上輸送の可能性も考えられたはず
内装材に木材を使ってる上に石炭ストーブとか現代の水準では考えられない位だった
結局火災報知機を取り付け防火責任者を配置する事で特認を得たがトンネルに入る前にストーブの火を消さないと青函トンネルの火災報知器が誤作動する懸念があった? >>34
オリエントエクスプレス来日は1988年。
青函連絡船廃止の翌年だよ。 >>35
1988年
青函航路廃止 3月
復活運航 6月〜9月中旬
OE渡道 10月下旬
若干微妙だが仮に航送するなら
最もおそくても復活運航中に話しが出ていただろうから
無理ではない。 >>36
中坊みたいなこと言うなよ。
廃止してしまったのだから無理でしょう。
「廃止」の意味、わかってる?
OEのために連絡船復活?
そこまでに掛かる税金とかの経費は誰が払うの? アメリカントレインはわざわざ鉄道が無い沖縄まで航走したというから凄まじかったな
オリエント急行は流石に沖縄まで行かなかった 食堂車がとくに重たくて、日本製の台車のバネが役割を果たせなかったことから、
冷房を撤去して重量を下げるなどしてたな 滋賀県大津市のホテル紅葉パラダイスで列車ホテルとして保存使用されていたオリエント急行の客車と
蒸気機関車は老朽化で解体作業中に客車から出火して炎上し、現在は完全に撤去されてしまった EF58が牽引したらイメージ的にピッタリだったはずだが出力が足りず不可能だったな
D51牽引時も補助機関車が付く有様だった 食堂車はカニ22よりも重かったってw
日本の客車史上最も重量が重い電源車より重かったって凄いな
冷房装置撤去する羽目になった 日本国内を巡業した客車たちのその後は?
現役車(定期運航している)は居るの? NIOEが倒産して客車たちも散り散りになっちゃったんだよね(´・ω・`)
それにしてもTR47が普通に似合っていたなぁ。
当時はまだあれだけの数をカキ集められたんだね。 車両メーカーに在庫が有ったのかな?
E3甲種では 黄緑色に塗った TR213を履かせていたけど >>49
ただ板バネ台車だったので乗り心地はゴツゴツしてた?
バネ定数変えたとはいえ特に食堂車が重くてサスペンションがボトミングしてしまったとか
もしや重さを実測してみたらカニ22に匹敵する位の重さだったとか? >>50
国鉄精算事業団からの購入。
当時はまだ解体待ちの旧客がゴロゴロしてた。 >>15
家にパリから中国まで移動したときの番組の録画あるけど
「本日の天皇陛下の御容態」とニュース速報みたいに出てくる
輸血量とか >>44
上越線でEF58 61が
東海道本線でEF58 122がけん引した。 >>15 >>16
その頃、自粛なんかあったんかなぁ・・・あまり覚えてないわ。
その当時は俺は18才、休みなしで働いていたので、それどころではなかったわ。
オリエント急行が大阪駅に来る時に見に行きたかったけど、それも叶わなかった・・・
この車両は確か香港から下松まで船で移送、台車を旧客のものに変えていた?
あと、妻面に「南シナ」と表記されていた?・・・はず。
その当時のソ連や中国ってペレストロイカとか解放改革とかがあったんだけど、
それでも良くこういうのが実現したと感心する。当時の東欧人・ソ連人・中国人は
普段見ることがない青い客車とその乗客を見て何を思ったんだろうか。 >>57
漏れは予備校生だったけど祝日に大阪駅へ行ったよ あの当時のフジテレビは空前のF1ブームで財力あったんだな
前年に中嶋悟がF1デビューしてフジテレビでF1中継が始まりF1ブームに火が付いた
丁度バブル絶頂期だったのでフジテレビ黄金期だった スポンサーは日立だぞ。そのためか牽引機は日立製のカマが多かった。 >>60
それなら余計に北海道でC623が牽引して欲しかった・・・
あとEF66の牽引が回送だけにとどまったのも日立製がないのも関係しそうだな。 パリ〜香港を走行してるしてる写真って探したけどほとんどないな 台車がポアされてるからな
完全コピーの列車を作った方が安いだろうな
それじゃ意味ないか 次はフライングスコッツマンかマラードが来てほしいな 日本一周列車はJR各社間で調整しないといけないので難しくなったな 日本一周、アメトレとかサイエンストレインとかもあったけど
最初は駅号だよな。20系使った
オリエントはバブルすぎ。D51と61の重連とか発狂するだろ。大宮までだったけど
最近も上野−尾久でやってるけど、客車がね >>57
フジの番組だとソ連の場面は行程的には相当あるはずなのにかなりはしょられたなw
撮影制限は厳しかったんだろうな
ドイツとポーランドと中国が大半占めてた
ただ西側初でバイカル湖を空撮するというペレストロイカの時期らしい映像もあった
後中国とソ連の国境の駅で両国の鉄道マンが作業しながら一言も口を利かなかったり
政治資料としても貴重かもしれない 日本にカネが唸るほどあった時代だな。
>>37が問題にしてる経費もどうにかなってたろね。 アメリカ人の社長かなんかがなんか企画したと思ってた
なんかフジの番組で出てきてたし
安部譲二が同乗してたな フジの社員の企画だったのも凄いけどな
一番交渉に難儀だったのがソ連ではなく中国だったと後に言ってたけ 中国じゃなくて香港の九広鉄路。当時は英国領なのでエゲレス人幹部か。 当時通っていた中学校が、
京都大阪間の東海道線沿線。
ほとんどの教室から、走っている車両が見える、鉄要請場みたいな環境。
他の優等列車よりもゆっくりと重厚な走りを見せるオリエントエクスプレスに、
クラス全体、授業も中断して見とれていたなぁ。
まぁ、頻繁に通るので、
そのうち、鉄でさえチラ見する程度になったけど。 客車重量50トンオーバーって前代未聞だろ
重量記号当てはめると全部「カ」級ってw
積車時のコキ50000より重かった
日豊本線みたいに幹線であっても路盤が弱い線区は端から入線させないつもりだったみたいである 通過区間は線路傷めるだけだもんね
地元で滞在してお金を落としてくれたらいいけど 車体重量が軒並み全部50トン超えてたとかスゲーなw
24系客車15両編成よりも重かった?
重すぎて空転が多発し「貨物列車のように運転すること」と通達された位
バッファで引き伸ばされるために圧縮引き出し不可能と誤解されやすいが電磁自動空気ブレーキではなかったので先頭車から順番に応答していくのを利用して圧縮引き出し可能 セノハチ越えるためにEF65 1000番台が重連で引っ張って行ったからな >>89
貨物並みに重いがEF67付けなかったんだな 青函トンネルもED79重連だったよね。
100番台が旅客列車の牽引に加わったのは、あれ以外知らない。 >>81
ただ、フジの放送でもフランス、西ドイツ、ポーランドはそれなりにやったが
ソ連・中国はあまり時間割かれなくて色々許可が難しいんだろうなと思った
そういや、東ドイツは一コマもなかったかな
ソ連も西側初のバイカル湖上空撮影とか柔軟になって
ゴルバチョフ体制の影響が出てたが オリエントエクスプレスと聞けば
レオ贔屓の私としては、郭泰源ですね TRAIN SUITE 四季島やTWILIGHT EXPRESS 瑞風も重量50トンオーバーあるよな
豪華列車は異様に重くなる法則が成立してる カシオペアの先頭車がカハフだったのに驚いた。
軽量ステンレスなのにカのクラス?
発電機を積んでいると聞いて納得。
日本でのオリエント急行も早いもので30年前か。 >>93
懐鉄板で野球の話しても誰も反応しないよ
みんなスポーツ音痴だから フジテレビがここまで零落れるとは誰も思わなかっただろな 当時のフジテレビの現場は構想力企画力が抜きん出ていた
今は過去のコピーしかアイデアを出せなくなってるらしい
やはり組織は、人なんだな 儲かってないでしょ。バブルと民営化の象徴みたいなもんじゃね 日テレはウルトラクイズ→電波少年→イッテQと
ドキュメントバラエティの血脈を受け継いで人気あるのに
フジお得意のスタジオバラエティは
ひょうきん族→みなおか→めちゃいけ
で完全終止符になったな >>99-102
だからカレチ堺は、在籍中に日枝錬金術の浮き沈み両方を見る結果・・・
>>103
そのCXバラエティー3作はすべて河田町時代の企画だということ
しかも人的に矢印順には継承されてない
ひょうきん(横澤班)
みなおか(石田班)
の2つは遭い入れない存在に対し
おだいばZ会のシリーズは両班の出身スタッフが担当 なるほど・ザ・ワールドは王東順班だからどちらでもなかったな。
夜ヒットは疋田拓だったが、この人はバーニングと懇意だったという話も。
テレ朝に移籍したら皇達也と対立するなど社風と合わなかったようだ。 この車両は1両の長さが確か23メートルなので日本の既存の車両もそこまで長くできるはず。 >>108
確か車体が細かったので問題なかった
オヤ31のかんざしを長くした特製の建築限界測定車で入念に測定した結果あちこちで限界抵触することが判明し線路を微妙に動かしたりとか大変だった
今だったらJRが乗り入れ拒否するはず >>104
来た頃にキャラメルか何かで
おまけにオリエント急行のミニチュアがつく菓子があったから
よく買ってもらったような記憶がある このあと1989年に中国で
天安門事件が起きてるから
企画としてはギリギリ間に合ってるけど
危なかったね バラスト軌道は線路を少し動かして接触回避できたがスラブ軌道はどうしようもないな
ミニ新幹線は在来線規格に収まって今でも甲種輸送してるがE3系でホームを擦った事故があった 豪華列車は重くなる法則が出来てるな
TRAIN SUITE 四季島は両先頭車が64トンとかカニ22並に重いしTWILIGHT EXPRESS 瑞風も58.3トンある車両がある プルマン車のNo.4158Dは箱根仙石原のラリック美術館にあるから何度も見に行ってるが、
他の客車達はどうなってしまったんだろう?
とりあえずプレジデンシャルNo.3354DとクルージングサービスNo.4013の生存は確認出来たが
(No.4013は元の厨房付きプルマン車に復元工事中)
Wikiでは殆どの車両が「廃車待ち」となってるが、これだってもう10年近く前のソースだしなぁ... ステイホームとやらで外に出られず
古いVHS引っ張り出してきて見返してるとフジテレビの特番でオリエントエクスプレスが出てきた
あの頃の高揚感を思い出した
涙が溢れてきた バブル時代のフジサンケイグループのムーブメントの仕掛けは神懸かってた
鉄に理解のある社員も多数いたのだろう JR側にも山之内さんとか須田さんとか(勿論よい意味で)真性鉄の役員が健在だったしね。
新自由主義のプロ経営者がトップにいなくてよかった・・・。 ヒットを飛ばすのはヲタ気質の人間の方が確率高いという説もあり、
当時のフジはそういう社員を大事にした。
今は成果主義の悪弊で、失敗を恐れて2匹目の鰌狙いの輩ばかりになってるだって。 オニ23は現存しているのだろうか?
編成端にあって写真が撮りやすかったので、オニ23を本物だと勘違いして記念撮影した一般人がよくいたと聞く。 マワシェビチェ(Małaszewicze・・ポーランド語って読みにくい)なんて地名、
日本じゃ滅多に聞くことはないだろうな。ポーランドのベラルーシ国境近く。
Googleマップで見る限り、他に目立った建物もなければ観光スポットもない田舎。
Wikipediaも日本語版にはこの地名がない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ma%C5%82aszewicze
(で〜もよく読んでみるとこの板の連中には興味深い記事と写真だ)
https://jp.reuters.com/article/china-europe-silkroad-idJPKBN1JO0IP
https://globe.asahi.com/article/12111661
https://toyokeizai.net/articles/-/277753?page=3
コロナさえなければ今頃はもっと栄えていたかもな。マワシェビチェ操車場は
中国・ロシアとヨーロッパの貨物列車を中継する、向こうでは注目を浴びている
場所なのだ。
で、>>116これが答えだよ。
で、ここに数年前Youtubeにすごいものが投稿されたんだよね。
https://www.youtube.com/watch?v=hi2c6TZSKCw&t=205s
https://www.youtube.com/watch?v=t5l-S1E3nro&t=9s
https://www.youtube.com/watch?v=tayQe1UANPI&t=301s
残念ながら日本語による解説はないが。
外板も傷んでいるし、車内も荒れ果てているけどね。どうもこれをSNCFが
手直しする計画があるって話を聞いたことがある。 >>92
>>113
鉄のカーテンはあっさり崩れたけど、竹のカーテンは難しかったか・・。
経済力を持っても体制が隠蔽体質の共産主義のまんまじゃね。
だからコロナも蔓延したんだし。
(竹のカーテンって言葉はネットでもあまり使う人はいないけどね)
さて。
この企画の次の年だったんだな、東欧革命・ベルリンの壁崩壊・天安門事件は。
冷戦が終わる前だからこそ実現できたのか、冷戦が終わった後だったら逆に情勢
が荒れてやりにくかったのかな?
Wikipediaを読んでも通過した国に「東ドイツ」があるのに時代を感じた。
テレビでは東ドイツの国境を通過するところまでは放映したと思う。 >>124
製造か60年経って日本を走ったクルマがその30年後も生き延びてくれていたとは!
また日本を走ってほしいね・・・前澤さーん・・・ マワシェビチェ操車場って蒸気機関車の動態保存もおこなっているんだよね。
(しかしポーランド語ってなんであんなに読みにくいつづりばかりなんだろう?
変な舌を逸らすような発音もある)
オリエント急行以外にも注目すべきスポットかもしれない。 プレジデンシャルNo.3354D、ドイツに移ってプルマン車カラーに塗られた写真を見た事がある
「何て事しやがる!!」と心の中でブチ切れたものだったが、その後はどうなったのやら
モノがモノだけに解体はされてないとは思うが 今はこんな壮大な企画を通せる腕力を持ってる人物がメディアにも鉄道側にもいない 本当だw
この両者がバブル時代にコラボしたのも因果な縁だな 撮ったとしても先頭のD51498にばかり注目していて…というのはよくある話 そりゃそうだろ。498のときは61と重連だからな。そっちに注目するだろ
復活したてで距離も短くてオリエント牽いたのはそのとき限り
それで注目してなんの問題が マスコミが斜陽になったのは自業自得よ
コロナで信頼を失った(もともと信頼されてなかったという声もある) いつもの腐臭トンキンちゃんが何処に引っかかって140を書きこんだのか意味不明
関東ガー東京ガーとはどこにもないのに
やっぱりキチガイはキチガイか オリエント急行が走行前、走行予定線ではオイラン車が走り回っていたのを懐かしく思う。
現在、オイラン車が使われることはないだろう。 もっと撮りに出かけておけばよかったなぁ
30余年経って鉄道がこんなにつまらなくなるなんて思わなんだ >>146
ナウでヤングな若者は、そんな中で色々愉しさを見つけてるはずだ。
そして30年くらい経ったら、なんでこんなにつまらなくなったんだ、って言い出すはずだ こんなスレまで鉄屑君はいるんだな。厨房かと思ってたわ。ヲタジジイの成れの果て
>>148
61だろうと思ってたら宇都宮のきったないPFだったという。1007見るたびに思い出してたけど
その1007もいなくなったな PF+12系で999はないだろうと小学生の我も思っていましたw 同意。
西武鉄道沿線のガキだった俺は、「西武山口線に999のヘッドマーク着けた方が
よほどそれらしい」って思ってた。 1988年というと時代的に自粛ムードがないわけでもなかったが、
決行できたんだね 本格的な自粛ムードになる前にパリを発っていたからね
東側や中国も巻き込んだ国際イベントだったし 当時はバスでも似たような企画が実施された。ようは世界的にバブルな時期だった。
ちなみにヨーロッパから韓国まで一応レールは繋がっているから、パリ発釜山行きとかが運行可能。
ただし、韓国と北朝鮮か未だ冷戦状態で、実はそこが一番の障壁。 「オニ23 1」の表記って、書体そのものは所定なのに
「1」の字だけヒゲが付いてたんだね。
tps://pbs.twimg.com/media/FKrRVVbaQAQ8PHk?format=jpg&name=4096x4096
「マニ50 2236」のほうは、見る限り「2236」だけオリジナル書体。
tps://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/railway-photo/20200821/20200821080935.jpg
それぞれ、わざわざ変えてある。
なんか意味があったのかな? 余剰車を整備しただけで、車両番号の変更はないそうだね。
ということは、同じような余剰車だったら、ひょっとしたら番号を選んだかもね。 マニ50もオニ23と同じ塗り分けにするか
せめて本物と同じ濃紺に塗ってほしかったね
今と違ってお金もいっぱいあったのだし(´・ω・`) マニ50が残念だったからな。丸妻のマニ36とか用意してくれれば。まぁもうまともに動くのなかったろうけど
スエ78はあったよな >>124
マワシェビチェにあった車両達だけど
2018年にフランスに回送後、ずっとレストアしてた様で
どうやらまもなくお披露目になるらしい
そして2024年、パリ五輪に合わせてオリエント急行が復活すると
「伝説の豪華列車『オリエント急行』、パリ・ウィーン間で復活へ」
https://www.designstoriesinc.com/europe/orient-express/ 日本を走ったクルマも含まれるんだよね
東シナのペイントも復活しないかな
それにしても嬉しい話 >>163
今回は新製当時の姿に復元するみたいだから、日本仕様の標記は期待薄だけど
日本人としてはやっぱり見てみたいよね
今回復元される面子だが、元NIOE関連だと箱根のラリック美術館にあるプルマン車と
食堂車プレジデンシャルを除くほぼ全ての車両が入ってる模様
これで元NIOEの客車の消息がほぼ掴めたが、唯一不明なのがプレジデンシャルの3354号車
本当に何処にいるのやら。由緒ある車両故に廃車解体はされてないと思うが... >今回復元される面子だが、元NIOE関連だと箱根のラリック美術館にあるプルマン車と
>食堂車プレジデンシャルを除くほぼ全ての車両が入ってる模様
( ゚∀ ゚) アヒャー
3354号車の行方は気になるけれども
再び日本に来ることは決してないだろうけれども
本当に嬉しい話 いつの日かタルゴのような軌間可変式列車でアジアと欧州を結ぶ国際急行列車が登場するかも。 懐かしい名前w
今生きてたら高齢だろうなぁ
フジのオリエント急行の番組に出てた上月晃も安部譲二も鬼籍入りしてしまった 民営化後の最初期まで汐留貨物駅が生きていたら
あのヨーロッパの駅のような広大な上屋のホームに停車してたら
さぞ似合ってただろうと思う。 汐留は単なる頭端式ではなくヨーロピアンな大屋根がよい
あのような上屋は国内には他になかったからね。 >>170
>>172
同じこと思ってました
他にはない雰囲気がありましたよね汐留 安部氏は塀の中の懲りない面々を書いた作家さんだけど
なんであの番組のキャストに選ばれたのだろうか 作家サンだから文章は上手いが喋りは
濁声と滑舌の悪さでしんどそうだったな >>164の自己レス
しばらく見ないうちに続報が来てた。それも1年近くも前に
外観
https://www.cnn.co.jp/travel/35194672.html
内装
https://www.pen-online.jp/article/011876.html
ウチらがイメージしてたのと大分違うね
ワゴン・リの紋章も無いし、内装もラリックのガラス細工が殆ど...
いや一切残ってない
SNCFが一足先にプルマン車でやってた様な「復元」ではなく、アコーが手掛けた車両たちは
オリエント急行という列車のコンセプトを現代流に解釈し、残された車両を「素材」として
再構築したものの様だ
まぁ、それでも乗ってみたいって気持ちは変わらないけどね >>174
上屋が全蓋タイプで緩やかにカーブしてたのも雰囲気あった バブル日本か・・
中国国内を走るときはアメリカンな中国の機関車・客車(控え車)が一回り大きかったが、
日本国内では屋根やステップの車両限界に引っかかる部分を撤去したんだな 車体の長さは日本の車両より長かったけど、幅はむしろ狭かったから
車端部のステップを切る程度でどうにかなった >>5
品川駅でビアホールにされたりノスビューになったりHITACHIの家電アピール用に12系色になったりと サイエンストレインもあったね。何回も見に行ったな。万博も何回も行った
楽しかった。それに比べて今回
>>180-181
幅は標準と同じくらいでしょ。ただ古いからそれほど長くもないんだよね、
それでも赤羽駅は東北貨物の線路を移動してるんだよな、東北貨物のホーム、地上で単線だった
ずらっと4面のホームが並ぶいまとは隔世の感 >>178
まさかのワゴン・リ紋章なしのペンキでOE(^_^ゞ
あちらの会社ってネガティブなコメントは絶対に出さないから分からんけど
実は装飾品の劣化が相当に進んでしまっていたのかもしれませんね
それでも乗ってみたい・・・ 中央本線は単線トンネルでガリガリしちゃうので恐らく走行不可
四国も高松駅だけだった バブル時代はなんでもありだったらしいよ
特にテレビ界は
この企画は鉄道がテレビにお付き合いしてやったようなものだ 何も知らないフジテレビのスタッフだったから通った企画
阪急が大株主の関西テレビだったら絶対無理だと通らなかった
スポンサーが日立だったのも幸い。国内走れるような改造を下松で出来た 今は冷めてるから、なぜこんなことやるのだ、とツッコミが先に来る
東京五輪や大阪万博が盛り上がらないのも根は同じ